活動日誌 2002年12月

ホーム日誌目次前へ次へ


12月31日(火) 5大ニュース

毎年、羽ばたく会の5大ニュースを選んでいる。

(1) 11月議会で予算を修正
エックス社に対する出資7,100万円を除く修正案が本会議を通過した。20年ぶりとのこと。

(2) 菅直人が民主党代表になる
市民派の政治家が総理になる可能性が出てきた。

(3) 石井こうきさんが暗殺された
政治の不正を徹底的に暴いてきた石井さんが、右翼の凶刃に刺された。良き先輩を失って、残念でならない。

(4) ツルネンさんを迎えて、講演&パーティーを行った
100人を越す参加者で、雰囲気も良くて羽場頼三郎らしい集まりができたと自画自賛している。私にとっては貴重な財源にもなった

(5) 病院事業管理者に対する報酬削減の修正案を出した
あっさり否決されたが、議会が修正案を出すのは当たり前という事実は見せつけることができた。それにしても、一億円もの報酬は馬鹿げている。


12月30日(月) 県議選

岡山2区の岡本県議が不出馬とのこと。代わりに誰が出るのか。2区は有力9候補が6議席をめぐる争いをしているだけに、注目したいところ。

岡山1区は、候補者難が続いている。その原因の一つは民主党系の候補の後継を出せないでいること。民主党はその責任を果たせないでいる。情けない。


12月29日(日) 福富西の夜警

福富西町内の夜警が行われ、参加。すこし体を温めて(食事と○で)町内を一周。夜に響く「火の用心」の声に年の瀬を感じられた方も多かったのでは。

激励に江田五月参議院議員、姫井由美子県会議員も駆けつけられ、挨拶をいただいた。

いつもながら、町内の女性によるお料理は味も量も満足出来るものであったことを書き添えます。


12月28日(土) 夜警 松井やより 県議選

年末の夜警が始まった。福浜の分団機庫で、市長を迎える恒例の行事に参加。分団長以下17人の団員と、員数外の3人(私と松岡市議、田中さん)が待ち構える中、市長が到着。訓示を述べたが、そのあと各市議からもと促されて二人で前に出た。これは予定外。こういう演出が市長の得意技か。

夜回りをしていると、途中で浦安で火災が発生。車両火災とのことだったが、押し詰まった時期に不審なことだ。

松井やよりさんが亡くなったことが新聞の記事となっていた。この人のするどい世相批評、人権感覚をかねてより尊敬をしていたので、残念な思いだった。

岡山市の県議選が事実上無投票になるらしい。民主党がなんらの手を打てないのは情けない。今年最後の逆転技は効かなかったらしい。


委員会と本会議  佐賀市議の千綿 正明さんの掲示板より

佐賀市の議会の様子を記事から見させていただきました。委員会と本会議の決定が違う現象は岡山市議会でも見られます。この議会でもそれに近いことがありました。委員会の決定と本会議での採決は同じだったのですが、委員会で反対した議員が本会議で賛成するという見識のないことが起きて、それが問題視されていません。おかしなことです。

中身は、市長が提案する民間会社への出資(第三セクターをつくろうとした)には議会の内外で異論が多く、建設委員会では6対2で予算の修正案が通り、総務委員会でもその修正(収入面での)が同じく決まり、当局側は逆転採決を狙ったのですが、果たせませんでした。そこで、修正に全会一致で賛成することで争点をぼかし、次回に再提案する道を残す戦術に出たのが真相です。

予算の修正は20年ぶりでしたが、その作戦が功を奏したのか、大きな衝撃は走りませんでした。

市長与党の2会派はいずれの委員会でも反対したにもかかわらず、4人の議員は本会議場から退出することも無く賛成の態度を表しました。私は、議会の採決の重みを無視している、といろなところで批判をしています。佐賀市と少し事情が違うかもしれませんが、議員の責任とは何か、考えさせられます。


