僅かな光に照らされた公園内を、龍麻と葵は歩く。エルの名を呼びながらしばらく進んだが、反応はない。
「やっぱりもう、この辺にはいないのかしら? 藤咲さんが一日中捜しても見つからなかったんですものね」
「そうとは言い切れないよ。相手は生き物だからね。その場にじっとしているとは限らないから、行き違いになってる可能性もあるし」
「ええ。でも……本当に、私達に見つけられるかしら……」
 地元の地理に明るい藤咲が捜し回っていたにもかかわらず見つかっていない、そのことが彼女を弱気にさせているのだろう。葵の表情に陰が射す。それを励ますように龍麻は優しく微笑んだ。
「状況が状況だけにね。不安になるのは分かるけど、大丈夫だよ。絶対に見つかる」
「そうよね。捜し始めたばかりで、こんな弱気な事を言ってちゃ駄目よね。くよくよしてる暇があったら、エルを捜さなきゃね」
「うん。今、自分達にできる事を、一生懸命するしかないからね」
「でも……本当にエルはどうしたのかしら? 血痕なんて、穏やかじゃないわ。醍醐くんが言うように攫われたんだとしても、どうしてエルを攫ったのかしら?」
「動物盗っていう例もあるけど……それだと商品を傷つけるはずないし。日本じゃ犬食の風習もないだろうし……」
 ここで何を言ったところで推測の域を出はしない。さっきも言ったが、できる事をするしかないのだ。
「さて、この辺りにはエルはいないようだし。そろそろ別の場所を捜そうか?」
「そうね。今度は向こうの方へ行ってみましょう」
 公園を外れて、住宅地の方へと二人は向かう。


 エルを見つけることはできなかったが、約束の時間になりそうなので二人は白髭公園へと戻ってきた。11月を過ぎた事もあり、夜風が身を切るように冷たい。
「まだ、誰も来てないみたいね……早く来すぎたかしら? もう少し……ゆっくり戻ってきてもよかったかしら……」
「いや、一応時間を決めてたんだから、手掛かりがない以上は戻ってきて正解だよ。でないと、皆に心配をかけるしね」
 白い息を吐きながら二人は各々の時計に視線を落とす。約束の二十時を少し過ぎたところだ。
「おーいっ、葵っ! ひーちゃんっ!」
 小蒔と醍醐がこちらへ駆けてくる。
「悪いな。ちょっと遠くまで行ったものだから、遅くなった」
「いや、いいよ。こっちも今戻ってきたところだし。でも、どうやらそっちも見つかってないみたいだね」
 醍醐達は二人で戻ってきた。もしエルを見つけたならば、必ず連れているはずである。
「あぁ。残念ながら、全く手掛かりなしだ。そっちも同じようだな」
「困ったわね……」
 ふう、と四人は息を吐く。ここまで捜して見つからないとなると、捜索範囲をもっと広げるべきなのだろう。となると、この人数では厳しい。もっと人手を集めないと話にならない。
「あら? そういえば、京一くんと藤咲さんは?」
 この場にいない二人を思い出し、葵は顔を上げた。小蒔と醍醐は揃って首を傾げる。
「さぁ……? 途中では会わなかったよ。どうしちゃったんだろ?」
「約束の時間は、とっくに過ぎてるが。一体、どこまで捜しに行ったんだ?」
「救急箱を取りに行くとは言ってたけど、それにしても遅いね。どうしたんだろう?」
 龍麻は携帯電話を取り出してアドレスを呼び出す。
「何かあったのかしら。二人が心配だわ……」
「とりあえず、少し待ってみるしかないな」
 いつものように腕を組んで、醍醐は空を見上げた。街明かりのせいで星は見え辛いが、空には真円を描く月が見える。その色は、いつもとは違って赤みがかっていた。
「今夜は満月か……まるで――血の色だな……」
「縁起でもない事言うものじゃないよ、雄矢」
「……そうだな。で、どうだった?」
 醍醐の問いに龍麻は肩をすくめてみせる。
「繋がらない。京一は充電を時々忘れてるから、そのせいかも知れないけど……実は亜里沙も繋がらないんだよね」
「珍しいね、それ。藤咲サンってそういうのは気をつけてるかと思ってたけど」
 小蒔も意外そうな顔を見せる。藤咲の交友関係はかなり広い。その彼女にとって携帯は必須のはずだし、それのバッテリー残量にも気を配っているはずなのだ。
「でも、電話じゃなくて真神に直接来た事を考えると、亜里沙のもバッテリー切れの可能性がある。さっきも雄矢が言ったけど、もう少し待つしかないね」
 先の醍醐と同じように龍麻も空を見上げる。目に映るのは、赤い月。たまに見えるこの色の月が龍麻は好きだったが、今は何故かそれを見ていたくはなかった。
(京一……亜里沙……どうしたんだろう?)
