活動日誌 2000年

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10月31日(火) ビックハートさん、ありがとうございます

 ビックハートさんから過分のおほめをいただきました。あんまりほめすぎてはいけません。読んだ人がウソかと思うから。江田さんのアクセス数と比較してはいけません。全国レベルと地方レベルとの差があるのですから。でも、負けているつもりはありません。亀でもうさぎに勝つこともあります。研鑽次第と言うと少しカッコつけすぎるでしょうか。

 さて、今日は朝から議会の市民クラブの会議でした。本会議の質問の時間を減らすとか、回数を制限するとか、あまりに議会の本質を忘れた提案がなされそうです。情けない話です。こんな動きを看過する訳にはいきません。もし、具体化するなら逐次ご報告してその芽をつぶすつもりです。

 午後には男女共同参画社会調査特別委員会を傍聴しました。

 夜は番町文庫で韓国語の勉強。店で買い物をする会話を習いました。初めて、面白いと感じた次第です。

 明日は高松へ出張するので、夜の書き込みができません。どうか、ご理解を。


10月30日(月) 決算委員会を傍聴しました

 今日は気分をよくしています。高校生の方からメールをもらったのです。若い方にこれを読まれているかと、うれしくなってしまいます。

 朝一番は、駅前東口で街頭演説。江田五月、石田みえ、一井淳治、姫井由美子、草苅隆幸、羽場頼三郎といった顔ぶれでした。官房長官の辞任と長野県庁の騒動について話しをして、さらに粗大ごみの話しをしたところで時間が来ました。

 午前中は監査の仕事。例月検査と言って、現金の現在高を確認したり、貸借対照表を見て説明を聞きます。そのあと、会議があり昼過ぎまでかかりました。日程の調整やら、これまで監査で指摘したことに対する改善策の報告を聴いたりです。

 午後は、議会で行われている一般会計決算委員会の傍聴をしました。監査委員をしている間は決算委員になれません。自分が行った決算を他の議員がどのように審査するのか、興味あるところです。聴いているだけでも、大変勉強になりました。次の機会にも、傍聴したいと思っています。

 県議会はやっとテレビモニターによる傍聴を始めたようですが、市議会の委員会はすでに10年前から市民の傍聴を認めています。当たり前なんですけどねえ。議会は議員のためでなく、市民の為にあるんですから。市政の主役である市民のお金の使い方を審査する委員会に、市民が締め出されることの方がおかしい。 


10月29日(日) 肌寒い一日でした

朝から小雨が降ったりの少し寒いような一日でしたが、みなさまのところはいかがだったでしょうか。

午後から、生協会館、なんといいましたかオルガンホールとかオルガホールとか言うようですが、で出版記念パーティがありました。「エコウェーブ」という本で吉備人出版から出ました。世話人をつとめられている成田美和子さんからご案内をいただいたので、でかけました。この人は頭のいい人です。

ちょっとしたエピソードですが、私がメールを送ったのに着きませんでした。原因はメールアドレスの間違い。biglobeとならなければいけないのに、bigloveとしてしまったのですが、「つまり、愛が届かなかったのね」と言われました。私は瞬間、意味が分からなかったのですが、lobe とloveの間違いだから「愛」が違うと言われたのです。この頭の回転の速さには参りました。

これを書くのを忘れては、また成田さんに叱られますが、エコウェーブというのはいい本です。本屋にも売っています(一冊1050円)ので、お買い求めください。各新聞にも紹介されましたが、エコロジカルなお店や運動体、フリマ(若い人の用語なので、大人たちのために言うとフリーマーケット)情報やリサイクル関連の情報が読みやすい形で載っています。

一昨日、久しぶりにアメリカのロスアンゼルスの近くに住んでいる中学校の同級生にメールで連絡が着きました。中川官房長官の辞任と、お馬鹿さんな長野県のお役人の話を紹介したメールを書きながら、日本の政治の遅れについて考え込んでしまいました。また、インターネットは世界を狭くすると言うことを実感しています。

パーティの席上で、テーブルを回って私学助成の署名集めをしました。毎年やっていることですが、今年は特に、娘が私立明誠高校に通っているので、特別に力を入れざるを得なくなっています。ご協力ありがとうございました。


10月28日(土) お粗末2連発

 その1 お粗末な総理の下にはお粗末な官房長官がよく似合うのに、残念ながら中川さんは辞めてしまった。暴力団とあぶない女、保守政治家にはもっとも似合う交際相手だったようだ。例のテープが出てくるまでは、「全く知らない」とウソをつき続けたのだから、この人の頭の回線はどうなっているのだろうと、推測する楽しみもなくなってしまった。

