新宿駅東口。
 よくよく考えてみれば、今の時間帯は、帰宅時のラッシュの直前だった。就職している大人達はまだのようだが、学生達の姿が多く見受けられる。
「相変わらず行き交う人は多いけれど、空気はとても澄んだ感じがするわね」
「ホーント、もうすぐ冬だからねぇ……」
 何げに空を見上げながら、葵と小蒔はそう呟く。空気が冷たいから、そう思うのかも知れない。
「あ、そういえばそろそろお鍋の季節だよねっ」
「あぁ。確かにそうだな。鍋は腹の底から暖まる感じがするからな」
 例によって食べ物の話題を出すのは小蒔だ。いつもならここで苦笑する醍醐だが、彼も今の寒さには辟易しているのだろうか、話に乗ってくる。
「いつだったかそんな話をした覚えがあるが……」
「あ、さやかチャン達と会った時だよ。思い出した!ひーちゃん、鍋してくれるって言ってたよね?」
「あぁ、そうだったね。手の方ももう治ってるし、今度やろうか」
「てめぇら、随分とまたあったかそうな話してんなぁ。けっ、俺は身も心も財布の中身も激寒だぜっ」
 京一はすっかりやさぐれモードに入ってしまった。そこへ
「なンだぁ? 随分とシケた面してンな、京一サン」
 との声。そちらを見ると、雨紋の姿があった。
「よぉ、元気そうだなっ」
「やぁ、雷人。そっちも元気そうだね」
 こちらへやって来る雨紋に龍麻は手を挙げる。
「なンか、龍麻サンとは久しぶりに会うような気がするよな。旧校舎でも一緒にならねぇし、あの時もお呼びが掛からなかったしよ。メシも最近食いに行ってないし」
 龍麻は九角との再戦が終わってからは皆とほとんど旧校舎へ降りていない。その時は大抵一人なのだ。ちなみに「あの時」とは京一が行方不明になった時である。槍という長ものを扱うため、地下鉄構内という限られた空間での戦闘は向いていないと思い、龍麻は強襲部隊のメンツに彼を加えなかったのだ。
「最近は一人、もしくは最近入った壬生サンと何かやってるンだって? あと、コスモの連中の訓練と。ま、龍麻サンのことだから色々大変なンだろうけどよ……っと、ところで今は学校帰りかい? どうせ、これからラーメン屋にでも行くンだろ?」
「あれ、ばれちゃった?」
 おどけてみせる龍麻に、やっぱりな、と雨紋は槍を担ぎ直した。
「ホント、ラーメン狂だな、龍麻サン達は……」
「なんだよっ、あそこのラーメンは美味しいんだぞっ――と、ボク達、ラーメン屋に行く予定だったっけ?」
 言いかけて、小蒔は首を傾げた。そうではなく、別に目的があったような――
「ひーちゃん、お前なぁ、いい加減なこと言うんじゃねぇよ。そんっなに俺に付き合うのが嫌なのか、お前はっ!?」
「それより雨紋。お前こそどうしたんだ? 渋谷じもとではなく、こんな所で誰かと待ち合わせか?」
 龍麻にかみつく京一はそのままにして、醍醐は疑問を口にした。先にも言った通り、雨紋は渋谷の人間で、彼の活動拠点もその渋谷だ。龍麻達の知る限り、例外はライブの時、そして旧校舎へ潜る時。旧校舎は今日の予定にないし、ライブならチケットを持って来てくれるのでこれも違う。
「あぁ、もうすぐ来ると思うンだけどさ――おっ、来た来た!」
 雨紋の視線の先、そこにいたのは――
「あら……如月くん?」
 その姿を見つけ、驚く葵。京一は妙に納得した顔で言った。
「なんだ、如月と待ち合わせかよ。まぁ、雨紋のことだ、まさか女じゃねぇだろうとは思ってたけどなっ」
「へっ、余計なお世話だよ。チャンと聞いてるンだぜ? 御主人様とのことはよ?」
 京一のセリフに、雨紋は冷静に爆弾を投げ返した。案の定、それは強烈な破壊力を生み出す事になる。
「なっ……!? ててててててててててめぇっ!?」
「いやー、京一サンにそういう趣味があったとはねぇ。始めに聞いた時は驚いたけど、まさか――」
「ばっ、馬鹿野郎! そんなデマに踊らされるんじゃねぇっ!」
「ハイハイ、他人の趣味に口を挟むつもりはねぇから。まぁ、程々にしといた方がいいと思うぜ。おーい、如月サ――ンっ!」
 滑稽なほどに慌てる京一をそのままに、雨紋は待ち人に呼びかけた。
「そんな大声を出さなくても、君の顔を見ればすぐに分かるよ。おっと……君たちも一緒だったのか」
