12月18日。3−C教室――放課後。
授業も終わり、帰宅の準備をする龍麻の席に、葵が近付いてきた。
「龍麻くん――やっと、今日の授業も終わったわね」
「そうだね。でも、もう一ヶ月を切ったね、センターまで」
「残すところ、後僅か……悔いの残らないようにしないとね」
12月も半ばを過ぎ、国立志望の龍麻と葵にとって、避けられぬセンター入試の日が迫っていた。この時期になると、就職組は授業中に気の抜けた者達が目立つ。身近で言うなら小蒔がそれだ。彼女は見事に警察官の試験に合格している。
進学組にとってはラストスパートの時期だ。二人とも模試では十分に合格ラインに達しているのだが、そこで気を緩めるようなことはしない。
「それにしても、京一くん……最近、無断欠席なんてなかったのに一体、どうしたのかしら……」
葵は視線を京一の席へと向けた。そこにいるはずの人物は、今日は朝から姿を見せていない。
「そーんなの、気にすることないよ、葵。どうせいつもの、サボりだって」
そう言って現れたのは小蒔だった。
「まったく、良い御身分だよっ。ねっ、ひーちゃん?」
同意を求める小蒔に、そうだよね、と龍麻は返す。未だに進路をどうするか決めていないらしい京一。このままで大丈夫なのだろうかと、他人事ながら心配してしまう。
「成績も芳しくないし、下手すると、もう一度高校生をするかもね」
「あははっ! なんてったって、京一だもんねっ! あり得るあり得る!」
「でも小蒔……もしかしたら、体の具合が悪いのかも……」
これから起こり得る友人の不幸で盛り上がる二人。心優しい葵は京一を弁護するのだが、笑い声がそれを遮った。そんなの、絶対ないって、と主張する小蒔。
「俺も、京一はただのサボりじゃないと思うぞ」
そこへ、醍醐がやって来て、同じく京一を庇うかのような発言をする。しかし小蒔はどうしてもそうは思えないようだった。
「だって、醍醐クンも何にも聞いてないんだろ?」
「あぁ、それはそうなんだが……何かくだらんことに首を突っ込んでなければいいんだがな」
何と言っても真神一のトラブルメーカーである。どこで何をしているか分かったものではない。
「まぁ、それはそれとして。龍麻、この間のだが」
「ん。見せて」
醍醐は龍麻にノートを手渡した。それを開いて、龍麻は目を通していく。
「オッケイ。こんなものでいいと思う。さすが雄矢」
「おだてても何も出ないぞ」
一通り見てパタンとノートを閉じ、龍麻は親指を立てて見せた。醍醐の方はやや照れているが、満更でもなさそうだ。一方、二人が何をしているのか分からないのが女性陣である。
「龍麻くん。それは一体?」
「あぁ、戦闘指揮に関する研究を、ね」
葵の問いに、龍麻はそう答えた。
「僕が怪我してた間に雄矢が代理を務めてくれたでしょ? で、雄矢メインの指揮でも動けるように、と思って色々と勉強会をしてたんだ」
「あれ、ひーちゃん指揮官やめるの?」
今までの指揮はずっと龍麻が執ってきた。だからこそ、他の者が指揮官としての勉強をするとなると、そういう発想になってしまうのだ。
「基本的には僕だけど。こういうことはできる人がいるに越した事はないからね」
と、当たり障りのない返事をする龍麻。
が、これには理由がある。それを知るのは現時点では龍麻と醍醐の二人だけだ。
「そういうわけで、雄矢に色々と仕込んでたわけ。といっても、僕のも我流だから大したことは教えられないんだけどね」
「ふーん。まぁ京一のコトなんかよりはよっぽど大切なコトだよね。大体、京一のコトに頭を使ってもムダだろうし――」
「ほー……そういうこと言いやがるかよ」
と、突然の声。それは、今話題に上っている者の声だった。げっ、と声を上げて小蒔はそちらを向き
「って、何で夏服なんだよっ!?」
と、叫んだ。放課後になって現れた時点で大遅刻であるが、それより何よりその格好。小蒔の指摘する通り、京一の服装は夏のそれだった。ちなみに、今は12月――もう冬である。
「京一くん……寒くないの?」
「おいおい、いくらお前が馬鹿でも、そんな薄着じゃ風邪をひくぞ」
「京一……気は確か?」
心配する声、馬鹿にする声と様々だが、京一は何か反論しようとして、盛大なくしゃみを披露した。
「大丈夫なの? 京一くん」
「あぁ。さっきまで、家で寝てたからな」
見るからに寒そうな京一を心配する葵。というか、見ているこちらが寒くなる。寝ていた、ということは今も体調を崩しているのではないだろうか?
