中央区――浜離宮恩寵庭園。
 日比谷公園からそれ程離れていないそこに、龍麻達は連れて来られた。
「へえぇ〜。すごくキレイな所だねっ。緑がたくさんあって……何だか東京じゃないみたい」
 公園内に視線を走せて、小蒔がはしゃぐ。それを見て葵が笑った。
「ここは昔、徳川家の鷹狩り場だったのよ。その後、明治になって天皇家の離宮となり、昭和に入って一般に公開されるようになったの」
「へぇ……随分と博識ものしりな姉さんだな」
 感心したように村雨は口笛を吹く。
「けど、これから俺たちが行くのは浜離宮であって浜離宮でない所。《案内役》なしには、決して通り抜けられない空間の歪みさ」
「空間の……歪み? どういうことなんだ? それは……」
 意味が分からないのか醍醐は首を捻った。京一と小蒔も同様にして、説明を求めるように何故か龍麻と葵の方を見る。
「等々力不動を覆っていた結界、あれみたいなものだよ。等々力のは侵入者を逃がさないための物だったけど、村雨が言ったのは外部からの干渉を防ぐ物、ってことかな」
「だから《案内役》――先導する人や、あるいは鍵となる物がないと入れないの」
 龍麻も葵も、術関係の知識は割と持っている。龍麻は東京に来る前にある程度詰め込んできたし、葵も最近ではあるが裏密に仕込まれているのだ。だからこそ、村雨のあの説明だけで内容を掴む事ができる。
 もっとも知識量だけなら裏密が一番多い。龍麻達のは、あくまでその断片と言えよう。裏密に理解できない事ならば、龍麻達にはお手上げだ。
「皆様、これをお持ちになって下さい」
 芙蓉が懐から紙を取り出した。四角い紙に朱で「宿」と「霊」の文字、その間に五芒星が描かれている。
「この符が、わたくしとあなた方を繋ぐ、命綱です」
「命綱ぁっ!? おいおい、物騒だな……」
 渡された符を胡散臭そうに見る京一。
「空間の歪みはあらゆる場所、あらゆる時代に通じてるからな。迷い込んだら最後、どこに出るかは運次第、ってわけさ」
 大したことじゃねぇが、と村雨は笑っているが、その彼に向けられた龍麻達の思いは一つだ。
 こいつなら、符など無くても問題ないんだろうな――
「あれ? この札に描いてある星形、どっかで見たことあるなぁ」
 小蒔が渡された符を見て、首を傾げた。見覚えがあるというのは、昨日、裏密が持っていた符に記してあったもののことだろう。
「それは晴明桔梗セーマンと呼ばれる、大陰陽師、安倍晴明様の守護印。我が主によってしたためられたその符が、皆様を無事、彼の地へと導きます。それでは、参ります。わたくしの側から。あまり離れられませぬよう」
 符について説明し、芙蓉はそのまますたすたと歩いていく。それに慌てたのは
「お、おいっ、まだ心の準備が……」
「ちょっと待ってよっ!」
 京一と小蒔の二人だ。空間の歪みについて聞かされ、更に自分の側を離れるなと言った芙蓉が先へ先へと進んでいくのだ。はぐれたら最後、とでも思ったのだろう。
 オカルト系が苦手な醍醐は、やや緊張した面持ちでそれに続く。村雨は慣れたもので、何やら歌を口ずさんでいた。
 それに続こうとして、龍麻は足を止めた。先程まで隣にいた葵が、龍麻の後方に位置している。何やら不安げな顔で、渡された符に視線を落としていた。
「どうかした?」
「ううん。ただ、ちょっと不安だったから……知識で知っていても、実際にどうなるかは知らないわけだし」
 結界自体は何度も目にしている。五色不動の封印には龍麻が結界を張ったし、等々力にも張られていた。池袋では憑き物つき達を遮断するために、人払いの結界を使ったこともある。