12月27日(金) 今年最後の街頭演説 カラオケ忘年会

今年最後の朝の街頭演説を、30号線のいつものところで行った。今日はけっこう反応が良かったみたい。と、勝手に思い込んでいる。

夜はカラオケ忘年会。食事付きの所だが、味の方はあまり満足出来なかったようだ。

来月19日に事務所開きが決まった。正午から始めて、二時ごろまで。セレモニーはすぐ終わり、バザーを行う予定。どうぞ、ご近所の方はお出掛け下さい。


12月26日(木) モーニングリポート 三光のにごり

今日は今年最後の木曜日。福浜小学校の前で街頭演説。どうしても、11月議会のアスポ問題になってしまう。

私の田舎の三光というお酒を御存じの方も多いと思う。アマ・カラ・ピンの揃った酒として愛飲をされる方も少なくない。その「にごり」を飲んだ方は、一様に「うまい」と言われる。それもそのはず、これは三光の杜氏大塚さんの傑作といわれているものだ。大塚さんは今年「現代の名工」に選ばれた、名人。その「にごり」が岡山でも手に入る。私の知っている酒屋さんは次の通り。

福富西の川崎酒店。福吉町の「サイトウ」。神田町の入沢酒店。「うまい」と言いたい方は、一度飲んでみて。


12月25日(水) 眼科 吉田氏

やっと眼科に行って診察をしてもらった。これまで、何回か足を運んだが、ちょうど休診に引っかかって診てもらえなかった。目がよく疲れるし、時には開けておれなくなるくらい目が痛い。ドライアイと言うのだろうか、画面に向かう時間が問題とは思えないし。ま、眼は大切にしましょう。

町田市議の吉田つとむ氏が岡山に来てくださるとか、感謝。有効な受け入れを考えなくては。


12月24日(月) 駅前 徴兵制 離党組

風邪で休んでいた朝の演説を再開した。駅前で、江田五月、津村啓介、柚木道義氏らと。議会の報告で、例のアスポの問題と不戦の意見書について話をした。

今日お会いした方は、日本がダメになったのは「徴兵制」が無くなったからという持論を展開された。そのように思い込んでいる方もかなり多いのかと、少し考えさせられた。

熊谷氏らの離党が報道されていたが、予想通りわずか4人で、しかも自分の議席のためという見方が示されていた。これでいいのでは、と率直に思った。


12月22日(日) 森本徹磨 柚木道義

午前10時に、岡山市2区の県議森本徹磨さんの事務所開き。私の他に田原市議、そして市議候補の小林氏、倉敷からは今村、笹田市議、岡山市の1区草苅県議、姫井県議、倉敷の三原県議、早島の林町議、山陽贄田町議などが顔を揃えていた。

午後2時に、福浜公民館のエレベータ竣工式。市長挨拶で、「新設はしたが、使わないでもらいたい」と気のきいた話をしたので、私も大きく頷いた。バリアフリーのためのもので、普通の人はなるべく階段を使うべき。それを単に経費節約のためと勘違いした人もいたようだが。

その後、直ちに倉敷に直行。4区の衆議院候補予定柚木道義君の「励ます会」に。私の同級生の息子であり、その政界入りに道を開けた私としては、出かけずにおれなかった。若武者の参入で倉敷の選挙は面白くなるだろう。


12月21日(土) 忘年会

毎年この季節は忘年会が続く。特に今日は、4つも重なってしまった。いずれも大切な方ばかりなので、ご挨拶にお伺いした。どこでも、真剣に話を聞いてくださる方や、質問をされたりで、政治に対する関心も高くなっていることがうかがわれた。さらに、アスポのことはさすがに多く方が御存じで、解説をすることが多かった。市民が市政に無関心なら、暴走してしまうという話をちょっとだけ飲む席でしてしまった。

じっくり話を聞かせてくれという方、どうか私を呼んでください。出前の市政報告会をさせてもらいます。何人のところでも行きます。



12月20日(金) 議会最終日

今日は議会の最終日だが、その前に建設委員会が開かれた。昨日19日のエックス社の株主総会で、株式の50%減資が決定したとの報告を受けた。委員からは、減資したから経営が改善されたことにはつながらない、との意見が出たし、私からも、これでドームを委託することにはならないと念を押しておいた。