「京一、何で今頃学校に? 家でゆっくり寝てた方がいいよ。悪化したら大変だし」
「いや、体調は今んとこ問題ねぇよ。そんなことよりよ、ちょっと俺に付き合ってくれねぇか、ひーちゃん?」
気遣う龍麻に、京一は手を合わせた。
(風邪ひいてるのにわざわざ学校に出てきて、しかも頼み事? 何があったんだろう)
少し考えてみる。
昨日の京一は別に変わった所はなかった。旧校舎へ向かわずに一人で先に帰ったことを除けば。つまり、それから何かがあったということになる。しかも風邪をひき、夏服で登校しなければならない何かが……どういう状況になればそうなるのか、予想できない。
とは言え、何か事件に、というわけではなさそうだ。
「まぁ、いいけど」
「わりぃな、ひーちゃん。さすがは持つべきものは友達だぜ。理由も聞かずに――へっきし!」
再びくしゃみ。鼻をすすり、腕を組んで身を震わせる京一を見て
「大丈夫、京一? 冗談抜きで辛そうだね……」
「あのなぁ、俺は最初っから、冗談なんか言ってねぇよっ!」
さすがに小蒔も気の毒に思ったのか、優しい言葉をかける。だが京一はそれが気にくわないらしかった。
「それで……? 一体、何がどうしたっていうんだ?」
「実は、昨日の夜……歌舞伎町を徘徊
京一の奇行の理由を探るべく、醍醐が訊ねる。京一はその時の事を思い出したのか、渋面を作った。
「花札で勝負していかねぇか……ってな。俺も丁度、財布の中身が寂し〜くなってたトコだったから、その勝負を受けて立った、ってワケさ。けど、あの野郎、絶対にイカサマしてやがるっ! 十回の勝負のうち、五光が三回、四光が二回だぜっ!? そんなコト、あるわけねぇぜっ!」
龍麻には、それがあり得ない事なのかどうか分からない。花札などやった事がないのだ。役の名前を言われてもピンとこないのである。
「そしてお前は勝負に負けて、身ぐるみ剥がされたってところか」
こめかみの辺りをひくつかせて、醍醐が絞り出すように言った。怒っている、そして呆れている。さすがに危険なものを感じたのか、京一はやや後ろに下がる。
「バッカみたいっ! だったら、自業自得じゃないか」
「自分から首突っ込んで、自滅したわけだ……京一、馬鹿って言われても仕方ないよ」
小蒔は容赦なく、龍麻も呆れを含んだ声で京一に冷ややかな視線を送る。葵も、何と言ったらよいのか難しい顔をしていた。
「何おうっ!? 相手はイカサマ野郎だ、詐欺師なんだぞっ!? どう見たって、被害者は俺じゃねぇかっ!」
「詐欺は犯罪だけど、賭博も犯罪なんだよ? 被害者面したって駄目だよ。それに、京一は見抜けなかったんでしょ? イカサマ」
「う……」
「イカサマって、ばれなきゃイカサマじゃない、って聞いた事あるけど。つまり、相手の方が上手だったわけだから、今更何を言っても負け犬の遠吠えだよ」
「うう……ひーちゃんが冷たい……」
ぐさぐさと言葉のナイフを突き立てられ、京一は背を向けて床に「の」の字を書き始めた……はっきり言って鬱陶しい。
「全く……どうしようもない奴だな、こいつは。龍麻、お前もこいつに付き合う事はないぞ?」
「そうだね。貴重な時間をギャンブルで潰されるのも……」
醍醐にそう言われ、とっとと帰って勉強でもしようかと龍麻が考えたその時
「えへへへへ……みなさ〜ん、ごきげんよう〜!」
教室のドアが開き、アン子がやってきた。しかも、妙にハイテンションだ。
「あら、アン子ちゃん。何かいいことあったの?」
「なんだ、遠野。いつになくご機嫌だな」
「えぇ、そりゃあもう!」
葵と醍醐の問いに満面の笑みを浮かべ、アン子は教室内を見回す。そして、いじけている京一を見つけると
「あ〜ら、京一君。やっぱり風邪ひいたのねぇ〜」
と、何やら含みのある声で言った。それに気付いた京一が、振り向いてアン子を睨む。