 不安だけがゆっくりと、しかし確実に龍麻の心を浸食していく。
 この日、結局京一と藤咲は戻って来なかった。



 11月9日。3−C教室――昼休み。
「あれから、もう五日だね」
 机に肘を着き、顎を両手で支えて、小蒔は視線を動かした。その先にあるのは京一の机だ。
「京一のヤツ、一体、どうしちゃったんだよ……」
「えぇ……藤咲さんも、あの日以来行方が分からないし……私達だけじゃなくて、ご家族にも連絡はないみたい」
 エルを捜しに行った当日だけではなく、その後も京一と藤咲には連絡が取れない。今日までに色々と心当たりをあたってみたが、収穫はなしだ。
「でも、本当に……一体、どうしてしまったのかしら」
「あの日、約束の時間が過ぎても結局来なかったし、いろんな場所を捜したのに、エルも二人も、全然見つかんないし。絶対変だよっ!」
 耐えかねたのか、小蒔は机をバンと叩く。一瞬、周囲の視線がこちらへ集まるが、それを気にする様子もない。もっとも会話自体は小声で行われているので、他人に聞かれる心配はないが。
「まさか……何か、事件に巻き込まれたのかしら?」
 心配そうな葵の声。つい先日、墨田区では事件があったばかりだ。あれの真相は結局うやむやになっているが、同じような事件が起こって、それに巻き込まれたのではないかというのが葵の危惧するところらしい。
「でも……京一と藤咲サンだよ? その辺のヤツに、そう簡単に負けたりするはずがないよ」
「そうよね……ねぇ、龍麻くんはどう思う?」
「小蒔さんの意見はもっともだね。亜里沙はともかく、京一をどうにかできる奴なんて、僕の記憶にある限りでは鬼道五人衆クラスくらいのものだし」
 龍麻に次ぐ実力者として挙げられるのが、京一と醍醐だ。小蒔の言う通りそう簡単にどうにかなるタマではない。少なくとも、偶然遭遇した事件に巻き込まれて、ということはないはずだと龍麻は考える。
(だったら、襲撃されたとか? まさか……その理由がない。いや、最近の事件を操ってる奴が介入してきたのか? それにしたって京一と亜里沙だ。いきなり負けるなんて考えにくいし……)
 龍麻だって今まで何もしていなかったわけではない。裏に根を張っている如月の情報網に目を向けたりしているのだ。だが、そちらからの情報もない。
(翡翠経由の情報もないということは……少なくとも《力》絡みではない? だったら余計に訳が分からないや)
 《力》絡みではないとすると、益々京一達が事件に巻き込まれたとは考えにくい。
 そんな事を考えている間に教室のドアが開いた。入ってきたのは醍醐だ。
「あっ、醍醐クン。どうしたの? こんな時間に来るなんて……」
「あぁ……ちょっと……な」
 今日は朝から姿を見せていなかった醍醐。問う小蒔に言葉を濁し、龍麻の方を見る。
「それより龍麻、お前に話があるんだ。悪いが屋上まで付き合ってくれ」
「僕に? 別に構わないけど」
 皆の前でないのが気になった。それに醍醐の目だ。口調は軽かったが、目に宿る光は真剣そのものだった。
(何かあったんだな……それも、かなりの大ごとが)
 自分だけを呼ぶのは葵達を気遣っての事だろう。まずは自分に相談してから、そういう心づもりらしい。龍麻が怪我をしている間、指揮官代行を務めていた彼は、そういった配慮が以前にも増してできるようになっていた。ただ、欠点があるとするなら――
「すまんな……ともかく、話は屋上へ行ってからだ。桜井、美里。悪いが、龍麻は借りていくぞ」
「でも、醍醐くん。もうすぐ午後の授業が始まるわ。ほら……」
 葵の指摘通り、チャイムが鳴る。だが、醍醐の口から出た言葉は
「構わん。行くぞ、龍麻」
「……分かった」
 醍醐の意図をくみ取り、龍麻は葵達を残してその後を追った。


 真神学園――屋上。
 いつだったか、似たような事があった。あの時は雄矢が失踪したんだっけ、と龍麻は思い出す。龍麻が単独で屋上へ来る時は大抵昼寝の時だが、仲間と一緒にここへ来ると、大抵重い話がある時だ。
「風が冷たいな――もう冬か……」
 かなりの強さで吹いている風に身を縮めながら、醍醐の視線は新宿のビル群に向けられている。話がある、と醍醐は言った。街を眺めている場合ではあるまい。言いにくい事なのだなと察しつつも、あえて龍麻は促す。
「何があったの?」
「……龍麻、まずはこれを見てくれ――」