午前10時に開会して、ただちに休憩となった。なぜ、と議会運営委員長の垣下氏に聞いたが、「知らん。議長に聞いてくれ。」とのこと。ひょっとしたら、逆転議決のために時間稼ぎかと思ったら、そうでもないらしい。

建設委員長の報告に「次に出資の議案が出たら、議会が認める方向」を盛り込んでもらいたい、との工作ではないか、といった憶測も飛んだ。今回の件で、貝原委員長が変な妥協をするはずもない、と思っていたら議会が再開された。そこで、注目の採決だが、予想に反して全員の賛成で可決。議運で「起立採決」を決めているということは、「反対者がいるから」なのだが、反対がゼロということは「ひとひねり」があったということらしい。

そういえば、委員会で修正案に反対した議員まで、本会議では賛成に回っていた。私が聞いたところによると、東京都の武蔵村山市議会では、同じような事例については議会での懲罰が問題となったとのこと。それぐらい、議会の議決の意味は大きいということだ。


12月19日(木) 

雨の中、リポートをお配りした。途中で出会った方に、例のアスポについてお聞きしたところ、事情を全く知らなかった人を除いて、全員が「そんな会社に出資をすることはない。議会の判断は正しい」ということだった。岡山市民の全員にアンケートをしてみたいものだ。


12月18日(水) 疑惑

昨日の建設委員会の決定は各新聞社が取り上げている。昭和57年以来、20年ぶりという書き方をしていたところもあった。ある新聞は、選挙を前にした議員心理が働いたという解説を載せていたところもあったようだが、しかし、それを強調するのは間違い。ここで、市政を正常化しなくてはという「議会の良識」が全面に出たということだろう。

必然的に歳入に影響するので、それを総務委員会で審議をしていたが、別の方向でまた委員会が止まったらしい。職員の突然の辞職の理由が不明ということらしいが、「これは新しい疑惑だ」とささやく人もいたりして、その真偽が色々と取り沙汰された。自発的に辞めたとのことだが、本当にそうか、とか、くびになったとか。午後3時には議会を出たので、その後のことはしらない。変なことにならなければ良いが。


12月17日(火) 注目の建設委員会

7,100万円の出資はダメ。これが建設委員会の結論でした。「わずか1年間で4億円の赤字を出した会社に、市が出資をすることは、赤字補てんを税金ですることになり、市民の理解は得られない。」議会の良識を示した判断だと思います。

朝からの委員会に10人の一般市民が傍聴に来られて、この問題への関心の高さをうかがわせました。

委員会は前半は順調に進み、予算の審議に入ったら、これについては当局の提案に無理があるとの意見が出て、一旦休憩し善後策を相談しました。各委員の意見は、予算をこのまま通すことにはならないことで一致し、当局が再提案するか、委員会が修正をするのかとの別れ道に立ちました。

当局にこのような事態になっていることを伝え、再提案をするように求めましたが、市長がいないので待ってもらいたいとのことでした。ただちに連絡を取れといったにもかかわらず、しばらくは音沙汰も無し。やっと届いた返事は、今広島に居るので帰るまでまってくれとのこと。委員の中には「議会開会中にもかかわらず、責任者が県外に出るのはそれだけで問題。議会軽視ではないか。」という意見が出たが、同感。さらに、「市長が議員を一本釣りをしているのは、議会の審議妨害に等しい」との意見もあったが、これも同感。一本釣りをされるかどうか、市民の前で議論をして意見を出すべし、という正論があり、休憩中の意見をあらためて委員会で披露することになりました。