「てめぇ……何が言いたいんだよっ?」
「うふふ……言ってもいいのかしら?」
アン子の眼鏡が怪しく光る。一瞬何のことか分からなかったようだったが、京一の顔がみるみる蒼くなっていった。
「お前、まさか……」
「えっ? なになにっ、アン子!? ボク達にも教えてよ〜っ!」
「んふふふふ〜。そうね〜、どうしよっかなぁ〜? ねっ、龍麻君は聞きたい?」
小蒔はとっても興味があるようだ。アン子は勿体ぶってすぐには答えず、龍麻に話を振る。龍麻は苦笑しつつ頷いた。先程からの会話から察するに、京一の今の状態に関わることだと思ったからだ。
「話したくって仕方ないって顔してるよ、遠野さん」
「あら? んふふ、そうかもねぇ。いいわよ、あたしが最高のネタを提供してあげるっ。本当なら、情報提供料って言いたい所だけど、やっぱりこういう話題は、みんなで笑い飛ばしてやるのが、フフフ……一番よねぇ〜京一ぃ?」
これでもかと邪悪な笑みを浮かべてアン子は京一に再度視線を移した。京一はダラダラと汗を流している。
「ま、まさか、お前……あの時、あそこにいたのかっ!?」
「お――ほほほほほっ! ばっちり見せてもらったわよっ! アンタが――パンツ一丁で歌舞伎町を駆け抜けていくのをねぇっ!」
「うわああああああああっ! そんなデカイ声で……!」
真相を暴露され、京一は悲鳴を上げた。教室内には他の生徒達も残っている。勿論今のを聞いていただろうが、皆一様に呆れていた。
「パンツで、歌舞伎町をっ!?」
「京一くん……それじゃ風邪をひくのは当然よ」
「いくら何でも、そこまで馬鹿とは……」
「よく捕まらなかったね……猥褻物陳列罪……にはならないのかな?」
小蒔、葵、醍醐、龍麻の順に視線を向けられ、京一は身を縮める。しかし開き直ったように立ち上がると
「しっ、しょうがねぇだろっ! 財布から学ランから、何から何まで一切合切、根こそぎあのイカサマ野郎に巻き上げられたんだからよぉっ!」
「……京一、ひょっとして、刀も?」
やや顔を引きつらせて、龍麻は京一の手にした袋に目をやる。
「僕の記憶が確かなら、今京一が使っているクトネシリカ、結構高価なんだけど……それまで奪われちゃったわけ?」
「い、いや。こいつとパンツだけは勘弁してくれたよ。まぁ、中身が刀だってバレてたら、持っていかれただろうけどよ」
「そもそも身ぐるみ剥がされるまで続ける時点で馬鹿だよね。引き際を見定めないと。身ぐるみだけじゃ足りなくて、内臓よこせとか言われたらどうするつもりだったの?」
どうも龍麻の中には歌舞伎町がヤバイ場所であるとの認識があるようだ。確かに犯罪発生件数は多いし、いかがわしい場所も多いのだが。
「くっそぉ〜っ! こうなったら、意地でもヤツから全部、奪い返してやるっ!」
「あら、相手は相当な腕
復讐に燃える京一に、アン子が水を差す。恨めしそうにアン子を見る京一だが、彼女はフフンと笑っている。
「なるほどな、それで龍麻を頼った訳か」
そこで約一名が納得したように龍麻を見た。
「えっ? それ、どういうことなの? 醍醐くん」
「龍麻には、古武術を通して鍛えた鋭い動体視力がある。それをもってすれば、微かな小手先の動きを、読み取る事ができるかもしれんからな。そうじゃないか?京一」
葵に説明して、醍醐は京一に確認した。バレてたか、と剣士は舌を出す。
「うーん……自信ないけど。戦闘の時はともかく、博打となるとね……僕、博打はからきしだから。ゲームならいいんだけど、金や物が絡むと、何故か弱くなるんだよね。だから、賭け事はしない主義なんだ、僕は」
「別にお前に勝負してくれって言ってるんじゃねぇよ。やるのは俺だ。ひーちゃんは見ててくれるだけでいいんだよ」
「あんまり気乗りはしないけど、ね。今回だけだよ」
