「ちょっと、いつまであたしを閉じ込めとく気なのさっ!?」
 藤咲の蹴りが、金属製のドアに打ちつけられる。ガンという派手な音をたてはしたが、ドアの方は揺るぎもしなかった。
「京一は……京一とエルはどうしたのよっ!?」
「ちっ、またかよ、うるせぇなぁ」
 再び蹴りが叩き込まれる。ドアの向こうから、大儀そうな声が聞こえた。
「今頃どっちも、八剣さんの手に掛かってあの世行きだろうぜ」
「ケケッ、もしかして今頃は両方腹の中だったりしてなっ」
 ゲラゲラと大笑いする声。それが藤咲の神経を逆立たせる。
(京一……エル……)
 あの日――エルがいなくなった日。救急箱を取りに行き、京一と二人でエルの捜索をしていた藤咲は、約束の時間が近かった事もあって、最後に今自分がいる建物へと足を踏み入れた。ここも外れかと思ったが、幸運な事にエルはここにいた。エルが見つかった事を京一もとても喜んでくれた。そこまではよかったのだ。
 だが、そこにいたのはエルだけではなかった。エルを連れ去った張本人もまた、いたのである。学生服を着崩した、刀を持った男。八剣右近と名乗った男は京一に用があると言った。エルを晩飯に、とほざいた八剣にキれかかった藤咲だったが、更に八剣は京一を殺すと言う。勿論黙っている京一ではなく、その場で戦闘が始まった。
 しかし――結果は最悪であった。京一が負けたのだ。京一の実力はよく知っているし、別段八剣の方が優位であるようには見えなかった。だが京一は負けた。藤咲には何が起こったのか分からなかったが、どうやら予想のつかない攻撃を受けていたようだ。
(確か、鬼剄とか言ってたっけ……)
 八剣という男も《力》の持ち主だったわけだ。結局、その攻撃に京一は倒れ、藤咲はあっさりと囚われてしまったのである。
 それから五日。閉じ込められたままの藤咲の我慢も限界に達しようとしていた。
(いつまでもこんな所にいるわけにはいかない……龍麻達も心配してるだろうし、それに……京一とエルも捜さないと……)
 あれ以来、エルの声は聞いていない。京一に至っては自分の目の前で八剣の刃に掛かって倒れている。だが藤咲はどちらが死んだとも思っていない。きっと無事だ、そう信じていた。
(ともかく、こっから抜け出さないとね)
 元は何かの事務所だったらしいが、コンクリが剥き出しの無機質な部屋には窓一つ無い。出口はドア一つのみ。
(トイレと水道が生きていたのは幸いだったわね。一応食事は出されたけど、不味かったし……しかも縛られたままじゃろくに眠れやしない……寝不足はお肌の大敵だってのに……あぁ、美味しいもの食べて熱いシャワー浴びて、暖かいベッドで思う存分眠りたい……)
 ロープで縛られていると言っても、そう厳重にされているわけではなかった。五日もあれば、それなりのことはできる。
「……よしっ」
 色々な場所――流しの角やトイレのドアの金具――で同じ部分を擦り付けていたロープは、ようやく切る事ができた。
「鞭は取り上げられてるけど……ま、これでいいわね」
 切ったロープを手に取って《氣》を流し込む。鞭のように、とはいかないが外にいるチンピラ程度なら片付けることができるはずだ。八剣とやらがいると厳しいが、外の連中の会話から察するに留守らしい。
「よし、行くよ……」
 《氣》を込めたロープをドアに叩き付けようとしたその時だった。
 外が騒がしいのに気付く。外にいたチンピラが何やら言い争っているようだ。さてこれから、と思っていただけに、出鼻を挫かれる形になる。
(……どうしようかしら。これってチャンスなわけ?)
