「誰だっ――!?」
「この声、この話し方……もしかして……オカマ?」
「オカマって言うんじゃないわよっ!」
醍醐が誰何する。小蒔は何か感じたのか、思ったことをそのまま口にした。それは声の主には禁句だったらしい。怒りに満ちた声が返ってくる。が、気を取り直すように咳払いすると
「でも……ついに見つけたわよぉ。《黄龍の器》がこんな所に隠れてたなんてねぇ」
元の調子を取り戻し、粘っこい声で、聞き慣れない言葉を口にする。
「黄龍の……器? 一体何の――」
オカマの声に首を傾けかけた醍醐だったが、その視線は知らぬ内に龍麻へと注がれていた。そして、同じように龍麻を見る者にも気付く。
(……何故ここで龍麻が気に掛かるんだ? それに美里も龍麻を見ているが……)
葵もまた、龍麻を見る一人だった。ただ、彼女自身にも何故そうしたのかが分かっていないらしく、眉間にしわを寄せている。
「ちっ。なんであの野郎がここに……どこかに式でも潜り込ませてたってことか?」
懐から取り出した花札を手に、村雨は横目で御門を見る。それに気付いた御門は扇子で口元を隠し
「わたしの結界を見くびられては困りますよ、村雨。阿師谷の者如きの侵入をそう簡単に許すはずがありません。何か、強力なものの《力》を借りましたね、伊周? 姿を見せたらどうです? それとも――あなた如きの能力では、人形に姿を映す術すら使えないのですか?」
空に向かって嫌味を吐いた。もちろん、それで黙っている相手ではない。
「余計なお世話よっ。相変わらず、嫌味な男ねっ。今……やってあげるわよ!」
その声に遅れること数秒。龍麻達の前にその姿が現れる。赤いスーツを着た、長髪の男だ。
(赤い服……いや、制服じゃないのか。それにしても……)
一瞬、自分達の暗殺依頼をしたという男かとも思ったが、違うようだ。変な男には違いないが。
「はいっ、うふん。これでど〜お?」
などとポーズを取る男に、呆気にとられる龍麻達。御門達は慣れているのか、変化はない。
「うわっ、やっぱりオカマじゃねぇか……」
「うるさいわねっ……と、ちょっといい男だけど、それ以上言うとただじゃおかないわよっ」
気味悪げに後ずさる京一に念を押すと、伊周は髪を掻き上げながら御門達の方へと向き直る。その身体からは、紅い光が立ち上っていた。
「それより御門……今日こそ、その高慢チキな鼻を明かしてやるわっ。あたしの《力》……見せてあげるわよっ!」
懐から伊周は呪符を取り出した。それは裏密がアン子から預かった物と同じ物――つまり、転校生狩りの犯人であることを裏付けるものだった。
「――臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前――陰陽に使役されし、三十六の猛禽よっ、蘆屋の名の下に我が符に宿ってその力を示しなさいっ!」
伊周の手を離れた符が、まるで視えない手によって折られているように形を変え、折り鶴の姿となる。そしてそれは、本当の鴉へと姿を変えた。
「オーホホホ! 覚悟してね、マサキちゃん! お行きっ!」
声に応じ、鴉達は一直線に秋月へと襲いかかる。御門は、自分の鼻を明かすと言われ、自分が狙いだろうと身構えていたものの、裏をかかれる形となった。村雨も同様に、御門が伊周にどうにかされるタマではないと傍観者状態。龍麻達も突然現れた男がいきなりマサキを狙うとは思わなかった。
それでも龍麻達数名はそれを何とかしようと飛び出したが、到底間に合わない。
しかし、ただ一人だけ、間に合った者がいた。
「芙蓉――!」
秋月の側にいた芙蓉である。彼女は秋月を傷つけようとした鴉達の前に立ち塞がり、その身を盾と成したのだ。