 だが今回のは規模も性質も今までのものと違い、何より身の危険があるのだ。勿論それを回避するために芙蓉は符を渡してくれたのだが、やはり緊張はするのだろう。
「手、繋ごうか?」
 龍麻は、葵に手を差し伸べる。
「これなら、絶対に離れ離れになったりしないよ」
 葵はその提案に驚いたようだったが、やがてゆっくりとその手を取るのだった。


 気が付くと周囲の景色は消えていた。こちらに確認する間もなく、芙蓉が結界内に自分達を招き入れたのである。
「わっ……何これ……」
「これが空間の歪み……?」
 小蒔と京一は、その光景に目を奪われる。どこまでも続く黒い空間。申し訳程度に明るい場所があり、それが海中の海藻のようにユラユラと揺れている。距離感も掴めない空間だが、何故か足が地に着く感触はあった。
「俺たちは今、空間と空間のちょうど狭間を歩いている。確か、宇宙を形成する原理であり、万物を貫く普遍的な記号を、ある秘式によって組み替え、新たな天地の理を……とか言うんだが、俺もよくはわかんねぇんだ」
「俺にゃあ、さっぱりわからねぇ」
「俺もだ……」
「右に同じ」
 村雨の説明に頭を抱える三人。村雨は龍麻と葵の方を見て、目で訊ねる。二人は少し考えたようだったが首を横に振った。
「ははっ、まぁ、そんなもんだよな。それより、もうすぐ着くぞ。ほら――」
 村雨がそう言うと同時に、目の前に光が現れる。それは次第に大きくなり、龍麻達を飲み込み――
 気が付くと、見覚えのある景色の場所にいた。きょろきょろと小蒔が周囲を見回し、他の者達も現状を把握しようと努めている。例外は村雨と芙蓉だけだ。
 確認にそう時間は掛からなかった。何故なら、結界に突入する前と同じ風景だったのだから。つまりは、浜離宮恩寵庭園。
「なんだ、もとの場所じゃねぇか。こりゃ一体、どういうコト――っ!?」
 担がれたと思ったのか、京一が声を荒らげる。しかしそれは途中で止まった。
「こいつは……桜……か!?」
 龍麻達の目の前に信じられない光景が広がっている。風に吹かれて舞い踊る桃色の欠片――それは桜の花弁だったのだ。
「何バカ言ってるんだよ! もう冬なんだよっ!? 桜なんて、咲いてるハズないじゃないかっ!」
 今は12月。普通ならば桜が咲く季節ではない。小蒔の意見も当然といえる。だが実際に、それは目の前にあるのだ。
「龍麻、美里……これは幻か何か、なのか?」
「いいえ、花弁は確かにここにある……存在するわ」
「となると……浜離宮によく似た別の場所、なのかな? ミサちゃんがよく使う転移系魔術を、結界を用いて集団で利用できるようにしたとか……」
 騒ぐ京一と小蒔の二人とは正反対で、龍麻達は冷静に場を分析しようとしている。
 それを面白そうに見ているのは村雨だ。
「おい、芙蓉。お前の方が説得力ありそうだし、まっ、頼むわ」
「皆様。わたくしの姿が、ご覧になれますか?」
 芙蓉の声に、全員がそちらを向き――そして絶句。
「これがこの世界におけるわたくし本来の姿です」
 先程までの秘書のような服ではない。今の芙蓉は桃色の着物姿だった。肩と胸元の辺りがやけに露出されているような気もするが、その美しさもあって天女を連想させる。
「先程までのものは、主より戴いた符による幻影まぼろしに御座いますす」
 京一は食い入るように、小蒔と葵は呆れたように、芙蓉を見る。醍醐は顔を逸らしていた。
 龍麻は普通に芙蓉を見ている。それに気付いたのか芙蓉もこちらを見た。こちらを見るその表情は、今までと変わらない。いや、ほんの僅かではあったが、何かを懐かしむような、そんな目を向けてきた。
(彼女は僕を知ってるのかな……?)