 不意を衝いてドアを破壊。牽制して一気に外へ飛び出す。問題はどれだけの敵が外にいるかだが――
 迷っている内にドアの向こうから聞こえる鈍い音と悲鳴。どうやら戦闘が始まったらしい。
「ええいっ、やってやるわっ!」
 現状をチャンスなのだと思う事にした藤咲は、ロープを振るった。《氣》によって強化されたロープの一撃は蝶番を壊し、部屋の向こうへと歪んだドアを吹き飛ばす。
 同時に部屋を飛び出し、そのまま逃走を図ろうとした藤咲。
 しかし、目の前に立つ細身の男と、その足下にいる一匹の姿を認め、その足を止めるのだった。



 足立区――地下鉄ホーム。
「静かだね……当たり前だけどさ……」
 どこか不安げな小蒔の声。特に大きな声ではないが、雑音のないせいか、嫌に大きく聞こえる。終電もすでに行ってしまった。葵達の足音だけが、人気のない薄暗いホームに響き渡る。
「ねぇ。ひーちゃん、どうしたのかな?」
 約束の時間になっても龍麻は集合場所に来なかった。仕方なしに醍醐達三人だけで、指定されたこの場所へとやって来たのだ。
「さて、な……何か気になることがあるようだったが……どうも様子がおかしかったな」
「ええ……天野さんに会った時から、何か思い詰めてるみたいだったわ」
 そう、どこかいつもの龍麻と違った。京一が行方不明になったことから精神が不安定になっていたのは、葵と醍醐にはよく分かっている。ただ、別れる直前の態度はどこかよそよそしかった。
「まぁ、龍麻には何か考えがあるのだろうが……」
 龍麻が逃げた、などとは微塵も考えない。だが……いや、だからこそ、今この場所にいないのが不安なのだ。
(先走っていなければいいのだがな……)
「ねぇ、醍醐クン。ボク達……絶対に負けないよね?」
「当然だ。例え相手がなんだろうと、俺達は必ず勝つ――」
 話していないと落ち着かないのだろう。小蒔の言葉に頷いて、醍醐がそう言った時だった。人気のないホームに鳴き声が響く。
「犬……?」
「まさか――!」
 その鳴き声の主に思い当たり、驚く醍醐達。そしてそれは自分達の前に姿を見せた。藤咲と、その愛犬エルだ。
「あんた達――!」
「フッ……よく来たね」
 そしてその背後から、学生服姿の細身の男が現れる。
「時間通り……だが、頭数が足りないみたいだね。醍醐雄矢、美里葵、桜井小蒔――緋勇龍麻はどうしたんだい?」
「貴様は一体何者だ!? 何の目的で俺達を狙う!?」
 怪訝な表情を見せる男に、醍醐が吼えた。並の男ならそれで竦み上がるのだろうが、男に動じた様子はない。平然と、切り返すが
「残念だが、僕には答える義務はない」
「ならば――もう一つだけ、訊こう。貴様ら……拳武館か?」
 次の言葉に、僅かだが表情を動かした。
「一介の、それも高校生がその名の真の意味を知ってるとは、賞賛に値するよ。もちろん――《死》という名のね」
 葵と小蒔はそれを聞いて身を竦ませる。敵は拳武館、それが確定したのだ。
「一名足りないが……まぁいい。約束通り、彼女は解放しよう」
 とん、と男は藤咲の背中を軽く押す。戸惑いつつも藤咲は歩き始めるが、途中で立ち止まり、男を見た。
「アンタ、どうしても醍醐達と闘うの? アンタ、ホントは――」
「勘違いをされちゃ困るな。彼ら四人――いや、今は三人を抹殺することが、僕の仕事だ」
 監禁から逃れようとした藤咲が遭遇したのは、傷の手当てをされたエルを連れたその男だったのだ。彼はそのまま、自分を逃がすと言ってくれた。最初は反発した藤咲だったが、エルの手当のこと、自分とエルを助けてもらったこともあって彼を信じる事にしたのである。
 男から京一をやった八剣達とは違うものを感じ取っていた藤咲は、何とかこの戦いを回避できないものかと考えていた。が、男の方にそれを譲る気は全くないようだ。しばらく無言で顔を合わせていたが、藤咲は諦めて身を翻し、醍醐達へと駆け寄った。
「藤咲サン!」
「藤咲! 大丈夫か!?」
「みんな……迷惑かけちゃったね。来てくれて、ありがとう……」
 身を案じる醍醐達。礼を言って藤咲は意識を男の方へ向ける。
「藤咲サン……ねぇ、京一は……京一はどうなったのっ!?」
 一緒にいたはずの京一の姿はここにはない。湧き上がる不安を抑えられずに小蒔は尋ねる。藤咲は顔を曇らせながら、首を横に振った。
「ゴメン……あたしにも、よく分からないんだ。でも、京一をやったのはあいつじゃない。お願いだよ、あいつとは闘わないで。あいつは……ホントは……悪い奴じゃない。あたしとエルを助けてくれたのは、あいつなんだ」
 藤咲とエルを助けた。その言葉に醍醐達は揃って男を見た。何を考えているのか分からないが、向こうはただこちらを見ている。少しして、男の方が口を開いた。
「君達がどう思おうと、僕のやる事は変わらない。例えどこへ逃れようとも、僕は必ず、君達三人を殺す――それが、拳武館というものだ」