 その2 長野県の企業局長と言うのは、よほど自分が偉いと思っているのだろう。局長さんが、「知事だから偉いわけではない」というのは正しい。それを堂々と言うのも勇気がある。名刺を折ってしまうと言うのも、パフォーマンスとしてみれば、「なかなかやるな、おぬし」ものである。ちょっと有名だから知事になってしまったやつのことなんか、いちいち頭をさげられるか。ある意味では、本音の言動であってちょっとまねのできない行動だ。それなのに、翌日のコメントはいただけない。「自分がいたらなかった」なんて言う必要はない。次の知事選挙に出るからと辞表を叩きつけるぐらいのことが、なぜできないのか。人をなめている役人の正体はこんなものだろう。お粗末。


10月28日(土) 監査の一日

昨日は朝からずっと監査委員室に閉じこもりっぱなし。次から次へと各部署の決算の説明を聞く。環境事業局の環境総務、ごみ減量課、第2事業所、市長秘書課、資産税課などなど、最後は市民生活課いや交通安全課いや違う、生活・交通安全課だ。ここは名前がなかなか覚えられない。今も議会の手帳を見て、やっと思い出した。たびたび名前がかわった、というより中の仕事もややこしい。交通安全と言うことで、カーブミラーやガードレールのことや自転車のこと違法駐車の追放、消費生活、計量器の検査など、巾がありすぎて、よく把握できない部署だ。

今回は松井弁護士が入り、新しい感覚で監査が進められるので、質問も多い。その関係で、午後3時20分には終わる予定が、4時半近くまでかかってしまった。職員の皆さんすみません。でも、監査をまじめにやると結構時間がかかるんですよ。


10月26日(木) 泉南市の選挙

泉南市の選挙結果が出ました。私が応援した小山広明さんは堂々の9位当選。

最高得票 堀口武視56歳 1995票。最低得票 松原義樹58歳 372票。最下位当選 南良徳54歳 728票。現職22人 新人3人 前元職2人 定数23/27。

小山広明58無現 1303票。前回より約100票、前々回より約200票多い当選です。

徹底した市民選挙でここまでやった。たいしたものです。

選挙中のエピソードをひとつ。候補者が少し広くなった道で車を停めて演説しかかると、生まれたばかりのような赤ちゃんを抱いて若いお母さんが家から出てきた。演説をやめてください、とのことなので候補者が「赤ちゃんがいらっしゃるので、このへんで演説を止めさせていただきます。」とすぐにやめたら、その女性は「そうではありません。ここは、○明党しか演説をしてもらっていないんです。」と言われた。そこは一般道、こんな抗議は初めて聞いた。田尻さん、きみはどう思う。



10月24日(火) 哲西栗を知っていますか

 秋といえば味覚、その中で「栗」にこだわる方も多いはず。隠れた名産品、「哲西栗」を紹介します。

 一昔前、天津栗を食べながら、こんなおいしい栗を中国からの輸入でなく、日本で作れないものか、と考えた一人の岡山県人がいた。しかし、中国とは気候や土質が違うので、栗の木をそのまま植えても虫や病気にやられてうまく育たないことが分かった。何とかならないかと調べていたら、同じことを考えた人とめぐり合った。

 その人物を「傍士駒市(ぼうじ・こまいち)」という。傍士氏は自ら改良したたくさんの栗の品種に「傍士○○号」とつけていった。その中で岡山県には「360号」が向いていることを栽培実験で捜し当てたのが、前述の岡山県人。当時は運送会社(たぶん、伯備合同通運のちの日本通運)を経営しながら、先祖から引き継いだ山林の活用を考えていた。羽場鶴三その人だ。

 鶴三は傍士氏から、360号の原木も譲り受けるぐらい期待されて、その栽培に取り組んだ。当時の農林関係者(県のお役人など)の中には、日本栗の信奉者もいて、新しい取り組みには強い批判もあったらしい。しかし、鶴三は近所の協力者も得て、新しい栗の産地化をめざした。日本の風土になじませるため、日本栗を台木としてそれに中国栗を接木するのがミソだが、そのために必要なロウ「蜜蝋」も開発した。それによって、数多くの苗木を作り、栽培指導を行い、市場開拓にも力を注いだ。

 昭和30年代には、その努力も報われ「岡山のシナグリ」と言われるようになったが、中国との国交回復期にはシナではまずいとなってその後中国栗となり、さらに哲西栗と名称が変遷した。

