熱気球の歴史
熱気球は、フランスのモンゴルフィエ(Montgolfier)兄弟によって発明された、人類が初めて空中を飛行した乗り物です。
昔々の人々は、鳥を見て、同じように大空を飛びたいと思っていたことでしょう。人間の腕に翼のようなものをつけて、鳥と同じように羽ばたいて飛行しようとする試みは、ヨーロッパの様々な国で数多く記録が残っていますが、もちろんいずれも失敗に終わっています。
ダ・ビンチのヘリコプターのイメージ図
偉大な芸術家で科学者であるレオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519)は、さすがに人間の腕の筋力では、飛行は不可能であることを見抜き、グライダーやパラシュート、ヘリコプターなどの原型のスケッチを残しています。彼も大空を飛行したかったのでしょう。
フランスのモンゴルフィエ兄弟は、空を飛ぶ道具造りに情熱を注ぎ、もともと製紙業を営んでいたので、紙の袋に空気より軽い気体を閉じ込める研究に没頭していました。空に浮かぶ雲を閉じ込めるため水蒸気の研究も行いましたが、うまく浮かせることができませんでした。
ある日、煙が上がる様子をみて、煙を紙袋に閉じ込めることを試みました。暖炉の煙を入れた紙袋は見事に天井まで上昇していきました。この煙の中にこそ「新ガス」成分が含まれていると考えられたのでした。
モンゴルフィエの熱気球
その後、大きく丈夫な袋を作り、何度かの実験を重ね、1783年6月5日に公開実験を行いました。湿った藁を燃やした煙を袋に吸い込ませ、見事浮揚に成功しました(この日が熱気球の記念日になっています)。
さらに3ヶ月後、パリのベルサイユ宮殿前広場で、国王ルイ16世の見守る中、バスケットに羊、アヒル、雄鶏それぞれ1匹ずつ載せて、2.4kmの飛行にも成功したとのことです。
そしてついに、1783年11月21日、若者ロジェとダルランド侯爵の2人を乗せたモンゴルフィエ気球は、ブローニュの森から浮上しました。人類が初めて空中を飛行した瞬間です。気球は、90mの高度で25分間飛行したと記録されています。
フランス語では、今でも熱気球のことを「モンゴルフィエ」と言います。
少し遅れて、宮廷学者シャルルによる水素ガス気球も発明されました。気球は輸送用に試みられ、戦争にも使用されました。さらに気球を発展させた飛行船も開発されました。しかし水素ガスは、爆発の危険があり、今はガス気球にはヘリウムが使われています。
熱気球の発明から120年経って、ライト兄弟による飛行機が発明されました。その後、世界大戦を契機として大いに改良され、飛行機の時代に突入しました。
熱気球のようにのんびりした乗り物は、もはや消滅の運命かと思われましたが、再び近代スカイスポーツとして大空に登場しました。
日本のスカイスポーツとしての熱気球は、1969年京都のイカロス昇天グループと北海道大学探検部が共同制作した「イカロス5号」による北海道での飛行から始まりました。
イカロス5号
手作りの気球製作が盛んに行われた時期もありましたが、現在では、海外の気球専門メーカーの輸入機材が数多く使用されており、熱気球愛好者も増加しました。現在、600機以上の熱気球が日本気球連盟に登録されています。