天には式鴉、地には式鬼。富岡八幡宮の裏世界に、阿師谷の放った式神が、これでもかと言うほど溢れていく。一体どれ程の符を仕込んでいたのか見当も付かない。そして、地相の助けがあるとはいえ、それだけの符を発動させることができる阿師谷親子の《力》は決して侮ることはできないものだった。
 四方八方から襲ってくる式神に、苦戦を強いられる。倒しても倒しても、怒濤の如く押し寄せる式神に、龍麻達は防戦一方になっていた。最初から突貫していれば、あっさりとカタが付いていたかも知れないが、敵の本拠地でもあり、罠を仕掛けている可能性も高かったので慎重に動いたのが、逆に仇となったのである。
「戦いは数だ、っていうけど、こうなるとそれを実感するね……」
 近付いてきた式鬼を、龍麻は龍星脚で蹴り飛ばす。普通の鬼ならそれで顎を砕かれてお終いなのだが、どうやら素である符が無事な限り、それなりに動けるようだ。逆を言えば符を破壊しさえすれば、式神は無力化できるということになる。
 だがそれは、簡単な作業ではなかった。結局符に届くまでにその身体を破壊しなければならない。符だけを狙って、というのは困難なのだ。
「巫炎っ!」
「火龍っ!」
「赤短・舞炎っ!」
 例外は、火属性の攻撃だろうか。これがあるお陰で、不利ではあっても何とか渡り合えている。
「それにしても、かなりの数を斃したはずなんだけどね……式を破られても術者が平気なのはどうしてなの?」
「式神返しの事を言っているのですか?――臨っ!」
 例え壁をつくっていても、上空からの攻撃には無意味だ。前衛を跳び越えてきた式鴉を叩き落として、御門は龍麻の呟きに応える。
「式神は命令通りに動きますが、並のものでは融通が利かない。それ故に、術者は式神と同調して直接操る事があります。術者が傷つくというのは、式を破られた時に同調しているからですよ」
「単に式神を支配し返したり、斃しただけでは駄目ってこと?」
「そうなりますね。でなければ、先程芙蓉が倒された時に、わたしが無事なわけがないでしょう? それと例外はもう一つ。自らの力量以上の式神を召喚した場合です。術者に相応の力がない限り、反動があるのですよ」
「つまり、今のともちゃんたちは、雑魚ばっかり召喚してるから、式をいくら破っても無傷ってわけだな――牡丹っ!」
 村雨の《力》が、一体の式鬼を符へと返した。一体一体の式神は大したことはない。数がいるのが厄介なのである。
「そうとも限りませんよ。あの二人、時々同調して式を任意の場所へ誘導しているようですから」
「それで式神の統率がとれているわけか。だが、それを見抜いた時には遅いだろう。いずれにしても、少しずつ数を減らすしかあるまい!」
 普段なら前線に出て敵を蹴散らすのが役目の醍醐も、現状にはうんざりしているようだ。その声から苛立ちが感じられる。
「でもよ! 向こうの式神はどんだけいるか分からねぇんだろ!? 俺や醍醐、ひーちゃんは別にいいけどよ――!」
「ボクの矢だって限りがあるんだからっ! いつまでもこうしてるわけにはいかないよっ! 御門クンだってそうだろっ!?」
 京一と小蒔の言う通り、武器を使う京一や、徒手空拳の龍麻と醍醐はともかく、攻撃手段が消耗品である小蒔と御門には、長い時間が残されていない。使い切ってしまえば、やれる事は限られてしまうのである。
「だったら――!」
「た、龍麻くんっ!?」
 正面にいた式鬼を叩き潰すと、龍麻はそのまま前に出た。両の掌に炎《氣》を纏わせ、立ち塞がる式神を次々と焼き払っていく。
「醍醐、俺達も続くぞ! この機を逃すわけにはいかねぇっ!」
「ま、待て京一!」