 哲西栗の特徴は、日本栗と較べて、栗としての甘さが強いこと、渋皮がむけやすいこと、食感がほこほことしていることなどがあげられる。今年は例年より出来が良いと哲西栗生産組合(これも鶴三が産地化の一環としてつくり、初代の組合長をつとめた)の話である。

 貯蔵があまりきかないので、この時期に限って販売している。、1キログラム1000円から1200円で、希望する方には配送もしている(送料別)。

 連絡・注文は 哲西栗生産組合 
岡山県阿哲郡哲西町上神代 0867(94)2042で受けている。

 なお、その後鶴三は哲西町の前身、矢神村の村長をつとめました。私,羽場頼三郎の祖父です。実は、昨日哲西の実家に帰り、在りし日の祖父の姿を思い浮かべて書き込みをしました。


10月23日(月) あわてた月曜日

 月曜日の朝は駅前で街頭演説。今朝は少し送れて到着。江田と二人で車の上に乗るが、江田が55分みっちりと話をした。昨日の選挙結果から始まり、国会の中、参議院選挙の非拘束式比例制度のこと、議長の交代劇、県議の補選など、まだ話したりないようだった。私が最後のシメを5分間やった。知事選についても話したかったが、西口の再開発の核となるコンペンション施設「ママカリフォーラム」について、その管理と運営に全国で初めての方式を採用したこと。そして、私が経済委員会でその条例の不備をただしたことなどを報告した。

 あわてたのは夕刻のこと、今日の7時半から番町文庫で韓国語の勉強だと思い、送れた時間を取り戻そうとあせって車をとばし、到着寸前になって今日が月曜日であることを思い出した。韓国語は火曜日なのだ。あわて者め。


10月23日(月)00時01分 住吉さん続報

 ただいま、玉野から帰ってきました。本人ともとより、奥さんが喜んでいたのが印象的でした。自民党の若手、急死した父親の後を継いでの立候補で同情票もあるなか、強い企業の締めつけもはねのけての当選です。住吉21,654票、加藤20,464票で、接戦の末返り咲きを果たしました。


10月22日(日) 今日は選挙の日

 この日曜日は、選挙の日です。ただ、どうも良くない日になるのでは、という予感が当たりそうです。

 (1) 東京21区では民主党の長島さんが3位で落選です。これは予想していました。川田さんの当選は間違いないと、予想していました。そうです、この地区は私がかつて担当していたので、選挙区の有権者の傾向がある程度読めました。やむを得ません。あの山本君の後の選挙ですから、民主党がすんなりとは議席を得られないと覚悟していました。

 (2) 滋賀県の参議院補欠選挙でやはり民主党の法雲候補が落選。相手が自民党の山下元利の息子では、ちょっと分が悪いと思っていました。

 (3) 今、玉野県議選の補選で住吉氏の当選が入りました。これはうれしい。早速、お祝いに出かけます。

 (4) 泉南の小山氏の結果も気になります。


10月22日(日) ちょっと大阪に行ってきました

 21日のスケジュールが開いたので、泉南市の小山広明さんの応援に出かけてきました。市民派らしい、手作りの選挙を展開していて、候補者本人と街や村の中を肉声で「市会議員候補の小山広明で〜す。議会報告を113号出しました。」と叫んで歩きました。所々では、立ち止まって街頭演説です。私も応援の言葉を3、4回述べさせていただき、夜8時からの個人演説会では前座の弁士をつとめました。応援に来ていたのは京都府綾部市の市議、阪南市の南なおみ市議、堺市の吉井玲子市議などです。前の日には箕面市の市議増田京子さん泉大津市の高橋登市議や長谷川俊英さんなと、知った人が多く来ていました。

そのあと、久しぶりに長男の創三と会って、新しいアパートに行き一晩泊まりました。


10月19日(木) 今日は倉敷でした

 今日は倉敷市の芸文館で「西日本都市監査委員研修会」が開かれ、それに終日参加していました。自治省の課長の「講義」と将棋の有吉九段の「講演」でしたが、いずれも眠くて往生しました。168の自治体から500人を越す人が集まっていましたが、さすが監査委員を勤める人たちの集まりです、エスケープはほとんどありませんでした。

 民主党の衆議院候補の「石田敏高」氏からメールが届いていました。昨日、送ったばかりなのに、さすが早かった。長野の知事選の報告(彼の友人のものを転載)をしてくれました。その報告の最後にも、「他人の選挙は勉強になる」とありましたが、本当にその通りです。わたしも、明日は雲行きによっては「選挙応援」に出かけます。


