葛飾区――拳武館高校。
「失礼します」
 緋勇龍麻は事務所の窓口から、中にいる事務員に声を掛けた。作業を止め、事務員の男が顔を上げる。
「何かご用でしょうか?」
 拳武館の制服とは違う格好の龍麻を見て、不審げな目を向けて訊ねる事務員。
「鳴瀧校長は、いらっしゃいますか?」
「いえ……校長は現在、海外出張中ですが。どういったご用件で?」
 事務的な口調で――事務員なのだから当然か――訊き返してくる。それには答えず、龍麻は続けて訊ねた。
「では、鳴瀧館長はいらっしゃいますか?」
 事務員の表情が、ほんの一瞬だけ変化したのを、龍麻は見逃さなかった。
 館長――この言葉をつけて鳴瀧を呼ぶ者は限られる。普通は校長と呼ぶのが自然だからだ。だが、館長という呼び名には意味がある。暗殺者集団としての拳武館の長、という意味が。
「校長は、海外出張中と、そう申し上げましたが?」
「それでは、ここに在学中の壬生紅葉はいますか?」
 冷静を装って答える事務員に、三度の問いかけ。今度こそ、事務員の表情ははっきりと変化した。
「……失礼ですが、どちら様で、どういったご用件でしょうか?」
「緋勇龍麻といいます。鳴瀧館長に縁がある者です」
(さて、どう出るか……)
 龍麻は事務員の反応を待つ。
 拳武館は表向きは私立の高校だ。それを構成する教師、生徒も、大半は裏の事情を知らない者で占められる。だが、暗殺組に関わる者も当然いるわけで、事務所内にも構成員はいる。そして、窓口にいる事務員が暗殺組所属の者であることを、龍麻は鳴瀧から聞いていた。何かあったら訪ねてくるといい、と。
 鳴瀧が海外へ出ることを知っていて、特に頼らねばならないこともなかった龍麻は、一度もここへは来ていない。勿論、事務員とも初対面だ。だが、拳武館が今回の件にどう関わっているのか、それを確かめるために今日ここへ来た。鳴瀧はいなくとも、壬生とは一度きりとはいえ面識がある。事情を聞くことはできるはずだ。
 事実の如何によっては――
「……少々、お待ちください」
 事務員はインターホンを取り、どこかへ確認を始めた。いくらかのやり取りの後、受話器を置き、こちらを見る。
「確認は取れました。話のできる場所へご案内します。ここでは……分かりますね?」
 小声で周囲を気にしつつ、事務員は言った。この場にいるのは関係者だけではない、そういう意味だ。
 無言で頷いた龍麻は、指示に従って校舎を出た。

 案内されたのは、敷地の外れにある道場だった。校舎や他の施設からも離れており、寂しげな印象を受ける場所に建っている。
 中で待つように言われ、龍麻は大人しく待っていた。畳敷きの道場のほぼ中央に正座し、双眸を閉じて相手を待つ。
 待つこと約五分、状況に変化があった。
 複数の気配が道場内に進入してくる。剣呑な雰囲気を纏った者達は、あっという間に龍麻を取り囲んだ。
 ゆっくりと瞼を上げる。やや俯いた状態のまま、龍麻は視線だけをざっと周囲に走らせる。その目に映ったのは拳武館の制服。中には背広姿も混じっている。無手の者もいれば、武器を持っている者もいた。
「まったく……信じられんな」
 背広を着た、まだ若い男が正面から龍麻に歩み寄る。呆れたような口調ではあるが、自分を見るその眼光と、手にした大振りのナイフが、自分をどういう対象として捉えているのかを物語っている。
「どういう経緯でここを知ったかは気になるが……狼の巣窟にわざわざ飛び込む標的がいるとは」
 標的――その言葉が龍麻の中で木霊する。
 目の前の男の言葉は、自分が拳武館に狙われる立場だという事を証明していた。いや、自分だけでなく、葵達も含めて、だ。もちろん、現在行方不明の京一も。
 膝の上に置かれた手が、ズボンをぎゅっと握り締める。それを恐怖によるものと見たのか、男の顔に冷笑が浮かんだ。
「まぁいい。貴様が何をして我らに狙われることになったのかは知らないが、我らは我らの任務を果たすのみ。怨みがあるわけではないが、ここで死んでもらう」
(知らない……?)
