2009年12月 206号 羽場頼三郎

ホームリポート目次前号次号


今井正章筆
市で決められない産廃許可は不当 下水道訴訟の不公平と危険性 
市の保存樹がなぜ伐られる、不十分な支援策 御津の産廃許可は許せない
土地開発公社は要らない こんな意見書はイケン


市で決められない産廃許可は不当

民間業者まかせの処分もおかしい

 御津地区の虎倉に申請の出ていた産廃の処分場を、市がとうとう許可を出してしまいました。本会議での質問に対して、市長は「岡山の自然や環境を守りたいが、法律で許可を出ださざるを得ない。断腸の思いである」と答弁しました。これには大変不満です。

 議会は、全会一致で反対の意思を明らかにしています。地元住民の反対運動も続いている状態です。岡山市の水源の上流に位置していて、オオタカの営巣も観測される貴重な自然の残った地域です。ここを守る事ができなかったことは、私にとっても残念でなりません。住民と自然を守るのは市長の責任であり、権利でもあります。会社から訴訟を起こされようと、断固として市民を守る姿勢を見せて欲しかった。

 もともと市長に許可権限があるということは、不許可の権限も無くてはならないはずです。しかし、それは与えられていないのが現在の法制度だそうです。これで地域に主権があるとはいえません。この権利を認めさせるべきです。

 許可を出してしまったにしても、それで市長の責任が終わったわけではありません。それがこの議会での質問になりました。「法律が悪くて市民が守れないなら、その法律を変えるようにするべきではないか。利益優先の民間企業に処分場を認めていることが諸悪の根源なら、それを変えるべきだ。国に働きかける気は無いか」という質問に対して「国の方へお願いしたいと思います」と応えました。どういう形で「お願い」するかはこれからですが、この岡山市の動きが産廃行政全体を変える方向になるよう持って行きたいものです。

2009年12月23日  岡山市議会議員 羽場頼三郎


市の保存樹がなぜ伐られる
不十分な支援策が最大の原因

 十一月議会前の建設委員会で、市の保存樹として指定されていたクスノキが伐採されたことが報告されました。これは中区のお寺に植えられていた保存樹第一号であり、樹齢も百二十年の貴重な木でした。なぜ残せなかったのか、大変気になり、質問を繰り返しました。

 当局の言い分によると、木が大きくなりすぎて根があがり、そばの墓石が傾きかけ、近くのお堂にも影響が及びそうなので緊急避難的に伐ったということです。でも、伐らずにすむ方法はまったくなかったのか、なんのための保存樹の指定だったのか、いまだに納得がいきません。

 条例によると、保存樹の所有者に対して「助言と支援」をすることになっていますが、支援らしい支援が制度として存在しないと言う状態です。この件で言うなら「墓石の移転やお堂の移転、修理」に費用がかかるのなら、それを補償しなくてはなりません。それさえあれば、百二十年の生命を断ち切ることはしなくて済んだはずです。

 樹木を守ることに本気になれば、このような制度を改善することは当然のはずです。私はこれまで、「緑を守れ」と本会議でも何度か取り上げてきましたが、これを機会に「木を守る岡山市」を確立したいと思っています。


土地開発公社は要らない

 岡山市が土地を買い入れるには、二つの方法があります。ひとつは「不動産買い入れの会計」ですが、それ以外に「土地開発公社」による買い入れがあります。これがよく「隠れ借金」になると言われるもので、私も何度か議会で取り上げてきました。

 歴史的にいうと、かつてバブルの時代に土地が急激な値上げが続き、公共用地の確保が困難になった時代にさかのぼります。市の替わりに「公社」が金融機関から資金を借りて買い上げ、後に市が買い戻すと言う便法を取ることにより、手続きに時間がかかる本来の方法を回避したものです。

 また、これにより国の補助金が出る前に買い入れをすることができるメリットも強調されてきました。市が借り入れを保証しますので、金融機関はいくらでも資金をだしますが、土地利用の目的が二転三転した「操車場跡地」のような場合には、利息を支払わなければならないため、結果として「高い買い物」になる可能性があります。実際に、そうなっています。

 この公社は市役所に置かれ、その役員も市の役人がなっている(岡山市の副市長が代表者)にもかかわらず、市の監査も及ばず、ブラックボックスになっていることが問題です。安易に土地を買うことに慣れた結果、不要不急の土地が市に残り、財政を圧迫する原因になることを考えたら、思い切ってこれを廃止する決断をすべきです。