 ふう、と息をついて醍醐は学生服のポケットから何やら取り出した。それは手紙と――写真。
「今朝、俺の家の前に置いてあったんだ……ふざけた手紙だ」

『今夜、25:00
 帝釈天の御膝元、刑場地下に設けて待つ
 緋勇龍麻、醍醐雄矢、美里葵、桜井小蒔
 以上四名で、必ず来られたし
 そうすれば、女の無事は保証する』

「なるほど――」
 白い和紙に筆で書かれた手紙。受け取ったそれを、声に出して龍麻は読み上げる。読み終えて手紙をひっくり返してみるが、先の本文のみで差出人の名はない。
 続けて写真に視線を落とす。写っているのは、自分のよく知る人物だ。蓬莱寺京一の写真――それには赤でバツ印が記されていた。
「これは俺の推測でしかないが――誰かが……俺達を狙っている。藤咲は巻き添えを食って攫われた。俺達を誘き出すための人質としてな……。藤咲の無事は、確かではないが一応保証されている。だが……」
 そこで醍醐は一旦言葉を切った。口にしたくないのだ。自分の想像を。信じたくないのだ。その想像が現実であるかも知れないなどとは。
「考えられる事は二つ、だ。敗れた京一は、何もかも捨て、どこかへ身を隠した。あるいは――」
「あるいは……既にこの世にいない……」
 言いたくなかった一言を、龍麻が継いだ。何の感情もない、淡々とした一言。まるで他人事のような口調に醍醐は眉をひそめるが、何か言おうとする前に気付いてしまった。屋上の入り口、そこに佇む二つの人影に。
「桜井――!」
「葵さんも――」
 そこに立ってたのは小蒔と葵だった。表情を見るに、龍麻達の会話は聞いていたのだろう。他人の接近にここまで気付かないとは二人らしくないが、会話の内容が内容だけに動揺していて周囲への注意が散漫になっていたのかも知れない。
「そんなの……ウソだよ……」
「ごめんなさい……立ち聞きするつもりじゃなかったの……ただ……醍醐くん、様子がおかしかったから……」
 醍醐の失敗は、呼び出しを龍麻だけの時にしなかったことだ。昼休み終了間際に彼女達の前でそんな話をすれば、不審がるのは目に見えている。これもやはり、いつもの冷静さを欠いていたせいだろう。
「俺としたことが……軽率だったな」
 苦い顔で醍醐は空を仰ぐ。このようになってしまっては、今更言い逃れもできはしない。いずれ――どちらにせよ、今日の事なのだ。話さなくてはならないのは分かっていたが、最悪の展開だ。
「ねぇ、ウソ……だよね……? 京一……もう、戻ってこないの……?」
 血の気の失せた蒼い顔で、小さな身体を震わせながら、小蒔は焦点の合っていない目を龍麻達の方へと向けていた。
「桜井……」
「そんなの……そんなのっ、ボク、信じないっ!」
 気の利いた言葉も見つからず、それでも醍醐は小蒔に近付こうとするが、その前に彼女は叫ぶと踵を返した。姿は消え、階段を駆け下りる音だけが聞こえてくる。
 金縛りにでもあったかのように醍醐は動きを止めた。そこへ龍麻の指示が飛ぶ。
「雄矢! 後を追うっ!」
「龍麻……」
「これは雄矢の役目だよ。雄矢が行かずに、誰が行くの?」
「あ、ああ……分かった」
 一瞬躊躇してしまったが、醍醐はもとよりそのつもりだった。自分の役目かどうか、自分に何ができるかはともかくとして、小蒔を放っておくつもりなど微塵もない。だが――
(いや、それこそ俺の役目じゃない……)
「美里……龍麻を頼む」
「え……?」
 小声で、それこそ伝えようとした相手にも聴き取れるかどうかといった声でそう言うと、醍醐は小蒔を追って階下へと向かう。残された葵は先の醍醐の言葉を頭の中で復唱し、龍麻に近寄った。不安げに声をかける。
「京一くん……大丈夫よね? きっと……私達の所へ戻ってきてくれるわよね?」
 常に――事件の時にはほぼ一緒にいたメンバー。真神のトラブルメーカーであり、真神組の斬り込み隊長。仲間内で龍麻に次ぐ実力を持つ者。色々と言い方はあるが、そのどれを取っても自分達の周りにいる、必要不可欠な存在である事には変わりはない。その彼が自分達の前から消えてしまった。このことによる動揺は思った以上に大きい。
 小蒔が攫われた時、龍麻が失踪した時、醍醐が失踪した時、そして葵が攫われた時。そのいずれも仲間達に混乱と動揺をもたらした。それは今回も同じだ。しかも今回に限れば、いなくなった者の安否が今まで以上に危うい。何者かによる招待状に、京一の名はなかった。つまり、呼ぶ必要がないということだ。