 男がナイフを掲げる。数秒もしないうちに、そのナイフは龍麻の身体に潜り込み、命を奪うだろう。
「悪く思うな」
 感情のない声で男は呟き、任を果たすべく行動に移ろうとする。だが、それが実行される事はなかった。
「知らないだって……?」
 気付いた時には、目の前に座っていた少年が立ち上がっていたのだ。
「自分達が裁く相手が、どういう理由で裁かれるのかを知らない?」
「な、に……?」
 冷ややかな龍麻の声に、男はその場に繋ぎ止められる。動くと危険だと、何かが警鐘を鳴らしていた。
「法で裁けぬ社会の悪を、断罪する組織である拳武館の刺客が……」
 龍麻の《氣》が膨れ上がる。突然湧いた、心の臓を握り潰すような奇妙なプレッシャー。動いてはいけない――それを心のどこかで理解していた男だったが、重圧に耐えきれずに目の前の少年に刃を振り下ろそうとする。だが、既にその手にナイフはなかった。男の目に入ったのは自分の腕。手首と肘、その間が奇妙に曲がっている。それを認識した途端に押し寄せる痛み。自分の得物は足下の畳に突き立っていた。
「標的の事を何も知らずに殺す……?」
「ひ……ひぃ……っ!」
 情けない声を上げて男は後ろへ下がろうとする。標的はそれを許しはしなかった。
「いつから拳武館は、ただの殺人集団に成り下がったっ!?」
 龍麻の怒声とともに、衝撃が男を襲った。膝と肘が同時に破壊され、男はそのまま崩れ落ちる。そこへ更に蹴りの一撃――畳に伏す前に男の身体が宙を舞い、包囲の輪に突っ込んだ。
 標的の行動に、暗殺者達は警戒を強める。圧倒的な人数差、ここが自分達の領域である事、それらが彼らから緊張感を奪っていた。目の前で起きた出来事がまるで理解できなかったことも、そのせいだと納得する事にする。
「怯むなっ! 相手は一人だ!」
 誰かの檄が聞こえる。ただその声も、震えていては説得力に欠ける。
 何げに龍麻は声の方を向く。そこにいたのは制服姿の男子生徒だったが、こちらを見てその表情が変わった。龍麻の方もそれを認め、片方の眉を跳ね上げる。
「ひ、緋勇……?」
 男子生徒は龍麻の姓を口にした。龍麻の方も、その顔に見覚えがあった。次いで他の連中を一通り見てみる。包囲網を作っていた者達の何人かは、名前こそ知らないものの、見知った顔だった。
「な、なぜお前が……?」
 その疑問ももっともだ。彼らは、龍麻がどういう人物であるのかを知っているのだから。だからこそ、彼が抹殺対象である事に驚きを隠せないでいた。
「おい、何をぼーっとしてるんだ?」
 事情を飲み込めない別の生徒が、声を掛ける。
「とっとと殺っちまおうぜ。いつまでも時間かけることじゃないだろう?」
「誰でもいい。こいつが狙われる理由を知ってる奴がいるか?」
 今更な質問ではある。それでも答える事のできる者はいない。
(彼らも、僕達が狙われる理由を知らない……やはり館長の指示じゃない、ということなのか?)