 龍麻は問い質してみようかと思ったが
「やっぱり……ここはさっきの場所とは違うわ。桜の花もそうだけど、ここは……さっきよりももっと、空気が澄んでいる……気温だって違うし、それに、この浜離宮には誰も人がいないわ」
 葵の声を聞いてそれを止めた。言われて周囲をみると、ここには龍麻達しかいない。来る前には、他の観光客らしき人達もいたはずなのだ。やはり、通常とは異なる空間、なのだろう。
「仰る通りです。ここは我が主が、さる御方のために特別に創られた空間……では、あらためてご案内致します……」


 芙蓉に案内されたのは大きな池の畔だった。連れ回されてばかりのような気もするが、この場は空気も《氣》も澄んでいる。寺社仏閣にいるような心地よい空間なので龍麻は普段の《氣》すら消して、景色を楽しんでいた。
「ところで村雨。俺達を待っている奴というのはこの辺りにいるのか?」
 いい加減歩き疲れたのか、醍醐は前を行く村雨の背に言葉を投げた。
「あぁ。ほら、そこの木の陰だ」
 振り向きもせず、池の一角を指す村雨。そこには白い学生服を着た人影がある。
「晴明様。緋勇龍麻様、他四名様を、只今、お連れいたしました」
「芙蓉も村雨も、ご苦労でしたね」
 芙蓉が頭を下げると、ねぎらいの言葉をかけ、晴明と呼ばれた黒い長髪の男がこちらにやって来る。
「わざわざお呼びだてして申し訳ありませんでした。わたしは、村雨と同じく、皇神高三年所属の、御門晴明と申します。よろしく、お見知り置きを」
「ええ」
 本来ならこちらこそ、と続く龍麻の言葉も、そこで止まる。何というか、御門の態度が気になったのだ。偉そうというか、尊大というか。皇神に通うほどの人物なのだから、そういう態度も頷けるものがあるが、それを向けられた方としては、面白くない。
 結果として、珍しく龍麻の返事は素っ気ないものになったが、御門自身は気にしていないようだ。
「なぁ、挨拶はいいから教えてくれよ。俺達には、お前らの目的がさっぱりわからねぇ」
「あぁ……村雨との一件もあることだし、こっちとしても、そう簡単に信用するわけにはいかないな」
 京一と醍醐はそう言って一歩踏み出した。何しろ説明もないままここへ連れてこられたのだ。気になることはいくつもある。
 御門の方は、一件? と片方の眉を上げ、やがて納得したのか手にした扇子で口元を隠し、村雨を見た。
「村雨――また、悪い癖が出ましたね?」
「なぁに、ちょっとした運試しをさせてもらっただけさ。東京の命運を握る者の力……少しは見てみてぇもんだろ?」
 悪びれもせずに、村雨は笑っている。
 龍麻は、村雨が気になることを言ったので質問しようとしたが
「祇孔! この方たちに手を出してはいけないと言ったのに!」
「秋月様」
 突然の声に遮られてしまった。見ると、いつの間にやら姿を消していた芙蓉が、車椅子に座った少年を伴ってこちらへとやって来る。御門が口にした名は、その少年のものだろう。
「その……悪かったよ、マサキ。まあ、成り行きってやつでよ」
 ばつが悪そうに、村雨は意外と素直に謝る。まったく、と少年は溜息をついて、龍麻達に向き直った。
「でも、皆さんも祇孔も、無事で何よりです。本当に……申し訳ありませんでした」
「あなたは――もしかして、あの、高校生画家の秋月マサキさん!?」
 頭を下げる少年を見て、葵が驚いている。その名は、龍麻達にも聞き覚えがあった。先日、アン子が行くと言っていた個展の画家が、そんな名前だったはずだ。
「えっ、この人が!?」
「確かに、アン子や他の女共が騒ぐのも分かる気がするな。こいつはとんだ色男だぜっ」
 小蒔も驚きの声を上げ、京一はまじまじと秋月を見つめる。どこか中性的な、整った顔立ちの秋月は、確かに女子達に人気が出そうだ。
「そんなことは……ありませんよ」
 照れたように、そしてどこか寂しそうに、秋月は笑った。
「それよりも、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。僕は中央区、清蓮学院三年の秋月マサキといいます。全ては僕が言い出したこと……今回は祇孔……いえ、村雨が大変ご迷惑をおかけしました。本当に……すみません」
「いや、気にしなくていいよ。その分、こちらもやり過ぎてしまったから」
 こちらへ頭を下げる秋月。別段、こちらが被った被害はない。強いて言えば京一が風邪をひいたことだが、あれは元々京一の自業自得だ。
