羽場頼三郎 活動日誌 2006年7月

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7月30日() ソーラー発電

屋根に設置しているパネルの数で、ソーラー発電の普及を実感したが、これを促進するには、政策的な後押しが必要だ。特に、電気の買い入れに電力会社の協力がないと、自然エネルギーの利用を進めるとか言っても絵に描いた餅に終わる。国の姿勢としても、ドイツやデンマークを見習うべきだ。


7月28日() 道後温泉 葵屋 議長会 ソーラー発電

朝早く、電車で道後温泉に。古い「本湯」に入り、漱石の時代をしのぶ。

電車から降りて本湯に向かっていたら、「お早うございます」の元気な挨拶をいただいた。朝早くあけられた土産物屋の店先からだった。あまりにいい声だったので、ぜひ寄ろうと決めて風呂に入った。湯の帰りに立ち寄らせていただいたところ、ここが自分の実家だというプロカメラマンの方だった。多少話をしながら、砥部焼など数点の買い物をして店をでた。聞きそびれたが、年恰好は私と同じくらいか。朝の元気な挨拶が気持ちよく、温泉に使った後の清々しさを弥が上にも増した気分だった。

全国議長会の基地協議会中四国地区総会が愛媛県松山市で開かれ、参加。顔見知りの議長、副議長とお会いした。中でも東広島市の下村議長は気軽に声をかけてくださる。自衛隊の基地(駐屯地)を視察した。

帰りの電車の窓から、ソーラー発電をしている家を数えてみた。松山から岡山までの間に75軒、見つけることが出来た。かなりの数だ。もう少しで電力需給に影響が出るところに行くのではないか。屋根にパネルを載せるだけで自然にやさしく電気が起こせるのだから、これは面白い。家庭用だと200万を切っているらしい。150万円ぐらいなら、採算を取ることが可能らしい。


7月27日() チボリ公園

倉敷市の大月一成氏が「なぜチボリ公園に反対しないのか」と書かれている。市民県民公園なんていうのは、ごまかしもいいところと思っていたので、実に同感だ。これほど税金の無駄遣いの例は少ないだろう。前の長野知事の大きな汚点として歴史に残るものだ。自分勝手に公園を作っておいてその付けはすべて市民と県民におしつけたことで「市民県民公園」と呼ぶのなら素晴らしい皮肉だが。


7月26日() 空港線 さい東町公園

きょうのモーニングリポートは空港線で。少しずつ場所を変えているのだが、なかなか良いところが無い。交通の邪魔にならず、車どおりが多い、そんな場所はあまり多くない。かつて見つけていたところは、建物が建ったり、道が変わったりで出来なくなってしまった。しかし暑い。大雨でなければ30度を越す暑さだ。確かに地球は危なくなっているのかもしれない。

6月議会では予算に反対した。さい東町公園の買い入れが予算計上されていたからだ。ルールを無視した公園整備だこと。中身は入札はずしで、税金の無駄遣いにつながること。買い入れの手続きが極めて不透明であること。などが理由である。


7月23日(日) 新ポスター

民主党の新しいポスターが出来たので、まもなく皆さんの目に留まることと思う。小沢一郎さんが一人で写っているもので、まあまあ良い出来ではなかろうか。


7月22日(土) 早速 

リポートの配布協力のお願いをしていたところ、3人からオーケーの返事をいただきました。ありがたいことです。配布されたリポートを読んだ、という方からメールも届きました。拙い文章なのですが、読んでいただき、感想までいただくと有頂天になってしまいます。


7月21日(金) リポート配布

リポートの184号を配布している。ひさしぶりに会う方などおられて、つい話が弾んでしまう。来月はお休みなので、この号は全部に配布したい。でも配布の協力者がまだ少ない。ご近所に配ってくださる方はおられませんか。一応、来年の四月まで、30部が標準です。引き受けてくださる方がいらっしゃれば、メール下さい。


7月20日(木) 福浜小前 候補者

朝、木曜日の恒例、福浜小前でいざ演説をと思ったら、スピーカーから音が出ない。視察などで3週間近く車を動かしていなかったため、バッテリーがストライキを起こしたらしい。予備のバッテリーをつないでその場をしのいだが、冷や汗ものだ。こんなことは初めて、ではなくて実は3回目。だから慣れたものだった。バッテリーを換えればいいのだが、とても買えそうには無い。高いので。

共産党は、来年の選挙に向けて空白区をなくすため、党員に候補者になることを勧める、という記事を読んだ。これには民主党も見習うべきだ。ある程度の経済的援助も行うそうなので、さすが共産党だ。4年に1回のチャンスと捕らえるべきだ。志のある方、是非出てもらいたい。


7月19日(水) 大雨

全国でも大雨の被害が出ているが、新見でも女性が土砂災害の犠牲となった。我が家の周囲には、特に被害は出ていない。


7月18日(火) 駅前

月曜日が祝日で休みだったため、火曜日のきょう街頭演説。草苅隆幸、江田、姫井、羽場とリレーする。さい東町公園について報告するが、江田が中身が分りにくいというので、終わったあと更に解説した。土地開発公社について、市の監査も及ばないようなことではいけないので、国の方で規定を変えてもらいたいと要望しておいた。