「大丈夫……」
 龍麻の口から漏れた声は、決して言葉通りには聞こえなかった。
「京一は死んでない……あの京一が、そう簡単に死ぬもんか……」
「た、龍麻……?」
「死体が見つかったわけじゃない……目の前で死んだわけじゃない……」
 葵など視界に入っていないように、龍麻は一人ブツブツと呟いている。表情自体に変化はないが、顔色はすこぶる悪かった。醍醐達がいた時は無理矢理自分を抑え込んでいたのだろう。
「京一は無事だよ……僕達を残して死ぬだなんて……そんなことあるはずがない……心配なんてすることないんだ……」
「龍麻、しっかりして!」
 肩を掴んで葵は龍麻を揺さぶる。虚ろになりかけた目に光が僅かに戻った。とは言え、それはいつ消えてもおかしくないほど弱々しい。
「大丈夫……僕は大丈夫だから……」
 何が大丈夫だというのか。今の龍麻の持つ負の感情は尋常ではないというのに。
 苦悩、悲しみ、そして何より大切なものを喪う恐怖。それが龍麻の中で大きく荒れ狂っている。そしてそれは、負の感情を感じ取れるという能力を持つ葵にも流れ込んでくるのだった。
 張り裂けんばかりの心の痛みに耐えながら、葵は愛しい人の頭をかき抱く。普段なら真っ赤になって慌てるだろう龍麻は為すがままになっていた。
(龍麻がこんなになるなんて……)
 葵の胸で、龍麻はただ震えていた。信憑性があるとは言え未確認の情報でさえこれだ。仲間の死というのが龍麻にどれだけの影響を及ぼすのかがよく分かる。常に戦場に立つ龍麻達である。その可能性は今までも皆無ではなかった。ただ、誰もそれを考えないようにはしていただろう。そんな事では戦えないのだから。
 皆は龍麻を強いと言う。それは戦闘に関して言うならば正解だ。だが、龍麻は決して強くはない。戦闘力は絶大だが、彼の心は仲間の中では弱い部類に入る。ただ、冷静沈着で隙のない指揮官という姿勢を普段は貫いているだけに、誰もそこには気付かないのである。いや、気付かせないと言うべきか。はっきりと気付いているとすれば、それは葵と四神くらいだろう。
 龍麻は危ういのだ。戦士として、指揮官として。強靱な精神力で己を制御しているように見えるが、一度崩れると歯止めが利かぬまま終わってしまう。品川の件、ローゼンクロイツの件とその兆候は見せていたが、こればかりは龍麻の心の傷が根底にあるだけにどうしようもないのである。トラウマの克服などそう簡単にできるものではないのだから。
 葵は何を言うわけでもなく、ただ龍麻を抱いて自らの《氣》を解放していた。温かく清廉な《氣》が龍麻を優しく包んでいく。《氣》を纏い、龍麻を抱くその様はまさに聖女と呼ぶに相応しいものだった。
「大丈夫……」
 慈愛に満ちた声が龍麻の耳朶を打つ。
「龍麻は信じているんでしょう? だったら、何の心配も要らないわ。だから、私達も信じるの。京一くんは無事だって」
 諭すように、あやすように、葵は龍麻の頭を撫でる。龍麻から感じる恐怖心も徐々に和らいでいった。
「ありがとう……もういいよ」
 それから少しして、龍麻は顔を上げた。それを抱きしめていた葵もようやく手を離す。龍麻の表情は晴れぬままだったが、心の方は先のように不安定ではない。
「もう大丈夫だから。今は不確かな情報に囚われている時じゃない。とりあえず、これからのことを雄矢達と相談しなきゃ」
「ええ、そうね」
「京一は絶対に無事だ……だから、戻ってきたら酷い目に遭ってもらおうよ」
 弱々しくだが、確かに龍麻は笑って見せた。


 3−C教室――放課後。
 飛び出していった小蒔を醍醐がなだめて連れ戻し、龍麻達四人は合流して今後のことについて話し合う。
「と言っても……目的やることがはっきりしたのはいいけど、まだまだ時間があるね」
「あぁ。向こうが指定してきたのは、明日の午前一時だからな」
 小蒔が時計を見ながら言うと、醍醐も頷いて、机の上に置いた件の手紙に視線を落とした。いくら見たところで内容が変わるわけではないが、そこから何かしらの情報が引き出せればと思って出しているのだ。
「こんな深夜に呼び出すっていうことは、きっと……相手は人目に付くのを嫌がっているという事ね。それに帝釈天の御膝元……単純に、葛飾の柴又帝釈天を指しているのかしら?」
