羽場頼三郎 活動日誌 2004年5月

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5月31日(月) 駅前 代表者会議

今朝の駅前演説は遅れてしまい、間に合わなかった。出かける直前に、お世話になっている方の父上の葬儀があるので、そこに弔電を打つ手筈を整えていたら、少し時間が掛かり過ぎた。時間帯が悪かった。特に今日は月末と言う事もあり、道路が渋滞していた。

議長応接室で会派の代表者会議。6月議会の主な議題と決算委員会の日程の事が主だったもの。決算の時期を少し早めて、その結果を次年度の予算に生かそうと言う趣旨で、いいことだと思う。今年からそうなる予定。


5月30日(日) 水防訓練 分団長

朝は吉井川の河川敷で水防訓練。毎年この頃実施しているが、梅雨にも入っていて時宜に適っている。消防団のひとに地元の方も加わって、有意義な訓練だと感じた。

夜は、地元福浜分団の団長交代のお披露目パーティ。岡崎分団長に替わり、林分団長が就任した。私も、「火からも水からも市民を守る消防団」に感謝のあいさつをした。来賓として、田中慎弥、伏見源十郎市議も参加していた。


5月29日(土) 散髪 社説

やっと散髪が出来た。いつもの野田理容に行ったのだが、行きたいと思ってからはや1カ月は過ぎてしまった。息子の結婚式と父の葬儀が重なったためだ。江田の選挙も準備が忙しくて、まとまった時間が取れない日が続いた。

散髪の順番を待つ間に新聞を読んでいたら、気になる社説が目に入った。今回のイラクでのフリー記者遭難事件について、読売が書いている。「前回の人質事件とは大いに異なる。前回は人質の家族が自衛隊派遣をやめるように要求し、それに対して国民が非難を集中した。その主張を引っ込めると非難も止んだ」といった趣旨を書いていたが、つまりは国に逆らうなといいたいのだろう。そして、国に逆らったものには、国が保護する必要はないし、費用が掛かったらそれを請求すべきと言う主張のように思われた。こんなことを日本を代表する新聞が書いていいものかと、背筋が寒くなった。


5月28日(金) 30号線 言葉

30号線沿いで朝の街頭演説。ここはいつも行っている所だが、建設工事が終わって会社の前でやる形になった。朝が早いので、まだ人がいないのが幸い。

朝のテレビで、使われなくなった言葉のことを取り上げていた。それらのほとんどは、私が使っている言葉なので、えっ、と思いながら見てしまった。それをまとめた本が25万部売れたらしい。言葉がなくなるのは自分がなくなるようで少し寂しい。たとえば、「こしらえる」とか「そこはかとなく」が無くなっているらしい。


5月27日(木) モーニングリポート 水道の視察

福浜小学校の前で、朝の街頭演説。今日はあまり手をあげて下さる方がいなかった、知ったひとがいなかったからだろうか。でも、顔の知らないひとが一人かなり強く手を振ってくれた。

環消水の委員会で、水道局の施設を視察。午前中に県の水道事業団の浄水場。午後から鴨越の浄水場、西祖の浄水場、旭東の浄水場と回った。鴨越や西祖を廃止するのがいいのかどうか、まだ検討が必要だと思う。

鴨越は取水口の位置は変えられないのか、西祖は水質の改選は可能ではないかなどと思われる。とにかく簡単には判断が出来ない。将来の水をどうするか、岡山市民にとってどうすればいいのか、長期的な視点が必要だろう。


5月26日(水) 歯医者

今日も歯医者。歯がどうもしゃんとしない。年のせいだ、とは陰の声。歯医者だけは、絶対に信頼の置けるところにに行く事にしている。世間では、良い歯を抜かれたとかの話を聞くが、それは、歯医者なら誰でも同じと簡単に考えているからだろう。そうではないことは、事実が証明している。


5月25日(火) 黒岩さん

江田五月倉敷事務所で
柚木道義、黒岩秩子さんと

黒岩さんは子供の頃、小学校の3年生まで今の美星町におられたそうで、そのころの友人とおつきあいがあるそう。長い年月を経ても、友達とはありがたいもの。私も小学校からの友達が何人かいるが、本当に気の置けないものだ。


5月24日(月) 墓地 黒岩秩子

朝は、一番に友人の母上のお葬式に参列。そのあとすぐに市役所に集合して市内視察。墓地の管理の契約問題が出ているので、現地を見てきた。参考になる事が多かった。中身はそれぞれの議員が質問などで明らかにするだろう。市民ネットの4議員が参加した。

前・参議院議員の黒岩ちづ子さんが江田五月さんの応援で来岡。岡山に在住される友人親戚のご紹介をいただけることに。


5月23日(日) 美空ひばり

備北民報という新聞の記事の中に、美空ひばりのレコード収録風景が書いてあった。それがあまりに感動的だったので、レンタル屋に行って美空ひばりのCDを借りてきた。ところが、途中で切れてしまっていた。代えてくれと言ったが、同じものが無くてだめだった。どこかでそれを買おうと思う。曲名は確か「さくら」がついた唄たった。