 男の身体から蒼い光が滲み出す。話はここまで、ということだろう。その身に纏う《氣》はかなりのものだ。
(……厳しいな……かなりの手練れだ)
 男の《力》を感じ取り、醍醐は厳しい表情で一歩前に出る。
「戦う前に、名乗っておこう。僕は、拳武館の壬生紅葉。人を殺すしか――能のない男さ」
 男――壬生も一歩前に出た。激突の瞬間が迫ったその時
「ぎゃあっ!」
 他に人気のないはずのホームに、男の悲鳴が響き渡る。もちろんそれは、壬生のものではない。醍醐達の後方から聞こえてきたような気がしたが背後は階段があるのみ。そこには誰もいない
「ぐえっ!」
 次の悲鳴は先程よりも近くで聞こえた。続けて、いくつもの悲鳴が次々と上がる。それは確実にこちらに近付いてきており――
「げふうっ!」
 最後の悲鳴を上げた者と思しき影が、醍醐達の横、つまり、地下鉄の線路側から飛んできて、醍醐達と壬生達の間に転がった。血まみれの男は、目の前の壬生という男と同じ制服を着ている。つまりは、拳武館の人間だ。自分達を待ち伏せしていた者の一人だろう。だが、その男が何故、このような状態になっているのか。
 その答えは、すぐに自分達の前に姿を見せた。
「た、龍麻……!?」
 線路から一跳躍でホームへと上がってきたのは、龍麻だったのだ。
「ごめん、遅くなった」
 言いつつ、倒れている男を足で押し、線路へと落とす。呻き声が聞こえたという事は、生きてはいるようだ。
「龍麻、お前今までどこに……」
「悪いけど、話は後」
 醍醐にそう言い、龍麻の視線は壬生へと向けられた。そして
「久しいね、壬生」
「「「「――っ!?」」」」
 龍麻の言葉に、醍醐達の目が大きく見開かれた。それはそうだろう。自分達を狙う刺客と龍麻に面識があるなど思いもしなかったのだ。
「何ヶ月ぶりかな。もうじき一年になるか」
「約十ヶ月、かな。初めて会って以来だね」
「姿を見せないから逃げたかと思ったが……いや、君の性格なら、それだけはないか」
「……別に世間話をしに来たわけじゃないんだ。もちろん、君に殺されに来たわけでもない」
 手甲を着けた腕を眼前に持ち上げ、拳を作って龍麻。
「僕と殺り合うつもりかい?」
「他に、何がある?」
 龍麻も壬生も、既に戦闘態勢に入っている。いつぶつかってもおかしくない。
「龍麻! 京一をやったのはそいつじゃないんだよ! だから――」
「知ってる」
 藤咲が声を張り上げ、止めようとするが、龍麻は歯牙にも掛けない。
「今回の実行部隊の指揮は壬生じゃないからね。八剣とか言う男、でしょ?」
「……何故君がそこまで知っている?」
「それを今言うつもりはない」
 龍麻は壬生へと歩いて行く。壬生も同じく龍麻へと歩き始めた。
「君が僕に勝てるとでも?」
「あの時とは違う。僕だって成長するんだ。君に一方的にやられることだけは、ない」
「どうかな。あの時とは違って、今回は手加減をするつもりはない。死にたければ、かかってきなよ」
「そうさせてもらうよ、兄弟子殿」
 陰と陽、二人の龍は、同時に跳んだ。

「龍星脚!」
「龍閃脚!」
 《氣》を込めた蹴りがぶつかり合う。威力はほぼ互角――技の反動で一旦間合いを取る二人。
「ふん……やるね。確かにあの時とは違う」
「そう言う壬生は、こんなものだったっけ?」
 二人は同じ構えを取った。今度はじりじりと、間合いを少しずつ詰めていく。
「こんなものかどうか……その身で味わうんだね!」
「そのセリフ、そっくり返すっ!」
 先に壬生が動いた。華麗とも言える動作で蹴りを放つ。狙いはこめかみだったが、龍麻は一歩下がってそれを躱す。お返しとばかりに《氣》を込めた掌打を放つ龍麻。それは簡単に受け流され、壬生から反撃の蹴りが繰り出された。
(陰の技は足技中心、だったよね。別に同じ土俵で戦う必要はないか)
 蹴りを手甲で受け止め、手首を捻ってズボンを掴む。そのまま足に一撃を入れようと、もう一方の手に《氣》を乗せる。
「せえっ!」
 しかしその前に壬生の攻撃が来た。軽く跳び、もう一方の足で蹴りを放ったのだ。普通ならそれでお互いバランスを崩しそうなものだが、龍麻の腕力は急に掛かった壬生の体重を支えるに足るものだったし、だからこそ壬生の蹴りも比較的理想に近い形で龍麻を襲った。
「ちっ!」
 攻撃に使おうと思っていた掌打を迎撃に回し、蹴りを受け止める。そのままもう片方の足も掴み、放り投げた。無様に投げ出されることはなく、壬生は体勢を整えて着地する。
(……あの時の比じゃない……それだけの修練を積み、実戦を潜り抜けてきたか)
 かつて手合わせした時とは雲泥の差だ。その成長に驚き、また感心する。いや、修練の期間を考えると羨ましくさえあった。
(だが、僕も負けるわけにはいかない――っ!)