7月17日(月) 羽ばたく会総会

総会といっても大げさな会ではなく、知り合い同士が多い和気藹々の会だった。会場は一応満員。50人しか入れないところだったので。

司会は藤原さん、姫井会長の挨拶ではじまり、来賓が続いた。江田五月、姫井県議、高井崇志、横田悦子市議がお見えだったが、それぞれにおもしろく話をされた。ごみのことから国政にも質問が飛んだりで、質疑応答の時間が羽ばたく会らしい雰囲気だった。弁当の数が足りなかったりの不手際はいつものようにあったものの、皆様の暖かい心に支えられて予定の時間が終わった。


7月16日(日) 明日は羽ばたく会 奥道後

明日は11時から、豊成のアルファで羽ばたく会。ご参加をお待ちします。

ご近所の方と奥道後の温泉に。お湯に漬かってリフレッシュした。


7月15日(土) 殿様の通信簿

岡山出身の歴史学者で、ベストセラーとなった「武士の家計簿」の著者である磯田道史氏の第2弾「殿様の通信簿」を読まれただろうか。実におもしろい。私は視察帰りの新幹線で一息に読んでしまった。

その磯田氏のサイン会がシンフォニービルの丸善であり、出かけた。2時からミニ講演会があり、サインをもらった。その話も、「秀吉はなぜ出世のきっかけをつかんだか」というもので、草履をふところで温めただけではない、信長の性格を読み、かつ単なる武辺でなく総合的に軍事力を高めるアイデアを次々に実践して評価されたことで、出世していったことを分り易く語られた。おもしろくて、あっという間の30分だった。


7月14日(金) 羽ばたく会 市民リポート

羽ばたく会の総会は17日、午前11時から13時まで。豊成温水プールの南側、「スタジオ・アルファー」で行います。

リポートの184号がやっと出来ました。なんだか、岡山市をめぐる裁判の話ばかりになりました。負けるべきものは負け、勝つべきものまでが負けて、6連敗です。


7月13日(木) 羽ばたく会 山陽新聞社屋

羽ばたく会の総会は17日、午前11時から13時までです。場所は岡南環境センターの温水プール南の「スタジオ・アルファー」です。ご参加をお待ちしています。

山陽新聞の新社屋落成記念パーティに呼ばれた。100億円のビルはすごい。


7月12日(水) 視察 羽ばたく会

議運の視察で、浜松市、杉並区、船橋市と訪問してきた。ついこの前まで、この程度の日程は苦にならなかったが、なんだか疲れてしまった。

その途中にも電話を頂いて、羽ばたく会総会に参加する方が二人増えた。まだ受付けています。どうかおいで下さい。


7月9日(日) 球技大会 築港みどり町50周年

G地区子ども会親善球技大会で来賓の挨拶。

同じく築港みどり町50周年の記念式典で来賓挨拶。


7月8日(土) サマーパーティー

姫井由美子さんの「ゆめカフェ」で、県政報告会&サマーパーティーが開かれた。満員の盛況。当然難しい話はなく、多くの人が盛り上がった。江田五月、田原清正、下市このみさんも一言。


7月7日(金) 羽ばたく会総会

羽ばたく会の総会を7月17日(月曜:振り替え休日)の午前11時から、スタジオアルファー(豊成の温水プールの南)で行います。是非お出かけ下さい。当日は姫井成会長、江田五月参議院議員も出席します。参加して下さる方は、メールを。なお、後半の懇親会まで出席の方は会費1000円(弁当代)をご負担下さい。前半の総会のみ出席の方は不要です。とにかく、今のところ参加予定者が少ないので、是非ぜひご参加下さい。


7月6日(木) 合併情報交換会

 


7月3日(月) おはよう730 御津の産廃

岡山駅西口で、江田参議院議員、姫井県会議員と朝立ち。江田の滋賀県知事選挙の話を聞き漏らした。「もったいない」は私のモットーだが、これで選挙には使えなくなった。民主党本部としては、自公民路線もこれで取ることができなくなったのでは。

御津の本陣山に産廃の計画が持ち上がっていて、地元の不安が募っている。岡山市民の声を生かすなら、この計画の撤廃を求める姿勢が市に欲しい。御野の浄水場の上流にこのような計画をすること自体が、市民の安全などなんら考えていない証拠だろう。現地に行って問題の山を見て、話を聞いてそう思った。

産廃反対 緑の多い現地 御津の農作物

7月2日(日) 故・橋本龍太郎

橋本元総理が死去された。思い起こせば、その父上が橋本龍吾元厚生大臣で、その後援者が、祖父鶴三であった。二代目が出る頃には,エム家に引き継いでいたが、祖母が熱心な支持者であったことを思い出す。氏は若くして衆議院議員になったので、私もライバル意識を燃やしたものだ。現在では、あちらは頂点まで上り詰めて人生まで終えてしまった。こちらは、フィールドが違うが、政治の分野でまだ駆け出しもいいところ。なんとなく縁があったひと。ご冥福を祈る。


7月1日(土) 清水脩二

故・清水脩二さんの高校の同級生にお会いした。昨日定年を迎えて、きょうから家にいるのだと言われる。話が弾んだが、私も定年が近くなったのか、と感じた次第。


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