2007年8月 194号 | 羽場頼三郎 |
江田五月が参議院の議長になる | 市民病院の存続についての会議を公開せよ |
姫井由美子が片山に5万票の大差で勝利 | 2007参議院選の結果を見る |
江田五月が参議院の議長になる市民の政治と政権交代をかかげて30年
江田五月さんが参議院議長になりました。思えば一九七七年に江田三郎さんの遺志をついだ五月さんと菅直人さんなどが社会市民連合を立ち上げ、市民の政治と政権交代とを訴えてきた三十年の活動が大きな実を結んだともいえるでしょう。
社会市民連合は、田英夫、楢崎弥之助、阿部昭吾氏らを加えて社会民主連合と名前を変え、河野洋平ひきいる新自由クラブと「新自由・民主連合」を作って参院選を闘ったこともあります。日本新党と合流し、それをもとに新進党を作り、さらに旧民主党と合流して今の民主党になりました。江田三郎さんは亡くなり、田さんは社会党(今の社民党)に戻り、河野さんは自民党に戻って総裁から衆議院議長になっています。ごぞんじ菅さんは民主党の代表代行であり、政権交代に意欲を燃やしています。
私も社市連に始まり、三十年の政治生活を送ってきたことになります。そのうち半分以上を岡山市議会議員として活動してきました。市民の政治と政権交代は、私の信条でもあります。この政治の大きな変動期に、やるべきことはたくさんあります。
国においては、現実味を帯びた政権交代を加速させることが必要です。そのためには、岡山で衆議院の議席を確保し、さらに増やさなければなりません。地方の政治家はもっと育てる必要があります。もちろん、歪んだ市政をあらためさせることも、忘れてはいけません。知恵と力をお貸し下さい。2007年8月14日 岡山市議会議員 羽場頼三郎
姫井由美子が片山に5万票の大差で勝利
比例では自民に九万票の差 全国でも民主党が60議席
姫井由美子さんが勝っても僅差だろう、という予測は大はずれ。5万票の差は意外でした。比例でも民主は35万5986票、自民の26万2644票を大きく離しています。この結果、参議院ではついに与野党の議席数が逆転しました。そして、第一党になった民主党の江田五月さんが議長になるという素晴らしい結果となりました。近くに予想される総選挙にむけ準備を整え、政権交代を確実にしたいものです。
「岡山選挙区 姫井由美子当選確実」この音声がテレビから流れたとき、事務所は大歓声。長かった夏の選挙が終りました。人が一杯で身動きが取れません。同じ事務所にいるのに、本人と会えたのはその1時間後。「ありがとう。まだ、実感が湧かないわ」と、いつもの笑顔でした。
昨年暮れの立候補表明以来、集会に街頭演説にと走り回っていましたが、元気そのものでした。そのエネルギーが最後の勝利をものにしたともいえます。自民党への逆風はありましたが、それだけでは超大物を倒すことはできません。本人のエネルギーに引きずられて、多くの人が動いた結果です。また、選挙前から本人に密着して動いた江田五月に、その支持者が引っ張られた結果でもあります。私もその一人ですが。
この選挙は、立場は逆ですが、江田が惜敗した県知事選挙に似ていました。圧倒的な知名度を持つ江田に、無名の新人石井が挑戦する形でした。最後に追いつかれ,わずか五千票の差で敗れました。この嫌でも思い出す貴重な教訓を、必ず生かさねばならないと心に誓っていました。ですから、最後まで逆転の望みは捨てませんでしたし、手を抜きませんでした。
逆転国会では、民主党の責任は半端ではありません。法律案を可決したり、逆に法律案を否決したり、人事案を否決できます。国政調査権も使えます。これまでは与党に阻まれていた、証人喚問も出来ます。いずれにしても、国民生活に直結した判断が求められます。殊に新議員の使命は重く、精進が必要です。姫井さんの地域活動を支え、アドバイスも遠慮なくしようと思っています。
選挙のエピソードあれこれ
