羽場頼三郎 活動日誌 2006年1月

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1月29日(日) 人見絹江スポーツ顕彰

昨年の岡山スポーツ界の中で目覚しい活躍をした人と団体を表彰する市の行事があった。初めて参加したが、特に今年は国体、障害者スポーツ大会があって、受賞者が多かった。議会を代表してお祝いの挨拶をした。人見絹江は、オリンピックで活躍したというだけでなく、女性に向けられる偏見や差別の中で、それをものともせず活躍し、後輩を育てることにも情熱を注いだ偉大な先達であったことをあげて、それにつづけといった趣旨のことを話した。


パーティーで司会をしました

1月28日(土) 江田五月新春パーティー

恒例の、江田五月新春パーティーが開かれた。今年もかなりの盛況だった。司会をしたが、どうもあがり性なのか言葉をとちってしまうこと2、3度にとどまらなかった。恥ずかしいことだ。

午前、友人脇田氏のご尊父のお葬式。


1月27日(金) 免許更新

誕生日の1ヶ月前後に更新できるが、2月3月は日程が詰まっているので、視察を取りやめて出来た日を使って免許証の更新に行った。今回も眼の適性検査ではスンナリ受かった。大型があるので余分に検査がある。


1月26日(木) 建部

第2回の合併協議会が建部町で行われた。合併の方式が「吸収」と決められたので、新市名や市役所所在地などは、ほとんど議論も無く決められた。後は資料説明で、特例区と合併期日の議論は次回に持ち越された。


1月25日(水) 選挙の候補者

国会でライブドアの堀江を持ち上げていた自民党の総裁、幹事長、大臣の責任追及がなされていた。当然だと思う。テレビでは、選挙の際の応援演説が繰り返されていた。幹事長などは「わが息子」と絶叫していたが、責任なんかあるのかという態度で記者の質問に答えていた。相変わらず他人事のように話す小泉を見て、国民は何も感じないのだろうか。そんなはずはない。

国民は馬鹿だ、という言葉を繰り返した堀江を候補者にしなかった民主党の判断は正しかった、との電話をいただいた。初耳だった。


1月24日(火) 帰国

先ほど岡山空港から自宅に。上海経由で洛陽市を訪問してきた。凍結していた友好交流は近く再開される見通しだ。有名な牡丹まつりがある4月には、市長を団長とする市民訪問団が洛陽市に行くことになることを祈る。

留守の間にライブドアの堀江が逮捕されるという事態が起きたらしい。中国のホテルのテレビでも放映していた。彼をおだて上げていた自民党の皆さんは何と言っているのだろう。


1月20日() 県への意見書 泉南市長選

議長と一緒に、岡山県に対して18日の臨時市議会で採択された意見書を持って行った。知事と議長はインドに行っているので、宮崎部長に手渡しをしたが、財政がきびしいのでの一点張り。苦しいのはどこも同じなので、それを弱いところに押し付けるかどうか、が問われている。岡山と倉敷だけ、他の自治体より補助金を減らす根拠を問いたい。岡山市民も同じ県民であることを忘れている。

泉南の小山広明さんが、またまた市長選挙に出るとの事。前回のような応援は難しい。物理的に言って、時間が無い。せいぜい車(市民の勇気号)が応援に行くぐらいだ。

単県医療費公費負担制度の見直しに関する意見書

 岡山市では現在、岡山県の医療費公費負担補助制度を基に、一人暮らしやねたきりの高齢者、重度心身障害者、乳幼児及びひとり親家庭等に対し、医療費の経済的負担の軽減を図り、福祉の向上に寄与しているところである。 
 さて、このたび示された岡山県の「単県医療費公費負担制度の見直しについて(案)」によれば、唯一、乳幼児医療費の小学校就学前までの拡大が盛り込まれたものの、老人医療費の段階的な廃止をはじめ、自己負担の導入、対象者の限定などの事項が提示されている。 
 これらの見直しについては、かねてより対象者の拡大をはじめとして同制度の拡充強化を要望してきた本市にとっては容認できるものではなく、また住民福祉を大きく後退させる内容のものとなっている。 
 さらに、県下市町村の補助率については、現在6分の1から6分の5となっているが、本市は最も低い補助率に抑えられており、かねてより2分の1への復元を強く要望しているところである。 
 ついては、県民の命を守るために寄与している単県医療費助成制度について、下記のとおり強く要望する。 