 真正面から壬生は龍麻へ向かう。
「昇龍脚っ!」
 十分な《氣》を乗せた跳り上げが龍麻の顎へと迫る。龍麻は上体を反らしてそれをやり過ごした。
(かかったっ!)
 完全に振り上げられた壬生の足。それが軌道を変え、今度は龍麻の頭上へと振り下ろされる。勿論、込められた《氣》はそのままに。
「龍落踵――っ!」
 もしも龍麻がこの技を初めて見たのなら、攻撃は決まっていただろう。
 ガッ!
 しかし勝利を確信した壬生が見たものは、両腕を交差して渾身の踵蹴りを受けきった龍麻の姿だった。
「ば、馬鹿な……!」
「いい線いってたけど……同じような技を何度か受けたことがあってね」
「僕はこの技を君に見せたことはないはずだ……っ!」
「そりゃそうだよ。僕が知ってるのは、この技そのものじゃなくて、蹴り上げから踵落としへのコンビネーションだからね。似たような状況に遭遇したことがあるからこそ、対応できた……そういうことだよ」
(沙雪姉との組み手がこんな形で役立つなんて、思わなかったけどね……)
 組んだ腕を、そのまま押し上げる。バランスを崩した壬生は後ろへ体勢を崩した。
「くっ……!」
 足に《氣》を込めた龍麻が間合いを詰めてくる。転倒だけは免れ、来るであろう蹴撃に壬生は備える。
 ドゴッ!
 だが予想は外れ、蹴りの代わりに来たのは足下から突き上げられるような衝撃だった。詳細は分からないが、龍麻は足を床に叩き付けたのだ。踏み抜かれたコンクリ製の床が陥没し、そこから無数のヒビを周囲に走らせている。その時に解放された《氣》が足下から間欠泉のように噴き上げた――そう推察できる。
 先の一撃で身体が宙に浮く。その隙を龍麻は見逃さなかった。槍の如き蹴撃が壬生の腹を捉える。《氣》こそ込められていなかったが、まともにそれを喰らった壬生は線路へと投げ出された。それを追って龍麻が跳ぶ。
 身体をレールに打ちつけ、一瞬息が止まるが、跳び込んできた龍麻の姿を認め、壬生は素早く起き上がった。迎撃の体勢を取ろうとするが、僅かに遅い。
 足下へ身を沈めた龍麻の足が、壬生の顎を突き上げた。その威力に壬生の身体が宙を舞い、背中を天井にぶつける。その蹴りの威力に驚く壬生だったが、その目が更に驚愕に見開かれた。自分を追って、龍麻も跳んでいたのだ。空中という不安定な場所にもかかわらず、龍麻の連撃が重く壬生の身体を打つ。
「秘拳――!」
 だがその攻撃すら本命ではなかったらしい。気がついた時には、壬生の身体は天井を向き、背を地面に向けていた。反撃しようにも蹴りを打てる体勢ではない。腕は既に極められており、受け身を取るのもこのままでは不可能だった。
「白虎ぉっ!」
 龍麻の膝が壬生の鳩尾に添えられた。もう一方の足で龍麻は天井を蹴る。自由落下以上の勢いを得て、二人の身体は流星の如く地面へと落ちていった。

「僕は……ごほっ……負けたのか――?」
 線路の上に寝転がったまま、呆然と壬生は呟く。口にはしたものの、分かり切っている。自分は龍麻に負けたのだ。
「手加減はしたよ。立てる?」
 側に立つ龍麻が手を差し伸べる。手加減、という言葉に一瞬むっとするが、それは事実に違いない。最後の技、秘拳・白虎といったか。あれの最後の一撃――膝が腹ではなく、首に添えられていたら、今頃自分は死んでいた。
 悔しいが、昔とは違う。今は龍麻の方が上なのだ。素直にそれを認めて、壬生は龍麻の手を取る。
「君は……おかしな人だ」
「何が?」
「僕はついさっきまで……君達を殺そうとしていた。それを……こんな風に気遣うなんて……」
「よく言うよ。最初からその気はなかったくせに」
 全体重を乗せた膝が鳩尾に突き刺さったのだ。呼吸するのもまだ辛そうだが、それでも立ち上がった壬生の言葉に、龍麻は口の端を吊り上げて見せた。戦っていれば分かる事だ。壬生の攻撃には、闘気はあっても殺気はなかったのだから。
「お見通し、か……だけど僕は、君達の仲間を――蓬莱寺京一を手に掛けた奴の仲間だ。それを……許す事ができるのかい?」
 自嘲めいた笑みを浮かべる壬生。しかしすぐ表情をあらためると、そう龍麻に問う。すると龍麻は冷静に切り返した。
「壬生は……京一の死を、その目で見た? 死体の処理をしたと、誰かから聞いた?」