さらに長い休憩があり、その他の議案については審査をしておこうということになり、再開された委員会でほとんど問題なく通過。途中で「市長が帰ったから、委員会を中断してもらいたい。」との申し入れがあったようだが、「委員会は市長の都合で開いたり、閉じたりするものではない」との見識が示され、そのまま続行。後に休憩しました。そこで、「再提案をするための条件を示してくれ」との市長からの要請があったようで、協議しましたが、条件を考える時間的な余裕もないことから、当初の方針通り、7,100万円削除の方針が確認をされ、委員会が開かれました。

そこで、あらためて各会派の意見が求められ、公明党の藤井議員は「減額すべし」、市民ネットは下市議員が代表して「減額以外考えられない」、市民の会の宮川議員も「減額が妥当」、政隆会の安井議員は「予算の凍結」、新岡山21の意見は「減額するべし」と堀川議員が代表し、新風会の成本議員は「予算の凍結」となり、修正案が示され、それの賛否を取りました。

減額修正に賛成したのは、井村、堀川、藤井、下市、羽場頼三郎、宮川でした。修正案に反対したのは、安井、成本のおふたりでした。休憩中の発言と違った人がいたのは、ちょっと意外でした。市長からの一本釣りがもう始まったのか、との憶測も飛んでいました。今日から本会議までの間に、こうした一本釣りがあるのかないのか分かりません。もしあるとしたら、本会議場で明らかになりますので、ご注目願います。


12月16日(月) 一部訂正最新情報

昨日の「最新情報」について一部訂正をしたい。というのは、今日本会議が終了した後、市長秘書室から「市長が会いたい」と言っていますから、との連絡があった。「用事があるんならそっちからこい」なんて言う野暮なことは言わずにお伺いした。それは、市長は私たちとは違い、時間のゆとりがないんだから、市長室で会いたいというのも理由があることだから。

そこでの話で、私が書き込みをした時間には岡山に居なかったので、何かの間違いでしょう、ということでした。それなら、それは訂正。もっとも、今日16日には各議員に個別にお願いしているということでしたから、まんざらウソではありませんでした。ちなみに、私と入れ違いに公明党の有力議員が市長室に入っていました。

おそらく「よからぬ相談」と言う言葉がひっかかったのかもしれない。でも、この問題は市のお金をどのように使うかという問題だから、私は市民から選ばれた議員として、市民の常識に適った判断をしなけれれはならない。その意味で、市長の要望にそいかねることは明言しておいた。早く言えば、明日の建設委員会では、7,100万円は通りませんよ、ということ。


12月15日(日) 風邪 最新情報

一昨日から風邪を引いていて、寝込んでいます。今日も大事を取って、近所のお葬式に参列しただけ。明日の本会議までにはなんとかなおしておかないと。

先程入った情報によると、昨日夜に市長と助役と何人かの議員が例の7,100万円について相談をした模様。

ある学区での忘年会で、そこに出席していた建設委員をしている議員が中座をした。その際に「これから例の出資のことで、建設委員に声がかかって、市の市長や助役など主だったものと打ち合わせをしなければならないから失礼する。」といって席を立ったそうだ。ちなみに、私も建設委員をする議員だが、まったく声は掛かっていない。裏で、なにかよからぬ相談でもしているのだろうか。

明日の本会議で゛若手の太田議員が質問をする。彼は市長にごく近いとされているが、その質問が矛先鋭いかどうかで、昨日の相談の中身が想像できるかもしれない。


12月12日(木) 福浜小前 本会議

木曜日はいつもの場所。福浜小前。ここはもう14年になる。昨日と同じで、エックス社への出資について、かなり熱を入れて話をした。昨日の、家がすぐそばにあるところと違って少し離れているので話しやすい。

今日の質問はみなしつこくない人ばかりで、なんと2時30分には終了。最後はわが市民ネットの下市議員。朝一番が若井議員だったから、市民ネットじ前後を固めた感じだ。家でテレビを見ていると眠くてしかたがない。少々寝不足気味かな。


12月11日(水) 空港線 田原・亀井・横田質問

モーニングリポートはいつもの空港線で。話題はどうしても、アスポ問題。4億の赤字をかかえた会社に7千万円の投資を市がしなければならない理由はない。市民の理解は得られない。