「えぇ、ありがとうございます。皆さんにそう言っていただけて、僕もほっとしました」
「秋月様。村雨如きのために、貴方が詫びる必要はありませんよ。悪いのは全て、この男ですから」
 御門はそう言って扇子で村雨を指す。大きな態度に普通なら腹を立てそうなものだが、村雨は気にした様子もなく、ただ肩をすくめた。
「まっ、いいさ。これで面子が揃ったんだ。そろそろ話を始めようぜ」
「その前に、ボク、訊きたいことがあるんだけど。村雨クンと御門クンは学校が同じだからまだいいとして……芙蓉サンも御門クントコの秘書って言ってたけど……そこに秋月クンが加わると……四人は一体どういう関係なの?」
「ああ、それそれっ、俺も気になってたんだ。学校だって違うみたいだしよ。それに、さっき芙蓉ちゃんが言ってた、この世界での姿、とかいうのも謎のままだしな」
 小蒔の質問ももっともである。今までの話では、秋月との接点がないのだ。どうやら秋月の指示で、村雨達は動いていたようだが、何故それに従うのかは分からない。家柄が関係しているのだろうか。
 それに、芙蓉の正体もだ。彼女がまだ人間だと信じている京一達には、先の言葉の意味は分かりかねるだろう。
「芙蓉ちゃん……くくっ、芙蓉ちゃんねぇ。いいねぇっ、俺もこれからそう呼ばせてもらうかっ」
 村雨は笑って芙蓉を見る。その芙蓉は無表情のまま、というかつまらないものでも見るような視線を村雨に返していた。何を訳の分からないことを、とでも思っているのだろうか。
「そのくらいにしておきなさい、村雨。ちゃんと説明しなかったお前の責任ですよ」
 そうたしなめて、御門は芙蓉へ視線を移す。
「どうやら皆様……約一名を除いて誤解されているようですが、芙蓉は――人間ではありません」
「えっ!?」
「人間ではない……だと!?」
「何言ってんだよ、どう見たって人間の女の子じゃねぇか!」
「そ、そうだよ。御門クンってば、冗談キツイよ」
 龍麻を除く四人は驚き、御門の言葉を信じていないようだ。
「芙蓉は、わたしが西の御棟梁、安倍様よりお預かりしている式神。鬼神、十二神将の一人です」
「はい。十二神将が一人――天后、芙蓉に御座います」
「なるほど……それで、スーツ姿の時もその格好と、符が視えたんだ」
 納得したのは龍麻のみだ。初めて会った時から、龍麻には今の格好の芙蓉が、そしてその中に透けたように映る符が視えていたのである。式神を見るのは初めてだったが、どうやら龍麻の《力》では符そのものが視えるらしい。
「申し遅れましたが、我が御門家は、代々、東方に散る陰陽師を束ねる、東の棟梁。わたしはその、八十八代目の当主なのです」
 ぱちん、と扇子を鳴らす御門。
 陰陽師と聞いて、ほんの一瞬、龍麻達に緊張が走る。転校生狩りをしているのは陰陽師で、しかも式神を使えるほどの熟練者。芙蓉という式神を使役している御門なら、その条件には当てはまる。
「だが、どうやら龍麻を狙っている陰陽師というのは、あんたではないようだな」
 警戒を解き、醍醐は訊ねた。向こうがその気なら、ここへ来る途中の結界で迷わせてしまうだけで事足りるのだ。それに、村雨を使ったりと回りくどいことをする必要もない。
「フッ、もちろんですよ。あのような私怨でしか動けぬ小者と一緒にされてはたまりませんね」
「えっ……? それじゃあ――御門クンは、犯人が誰だか知ってるの!?」
 御門の言い回しでは、そういうことなのだろう。訊ねる小蒔に御門は首肯する。
「関東以北に点在する陰陽師の動きは把握済みですから。ましてや、あのようにドーマンを印した呪符を好んで使うのは、蘆屋道満殿の直系である、阿師谷家の陰陽師親子でしょう。恐らく、全ては彼らの仕業」
「そこまで分かってんなら話は早いぜっ! こっちから出向いていって、ブチのめせば済むことだからなっ」
 喧嘩っ早い京一は、パシッと拳を自分の手に叩き付ける。それを見て御門はフッと笑った。
「せっかちな人ですね。まぁ、そう気負わずとも彼ら如きにあなたの相手が務まるものとは、到底、思えませんよ。そうでしょう、緋勇さん?」
「……そうだろうね」
 龍麻の発言に驚いたのは葵達だった。普段の龍麻ならこんな言い方はしない。相手の力量を自分で確認するまでは、迂闊な判断はしないのだ。
「今の僕なら、多分問題ないと思うよ」