「いや……僕はその場には居合わせていないからね。その後の処理の事までは知らない」
「そういうことだよ。死体をこの目で見るまで、死体の処理をした者が現れでもしない限り、僕は京一の死を認めない。だから、京一が生きている以上、壬生を許すとか許さないとか言うのはおかしいと思わない? まぁ、怒ってはいるんだけどね」
 京一の死亡疑惑が浮上した時の慌てようが嘘のようである。
「どうして、今回の件を……僕達の暗殺を引き受けたの? 薄々気付いていたんじゃないの? 今回の依頼が、拳武の意に反する事は」
「そこまでお見通しか……やれやれ、君達を試すつもりが、ここまで完敗とは……」
 肩をすくめる壬生。その態度に、醍醐が疑問の声をあげた。
「試す……? 一体、どういうことなんだ?」
「君達も既に知っていると思うが、拳武館が暗殺の依頼を受けるのは、法を通して裁かれることのない悪を裁くため――確かに君達は普通の高校生ではないようだけど、到底、裁かれるべき存在じゃない」
「やっぱり……鳴瀧さんの指示じゃなかったんだね」
「疑わしくとも命令である以上、従わざるを得なかったんだ。……君達は早くここから立ち去った方がいい」
 肩越しに、ちらりと背後を見る壬生。龍麻もその行為が意味するところに気付く。
「雄矢、気付いてる?」
「あぁ。他にも誰かいるな」
 醍醐に訊ねると、彼も理解しているらしく、そう答えた。やれやれ、と龍麻はホームへ跳び上がる。
「壬生。どうやらこれは……」
「あぁ。罠に填ったのは、僕の方だったらしい――」
 ホームに男の笑い声が響いたのはその時だった。
「これが拳武館最強の格闘家かっ……ザマはねぇなぁ、壬生」
 暗がりから現れたのは刀を持った男。その後ろからぞろぞろと、手勢も姿を見せる。
「八剣……」
「へぇ、これが?」
 壬生の呟きに、龍麻は目の前の男を見やる。剣呑な雰囲気を纏った、はっきり言えば「嫌な男」だ。
「アイツ――! アイツだよっ! 京一をやったのはっ!」
 藤咲が叫んだ。その《氣》が膨れ上がっていくのが分かる。恋人の仇とも言える男が目の前にいるのだ。無理もない。
「おうよ。俺様が蓬莱寺京一を仕留めた、八剣右近様よっ! ククク、あのボーヤには楽しませてもらったぜぇ」
「同じくおでは、拳武館の武蔵山太一でごわす。ぐへへ……情けないでごわすよ、壬生。たかが普通の高校生如きに拳武館が敗れるなど……恥さらしもいいトコでごわす」
 八剣が名乗り、続いて隣に立った大男も名乗って、壬生を見下す。しかしこの男、先の龍麻と壬生の戦いを見ていなかったのだろうか?
「それに……てめぇ、一体どういうつもりよ? 早くここから立ち去れ、だ? てめぇ、任務を放棄する気かよ?」
 嘲るような口調で、八剣は鋭い目を壬生に向ける。壬生の方も、龍麻達に対峙した時とは全く違う、厳しい表情でそれを受け止めていた。
「お前達こそどういうつもりだ? この仕事は明らかに館長の意志に反するものだ。何を企んでいるかは知らないが、今回のことは全て、僕から館長に報告させてもらう」
「クックック……そいつは無理ってもんだぜ。てめぇは今、ここで死ぬんだぜ? なぁ――裏切り者の壬生ちゃんよぉ……」
 さもおかしそうに八剣は嗤う。そして、手にした刀を抜いた。
「あんたは、八剣さんの部下を倒し、作戦のための人質を勝手に解放。その上、仕事を放棄し、標的を逃がそうとしたでごわす」
「拳武館の鉄の掟、局中法度を犯した者には、これ、最優先をもって、制裁を与えん――制裁、即ち――死だ」
 武蔵山のご丁寧な説明の後で、八剣はニヤリと邪悪な笑みを浮かべて見せた。その様子から察するに、今まで色々と溜め込んできたものがあるのだろう。
「壬生が……裏切り者?」
「そんな……どうしてそこまでして私達を?」
 藤咲は、自分を助けた事で壬生が処刑対象になる事に驚いたようだ。そして葵も、壬生がそこまでして自分達を助けようとした事に疑問を持った。
「例えどんな理由があろうとも、僕の信念に反する形で、一人の命を失ってしまった。その償いは……しなくちゃならない。緋勇龍麻……いや、緋勇君――この場は僕に任せて、君達は行ってくれ」
 彼なりのけじめの付け方なのだろう。壬生はホームに上がって、龍麻達と八剣達の間に立つ。だが龍麻はそれを良しとはしなかった。