5月22日(土) 市民リボート

やっとできた市民リボートを少しずつ配達しています。まだ、ついていない方の所にもいずれ参りますので、しばらくお待ち下さい。


5月21日(金) 歯医者

歯の具合が悪いので、歯医者さんに通っている。右も左も悪いので、かむ事を思い切り出来ないので困る。処方箋をもらって、京橋の加宝堂薬局に行く。


5月20日(木) 臨時議会

朝は、福浜小学校前でモーニングリボート。主に、昨日の合併情報交換会の報告をする。10時から本会議。開会前に、父の葬儀に対する感謝の挨拶をさせていただいた。いつかこの日が来るとは覚悟していた。


5月19日(水) 合併情報交換会

午後2時から、議会の応接室で県下の合併情報交換会が開かれ、事務局の下市議員をはじめ、県下の倉敷市、早島町、船穂町、真備町、山陽町、赤坂町、御津町から阿波村までの議員や住民が参加した。貴重な意見の続出で、大変参考になった。


5月18日(火) 議運

5月の臨時議会を前に、議会運営委員会が開かれた。20日の10時から開会。その日の内に終わる予定。議案にはたいした問題が無かったが、前の議会の強行採決が尾を引いていた。しかし、ひどいことをし、ひどいことを言ったものだ。


5月17日(月) 小沢さん

民主党の代表になるはずの小沢さんが辞退した。任意加入の時の未加入があった事が理由だそうだ。確かに、そのために自民党に対する追及が弱くなる事はあるかもしれないが、任意の意味からすれば、入っていない時があっても仕方ない気がする。

一番いけないのは、こんな事で年金の議論が消えてしまう事だ。絶対にゆるめないでもらいたい。


5月16日(日) 結婚披露

息子の結婚披露が新見市であり、出席した。お相手は浩子さん。結婚式は1日に出雲大社であげた。祝辞は、早く子供を作れの、大合唱だった。親としてもそう思うが、こればかりは本人たちと神様におまかせしなくては。


5月15日(土) 小泉総理の年金未加入

小泉総理が、国民年金に未加入による未払いの時期があったことが判明。これまでの「払っている」のウソがばれた。このひとが総理の間は日本が良くなる見込みが無い。朝鮮に行くのは、国民の目をそらすためとしか思われない。


5月14日(金) 昨日の夜から

昨日の夜から哲西に。父の3週間目の法要。

午後から岡山に帰ってリポートの編集作業。やっと5月号ができた。


5月13日(木) モーニングリポート

福浜小学校前で、恒例の朝の街頭演説。

会葬御礼。多くの方から励まされた。


5月12日(水) 長谷川勉強会

午後から、大阪堺市で長谷川俊英議員を中心とした勉強会に。テーマは(1)費用弁償,、(2)工事等の分離発注。特に(2)は岡山市の小規模工事とまったく同じ内容で、100万円を越える工事なのに分離して随意契約で行っており、マニュアルなどを無視した方法がまかり通っていたのを、長谷川議員が追及して話題となったもの。参考になった。


5月11日(火) 原因不明

愛車「市民の勇気」号の音量が出ない原因は不明だ。バッテリーは完全でないにしろ、まったく音が出ないはずが無い状態。専門家に見せるしかないか。

市民相談を受けて、担当者の意見を聞く。生活保護についてだが、道がないわけではないことが分かる。市の裁量部分をどうみるか、現実的なものの見方が必要と思う。

倉敷市で親しい市議と会って、様子をうかがう。江田選挙の厳しさを感じた。


5月10日(月) おはよう730

今朝の民主党の「おはよう730」は弁士がいないから中止するとの連絡を受けた。毎週月曜の駅前での街頭宣伝活動を中止させるわけにはいかない、と思ってわが愛車を代わりに使おうと駅前に走らせ、さあスタートと思ったら音が出ない。原因はおそらく長く放置していたので、アンプ専用のバッテリーが上がったのだろう。そういうことで、政治活動再開の出端をくじかれてしまった。

ええい、明日からは頑張るぞ。(誰かみたいだと言われそうだが)


5月6日(木) 羽場三郎死去

父・羽場三郎が4月30日に死去した。大正10年2月3日生まれの83歳だった。鶴三、美鳥の次男として生まれたが、兄・羽場寛が若くして亡くなったため、家の跡を継いだ形となった。玉島商業高校から、明治の専攻科、中央大学の経済を出て、日通に入り、岡山支店を最後に退職。39年、三光石油を興して社長に。次男の頼通に引き継ぐが、昨年先立たれた。議会に出たい夢はかなえられなかったが、かなり自分の思うままに生きた幸せな人生だったのではと思う。

多くの皆さんのご厚情とご会葬に感謝する次第です。


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