活動日誌 2000年

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11月30日(木) 本会議、岡山映画祭2000

本会議の初日には、市長から議案の提案と所信表明があります。そのなかで、私が心配していた「岡南環境センターの存続」を正式に提案しました。意外なことに、これに反発する声は少ないようです。市長の言うことなら「何でもいい」という風潮が、ここまで及んでいるのでしょうか。早速、個人質問を通告しましたが、12月11日の午後からになる予定です。今回は二人目。トップバッターは、同じ市民クラブの田原清正君です。皆さんに、傍聴を呼びかけます。

夜は岡山映画祭2000の「科学者として」という映画を見ました。東京のど真ん中、早稲田大学の文学部に接して、国の感染症研究所があります。これの建設反対運動に参加している研究員の新井さんを追うドキュメンタリーです。「科学者の良心」を画面に映し出しています。その後の交流会まで参加して、撮影した本田監督(山陽町出身 朝日高校卒業)とも話をしました。最後には酔っぱらって、「もう少し刈り込んだら」と失礼なことまで言ってしまいました。ここで、お詫びします。

この映画会では、あけぼの町の由良さん、津島の橋本さん、アムネスティの高木さん、奉還町の仲地さん、川上町の妹尾さんなど知り合いに数多くお会いしました。


11月29日(水) 明日から議会です

明日30日午前10時から、11月議会が始まります。25億円あまりの補正予算と、条例や人事案件がかかることになっています。今日はその前日に開かれるのが通例の、各常任委員会が開かれました。私は経済委員会。農業、商業、工業、観光などの事案について審査します。

今日は、中央市場が特に問題となりました。魚のアラの処理方法を変更した報告が逢ったのですが、「それをこれまでに委員会で審査したことがあるか」という垣下議員の質問に対して、「ありません。すみません」と答えたことから少し荒れました。「処理のための冷蔵設備を作った予算はどのようになっているか」と聞かれ,「修繕費から流用した」と答えたので、「ではその修理はどうしたのか、先に繰り延べしたというのなら、必要性のない予算を当初計上したことになるのではないか」という突っ込みでした。委員会に諮っていなかったという弱みからか、当局は終始低姿勢だったのが印象的でした。

その前には、やはり市場の「情報化」について、システムを市が行うとしているが、どこかの業者にやらせるのではないか。具体的には調査に関わったS社が引き受けるのではないか。その費用はいくらぐらいに見ているのか。調査費用が200万円としても、システム開発に1億6千万円かかるとするなら、結局入札回避につながるのではないか。といった点が追及されました。これについては、同じような疑問を私も持っていましたので、庁内の連絡体制について年を押しておきました。

忘年会などの年末の慌ただしさに加えて、個人質問とリポートの発送が重なるので、これから少々忙しくなります。

夜は、哲西中学の同窓・忘年会の件で、横山良樹君と我が家で打ち合わせ。恩師も含めて27人の会になる予定。


11月27日

7時30分から岡山駅前東口で街頭演説。草苅・はた・姫井・羽場で話をする。羽場は「岡南間環境センターをなぜまだ使う」のテーマで15分ぐらい。市のごみ政策が変わるのではないかと言うことを、実例を挙げて指摘した。はたさんは相変わらずメモをもちながらの演説だが、もう注意はしないことにした。本人が自覚しないと直らないし、民主党の5区の代表者だからむしろ注意なんかするのは失礼にあたる。

9時30分からは市の監査委員室で、例月検査。午後からは定例監査の講評。監査の結果について意見を言わせてもらう。かなり問題がある結果だが、これを当局がどのように受け止めるか。あまりいい加減だと、随時監査も必要ではないかなどと考えている。

終わったのは意外と早く、控室に戻って議会の中の情報収集。議会運営委員会の報告も聞く。議場への「日の丸掲揚」も「議会発言の規制」も保留のままと言うことらしい。はっきり否定しないのは不満だが、今の議会の情勢ではそれもやむなしか。議会とか議員とかについて、どのような見解を持っているか問われる問題だ。


11月26日(日) 戦争の傷跡

戦時中、岡山が空襲に逢った時、その飛行機の一機が児島半島に墜落したことは知りませんでした。B29爆撃機がエンジントラプルで墜落。記録によると小串の山に激突して、乗務員11人は全員死亡。山の中腹に埋葬して、十字架がおかれているとのことで、現地に行ってきました。