10月18日(水) ふたりの議長

 今日のニュースで、議長が二人注目を浴びていた。ひとりは言うまでもない、参議院議長である。斉藤さんは選挙方の改正に伴う議会混乱の斡旋案を提示し、与野党から受け入れを拒否されて、議長の権威を守るために辞職を決意された。私はそれなりに筋が通った話と思う。根回しが足りなかったとか言う評論もあったが、根回し政治が本来良いとは思わないし、議長が責任を持って議事を進めると言う大前提からすれば、その提案が受け入れられなかった場合には、辞職しかないと考えられる。

 もう一人は、岡山県寄島町の議長、万木誠志である。こちらは、町長が職員採用に絡んで金を受け取ったことで逮捕され、辞職したことで、その辞表を受けとる立場でテレビに何回も登場した。万木君は私の金光学園の同級生で、同級生議員の先輩格である。ちなみに、私以外の同級生は今年の春、笠岡市で当選した藤井義明、樋之津倫子の2名。議長と言えば、なんか議員の中でも抜きんでて目立つ存在の様だが、その苦労も並大抵のものではない。議会で起きたことの責任をすべて取るという大変な仕事だ。そういえば、来年は岡山市議会も議長選挙が予定されている。どんなことになるのやら。

 議長のあり方について、ご意見があればどうか書き込みをしてください。


10月17日(火) 二つの知事選挙

最近の痛快事は、長野県知事選挙だ。行政・企業・各種団体でガチガチに固まっていた選挙を、県民がものの見事にひっくり返した。「何となく」勝ちそうな予感がしていた、そんな冗談を誰でもいいそうだが。しかし、岡山県ではそれができなかった。かつては、北海道でも、宮城県でも、高知県でも、大阪や東京でも「市民パワー」が炸裂したのに、本家とも言うべき岡山県でそれが失敗した。その反動で、ついに今回の選挙は最悪の選択が迫られている。岡山市民を目の敵にする長野知事の後継者と、それを結果として支えた政党色の濃い候補者では、誰が投票する気になるのだろうか。また、知事選挙に参加すらできなかった民主党は今後の反省をどうするのだろうか。22日以後の政治が、いまだ見えて来ない。


10月15日(日) 寺田さんを悼む

 最近の痛恨事は、寺田あきおさん(戸籍の上では、母方の姓を継いだので『横山明生』)の死だ。昨年、兄上の寺田憲生氏の葬式の時にお会いしたのが最後だった。近いうちに会いたいと、大阪での研究会の際に時間のうちあわせをしようと思っていた矢先のことだった。

 寺田さんは私より2期早く岡山市議会議員になったと言うだけでなく、南方少学校でも、司法試験でも、社市連でも、江田の秘書でも、また私生活においても兄貴と言っていいくらいの先輩だった。正義感が強くて、政治家としても一級のセンスと行動力を持っていた。その正義感が敵を作り、最後には、事件によって政治の舞台からいったんは降りざるを得なかった。その無念さは、誰より知っているつもりだ。本人も復活を志し、また願っている市民も多かったに違いない。子供たちを残したまま、あの世に旅立った心残りも察して余りある。

 寺田さんが願っていた、朝鮮と韓国との直接対話も始まり、岡山でも民団と総連が同じテーブルで話し合いを開始した。また、生前敬愛していた金大中氏がノーベル平和賞を受けることも報道された。寺田さんが生きていたら、どれくらい喜んだろう。かつて、韓国が独裁軍事政権下だったとき、持ち出しを禁じられていた文書を決死の覚悟で日本に持ち帰った話など、寺田さんならではの冒険談ももう聞けない。

 また、東京時代から「困った人の『助っ人』をする」といわれていたが、その政治スタイルは、まさに高田馬場に駆けつける堀部安兵衛そのものだった。

 私も及ばずながら、「助っ人稼業」を引き継ぎます。寺田さん、安らかにお眠りください。


10月9日(月) 田尻議員のこと他

田尻議員とは、岡山市議会公明党の田尻祐二さんのことです。すべてに前向き、正義感があり、現場に出かけることを厭わない、真面目な議員です。その「たじりの目安箱」にはいろんな人がアクセスしているので、見習いたいと思っているところです。

民主党は、県連として「鳥取西部地震の対策本部」を立ち上げたそうです。その活動の一環として、江田代表が現地入りしたとのことです。私のところのフアックスが調子が悪くて、それを読めなかったもので情報が遅れました。

今日はこれから、第59回市民体育大会に出かけます。
リポートの発行が遅れていますので、帰ったら早速その仕事が待っています。
夜は「姫井由美子杯」のボウリング大会です。


10月8日(日) 地震その他

 江田五月は、早速現地に視察に行ったそうです。地震の被害はあまりなくても、岡山も震度5弱なのだそうで、見舞いの言葉を受けています。まだ、被災地からの救助・支援の要請もないので、民主党は特に動いていないようです。

