2006年10月 186号 | 羽場頼三郎 |
市は御津の産廃処分場を認めるな | 妹尾・福田地区に大型遊戯施設の計画 |
九月定例議会で条例改正を議員提案しました | 責任の所在があべこべではないか 下水道訴訟 |
行政運営は市民の感覚でやるべきだ
市は御津の産廃処分場を認めるな
行政の姿勢で、これはおかしいと思うときがあります。市民の常識から外れているとしか言いようがないときです。9月議会で、御津町の産廃処分場の計画に関して、「地元説明会を済ました」と答弁の中で環境局長が平然と言ったのには驚きを通り越して怒りさえ覚えました。
この計画は岡山市民の水源の上流に産廃の埋め立てをしようというもので、旧御津町時代には有権者の8割が反対していたものです。合併したからといって、その意向を無視してよいはずがありません。自然が豊かで、絶滅危惧種のオオタカが近くに営巣しているなど、処分場にはもっとも適していない場所です。ここに金儲けを目的とした処分場を作ろうというのですから、反対しない方がおかしい。
こうした非常識な計画をさせないために、市は独自の条例で手続きを厳しくしています。地元説明会の開催を義務付けているのもその一つです。ところが、行われた説明会というのは、地元の人はほとんど参加せず、業者がかき集めた地域外の人などで、形ばかりのものです。これを正当とするなら、岡山市の自然を売り渡すことに行政が手を貸すことになります。こんなことが許されていいはずがありません。「5百メートル以内での説明会」という規定を悪用していることは明らかです。地元の納得を得るための規定が逆の方向に利用されています。
法律でも条例でも、形さえ整えばそれでいい、という行政をしていては市民の幸福には結びつきません。2006年10月13日 岡山市議会議員 羽場頼三郎
九月定例議会で条例改正を議員提案しました
市長に権限を与えすぎのゆがんだ開発行政をただすために
岡山市の開発行政がおかしい。これは、福田・妹尾地区に大型遊戯施設進出計画を簡単に認めようとしたことから、問題として急浮上しました。あらためて条例を見ると、平成十六年の条例改正において、違法のおそれがある条文が追加されていました。当時は、ラブホテル規制のように、本来規制を強化する条例だと説明され、わたしもそう思い賛成した記憶があります。ただ、当時から条例自体に問題があることを故・亀井章議員などは指摘されていました。
問題は、単純にいえば3つあります。まず、(1)開発が本来許されない「調整区域」に特例を許す権限を、市長に与えていることです。市長は「公益的に必要と認めたら」、条例で明記された例外以外にも開発地域の例外を広げることが出来ます。そして、(2)用途も同じ様に「個人の住宅」以外に広げることが出来ます。さらに、(3)「公益的」とは、雇用が増えることだと、条例ではなく細則で決めていることです。公益的な建物といえば、学校とか病院を連想しますが、実はそうではなくて人さえ雇えばなんでもいいという内規まで置いています。
これ以外にも、本来ならこうした開発に関する事項を審議することになっていない「総合政策審議会」を関与させたり、開発の面積を拡大できる規定をおいたりの問題もあります。そこで、乙号議案を出すことにしました。それは、当局ではなくて、議員から提案する条例案を意味します。
議会に出てくる議案のほとんどは、執行部が出すものであり、議員提案は例があまりありません。そして提案をするためには、五人以上の議員の署名が必要です。私は副議長のため、提案者からはずれるので、六人の無所属市民の会はぎりぎりの状態でしたが、さらに五人の議員が加わって、結局十人で提案しました。
委員会での審査が省略されるなどの事情があり、結局「賛成十一」の少数否決となりましたが、諦めてはいません。次の議会の再提案を模索しています。
妹尾・福田地区に大型遊戯施設の計画
地元で強力な反対運動 署名6千人
福田・妹尾地区に大型遊戯施設進出計画があり、これに反対する陳情が建設委員会で審議されました。予定場所の地名は妹尾ですが、福田に隣接し、小学校のすぐ側であることから、保護者を中心に6000名の反対署名が添えられていました。
条例によると「地元の積極的な賛成」が必要なのですが、そうとは思えません。「地元」の範囲が問題も施設の影響が広く懸念されるこのような場合、隣接している町内会の同意だけでは足りないのではないか。「積極的な賛成」とは単なる同意とは違う。といった点を指摘しました。また、これを認めた総合政策審議会の結論も「消極的許可」という言葉が使われていることも明らかになりましたが、私以外の委員が賛成して、結論は先送りされました。 私としては、条件を満たさないことが明らかな以上、市民の声を議会として取り上げるべきだったと思っています。
責任の所在があべこべではないか 下水道訴訟
下水道判決は肝心な点を見落としているのではないか
二十一億円の加算金は払わなければならなかったのか
だれがこのような事態をひきおこしたのか再度考える
下水道の普及率を、岡山市が建設省とは別の計算方式を取っていたことで、国から巨額の制裁金(加算金)を求められた件には、大きな疑問がある。本当に国に支払わなければならない性格の金だったのだろうか。本当の責任はどこにあるのだろうか。個人が責任を負うべきものなのか。
市長が普及率の計算が違うことを知ったのはいつか。この問題が発覚した直後に安宅さんにお会いしたときにお聞きしたら、「新聞で知った」といわれている。在職中には知らなかったそうだ。知っていれば、すぐにでも訂正をしていたはずだ。
では、萩原氏はいつ知ったのか。着任後、下水道局長が報告したそうだ。安宅時代と同じ人だから、この局長はなぜ安宅さんに言わないで、萩原氏には言ったのか。裁判で明らかにして欲しい重要な点だ。
事実の公表をなぜ急いだのか。市長になって3ヶ月、事実を知ってその重大さを感じたとすれば、まず正確に調査をして、さらに岡山市に損害を与えないように、ありとあらゆる手段を講じるのが最高責任者の取るべき態度と思われるが、この短い時間に何をしたのだろうか。前任者である安宅市長に事実を確かめたわけでもない、また自らのパトロンである平沼代議士をはじめ岡山選出の自民党国会議員に相談をし、働きかけをしてもらった様子もない。
昭和五十一年に建設省が下水道普及率の基準を変えた際に、当時の岡崎市長は全国下水道協会長職に在り、新方式によると十数%普及率が下がることになり、メンツ丸つぶれになることから、岡山方式を黙認させたという旧職員がいる。国や県も知っていた可能性は大きい。なぜなら、新方式で数字が変わることはすでに分っていたはずなので、変わらない岡山市に対して何らかの問い合わせぐらいはしていなければおかしい。その責任逃れのために、岡山市に一方的に責任を押し付けたのではないか。この事情を裁判所は調べたのだろうか。
また、国とこのような問題を起こさないためにわざわざ建設省や自治省から局長として出向してきていたのではないか。人を送り込んだ国の責任がまるで問われていないのは、あまりに常識はずれだ。
そして、市が加算金を支払わねばならないにしても、事実を知らなかったことに故意や重過失がない個人に責任を負わせることにはならないはずだ。
ある人によれば、萩原氏は安宅氏の市長復活を阻止するため、安宅攻撃の材料としてこれを利用しようとしたという。だとすれば、裁判所は、責任者の認定を初めから間違っていたことになる。市の土地を無償で自分の後援会長が代表者をしている法人に半永久的に貸し付けたり、入札をしないで劇場や公園を自分の親しい会社に作らせた萩原氏の市政を裁判官は知らなかったのだろう。
2006年10月 186号 | 市民リポート |