当初ここに埋葬され、その後近くに埋め変えられたが、戦後すぐ米軍が遺体を収容した後、この場所に戻されたとかで、墜落現場の近くだそうです。場所はほとんど人が踏みいらないところで、このことの講演をしてくださった日笠先生もまだその地点には行っていないそうです。

この講演は宮浦の町内会が主催で、地元の磯谷議員も参加しておられました。崎本議員、辻野前議員の顔も見えました。終戦後、米軍は乗務員が墜落死したのか、生存後殺されたのではないか、徹底的に調査したそうです。結果は、幸か不幸か墜落時に死亡したことが明らかになったそうです。

同じように爆撃機が墜落した時に、脱出した乗組員が日本人に殺されたり、リンチを受けた例が多かったのだそうです。鬼畜米英と言う言葉で、国民が洗脳されていたことが不幸を招いたのです。

国の方向を誤り、国民をひどい目にあわせた軍部の責任はどこへ行ったのか。あらためて思い返しました。尻馬に乗って「非国民」を乱発した右翼と言われる人々が大きな顔をしないように、この岡山でも警戒が必要でしょう。右翼とヤクザが多いと言われている岡山の街ですから。


11月25日(土) ベルテさんと日本国憲法

午前中は、江田五月夫妻と新見市石蟹の実家で行われた西 信男君の葬儀に参加。同級生だろうか、若い人の参列が目立った。友人代表の弔辞には、つい涙して聞いていた。残念だが、終の別れが突然来てしまった。冥福を祈る。

午後の2時から、農業会館でベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演を聞きました。ベアテさんはGHQで仕事をする中で、日本国憲法の起草に関わり、人権特に男女平等の規定を積極的に進め、今の憲法の基本性格を決定しました。そのときの具体的な人の動きや条項決定の話が聞けて良かったというのが印象です。

その後の「ベアテさんを囲む会」(懇親会)にも出席。その際に、今の憲法が「押し付けである」という議論について一言スピーチをしました。私の憲法の恩師が教えてくれたことをもとに「押しつけられたのは『憲法に人権規定を入れたくない。男女平等を認めたくない。』人たちであって、国民が押しつけられたわけではない」といった趣旨の話をしました。皆さんのご意見をお伺いしたいものです。特に、新憲法の下で教育を受けている若い人たちはどのように感じているのか。率直なご意見をお寄せください。


11月24日(金) 岡南環境センターをなぜまだ使う

岡南環境センターは老朽化しているので、新しく西大寺に東部クリーンセンターを建設しています。当然゙岡南の方はこれで廃止か、しばらく 休止すると思っていたのに、どうやらリニューアルしてまだ使うことを内定したらしい。ダイオキシン対策を考えたら、相当の費用がかかるはずだが、それを無視するらしい。国(自治省)に修理のための補助金をお願いに行ったら、岡南を廃止するのではなかったのかとかなり文句を言われたらしい。国でなくても、文句は言いたい。住民として、議員として。

東部クリーンセンターの処理量を、日量600dが450dにしたのは、財政が行き詰まってきたからだと言いたいらしい。これまで、ゴミを減量することを大前提にしたからだという説明は、聞き間違いだったとのこと。にわかには信じがたいのです。なんでもかんでも安宅さんに責任を持っていきたいらしくて、ついにはこんなことまで言いだしたのかと言う気がします。

これからは市民がゴミの減量に協力しないので、どんどん増えるそうです。これからは、粗大ゴミの中から燃えるものを分離して燃やすようにするので、焼却量が増えるそうです。容器包装リサイクル法によって、リサイクルできるものが増えたのでゴミが増えるそうです。これらの説明に納得できる人、手を挙げて。えっ、手を挙げている人がいないって。そうだと思います。

これまでのごみ減量・資源化の努力を放棄するなら、こちらにも覚悟があります。ゴミ議員の名前に掛けて、不当な政策変換には徹底的に抵抗しなければなりません。そのときには,市民の皆さんのご理解とご協力を。