 龍麻の奮戦に触発されたのか、京一も前線に出ようとする。だがそれを醍醐は止めた。
「無理を言うなっ! 今お前が離れたら、桜井達の護衛は誰がするんだっ!?」
「――っ! くそっ、あのジジイ共、ここまで考えてたとでも言うのかよっ!」
 ギリッと歯を鳴らし、京一は前進を諦め、守勢に回る。八つ当たり気味に何体かの式神を撃破することで、気持ちを何とか切り替えたようだ。だがそうなると――
「おいおい、先生やばいんじゃないのか……?」
 龍麻は前線に一人、取り残される事になる。周囲を式鬼が取り囲み、上空からは式鴉が攻撃の機会を窺っている。
「龍麻くんっ! 一度戻ってっ!」
「龍麻、下がれっ! 一人では無理だっ!」
 葵と醍醐の声が飛んだ。龍麻は一瞬だけこちらを見たが、それに従う様子はない。
(何かがおかしいな、ひーちゃんのやつ……)
 京一は龍麻の行動に疑問を持った。龍麻が前線に出る事自体は珍しくない。だがそれは、後方の安全が確立されている時だ。今のように防戦で手一杯の時に、そんなことをしたりはしない。それなのに龍麻は前線に出て、しかもその結果孤立している。
(らしくねぇぞ、ひーちゃんよっ!)
「ちったぁ、冷静になれってんだ! 周囲の状況をよく見ろって言ってたのは、ひーちゃんだろうがっ!」
 剣掌・発剄で数体の式鴉を落とし、叫んだその時。
「秘拳・朱雀っ!」
 炎《氣》を宿した掌打が式鬼を焼いた。次の瞬間、龍麻が纏っていた炎が渦を巻く。それは一対の翼となり、一度大きく羽ばたいたかと思うと周囲を炎の海に変えた。龍麻を包囲していた式神は、一体残らず灰となる。
 阿師谷親子はそれに目を見開いたが、我に返ると再び式神を繰り出した。多少の疲れは見えるが、まだ余力はあるようだ。
「龍麻!」
 二度目の醍醐の呼びかけに、ようやく龍麻は後ろへ下がる。無事な姿に安堵する仲間達。
「……みんな、気付いた?」
 龍麻は、先程まで自分がいた辺りを見ながら問いかけた。
「向こうだって、大量に式神を失ったら、そう簡単に補充できないんだ。そこまでするのが一番大変なんだけどね……」
「……それに、先生が突っ込んでいる間は、こっちへの攻撃も手薄になってたな」
「なるほど、糸口にはなりそうですね」
 村雨と御門は顔を見合わせ、口元を歪める。
「でもよ、向こうまでだいぶ距離があるぜ。そこまでの道を開くって言っても簡単なことじゃねーぞ?」
「何とか懐まで飛び込めれば、後は簡単なのだがな」
 向こうが術者である以上、近接戦闘は苦手なはずだ。醍醐や京一が間合いに入れれば、それでカタが付くだろう。問題は、どうやってそこまで持っていくか、なのだ。
 向こうだって式神を破られたら、また喚び出すだろうし、直接こちらに攻撃をしてくることだってあり得る。
「わたくしが囮になりましょう」
 芙蓉が歩み出て、言った。
「わたくしが先鋒を務めます。阿師谷の式神を私が相手にしている間に、皆様は先へとお進み下さい」
「でも、そんなことをすれば芙蓉さんが……」
「そうだよっ! あれだけの数なんだよ? あんなのが一斉にかかってきたら、危ないよっ!」
 葵と小蒔はその提案に異を唱えた。芙蓉の身を案じての事だろうが、しかし本人は全く気にした風ではない。
「お忘れかも知れませんが、わたくしは人間ではありません。ここで倒れても死ぬわけではありません。ならば、わたくしが一番適任かと存じます」
「例え死ななくても、苦痛はあるんでしょ? だったら駄目だよ」
 厳しい表情で龍麻は芙蓉の言葉を切って捨てる。それに芙蓉の能力では、この役は無理がある。無駄に消耗させるわけにはいかない。
「しかし、皆様は人間で御座います。わたくしならば、例え死んでも晴明様のお力さえあれば――」