式神とはいえ、今の芙蓉には実体がある。無数の鴉の、嘴と爪にその身を抉られ、幾つもの血の花が咲いた。
「あ……秋月様……ご無事で……なによりで……す……」
それを最後に、芙蓉の身体が揺らぎ、溶ける。先程の血を含めて、存在した痕跡の一切が消えた。彼女の依代となっていたであろう、傷ついた符――人形
「消えちまった……」
彼女が式神――人でないことを目の当たりにし、京一は、いや、京一達は呆然としている。
「式神に打たれたために、肉体の素である符が傷つき、一時的に異界へ戻っただけです。ご苦労でしたね、芙蓉。すぐに再生してあげましょう。それよりも伊周……」
傷ついた符を拾い、御門は伊周に鋭い視線を放った。人を食ったような態度は既になく、怒りの気配を纏っている。
「あなたはわたしに対する最大の禁忌を犯してしまったようですね」
「なっ……なによっ、ちょっとした冗談じゃないっ」
御門の放つ《氣》に気圧されて、伊周は顔を引きつらせた。鼻を明かすなどと言った割には、随分とあっけない。
「タチの悪い冗談……」
ふう、と小蒔は皆の気持ちを代弁するかのように溜息をつく。そんな小蒔を、伊周はキッと睨み、八つ当たり気味に叫んだ。
「お黙りっ……桜井小蒔!」
「えっ!? どうしてボクの名前を……」
「あ〜ら、みんな知ってるわよ。醍醐に、蓬莱寺に、美里に……」
驚く小蒔を面白そうに見て、伊周は名を挙げながら醍醐達を見やる。そして最後に、龍麻でその目を止めた。
「緋勇龍麻……うふっ、捜したわよぉ。何しろパパの占いじゃ、高校三年、転校生……この二つしか情報がないんですもの。とにかく、片っ端から式神に転校生を襲わせたんだけど、どれもこれもスカばっか。あっけなく死んじゃったわ。あの方が現れなかったら、一生見つからなかったかもね」
得意げに喋りながら、伊周は龍麻を無遠慮に見る。
「うふん、よく見ると、あんたも結構いい男ねぇ。あたしは江東区綱護高校三年、阿師谷伊周――ねっ、こんな奴ら放っといて、あたしと組まない? うふっ、後悔はさせないわよぉ?」
どうやら龍麻の容貌はオカマの感覚でもいい線いっているようだ。
「……」
「あら、随分と淡泊
くねくねと伊周は身をよじっているが、それを見る方はたまったものではない。
「げげ――気持ち悪ぅ……」
「オカマにつきまとわれるくらいなら、鬼に襲われでもした方がまだマシだな、精神的に……」
「なによっ、あたしは化け物以下だって言いたいのっ!?」
露骨に嫌な顔をする小蒔と京一。聞き捨てならぬと伊周は表情を険しくする。しかしそれも一瞬だった。
「まっ、いいわ。アンタたちを始末するのもあの方との約束ですもの。ホホホッ、御門も悔しけりゃあたしの所へいらっしゃい。待ってるわよ〜ん。しーちゃんも来てちょーだいね。オーホホホホホホホホッ!」
「……待て」
高笑いと共に、姿を消そうとしたオカマ。それを呼び止める者がいた。
「あら、どうかしたの? こいつら見限って、あたしと組む気になった?」
声の主――龍麻を伊周は面白そうに見る。だが、龍麻の次の一言はこうだった。
「このまま、ただで帰れると思ってる?」
口調は淡々としている。その顔からは感情を読み取れない。が、何とも言えない威圧感があった。《氣》を解放しているわけでもないのに、だ。
「な、なによ……言っておくけど、あたしを攻撃したって無駄よ。今ここにいるのはあたしの影ですもの」
「そんなことは視れば分かるよ。でも、さっき御門に睨まれて気圧されてたように、感覚はあるみたいだからね」