11月23日(木) 自然エネルギーと岡南環境センター

 国際交流センターでの、「自然エネルギー」についての講演会に参加しました。風力やソーラーなどで、一地方のエネルギーはまかなえるところまで来ています。ヨーロッパのエネルギー先進国、デンマークやスウェーデンでは原発の廃棄はもちろんのこと、50年後にはエネルギー消費を約半分にする計画に国が取り組んでいるとのこと。しかも、生活水準を落とすことなく。バイオマスやソーラー、風力などを代替のエネルギーとして、石油にも頼らない国の形を模索しているそうです。二酸化炭素の排出を考えても、このままでいいはずがない。人間が自分の手で人間を滅ぼさないための、覚悟と手段を示された思いです。

 岡山市の岡南環境センターが、いったん廃止の予定だったのに、リニューアル(修理)してまだ使うと言う。ごみが今後増えるからだとの理由だそうだが、納得がいかない。ここは建設して(昭和53年)から、22年経っており、ダイオキシン対策も十分でないので廃止するはずだった。そのために西大寺に東部クリーンセンターが建設中ではなかったか。しかも、ごみを減らすことを前提に、東部クリーンセンターは日量600dだった計画を450dに縮小したのだ。当新田のクリーンセンターは300dの能力がある。合計日量750dで、なぜ足りないのか。ごみ減量課にきいてもさっぱり要領を得ない。なんかおかしい。岡山市は資源循環型社会になるはずだ。そのように、これまで言ってきた。あれはウソだったのだろうか。これまで、市長のごみ政策は評価してきたつもりだが、やっぱり見せ掛けだけで中身はまるで方向違いだとしたら、徹底的に批判を加えなければならないだろう。


11月23日(木) 西君の訃報に驚く

 西 信男君の訃報が入った。先週だったか、西君のことが話題になり、「独立して会社の社長だって」、「へぇ〜、出世したんだねぇ」といった会話をしたばかりだった。確か、2年前の江田の参議院選挙で、顔を見たのが最後になった。明るい男で、笑顔で「羽場さん、ちょっと頼む」と言われたのが、つい昨日のようだ。元気に支持者回りをしていたが、「俺はもっと大物になる」といって東京に飛び出して行った。時々電話をしてきたが、その声はいつも弾んでいた。元気で、力が余って、この世からも飛び出してしまったのだろうか。冥福を祈る。


11月22日(水) 政党と政治の関係について

桜井君や難波君が、今回の不信任案についての意見を述べてくれています。こんなに政治や政党について考えさせてくれたことは、加藤さんたちの「成果」かもしれません。政権を握り続けている自民党の「政権への固執ぶり」「密室性」「国民に対する無責任性」など、明らかになった上で国民が選択するとしたら、とっくに日本は変わっているでしょう。

自民党でなければ政治ができない。これこそが、最大の「誤解」です。でも、一種の政治選択の際の呪縛になっていて、多くの国民がそれから解放されていません。加藤さんもその一人だったかもしれません。国の政治だけが政治ではありませんし、議員だけが政治を行うものではありません。地方の政治や選挙に出ない政治家、出ても当選にいたらない政治家が存在しています。社会を現実に動かしていると言う意味では、市民運動も政治の一形態と言っていいかもしれません。

選挙は政党に入っていないと勝てないのか、そうではありません。かつて、米粒ほどの存在でしかかなかった社民連から、江田五月や菅直人といった政治家が生まれてきたことは、その証明です。地方議会では政党と関係のない当選者が数多いことは、改めて指摘する必要がないことです。政党の役割を過少に評価すべきとは思いませんが、われわれ市民にとっての「道具」に過ぎないことをあらためて認識すべきだと思います。組織のために自分があるのではなく、自分のために組織があると言った発想の転換がいるのではないでしょうか。

私が加藤さんなら、加藤派を山崎派に吸収してもらい、自分は一兵卒として出直すぐらいの行動を取るでしょうね。派閥の長どころか党の代表にも、国民のリーダーにもなる資格を失ったのですから。

森内閣不信任案採決 欠席議員リスト


11月20日(月) 政界のネズミ

 加藤・山崎派による不信任案賛成の動きが止んで、単なる欠席となり、政局への期待が一気に萎んだ感じです。これで、加藤派はガタガタになり、当分改革の芽は生まれそうにありません。日頃耳にいいことを聞かせていても、いざとなると行動が伴わない人たちがこんなに居ると改めて加藤氏は教えられたでしょうし、もっと国民は勉強させられました。