「多分、それでいいんじゃない? でも『刑場地下に設けて』って何のことだろ?」
 文面を見て葵と小蒔は難しい顔をする。
「地下、というのは恐らく地下鉄のホームか何かの事だろう。だが、刑場というのは……」
 単語そのものが不吉なものである上に、現在までの状況もあって、醍醐も顎に手をやり唸った。
「深夜の地下鉄ホームってだけでもなんかヤなカンジなのに、しかも刑場、だなんて……なんか……不気味だよね」
 そこで言って小蒔は言葉を切った。龍麻達がじっ、とこちらを見ているのだ。別に小蒔を責めているわけではないのだが、何やら勘違いしたらしく
「べ……別にボクは怖くなんかないからねっ。心配しなくても大丈夫ですよーっだ」
 と、慌てて弁解を始めた。そんな小蒔の様子に龍麻達の顔が綻ぶ。
「深夜の刑場か……何か意味があると思った方が自然だろうな……」
 何かと遠回しな文章で、その真意が読めない――醍醐はそう言いたいのだろう。ただ醍醐はそれの指す意味に気付いていた。そして龍麻も先程から何も言わない。下手に葵達を不安にさせないための配慮だ。とは言え、この話題を続けていれば答えに行き着く可能性はある。そこで醍醐は強引に話題を変えた。
「そうだ。遠野はもう帰ったのか?」
「アン子ちゃん、このところ取材で忙しいって、授業が終わるとすぐに帰ってしまうみたいよ」
「取材って……あれ? この前言ってた暗殺集団とかいうヤツの……」
 途端に小蒔は顔を顰めた。あの時、あれ程止めろといったのに、結局動き回っているようだ。
「ひーちゃんが言ったこと、分かってなかったのかな?」
「……分かってても我慢できなかったんじゃないかな」
 龍麻もこうなると苦笑するしかない。警告も彼女の好奇心には勝てなかったと見える。
「京一の事も……正確な事が分かるまでは伏せておくべきかもしれん」
「誰にも言う必要ないと思うよ? 現状では数日無断欠席してるだけだし、下手に騒ぎを拡大させる事もないよ」
「……それもそうか。話したところで、どうなるものでもなし。それに、今日明日の事だからな」
 肩をすくめる龍麻に頷いて、醍醐は肺に溜め込んだ空気を解放した。


 真神学園――校門。
 あれからすぐに教室を出て、龍麻達は今後に備える事にした。
「それじゃあ、一度解散して後であらためて待ち合わせよう」
 醍醐が時間と場所を告げる。それに頷く龍麻達。ただその中で、葵だけが浮かない顔をしていた。
「ねっ、葵。途中まで一緒に帰ろ――葵……? どうしたの? ボーッとして……」
「あっ、ごめんね、小蒔。私……どうしても気になっていることがあるの。どうして手紙の主は、わざわざ刑場、という言葉を使ったのか。それは、私達を何かの刑に処するという事じゃ……」
 龍麻と醍醐は同時に苦い顔をした。葵もそれに気付いたのだろう。更に何かを言いかけたが、手で口を塞ぐ。
「あまり考えたくはないが……」
「向こうは、僕達に死刑を宣告したつもりなんだろうね」
 葵が口にしようとしたであろう言葉を男達が溜息と共に吐き出した。
「目的は恐らく、京一を含めた僕達五人の処刑――」
「しょ……処刑!? ボク達を殺すってこと!?」
 あまりの言葉に小蒔が血相を変えた。それはそうだろう。処刑とはもともと刑罰を加える事を示す言葉なのだ。だとしたら、自分達の罪とは何であろうか。
「そんな……ボク達なんにも悪いことなんて……あっ――! まさか、ボク達を狙ってるのって……」
「どうした桜井、心当たりでもあるのか?」
「アン子が言ってた暗殺集団だよっ!」
 あまりにも唐突な意見だった。自分達とは関係ないところで進んでいた話が、いきなりこちらの事情と交わる事になるのだ。
「でも、それっておかしくないかな? 遠野さんが言う事が正しければ、僕達が狙われる理由がないよ。仮に、誰かが依頼したんだとしても、それを受けるとは思えないし」
 それも、アン子の言う暗殺集団が拳武館なら、の話だ。誰かが何らかの怨みを持って暗殺者、またはその集団に暗殺依頼をする可能性だけは捨て切れない。
「龍麻の言うことも、もっともだな。本当なら、少しでも情報が欲しいところだが……遠野に話を聞こうにも居場所が分からん」
「それに、そのせいでアン子ちゃんまで狙われることになったら……」