すっ、と龍麻は右腕を横に持ち上げる。その手に生じる炎《氣》。
「自分の身を傷つけないことは分かっていても、プレッシャーには勝てないわけだ」
「ちょっ、ちょっと、どうするつもりよ……!?」
次第に大きくなっていく炎《氣》に、伊周は顔を引きつらせながら裏返った声を出す。自分に被害が及ぶことはないと分かっているのに、その慌てぶりは滑稽なほどだ。
「だったらせめて、恐い思いだけでもしてもらうよ。嫌なことを思い出させてくれたお礼にね……」
「「「「な……っ!?」」」」
言葉が終わると同時に、炎《氣》は形を変えた。それを見て驚く京一達。
龍麻の右腕には、翼を休めるように、炎を纏った鳥が顕現していた。その姿は紛れもなく鳳凰だ。龍山邸での戦闘で見せたそれよりは若干小さいが、龍麻はそれを片腕に集中させた《氣》だけで生み出したのである。身体に負担を掛けるという理由で、かつては両手を使っていたというのに、だ。
「心配しなくても、きっちりと片を付けに行くよ。だから、逃げずに待っていろ」
「ひ――っ!」
それが伊周の影が残した最後の言葉だった。
羽ばたいた鳳凰は一瞬にして影を飲み込み、消滅させた。余波が結界内を揺るがせ、風景を歪める。龍麻の一撃が、結界と妙な具合に干渉したようだ。
少しして、ようやくそれは収まり、元の景色を取り戻した。
「……ごめん、やりすぎた。みんな大丈夫だった?」
右の拳を握り締め、龍麻は秋月に、そして葵達に謝る。葵達は何故龍麻が先のような行動に出たのか、分かったので何も言わなかった。
「僕は……慣れていますから」
秋月も驚きはしたようだが、追求はしなかった。御門と村雨は何か言いたげだったが、主が何も言わないので黙っている。
「慣れているとは……こういうことが、今までに何度もあったのか?」
龍麻が高ぶった《氣》を抑えようとしているのを横目に、醍醐は場の空気を変えようと問いを投げる。
「秋月家に受け継がれる星見の能力は、陰陽道を生業とする者にとって、何ものにも代えがたい貴重な宝なのですよ」
「そして、それを護るのが東の棟梁たる御門の役目ってわけだ」
御門と村雨の説明に京一達は納得した。未来を視る――使い方次第では全てを可能にする《力》だ。それを手に入れようと企む者が出ても不思議ではない。
「それじゃあよぉ、さっき、あのオカマが言ってた、ホシガミの呪い……ってのは、一体何なんだ?」
別に深い意味はない。ただ気になったから訊いただけなのだろう。だが、その質問によって周りの雰囲気が変わったのは事実だった。そして、誰もがそれに気付く。
マズいこと訊いたか、と京一は頬を掻いた。しばしの沈黙の後
「それは……」
村雨と御門は驚いたようにそちら――何やら言おうとする秋月を見た。その目は怒っているようでもあり、気遣っているようでもある。そんな二人にぎこちない笑みを返し
「緋勇さん……もしよろしければ、少し、昔話を聞いてはくれませんか……?」
秋月は、ようやく落ち着いたように見える龍麻に声をかけた。
「構わないけど……いいの?」
「あなたには……何となく話してみたいと思ったんです」
御門達の態度から、それが面白い話でないことは容易に想像できる。恐らく秋月にとっても、そう簡単に人に話すような話ではないはずだ。
それでも、聞いてもらいたい。目がそう言っている。秋月の決意を感じ取り、龍麻はただ黙って首肯した。ありがとう、と小さく呟き、秋月は口を開く。
「先程も申し上げた通り、僕には、星と人の運命を視る《力》があります。数年前、僕の……大切な人が、志半ばで死に至るという啓示が天に現れました。その運命を《力》によって無理矢理ねじ曲げたために、僕は凶星に宿る荒神の呪いを受けてしまったんです」