 雨紋に答えて、やって来た如月は龍麻達に目を向ける。
「やぁ、龍麻。元気にしてるかい?」
「おかげさまでね。で、あれからどう?」
「あぁ。残念ながら、こっちには何も。ただ、最近妙な事件が一つ。高校生ばかりが襲われるという事件があるんだが、それが――」
「式神が用いられている――でしょ?」
 やや視線を鋭くした龍麻に、軽く驚きの表情を見せながらも如月は頷いた。如月の持つ情報網は《力》絡み前提である。故に、前回の拳武館の時、そしてそれに関わる者達については何も分からなかったが、あやかしの類や《力》絡みの情報なら入ってくるのだ。転校生襲撃は陰陽師――《力》絡み。如月は既に把握していたようだ。
「そっちでも掴んでたか」
「更に、襲われてるのは全員転校生、ってところまで、ね」
「……なるほど……この間の件もある。龍麻の方も十分に気をつけてくれ」
 どうやらそこまでは掴んでいなかったらしいが、転校生という言葉を聞いて、如月は眉間にしわを寄せる。龍麻もまた、今年になってやって来た転校生なのだ。その事件と龍麻の存在は、如月の頭の中で即座に一つの可能性として繋がった。
「それにしても、珍しい取り合わせだな。これからどこか行くのか?」
「なに、オレ様のお気に入りの槍があるンだけどよ、柄がチョイと劣化してきてたンで如月サンに新調してもらったのさ」
「ちょうど、穂先の使えない槍が蔵にあったからね、代金はいいと言ったんだが……」
 問う醍醐に雨紋が答え、如月は雨紋を見て肩をすくめた。
「彼が夕飯を奢るってきかないから、わざわざ新宿まで出てきたんだ」
 見た目はともかく、これで雨紋は結構義理堅い。というかこういった事にはしっかりしているのである。
 一方、京一達はラーメン屋がどうとか騒いでいる。どうやら雨紋達の行き先は、自分達が贔屓にしているラーメン屋王華であるらしい。
「でも、雨紋クンと如月クンで、共通の話題ってあるの?」
 片やバンドマン、片や骨董品店の若旦那だ。不思議がる小蒔に雨紋は目を輝かせながら
「だって、如月サンは忍者なンだぜ、忍者っ! すげぇよなっ! きっと、子供の頃から草跳び越えたりしてたンだぜっ!」
 ぐぐっと拳を握り締める。渋谷のバンドマンはどうやら忍者が好きなようだ。
「とまぁ、誤解を解くいい機会でもあるんでね、承知したわけさ。それよりも、君たちはどこへ行くんだい?」
 苦笑しつつ肩をすくめ、また真顔に戻って如月は訊ねる。
「あぁ最近、歌舞伎町に妙な花札野郎が現れてよ。汚ねぇイカサマでアコギな商売してやがるのさ」
「はは〜ん、京一サン、アンタも引っかかったンだろ? それに、そいつのウワサなら、オレ様の耳にも入ってるぜ。神代高ウチのヤツも何人かやられててな、その内オレ様が、きっちりカタをつけてやろうと思ってたンだ」
 京一を見て意味ありげに笑い、雨紋は手にした槍で肩を叩く。一応、神代の番を張っているような形の彼なので、色々とトラブルの情報は舞い込んでくるようだ。
「えへへっ、でも、ボク達が行けばそいつも今日で店仕舞おしまいだよっ。雨紋クンには悪いけどねっ」
「ハハハッ、そりゃいいや。一応、気をつけてなっ。じゃ、オレ様達は行こうぜ、如月サン」
「あぁ、そうしようか。じゃあ、またな」
 自信たっぷりに言う小蒔。雨紋は笑って如月と共にその場を立ち去ろうとしたが、少しして足を止めた。振り返り、ニヤリと笑い
「そうだ、京一サン! いくらアンタがバカでも、この季節にその格好じゃ風邪ひくぜっ! それにあンまり肌を出してると鞭とか縄の跡が――」
「やかましいっ! そんなもんあるかっ! さっさと失せろっ!」
「ハハハハッ! ギャンブルも程々にな。身ぐるみまで剥がれちゃお終いだぜ、人として」
 ひとしきり声を出して笑い、今度こそ去って行く。側にいた如月も笑いを堪えていた。 これでもかとからかわれて、京一が平静でいられるはずもなく。
「ちくしょーっ! 俺が一体、何したっていうんだよーっ! 神さまのバカーっ!」
 人目も気にせず、彼はあらん限りの声で空に向かって叫ぶのだった。



 新宿区――歌舞伎町。
 日本一と言っても過言ではない歓楽街。大きな通りから少し踏み入ると、そこはすっかり様相を変える。