記 

  1. 単県医療費公費負担制度の見直しについて、制度の廃止や自己負担の導入など、住民福祉を大きく後退するような見直しは行わないこと。 
  2. 同制度は、県民に等しく医療を確保する目的で実施しているものであり、財政状況にかかわらず県下統一的に実施されるべきものであるため、本市に対する補助率の復元を図ること。 

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。


1月19日() 建設委員会 甘夏

午後から建設委員会。駅の東西通路の都市計画決定の変更、出石小跡地の駐車場の中間報告、裁判の応訴、事故報告など。簡単かと思ったら、5時まで掛かった。

レポートの発送より早く記事が出たので、早速甘夏の注文があり、びっくりした。でも、甘夏やデコポンの人気があるのは嬉しい。この取り組みを通じて水俣の方と交流してきて20年近くになる。


1月18日() 臨時議会

1月臨時議会が召集された。条例の文言からアスベストを除く議案と、報告だけの予定だったが、県の関係の意見書案がだされて、これが加わった。県が単独で補助して行われている医療補助制度の改悪はやめてもらいたい、という趣旨だ。この件は県との間で長くもめている。マトモな県知事が居ないせいだと毒づく人もいるくらい、市のサイドは怒っている。しかし、県のほうはどこ吹く風といった風情なので、解決しそうに無い。我慢の限界が来そうだ。

議会の冒頭、市長が挨拶の中で「先の議会では指定管理者の件を否決していただき、感謝している」といった趣旨を述べられたが、正確には「一部取り下げと、一部継続審査」が正しい。こうした言い間違いが出ることは、市長が自分の言葉で話そうとしている努力の現われと理解したい。


1月17日() 中国訪問

この21日から、中国の洛陽市を訪問する。勿論、遊びではない。小泉の靖国参拝や歴史教科書問題で冷え切った上に、前市長時代に台湾との交流でつまずいた姉妹都市洛陽市との関係改善を計りに行くのが目的。胸襟を開いて話をすれば理解は得られるはず。議員は5人。楠木(ゆうあいクラブ団長)、佐々木(無所属市民の会代表)、磯野(公明党副団長)、田畑(共産党団長)、羽場の顔ぶれだ。


1月16日() 議運

1月18日に開かれる臨時市議会の段取りを決める議運が、開かれました。議案が1件と、報告が2件の内容なので、ほとんど問題はありません。ただ、県が子供の医療費補助の削減など制度改悪をしようとしていますので、これに対する意見書を出すかどうかで、多少の変更があるかもしれません。

この問題は、リポートなどでもお知らせしているように、県が岡山市と倉敷市を不当にも、一方的に補助の比率を下げていることの是正を求めるものです。不公平な扱いをいつまでも甘んじているわけには行きません。県議会の鈍い動きも我慢ならないところまで来ています。


1月15日() 地区労旗開き

3丁目劇場で、地区労の旗開きが行われた。川崎議長が挨拶の後に挨拶。時間が無くて、私以外の議員さんは司会から「30秒以内」などと言われて、短い挨拶。県議の武田、市議の藤沢、稲葉、近藤、横田、升永、小林、楠木さんなどが出席。松元ヒロのライブがあり、楽しいひと時だった。


1月14日() 公明党新春の集い

お昼から公明党の新年会。相変わらず元気な景山貢明さんの挨拶で始まった。ここにも自民党の議員が大集合。雨の一日だった。


1月13日() 東京出張2日目 交通安全母の会

昨日に引き続いて、東京で会議。地方分権推進の件。議会のあり方も変わる必要がある。

新幹線で岡山に帰って、そのまま交通安全母の会の皆さんが集まられている会場に。到着と同時に新年の挨拶をした。近所からも、よく知った方が参加をされていたりしていて、暫く歓談して過ごし、失礼をした。


1月12日() 東京出張

議長の代理で東京へ。全国市議会議長会の会議に出る。東京泊。


1月11日() 農業委員会

農業委員さんの新年会に主席。以前に農業委員をしていたこともあり、顔なじみが多くて、話が弾んだ。農業の重要性について、現場を知る皆さんがもっと発言をすべきだ、と祝辞の中で述べたことに対する反応が思いのほか多く、また地域の課題について力になって欲しい、との要望もあった。


1月10日() 連合婦人会 御津・灘崎決算

昼前、全日空ホテルで連合婦人会の新年互礼会。議会代表で挨拶。元議員や同級生の奥さんなど知り合いにお会いする。佐藤会長とも話ができて、有意義な会だった。

御津の決算を審査している委員会を覗いた。きびしい指摘が続いていて、このままだとおそらく不認定になることは間違いない。町長交際費、社協、入札、ボートピアなど、相当問題をかかえているようだ。