「それが……その足の?」
「はい。医学的には何の異常もないこの足がもう二度と動かないのは、僕にとっては、その人が今も生きている証。ですから……本当は何ら不自由はないんです」
「天の星々の位置を強引に差し替えるなど、いくら秋月家の者でも、そう簡単になせる技ではありません。それどころか、足を奪われただけで済んだなんて……全く、幸運もいいところですよ」
そう言って御門は扇子で口元を隠した。その声からは呆れというか、苛立ちが感じられる。彼自身、当時の秋月の行動、そして今この話をしたことに、思うところがあるのだろう。
龍麻達はその話を聞いて言葉が出ない。大切なもののために、秋月はそこまでやったのだ。自らの全て――命を懸けてまでも。
「ねぇ……龍麻くん。私達に、何かできることはないのかしら……」
表情を曇らせて、葵は龍麻に訊ねる。葵だけではない。その気持ちは同じなのか、京一達も龍麻に顔を向けている。
「そうだね、もしかしたら……」
そこで龍麻は口を閉ざした。自分は何を言おうとしたのだろう。
(何とかできるかも知れない? 馬鹿な……何か手があるなら、それを今ままでやってないわけがないじゃないか)
今の今まで、御門達が手をこまねいているわけがない。解決策やアテがあるなら、とっくに何とかしているはずなのだ。今更龍麻達がどうこうできる問題とは思えない。自分達に可能性があるなら、もっと前に捜して接触しているだろう。それがなかったということは、現時点でその手段が存在しないか、それの実行が不可能かのどちらかだ。
(それに……自分の《力》が何なのか、何故皆と違うのか分かっていない僕に……《力》を持て余している今の僕に、戦う以外の何ができるっていうんだ……)
ゆっくりと、龍麻の首は横に振られた。
「いや……少なくとも、彼の足を何とかするという点においては、僕達にできることはないよ。今の僕達に約束できることと言ったら、転校生狩りの犯人とのケリをつけることくらいしかない」
《力》は万能ではない。何とかしてやりたいのは山々だが、その手段が龍麻達には無いのである。
葵の顔に落胆の色が浮かぶが、それから目を逸らすようにして、龍麻は秋月達へと向き直った。
「さっきの男について、教えてくれない?」
「あれが先程お話しした、阿師谷家の者です。当主の阿師谷導摩と、その息子の伊周。安倍晴明様の直系である御門家と、蘆屋道満殿の子孫である阿師谷家。平安の時代、お二人は互いに双璧をなす陰陽道の権威でした。度重なる衝突の末、晴明様の主、藤原道長暗殺を依頼された道満殿は、その呪を晴明様に暴かれ、播磨の国へ流されたのです。その子孫である阿師谷家は、いまだ晴明様を恨んでいるのですよ。まあ、彼らとて星の動きの一つくらいは読めるはずですから、適当な占いの末に朧気ながらも、この東京の命運を左右する緋勇さんの存在を嗅ぎ当てたというところでしょう」
敬称を付けるあたり、彼らの祖たる蘆屋道満にはそれなりに敬意を払っているらしいが、その子孫たる阿師谷家には容赦がない。最後の発言は随分と相手を馬鹿にしているように聞こえる。御門の性格だと言ってしまえばそれまでだが。
「それにしても、なぜあいつが全員の名前を……ましてや、ここにいることをどうやって知ったんだ? それに《あの方》ってのは……」
腑に落ちない、と村雨は頭を掻いているが、そう難しいことでもない。場所だけを探るなら、式神を放ち、後を追わせればいいのだ。
「……恐らくは、阿師谷の影にいる者の所業でしょう。事はわたしが思っていたより深刻なようですね……」