「歌舞伎町って、あんまり夜通ったことないけど、このイカガワシイ雰囲気が何とも言えないよねぇ」
 きょろきょろと物珍しそうに小蒔が周りを見ている。とは言え、あまり女性の気を惹く物はないはずだ。まぁ、同じ歌舞伎町でも場所によりけり。この辺はまだ割と普通の飲み屋しか見えないが。
「あぁ。高校生が――しかも制服で彷徨うろつくような場所ではないな」
 ぎろっ、と厳しい視線を醍醐は京一に向けた。男はいいんだなどと、勝手な弁解をしているが、そんなものを聞く者はいない。
「それより、美里も小蒔も。あんまり俺達から離れんなよ。タチのわりぃのに絡まれると面倒だからな」
 一瞬落ち込んでいた京一だったが、気を取り直して左右に視線を走らせる。物騒な場所、と言えば確かにそうだ。犯罪発生件数だって決して少なくない。まだ時間的には早いが、もう二時間もすると酔っぱらいの宝庫になるはずだ。酔っぱらいに理屈は通用しない。それに場所が場所だけに、女子高生の葵と小蒔などは下手をするとアレな商売に間違えられてしまう可能性もある。
「何言ってんだよ、京一。そんなの心配しすぎ――」
「いや……新宿ここは何が起こるか分からないところだよ」
 笑う小蒔の言葉を、男の声が遮った。
「僕や、僕に狙われるような輩が闇の中にいくらでも潜んでいる」
「えっ……? あ――っ!」
「壬生じゃねぇかっ!」
 驚き、振り向く小蒔と京一の前に壬生が姿を見せる。いつものように両手をポケットに入れ、彼は近付いてきた。
「こんなトコでどうしたんだ? もしかして……仕事、か?」
 仲間になった今では、京一は壬生が拳武館の暗殺者である事を知っている。一度は狙われた事もあり、関係はこじれるかと思われたが、副館長派は副館長派、と京一は割り切っていた。
 やや躊躇いながらも、京一は訊ねる。壬生は苦笑でそれに答えた。
「そう顔を顰めないでくれ。何も人を……殺そうってわけじゃない。それに人の生命を奪うことだけが暗殺というわけじゃないさ」
「なるほどな。社会的抹殺という手もある」
 醍醐に頷いて、壬生は顎をしゃくって近くの店を指す。
「例えば……そこの高給クラブで国民の税金を湯水のように使い、私腹を肥やし、女を囲う薄汚い政治家がいるとする――僕たち拳武館の手に掛かれば、二度と政界には戻れないだろう。それどころか、その後の人間らしい生活さえ、保証はできないね」
 例えば、などと言ったが壬生の声に乗せられた若干の怒気から察するに、今まさにその店にいるのだろう、標的が。
「ひゃ〜。別の意味で、怖いかも……」
「でも、それが……あなた達の本来の仕事なのね」
「そういうことさ」
 小蒔は身を震わせ、葵は納得したように壬生を見た。前回の事件がどうしても直接イメージに結びつくためだろう。いくら暗殺組織とは言え、直接に命を奪うような事は頻繁にはないのだ。
 葵の言葉を聞いて、壬生はやや表情を和らげる。
「この前の一件で、副館長派はもうなくなった。結果的には君たちのお陰で解決したようなものだ。龍麻、君にも礼を言うよ」
「いや……僕はただ、仲間を傷つけられたのが許せなくて、自分を抑えきれずに暴れただけだよ。結果として、そっちは片付いたんだろうけど、僕の方はまだまだだって認識させられたよ」
 龍麻は苦笑いを浮かべた。拳武館に乗り込んだ時に相手にした暗殺者達。その中には、暗殺稼業どころか普通の生活を送るのにも支障が出るほどの怪我をした者がいたのだ。龍麻があくまで冷静に事を運んでいれば、出るはずのなかった被害だ。
「ん? おい、壬生。お前今、副館長派はなくなった、って言ったよな? てことは、残りは全員とっ捕まえたのか?」
 残党がいるとも限らない状態だった。これで枕を高くして眠れるぜと安心する京一。しかし壬生の口から出たのは否定の言葉だった。
「いや。龍麻が片付けた連中と、僕たちが片付けた地下鉄の連中。これはまだ生きてはいる。とは言えベッドの上だけど、残りは全滅だよ」
「全滅……?」
「あぁ。副館長以下皆殺しだ。犯人は不明だが、死体に残っていたのは全部刀傷だったよ。強烈な《陰氣》が残っていたから、多分八剣を殺ったのと同一犯だ……それじゃあ、僕はもう行くよ。標的ターゲットが出てくるのを待つにはここは目立ちすぎる」