 森総理がいつ辞めるかが次の焦点です。でも、テレビの報道によると政党支持率で自民党が盛り返し、民主党が落ち込んだそうですが、これをどう考えたらいいのでしょうか。八方からたたかれた自民党に対する同情が集まったのか、攻めきれない民主党に対する失望感が反映したのか。ちょっと不可解です。
 
 栃木県知事選挙は大接戦の上、草の根の福田さんが当選しました。この記事の扱いが小さすぎるのではないか。そんな気がします。県の姿勢を徹底的に批判し、公共工事の見直しを唱え、知事の多選を批判する(これはどこかで聞いたことがある。岡山県のいつかの知事選でそうでした)候補が、組織をガチガチに固めた現職を破ったのです。長野県以上に劇的ではないですか。それも875票と言う僅差です。あの江田の知事選より差がない。しかも、勝っている。現職は自民・民主の相乗りです。私は、安易な相乗りを許した民主党は反省すべきだと思います。今後の地方選挙において、まず安易な相乗りはしないことを前提にして、政治的な判断をすべきだと思います。
 この考えに賛成の方、反対の方のご意見を募集します。

 一度書き込んで、「戻し」ました。表題に「政界のネズミ」とつけていたことを思い出したので。

 今回の政局を「泰山鳴動してネズミ一匹」と言いたかったのです。また、今の政界には「ネズミの殿様」と言われた「斉藤隆夫」のような政治家がいないことを嘆きたいと思ったからでもあります。草柳大蔵著「斉藤隆夫かく戦えり」は私の座右の銘です。戦前、軍が横暴を極めていた時に、軍部の専横を批判し、それを批判できない政党の堕落と腐敗をするどく追及して、名誉の除名を受けた政治家は私の理想とするところです。つまり、同じ「ネズミ」でも、こんなに違うと言いたかったのです。

森内閣不信任案採決 欠席議員リスト


11月18日(土) 友人とのひとときと政局

 今日は、予定が無くなったこともあって、平穏な日でした。お昼に小学校時代の友人と三人で食事をして、そのあと自宅で久しぶりの会話を楽しみました。40年前の写真を見ながら、これは誰だろうとか、最近のお互いの暮らしなどや「老後」についてなど、いろんな話をしているとあっというまに時間が過ぎました。友達とはいいものですね。

 政局の方はそんなのんびりしたことは、言っておれないようです。といって、今のところ私にはどうしようもない展開ですので、動きに注目しているしかありません。もし、不信任案に加藤・山崎派が同調して、かつ解散・総選挙となれば私の身体・ハート・生活を「選挙モード」に切り換えなければなりません。岡山ではとにかく、1区と2区についてが私の受け持ちだと思っていますので、今度こそ議席を確保しなければ成りません。そのためには、候補者を立てなければなりませんが、それが難しい状況などと言っていてはいけません。ここは政治生命を掛けても、候補者擁立に全力を尽くしたいと思っています。

 昨日の映画上映は夕方にもあったのですが、行けませんでした。そこでも右翼の妨害が予告されていたそうですが、ほとんどなかったとのことです。警察も待機していたこともあったのでしょうが。そんな右翼との関係が取り沙汰される首相や官房長官が出てきたことは、自民党と言うより日本の凋落の現れでしょうか。政権党の自覚を欠いている人たちに政権は任せられない、当たり前のことです。


11月18日(土) 加藤派の逢沢さんと闘われた河田さん

 先の総選挙で加藤派の逢沢候補と闘われた河田さんの意見が載っています。氏の最大の心配は、もし総選挙となった時に民主党が対立候補をたてることができるかどうか、ではないかと思います。逢沢氏は土木建設業のアイサワ工業の人そのものであり、三代目を継ぐ世襲議員です。ある意味で自民党を代表する国会議員と言っていいでしょう。その人に民主党が遠慮して候補者を出さないようなことがあったら、市民の失望を招くのは必至です。

 岡山にはさらに5区に村田吉隆という大蔵省出身の加藤派議員もいます。こちらは主流派の脅しにたやすく屈するのではないかと見られていますが。

 今の政局からしてみて、候補者を立てられない政党(特に民主党)は政権を取る資格がないと決めつけられかねません。政治を少しでも良くしたいと志を立てられた、河田さんの心配と苦悩がうかがわれます。