(1) 津高方面に遊説をしたときのこと。演説予定箇所が「グランドマート」となっていました。コース表だけ見ていた人は、津高のグランドマートのことと思って、時間通りにそこへ集合。ところが、予定表の方では田益の次には芳賀佐山方面に行くことになっていて、演説場所は芳賀のグランドマートになっていたのです。地名を落としたために「ちめい的」間違いとなりました。
(2) 小沢代表と田中真紀子衆議院議員がそろって福浜小学校に。前代未聞のことで、会場はパニック状態。体育館に入りきれず、窓の外にも人が鈴なりに。受付けを担当した人の多くは、顔を見るどころか声も聞けず。苦情をいう方々の対応にも汗だくだく。用意した1500の資料はあっという間に「売切れ」。参加者の記名も1700人になったあたりで、用紙もなくなり、おそらく2000は軽く超えて、2500から3000人の人が集まったのでは。すごい瞬間でした。
(3) 最終日。朝8時40分に電話が入り、「候補者が乗っている車のスピーカーの音が小さくなってきた。代わりの車をすぐ持ってきてくれ」とのこと。直ちに、予備の宣伝カーに飛び乗って、現地に。音の使いすぎでバッテリーが駄目になったらしい。9時10分、到着したと同時に音が消えて車も動かなくなってしまった。まさに危機一髪。車と拡声器の標記を移し換えて、すぐ出発。修理が完了した10時30分までの間、羽場の車が代役を果たしました。
専門会議が非公開 当局は何を隠したいのか
市民病院の存続についての会議を公開せよ市民病院のあり方研究会では、「病院存続」の結論が出たところです。しかし、経営に関しての「専門会議」で、問題点を煮詰めることになっていることを理由として、市がその会議を設置したのはいいのですが、それが非公開なのです。
市民ネットでは、8月1日、この専門会議を公開でするように市長に申し入れました。この件についての新聞記事(オカニチ)では、「報道陣に資料さえ提供されず、今後のスケジュールも示されない異例の運営」とも指摘されています。
市民病院は存続の方向、ということで多くの市民は安心しておられると思いますが、市長は「廃止」の考えを捨てていない、と言われています。非公開の中でどのようなこじ付けが行われ、病院廃止の結論が出るとも限らない状況です。
当局は、非公開にする理由を「内部機関だから」といいますが、内部の会議だから非公開にしなければならない、とは限りません。その上、市がお願いする専門家を「嘱託」の身分にしています。市の職員になったのだから、内部の議論だというわけです。このこと自体おかしなことです。
市長が自分にとって都合の良い結論を出すためではないか、とも勘ぐれます。例の福田のラウンドワンに対する開発許可でも、条例や市民を無視してしまう当局なので、警戒が必要です。
2007参議院選の結果を見る
岡山市の得票を分析してみます。
姫井由美子 15万8366票、片山虎之助 12万5228票。その差は3万3158票でした。
比例の投票は、
民主党 11万7072票(得票率38%)、自民党 7万9400票(26%)。その差は3万7672票です。
公明党は 5万466票(16.5%)なので、自民・公明の与党票合計は12万9866票となります。選挙区の片山さんの票に近い数字が出ます。投票所の出口調査によると、片山さんは自民党、公明党の支持者を集め切れていないそうですから、与党の票より少ないのはうなずけるところです。
もしこれを単純に市長選挙に置き換えてみると、自民系が公明党の推薦をとると、わずかに民主系の候補を上回る勘定になります。もちろん、市長選挙と政党選挙は違う要素が働きますので、このとおりにはまず行かないでしょう。もちろん、候補者によれば、市民の期待を集めて姫井さんが片山に勝てたように、民主系の候補にもおおいに勝ち目があります。候補者の数にも影響されますので、簡単には言えません。
議員について。民主党の岡山市での議席は推薦を入れても5人で9%、1割に達しません。連合系無所属の方を加えても9人、17%です。4割近い得票率からすれば、20人はいても良いはずです。次期選挙の課題です。まずは、候補者の発掘が必要です。
2007年8月 194号 | 市民リポート |