「フッ。さすがに御自分の力量を御存知のようですね。そう答えていただければ、訊いたわたしも気分がいい」
 満足げに御門は笑う。龍麻は別段何も言わないが、京一達には、今の龍麻の態度はどこか違和感がある。それが気にはなるが、今はその話をする時ではない。
「あの……もしかしてあなた方は、私達にそのことを忠告するために招いてくださったのですか?」
 龍麻のことを保留し、葵は秋月に訊ねる。とりあえずはそういうことになるかな、と答えたのは村雨だ。
「俺は面倒くさかったんだがな、マサキの奴が、早く教えに行ってやれって、もう、うるせぇのなんのって。それにしてもよ、俺はこういう仕事は、御門の役目モンだとばっかり思ってたんだがなぁ」
「おやおや……では、あれはわたしの見間違いでしたか。運試しに力試しの大勝負が楽しめると、大喜びで飛び出して行ったのは――どこの誰だったんでしょうね?」
 互いを横目で見ながら、そんなことを言い合う二人。顔が笑っているところを見ると、やはり楽しんでいるようだ。
「仲がいいんだか悪いんだか、よく分かんない二人だなぁ」
 と小蒔が漏らすのも無理はない。それは龍麻達に共通した思いだった。
「でも、結局ボク達を呼んだのは、秋月クンってコトなんだね?」
「えぇ……そのためにこの場所を御門に用意してもらいました。あなた方に迫る危機をお伝えするために、そして……今、この東京に迫る危機についてお話しするために……」
 東京の危機。それを聞いて龍麻達の表情が引き締まる。似たような状況を解決したのはほんの数ヶ月前のことだ。鬼道衆との闘い、あれも下手をすればもっと大きな被害を出していたはずである。それと同じことが起こるというなら、龍麻達にそれを見過ごすことはできない。
「こんな所まで呼び出して、無礼なのは分かっています。ですが……どうか僕の話を聞いてはもらえませんか?」
「僕達でよければ、是非」
 となると、龍麻達の答えは決まっている。そう答える龍麻に京一達も頷いてみせる。
「ありがとうございます。快く受け入れていただいたこと、本当に感謝します」
「秋月さん。そんなにお気を遣わないでください。私達、話を聞くためにここまで来たんですから」
 深々と秋月が頭を下げると、葵は優しく微笑む。いきなりの呼び出しには違いないが、自分達は納得してここまで来ているのだ。そこまで気を遣ってもらうことはないのである。
「あぁ……そうだな。それで? あんたは一体、何を知ってるというんだ?」
「まずは、僕の描いた絵を見ていただけますか? まだ未完成ではありますが、なぜ僕があなた方を捜し当てることができたのか。この絵を見ていただければ、お分かりになると思います」
 醍醐が先を促すと、秋月はそう言って芙蓉に目配せをする。恭しく頭を下げ、芙蓉は車椅子の後ろにあった絵を手に取り、龍麻達に見せた。
「「「「「――っ!?」」」」」
 それを見て息を呑む龍麻達。
 不思議な絵だった。まず目に付くのは金色の龍。その背後には、何やら塔のような物が二つ建っている。それと対峙するように、龍麻達の姿が描かれていた。龍麻達真神組は言うに及ばず、今までに仲間になっている者達が全員。そしてよく見ると、仲間達の間に不自然な空白がいくつか空いている。未完成ということは、ここにまだ何人か加わるということだろうか。
「村雨が言ってた似顔絵っていうのはこれのことだったんだね」
 写真と言ってもいい程の緻密な絵だ。これを元にして人を捜すのなら、まず間違いない。
「この二つの塔……何かに似て――っと、都庁のツインタワーに似てるような気がするな」
「言われればそうだな。まさかそのもの、というわけではないだろうが」
 京一と醍醐は、絵の中の塔に興味を持ったようだ。小蒔も興味津々に絵を眺めているが、龍麻と葵の目はその中の一点に注がれている。すなわち、金色の龍に。
「恐らくこれが、僕に芽生えた《力》なのでしょう」
 ぽつりと漏れたその言葉を聞き、葵は絵から秋月へと視線を移した。
「未来を描く《力》……?」
「その通りです。それに僕は家系故、生まれながらにして、星の軌道とそれにまつわる人の《宿星》を視る《力》があります。《宿星》――人が、それぞれに生まれ持った星の定め――《天命》とも呼べるもの……僕は、ずっと捜していたんですよ。この東京を護る宿命を負ったあなた方を。そして、この時を待っていたんです。あなた方に、未来を伝えるこの時を……」