「人であろうが、式神であろうが、人外であろうが! そんなことは関係ない!」
 なおも何か言おうとする芙蓉だったが、龍麻の怒声がそれを遮った。
「芙蓉は今、ここにいるんだ! 僕の前で、死んだっていいなんて言うな!」
 キれた、と表現してもよいのだろう。龍麻が敵以外にここまで怒りを露わにした事はない。
「どんな形であれ、僕は二度と、自分の知った顔が死ぬところなんて見たくないんだ!」
「で、ですが……」
「ですが、じゃない! もしも今度符に戻ったら、しばらくの間は復活させないようにするからね! その間に御門達に何かあったらどうするわけ!? 自分を軽く見るような事は、金輪際、口にするな! いいね!?」
 葵達にしてみれば「自分を軽く見るな」というセリフは龍麻にこそ言いたいのだが、事情を知っているだけに苦笑を漏らすしかない。
 面白いのは御門達で、怒る龍麻と、それに戸惑いの表情を見せる芙蓉に、目を奪われていた。今の顔を写真にでも撮って秋月に見せたら、どんな反応を示すだろうか。
「くくく……あの芙蓉が、ここまでしおらしくなるとはねぇ」
「め、珍しいものを見ましたね……」
 芙蓉の様子を見て、村雨と御門は笑いをこらえている。先程まで苦戦していたというのに、今、ここまで余裕があるのは、龍麻が大半の式神を片付けていたからであるが、そろそろそれもなくなる頃だ。
「まぁ、それはともかく。どうするのです、緋勇さん? またさっきのように、あなたが突っ込みますか?」
「それでもいいけど……どうする、雄矢?」
「うむ……」
 顎に手をやり、醍醐は考えながら敵陣を見た。式神の数も揃い始めている。もうじき再攻撃が始まるだろう。その前に敵陣を突破し、大将二人を倒さねばならない。
「よし、ならばこういう手順で行こう」
 思考の末、醍醐は作戦を提案した。

「秘拳・鳳凰っ!」
 龍麻の放った炎の霊獣が、式神達の布陣に一本の道を作った。浜離宮で見せたものより威力は大きい。それなりの数を灰燼に帰したが、まだまだ本陣に届く距離ではない。
「赤短・舞炎っ!」
「火龍っ!」
 二撃目。村雨の花札が、小蒔の一矢が炎となって更に道を切り開く。
「行くぞ、醍醐!」
「おうっ!」
 そこへ駆け込んでいく京一と醍醐。それを阻もうと式神が集中する。ある意味包囲される形になる二人だが、構わずに技を繰り出し、阿師谷親子へ向かって突進した。目の前の敵、それに集中するだけでいいのだ。何故なら――
「九龍っ! 烈火――っ!」
「朱雀っ!」
 背後から九つの首を持つ火龍が、二人と式神の間を遮るように炎の翼が、それぞれ目標を焼き払ったのだ。更に龍麻は、二人を追うように走る。
「な、何なのよあいつらはっ!?」
「おのれ餓鬼共、調子に乗りおって!」
 伊周は浮き足立っているが、導摩はさすがに怯みはしない。残存する式神を醍醐達に向けつつ、新たに式神を喚び出していった。符が鴉へと、鬼へと、姿を変えていく。
「よっしや、後は頼むぜ、ひーちゃん! 円空旋――っ!」
「行け、龍麻っ!――円空破っ!」
 二人の大技が、さらに式達を打ち破る。実体を失った式神が符へと戻り、さながら紙吹雪のように宙を舞う。
 その中を龍麻は走った。両の手に炎《氣》を宿して。二つの炎が組み合わされ、再度霊獣の姿を成し、一直線に導摩達へと突き進む。それを導摩は、式神達を盾にする事で耐え凌いだ。急激に数が減っていくとはいえ、導摩達の手駒である式神は、まだかなりの数が残っている。そして時間を掛ければ、また数を増やしていくだろう。
 だが龍麻はそれにも怯まず、更に炎《氣》を練り上げて、跳んだ。
「馬鹿めっ! 空中では身動き取れまいっ!」