個人質問においても、アスポについての質問が続いた。田原質問では、かなりしつこく関連問題まで聞いた。途中で休憩をとらざるを得なかった。答弁漏れを指摘したのは「3億円をトマト銀行から借りるに当たっての『弁済計画』はどうなっているのか」の質問。穴埋めを戸田・石本共同企業体に要請をしていて、それで返済するというのでは、答弁になっていない。それ以外でも、ボロが次々と出ているのに、それを認めようとしない。最後は数で勝てば良いという考えだろうが、議会がだませても市民はだませないのでは。

亀井質問もきつかった。横田質問も急所をついていた。



12月10日(火) 菅直人

さきほど、民主党の新代表に菅直人が選出された報道を見た。実のところ、ほっとしている。同時に、菅さんのかつてのビデオが放映され、30歳だった自分が写っているのを見て、あらためて年月を感じた。菅直人初当選のあの感激から、すでに23年が経っている。私の息子も、菅さんの息子も30歳になっていて、あの年頃だ。

新代表の道は相当厳しいと思う。しかし、菅さんは逆境こそ真価を発揮する。めげないその姿勢は市民に勇気を与えてくれると信じたい。当選して、直後に岡田氏に幹事長のポストをお願いしたのは正解だと思う。それがなにより証拠には、党内や国民から中野寛成が指名された時のようなブーイングは起きていない。むしろ、期待感の方が高まった。

これでやっと腹が座った。民主党の再生に向けて微力でも加勢したい。


12月9日(月) おはよう730 リポート 出前市政報告 本会議

駅前の高島屋前で演説。2区担当とかで、津村啓介、羽場頼三郎、綾大介の3人しか出てきていなかった。私は、アスポの問題を歯切れ良く訴えたつもり。

リポート発行が遅れている。原稿は頭の中にあるので、ワープロで文字にするだけなのだが、時間がないので、そのままの状態が続く。明日は、ほぼ出来上がるが、発送はもう少しかかるかもしれない。内容は、この議会の最大の焦点、アスポ問題だ。

リポートにも書かれていますが、出前市政報告をします。声さえ掛けてくだされば、たとえお一人でも、お二人でも出かけていきます。リポートではお伝え出来ない「濃密な」市政報告をさせていただきます。

今日も代表質問で、私の注目は公明党の則武議員でした。というのは、例のアスポ問題をどのようにとらえているかに関心があったからです。予想通り、筋を通した議論を展開していました。市民の公平な目で見て、エックス社に投資をするのは、大きな間違いです。しかし、私に対する答弁で「政策変更ではない」と開き直っていた助役が、今日も「アスポとドームを一体的に管理することははじめから決まっていた」などと、とぼけた答弁を繰り返していた。


12月8日(日) 委員会の行方

建設委員会の行方が気になる方が多い。例の7,100万円の出資を否定に持ち込もうとする動きが強いからだ。

主管とする建設委員会は、市長与党を自認する新風会の貝原さんが委員長をつとめておられる。これまでも、貝原委員長と堀川議員が「議論の余地はない」として、予算案の否決を明言されている。宮川議員もこれにほぼ同調。公明党の藤井議員も、委員長の判断に賛成をしておられるので、市民ネットの私と下市さんとで過半数になる。副委員長の安井さんも、この件は当局に賛成できないと言われているので、全会一致となる可能性もある。もっとも成本議員は分からない。

選挙がない人(卒業の方)は市民常識で考え、選挙を控えた人は、その影響を考えて、賛成はできないはずである。これに対して、否決覚悟で正面突破を狙うのか、予算委修正を図るか、いずれかの道しかないだろう。


12月7日(土) 救世軍 幹事会 忘年会

お昼過ぎに表町の救世軍の新館「献堂式」が行われ、旧知の樋口さんが東京からお見えだったので、お会い出来た。

民主党の幹事会では、中央の代表選挙の情勢報告や候補者問題が話し合われた。

忘年会が三つ続く特異日で、最後はグリーン早稲田の集まり。ここでも、例の7,100万円の市の出資について聞かれた。私の知っている限りのことはお話しした。「予算否決」の議会の態度が決まると、あとは当局がどうするかだけ。