御門は自分の結界に侵入されたことを少しは気にしている様子で、扇子を開いたり閉じたりしている。伊周が現れた時にも言っていたが、自分の結界に自信があったのだろう。
とにかく、現状では阿師谷親子をどうにかして、その黒幕の正体を突き止めなくてはならないのだが
「それより御門。早く、芙蓉を元に……」
自分を庇って符に戻った芙蓉がずっと気になっていたのだろう。秋月が言った。
御門は周りの者達を下がらせると、懐から新しい人形
「バン・ウン・タラク・キリク・アク……陰陽に使役されし十二の神将よ、我が符に宿りて護法を成せ……天后招魂、急急如律令――!」
符が光に包まれ、その範囲を広げていく。やがて光が消え去ると、そこには出会った時と寸分違わぬ芙蓉の姿があった。
「晴明様……忝のう存じます……」
「いいえ。ご苦労でしたね、芙蓉」
頭を下げる芙蓉に、御門は一瞬だけだが優しい顔を見せる。伊周が秋月を襲った時に見せた怒りの気配といい、例え式神とはいえ、芙蓉は御門にとっても大切な存在なのだろう。
真神組の女性陣は芙蓉が元に戻ったことを喜んでいる。が、男性陣の方は、それを見て難しい顔をしていた。
「なぁ、あの阿師谷ってヤツも、鬼神を扱えるのかよ?」
その中の一人、京一が疑問を口にする。
御門は阿師谷親子をどこか格下に見ているようだが、龍麻達にしてみれば陰陽師との戦闘は初めてになる。陰陽師本人の実力もさることながら、彼らの扱う式神の力はいかほどのものか、どうしても気になるのだ。
「十二神将は、安倍様の御名によりわたしの下にある鬼神ですから、阿師谷如きに、自由に扱うことはできません。ですが、代わりに彼らは蘆屋殿の御名の下、三十六の猛禽を符に宿らせ、式神として使役することができるのですよ」
先程の鴉のようなのを使う、と解釈すればいいのだろう。式神も千差万別、他にも持ち駒があるかも知れないが、こればかりは戦ってみないと分からない。
「情報が少ないのはあれだけど、今は行くしかないか……御門、あいつらの居場所、どこ?」
「御門、村雨、案内してさしあげなさい」
伊周は「待っている」と言った。ならば、その心当たりが御門達にはあるということだ。龍麻が場所を訊ねると、秋月が御門と村雨に命を下した。
「わたしたちが……ですか?」
「そりゃあ構わねぇけど、二人で留守はマズイだろ」
「わたしたちが出払えば、この機に乗じてどんな輩が秋月様の御身を狙うか分かったものではありません」
しかし二人は異を唱える。彼らには秋月を護るという役割がある。秋月を狙う者は大勢いるのだ。護衛である二人が、そうそう護衛対象の側を離れるわけにもいくまい。
「別に案内は必要ないよ。場所さえ教えてもらえれば、僕達だけで行くから」
「しかし、それでは……」
「狙われているのは僕みたいだから。これ以上、僕のことで他人を巻き込みたくない」
彼らの助力があれば大きな力になるのは分かっているが、彼らにも護るべきものがある。気持ちは嬉しいが、無理をさせるわけにもいかないのである。
「京一達は――今更何を言っても付いてくるだろうから、いいけどね」
秋月にそう言って、龍麻は肩越しに仲間達を見る。当然だとその目を龍麻に向けている四人が、そこにはいた。
「そういうわけだから。御門、あいつらの居場所は?」
「富岡八幡宮です。あそこは江戸の初めまで、阿師谷家十二代当主の建築した、阿師谷の本家があった場所なのですよ。幕府転覆に荷担して、取り潰しを受けるまでは、ですがね。その時、逃げ延びた数名の他は、皆、かの地で惨殺され、当時はまだ湿地だった、あの辺りにうち捨てられたという話です。わざわざ喧嘩を売りに来たくらいですから、阿師谷にとって、最も有利な地相のはず。ならば、そこに間違いないでしょう」