11月17日(金) 右翼の動きに注意

午後から「さんかく岡山」で行われた、慰安婦問題をテーマとした映画を見に行きました。「右翼の妨害が予想されるから、緩衝役を果たしてね」 と言われて出かけたのですが、よく考えたら私が出ていけば、むしろ火に油を注ぐことになることを知らなかったのでしょうか。右翼や暴力団の圧力に屈することは我慢ができません。

この映画の上映に関して、友人の仲地くんの所に右翼から脅しの電話や訪問があったそうです。連絡先が青い鳥(ご存じでない方のために これは仲地君が所長をしている障害者の作業所です)になっていただけで。そういった人こそ映画を見ればいいのでしょうが、人の痛みを思いやることができない人に何を言っても届かないのか、だめなようです。目が不自由で車椅子でしか歩行できない仲地君をいじめるとは、最低です。戦争や原爆の悲惨さを訴える写真展を暴力的言動で天満屋に圧力をかけて市民画廊を廃止に追い込んだことと言い、岡山は右翼・暴力団に弱すぎます。そういえば、かつて右翼の圧力に屈して日教組の退会の会場の使用許可を取り消した知事が居ました。県のトップが弱腰だから、やつらがつけあがるのです。情けない話です。

映画の感想ですが、胸がふさがってものを言うのも億劫でした。会場に残って感想を言い合ってくださいと言う主催者の声には、とても応えられませんでした。人間が悪くなれば、どこまで悪くなれるのか。戦争はそんな実験の場だったのか。そんな気すらしました。事実を暴力で覆い隠そうとする動きには、市民パワーで対抗していかなくてはなりません。

夜ははばたく会の幹事会。新年会をかねて、来年の2月11日に総会を開くことなどを決めました。また、1月21日の江田五月新年パーティに協力をすることなど相談しました。

粟飯原さん、候補者を立てない政党に政権は渡しませんよ、国民が。岡山でも積極的に候補者を立てるべきと考えています。


11月16日(木) 市民リポートが届きましたでしょうか

 郵送と手配りとで市民リポートをお配りしていますが、なにぶんにも手作業を少人数でやっていますので、遅れているところもあるかと思います。どうかお許しください。

 午後から議会の控室で、市民クラブの会議。11月議会の代表質問の内容の討議と議会運営委員会で問題となっている、議員の質問制限案に対するクラブの姿勢の確認がありました。もちろん、そのような動きには反対です。現状通りで行くべきと思っています。議会で発言しないのなら、どこで発言するのか。そんなことを言いだす議員が居ることを、市民に具体的に知らせたいものです。皆さんのご意見をうかがいたいのですが、議会での発言に回数や時間を制限することをどのように思われますか。現在は、一人で30分、3回となっています。年間に何回やってもいいのですが、これも回数制限をしようと言う案が出ています。そんな人は議会に出て何をしようと言うのでしょうか。発言をする意欲と能力のない人には出てもらいたくないと、有権者は考えているのではないでしょうか。

 加藤紘一氏と連携するなら、岡山の選挙区はどうするのかという声があります。加藤派の議員が出ているところに、民主党の候補者を立てないのではと言う心配をされる方がいます。もしそんなことになれば、自殺行為です。私は断固候補者を立てるべきだと考えます。


11月14日(火) あす朝のモーニングリポートはお休みです

天皇が岡山に来ることで、朝の街頭演説を自粛してほしいとの申し入れが警察からあり、応じることといたしました。右翼と間違われるのもイヤですし、嫌がらせと取られるのはもっとイヤですから。国家の象徴である天皇に対して敬意を表すことこととしましたので、街頭演説を楽しみにしていた方(そんな人はいないよ、の声が聞こえそうですが)には失礼いたします。