はぁ、と溜息をつく龍麻。このままにしておくのも問題がある、と割り切る事にした。斬り込み要員が風邪で使えないなどという事態は避けねばならない。
「結局ひーちゃんは京一のこと、助けるんだよねぇ」
「いささか甘やかしすぎのような気もするが……まあ、そこが龍麻のいいところだな」
いかな理由であれ、龍麻が困っている仲間を放っておくことは、まずない。小蒔と醍醐には、龍麻のこの答えは予想範囲内だったようだ。
「ひーちゃん……お前、ホンットにいいヤツだぜっ! さすがは俺の相棒だっ!」
「お礼はやきそばパン一週間分でいいよ」
「……前言撤回」
感激する京一に容赦ない一言。京一はそれで頬を膨らませるが、たまには見返りがあってもいいじゃないかと龍麻は思う。何しろ、こんなくだらない事に付き合うのだから。
「まぁ、京一のことはいいとしても、確か、新宿区内には、白い学ランの高校はないはずだ。余所者に、新宿
「わざわざ新宿に出てきてあくどい商売しようなんて、ホント図々しいにも程があるよっ」
一方、醍醐と小蒔の方は京一達を無視して話を進めているが
「まぁ、どうせ目的は、イカサマ勝負で金品を稼ぐ
アン子の言葉に視線が集まった。
「僕が……どうかした?」
心当たりはいくらでもある。妙な学生服を着た男が自分を狙っているということもあるし、拳武館の方も副館長派はほぼ殲滅したらしいが、未だに残党がいるという。だが、アン子の口から出た以上、その絡みではあるまい。
「確証はないんだけどね。ここひと月くらい、二十三区内で、結構な数の高校生男子が行方不明になってるのよ。警察がそこに着目してるかどうかは定かじゃないけど、でも、あたしの調査によれば、行方不明になった子は、全員――今年になってから、今の学校に転校してきている。つまり――」
「全員、転校生……というわけか」
龍麻を見て、醍醐は腕を組む。他の者達も、アン子から龍麻へと視線を移していた。
龍麻も今年になって岡山から転校してきた身だ。狙われているのが転校生の男子、だとしたら、自分が狙われる可能性は十分にある。
「もしも、相手が《力》の持ち主で、意図的に転校生を狙っているとすれば、龍麻君を捜してる可能性もなくはない……」
「もしもそいつが、その一連の事件
ふむ、と唸り、醍醐は皆を見回す。
「もしそうなら、皆で一度、そいつの顔を拝みに行くか」
「うんっ。ここは向こうの誘いに乗ってみるのも手だと思うよ。アン子はどうする? ボク達と一緒に行ってみる?」
小蒔が声をかけるが、残念だけどとアン子は首を振った。このテの事件ならば首を突っ込まない方がおかしいのだが
「あたしこれから日本橋へ行くの。そこでやってる、大好きな画家の個展が今日までなのよっ」
「画家の個展〜っ?」
それを聞いて京一が疑わしげな目を向けた。
「お前にそんなまともな趣味があったのか」
「余計なお世話よっ。秋月さんは、あたし達と同じ高校三年生なんだからっ!」
「あら、アン子ちゃんの好きな画家って、あの、秋月マサキさん?」
龍麻以下、その名を知るものはいなかった。葵を除いて。夏には水岐の名を知っていたことといい、高校生で著名な人物は把握しているのだろうか。
「さすがは美里ちゃん! やっぱり知ってるのねっ。中央区の超有名
テンションを上げ、熱弁するアン子。珍しい光景なのだろうが、こういった人物自体は見慣れている。
「アン子が京一になった……」
と、小蒔が皆の気持ちを代弁した。
「ファンの心理というのは、他人には全くわからんものだな」
醍醐も珍しそうにアン子を見ている。それに気付いたのか、アン子は顔を顰めた。どうやら、京一と同一視されたのが気に食わないらしい。
「な、何よぉ〜。アイドルおたくの京一なんかと一緒にしないでよねっ!」
「誰がおたくだっ! 俺が好きなのは舞園さやかちゃんだけだっ!