 拳武館というものを、龍麻は鳴瀧から直接聞いている。だから、今回の件が副館長派とやらの仕業ではなくとも、自分達の今までの行動が原因で、標的としての条件に抵触していたのではという考えがあった。そういう理由なら、いくら鳴瀧でも動かざるを得ないだろうし、それならば拳武館と一戦交えるしかないと龍麻も覚悟していたのだ。例え自分達が裁かれるべき存在になっていたとしても。
 だが彼らの様子を見ると、明らかに今の拳武館はおかしい。どこかで歯車が狂っている。
(でも……そんなのは関係ない……)
 真偽はともかく、今現在こちらは狙われる身だ。しかも、すでに一人は彼らの手に掛かっている。死んだとは思っていないが、仲間が拳武館によって傷つけられたのは事実。龍麻にはそれで十分だった。
「去れ」
 ただ一言、龍麻は告げた。
「僕達が、拳武館に狙われている事は分かった。だから、ここにはもう用はない。君達には別件で招かれてるからね、そちらにいく。でも――」
 荒ぶる《氣》を抑えようともせず、声に怒気を乗せる。
「一度でもこちらに敵対行動を取ったら、容赦はしないよ」
 そのまま龍麻は歩き出す。道場の出口へと向かって。
 包囲の輪はそのまま――いや、数人がそこから離れていく。龍麻を知っている者達だ。
「おい、どうした!? 任務を忘れたわけじゃないだろう!」
「あぁ、分かってるさ。だがな」
 咎める声が上がるが、彼らは留まる様子はない。
「この男――緋勇龍麻はな、館長の弟子だ」
 生徒の言葉が、波紋のように刺客達へと広がっていく。
「その彼を、どうして館長が殺せなどと言う? 館長がそんな依頼を受けるものか。となるとこの一件は、拳武の意志ではないという事になる」
 幸いな事に、彼らは壬生と同じく、鳴瀧寄りの人間だった。だからこそ過去に龍麻と面識がある。そして何より――彼らは「あの時」の当事者であり、被害者でもあった。「あの時」以上のプレッシャーを放つ龍麻を前にして、動けるわけがない。彼らを退かせたのは、龍麻を知っていることもそうだが、過去の恐怖が甦ったためでもあった。
「そんな事は関係あるか! 相手が誰であれ、抹殺の命は下っている! 何を躊躇う必要がある!」
 しかしこの場にいる大半の者は、それを知らない。仮に龍麻が鳴瀧の弟子だとしても、命令に従うのが道理。いや、それ以前に彼らにはそんなことはどうでもよかったのだ。間の悪い事に、館長不在の中で館長派の者はほとんどが別任務で出払っており、ここに残っている者は数名を除いて副館長派の者ばかりだったのである。
「目の前の獲物をみすみす逃してたまるかっ!」
 一人の男が龍麻に跳びかかった。その手にはサバイバルナイフが握られている。同時に龍麻のやや斜め後方から無手の生徒が迫る。前後からの挟撃――身構えてもいない龍麻には対応が困難に思われた。
「がは……っ!?」
 だが次の瞬間、目の前で起こった出来事は、拳武の暗殺者達を凍りつかせるのに十分すぎるものだった。
 ナイフを持った男はカウンター気味に膝蹴りを食らった。身体をくの字に曲げ、血を吐いて崩れる。それを放り出して身を翻し、龍麻は後方の生徒が繰り出した手刀を造作もなく掴み取った。同時に嫌な音を立てて生徒の手刀が握り潰され、続けての一撃が腹に入った。獲物に食いつく獣の牙のように、龍麻の五指が制服を突き破って腹を抉る。更にそのまま身体を持ち上げ、背中から畳に叩き付けた。勿論今ので生徒の意識は霧散している。
 この一連の動きが、ほんの一瞬の間に行われたのだ。
「……これが答えか……拳武館……」
 底冷えのする声でそう呟き、龍麻は血にまみれた指を引き抜いた。出口に背を向け《氣》を更に解放する。
「今この場で、僕に敵意を向けている全員……無事でいられると思うな」
 陽炎のように立ち上る蒼い《氣》を纏い、再び道場内の敵を一瞥する。顔を見知った者達は既に壁際に退散していた。残っているのは、副館長派の者達ばかりだ。
「こっ、殺せっ!」
 恐怖に駆られた刺客達は、バラバラに龍麻へと襲いかかった。
 ボキッ! ミシィッ!