午前中は事務所で事務処理、昼前からリポートの配達。藤田から玉野を回って甲浦から福吉町に回ったのですが、かなり遅れていますので焦っています。

市内の方で、ご近所に市民リポートを配ってくださる方を募集しています。メールか電話でご連絡ください。

6時からは、民主党1区の幹事会。そのあとは番町文庫で「韓国語」の勉強。

今日は江田事務所に寄った時に桜井君に逢いました。


11月13日(月) 感動しました

 まずは、夕刻行われた民団と総連が共同主催した「6・15南北共同宣言を祝う会」のご報告から。韓国と朝鮮(通俗的な言い方ですが)のトップが歴史的な会談をして雪解けのムードが生まれていますが、岡山にある二つの組織が「在日」という枠組みだけで共同の会を持つこと自体が歴史的でした。両方の組織の代表者もそのことを強調されましたが、来賓として出席された張本選手(元)が「矛盾するようだが、祖国を大切にすることと、この社会(日本)でともに生きていくことを大切にすることを両立させてほしい」と話されました。テーブルにはこれまで親しかった民団の友人も総連の友人も同席していて、この日が来たことを嬉しく思いました。また、このような日がいつかくることを念じ続けていた故・寺田明生さんを忍んでつい涙を禁じ得ませんでした。一緒になって唄い、踊り、最後は輪になって会場をぐるりと回って誰彼なく踊りに引っ張り込んで踊ったのは感激でした。両国の焼酎を混ぜ合わせた酒を飲みすぎて、家内に迎えに来てもらった宵(酔い)でした。

 朝は7時半からの「おはよう730」に参加して、石田みえ参議院議員、一井淳二さんの後で、加藤発言に関連して自民党の中だけの話にならなければ、政権交代の可能性があるので注目したいといった話に加えて、県が岡山市に対して行っている補助金カットの不公平を訴えました。今月号の市民リポートに書いていますが、高齢者・乳幼児・障害児のいる家庭、母子家庭の医療費を県と市町村とで援助する制度についての話です。国の制度ではなく、県が単独に行っていると言う意味で「単県補助」と言います。この県が出している補助金の内、岡山市と倉敷市に対してだけ6分の5カットしているのです。これまで、県下一円に行われていたものを、二つの市が財政的に豊かだからという理由でカットするのは許せないと主張してきました。岡山市は県が出さない分だけ市の負担で補てんしています。その補填額は毎年4億円前後かかっています。さらに、一昨本からは合併浄化槽設置の補助金も、県の負担額を3分の1カットしています。これは、国・県・市で均等に補助している制度ですから、県がカットする理由はなお不当です。

 yukioさんの報告は興味深いものがあります。選挙とは本来そうしたものでなければなりません。市民が自分の手で市政をつくる、そのことが実践されているような気がします。もっともその後が大変ですから、自民党の大攻勢で市民派市長が破れてしまった岡山市の徹を踏まないように祈ります。

 粟飯原さんの徳島リポートも興味深い(と言うのも変かな)ものです。自民党系の市民派候補と言うのも出てくるでしょう。公共事業の見直しのように、世論に受けると見ればなりふり構わずに真似をし、換骨奪胎を得意としていますから、彼らは。それを見抜く目が市民になければ、自民党の天下はまだ続くでしょう。私は、市民と言うのは、自分の目で見てものごとを考えることができる人のことをいうと思っていますが、それがどれだけ社会の中に存在するかです。大雑把なくくりですが、保守でも無い革新でも無い、自立した市民層が社会の中で台頭してきているのではないでしょうか。そう信じて、これまで活動をしてきました。時には挫折を感じながらも。


11月12日(日) 日曜日の動きです

今日は朝九時から西大寺の神崎で、スポーツ少年団の運動会に来賓で参加しました。エアロビクスのような準備運動にびっくりしながら、汗をかきました。すがすがしいスタートでした。そのあと、桑野のふれあいセンターでの難病連の患者と家族の会に、同じく来賓として参加。珍しく市長が来賓として来ていました。来賓はそのほか、公明党の市議会議員が三人。おなじみの田尻さんが議会の保健福祉委員長として来ていました。ここで人工透析の患者さんの話を聞くことができたのと、コーラスを聞いたのが印象に残りました。難病の患者さんが二人も参加しているコーラスグループ(内緒ですが、羽場節子さんもその一員です)です。

午後から津島で民主党の県連幹事会がありました。加藤紘一氏の発言で政局がどうなるか、意見交換がありました。また、市民ネットワーク委員会が立ち上がり、NPOの講演会などを企画していくこなどを報告しました。

粟飯原さん「祝4000突破」などと言われると、恥ずかしい気がします。丸二年にもなるんですから、開設されて。自分で書き込みできるようになって、まだ2カ月ぐらいしか経っていません。