「今まで調子に乗ってたのを後悔しなさいっ! お行きっ、三十六獣神よっ!」
 式鴉が一斉に、龍麻へと襲いかかる。その後の着地を見越してなのか、式鬼達も龍麻へと向かっていった。まさに完璧な布陣――導摩達はそう思ったことだろう。龍麻の次の行動を見るまでは。
 跳躍した龍麻の身体を、炎が取り巻いていた。高熱が大気を揺るがせ、その景色を歪めてみせる。その身をついばみ、抉ろうと襲いかかった式鴉達は、本体に触れる事すらできずに蒸発した。それは待ち構えていた式鬼達も同様で、近付く前に次々と無へと変じていく。
「秘拳――」
 着地と同時に炎が流れる。炎の霊獣、鳳凰。それに酷似した姿が、龍麻の正面に現れる。そして
「大鳳いぃっ!」
 霊獣を纏い、その名の如く巨大な鳳と化した龍麻が、獲物を狙う獣のように、その身を躍らせる。狙いは勿論、阿師谷親子だ。
「い、いかん! 伊周、避けるのじゃっ!」
「ちょっ、ちょっとおっ!?」
 導摩と伊周は慌ててその場を飛び退いた。彼らがいた場所を焼き払いながら、霊獣は本殿に激突する前にその姿を消してゆく。炎から飛び出した龍麻は、そのまま地面を転がりながらも何とか体勢を立て直して導摩達へと向き直った。
 しかし龍麻はそれ以上動かない。呼吸を整えようと、その場に膝を着いて、肩で息をしている。その様子に、慌てふためいて身を躱した導摩は余裕を取り戻して勝ち誇る。
「どうやら相当な無理をしたようじゃな。身構える事もできぬと見える」
「さぁ……それはどうかな?」
「ふん。最早、身動きできぬ程に消耗しておるではないか。そのざまで、一体、何ができるというのじゃ?」
「そうだね。確かに何もできないかもね……僕には」
 視線を導摩達の背後に向けて、龍麻はフッと笑った。それに気付いて彼らが振り向いた時には、目の前に攻撃態勢に入る醍醐と京一の姿があった。
 式神が壁代わりになっていると油断した導摩の失策である。龍麻達の連続攻撃、そして最後に放たれた龍麻の奥義。それで導摩の周辺にいた式神は全て破られていたのだ。手近にいる式神の数は僅か。残りは後方に残っている御門達に向けられていたため、式神をけしかけることはできない。
 二人の攻撃をまともに受け、阿師谷親子は倒れ伏す。
「御門、今だっ!」
 後方へ向かって醍醐は叫んだ。その時を待っていた御門は《力》を解放する。
「七星降臨護法陣!」
 御門の術が発動し、広範囲に散らばっていた式神達が打ち破られていく。それでも全てをというわけにはいかず、残りが術発動後で無防備になった御門達へと襲いかかった。
「愛の精霊の燃える翼と――」
 今の今まで防御に回っていた葵が、攻撃に転じるべく詠唱を始める。生き残りの式神達が迫っているというのに、彼女は臆することなくその作業を続けた。
「霧氷桜」
 そこへ芙蓉が立ち塞がった。手にした扇から異界の冷気が生じ、襲いかかる式神達を凍てつかせ、動きを封じていく。
 数が多い時ならばともかく、ここまで減った式神達を相手にするなら、芙蓉だけでも十分護衛の役を果たす。
 醍醐の立てた作戦は、炎属性の攻撃を持つ者と近接戦闘要員による、一点突破だった。式神の壁に集中攻撃をし、敵の注意を引く。ある程度まで進んだら龍麻の大技で一気に突撃、阿師谷親子を攻撃。勿論そう簡単に導摩達が倒せるとは思ってはいないので、敵の第一目標である龍麻を囮にし、それに気を取られたところを、醍醐と京一が攻撃。その後で、残りの式神を掃討。こういう手はずだったのである。
 元々、阿師谷親子の標的は龍麻であったし、その攻撃力は最大の脅威であったので、弱っていると見れば飛び付くに違いない、そう考えた上での策であった。