「何を馬鹿な事を。ここで連中を野放しにしたら、話にならないじゃないか。それに、いくら壬生でも、身体にダメージが残ったままだと連中全ての相手は厳しいでしょ?」
「君達……死にたいのかい?」
「ボク達は……死なないよ」
 呆れ気味の壬生にはっきりと、小蒔は言い切った。
「京一の仇を討つまでは――絶対にね!」
「桜井の言う通りだ。俺達は今、そのためだけに、ここにいるんだからな」
「クククッ、勇ましいこったなぁ」
 だが、小蒔と醍醐の決意も八剣には好都合なようだ。
「まぁ、こっちとしても逃がすつもりはねえけどな。俺たちの任務は、残りの標的四人と裏切り者一名の抹殺だ」
「グヒヒヒヒッ。ここで壬生を殺れば、副館長のおでらに対する株も上がるでごわす」
「貴様ら……館長の義に背く気か!?」
 ここで初めて、壬生が怒りを露わにした。彼の館長に対する忠誠は相当なもののようだ。しかしそんな壬生を八剣は鼻で嗤った。
「ケッ、仁義だ忠義だって……くだらねぇんだよっ! 俺様はなぁ、血が見れりゃそれでいいのさ。泣き叫び、助けを請う奴らを嬲り殺すのがたまんねぇのよ。それに、副館長の方が、待遇も金払いもいいしな。人間、誰だって、くだらねぇもんに縛られてくより、楽しい方がいいに決まってる。なぁ、そうだろ?」
「……まさか、拳武にこんなのがいるとは思わなかったよ、壬生」
 同意を求める八剣。龍麻はそれを指さして、壬生に言った。八剣達の事を拳武の汚点だと暗に言われて苦笑いしている。
「ま、いいけど。いずれにせよ、僕もこいつらを野放しにする気はないし」
「壬生みてぇなこと言いやがって……てめぇみてぇな奴を見てると虫酸が走るぜっ!」
「そう? それはお気の毒。でも、一つ尋ねるけど、結局、今回の件は壬生を抹殺するために最初から仕組まれてたって事?」
 八剣の壬生へのこだわりは少々おかしい。確認の意味で龍麻は尋ねる。
「あぁ、その通りよ。全ては――目障りな壬生を潰す為の口実さっ! いつか、ブッ殺してやろうと思ってた俺様には、またとない絶好のチャンスだったってことよ」
「それじゃあ、もしかしてボク達のことも、その副館長が……!?」
 壬生の抹殺。その口実作りの為に、自分達をわざわざ標的に仕立て上げた。そう小蒔は思ったのだろう。だが八剣はそれを否定する。
「いいや、それは違うぜ。てめぇらが何をやったかしらねぇが、法外な金額を払って、てめぇらの始末を依頼しに来た奴がいることは事実だ」
「依頼の最優先事項は、緋勇龍麻の抹殺でごわす」
 暗殺者二人の、壬生の、そして醍醐達の視線が一斉に龍麻に注がれた。
「僕の抹殺が、最優先?」
 例の声の件もある。龍麻自身、標的になっているのは自分だけではないのか……そう考えた事があった。だが、龍麻の予想は外れたようだ。ただ、それを依頼したのが誰なのか、何故自分が最優先であるのか、という疑問は残る。それについては素直に話すとも思えないが
「おでも驚いたでごわすよ。妙な色の学生服を着た男が――」
「武蔵山――っ! 依頼主の秘密厳守は基本だろうがっ!」
 予想に反して武蔵山は得意げにそれを語り始めた。厳しい声でそれを叱責する八剣。何とも間抜けな話だが、これで僅かながら情報が入った。
「ふっ……こんな無能な奴を重要な任務につけるとは――副館長の無能ぶりが、手に取るように分かるな」
「同感。無能なだけに人材もろくなのが揃わなかったんだね」
「だ……黙れ、壬生っ! それにてめぇもだっ!」
 壬生と龍麻の毒舌に、八剣は刀の切っ先をこちらに向けて怒鳴る。
「とにかく、こっちは任務を果たさなけりゃ金が入らねえからな。緋勇龍麻の抹殺を、優先させてもらうぜっ!」
 八剣の身体から紅い光が滲み出る。
「まずはてめぇから死にな。蓬莱寺京一を殺したこの技……この俺様の鬼剄でなっ!」
「鬼剄……?」
「いけない――!」
 八剣の《氣》が龍麻に向けて放たれた。その前に壬生が身体を割り込ませる。練り上げた《氣》を蹴撃に乗せ、壬生も同様に《氣》を放った。互いの《氣》がぶつかり、打ち消しあう。
「壬生……そうか、今のがてめぇの剄か……」
「あまり、図に乗らないことだ、八剣。鬼剄と言えど、発剄は発剄――同じ剄を持って相克するくらい、造作も――!」
 ザンッ!