 言い終えて、秋月は龍麻達を見渡す。突然の話にどう反応していいのか分からないようだったが、その中で葵が真っ先に考えを纏めたようだ。
「それじゃあ――私達は、黄龍に立ち向かうことになると? 黄龍とは、大地の力そのものなのではないですか……?」
「ほう――」
 感心したように声を上げたのは御門だった。
「少しは万物の理というものをご存じのようですね。緋勇さん……あなたはどうです? こういった話に興味がおありですか?」
 その態度故に素直に喜んでいいのかどうかは不明だが、どうやら誉めているようだ。再び扇子を広げ、御門は龍麻を見て訊ねる。
「それなりに。今まで色々な事件に関わってきたから、ある程度の知識はあるつもりだよ」
「それは結構。わたしも余計な労力を使わずに済みそうですよ」
「御門……ここから先は、陰陽道、そして風水に関わる話。僕よりも、あなたに話してもらった方がいいでしょう」
 秋月がそう言うと、御意と御門は頭を下げ、龍麻達に向き直る。
「あなた方には理解しがたい事ばかりかと思いますが、それでも、お話ししなくてはならないでしょう。この東京のどこかに隠された《龍命の塔》の話を――」

「まずは《龍命の塔》についてお話ししましょう。これはその名の通り龍の命――すなわち龍脈の《力》を、二つの塔の強力な音叉効果によって増幅させ、強制的にある一点に向けて押し流す水竜器ポンプのような装置だと聞きます。そして――龍脈の《力》が噴出するその一点、つまり《龍穴》を手中に収めた者は、まさに永劫の富と栄誉を手にすることができるというのが、風水における一般的な龍脈の解釈なのです」
「龍脈……って、どっかで聞いたことがあるな」
「あぁ。それも――何かとんでもない時に聞いたような覚えがあるのだが……」
 京一と醍醐が首を捻っている。等々力での最終決戦の時に葵が叫んだことを言っているのだろうが、どうやら思い出すには至らないらしい。
 一方の御門はそれに構うことなく、龍麻を見ている。何か質問はないのか、と訴えているようだったので、龍麻は訊ねた。
「さっきの絵にあった塔が、都庁のそれと似てるって京一が言ってたけど、それって偶然なの? それとも、何かの意図が?」
「新宿に建てられた新東京都庁舎――協議の結果、デザインが決定したのは昭和六十一年ですが、その前の年に発見、解読された古い設計図があります。そこには大正――帝都の時代に当時の軍幹部等が、高名な風水師たちを集め、極秘裏に研究、建設したとされる《龍命の塔》の綿密な設計法が記されていたのですよ」
「つまり、今の都庁はその設計図を元にデザイン……いや、塔を模倣したってこと?」
「恐らくは」
「でも、何でそこまで? そんな昔の設計図にこだわった理由は?」
「都庁の施工時には、高名な風水師の姿があったとも聞きます。それに塔は元々、風水学上の分類では、木性の性質。木は土中の水分を吸い上げて成長するのが理ですから、龍命の塔はまさに、大地を流れるエネルギーという名の水を吸い上げて成長、発展させる文明の繁栄装置でもあったのです。現在の都庁が風水を踏まえて造られた物であるならば、この国の更なる繁栄と発展を願って設計された物であるとも言えるでしょう」
 眉唾な話には違いないが、もしその通りであるならば、今の日本でも呪術的なものが政治家達には信じられており、それを利用する考えは定着しているのだろう。これが香港ならば風水絡みの建築物は嫌というほどあるが、まさか日本で、それも都庁という公の建物でそれをするとは思いもしなかった。
「……何だかどうも、妙な話になってきやがったな。鬼が片付いたと思ったら、今度は龍かよ……」
 難しい顔で愚痴のようなものをこぼす京一。鬼道衆の時といい、どうしてこんな厄介ごとに縁があるのかと嘆いているようだ。しかしそれは龍麻達も同じである。いくら《力》があるとはいえ、これ程の事件がそう何度も自分達に関わってくるのは不自然だ。
(鬼道衆の時は葵――菩薩眼が絡んでいた。今回は龍脈というか黄龍……大地の《氣》が関係してる。また誰か、それに関わる人がいるんだろうか……いや、もしかしたらそれは――)
「ねぇ、秋月サン。それじゃあ、その龍命の塔……っていうのは、この東京のどこかに、今も眠ってるの?」
 龍麻が色々考えている内に、小蒔が秋月へ問いを投げかける。
