東昌エコー  (TOHSHO ECHO)
1958年製 50cc
東昌自動車工業

とりあえず、なぜこんなに高いところにエコーがあるかというと。
この写真は群馬県長野原町にある町営浅間火山博物館内の浅間記念館に私のエコーが展示されたときのものです。
ここでは小排気量の軽量車は梁の上に展示されるのです。


私の東昌エコーは、今、手元にあるバイクの中では一番古くから我が家に住み着いているもので、もう36年になります。
岡山県上斎原のスキー場のロッジで、発電機の動力源として使われそうになっていたのを助け出されたのです。
一次減速はベルトだし、リコイルスターターだから、汎用エンジンとして使うのは容易なことと思われたのでしょう。
しかし、強制空冷とするのが面倒だったのか、転用されること無く、西大寺に戻ってきました。
というのは、このエコーはもともと西大寺を走っていたもの(防犯登録は西大寺市でした)で、前述の理由で上斎原まで運ばれたものの、
使われないままに放置されていたのです。

エコーが発売されたのは1958年で、当時としては画期的な両手ブレーキ.リコイルスターターで、足を使わないバイクでした。
手元にカタログがありますので、メーカーの謳い文句を書き出してみましょう。

縦4つ折りのカタログの表紙には、エコー号.日本最初のハンドスタートのモペットとあり、エコーの正面からの写真が載っています。
見開きに広げると、右にエコー号3つの特徴と、3つの実用性。左に仕様及び性能が書いてあります。
3つの特徴から書き出してみましょう。
�.魯鵐疋好拭璽箸任垢�ら御婦人でもすぐ始動します。
�∩犧遒砲和�を使わないので、ハイヒールでも気軽に乗れます。
�5�可制なので、自転車に乗れる方なら誰でもOKです。
3つの実用性とは。
■エンジンの始動は容易
永年の研究が生んだハンドスターターは手で引張ればすぐエンジンがかかる最も効果的なものです。
しかも2サイクルエンジンで簡単、故障は殆どありません。
■運転は簡単で安全
運転には足を使いません。
ブレーキは自転車と全く同じ操作で、手でかけます。
クッションは柔らかくオートバイに劣らぬ快適な乗り心地です。
だから簡単で安全なのです。
■経済的な実用車
故障がないから維持費がかかりません。
燃料も少なくて住む経済車です。
しかも能率は自転車の数倍という実用車最適のものです。
仕様及び性能は次の通り。
全 長 ────── 1745粍
全 巾 ─────── 600粍
全 高 ─────── 915粍
軸間距離 ────── 1125粍
最低地上高 ────── 150粍
重 量(乾燥)────── 49.5瓩
タイヤ寸法 ──── 22×2.25吋
タンク容量 ──── 6立(1.5ガロン)
潤滑方式 ─── 混合式(カ゛ソリン 20対モヒ゛ール1)
馴らし運転中は15:1
発動機型式 ───── 空冷2サイクル
シリンダ内径×行 程──── 38×44粍
出 力 ──── 2.5馬力/5500rpm
総排気量 ──────── 49.9cc
圧 縮 比 ─────── 8.1:1
一次伝導 ───────── ベルト
二次伝導 ───────── チエン
変 速 機 ─────── 自動変速式
総減速比 ────── 14.08:1
最高速度──────── 55粁/時
登 坂 力─────────── 9°
走行燃費 ──────── 80粁/立


もう一度見開きに広げると、カタログの全面右2/3を使ってエコーの左側面の写真を載せ、
それに� 淵魯鵐疋詆�分)�◆淵好謄▲螢鵐哀悒奪鰭�分)��(リコイルスターター部分)の番号を振り、それぞれの説明を左1/3に書いてあります。

曰く。
�.屮譟璽�は手でかけます。右手で前ブレーキ、左手で後ブレーキ。だから操作は自転車と全く同じです。
��盗難予防の鍵がかけられます。ハンドルの下にある鍵穴に鍵をかけて、安心して駐車できます。
��すぐエンジンがかかるハンドスタート。耐久力のあるワイヤロープだから切れません。切れても丈夫なロープが附属しているので安心です。
そして右上に大きく「ハイヒールでも乗れる日本で最初のハンドスタートのモペット」とあり、女性に売り込むことを第一としていたことが分かります。

因みにこのカタログは、私の家から直線距離にして30mも離れていない隣の町内の西大寺昌和モータースから、
5才年上の友人がもらっていたものを、エコーの入手記念だということで譲っていただいたものです。
残念なことに西大寺昌和モータースは30年前に火事で焼失してしまい、今では駐車場になっています。

エコーを生んだ東昌自工(東昌自動車工業株式会社)は、トーハツ(東京発動機製作所)と昌和製作所が共同出資して起こしたもので、
'58年にエコー、'59年にパンドラというスクーターを発売。
自動車工業の名の通り先には自動車の生産も計画されていたようですが、'60年に昌和が倒産したことにより製造がストップしました。
デビュー当初の売上は好調で、発売の翌年には月産3千5百台、年産1万6千台を達成。
これに気を良くした昌和は大増産を決定、月産1万台を目指して建物・設備を増強しました。
しかし同じ年にデビューしたC−100が当初のトラブルを解決し、本来の実力を発揮するにつれて販売量が減少、
にもかかわらず増産し続けたために本業のクルーザー共々在庫が拡大、
気が付いたときには資金繰りがつかなくなって7億の赤字を出して、ヤマハの傘下に入りました。

'59年にはエコーSE-2を発表、リコイルスターターの代わりにセルが付き、フロントサスがアールズフォーク的なものから、
ゴムをスプリングに使ったボトムリンク(おそらくナイトハルト式だと思います)に変わりました。
またバッテリーを搭載し、ウインカーも装着されたにもかかわらず、車重は500gUPの50Kgに留まり、
価格はSE−1の4万8000円から逆に4万7千円に下げられました。
但しSE−2型がどのくらい売られたかは不明です。

二輪解説者の小関和夫氏によれば、エコーは昌和のフレームにトーハツのエンジンを搭載したものとされますが、
私はエンジンも昌和製であると考えます。
それは外観のデザインによることと、当時技術的な助言をしていた元東大教授の富塚清氏の著書の記述によるものです。

富塚氏は、もし昌和が若手社長の放漫経営に走ることなく優れた開発力を生かして堅実な経営を行っていたら、
ヤマハの傘下に入ることなく今とは違った行き方をしているだろうとしていますが、その中でエコーは昌和で開発・製造されたと述べています

'60年の昌和の倒産と同時に東昌自工も消滅し、エコーはわずか2年間しか作られなかったのですが、
'64年にトーハツが発売したベル35BCはエコーの焼き直しではないかと私は思います。
但しキックによるスタートや、自動遠心とはいえ2段変速であることなど、機構的にはエコーのほうが優れており、
現代のスクーターの基礎はここにあったと思います(特にロードパルなど)。

しかし、当時C−100との性能差は如何ともしがたく(パワーの無さ、熱だれの早さ)、早々に敗れ去ったのは残念でなりません。
だからいつも言っているのです。

私はカブが嫌いだ!





ohaさんから分けていただいたエコーの絵葉書です。



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