自分達を呼び捨てるくらいだ。何かしら罠があっても不思議ではないが、御門の説明を聞く限り、かなりタチが悪そうだ。
「阿師谷にとってはまさに、怨念の源とも言える地だということか……」
醍醐は嫌そうに顔を歪めている。霊的なものが苦手ということもそうだが、今までの事件を思い出しているのだろう。
鬼道衆との決戦の時は等々力不動。火怒呂との戦いの時は巣鴨プリズン――東池袋中央公園。どちらも過去に多くの血が流れ、そして相手に有利に働く地相だった。今回の阿師谷にとっても同じ事が言える。それに龍麻と葵はそういった場所とは相性が悪い。
が、今の龍麻達には、行かないという選択肢はない。
「じゃあ僕達はこれで。芙蓉さん、悪いけど、結界の外に案内してもらえるかな?」
芙蓉は迷いのある表情を作ったが、すぐに普段通りになると御門に目で伺いを立てる。
「御意」
御門が頷くのを確認して、芙蓉は結界の入り口を開いた。芙蓉の姿が消え、それに続いた龍麻達の姿もその場から失せる。
結界内に残されたのは秋月達三人のみとなった。
「秋月様……どうかなさいましたか?」
「どうした、マサキ? あいつらのことが心配か?」
龍麻達が消えた先を、じっと見つめている秋月に、二人は声をかける。
「御門、村雨――あなたたちも彼らと共に行って構わないのですよ?」
意外な言葉だった。顔を見合わせ
「それは御命令ですか? そうでなければ、わたしはここを離れる気はありません。あなたを護ることだけが、今、わたしにある全てですから」
「俺たちの役目はお前を護ることだ。それが、俺たちの天命……そうだろうが?」
二人は念を押す。彼らには彼らの役目があるのだ。それを忘れるわけにはいかないのである。
しかし秋月は首を振ると
「ならば……二人ともお行きなさい。それがあなたたちの、もう一つの天命でもあるのですから――」
車椅子にあった画材を取り出し、龍麻達に見せた絵に向き直る。そして、自分が「視た」通りに、続きを描き始めるのだった。
江東区――富岡八幡宮。
電車、地下鉄を乗り継いで、龍麻達は目的地へとやって来た。御門の言うことが正しければ、ここに阿師谷がいるはずである。
「だけど、別段おかしなトコはないよね?」
参道を眺めながら、小蒔。参拝客が普通に歩いているそこは、怨念だの何だのとは程遠い。
「あぁ……龍麻、美里。お前達は何か感じないか?」
「いえ、今のところはこれといって……」
「等々力や池袋みたいに露骨じゃないね」
《陰氣》感知器と言っても過言ではないほどの能力を持つ龍麻と葵も、今は何も感じないようだ。
「ただ……結界が張ってあるのは分かるよ。ほら、その辺が――」
龍麻が指差したその場所。そこには何も見えない。が
「あら、よく分かったわね」
その場所から突然姿を見せる者がいた。言うまでもなく、阿師谷伊周である。
「てめぇ、どこから湧いて出たっ!?」
「何よ、人を虫みたいに。あたしは最初っからここにいたわよ。もっとも、ここであってここではない場所に、だけどね」
驚く京一をフフンと笑って、伊周は龍麻達を一瞥する。
「あら? 御門たちはどうしたの? あたしに恐れをなして、逃げちゃったのかしら?」
「お前みたいなのに構ってる暇はないんだってさ。結界の中に隠れ住んでるお前と違って、彼らは多忙な身だから」
そこに予想した顔がないのに気付いた伊周は挑発を投げかける。が、龍麻もあっさりとそれを返した。堪え性は向こうの方がないのか、伊周は顔を引きつらせる。
