「さて、壬生。もうそろそろ動ける?」
 葵の《力》で治療を続けている壬生に声をかける。完治には時間がかかるが、戦闘ができるくらいにはなっているのか、そういう意味での問いだ。
「あぁ……このくらいなら、支障ない。すぐにも戦えるさ」
「結構。それじゃ、そろそろ行こうか。葵さん、援護よろしく。小蒔さんは無理に攻撃しないでいいよ。この場所でこの乱戦だから、弓は勝手が悪いし。亜里沙はここで二人を頼むよ。兵庫、一人を葵さん達の護衛に! 劉は翡翠と敵の攪乱! 雄矢は雑魚の掃討と、京一の為に八剣までの道を開く!」
 久々に自分主導で指示を出し、龍麻は壬生を伴って戦線へ突入した。目の前にいるのは図体のでかい武蔵山。
「二人まとめて始末してやるでごわすっ!」
 《氣》を纏わせた張り手を放ってくる。だが――遅い。
 真正面から龍麻は龍星脚を打った。武蔵山の手首が折れ、張り手はあらぬ方へと軌道を変える。その龍麻の背後から壬生が跳び、蹴りを顔面に打ち込んだ。
 躍起になって武蔵山は腕を振り回す。その体躯と腕力だ、当たれば致命的なのだろうが、龍麻も壬生も、どちらかというとスピード重視の一撃離脱型。武蔵山の攻撃は掠りもしない。素早い動きで翻弄し、次々と攻撃を叩き込んでいく。
「図体がでかいだけあって、しぶといね、やっぱり」
「だったら、一撃でケリをつけるさ。昔の感覚、壬生は覚えてる?」
 龍麻の問いに、壬生は怪訝な表情を作った。
「だから、初めて組み手した時のこと。《氣》の共鳴」
「……あれか。覚えてはいるが」
「ぶっつけ本番だけど……できるよね?」
 何をどうするとは一言も言わない。だが壬生には何故か龍麻の意図するところが理解できた。ふっ、と不敵に笑ってみせる。
「足を引っ張らないでくれよ」
「言うね。じゃあ、行くよっ!」
 一旦武蔵山の正面で合流し、同時に二人は進み出た。そしてその間合いに入る前に左右に跳ぶ。どちらを追うべきか武蔵山は迷った。その迷いが、龍麻達には絶好の好機となる。
 一気に懐へと飛び込むと二人は武蔵山の膝を蹴り抜いた。骨を砕かれ、その巨体を支えきれなくなってみっともなく尻餅をつく。
「陰たるは、空昇る龍の爪……」
 壬生の身体から《氣》が解放された。
「陽たるは、星閃く龍の牙……!」
同じく龍麻も《氣》を放つ。二つの《氣》が絡み合い、武蔵山を取り巻く。
「「秘奥義・双龍螺旋脚!」」
「プギェェェェェッ!」
 二人の蹴りが炸裂し、放たれた《氣》が螺旋を描いて武蔵山を吹き飛ばした。

「さーて、と。こっちもそろそろケリつけようじゃねぇか」
 雑魚の相手は仲間に任せ、京一は八剣の相手をしていた。とは言え、こちらの勝負も着いたようなものだ。余裕の態度の京一とは裏腹に、八剣の方は額に汗など滲ませている。
 先程から何度も斬り結んでいるのだが、決め手に欠けていた。今の八剣に切り札はない。鬼剄は既に見切られているのだ。
「ふざけんじゃねぇっ!」
 八剣が斬りかかる。余裕で、とはいかないが京一はそれを受け止めた。
「どうしたよ? この間、俺をぶちのめした時の余裕はよ?」
「うるせぇっ!」
 完全に頭に血が上っている。攻撃も次第に大雑把になってきた。一度とは言え、こんな男に負けたのかと思うと情けなくなってくる。
(ま、そのお陰で色々考えることもできた。鬼剄も使えるようになったし、悪いことばかりじゃねぇか……)
 そんなことを考えていると、背後で大きな《氣》が動いた。一つは龍麻の、そしてもう一つは名前も知らない男のものだ。
「へぇ……いきなり方陣技かよ。やるじゃねえか」
 まさか、目の前にいる男と同じ拳武館の暗殺者だとは思わず、そんなことを呟く京一。もう八剣のことなど眼中にない。