下水道訴訟の不公平と危険性
誰に責任があるのかを解説する

 九月のことになりますが、下水道訴訟の二審判決が出ました。原告勝訴、つまりかつて市長や下水道局長、財政局長を勤めた者は市が国に支払った二十一億円の加算金を支払うべきであるという判断が繰り返されたものです。

 これは上告されましたが、もし最高裁も同じ判断を下したなら、安宅元市長や元局長などが億単位の賠償金を支払わなくてはならないことになり、事態は深刻です。これまで市に損害が発生しても、個人には「故意または重過失」がなければ賠償責任は発生しませんでした。しかし、この結論が認められるなら市の責任者になるにはよほどの覚悟が必要です。部下の故意過失がすべて市長、局長の責任になる可能性があるからです。

 なぜ、こうした巨額の加算金が発生したのか、私なりに解説をして見ます。まず、この元になる下水道普及率の市と国との食い違いは四十年前にさかのぼり、経緯は明らかになっていません。これは、国も容認していた可能性がありますが、責任のみ岡山市に押し付けられています。国から出向してきた局長がもしこれを知りえたなら、国も知りえて当然です。

 岡山市が二十億円余分に補助金を受け取っていたとしても、これを返せば済む話です。市が悪意で受け取っていたと言うなら、その悪意は国も同じです。国は、岡山市に請求した加算金をまさか自分の官僚が個人的に請求されるとは、思っても見なかった節があります。

 そして、これを市長当選後はじめて知ったとする前萩原誠司市長は、何の調査もすることなく、国に責任を争うこともなく、余分の補助金に加えて加算金をただちに支払っており、その責任をすべて免れているのはいかにもおかしい。これこそ、故意または重過失があったのではないかと思われます。


御津の産廃許可は許せない

 業者から出されていた御津の産廃処分場計画を、市は認めてしまいました。住民の根強い反対や議会での反対陳情採択を無視して、許可を出した当局には「住民を守る、自然を守る」視点が無いのではないかと疑っています。

 かつて岡山市は暴力団事務所の建築確認を「保留」して、進出を阻止しました。そのとき建設省(現国土交通省)は、「建物の利用形態は建築確認の範囲に入っておらず、市が勝手なことをしては困る」といった非難めいたコメントまで出しました。当時の安宅市政には「住民の安全を守るためには、暴力団や国の圧力にも屈しない」といった意気込みが感じられました。

 市の言い訳は「許可条件が整っているのにそのままにしていたら、業者に訴えられるから」と言うものです。あくまで市民の立場に立ち、郷土と住民を守るという気概が感じられません。

 市民や自然を犠牲にしてまで許可を出さねばならないとしたら、その制度がおかしいと言うべきです。また、産廃の処分を永続性の無い民間の業者に認めることが誤りです。


こんな意見書はイケン

 最終日に、議員提案で出された「電源立地地域対策交付金制度の交付期間延長等を求める」意見書ですが、賛成しかねるものでした。

 まず内容が納得できません。電源立地に協力した自治体に、交付金が出ていますが、その期限は30年です。それが経過した後もお金をもらいたい。これは、虫が良すぎるだけで無く、約束をした意味がありません。この財源は国民が出していて、無制限なものではないはずです。

 国は、これまでの自公政権の無駄遣いもあり、大変な財政難に陥っています。財政硬直化の原因にもなる支出、ここでは合理性に乏しい交付金を簡単に認めるわけには参りません。

 岡山市の交付金は建部地区を対象に年間約500万円ですが、実際には公民館の備品だとか道路改良に使われていて、本来自治体が負担して当然なものばかりです。それが交付金によるものだという意識もほとんどないそうです。本当に必要なら、岡山市の予算で出せばよいものです。いつまでもこのような交付金に頼っていては、地域の自立も進みません。必要な事業は何か、そうでないものは何だろうかと、自治の観点から事務事業の再点検が必要です。

 これまで出ていた金が無くなるから、何とかしてもらいたいということだけで、国に意見書を出すのも賛成できません。言ってみるだけの意見書なら出さなくても良くて、むしろ意見書の重みを軽くしてしまいます。

 またこれは市民からの要望ではなく、当局からのものです。当局に頼まれたから内容をよく検討しないで出したのでは、との指摘があることも問題です。かつての「道路特定財源確保」の場合と同じ動きですので、意見書を出すことで何らかの権益保護のにおいが感じられます。


2009年12月 206号 羽場頼三郎

ホームリポート目次前号次号