「そこまでの情報を持ってれば、既に狙われてるよ。無事って事は、大事に至ってないって事だと思う。だから、僕達にできる事は、指定場所へ――」
「あら――まだ学校に残ってたの?」
 そこへ別の声。気が付くと、天野がこちらへと歩いてきていた。
「ふふっ、こんにちは、みんな。あら? 一人……足りないみたいね?」
 こちらのメンツを見て首を傾げる。天野のイメージでは五人一緒が当たり前なのだろう。以前、不動で出会った時もメンツが欠けていたのを見て不思議そうな顔をしていたのを龍麻は思い出す。
「いぇ、あの……京一は、今日、休みなんです」
「そうそう、あのバカ、食べ過ぎでお腹壊したって……ホントしょうがないヤツだからっ」
「そう……大したことないといいけれど」
 醍醐と小蒔の説明いいわけに、一瞬だけ片眉を上げた天野だったが、それ以上は何も言わなかった。恐らくこちらの違和感には気付いているだろう。
 まぁいいわ、と天野はこちらへ問いを投げかけた。
「ところで――杏子ちゃんって……最近、何をしてるの?」
「アン子ちゃん……ですか? あの、何でも東京の暗殺集団を取材するんだって、毎日走り回っているみたいです」
「そう……まったく、しょうがない子ねぇ」
 葵がそう言うと、やれやれとばかりに天野は嘆息した。思いっきり呆れているのがその表情から見てとれる。
「天野さん、遠野さんが何か?」
「三日くらい前にね、私の事務所まで来たのよ。その、暗殺集団の事で知ってる事があったら教えて欲しいって。もちろん、すぐ手を引くように言い聞かせたんだけど……私、もう気を失うかと思ったわ」
 はぁ、と再び溜息をつく。無理もないな、と龍麻は天野に同情する。だがそうはいかないのが事情を知らない醍醐達だ。
「そんなに大変なことなんですか?」
「もちろんよっ! ジャーナリストを一応でも名乗る者で、その存在と絶対の禁忌を知らない者はいないわよ」
「みんな……知ってるの!? それじゃあ公然の秘密ってこと!?」
「それに絶対の禁忌って……何のことですか?」
 珍しく口調の強い天野にたじろく醍醐。小蒔は驚き、葵は気になるのか続きを促す。龍麻は――無反応。
「……悪いけど、いくらあなた達の頼みでも、それだけは言えないわ。いいえ、関わっては駄目。いいわね、龍麻君?」
「ええ。その方が、みんなのためでしょう」
 念を押すように天野は龍麻に忠告した。そして、龍麻もそれを受け入れるかのような答えを返す。しかし天野はそこに違和感を覚える。まるで他人事なのだ。自分は知っても構わないとでも言った口ぶりだ。
「龍麻君……あなたももう子供じゃないんだから、少しは分かるでしょう? 世の中には、知らない方がいい事もあるのよ」
 少し勘違いして、天野は龍麻に説教をたれる。ただ龍麻は苦笑するだけだ。
「天野さん――実は僕達……その暗殺集団に狙われてるかも知れないんです」
「狙われてるって……一体どういう事なのっ!?」
 龍麻の発言に、天野はこれでもかと目を見開いて詰め寄ってくる。
「それが皆目。少なくとも僕達には心当たりがない。それで天野さんにあらためて訊きたいんです」
 天野の剣幕をあっさり受け流して龍麻は視線を鋭くした。
「東京に、某学校名を持つ組織以外に、同じような集団があるんですか?」
 ぼとり、と天野の肩からバッグが落ちた。明らかに動揺している。一介の高校生であるはずの龍麻の口から、あの組織の事が出たのだから無理もない。
「ちょっ……どうして龍麻君がそのことを知っているの!?」
「先程自分で言いましたよ? 知らない方がいい事もある、って。知りたいんですか?」
 そう言われて天野はぐっと堪えた。そう、知らない方がいい事もある。引き際を間違ってはいけないのだ。龍麻の口から何が飛び出すにせよ、自分が知っている以上の事に違いない。だからこその警告だ。
 だが、それでは済まない者達もいる。
「龍麻……やはりお前、何か知ってるのか!?」
「龍麻くん……」
「ひーちゃん! どうして今まで何も言わなかったのっ!?」
 醍醐達が、先程の天野と同じように龍麻に詰め寄ろうとするが、それを制したのは天野だった。
「待ちなさい、みんな。龍麻君の判断は、間違っていないわ。この件に関しては、それ相応の覚悟がいるの。それこそ、身内を巻き込む事も辞さない覚悟が」
 そう言われては醍醐達も引き下がるしかない。大人しくなったのを確認して、天野は龍麻を見た。