「むかつく野郎だったけどよ、これまでだな」
 鍔迫り合いをしたままで、京一は《氣》を練り上げる。膨れ上がる《氣》に八剣は怯み、後ろへと退いた。
「これで決めてやらあっ!」
 正面から青眼に、京一は刃を振り下ろした。迫り来る《氣》の奔流に八剣は身構える。が、正面の《氣》はすぐに霧散した。
 京一が何をしたのか――気付いた時には既に遅く。
 死角から襲いかかった数発の剄をまともに喰らい、八剣は前のめりに倒れる。
 その時には、二本の足で立っている拳武館の刺客はいなかった。


「この俺様が……この俺様が……負けた、だと?」
 自らの得意技であった鬼剄で勝負を決められた八剣は、己の敗北を認められないのか、何やらブツブツと呟いている。
 そんな彼の前に、壬生が歩み出て見下ろし、冷たい声で告げる。
「八剣、仮にも《拳武》を名乗る人間なら、往生際くらい見極めたらどうだ」
 既に拳武の戦闘員は全滅している。これ以上は抗ったところで意味はないのだ。
「や……八剣さんっ! どうするつもりでごわすかっ!? このままじゃ、殺されるでごわすよ!」
 膝を破壊され、這うことしかできない武蔵山が、それでも八剣に近付いて、言った。八剣は、何も答えない。
「いやだ……おでは死にたくないっ! そっ、そうだっ! おでは騙されていただけでごわす。悪いのは全部、副館長と八剣さんで……おでは何も――」
 見苦しく、武蔵山は言い訳を始めた。それが嘘であることは誰の目にも明らかであるし、それが事実だとしても、ここまでのことをしてしまった後では処罰は免れないというのにだ。
 そして、それが武蔵山の最後の言葉となった。
「うるせぇっ!」
 叫ぶと同時に八剣は鬼剄を放ったのだ。これには誰もが驚き、武蔵山は為す術なく鬼剄をその身に受け、絶命した。
「八剣……貴様、何て事を!」
 仲間を平気で手に掛けた八剣に、醍醐は怒りを露わにする。八剣は、刀でその身を支え、よろよろと起き上がった。
「ク……ククク……そうだよなぁ、この俺様が負けるなんて、そんな事があって、いいはずねぇよなぁ……ククク……ハーッハッハッハッハッ!」
「憐れだな、八剣」
 刀を手にしたまま、京一は八剣に憐憫の眼差しを送る。
「己の負けを認められないヤツにゃ上も先もありゃしねぇ。このままじゃ、てめぇは一生、負け犬のままだぜ……」
「ククク……てめぇら、何もわかっちゃいねぇな」
「何――?」
 八剣は動じた様子もなく、クククと笑う。その態度に、京一は何かを感じたのか身構えた。
「てめぇらは一体何のために、剣を――拳を振るう? 護るためか? それとも斃すためか?」
 その身に《陰氣》を纏い、八剣はそう問いを投げかけてくる。
「そうじゃねぇだろ? 己自身の強さを確かめるためじゃあねぇのか? なぁ、壬生……?」
「……」
「お前はもともと、俺と同じ側の人間のはずだ。それから蓬莱寺京一、醍醐雄矢――緋勇龍麻――お前らもな……所詮、俺様たちは同じ穴のムジナだってことさ」
「てめぇ……何が言いてぇんだよっ!?」
 要領を得ない八剣の態度に京一が怒鳴る。
「ククク……もうすぐこのくだらねぇ世界は終わる……あの男が俺様に言ったのさ。もうすぐ――この世は、修羅が生きるに相応しい常世の煉獄に変わる、とな……」
「あの男……? まさか、僕達の暗殺を依頼した男の事?」
「ククク……いいじゃぁねぇか……この俺様に、お似合いの世界じゃねぇか……なぁ、そうは思わねぇか?」
 龍麻の問いには答えずに、八剣はおかしそうに笑い続ける。気でも触れたかと思われる態度だが、その目に宿る光は変わらぬままだ。
「逃げられると思っているのか? 八剣。拳武館を裏切れば、お前は一生追われる身だ」