「ふんっ、好きなことには変わりないでしょっ」
不毛な言い争いが続くかと思われたが、アン子はそちらを早々に切り上げると
「龍麻君。もしよかったら、あたしと一緒に個展に行かない? 秋月さんの絵、龍麻君もきっと気に入ると思うけどなぁ」
と誘ってきた。龍麻とて、アン子がそこまで言う絵に興味がないわけではないが、首を横に振る。
「お誘いは嬉しいけど、京一と約束してるし。それに、もしもこの件が僕絡みなら、行かないわけにはいかないよ」
龍麻には一つ気になる事があるのだ。京一が言った白い学ランの男。見方によっては、武蔵山が漏らした「妙な色の学生服を着た男」と言えなくもない。それを京一達だけに任せるつもりはないのだ。
「そっか、それもそうね。まぁいいわ。もともと一人で行くつもりだったし。と、そうだ……京一く〜ん」
ニタリと笑って
「とりあえず、アンタのパンツ姿は激写しておいたから。写りが良かったら、後で焼き増して校内掲示板に貼っといてあげるわ」
死刑にも等しい宣告をするアン子。京一の顔がムンクに変わった。
「なっ……!? やめろおおおおおおおおおっ!」
「オーッホッホッホッ。今度の新聞、楽しみにねっ。それまで、これでも読んで大人しく待っててよねっ」
叫ぶ京一は無視して、龍麻に真神新聞を押しつけると、アン子は身を翻す。
「この鬼っ! 悪魔っ! お前には人の心がないのかっ!?」
「ほほほっ、何とでもおっしゃい。あたしは新聞が売れればそれでいいのよっ。それじゃ、あたし、急ぐから」
京一にここまで言われれば普段のアン子なら激怒していただろう。だが、完全に自分が優位であること、そして個展に行くという目的があることが、アン子に余裕を持たせているようだ。結局、振り向きもせずにアン子は出て行ってしまった。京一が何やら叫んでいるが、聞こえちゃいないだろう。
「はははっ、もう諦めなよ、京一。アン子に見られたのが運のツキだったんだよっ」
「まぁ、それは言えてるけど。でも遠野さんはどうして夜の歌舞伎町にいたんだろうね?」
意気消沈している京一を見て小蒔は笑うが、何気ない疑問を龍麻は口にする。
「「「「……」」」」
勿論答えが出るわけではないが、あまり深く考えない方がいいような気がした。顔を見合わせ、京一を除く四人が頷き合う。そして京一は
「くそぉ、あのイカサマ野郎に運もツキも――根こそぎ全部、吸い取られた気分だぜっ」
不機嫌さを隠そうともせずに愚痴をこぼしていた。醍醐はそれを聞いて考え込む。
「運を吸い取る――か」
「それが《力》だとしたら、使いどころが難しいよね。ギャンブル限定とか?」
「そうだな。だが、ギャンブルをするならこれ程有利に働く《力》もないだろう。会ってみなければ何とも言えんがな」
「そうだね。とりあえず、行ってみようか」
そう言って、龍麻は席を立った。受け取った真神新聞をやや乱暴に鞄に詰め込んで。
三階廊下。
「それにしても、アン子のヤツ……本気で新聞に載せる気かよ……」
廊下を歩く龍麻達。京一の愚痴は未だに続いていた。