「で、さっきみたいな質問をするって事は、龍麻君も確信してるわけではないのね?」
「ええ。もし、某組織であるなら、今回の件はおかしいですから」
「なるほど……でも、先の回答だけれど、東京に……というか組織と呼べるほどの活動をしているのは、私の知る限り一つだけよ。すなわち――」
「拳武館、ですか……」
 苦虫を噛み潰したような龍麻の顔。あり得ないと思っていただけに、龍麻の心中はいかほどのものだろうか。
「天野さん。済みませんけど、みんなに天野さんが知ってることを教えてあげて下さい」
「いいの? さっきも言ったけど――」
「既に狙われてるんです。それに呼び出しも受けてます。対決は避けられませんから、だから……」
 ここまで来たら教えるしかない。それでも天野に任せたのは、必要最低限の情報しか与えないためだ。今回の件で死ぬつもりは毛頭無い。これからも生きていくのなら、余計なことは知らない方がいい。
(それに、一流クラスのジャーナリストがどこまで知っているのかもこれで分かるし)
「分かった。こうなったら、私の知っている事を、全て話してあげるわ。葛飾区にある私立拳武館高校――スポーツ、武術の推進校として名高い、その高校の裏の顔こそが、日本の裏社会を影から支配する、最強の暗殺組織なのよ。決して私利私欲では動かず、仁義と忠義の名の下に、社会の悪を裁く拳武館……けれど、私達ジャーナリストの立場から言えば、彼らは許し難い存在だわ」
 説明を始めた天野だったが、途中、その顔を不機嫌なものに変えた。どうして? と訊ねる小蒔に、天野は不機嫌さを隠そうともせずに続ける。
「確かに、暗殺の対象は悪人限定とされているけど、例えそうだとしても、彼らの《仕事》に関する報道は、決してしてはならない……その時だけは、誰もが真実を隠蔽し作られた記事を発表する……実際、拳武館の実体を暴こうとして記者生命を奪われた人も多いわ」
 真実を追い求めるジャーナリストにしてみれば、これが面白いわけがない。不機嫌になるのも当然だ。
 もっとも、真実を報道してしまえば色々と不都合が生じるのも事実だが。
「しかし……ということはその拳武館ってのは国家公認の組織ってことですか?」
「そうね。でも、その立場は対等――例え警視庁、防衛庁からの依頼でも、理に適わなければ突っぱねるって話よ」
 そう。本来ならそういう組織のはずなのだ、拳武館は。だからこそ、拳武館が自分達を狙うのは納得がいかない。
「でも、どうしてそんな人達がボク達なんかを狙うのかなあ?」
「そうよね。やっぱり、何かの間違いじゃないかしら……」
 小蒔と葵がそう思うのも、当然であった。
(拳武館が騙されているか……それとも、気付いていないだけで、僕達に裁かれるだけの罪があるのか……)
 狙われているのが事実である以上、龍麻は龍麻なりに推測を立てるが
「そう思いたいところだけど、もしかしたら――あの噂と関係あるかも知れないわ。最近、記者仲間の間で有名な話なんだけど、拳武館内部で不穏な動きがあるらしいの」
「不穏な動き、ですか? あれ程の組織が?」
「えぇ。内部分裂っていうべきかしら。少ない報酬と厳しい戒律によって支えられてきた禁欲的ストイックな体制に、反発する不穏分子が決起しつつあるらしいのよ」
 天野の言葉に耳を疑った。鳴瀧を頂点に、てっきり一枚岩だと思っていた拳武館で反乱などと、夢にも思わなかった。
「噂では、副館長が反対勢力の中心人物で、既に、館長の理念に反する仕事を勝手に請け負っているって話よ。もちろん、報酬の額優先でね」
「つまり、お金さえ貰えば何でもするってことだね」
「自分達が館長になり代わり、暗殺者達を思いのままに操って、莫大な富を手に入れるって魂胆だろうな」
 本来の姿とは正反対になりつつある、ということだ。小蒔も醍醐も驚くと言うよりは呆れていた。
「館長派と副館長派、か。拳武館が俺達を狙っているのだとしたら――果たしてどちらの勢力なんだ……?」
 伺うように醍醐は龍麻を見る。龍麻は少し考えて、言った。
「身に覚えがない以上、副館長派だと見るべきだろうね」
(依頼人に騙されたとは考えにくい。仕事の裏くらい取るだろうし。もしも僕達が裁かれる存在なら、亜里沙を人質に取ったりはしない。亜里沙自身が標的に含まれていたら分からないけど……あの鳴瀧さんが、そこまでするとは考えにくい。それにもし鳴瀧さんが受けたのなら……あの人自らが来る……そんな気がする)