「うっ!?」
 壬生のセリフは、本人の苦痛の呻き声で止まった。見ると壬生の学生服の右肩が裂けている。そこから腕を伝い、コンクリの床に落ちる――血。
「この技だよ……この技で、京一は……!」
(なるほど……《氣》による死角からの攻撃……だからか)
 目の前で起きた出来事と、藤咲の声に龍麻は納得する。初見の技、しかもそれが死角から襲ってくるのだ。さすがの京一も、それには抗しきれなかったのだろう。もしくは初撃で大きなダメージを負って次撃以降に反応できなかったか、だ。
「クククッ、てめぇこそ図に乗るなよ、壬生。俺様の鬼剄はただの発剄じゃねぇんだぜぇ?」
「クッ……」
 傷口を押さえ、壬生は片膝をついた。思ったよりも傷が深い。
「み……壬生クンっ!」
「無理をしては駄目よ!」
 小蒔と葵は駆け寄ろうとするが、壬生は左腕を持ち上げてそれを制し、立ち上がる。
「僕なら……大丈夫だ……緋勇君……怪我はないか?」
「うん。でも、君はこれ以上無理をしない方がいい」
 出血は止まることなく続いている。このまま放置していていいはずがない。応急処置だけでもしておかないと命に関わる可能性だってある。
「とにかく、退いて傷の治療をするんだ」
「いや……僕は……例えこの命に代えても、君達を護る――それが僕の……あの方への忠義だっ!」
 下がるように勧める龍麻の言葉に耳を貸さず、壬生はギリと歯を食いしばり、八剣を睨みつけた。
「そんな……こんなことするなんて、アンタ、馬鹿だよ。なんだか……京一みたいじゃないか……」
 呆然と呟く藤咲の声。京一が八剣にやられたときのことを思い出したのだろう。その顔には悲しみの色があった。声は聞こえたのか、壬生は苦笑して藤咲を見る。
「もしも、できることなら……その馬鹿な君達の仲間に、僕も……会ってみたかったよ……」
 そこまで言って、再度壬生は膝を折った。
「葵さん、壬生の治療を!」
 後ろに声を掛け、龍麻は壬生をかばうように前に出た。それを憎々しげに八剣が見ている。
「ケッ、気に入らねぇな……どこまでも、良い子ぶりやがって! いいだろう、そんなに死にたいなら、望み通りにしてやるよっ!」
「させるかっ!」
 八剣が鬼剄を放つ。前方に踏み出して、龍麻も発剄を放った。しかし、相殺の手応えはない。本命の鬼剄は、そのまま前に出た龍麻ではなく、壬生へと襲いかかった。今の壬生にそれを避ける術はない。このままその一撃を受けてしまうと誰もが思ったその時、別方向から放たれた《氣》が、八剣の鬼剄とぶつかり、消えた。
「さっきの《氣》は……鬼剄……なのか!? 俺様の他に、一体誰が――!?」
「鬼剄とは――殺意より成る陰の発剄――」
 驚愕の表情を浮かべる八剣。それに応えるように、龍麻達の後方から声が聞こえた。忘れるはずのない声。ここ数日、聞くことの叶わなかった声だ。
「誰でごわすかっ!? 姿を見せるでごわす!」
「うるせぇんだよ、デブ! 黙って聞いてろっ!」
 騒ぐ武蔵山を一喝して黙らせ、解説は続く。
「いいかぁ、八剣? てめぇの鬼剄って技は、腰の捻りに蓄剄した殺意を、順停止法から円転合速法へと繋ぎ、一度に数発以上……それも、回転によるカーブをかけて相手の死角へと放つ技だ」
「て、てめぇ……どうしてそこまで……!」
「同じ技を何度も受けたんだ……それに俺だって《氣》を使う人間だぜ。大体のところは把握できたさ。自分でやるにはまだ荒削りだけどな。いずれにせよ、てめぇの技はもう見切ったぜ」
「この声……」
「まさか――!」
「本当に……? 本当なのね……!」
「京一っ!」
 龍麻を除いて後ろを振り向く醍醐達。彼らの目に映ったのは、紛れもなく行方不明だった蓬莱寺京一だった。
「蓬莱寺京一、見参! ってな。へへっ、遅くなってわりぃな」
「京一ぃっ!」
 大して悪びれた様子もない京一に、藤咲が駆け寄り、抱きついた。