「まあ、遠野のことだ。間違いないだろうな。しかも、不本意なことに売れるだろうな……」
醍醐の言葉は何の慰めにもなっていない。むしろ追い込んでいるようだ。たまにはいい薬だとでも思っているのかも知れない。
「そうだね。何だかんだ言っても、京一って割と、下級生の女の子に人気あるもんね。この間も『キャー、京一センパ〜イ』な〜んて呼ばれてて、ボク、びっくりしちゃったよ」
「まあ、下級生には中身
「その典型が諸羽だもんね」
「余計なお世話だっ!」
相も変わらず歯に衣着せぬ三人に、京一がキれる。が、すぐに萎んだ。
「けど、その人気も次の新聞が出るまでのことか……」
「? 別にそれくらいで人気が落ちる事はないんじゃないかな?」
いや、逆に出るのではなかろうか。そして、新聞も女子中心に売れるような気がする。
「もしかして、ウサギさんの模様のパンツでもはいてたの?」
「はくかっ!」
からかうような小蒔に、京一が吼える。そこへ
「うふふふふ〜。京一く〜んのパンツは、うさちゃ〜んじゃなくて、ゾウさ〜んの柄よね〜」
「あら、ミサちゃん」
いつもの如く唐突に、裏密が「出現」した。驚いた様子もなく、葵は声をかけている。
「ミサちゃん、それホントなの?」
「ンなわけねぇだろっ!」
小蒔の問いを京一は即座に否定した。どうやら今日の彼は、とことんからかわれる運命にあるようだ。
「うふふ〜。だったらいいな〜って思っただけ〜。あ〜あ、あたし〜も生で見たかったな〜。京一く〜んの、パンツ姿〜。うふふ〜」
「えぇ〜? 京一のパンツ姿なんか見たって何の得にもなんないよ」
「お前ら――っ! いい加減にパンツの話題から離れろっ!」
なおも話を続ける裏密と小蒔。京一は自棄になったように叫んだ。ふうふうと肩で息をするほどに疲労した京一を見て、さすがにこれ以上はまずいと思ったのか、小蒔は話題を変える。
「ところでミサちゃんは、これから、霊研行くの?」
「うふふ〜、そうよ〜。アン子ちゃ〜んに、調べものを頼まれてね〜」
「アン子ちゃんに……? それってもしかして、転校生が行方不明になるっていう事件に、何か関係あることなの?」
今のアン子が追っていると思われる事件はそれだけだ。しかも裏密に依頼をするとなると、それは当然《力》絡みの事。更に龍麻がそれに関わるかも知れない――葵は気が気ではない。
「な〜んだ。みんなも知ってたんだ〜。うふふ〜、それをこれから調べるんだけど〜、アン子ちゃ〜んが、現場の近くから持ち帰ったこの破れた呪符〜、それを見ればもう〜、犯人は割れたも同然なんだけどね〜」
言いつつ裏密は一枚の紙片を取り出した。そこには縦四本、横五本の格子状の模様と五芒星が印されている。
「これ……九字?」
「うふふ〜、これは《ドーマン》といってね〜、九星九宮、九字を表す、陰陽道で用いるところの、代表的呪術図形の一つよ〜」
見覚えのある図に、龍麻が訊ねると、それを裏密は詳しく説明する。
「陰陽道で……ってこれ、ひょっとして式神の符なの? でもあれって五芒星みたいなのが描かれてるだけじゃなかったっけ?」