 約一名を除いて驚きを隠せない京一達に、壬生はそう言って背を向ける。
「邪魔をしたようで悪かったね」
「いや、君たちを見て話しかけたのは僕の方だ。仕事の前だというのに、どうも緊張感が足りないようだ。では、また――」
 そして近くの路地にその姿を消した。姿はおろか、気配まで消えている。さすがは暗殺者といったところか。
「やれやれ……っと。なぁ、ひーちゃん。お前、最近は壬生とつるんでたんだから、この件は知ってたのか?」
「うん。みんなには話そうかどうか迷ったけど、拳武の事は、あまり話さない方がいいと思ったから。それより京一、君が白い学ランの男と花札をしたのは、どの辺りなの?」
「ん……あぁ、もうちょっと奥へ行った方の路地裏だ。こっから先は俺が案内するよ。こっちだ――」
 京一の先導で、一行は再び歩き始めた。


 歌舞伎町――裏路地。
「確か、この辺のはずだぜ。昨日は丁度、あの影の所に――って、いやがった!」
 いくつかの路地を曲がり、辿り着いた先で、京一はある場所を指した。建物と建物の間、そこに座り込んでいる白い学ランの男。顎には一本の傷と無精髭。学生服を着ているが、本当に学生なのかと疑ってしまう。側にはその取り巻きらしい男達がたむろしている。
 こちらの様子に気付いたのか、男は立ち上がり、鼻を鳴らす。
「やれやれ、随分とまた、大人数おおぜいでの御越しだな。花札で負けたら、今度は腕ずくって魂胆かい? まぁ、別に俺はどっちでも構わないぜ?」
「冗談じゃねぇ。きっちり花札で勝負してやるぜ、このインチキ野郎っ!」
 刀の入った袋を突き付け、京一は胸を張る。一見すると自信満々だが……虚勢にしか見えないのが悲しいところだ。
「おいおい、てめぇの運のなさを棚に上げて、こともあろうにイカサマ呼ばわりかい?」
 男は肩をすくめてへらへら笑ったが、不意に表情を引き締めて京一を睨んだ。
「この千代田皇神すめがみの村雨祇孔――生まれてこの方、勝負で手加減とイカサマだけはしたことねぇぜっ」
「随分と大きく出たな、村雨とやら。悪いが今日は、どんな小細工も通用しないぞ」
 村雨と名乗った男にそう言って、醍醐は龍麻の背を軽く押した。一応、見極め役として呼ばれた龍麻である。来た以上は役目を果たさねばならない。龍麻を見て、村雨は面白そうに口元を歪めた。
「へっ、望むところよっ。その代わり、今日は一発勝負と洒落込もうぜ。俺が負ければ、身ぐるみ一式と昨日の掛け金、倍返しにしてやる」
「で……? もしも、俺が負けたら?」
 自分でそれを確認する辺り、京一にもプレッシャーが掛かっているのだろう。勝てば良し、負けたらどんな無理難題をふっかけられるか。学校での龍麻の言葉ではないが、内臓を寄こせと言われた時にはどうするか――
(腎臓は二つあるから……一つくらい……って、なに弱気になってんだ俺っ!?)
 戦う前から既に負けているようなものだが、京一の心配は杞憂に終わる。ただ、もっとタチが悪かった。
「そんときゃあ……そうだな、そっちの姉さん二人、寄こしてもらおうか」
 ニヤリと笑って村雨は女性陣に視線を向ける。
「バッ、バカにすんなっ! ボク達はモノじゃないんだぞっ!」
「なあに、そのくらいのスリルがなくちゃ、燃えねぇだろ? なぁ、蓬莱寺京一?」
 村雨は気にした風でもなく、その名を口にした。別の意味での緊張が走る。
「てめぇ……どうして俺の名を?」
 ここに来て、名乗った者は一人もいない。無意識のうちに、京一は袋の口紐を解く。
「てめぇだけじゃねぇぜ。でかいのが醍醐雄矢で、姉さん二人が美里葵に桜井小蒔。それで、アンタが緋勇龍麻――間違いねぇな?」
 一人一人を確認するように見て、村雨は龍麻で目を止めた。どこか値踏みするようなその視線を真っ向から見据え
「さぁ、人違いじゃない?」
 と、切り返す。だが村雨は動じた様子もなく、また鼻を鳴らした。
「誤魔化しても無駄だぜ。こちとら、写真顔負けの似顔絵を見てきたばかりだからな」
(似顔絵……?)
 面が割れている事はこの際どうでもいい。だが、問題はその手段だ。村雨は写真や映像ではなく似顔絵と言った。この時点で普通ではない。
(一体、いつ、どこで描いたんだ?)