12月6日(金) 本会議 建設委員会 記事

今日も代表質問が続く。政隆会の安井、新岡山21クラブの有井。有井さんの質問は再質問、再々質問になるほど説得力があった。原稿がない方が良いのか、さすが年季が入っていると感じさせた。

本会議後の建設委員会は異例。例のエックスジャパン社の再建計画についての取締役会の結果を聞いたが、減資を決めたというだけで、委員会としては「とてもこれでは、予算を認めることにならない」という委員長の言葉に異論は無く、短時間で閉じられた。これで、当局が眼を覚まさないと予算否決という事態になる。

山陽新聞には、私の代表質問のことが載っていたが、いつものように「私の言いたいこと」については、一行も触れていないのが不思議。エックス社に出資をすべきでない、の主張は無視された感じだ。これまで「市の資金投入はない」と言っていたのが、出資することになったというのを政策転換ではないか、と言ったことについて助役が「政策転換ではない」といったことが別の所に出ているのみだ。これが政策転換ではなくてなにが政策転換か、髭の助役に聞きたいと思ったが時間が無かった。


12月5日(木) 代表質問

質問戦のトップを切っての代表質問。エックススポーツジャパン社への7,100万円の出資問題をメインに行ったが、答弁はいつものようにはぐらかしの連続。まともに応えようという気はないらしい。無理もないか、是が非でもこれを通して自分の思い通りに市の金を使うことを決めていて、それに逆らう職員がいないのだから。どうせ議会も多数なのだから、少々ゴチャゴチャ言っても最後には通過すると思っているのだろう。市民のために市政を預かっている、という意識が薄いとこのようことになる。

時間の配分はかなり気を使ったので、どうにか納まった。あとは、この質問を引き継いで個人質問で頑張ってもらうしかない。

もう一度言うが゛、たかがドームの管理運営のために、4億を越す負債を抱える民間会社に投資をしてまで市がテコ入れをする必要は全くない。これによって市が負債を整理する責任まで負うことになりかねない。

代表質問予定原稿


12月4日(水) 民主党 エックスジャパン

民主党の鳩山さんが代表を降りたことで、新・代表選びが始まった。誰がなるにしても、きびしい仕事になることは間違いない。あせらず、政権交代をめざして足元を固めてもらいたい。

明日はいよいよ代表質問。それを前に市民ネットのクラブ会合。エックスジャパンへの出資を認める理由が、見つからない。皆さんの合意を元に明日の質問に臨む。

市民の期待に応える質問ができれば、と願っている。


12月2日(月) 駅前 質問 ケア・マネ

朝の駅前演説に、私の車を使った。今日は使う予定にしていなかったが、万一を考えて乗って行って良かった。まだ、県連の車は修理中だそうだ。草苅、一井、羽場頼三郎、綾、津村がマイクを持つ。

代表質問の原稿がどうにか締め切りに間に合う。これについての問い合わせが当局から来ると思って待機していたが、今日の所はあまり来ない。3件のみ。予定原稿は明日このホームページに載せる。この通りには質問しないとは思うが。

節子さんがケア・マネージャーの試験に受かったらしい。夜、一生懸命に勉強していたのは、どうもこのためらしい。その頑張りには「参った」。最近は政治的な発言もするどいし、私より議員に向いているのかも。


12月1日(日) 質問原稿

朝からずっと質問原稿に向かっている。読み直すたびに変更しているので、時間がかかる。次々と質問したいことが出てくる。特に、エックス社への出資については疑問が沸いてくる。議会が強い姿勢を示して予算の撤回をさせればいいのに。

説明にならない説明を繰り返して、市の公金投入を決めてしまう、こういうことにならないように釘をさしたい。


活動日誌 2002年

ホーム日誌目次前へ次へ