「図形だけというわけではないのよ〜。傾向としては〜《晴明桔梗》とも呼ばれる、五芒星の形の《セーマン》を用いる方が多いんだけど〜、わざわざドーマンを印すあたりに、渦巻く怨念の香りがするわ〜」
何故か裏密は嬉しそうだ。龍麻達にはなぜ、ドーマン=怨念になるのかは分からなかった。そして、それを問い質す前に、更に質問が投げかけられる。
「ところでひーちゃんは、陰陽道には詳しい〜?」
「大まかなところは、ね。でも詳しくはないよ」
確か《陰陽説》と《五行説》を統合して確立された理論によって、占術や呪術などのあらゆる呪法を可能にした、日本に古くから伝わる呪法体系だったと記憶している。
「それじゃ〜、ある程度は分かっているモノとして続けるわね〜。さっきも言った通り〜、ドーマンは陰陽道の呪術図形〜。そして何より〜、この呪符は〜、明らかに陰陽道の様式に則って〜、描かれた物なのよ〜。それも〜、ミサちゃん独自の計測によれば〜、符に残った残留思念をみるに〜、相手は相当の修練者
「陰陽師〜!? そんな魔法使いみたいな人が、ホントに今でもいるのっ?」
小蒔が素っ頓狂な声を上げる。だが、彼女は忘れているのだろうか? つい数ヶ月前に、憑依師と呼ばれる、ある意味魔法使いみたいな者と闘った事を。裏密はその反応にうふふ〜と笑うだけで特に何も言わない。
「で、ひーちゃん。さっき口にしてたけど〜《式神》については知ってるのよね〜?」
「陰陽師が使役する鬼神の類、あるいは使い魔のようなものと理解してるけど。高位の陰陽師なんかは紙片――例えばさっきの呪符みたいな物に仮初めの命を吹き込み、自在に操るって言うけど」
「うふふ〜。それならもう、余計な説明はいらないわね〜。アン子ちゃんが持ち帰ったこの呪符は〜、恐らく〜、式神の依代として使われた物よ〜。まぁ、もう少し調べてみないと詳しいことは分からないけど〜」
一度、ひらひらと呪符を振って、裏密はそれをしまい込む。
だが、随分と大事になってきたようだ。もし、その陰陽師が転校生を襲っているのだとしたら、彼らに逃れる術はない。
(だからこそ……この件は僕に関わっているような気がする)
何の目的もなく転校生を襲うなどとは考えられない。陰陽師は転校生の中にいる誰かを捜しているのだろう。ではその理由は何か?
(式神を使っている以上、相手を殺す事に抵抗はないはずだ。いや、それが目的なのかも知れない。殺す理由……怨みがあるから、邪魔だから……怨みならわざわざ陰陽師なんてものに頼る必要はないし……ってことは転校生の中にいる誰かが邪魔だからってのが一番確率としては高い。となると、ただの高校生が邪魔になるわけがないし……)
やはり、自分が目的なのだろうか。だがそれだと拳武館に依頼した者とは別人という事になる。向こうは自分の存在を知っているのだから。襲うなら無差別ではなく自分一人に絞るはずだ。
(ん? だとすると、邪魔ってのはおかしいな。誰かは分からないけど邪魔だから、念のために始末しよう、っていうのは変だ。それじゃあ、捜すことが目的なんだろうか。しかも式神をけしかけて……何かを試している……?)