 似顔絵を描くには、その対象を見る必要がある。記憶を頼りにというのもあるが、それではたかが知れている。逆に、何かの媒体で容姿を知ったのならば、そもそも似顔絵を描く必要はない。媒体そのものを見ればいいのだから。
「貴様、やはり――あの事件に関係する者か?」
「あの事件……? あぁ、転校生狩りの事か。まぁ、あると言えばあり、なしと言えばなし……だが、緋勇。アンタに用があるのは事実だぜ」
 身構え、問う醍醐には目もくれず、村雨は龍麻を見たまま意味ありげに言った。
「それじゃあ、やっぱり、初めっからひーちゃんを狙ってたんじゃないかっ!」
「けっ、上等だぜっ! こっちの勝負なら、俺も手加減したことねぇからなっ!」
「そうこなくっちゃなっ」
 逸る小蒔と京一の態度に、何故か嬉しそうに村雨は花札を取り出す。同時にその身体から、陽の《氣》が立ち上った。
「ツキだけじゃなく、てめえらの本当の実力――見せてもらうぜっ!」
「そんなことはどうでもいいんだ」
 龍麻の方も《氣》を放つ。
「ただ、僕らを知っているなら、もっとよく調べてから来るんだったね」
「へぇ……何でだ?」
 あくまで余裕を崩さない村雨だったが――その表情が凍った。
「しちゃいけないことを、したんだ」
 龍麻の表情は冷徹な仮面に覆われている。針のように鋭い視線が自分を貫くのを、村雨は感じ取っていた。
「一つは僕に用事があるなら回りくどい事をせずに直接来ればいいのに、仲間を巻き込んだこと。この場合は、京一をダシにしたことだね」
 一歩、龍麻は踏み出す。知らぬ内に、村雨は一歩後ろに下がっていた。
「もう一つは……分かるよね、雄矢?」
「あぁ。桜井と美里をモノ扱いしたことだな」
 醍醐も《氣》を解放して、拳を鳴らした。
(こ、こいつぁ早まったか……?)
 どんな大勝負の時にも感じなかったプレッシャー、それが村雨を押し潰そうとしている。面白い勝負が楽しめる、そう思って買って出た今回の役目だったが、現状はそれを通り越していた。煽ったのが間違いだったかと今更ながら後悔していたりする。
 特に龍麻だ。これが、せめて二ヶ月前の彼ならこうはならなかっただろう。だが、今の龍麻は今までの様々な要因が重なって、少々気が短く……というか好戦的になっていたのだ。勿論村雨がそれを知る由もない。
「それじゃあ、始めようか。君の大好きな勝負ってやつを」
「遠慮する事はないぞ。どこからでもかかって来い」
 龍麻と醍醐はそう言って、無造作に村雨へと近付いていった。


「なるほどな。あいつの絵を疑ったわけじゃねぇが、まさか、これ程とは……な。ほんのお遊びのつもりが、とんだ大火傷だ。俺も……ツイてねぇな」
 決着はあっさりとついた。舎弟達は最初から相手にならず。村雨自身は龍麻と醍醐の同時攻撃に抗しきれなかったのだ。それでも戦闘開始から少しの間は、二人の攻撃を避けきって、なおかつ花札を用いた《力》で反撃までしたのだから、驚嘆に値する。動きを見る限り、武を嗜んでいるようには見えなかったのだ。本当に偶然だけで避けていたような感じだった。
「おい、何一人でブツブツ言ってんだよっ!? てめぇの本当の目的を吐いてもらうぜっ!」
 そう言って、京一は思い出す。自分がここへ何をしに来たのか、を。
「っと、その前に、負けは負けだからな。約束のもん、返してもらおうか」
「分かってるさ。ほら、あんたの財布と学ランだ。財布の中身にゃ、手はつけてねぇよ」
「ちょっと待て。掛け金倍返しはどうした――ってえっ!」
 受け取った学ランを着込みながら、そんな事を言う京一の頭に、少々小ぶりの拳が振り下ろされた。
「こらっ、がめついぞ京一! 大体、自分は何もしなかったクセに!」
 ぴしゃりと叱りつけてから、そんなことより、と小蒔は村雨の方を見た。その顔は、やや困惑気味だ。
「あのさ、キミ……ホントに悪い人、なの? よくは分かんないけど、でも、陰陽師って感じじゃないと思うし」
「あぁ、それを喋ってもらわんことには、お前を帰すわけにはいかないな」
 この場にいた全員が不思議に思っていただろう。京一を利用したり、龍麻達を煽ったりしていた割に、彼からは邪気を感じないのだ。悪意を持って自分達に接してきたのではない。すると、彼の目的は一体何なのだろう?