 そして、その策も最終段階を迎える。
「十二の星をもって、魔を焼き尽くせ!」
 天使の放った聖なる炎が、残った式神を全てを飲み込み、無へと返す。
 結界内にあった阿師谷の眷属は全て消え、不穏な空気はそのまま残しながらも、戦闘は終了した。

「さて、それじゃあ聞かせてもらおうか。俺達や……ひーちゃんをつけ狙ってる奴の正体をな」
 刀を突き付けながら、京一が凄んだ。長々と面倒な戦いを強いられたのだ。苛立ちもかなり高まっていたりする。
「じょ……冗談じゃないわよっ! 誰があんたたちなんかに……」
 圧倒的に不利な状況でも、伊周は素直に従おうとはしなかった。選択肢などないと、わかりそうなものである。額に青筋を浮かべた京一は二、三発殴ってやろうかと考えつつ、龍麻に振る。
「なぁ、ひーちゃん。この間みたいによ、腕の一本でももぎ取ってやったらどうだ?」
「八剣よりはひ弱そうだから、そのままショック死するかも知れないよ。そうなると情報源が減るし……」
「そっか。でも、指くらいなら大丈夫じゃねぇか? 腕と違って二十本もあるし」
「……それもそうだね。素直に話してくれないんじゃ、仕方ないかな」
 少し考えるフリをして、龍麻は意識して冷ややかな目を作り、伊周へと向ける。先の会話と龍麻の態度を見て、伊周の顔色がみるみる悪くなっていった。完全にこちらのペースにはまりつつある。
 もう一押しか、と龍麻が言葉を続けようとしたその時だった。
「うっ……ぐふっ!」
 苦痛にうめく声。そして、液体を撒いた時のような音が聞こえた。声の主は導摩。そして、音の正体は――彼の口から吐き出された血。
「えっ……!? パパッ!?」
「おい……どうしたんだよっ!?」
 導摩に駆け寄る伊周を止めるのも忘れ、京一は現状に慌てる。何しろ、導摩に最後の一撃を加えたのは京一なのだ。完全に峰打ちだったのだ、こんな事になるはずがないのである。
「そんな……そんなはずはああああああぁっ!」
「パパ――っ! パパ、パパ、しっかりしてっ! あの方なら……きっと助けてくれるから! パパ……死なないで!」
 苦悶の表情を浮かべ、血と悲鳴を吐き出す導摩を抱え、伊周は懐から符を取り出した。そして、龍麻達が動く前に、その姿を消してしまったのである。
 残ったのは、導摩が吐いた血と、一枚の符のみ。
「くそっ……結局、何も分からずじまい……か」
 肝心の情報を訊く前に異変が起き、阿師谷親子は逃亡してしまった。当分は動けないであろうが、取り逃がしてしまったのは痛い。
「あれだけの出血だ。あのジジイ……多分、助からねぇぜ」
 村雨はそう言うと御門の方へ向いて、肩をすくめた。御門もどこかやりきれない表情である。
「念のため言っておきますが、わたしは何もしていませんよ。それに、さっきの戦いの影響とも考えにくい……蓬莱寺さんはうまく手加減をしていましたからね。持病でも持っていたか……いや、このタイミングですからね」
「《力》による干渉……多分、黒幕の男の仕業だね」
 現場に残った血を見て、苦々しげに龍麻は呟いた。拳武館の時といい、結局、先手を打たれてしまう。敵は一体何者なのだろうか。
「俺達を……いや、ひーちゃん。お前を狙ってるのは、相当な《力》の持ち主だって事だな。これから……厳しくなりそうだな……」
 刀を鞘に収め、京一も難しい表情で空を仰ぐ。
 景色が揺らぎ、結界が解けていく。ぽつぽつと、冷たい雨が空から落ちてきた。

 龍山邸前――夜。
「雨宿りをしていたら、すっかり遅くなってしまったな……御門、わざわざ送ってもらって、済まなかったな」