さすが、眠くてたまりません。朝五時過ぎに起きたんです。落語を聴こうと思ったのと娘の試験で早く出かけると言うことだったので。明日も7時30分から駅前演説です。早く寝ておこうと思っても、もう11時半になっています。では、おやすみなさい。


11月11日(土) 菅直人に注目

 今日は森本パーティ。岡山駅に菅さんを迎えに行く。相変わらずの調子で「やあ」と言う感じだが、時折難しい顔をして考え事をしていたのはやはり政局のことだろうか。シンポジウムでも、加藤紘一氏の発言が取り上げられていた。「野党の不信任案が出された時に、欠席をする可能性がある」ということは、場合によっては解散・総選挙になると言うことだから、軽く見るわけには行かない。そうなると岡山では1・2・3区の体制を整えなくてはならず、正月が吹っ飛ぶことになる。血が騒ぐところだが、もう少し様子を見ることが必要だ。

 パーティは500人ぐらいか。盛大だった。多くの知り合いに会ったが、姫井さんと大森さんが知り合いとは知らなかった。

 水島広子さんはうわさどおり、清新な人だった。(精神科医だものと陰の声)

 山岸章さんは思っていたよりずっと面白い人で、歳を感じさせない方。

 アメリカの大統領選挙は今日も決着がつかなかった。1700票の差から始まって、900票、400票、225票、229票、現在は300票の差と、数字が動くだけでなく、投票方法や選挙方法まで問題となっている。選挙とは、つくづく面白いものだと思う。

 明日は朝から行事が続く。


11月10日(金) 決算委員会は傍聴できます

 ある方から問い合わせがあったので、早速調べました。一般会計決算審査特別委員会(正式な名称)は、一般傍聴は当然できるそうです。ただ、傍聴を希望する人がいないだけだそうです。だれか一緒に傍聴に行きませんか。けっこう面白いですよ。

 きょうは決算委員会で環境事業局、選挙管理委員会、監査事務局、総務局の決算を審査していました。監査については特に関心があったので、傍聴しました。


11月7日(火) 若い人の登場に喜ぶ

また、若い人が登場してくれました。高3の難波さんです。嬉しいな。自分が歳を取る分だけ若い人との接点が無くなっていくような気がして、さみしく思っていたところでした。

軽トラックでリサイクルの活動をしていたころ、どこでお会いしたのでしょうか。実は当時の市議会議員の複数から嫌味を言われました。A議員「そんな車に乗っていれば、活動をしていなくても、しているように見えるから得だね」B議員「びんを回収しているって言うけど、かっこうだけだろう」その当時は月にびんだけで2tから3tを集めていて、市内のびん回収ではダントツのトップでした。思い返せば、よくやったものだと我ながら感心しています。逆にそのようなことばがあったればこそ、それをはねかえそうと元気を出したような気がして、今ではそれらの議員さんに感謝したいぐらいです。

難波さんのおかげで、いろんなことを思い出しました。また、書き込みをしてください。高校生の生の声を聞かせてください。


11月6日(月) 11月6日の動き

 朝7時30分からの駅前演説。自転車で飛ばしたのですが、少し送れて8時前に到着。森本徹麿県議、石田みえ参議院議員、草苅隆幸県議、私とで弁士。私は、県と岡山市との間の懸案事項である、単県補助のことについて15分ばかり話をする。県が音頭を取って進めている医療補助制度の県の負担部分を、岡山市に限って(最近は倉敷市も巻き添えを食っている)減らされている、というより減らしている不公平さをただしたい、と訴える。その理由が「岡山市は財政にゆとりがあるから」というのだから、おかしな話だ。乳幼児・高齢者・障害児のいる家庭と母子家庭と言う4つの社会的に経済的に弱い立場の方を援助する制度だから、不公平な扱いは許せない。この話を聞いていたスタッフの方が、「羽場さんの話は分かりやすい」といって下さったので、嬉しくなって元気が出た。

 10時からは議会で一般会計の決算委員会を傍聴する。午後は1時から、監査委員として消防の施設を視察に行く。帰ってきて、もう一度委員会を傍聴した。審査内容で特に気になることは無いが、質問をしないことが「委員会の運営に協力した」(委員長)ことになるのかどうか、疑問を持った。


11月5日(日) 秘湯 ? 