「もっともな意見だな。俺がなぜ、ここにいて、あんたらを待ってたか……」
 一瞬だけ考える素振りを見せ、村雨は顔を上げる。
「ちょうど明日は土曜日で、学校も半日で終いだ。明日午後一時。日比谷公園まで来てくれねぇか?」
 村雨が何を言ったのか――即座に理解した者はいなかった。一様に首を捻り
「明日……日比谷公園だぁ? どういうことだ、そりゃ?」
 ようやく京一が問い返す。そのまんまさ、と村雨は肩をすくめた。
「俺は元々、あんたらに会うために、ここまで来たんだ。バックれる気はさらさらねぇ。後はあんたらの器量ひとつだ。どうだ、緋勇? ここは一つ、この俺を信じちゃくれねぇか?」
「悪意がないのは分かってたからね。まぁ、ついカッとなって痛い目を見せたけど、こっちもやり過ぎた。信じるよ。さっきはごめん」
 ぺこり、と龍麻は頭を下げた。それを見て、村雨の目が点になる。そして
「くくくっ……あっはっはっはっはっはっ!」
 突然笑い始めた。先程村雨が吐いたセリフ以上に龍麻達は困惑する。ひとしきり笑って村雨は人好きのする笑みを浮かべた。
「初対面の、しかもさっきまで敵だった奴にそこまで言えるたぁ、よっぽど器が広いのか、それともただのお人好しか……まぁ、前者としておくか」
「どうだろう? 別に自分ではどちらだとも思えないけど」
「悪かねぇが……あんた、長生きできねぇタイプだな」
 溜息混じりにそう漏らし、村雨は帽子を深めにかぶり直した。それはまるで、龍麻から視線を外したようにも見える。
「お前……何か知っているな?」
「さぁて? 俺はまだ、何も知らねぇよ。俺はあんたたちを連れてきてくれと頼まれただけだ。ついでに緋勇。あんたに危機を知らせに、な」
 肝心な事を話す気はないのか、それとも本当に知らないのか。醍醐をはぐらかすと再び龍麻の方を向いて、村雨はそれだけを答えた。
「僕の、危機?」
「それじゃあ……やっぱり、本当に狙われている転校生は龍麻くんなのね!?」
 ある程度予想していたとはいえ、それを実際に突き付けられるとやはり気が重くなる。事実を知り、葵の顔色が曇っていった。他の者も程度の差こそあれ、似たようなものだ。ただ龍麻だけが、自分の手に視線を落としている。
「だったらさぁ、行くしかないよねっ」
「えぇ。村雨くんは、ちゃんと約束を守って京一くんの物を返してくれたもの。それに、私達を待っているその誰かにも……会わなければいけないような気がするわ」
「さすがっ、姉さん方は物わかりがいいな。で? 兄さんたちも承知してくれるかい?」
 小蒔達を持ち上げて、さぁどうすると村雨は龍麻達を見る。醍醐と京一は顔を見合わせるが、龍麻は頷き、微笑んだ。
「明日の十三時、日比谷公園で。了解したよ」
「ありがてぇ。あんたたちはただ、明日、時間通りに来てくれりゃいい。幸い《奴》はまだ、あんたが新宿ここにいる事には気付いてない。だが、念のためだ。なるべく一人では出歩くなよ。それじゃあ明日、日比谷公園に午後一時――待ってるぜ」
 白い学ランに刺繍された、紅い「華」の一文字を見せつけるように、村雨は背を向け、そのまま歌舞伎町の雑踏へと消えていった。倒されていた舎弟達も身を起こし、その後を追う。残されたのは龍麻達五人だけだ。
「行ったか……さっきはああ言ったが……信用していいものか」
「でも、そんなに悪い人には見えなかったけどな。ねっ、ひーちゃんもそう思うだろ?」
 今更ながらに醍醐が村雨に疑いの目を向ける。気にしすぎだよと小蒔は笑い、龍麻に同意を求めた。言葉にはせず、龍麻は曖昧に頷くだけだ。
(罠の可能性――はないな。村雨自身は信用できる。でも……一体誰が僕達を待っているんだろう? それに、僕を狙う奴がいるって……そんなことをして何になるっていうんだ……いや、今考える事じゃないか……)
「おい、ひーちゃん! 今日のところは、もう帰ろうぜ! すっかり体が冷えちまったし、何があるにせよ、明日になれば分かるこ――ハックション! ックション!」
「そうだね。それじゃ、今日は帰るとしようか。京一の風邪が悪化したら大変だしね」
 クシャミを連発する京一に苦笑しつつ、とりあえず龍麻は今の考えを先延ばしにすることにした。



 翌日12月19日。
 千代田区――日比谷公園。
 学校が終わり、適当に時間を潰して龍麻達は待ち合わせ場所である日比谷公園までやって来た。
「ちょいと早く来すぎたか? 村雨のヤツの姿はまだねぇな」
 きょろきょろと、公園内を見回す京一。村雨のあの格好は、かなり目立つ。いればすぐに気付きそうなものだが、その姿はない。