「カンに触る男ねぇ……まぁいいわ、つべこべ言わずについてらっしゃい。それとも、ここで暴れて、関係のない参拝客を巻き込んでもいいのかしら?」
普段ならそこでわめき散らすのだろうが、自分の方が有利とみたのか、伊周は余裕を見せる。周囲にいる参拝客に目を向け、そんなことを言ったが、やはり龍麻は動じない。
「いいの? ここでやると、お前は一人で僕達五人を相手にすることになるよ? それに、せっかく仕掛けた罠は結界の向こうでしょ? えらそうにするのは勝手だけど、もう少し状況をしっかり把握した方がいいんじゃない?」
「おっと、五人じゃなくて、八人だぜ、先生よ」
龍麻に言い負かされ、いよいよわめくかと思われたその時、つい先程別れた者の声が背後から聞こえてきた。振り向くとそこには思った通りの、そして意外な者達がいた。
「村雨……それに、御門と芙蓉さんまで。どうしてここに?」
村雨が来たのは何となく分かる。だが御門と芙蓉がここにいるのはどういうわけだろう。彼らは秋月のことを第一に考えて動くはずだ。その彼らが主そっちのけでここへ来るとは。
「あの方の元には、芙蓉を除く十一の神将をおいておきました。わたしたちがいなくとも、しばらくは十分に護りの要となるでしょう。それに、わたしを虚仮にしてくれた礼は、きっちり返さなくてはね。緋勇さん、わたしも共に行かせて頂きますよ」
「そういうわけだ。俺も混ぜてくれよ、先生」
「本当にいいの? 僕としては戦力が増えるのは嬉しいけど」
同じ陰陽師がこちらに付くなら、戦闘は有利になる。村雨だって今まで秋月の護衛をしてきたなら、対陰陽師戦には慣れているだろう。それはいいが、秋月の護りは本当にいいのだろうか? 龍麻はそれを心配するのだが
「御門も言っただろう? 護りの要は置いてきたって。それに長居をする気はねぇしな」
「……それもそうだね。御門、村雨、芙蓉さん。よろしく頼むよ。頼りにしてる」
村雨の言葉に納得し、笑みを浮かべる。それを見て、つられるように御門と村雨も笑う。
「わたしたちが来たことが、そんなに嬉しいのですか? フッ、正直な方だ。少なくとも、目的が一致する間はわたしもご助力しましょう」
「だな。そこまで頼りにされてるなら、ここは本気でいかねぇとな」
「わたくしも、お供いたします。なんなりと御命じ下さいませ、緋勇様。それと、わたくしのことは呼び捨てで結構です」
続いて芙蓉までもが、ほんの僅かではあったが表情を綻ばせた。刹那のことなので気付いた者はほとんどいなかったが、龍麻ははっきりとそれを捉えていた。
(芙蓉さん……何だか人形みたいで、感情がないのかと思ってたけど、そうでもないんだな)
そういう芙蓉がかなり特異であることを、龍麻は知らない。驚くのはそれをよく知る二人のみである。
「ふ、ふん……手間が省けて丁度良いわ……」
負け惜しみにしか聞こえないセリフを吐き、伊周は背を向けた。その姿がスッと消える。結界に入ったのだろう。
龍麻達は無言で頷き合うと、その後を追った。
御門の造った結界と似たような空間を抜け、龍麻達は結界の内部へと侵入した。
抜けた先は、外の八幡宮と変わらない。ただ違う点があるとするならば、周囲に渦巻く《陰氣》と負の感情だろうか。結界自体が不安定なのか、景色が少し揺らいでいる。
かつての等々力不動とまではいかないが、かなり異質な空間を形成していた。
「よく来たな、御門の小倅。そして――緋勇龍麻よ」
「誰だ――っ!」
醍醐の鋭い誰何の声に、その姿を見せたのは一人の老人だった。
「なんだ、ヨボヨボのジジイじゃねぇか」