「バカッ! 一体、今までどこで何してたのさっ!? あたしが……あたしがどれだけ心配したと思ってんのっ!? あの時は……ホントにもう、駄目かと思ったんだからっ!」
「……わりぃ……色々あってよ。でも、話は後だ。心配掛けて済まなかったな、亜里沙」
 さすがにいきなり抱きついてくるとは思わなかったのだろう。京一は一瞬戸惑ったようだが、涙ぐむ藤咲を軽く抱きしめると、身体を離して龍麻の側まで歩いていく。
「よっ、ひーちゃん。元気だったか?」
「遅い」
「……悪かったよ。だから、泣くな」
 京一は明るく声を掛けるが、龍麻はこちらを見ようともしない。その肩が僅かに震えているのに気付いて、京一はポンポン、とその肩を叩く。
「君が……蓬莱寺京一……?」
「あぁ、そうさ。誰かは知らねぇけど――俺の代わりに俺の大切なもんを護ってくれて、ありがとよ……」
 蹲ったまま見上げてくる壬生に、京一は優しい笑みを浮かべて礼を言った。それにつられるように、壬生も笑みを返す。
 一方、喜びに沸く龍麻達とは対照的なのが八剣だ。仕留めたはずの標的が目の前に生きて現れたのだ。彼にとっては悪夢だろう。
「てめぇ……てめぇはこの俺様の鬼剄を喰らって、死んだはずじゃあ……」
「ケッ、何言ってやがる。暗殺者のくせに、とどめも刺さねぇなんて、間抜けもいいとこだぜ。まぁ、てめぇが自信家の大バカ野郎だったお陰で、助かったけどな」
 切っ先を八剣に向け、フンと鼻を鳴らす京一。先程の優しい笑みはなく、相手を馬鹿にするような笑みを浮かべている。壬生も、それに便乗した。
「フッ……もし、それが本当なら、お前の方こそ任務遂行の掟に反したことになるな、八剣」
「クッ……クソッ! てめぇら……てめぇら……調子に乗るんじゃねぇっ! 一人も生かしちゃ帰さねぇ。この俺が、皆殺しにしてやるっ!」
「ぐひひっ! 皆殺しいぃぃぃっ! おでらの邪魔をする奴は、許さんでごわすよぉっ! ぐひひひひ。貴様ら全員、死ぬでごわすっ!」
 八剣が、武蔵山が《氣》を解放する。控えていた拳武館の刺客達も、龍麻達を包囲すべく動き始めた。
「いくらてめぇらが足掻こうが、拳武館を敵に回した以上、死以外の道はねぇ! 覚悟するんだなっ!」
 ここで逃げても無駄だ、と言いたいのだろう。それでプレッシャーを掛けているつもりなのかも知れない。今の拳武館は、館長不在の為に副館長が仕切っている。ここで龍麻達を殺せば、どうとでも誤魔化せると考えているのだろうか。
「拳武館、ねぇ……そんなものはないよ」
 薄い笑みを作り、龍麻は八剣に憐れみの視線を向けた。
「何だと……?」
「拳武館はもうない、と言ったんだ。副館長派にとっての拳武館はね」
「ど、どういうことだ、龍麻?」
「ここに来る前に、殲滅してきた」
 意味が分からず問う醍醐に、龍麻は事実だけを簡単に述べた。それに驚いたのは醍醐達だけではない。八剣達は勿論、壬生も目を丸くしている。
「現在、副館長派の戦力は、ここにいる者達だけ。つまりここで全部ケリが付くってことだね」
「な、何を馬鹿なことを……」
「本当だよ。学校にいた兵力は全員病院送りにした。お前達の後ろ盾は、もうない。そして、お前達は僕らに勝てない」
 パチン、と龍麻は指を鳴らす。すると、線路側から新たな人影が姿を見せた。
「やれやれ、ようやく出番か」
「このまま出番がないままかと思ったよ」
「ま、その方が楽やったけどなぁ」
 紫暮、如月、劉の三人だ。龍麻と一緒にここまで来て、今まで待機していたのだろう。
「さぁ、こっちの準備は整った。そろそろ始めようか。今日も学校があるんでね、いい加減に終わらせて帰らないと、遅刻しちゃうから」
 龍麻の放つ《氣》が大きくなっていく。それはプレッシャーとなって八剣達を襲った。
「そろそろ、覚悟を決めてね――散っ!」
 龍麻の号令を受け、京一達近接戦闘要員は一斉に拳武館の刺客へと向かっていった。



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