「一時まで、まだ十分はあるからね。それよりもさぁ、昨日、村雨クン……自分のコト、千代田皇神の――って、言ったよね?」
「そういえばそうだったな。私立皇神高校といえば、難関校で有名な所じゃないか?」
 何か気になるのか小蒔が村雨の学校を話題に挙げると、醍醐も顎をさすりながら、そんな事を言う。龍麻には何が何やらさっぱりだった。東京にある学校の知識など、仲間のいる所くらいしか持ち合わせていない。
「えぇ……確かにそうだわ。それに、その土地柄、かつての貴族や爵位のあった家系の子供達が多く通う、幼稚舎から小中高まで一貫性の学校だったと思うわ」
「え……えぇ〜っ!? てことは村雨クンが貴族の家柄〜っ!?」
「おいおい、そりゃ何かの冗談だろっ!?」
 葵の説明を聞いて大声を上げる小蒔と京一。皇神というのはかなりの名門校らしい。高貴な人物=村雨の構図が想像できないようだ。
「あいつがお貴族様だなんて、笑っちまうよなぁ、ひーちゃん?」
「そうかな?」
「おいおい、何を言ってんだよ。あの顔見りゃあ、一発でわかんだろうがっ。どこをどう見たら貴族って感じなんだよっ?」
「うーん……意味もなく自信に満ちたところとか。それに、人は見かけによらないよ。例えば……紅葉。彼、手芸部に所属してるんだけど、想像できる?」
 京一達は互いの顔をちらりと見やり、頭を抱えた。拳武館の暗殺者殿が手芸に精を出してマフラーやらセーターやらを編んでいるところ――想像などできるはずがない。
「ま、そういうこと。人を見かけで判断するのはよくないよ」
 その様子を見てクスクスと笑う龍麻。だが京一は納得いかないようだ。
「そ、それでもだなっ! 大体、皇神ってのは偏差値だって高いんだろっ!? お前ら、あれが頭の良さそうな面だと思うか!?」
「へっ――悪いが、あんたほど馬鹿面はしてねぇと思うぜ?」
 今まで散々けなしていた相手が現れる。どうやら否定に夢中で京一は気付かなかったようだ。背後にいる村雨を見て驚いていた。
「こら、誰がバカ面だっ!? てめぇ、本当に皇神の生徒なんだろうなっ!?」
「へっ、似合わねぇって言いたいんだろ? いつものこった。気にしちゃいねぇよ」
 しつこい京一をあしらうと、村雨はぱたぱたと手を振ってあっさりと言ってのけた。
「そもそも俺は貴族でも何でもねぇし、ある人の後ろ盾をもらって高校から編入したのさ。奴がいなきゃ、あんなつまらねぇ学校トコ、とうに自主退学してるぜ」
「高校からの編入って……それってますます頭イイってことじゃないのっ!?」
 事実はどうだか知らないが、小蒔の中では、入学試験よりも編入試験の方が難しいと解釈されているようだった。尊敬の眼差しを送る小蒔に、村雨はやれやれと肩をすくめる。
「ははっ、あんたらまだ分かってねぇのか? 俺は頭がイイんじゃねぇ。異常に運がイイのさ」
「運だけで試験に受かったって言うの……? そりゃ運も大切な要素かも知れないけど……」
「それだけでだなんて……真面目に勉強してる人にしてみれば敵よね……」
 龍麻と葵は複雑な顔をする。何より二人はこれから大学入試があるのだ。苦労してこその入試だと思っているだけに、村雨のような輩には納得いかないのだろう。
「ま、まぁそれはいいや。でも、それは生まれつきのもの?」
 気を取り直し、龍麻は質問した。
「ああ。半分はな。けど、今年に入ってから、ツキ方が半端じゃなくなった。こいつが俺の持つ《力》……とでもいえば納得してもらえるか? 緋勇」
「昨日の一戦、どう考えても格闘には素人のはずの村雨が、僕と雄矢の攻撃を躱した。しかも、武術の動きじゃない。それこそ勘で避けてるようだった。だから、頭から否定はできないね」
「判断しかねるか。まぁ、いいさ。そのくらい慎重な方が、あんたにはいいかもな。まだ俺が、お前らの味方と決まったわけじゃねぇだろ」
「でも。敵と決まったわけでもないよ」
 そう言って龍麻が笑うと、村雨も笑みを浮かべた。どうにも言葉遊びを楽しんでいるようにも見える。
「ところで村雨。これから僕達をどこへ連れて行くつもりなの?」
「まぁ、そう急くなよ。もうすぐ《案内役》がここへ来る。話はそいつが着いてからだ」
「《案内役》……? お前も場所を知らないということか?」
 誰もが、村雨を《案内役》だと思っていた。だがここでは待ち合わせをしに来ただけで、更に案内役とやらが別の場所へ連れて行く手はずになっているようだ。用心のためだろうか?