「そうです。そして僕の描いた黄龍の顕現は、何者かの手により、龍脈の《力》が解放されることを示しています」
「つまり――この東京の龍脈の《力》を狙ってる奴がいるってコトだよね?」
「間違いないでしょう」
 続く疑問を御門が肯定する。
「そしてその者の目的は恐らく、この東京のどこかに眠る、双頭の龍命の塔の起動と、東京というこの都市を維持している龍脈の《力》を、何らかの法を用いて、その手中に収める事……」
「絶大な力を、一人の人間が掌握する……これが何を意味するかくらい、分かるだろ、先生?」
「ありがちな話なら、世界征服なんてのを考えるかもね。その力が単に武力でないなら、それ以上の事もできそうだけど」
「あぁ。それだけの力がありゃあ、世界を自分好みに造り変えることすらできる」
 村雨は肩をすくめてみせる。普段ならヘラヘラと笑っているところだろうが、その顔と声は真剣そのものだ。彼は彼でこのことを重く捉えているようだ。
「過ぎた力を得た人間は、愚かな夢を見るものです。おのれの卑小さも忘れて、ね。ですが、一人の人間が歴史を自在に造り変えることなど、許されるはずもない絶対の禁忌――本来歴史の変革は《魔星》の出現と龍脈に選ばれし者、つまり――時代という名の神に選ばれし者だけが行える神の所業です」
 静まった空気の中でパチン、と扇子を閉じる音が響く。
 龍脈の影響を受けて《力》を得た者達――今まで出会った者達の中にも、それを絶対と信じて好き放題やっていた者がいたのだ。愚かな夢――《力》など得なければ夢で終わっていたのだろうが、それは現実となり、そして悪夢となった。
「魔星が争乱を象徴するいぬいの方角に出現したのが、1997年――。1998年は暗黒を意味するかんの方角に留まるでしょう。そして、1999年――魔星は、最も最悪と言えるごんの方角に入ると思われます。それこそが、時代の変革と龍脈の活性化を意味するのです。天の魔星、その名を《蚩尤旗》――」
「しゆーき? なんだそりゃ?」
 聞いた事のない単語に京一以下が頭上に疑問符を浮かべている。もっとも、途中から御門の説明を理解している者は龍麻を含めて誰もいないのだが。辛うじて分かるのは、今がその時期なのだろうという事だけだ。
「蚩尤旗は、未だその正体の解明されていない謎の彗星――陰陽道においては、これを天変を引き起こす魔星と見ます」
「彗星ってコトは、それってやっぱり普通の彗星みたいに、一定の周期で巡ってくるモノなの?」
 彗星というと小蒔が言うようなイメージがどうしてもついて回るが、御門はその問いに首を振る。
「いいえ。そうではありません。特に、蚩尤旗は――その地に生を受けた万物の栄枯盛衰と渦巻く欲望を受け、その呼び声に応えて出現するという伝承があります。そして天に蚩尤旗が出現すると共に、龍脈の活性化が始まるのです」
「そして――度重なる争乱の上に、昇華する龍脈の《力》を手にするため、何者かが暗躍を続けているのです」
 最後を秋月が悲しげな表情で締めくくる。
 その何者かが、自分達の敵である事は疑いようがない。鬼道衆との闘いが終わってからの出来事――九角を鬼として復活させたのも、帯脇や火怒呂を唆したのも、そして拳武館に自分達の抹殺依頼をしたのも、そして、龍麻に干渉してきたのも、全てそこに繋がるような気がしてならない。
「そして俺達は、いずれそいつと闘うコトになる……それが、あんたの描いた未来ってわけか」
 京一は秋月を見て、そしてもう一度絵に目をやる。
「はい……その何者かの陰謀を阻止し、龍脈の暴走を止めること……緋勇さん、これはあなた方、龍脈の《力》を受けた者にしか、できないことなのです。分かって……いただけますか?」
「それは……分かるよ」
 一度全員を見渡し、秋月は龍麻に声をかけた。龍麻は首肯するが、その表情は冴えない。
 相手が何者であれ、普通の人間にできることではない。恐らくその者も《力》を持つ魔人であろうから。
 だが、素直にはいそうですか、と安請け合いする類のものでもないのだ。
(言いたいことは分かる。分かるけど……でもそうなると――)
「やはりあなたは、僕が思っていた通りの人だ、緋勇さん……あなたになら……安心してこの地を任せられる」
 歯切れの悪い言葉と顔色から、龍麻が何を思っているのかを察したのだろう。秋月は柔らかな笑みを浮かべる。
「それから、皆さんをわざわざお呼びしたのには、もう一つ理由があります。御門……あれをここへ」