「ククククク……俺様は選ばれたんだぜ? 新しい時代にな……てめぇらの中の《修羅》が目覚める日を、楽しみにしててやるぜ……てめぇらが、同じ側に来る日をなぁ……ククク……アーッハッハッハッハッハッ!」
 最後に一際大きく笑うと、八剣は大きく後ろに跳んで、警告を発した壬生に鬼剄を放った。
「ちっ!」
「させるかよっ!」
 身構え、壬生が回避行動をとる前に、京一が発剄でそれを弾き飛ばす。その隙に八剣はホームを駆け出し、逃走を試みる。
「いかん……逃げるぞっ!」
「小蒔はん、弓やっ!」
「え、えぇっ!?」
「くっ、届くかっ!?」
 紫暮と劉が叫び、小蒔は突然の指名に戸惑う。同じく飛び道具を持っている如月が手裏剣を取り出したが、一つの影が目にも止まらぬ速さで飛び出した。
「逃がすわけにはいかない……お前には聞きたい事がある」
 一瞬にして八剣の正面に回り込んだのは龍麻だった。
「僕達の暗殺を依頼した奴について、洗いざらい話してもらおう。そうすれば、拳武に口を利いてもいい」
「緋勇君。いくら君の立場でも、拳武の掟に介入する事は許されはしない。八剣に待つのは死という名の制裁だけだ」
 呆れ気味に龍麻の言葉をたしなめる壬生。
「そいつについての情報は、副館長を締め上げれば入手できるはずだ。別に八剣にこだわる必要はないだろう」
「だけど、こいつは直接その男と話をしてる。姿形だけでなく、そこから何かしら感じたものがあるかも知れない」
 先程の世界が終わるだの何だのといったのは、その依頼主のはずだ。龍麻はその正体を確かめたかった。ただの人間であるはずがない、その考えからだ。
「さぁ、どうする?」
「決まってるだろうが……答えは――これだっ!」
 聞く耳持たず、ということだろう。八剣は鬼剄を放った。
(技に溺れる、っていうんだろうな……)
 今まで何度この技を見ただろう。京一には見切られている技だし、何より鬼剄は相手の虚を衝く事にその真価がある、龍麻はそう感じていた。だから、死角から攻撃が来る事が分かっていては、何の意味もない。
 右手に炎《氣》を生み、自分を囲むように解放する。炎の障壁が、鬼剄をことごとく阻み、打ち散らした。
「タネの分かった手品みたいなものだよ。これじゃあ、僕は殺せない」
「だ、黙れえっ!」
 再度刀を振りかぶる八剣。だが今度は龍麻の方にも動きがあった。
「ぎゃあぁぁぁぁっ!」
 八剣の絶叫が、ホームに、そして醍醐達の耳に嫌でも響く。
「ひ、ひーちゃん……」
 京一の掠れた声が聞こえた。彼の目の前に、信じられない物がある――刀を握った、八剣の腕だ。八剣とすれ違ったと思ったら、それが龍麻の手の中にあったのだ。
 龍麻が何をしたのかは誰の目にも見えなかった。ただ、龍麻の右手には、鬼道衆との闘いを経験した者に見覚えのあるものがある。金色に輝く《氣》だ。拳でも、掌打でも、手刀でもない。八剣の腕を掴んだその手は、かつて龍麻が見せた金色の龍の顎を連想させる。まさに龍のひと噛み――あんなものをまともに喰らえば、人の身体など簡単に風穴が空く。
(この《氣》は……やはり、龍麻の《力》は俺達と何か関係があるのか)
(《力》が高まっている。どうやら、次第に自分の《力》を自覚しているようだね……)
 四神の二人は、その《力》を目にして声も出ない。他の者達も龍麻が取った行動に、別の意味で言葉が出なかった。
「これでもう、二度と剣は使えない。逃げたところで、お前の望む世界で生き抜く事はできないよ」
(まだ未完成なのに、まさかここまでの威力があるなんて……やっぱり、旧校舎以外で技を試すものじゃないな……)
 自分でした事にやや顔を蒼くしながら、龍麻は蹲る八剣を見下ろした。