 今後の予定の日時については、都合で掲示します。また、活動の報告は極力載せたいと思います。アクセスが少ないのは、これまでの無沙汰が響いているのでしょう。田尻議員を見習わなくては。


10月6日(金) 静かな知事選

 昨日から知事選が始まりましたが、ご存じのような状況で、私の周囲は静かなものです。前回、前々回とはまるで違い、音無しのかまえです。長野県がむしろうらやましいぐらいで、田中康夫氏に期待しています。官僚支配の政治を打ち破る、そんな動きのひとつになれば、大変面白いし、意味があります。

 家庭内ランを作れなくてまいっています。石宮氏の協力をいただいているのですが、本人が分かっていないので進みません。いつもながら須藤氏のご指導もいただきながら、できるだけ早いうちに接続するように努力します。

 粟飯原さん、お誘いありがとうございます。身体は重いのですが、財布が軽すぎて行動が制限されています。しばらくは市内でおとなしくしています。

 昨日は監査委員会議、新しく松井弁護士を迎えて初めての会議でした。法律に詳しい方が入るとこれまでと違った雰囲気になります。

 そのあと、友人宅に寄ったら、江田五月を見習って、毎日書き込みをするようにとキビシイアドバイスをいただく。できるだけ努力をしてみます、といって分かれました。


9月23日(土) 羽場は出張します

明日から4日間,福島県の郡山市と長野市にでかけます。議会の経済委員会の視察です。農業センターと流通業務団地、ながのコンベンションビューロー,長野市産業用地を見せてもらいます。本当なら、月曜日に出発なのですが,いわき市で「吉田泉」さんと会うために,一日早くけることにしました。氏とは以前からあいたいと思っていました。市議から今回衆議院議員に挑戦し,善戦したからでもありますが,同世代で、というより私と同じ昭和24年2月26日生まれと言うことなので、親しみを感じています。面白いことに民主党にはもう一人同じ日の生まれがいます。海江田万里氏です。ちなみに、吉田氏は73903票、当選した自民党の吉野氏は109270票で35367票差でした。

 そんなわけで、しばらく書きこみを休みますが,見捨てないで下さい。(この間にたくさん書きこみがあるとうれしいな)

 実は、なんと、新しいパソコンを買ってしまいました。冬のボーナス一括払いという振れ込みについいられて。(娘に占領されている今のパソコンを譲って、オアシスのボードで専用に使いたいという切羽詰った気持ちです。分かってください、奥様)。しかし、この利用は帰ってからになるでしょう。まだ,設定もすんでいません。(えっと、このパソコンは富士通の535です)では、これまで。羽場


9月12日(火) やっとオアシスが届きました

やっとオアシスが来ましたので、文字が普通に書けます。これさえあればキーボードが怖くありません。多くの方からメールるやお書き込みをいただきながら、ろくに返事も出していませんでしたので、これからは少し精力的に返事など書きたいと思います。

 さて、粟飯原さん。そんな理由で遅くなりすみませんでした。ドームの話は今月号の市民リポートに載せましたが、早くいえば単なる思いつきです。また、市長の選挙の恩返しという面も否定できません。ただ、残念ながら今日の本会議の雰囲気ではドーム計画に反対なのは絶対的少数派のようです。

 皆さんの活動の爪の垢でも煎じて飲みたいくらいです。
では゛お元気で。


9月1日(金) もうすこし待って下さい

私は長い間オアシスのワープロを使っていたので それ以外のキーはまったく苦手ですなるべく近いうちにキーボードを変えるなどの改善をしますので それまでオ舞いください


8月28日(月) 民主党の県連大会に出て 2

私の幹事長に対する質問が江田の掲示板で話題になっているらしい 1区の大会で「この選挙は河田を勝たせるための選挙ではなかった 民主党の礎を作るためのものだったはずだ」という 選対責任者の言動は問題だから 幹事長はそんなことを言わせてはいけないのではないか と言ったのに対して そのような発言は全く無かった と答弁した このようなうそつきを許していいのか といった過激なものもあったようです 1区の大会参加者がみんな聞いてているのにただ 幹事長が聞き違えて 自分がいったのではないと言いたかった という人も居たことは付け加えておきます 羽場より三郎  8/28


8月27日(日) 民主党の県連大会に出て 

新しい政治の出発点にしたいという意気込みで参加したのだが 現実はむずかしいものだ 知事選で自民党(かくれ)の石井を推薦するといった筋のとうらない事態だけは阻止したものの です羽場


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