1月9日() 備中神楽

新春の恒例、備中神楽鑑賞会に出かけた。冒頭に、私も新見の出身だと挨拶をしたところ、私も新見だと声をかけてくださる方がいた。神楽と聞いて胸が躍るのはやはり子供の頃から、神社の片隅でじっと見ていた体験があるからだろうか。眠い目をこすりながら、やまたのおろちが出てくるのを待っていた頃を思い出した一日だった。


 
岡山市消防出初式

1月8日() 出初式 成人式

9時30分より、岡山市消防出初式。議長の代理で出席し、祝辞を述べた。今年も寒いドームで行われた。受付で配られた使い捨てカイロがありがたかった。江田五月、谷合両参議院議員も出席だったが、逢沢さんだけが挨拶をした。

午後は、同じ場所で岡山市成人式。青年達の自主的な企画、運営で進められるユニークなもので、あまり挨拶などの無い、イベント的な雰囲気だった。市議会からは、藤沢、小川、松田議員が来賓として参加。


 
津村啓介を囲む会で

1月7日() 津村新年会

津村啓介議員の新年会に参加。初めての会にしては、成功だろう。

夜は内輪の新年会。


1月6日() 連合町内会 連合

連合町内会の新年互礼会に出席。各地区の会長さんのお会いした。初めての方が多かったが、日ごろお世話になっている方ばかりで、参考になる話も聞かせていただいた。

連合岡山の新年交歓会に出席。森本栄氏の演説にあらためて感心した。要点を押さえながら、説得力のある話をする、何より話し方に迫力を感じた。石井知事、古市倉敷市長、黒田玉野市長、立岡瀬戸内市長、荒嶋赤磐市長、石垣新見市長などがお見えだった。民主党からは、江田、柚木、津村、草苅、姫井、近藤、田原各議員などが参加。


1月5日() 初せり 串田氏葬儀

朝4時から恒例の初せり。水産、青果、花卉と回って、それぞれで新年のご挨拶した。どうも、このご挨拶というのが苦手だ。ウチの議員に言わせると、「可も無く不可もなく」だそうで、それなら結構と思った。

かつて会派を共にしていた故・串田務氏のご葬儀が正午から西大寺で行われた。過去の例にならい、立礼を受け持った。氏は元副議長で、6期市議を勤められた。東部クリーンセンターの煙突にエレベータを設置することを提案されたり、永安橋の保存運動をされたりしたことが、思い出される。私はよく「羽場君、羽場君」と可愛がってもらった。


1月4日() 仕事初め オリエント美術館

9時半から、職員の方を前に市長と議長が新年の挨拶。そのあと、議会事務局の方を前にして、議長、副議長の挨拶。今年がいよいよ始まったと実感。瀬戸町長を始め、新年の挨拶が続く。その間にも、書類に目を通す。

3時から、オリエント美術館で「岡コレクション」の公開記念レセプションに出席。議会を代表してお祝いを述べる。コレクター岡林平氏は商工会議所会頭のご尊父。数々の事業をされ、氏が集められた636点の美術品が寄贈されたことの記念展だ。確かにすばらしい。明日から一般公開なので、是非お出かけになるといい。


1月3日() 子供達

我が家の子供達が揃って、母親の誕生日を祝ってくれた。わが妻節子は1月2日が誕生日で、いつも正月行事で忘れられていたのだが、長女桃子を先頭に、母を祝いたいと夕食会が行われた。創三、理、望の兄弟と桃子の4人が揃うのは珍しい。楽しい時間を過ごした。


1月2日() 親戚

母の兄と妹が姉の家に集うので、駅まで迎えに。母の兄は大阪の河内長野市から、妹は真庭市月田から。母の妹つまり私の伯母の孫は早稲田で私の後輩だが「本田真歩」という名前でモデルをしている。母の姉の家は造り酒屋で三光正宗を造っている。「おるぞ」という新しい麦焼酎を最近売り出した。

母の兄弟姉妹は7人だが、残っているのは4人だ。大いに話に花をさかせていた。少しだけお付き合いをして、実家に戻り、新見の息子の所に寄って岡山に戻った。


1月1日() 新年

新年明けましておめでとうございます。昨年中は、多くの方と出会い、お世話になりました。今年もどうかよろしくお願いします。

朝寝をして、夕方から矢神(新見市哲西町)に帰り、新年の挨拶。


活動日誌 2006年1月

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