「それとも、もう一本無くならないと諦めがつかない?」
「て、てめぇ……っ!」
「もう一度言う。依頼主について全ての情報を吐け」
 ここまで龍麻がこだわるのは少しでも敵の情報が欲しいからだ。前回の鬼道衆のように、組織も、その目的も皆目分からず、手掛かり一つ無い。あるとすれば、自分達がそいつにとって目障りになったのだろう、ということくらいだ。だがその一方で、自分に干渉するという行動も見られる。
 龍麻は焦っているのだ。また同じような干渉を受けた時、そしてそれが仲間に及んだ時、何が起こるか――
「わ、分かった……」
 ようやく八剣は折れた。その目に反抗的な光はない。何をしても無駄、そう悟ったのだろう。
「あ、あの男の特徴は……」
 だが、それ以上が語られる事はなかった。
「な……っ!?」
 突然、龍麻の視界が紅に染まった。生暖かい血が龍麻の身体を濡らす。
「ひーちゃん!」
「龍麻っ!?」
 京一達が慌てて龍麻に駆け寄った。彼らの目には、八剣と龍麻がいきなり血を噴き出したように見えたのだ。
「ひーちゃん、無事かっ!?」
「う、うん……僕の方は傷一つ無いけど……」
 龍麻は足下の八剣だった「もの」に視線を移す。一応、それが人間だったものだとは判別がつくが、一見するとただの肉塊に過ぎない。
「一体、何があったんだよ?」
「よく分からないけど……《氣》の刃。とんでもなく鋭い《陰氣》の刃が無数に八剣へ降り注いだように見えた。鬼剄を数段強力にしたら、あんな感じになるんだと思う……」
「また鬼剄かよ……殺ったヤツは見たのか?」
 京一は訊ねながらも周囲に注意を向けている。だが、それらしい気配は感じない。恐らく、既に逃走した後だろう。
「いや。でも……向こう側の出口から放ったにしても、かなりの距離がある。それを平然とやってのけたって事は……正直、戦いたくない相手だね……」
 結局、相手の正体は分からずじまい。情報源の八剣は口を封じられてしまった。わざわざこういう行動を取ったということは、恐らく副館長の方にも手が回っているはずだ。
「結局、収穫なしか……」
 大きく溜息をつき、龍麻はハンカチを取り出して、顔に付いた返り血を拭き取った。



「終わった、な……」
「あぁ……これでようやく、ケリがついた。まぁ、後味が悪いがな」
 駅を出て開口一番、京一はしみじみと呟いた。醍醐も苦い顔で頷くが
「まぁ、それはそれとして、だ」
 がしっ、と京一の首にその太い腕を回した。
「一体、今までどこで何をしていた!? 俺達が、一体どれだけ心配したと思っているんだ!?」
「そうだぞ、蓬莱寺。俺達は今日龍麻から聞いたが、今まで音沙汰なしというのはどういうことだ?」
「全く……もう少し事の重大さを理解して欲しいものだな、蓬莱寺君」
「そやそや。アニキ達に余計な心配かけるもんやないで」
 今日になって事の次第を聞かされた援軍三人はそう言って京一を小突いた。
「お、おいおい……何言ってんだよ。この俺が……そう簡単に死ぬわけがねぇだろ? まさかみんな、俺が死んだなんて思ってたんじゃねぇだろうな?」
 醍醐のチョークで顔色を変えながらも、京一は抗議した。だが、そんな彼を見る目は冷たい。
「もうっ、帰って来るなり調子いいこと言っちゃって!」
「京一くん、本当にみんな、心配してたんだから。特に……」
 小蒔も紫暮達に倣い、京一をどついた。葵は直接手は出さなかったものの、表情を曇らせて龍麻に視線を移す。
「あ……」
 ここに至って、京一は肝心な事を思い出したらしい。仲間が行方不明――それも死亡説までが浮上した今回の件だ。京一の顔が、みるみる蒼くなっていく。
「ま、まさかひーちゃん……お前……」