 通り雨だろうと思いながら、雨が止むのを待っていた龍麻達だったが、結局雨は止むどころか勢いを増し、大雨となった。御門の厚意で途中までリムジンで送ってもらったのだが、到着と同時に雨が止むというのは、やはりお約束だろうか。
「いえ。ほんのついでですから。それにしても……結局、重要な事は何も分からずじまいでしたね」
「残念ながら、ね……敵の方が一枚上手だったってことだよ。悔しいけど、今となってはどうしようもないし」
 やや気遣うような口調の御門に、龍麻は溜息をついた。
「もう、龍山のジジイに話を聞くしかねぇよな……」
 こうなると、手掛かりとなるのは龍山の話だけだ。だが、今度は素直に話してくれるかどうか。話す機会はあったはずなのに、今までずっと先送りにされているのだ。
「うん……何か分かるといいケド……ところで――御門クンと村雨クンは、これから……どうするの?」
「ん? 俺は……そうだな。せっかく、新宿まで出てきたんだ、ちょいと稼いでから帰るとするぜ」
「フッ……まぁ、好きにするといいでしょう。では、わたしはこれで。龍山老師にも、よろしくお伝え下さい」
 小蒔の問いに、村雨はいつもの調子で答え、御門も用は終わったとばかりに頭を下げる。すると、小蒔の表情が寂しげなものに変わった。
「御門クン……もう帰っちゃうの?」
「よせよせ、小蒔。こいつは引き留めるだけ無駄だぜ」
 小蒔としては、仲間になってほしいという思いがあるのだろう。だがそんな小蒔を京一が制した。
「こいつにゃ、この世界よりもっと大事なもんがあんだからよっ」
「そうですね。例えこの東京がどうなろうと、あの方さえ無事なら、わたしはそれでいいのですよ。わたしの目的とあなたたちの目的は、相反するものでしかない……あなたもそう思われませんか、緋勇さん?」
 そんなことを言う御門に、龍麻はそんなことはないと答えた。
「一時とはいえ、僕達は共に戦った。その事実が、全てを示してるんじゃないかな? 御門の護りたいもの――それは、この東京を護ることで、護れるものじゃないかと思うんだ。正直言うと、僕だって東京を護るのはついでだしね。どこかのだれかじゃなく、ここに住んでいる大切なもののために、僕は闘ってるつもりだから。もちろん、多くのものを護れるなら、それに越した事はないんだけどね」
 御門はしばらく黙っていたが、やがて顔を綻ばせる。
「余程器が広いのか、それともただの考え無しか。フッ。わたし如きに測ることなどできぬのかもしれませんね。しかし、わたしたちには、それぞれ、命を賭しても果たさねばならない目的があるはずです。そしてそれが異なる以上、足引き合うのが関の山ですよ」
 が、返答は相変わらずだ。これまでかと思われたその時
「ですが、晴明様……」
 何と芙蓉がそれに異を唱えた。
「この方たちならば、蚩尤旗の位置を変えることすらできるやもしれませぬ。ひいては、秋月様の御足の呪いも……」
「芙蓉……そんな事を……お前に言われるとは思いませんでしたよ」
 芙蓉が見せる、芙蓉らしからぬ顔。これで何度目だろうか。一体何が彼女をここまで変えたのか――いや、考えるまでもないことだ。
「申し訳ありません……」
 頭を下げる芙蓉から、御門は龍麻に視線を移す。龍麻はあれから何も言わない。ただ、御門を見ているだけだ。
「ねぇ、御門クン。ボク達、きっと協力しあえると思うよ」
「私も……そう思います。もしも龍脈を鎮めることができれば……星の位置うんめいもまた、変わるものではないのですか?」
 芙蓉に続き、小蒔と葵も御門に訴える。自分達は、共に歩んでいけるのだと。
「あの方は、あなた方を信じて全てを託したのです。ならばわたしも……信じてみるべきなのかもしれませんね」