 待ち受けるような真似はせず、龍麻の方から間合いを詰め、蹴りを放つ。モーションの大きい回し蹴りではあったが、常人に見切れる速さではなかった。ガードする間もなく、男は左腕ごとあばらを粉砕され、数メートル離れた壁に激突する。
 不意に自分の間合いに出現したように見えた龍麻に、別の生徒は戸惑うが、反応しようとした時には右肩に拳を振り下ろされた。
 ――怒れ
(……? 何だ……声?)
 近接戦闘を危険と見たのか、教師風の男がスローイング・ダガーを数本、龍麻めがけて投擲する。放たれたダガーは狙い違わず龍麻の身体に突き立つはずだった。
「ぎゃあっ!?」
 しかし悲鳴を上げたのは龍麻ではなく、骨を砕かれた激痛に顔を歪めながらも、何とか意識を保つ生徒だった。その身体にはダガーが深々と突き刺さっている。何のことはない。龍麻は生徒を盾にしたのだ。
 ――憎め
(また……一体何を……でも……何か抗いがたい……)
 勿論それだけで終わる龍麻ではない。常備しているポーチから手裏剣を数枚抜き出すと、ダガー使いにお返しとばかりに投げつけた。盾にされた生徒に目を奪われ、呆然としていた男にそれを避ける術はなく、その全てを自らの身体で受け止めることになる。更に追撃で腹に掌打を食らい、先制の一撃を受けた男と同じように壁に突っ込んだ。
「きええぇぇぇっ!」
 その龍麻の背後から、別の生徒が刀を手に斬りかかる。掌打を放った体勢のままの龍麻ではあったが、目にも止まらぬ速さで振り返ると腰の後ろの物を抜いた。
 キンッ!
 澄んだ音を立てて、刀は半ばほどで断ち切られていた。龍麻の両手に握られているのは――オリハルコン製の苦無《四神》。
 ――何を迷うことがある?
(迷う……? 別に迷ってなんかない……ほら……)
 何の躊躇いもなく龍麻は両の刃を一閃する。身体を十字に斬り裂かれ、鮮血を撒き散らしながら倒れる生徒。
 ここまで来るとさすがに暗殺者達も気付いた。どう足掻いても勝てないと。しかし彼らに退くことは許されない。なぜなら彼らは拳武館の暗殺者であり、そして、目の前の修羅は標的なのだ。それに出口は龍麻の背後の一カ所のみ。ここを出るには龍麻は避けて通ることのできない障害であった。
 恐怖に縛られ身動きできない暗殺者達。その一人に龍麻は手にした苦無を投げつける。反応する間もなく、拳武の女子の制服を着た少女は二本のそれを腹に受け、倒れる。
 ――お前には《力》があるのだ
(《力》……そう、僕には《力》がある……)
 武器を離したのを好機と見たのか、二本のナイフを構えた生徒が動いた。そのまま一気に間合いを詰めようとして一直線に龍麻へと向かうが、眼前に迫る物に気付いて身を低くする。躱したのを確認して、再度龍麻に向かおうとする生徒。
 ――如何なる遠慮も手加減も不要だ
(そうだよ……京一を傷つけた連中に、何を遠慮する事があるんだ……?)