「いや……とりあえず、そこまでは至ってないけど……まぁ、僕の事で葵さん達に迷惑をかけたことは事実だよ」
「あー……その、すまんっ!」
 素直に京一は頭を下げた。ここで醍醐は腕を放す。龍麻は京一の前へと歩み出た。
「……弁解があるなら聞くよ?」
「いや……今回については、何も言わねぇ……色々あったのは確かだけど、心配掛けたのも事実だからな」
「分かった……京一、目を閉じて」
 京一は目を閉じた。
「足は肩幅、背筋を伸ばして、顎を引いて、歯を食いしばる」
「……で、できればお手柔らかにな。首をもいだりはしないでくれよ……」
 震える声でそう言って、大人しく指示に従う。そして――
 がちゃん
 結局、京一が覚悟していた衝撃は来なかった。その代わりに、首に何かが巻き付いたのを感じる。恐る恐る目を開けてみると
「……って、何だよ、こりゃあっ!?」
「もちろん、見ての通りの首輪」
 京一の首には、首輪が装備されていた。勿論鎖に繋がれており、ご丁寧に《KYOITI》とプレートが付いている。
「はい、亜里沙」
 龍麻は鎖の端を藤咲に渡す。如月は笑いをこらえていた。どうやら首輪の出所は某骨董品店らしい。他の者は、皆呆然としている。もちろん、鎖を渡された藤咲もだ。
「多分、僕らが殴ったり何か言ったりするよりは、亜里沙に任せるのが一番ダメージが大きいと思うから。僕が許すから、このままお持ち帰りしちゃって」
「あの……ホントにいいの?」
「まぁ、罰になるかどうかは亜里沙次第だけど……五日間も放っておかれたんだから、その埋め合わせはしてもらえばいいんじゃない?」
「それもそうね……何をしてたかとか、聞きたい事もあるし。ありがたく頂戴していくわ。さ、行くわよ京一」
「ち、ちょっと待て亜里沙っ! いくら何でもこりゃねぇだろっ!?」
 さすがに京一もこれは嫌なのか反論した。一方の藤咲は、ふーんと目を細める。背後には炎が見える――ような気がする。更にその手には現在愛用の鞭、縛妖索が。
「自分の立場ってものが、分かってないのかしら?」
「いえ、いいえっ! 何でもございませんっ! 全ては亜里沙様の望むままにっ!」
 何かを感じ取ったのだろう、京一は慌ててその場に土下座した。その様子は完全に、女王様と下僕の図だ。
「分かればいいのよ。じゃ、龍麻、みんな。先に失礼するわね。行くわよ、エル。ほら、さっさと来なさい、京一!」
「ち、ちくしょーっ!」
 そのまま藤咲はエルと京一を引き連れて、去って行った。
「京一はん、大丈夫かいな?」
「うむ……変な趣味に目醒めなければいいのだがな」
 劉と紫暮はそんな事を言って藤咲達を見送っている。あまり心配はしていないらしい。
「やれやれ……まぁ、京一の事は藤咲に任せるか。さて、俺達もそろそろ帰――ん?そういえば、壬生はどうした?」
「あれ? いつの間にかひーちゃんもいないよ?」
 気が付くと壬生の姿はなく、さっきまでいたはずの龍麻も見えない。
「龍麻くんは、壬生くんと話があるからって。私達には先に帰ってって言ってたわ」
「壬生と? ……そうか、それなら俺達は先に帰るか。今日も学校だし、帰って少しは寝ておかないとまずいだろう」
 二人で話すという事は、拳武館絡みだろう。ならば、自分達は関わらない方がいい。
 大きく伸びをして、醍醐は皆を促した。


 龍麻と壬生は、再び駅のホームへと戻ってきていた。未だに自分達が倒した拳武館の暗殺者達、そして八剣と武蔵山の死体が転がっている。血の匂いが漂うホームで、二人は側のベンチに腰掛ける。
「ここの片付けが済んだら、僕は拳武館へ戻るよ。今回の件を、一刻も早く館長に知らせないといけないしね」
「鳴瀧さんは、まだ海外だったっけ。しばらくは、拳武も混乱が残るだろうね……って、混乱させた張本人が言うことじゃないけど」