 しかし醍醐の問いへの答えはこれまた意外なものだった。
「いや、場所なら知ってるぜ。だが、そこには決して《案内役》なしには辿り着けねぇ」
「場所が分かっているのに、辿り着けない……? それって……」
「なぁに、すぐに分かるさ。それより、来たぜ。おい、芙蓉! こっちだ、こっち!」
 見当が付いたのか、葵はそれを確認しようとするが、村雨は片手でそれを制した。お楽しみは後で、ということだろうか。もう一方の手を振って、龍麻達とは違う人物に合図を送る。
「お待たせ致しました」
 こちらへとやって来たのは長い黒髪に白い肌、黒のスーツを着こなした女性だった。美人には違いないのだが、その表情は能面のようで、感情を読み取る事はできない。そして、最近は常に意識して視るようにしていた龍麻はそれに気付いた。
(この人……いや、人じゃない)
 龍麻には、目の前の美女が人にあらざる者だと理解できた。他の者達は当然の事ながら気付いてはいない。村雨は多分知っているのだろう。
「お待たせ致しました。わたくしは、御門家が秘書、芙蓉に御座います。以後、お見知り――」
 お見知り置きを、そう言いたかったのだろう。だが、挨拶途中の芙蓉の口から、その先が紡がれる事はなかった。彼女の視線は、ただ一点に注がれていた。
「? おい、どうした芙蓉――!?」
 様子がおかしい事に気付き、声をかけるが反応はない。そこで村雨は信じられないものを見た。滅多な事では表情を変えない芙蓉の顔が、驚愕一色に染められていたのだ。
「ひ……緋勇……龍……?」
 何やら呟いたのが分かったが、何と言ったのかまでは聞き取れない。
「あの……芙蓉さん?」
 仕方なしに龍麻は芙蓉の肩を掴んで揺さぶった。それでようやく芙蓉は再起動する。
「龍……ひ、緋勇様他、四名様……皆様、お集まりの様ですね」
 表情は無くなったものの、動揺しているのか、言葉の方はややどもりがちだ。その原因は……不明。
「おい、芙蓉。俺が抜けてるぜ」
「……居たのですか、村雨」
 冷たい視線を投げかけてくる芙蓉に、村雨は内心溜息をつく。今の芙蓉の態度はいつものものだ。それは別にいい。だが、龍麻と対面した時のあれは何だったのか。
「では、ご案内致します」
 何か言いたげな村雨を無視して、芙蓉は踵を返す。ついて来い、ということなのだろうが、それを小蒔が呼び止めた。
「ちょっと、芙蓉サンだっけ? どこに案内するってのさっ? 村雨クンも、行く先も言わないなんて、ちょっと強引だよっ」
「あまり時間が御座いません。納得して頂けないようであれば、力ずくでもご同行願いますが」
 立ち止まり、こちらを見る芙蓉。表情も声も変化なし。だが、先の言が冗談でない事は目を見れば分かる。彼女にとっては、自分達を案内する事が全てにおいて優先されるのだろう。
「ち、力ずくだと〜っ!? キレイな顔して恐いこと言うネェちゃんだな。村雨、お前の知り合いなんだろ?」
「まぁ、一応な」
 美人には目の無いはずの京一も、芙蓉の言動には退いていた。
「それより、ここまで来といて渋ってたって、しょうがねぇだろ。いいから、ついて来な」
「そうね。村雨くんの言う通りだわ」
「うむ。仕方ない。俺達も行くとしよう」
 村雨の言う通りなのだ。既に村雨の招待に応じてここにいる。今更駄々をこねたところで何も進展はないのである。
「では皆様、こちらへ――」
 葵、醍醐は素直に、小蒔と京一はまだ納得はしていないようだったが、置いて行かれるのは避けたいので、渋々ながらも後に続く。
(それにしても、さっきの芙蓉さんの態度、何だったんだ?)
 そのやや後方から、龍麻は芙蓉の後ろ姿を眺めていた。自分を見た時に彼女は驚いた。少なくとも自分は彼女とは初対面のはずだ。では、何に驚いたというのか。
(そういえば、何か呟いてたみたいだけど、それと何か関係があるんだろうか?)
「なぁ、先生。あんた、芙蓉と知り合いなのか?」
 考え中の龍麻に村雨が声をかけてきた。龍麻自身に覚えがないので、首を横に振っておく。そこで違和感に気付いた。
「ところで、何で呼び方が先生に?」
「ん? まぁ、細かいことは気にするなよ。あの芙蓉を驚かせることができる奴に会えるとは思わなかったからな」
 何が面白いのかニヤニヤ笑っている村雨。それを不気味に思いながら、龍麻は再び芙蓉に視線を向けるのだった。



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