 しかしそれは叶わなかった。何かに足を取られ、彼はそのまま畳に顔を打ち付けることになったのだ。一体何がと足元を見ると、自分の足に絡みついている物があった。細いワイヤー。更にワイヤーの先端には血に濡れた苦無がある。それが自分の両足に巻き付き、動きを封じたのだ。
 ――斃せ
(そう……簡単な事だ)
 それが先程龍麻が女生徒に投げた苦無だと気付く前に――生徒の身体を強烈な電撃が襲った。ワイヤーを通した龍麻の《氣》が、オリハルコンの苦無と反応し、雷《氣》を生じさせたのである。強力なスタンガンを当てられたようなもので、生徒は倒れて痙攣を起こしている。
 ――眼前に立ち塞がる者は
(僕の邪魔をする者は……僕の大切なものを傷つける者は……)
 遠距離からは手裏剣などの飛び道具。中・近距離では苦無、そして無手による武技。まるで隙がない。刺客の中には《力》持ちも混ざっていたが、逆にその者達の方が《力》の差を見せつけられて下手に動けないでいた。
 今度はゆっくりと、龍麻が動く。苦無を放り出し、その手に《氣》を集中させて
 ――全て殺せ
(死んでしまえばいい)
 龍麻は笑みを浮かべた。全てを凍てつかせる冷酷な笑みを。


 数分後、道場から出てくる者があった。龍麻である。その顔からは血の気が失せ、今にも倒れそうだ。
 警官にでも遭遇したら、確実に職質を受けていただろう。制服の方は黒いので分かりにくいが、顔や手は返り血で染まっていたのだから。
 しばらく歩き、龍麻は近くの木に寄り掛かる。
「……」
 身体に異常はない。おかしな所があるとするならば
(何だったんだ……あの声……)
 拳武の刺客と対峙している時に、頭の中に響いた声。《力》の覚醒を促したあの声とも違う。
(聞いてるだけで、心がざわついた……どんどん負の感情が湧き上がって……《虐殺暴走》の時に似てるけど、何か違う……)
 かなり派手に暴れ回ったのは覚えている。だが《暴走》ではなかった。あれは明らかに、龍麻の意志で行われたのだ。
(《氣》に呑まれたんじゃない。僕はああしたかったから、したんだ……)
 気にくわない者を、自分の邪魔をする者を排除する。そのために《力》を、技を振るった。相手を傷つけることも、苦しめることも全く気にならなかった。あそこまでやったら普段は感じていたであろう罪悪感もない。それどころか、《力》を振るう事への喜び、相手を斃すことへの高揚感すら感じていた。
 それに気付かなかったら、それを疑問に思わなかったら確実に何人かは殺していただろう。もっとも、死んでいないだけで、これから先、暗殺稼業を継続できる者が何人いることか。
 今回こうなった原因は、見当が付く。あの声だ。
(対象の陰を引き出す……負の感情の増幅……ひょっとしたら、変生もああいう過程を経るのかも知れない……ってことは……)
 あの声は確実に誰かの干渉によるものだ。となると、何者かが龍麻を陰に堕とそうと画策しているということだろうか。
(何者かは知らないけど……)
「ふざけた真似を……っ!」
 苛立ちを込めて拳を木に叩き付ける。無意識のうちに《氣》を込めていたため、それなりに太かった幹は一撃でへし折れた。それで少しは気が晴れる。
(……雄矢達にも同じような干渉を行っているんだろうか……いや、それはないか)
 ここへ出向いたのは自分だけ。拳武館が今更個別に干渉するとも思えない。ならば一体誰が何のためにこのような事をしたのか、ということになる。自分達に掛けられた抹殺指令。そして自分に行われた干渉。
「まさか、ね……」
 一瞬浮かんだ考えを否定し、龍麻は再び歩き出す。
 残った誰かが呼んだのだろう、道場へと向かう複数の救急車とすれ違いながら。



 暗闇の中に一人の男がいた。あるのは男の存在、ただそれのみ。その身体からは紅い光が放たれており、それが僅かに暗闇の中にあるものを浮かび上がらせている。柱、床、壁……建築物と呼ばれるものには大抵備わっているもの。それとは別に、仏像が一体、紅い光に照らされていた。
「ふん……ここまでか」
 男は紅い光――《陰氣》を止めた。
「追い込みが足りなかったと見える……時期尚早だったか」
 何やら策を弄していたようだが、それがうまくいかなかったらしい。それでも、男の口調からは悔しさといったものは感じられない。
「未だ、障害にはなり得ぬが……捨て置くのもつまらんな。まぁ、いい……いずれ機会もあろう」
 クククと嗤い、男は無意識のうちに顔に走った傷痕に手をやった。



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