「御意」
 主の命に応え、御門はその場を去り、しばらくして何かを手に戻ってくる。
「これは、我が秋月家に代々、伝わる物です。こんな時こそ、何かのお役に立つことと思います。どうかお持ち下さい」
 それは光り輝く衣装だった。着物というか、どこかの書物で見た天女が纏う羽衣を彷彿とさせる。
「ちょ、ちょっと……いくら何でも、そんな大切な物を、今日会ったばかりの僕達に――」
「いいのです。ただ大事にしまっておくよりも、あなた方のような方達に使っていただく方が、物にとっても幸せですよ」
「はぁ……そこまで言うなら使わせてもらうけど……でも、どうしてなの?」
 それを受け取り、龍麻は疑問を口にした。
「今の東京に、覚醒した者達は大勢いるはずだ。その中で徒党を組んで活動しているのは、僕達くらいなんだろうけど、どうして僕達なの?」
「先程も言いましたが、僕には、その人の背負う《天命》――宿星というものが視えます。緋勇さん……あなたの中に流れるその血脈の、真に意味するところも……」
「僕の……血脈?」
 かつて修学旅行に行った時、山中で出会った天狗が口にした言葉。自分に流れる血――それが一体どういう意味を持つのか、龍麻は知らない。そもそも意味があるのかどうかも分からない。だがそれを訊くより早く、秋月は続ける。
「ですが、それを語るのに僕は相応しくない。時は迫っている……あの方も、それをご存じのはず。白蛾翁……龍山老師の元へ行かれるとよいでしょう」
「龍山先生?」
「今から十数年前、あの方は……今のあなた方と同じ立場にいたのですよ」
「せっ、先生がっ――!?」
 突然出てきた名に、そして告げられた事実に大声をあげて驚く醍醐。彼にとって龍山は師匠だ。その師匠が今の自分達と同じ立場――つまり龍脈を巡る闘いに身を置いていたという。驚くのも無理はない。それは龍麻達も同じであった。
「だからおじいちゃんは、あんなにボク達のことを気遣ってくれたんだね。ボク達のこと、きっと本当に心配してくれてたんだよね」
「そうみたいだね……」
 小蒔に頷く龍麻であったが、彼の中では疑問が湧き上がっていた。
(初めて会った時、先生は僕に話したいことがあると言った。多分、今回の件についてのことだ。先生は知ってたんだ、僕達がこの件に関わるって……でもどうしてだ? 何で今まで黙っていたんだ? 僕に一体何があるっていうんだ?)
 周囲は勝手に動き始めている。どうやら自分はその渦中に、それもかなり重要な位置にいるらしい。だが自分は肝心なことを何一つ知らない。それが龍麻を苛立たせる。ただでさえ最近の自分は――
「龍麻くん……どうしたの? 怖い顔をして」
 その声で龍麻は現実に引き戻された。いつの間にやら葵が側にいて、心配そうにこちらを見ている。
「いや……ちょっと考え事……」
「そう? それならいいんだけど……」
「それより、龍山先生の所へ行こう。情報はあった方がいい」
 葵から顔を逸らし、龍麻は皆を促す。その態度はどこか焦っているようにも思えた。
「それでは、表の世界までわたしがご案内しましょう」
 そんな龍麻の様子を知ってか知らずか、御門が進み出る。それを不思議そうに醍醐は見るが……やがてポンと手を叩いた。
「あぁ、そうか。ここはその……別の空間というやつだったな」
 この浜離宮が現実空間と隔絶されているという事実を、皆が忘れていた。ここは居心地がいいし、何より壮大で難解な話を聞いた後だ。どこかに混乱が残っているのだろう。誰とはなしに顔を見合わせ、龍麻達は苦笑する。
「皆さん。こんな場所までわざわざお越しいただいて、本当にありがとうございました。僕も……この脚さえ動けば、もっと皆さんのお手伝いをすることもできたのに……」
 秋月は自分の脚に視線を落とし、悔しそうに呟いた。話すだけ話しておいて、直接力になれないのが歯痒いのだろう。
 だがそれは仕方のないこと。人間、自分にやれることをやるしかないのだ。
 だから、気にすることはない、と龍麻が言おうとしたその時。
「オーホホホホホホッ! その通りよねぇ。マサキちゃんは、秋月のおちこぼれですものぉ。星神の呪いを受けたその脚は、もう二度と動かない。でもその《力》は、陰陽司る者には魅力的よ〜」
 空から声が響いた。



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