岡山の秘境。県北の秘湯と言われる(私だけが言っているのかもしれない)神郷温泉に行ってきました。

露天風呂が気持ちよかったですよ。機会があれば一緒に参りましょう。哲西にも寄って、「哲西栗」を少し持ち帰りました。


11月4日(土) 一日講師に

 県立烏城高校で、社会人講師をつとめました。午後5時半からの、本来なら3時限目にあたる(土曜日は1、2時限はなし)授業でしたが、久しぶりに緊張しました。かつて、科学技術専門校で教えた経験があるので、慣れているはずですが、少々上がりました。40分授業なので少し早口かなと思ったのですが、「リサイクルの実際」みたいな話しをしました。3R、つまりrecycle/reuse/reduce について京都大学の高月先生のマンガを参考にしながらしゃべったのですが、どうでしたでしょうか。興味を持ってくれたかどうか心配です。

ゴミの話ならいつでも、どこへでも出かけます。講師料はいりません(どうしてもやると言われればもらいますが)。気軽に声を書けてください。ここへの書き込みか、メール でどうぞ。 


11月3日(金) ぐるみ選挙の弊害

長野県知事選挙は県政に大地震を起こしたと思っていたら、まだ余震が続いているようです。県庁内部や市町村レベルでの役所ぐるみの選挙は、どこにでもあります。岡山県でもしかり。知事選挙となると、県の幹部の奥さんが総動員されます。

ご主人だと違反に問われるから、身代わりに奥さんというわけですが、これには不満も大きいようです。しかし、これをやめさせようという声は起きてきません。言いだしたものが、にらまれるのが恐ろしいからです。こうやって民主主義がむしばまれていきます。一人一人の自主性や自発性がことごとく芽を摘まれていきます。残るのは心の荒廃だけです。そんな親を見ていて子供は健全には育ちません。こんな風潮を残しておくことは、千載に悔いを残すことになるでしょう。


11月3日(金) 弥高山と灘崎町に行きました

 姫井後援会の1日バスツアーに同行しました。午前中は倉敷市玉島の弥高山に産業廃棄物の施設と違法操業をしている現地(隣り合わせと言っていいほどのところです)を見させていただきました。見学させていただいたところは、さすがの施設でした。安定型、管理型両方の埋め立て地がありましたが、いずれもこれまで見た中では一二を争うぐらい良好な状態でした。

 灘崎町はサウスヴイレッジでファームフエスタに行きました。全国の酪農家の祭典らしく、牛、牛、牛のオンパレードでしたが、それなりに楽しめました。5日までだそうですので、興味のあるはお出かけになったらどうでしょう。


11月2日(木) 四国高松に行ってきました

 きのう今日と二日間、全国監査委員事務研修会に行ってきました。高松市の県民ホールであったのですが、1300人を越す人が集まっての研修会で、お話しを聞くだけでしたが情報だけはしっかり仕入れてきました。以前から関心のある「納税貯蓄組合」について、善通寺市では廃止したとか、高松市では見直しをした、福山市では外部監査が指摘をしたとか、早速詳しい情報を集めて見ようと思っています。そのあと、高松の友人に連れて行ってもらい「うどん」の美味しい店に行きました。車で50分。琴南町の食堂で「卵入りぶっかけうどん」230円でしたが、美味しいと思っている間にどんぶりいっぱいのうどんが胃の中に納まっていました。

 2日の5時半からは、3丁目劇場で落語を聴いてきました。ご存じかと思いますが、私の趣味は「落語鑑賞」なのです。いつも候補者の横顔といった記事にはそうなっているはずです。席は4分の一ぐらい埋まっていました。けっこう市の職員が来ていました。市長から「行け」とでも言われたのでしょうか。これは勘繰り過ぎか。「林家そめすけ」が二席。いずれも聴いたことのある噺だが、すぐには外題が思い出せない。印象は今一つだが、若いのでこれからだろう。笑福亭仁扇も二席。仁扇はラジオで聴いていたけど、見たのは初めて。「池田の獅子買い」はなかなか良かった。二カ所ほど気になった間違いがあったが。達者な落語家と言っておこう。いずれにしても、客が少なすぎる。これではまだ池袋演芸場の方がましだ。落語のような芸を、岡山のような文化度の高い街が受け入れないはずがない。ピーアールが少なすぎるのだろう。


活動日誌 2000年

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