 しばらくして、御門はそう言って扇子をパンと開いた。彼の言葉を解釈するならば
「それじゃあ、俺達に手を貸してくれるのか?」
 ということになる。再確認する醍醐に、御門は頷いて見せた。
「えぇ。今後、また何か問題があれば、わたしも芙蓉と共に、皆さんの元へ参りましょう。では、わたしは一旦戻りますので」
「さようなら」
 御門は芙蓉を連れて去っていった。それを見送り、村雨はやれやれと肩を上げる。
「相変わらず、クソ真面目な男だなぁ。まっ、あいつの生き方に口を挟む気はねぇけどな」
「ところで村雨――お前はどうするつもりだ?」
「そうだなぁ……」
 醍醐が訊ねると、村雨は空を仰いで何やら考えているようだったが
「俺としょうぶをしねぇか、先生?」
 龍麻を見て、そう持ち掛けてきた。
「し、勝負?」
「あぁ。ここに一枚のコインがある。表か裏か――あんたが勝ったら、俺もあんたたちに手を貸すとしよう。あんたが負けりゃあ――ここでサヨナラだ。それじゃ、いくぜ……」
「ちょ、ちょっと待――」
 いきなりの展開に龍麻は戸惑うが、そんな事はお構いなしに村雨は取り出したコインを指で弾いた。
「さぁ、どっちだ?」
 宙を舞ったコインは村雨の手の甲に落ち、もう一方の手で伏せられる。村雨はとても楽しそうにしているが、龍麻はそれどころではない。ものが懸かった勝負とは、昔から相性が悪いのである。
「えーっと……それじゃあ表……いや、裏!」
「あ……」
 龍麻が答えると同時に、村雨は少しだけ手を持ち上げて結果を見て、また手を閉じた。何故かその表情が歪んでいるようにも見える。
「あー……ま、勝負はあんたの勝ちだ」
「……ホント?」
 村雨の態度はどうにも腑に落ちない。疑わしげに小蒔が訊ねると、村雨はコインを早々に片付けて、言った。
「とにかく、約束は約束だ。これからは、俺も付き合ってやるよ」
「あの、村雨? 今、何か……」
「気のせいだろ。なにせ、俺は生まれてこの方、イカサマは……たった一度しかしたことねぇよ」
「いや、だって、この前は一度もしたことないって……」
「いいんだよ。先生について行く口実ができりゃあ、それでな」
 なおも追求する龍麻をかわし、村雨はニッと笑って、踵を返した。
「そういうわけだ。俺もそろそろ行くが、もしも何かあったら、すぐに俺を呼べよな」
「……分かった。その時は頼むよ」
 派手な刺繍を見せつけて、村雨は振り返らずに手を振ると、そのまま去っていった。
「ま、いいか……それじゃあ、僕達は龍山先生の所へ行こう」

 龍山邸。
 玄関を開けると、そこには龍山が立っていた。まるで、自分達を待ち構えていたように。
「先生――夜分にすみませんが……」
「構わぬよ。お主らが来る事は、あらかじめ分かっておったわ」
 醍醐が頭を下げると、龍山は笑ってそう言った。やはり、待っていたのだ、自分達を。
「それなら、僕が……僕達が訊きたい事も……?」
「うむ……」
 これも分かっているはずだ。だが敢えて龍麻はその質問を口にした。自分が知りたいこと、訊きたいことを頭に思い浮かべながら。
 龍山は頷いて、その顔を真剣なものへと変える。だがどこか寂しげな、悲しげな色もそこにはあった。
「緋勇よ――お主に、真実を話さねばならぬ時が来てしまったようじゃな……十七年前――中国は福建省、客家の村で繰り広げられた、人の世の存続を懸けた闘いの事を――そして、お主の――因果の輪から決して抜け出ることのできぬ、その、出生の話を――」
 外から、ポツポツと音が聞こえる。
 雨が再び、降り始めた。

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