「陰陽師か……龍山先生なら何か知っているかもしれんな」
龍麻が深い思考に入っているのに気付いていたが、醍醐は話を進めることにした。自分の師である龍山はこの手の事には詳しいはずだ。だったら、そちらから話を聞いてみるのも悪くない。
すると裏密がこんな事を言い出した。
「それなら〜、参考までに言っておくけど〜、噂じゃあ、この東京に〜、関東以北の陰陽師を束ねる〜、東の御頭領と呼ばれる〜、高名な陰陽師の一族がいて〜、今でも政界財界に、強力な影響力を持ってるらしいわ〜」
元々、陰陽師は古くから政治に関わってきた。陰陽寮と呼ばれる役所もあった程だ。時代は流れて明治の頃には廃止されたらしいが、今も影響力を持ち続けていたとしても不思議ではない。
「それじゃあ、あたし〜、そろそろ行くわね〜。ひーちゃん達も、どこへ行くのか知らないけど〜、一応、気をつけてね〜」
「……え? あ、うん。ありがとう、ミサちゃん。十分気をつけるよ」
ある程度思考が纏まっていたので、自分の名を聞いて龍麻は我に返る。
「月曜星は〜幸もたらす控えめさの象徴〜。ひーちゃんの進む方に。この星の加護がありますように〜。うふふふ〜。ひーちゃん、お守りにこれあげる〜」
渡されたのは、何かの護符だった。裏密が渡す物だ。勿論ただの護符ではなく、何らかの《力》を感じる。
そして裏密は、現れた時と同じように忽然と消えていった。
「ミサちゃん、ちょっと気になること言ってたね」
今更驚く事もなく、小蒔は先の会話を思い出す。あぁ、と醍醐も頷いた。
「もしも龍麻を狙っているのが、その陰陽師という奴だとしたら……厄介な事になりそうだな」
「そうね……何だか、嫌な予感がするわ……」
葵は不安げな表情を龍麻に向ける。それに気付いた龍麻は、安心させるように微笑んで見せた。一方、京一は場の空気が重くなったのに耐えられなかったのか
「何だよ、お前ら。急に真面目になんなよっ。裏密の呟きなんざ、いつものことだろ? そんなことより、そろそろ出ようぜ」
と、歩き出す。
「もうっ、自分のコトばっかりなんだからっ!」
「まぁ、ここで話していても解決することじゃないしね。僕達も行こうよ」
京一の態度に腹を立てている小蒔をなだめ、龍麻はその背を押した。
真神学園通学路。
「うおおっ、さむうぅぅぅっ」
突然吹いた風に、京一は体を抱きかかえるようにして身を竦ませた。
「そりゃそうだよ、半袖だもん」
同情の欠片もない声で、小蒔。
今の季節に半袖で外に出るなど無謀極まりない。街も人も、冬支度をする時期なのだ。寒さに震える京一とは対照的に、龍麻達は各々制服を着ている。それを恨めしそうに見て
「てめぇら、着膨れしやがって。少しは、俺か小学生を見習えっ!」
「うふふ。確かに小学生は、真冬でもTシャツ短パンの子がいるわね」
勝手な事を言う京一。それを聞いて葵が笑う。
「あぁ、俺達が小学生の時も何人か、必ずいたな」
「小学生の頃の制服って、下は半ズボンだったからね。それで耐性がついてたんじゃないかな?こっちの方の学校はどうだか知らないけど」
昔を思い出したのか、醍醐と龍麻はそんな話をしている。
「そんなものかもな。だが、さすがにもうあんな真似はできんなぁ」
「したくないし、何より見たくないよね。同年代のそんな格好」
今の年齢で半ズボンなどはいた日には、見苦しいことこの上ない。うんうん、と頷いて小蒔は京一の肩を叩いた。
「だってさ、京一」
「俺は半ズボンじゃねぇだろうが……と、そんなことより、ヤツが現れんのは、歌舞伎町にネオンが灯ってからだぜ」
この件でまともに相手をするのは疲れたのか、京一は適当に小蒔をあしらい、言った。
「まぁ、この時期だから日の入りも早いだろうけど。それでも少し時間に余裕があるね」
龍麻は時計を見た。12月も半ば――日の入りの時間は大体十六時半頃だ。それから暗くなるまではそう時間は掛からないが、十七時過ぎくらいが丁度いい時間だろうか。あまり明るい内から歌舞伎町を制服姿でうろつくのは問題がある。
「だったらさ、どうせだからブラブラしながら行こうよっ」
「そうね。じゃあ、そうしましょう」
「お、おいおい。そんなことしなくても、どこか喫茶店でも入って時間を潰せば……」
小蒔の提案に葵が乗った。京一は寒い中歩くのが嫌なのか渋い顔をしたが
「だったら、京一のおごりね。もちろん、お金は貸さないけどさ」
ニシシ、と小蒔は意地悪く笑って見せた。身ぐるみ剥がされた京一にそんな金があるわけない。
「龍麻くんは、どっちへ行きたい?」
「そうだね。それじゃ、駅前の方を行こうか。東口の方に寄ってから、歌舞伎町へ抜けよう」
ここから行くとなると、駅前か、新宿通りのどちらかになる。葵の問いかけに、龍麻は駅方面を選択した。