 龍麻は立ち上がると、自販機へと足を向けた。
「しかし……本当に拳武館に乗り込んだのかい? それとも、八剣達へのハッタリ……」
「副館長派の人間で、僕に挑んできた連中は全員、病院へ送った。中には再起不能になった人もいるはずだよ」
 ゴトン、と音を立てて落ちてきた缶を取り出し、龍麻はそれを投げた。壬生は難なく受け取ると、缶を開けて口に運ぶ。
「でも、今回は前と違うから。見舞いに行くつもりはないし、謝るつもりもないからね」
「あぁ。いずれにせよ、副館長派の人間には何らかの処分が下るだろうからね。やれやれ、拳武の再編にどれだけ掛かるか……」
「で、壬生……君はこれからも拳武館に――暗殺の道に、その身を置くの?」
 龍麻の問いに、壬生はゆっくりと缶を降ろし、言った。
「彼らには言ったけど、僕は人殺ししか能のない男だ。他には……生きる術を知らないんだよ。それに、僕にも護りたいものはある。それには……金がいるのもまた、事実なのさ」
「そう……」
「緋勇君、君は僕を愚かだと思うかい?」
「壬生は、それを自分の意志で決めて、今まで歩いてきたんでしょ? 自分がやる事の意味を知りながら。だったらそういう風には思わないよ。そういう生き方しかない、っていうのは悲しいと思うけど」
 壬生が何故暗殺者をしているのかを龍麻は知らないし、それを聞くつもりはない。だが、壬生が小さな頃に、自らの意志でその道に踏み込んだ事は知っている。人を殺すという行為、それをしてまでも護りたいものがある。壬生はそれを選んだのだ。悲しいことではあるが、龍麻はそんな壬生を強いなと感じる。
「そういう風に言ってくれるか……君といると、決心が鈍りそうだ。本当に不思議な人だな、君は」
「そうかな? 変わり者だって言われた事はあるけどね」
 くすっと笑う龍麻に、壬生もまた、笑顔で応えた。
「僕は今まで、他人の為に戦ってきた。護りたいものの為に……でも、これからは、自分自身の為に闘えるような――そんな気さえ、今はしている」
「ん? 何かおかしくない?」
 首を傾げて、龍麻は問う。
「護りたいものの為に、って――それは、自分の為じゃないの? 僕だって人に言われたから闘ってるわけじゃない。護りたいものがあるから、闘ってる」
「……」
「壬生はさ、その護りたいものの為に拳武館に入ったんでしょ? だったら、今までの闘いは、全部自分の闘いだよ。護りたいっていう想いは、誰のものでもない、自分のものなんだから。だったらさ、壬生は最初から自分の為の闘いをしてるんだよ……って、何だか自分で言っててよく分からなくなっちゃったけど」
「くくく……本当に君は不思議な人だよ」
 声を出して、壬生は笑った。遠慮が全くない。爆笑というやつだ。恐らく普段の壬生を知るものが見たら、自分の目を疑うに違いない。
「そ、そこまで笑う事もないと思うけど……」
「済まない……でも、君のお陰で僕も何かが変わったような気がする。悪い意味じゃなく、いい意味でね。君といれば、もっと変わる事ができる、そうも感じる」
 壬生は立ち上がり、自販機に寄り掛かっている龍麻の前に立つ。
「緋勇君。もし気が向いたら、いつでも呼んでくれ。できる限り君の力になろう。いや、是非、力にならせてくれないか?」
「龍麻でいい」
「え?」
「僕の事は龍麻でいいよ。これからよろしく、壬生――いや、紅葉」
「ああ。こちらこそよろしく頼むよ、龍麻」
 互いに差し出した手を固く握りしめる二人。

 表裏の龍。その二つの道が、今、交わった。



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