 龍麻が暗殺対象になる、ということは親友の息子が人の道を踏み外したことを意味する。ならば、それを他人に任せることはないだろう。何より、龍麻の《力》を知っているのだ。莎草の時でさえあれ程慎重だったのに、人員をむやみに動員して余計な被害を出すとも思えない。
「でも、ということは誰か……法外なお金を支払ってまでも、私達を消したい人がいるということね。一体、誰がそんなことを……」
 葵の言う通り、自分達を殺して何のメリットがあるだろう? 《力》を持つとはいえ、たかが高校生だ。生きていると都合が悪いからこその暗殺だろうが、その意図が全く読めない。
「そうね……私の方でも少し調べてみるわ。拳武館を密かに追っている記者は東京にはいくらでもいるし、私、人脈にはちょっと自信があるのよ。あなた達のためになるのなら少しくらいの無理も――」
「駄目ですよ」
 協力を申し出る天野。しかしきっぱりと龍麻は断った。
「龍麻君……?」
「天野さんは、この件にはこれ以上手を出さないで下さい。後は、僕達の問題です」
「何を言っているの? 今は自分達の身の安全を最優先に――」
「仮に天野さんが調べたところで無駄です、時間がない。言ったでしょう? 呼び出しを受けているんですよ。それも、人質のおまけ付きで。だったら、天野さんこそ身の安全を第一に考えるべきです」
 これ以上の深入りは危険――そう言っているのだ。
「だから、天野さんはここまでです。色々と、ありがとうございました」
「……龍麻君がそう言うなら、仕方ないわね」
 苦笑いを浮かべて、天野は折れた。今までの経験上、龍麻がこう言った時に引き返さないと酷い目に遭うのが分かっているからだ。
「それじゃあ、四人とも。気をつけてね。身辺には十分注意するのよ」
 天野はそのまま去って行った。それを見送る龍麻達。
「天野さん、そう言えば何で真神ここに来たんだろう? 遠野さんの件、ってわけじゃないだろうし」
「さて、な。だが、今夜の件は、俺達だけで何とかしなくてはな。四人揃っていれば、きっと何とかなる……俺らしくないと思うかもしれんが今は……本当に、そういう気分だよ」
「うふふ、私は――いつも、そう思っているわよ」
「うん……ホントなら、《五人一緒なら》……だけどね」
 最後の小蒔の言葉で空気が重くなるかと思われたが、それを払拭したのも小蒔だった。
「な〜んて、弱気になっちゃダメだよねっ。こんな時は、パーッとラーメンでも食べに行こっ!」
「あぁ。もしも――もしも今、京一がここにいたら同じ事を言っただろうからな」
「そうね……それじゃあ、行きましょうか――」
 いつもの明るさを取り戻し、いつもの如くラーメン屋へ向かおうとする醍醐達。そんな中、一人だけが足を止め、腕時計を確認していた。
(今の時間を考えると、余裕はないな……)
「どうした、龍麻。行くぞ?」
「ん、ああ……悪いけど、僕は寄る所があるから、雄矢達だけで行ってよ」
 振り向いて促す醍醐に、龍麻は首を振って別行動を告げた。
「寄る所、って……どうしたのさ、ひーちゃん?」
「今夜までに、準備しておきたい物があるんだ。どうせなら、完璧な状態で臨むべきでしょ?」
「それはそうだけど……ボク達も手伝おうか?」
「いや、いいよ。じゃあ、そういうわけだから、また後でね」
 小蒔の申し出も断り、龍麻は戸惑う醍醐達を置いて行ってしまった。
「ねぇ、醍醐くん。今の龍麻くんから何か感じる?」
「いや……屋上の件の乱れもほぼ快復しているしな。特には感じないが……美里は何か気になるのか?」
「いえ……《氣》も鎮まってるし、心の方も大丈夫だと思うけど……」
 醍醐も龍麻と四神限定ではあるが、それなりに感情というものが読める――というか流れ込んでくる。それを今は感じない。つまりは普段の状態と大して変わらないということなのだが、葵は何かが気になるようだった。
 とは言え、確信できるほどのものを感じない以上、何ができるというわけでもない。
「今夜は――長い夜になりそうだな……」
 京一のこと、今夜のこと、そして龍麻のこと。それらを思い、やや不安を感じる醍醐だった。



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