見た目はその通りの老人に、京一は軽口を叩く。が、それはあくまで口調のみ。目の前の老人が持つ《力》を感じ取っているのか、侮っている様子はない。
「ふんっ、小生意気な餓鬼共めっ。この儂にそんな口を利いて、ただで済むと思うでないぞっ」
手にした錫杖を鳴らし、老人は不敵な笑みを見せた。これから起こるであろう戦いに余程の自信があるのか、この人数差にも怯みはしない。
「そこの変なのと一緒にいるってことは、あなたも阿師谷家の?」
「変とは何よっ!?」
「挑発に乗るでない、伊周」
伊周を横目で見ながら龍麻が問うと、案の定伊周はかみついてきた。が、老人は落ち着いたもので、伊周をたしなめて名乗る。
「儂は阿師谷家九十二代目当主、阿師谷導摩。始祖、道満様の無念より、滾々と連なる我が一族の怨恨、この儂の時代にようやく晴らすことができようとはの。これも全て、蚩尤旗の出現と、あの御方の助力のお陰……」
「なるほど。《黄龍の器》を手にし、この地の覇権を握ることは、最早、あなた方の目的ではなくなったようですね。一体、あの御方とやらに何を吹き込まれたんですか?」
納得したというよりは失望したという感じで、御門は導摩を見やる。それに気付かぬまま、導摩は得意げに続けた。
「ひひ、儂が望むのはこの地を陰に染める混沌と争乱よ。それこそが、この地に倒れた我が祖先の悲願――御門も安倍も、全てがこの阿師谷の足下に跪くのじゃ。あの御方が、天下を取られればのぉ……」
「天下を取るだぁ? 時代錯誤もいいとこだぜっ。それより、そのヤローはもしかして、妙な学ランを着た男じゃねぇだろうなっ!?」
現時点で自分達――龍麻を狙う心当たりは、拳武館に依頼をしたという「妙な色の学生服を着た男」だけだ。そこに今回は陰陽師が加わったわけだが、阿師谷達が元凶でない以上は、それを突き止めなければならない。
「妙だなんて、失礼ねっ! 真紅の学生服に、日本刀、それに、あの頬の傷……今、思い出してもいい男だったわぁ〜」
京一の言葉にかみつき、それからうっとりとした表情で、クネクネと身体を踊らせる伊周。その様子に京一達は顔を顰めている。いつまでも一緒にいたくない相手であることは間違いない。
「うふん。そういうわけだし、とりあえずアンタたちには、死んでもらおうかしらっ。そろそろ行くわよ。ねぇパパ?」
「ふん。もとよりそのつもりじゃ。大地の怨恨に耳を傾けるのじゃ、伊周」
阿師谷親子が戦闘態勢に入る。その身体から生じる《陰氣》は並ではない。過去の大陰陽師の末裔、その名は伊達ではないらしい。
「ここは我らが聖地ゆえ、貴様ら如き、敵ではないわっ!」
《力》を込めた錫杖を、導摩は地に突き立てた。地面が揺れ、至る所から鬼が這い出してくる。
「普通の鬼とは違う……式の鬼だね……」
「この敷地内には、既に符が仕掛けられているようですね。術者を何とかしないとキリがないですが……さて、どうしますか……?」
鬼を視ながら、龍麻は御門に確認する。御門は無数の式鬼に怯むことなく、試すような目を龍麻に向けた。
「式に関してはわたしの方が専門ですが、集団戦となると、わたしの場合、防戦が主ですから」
「それじゃあ、こっちの指揮下に入るってことでいいかな? 意見があればその時に」
四神の彫刻がされた手甲に腕を通し、龍麻は《氣》を込める。
(こいつらを倒して、黒幕の正体を今度こそ聞き出す……!)
龍麻の心は、本人の意志とは裏腹に昂ぶっていく。《声》が聞こえることはなかったが、あれ以来、戦闘に臨むといつもこうなってしまうのだ。
まるで自分の身体が、自分の《力》が、戦いを望んでいるかのように。