羽場頼三郎 活動日誌 2011年9月

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9月27日〔火〕 訪中

先ほど上海から帰宅。洛陽市での日程を終えて、昨日上海まで。朝から岡山が生んだ偉人、内山完造記念館と魯迅記念館、魯迅終焉の家を訪ねる。で、上海空港から岡山へ。疲れた。留守の間に太田武正議員の辞職が認められた。


9月22日〔木〕 上関町長選挙

朝早くから山口県の上関町へ。そこでは町長選挙が行われていて、現職に対して知人が対立候補として出ている。少しでもお手伝いできたら、と思ったが、チラシを撒くぐらい。午後からは、島を含む選挙なので「船による宣伝活動」を初めて経験。風を切って船が進むと波のしぶきをもろにかぶる。3時間ぐらい船に乗って、途中で下船。新しいまちづくりが争点。多額の交付金を当てにしたまちをこれからどうするかが問われている。情勢はわからない。


9月20日〔火〕 残念

画期的な条例提案だったが、賛成少数で否決されてしまった。本会議が終わった直後から、「あれは認めてよかった。出すのが遅すぎた。」とあちらからこちらから声をかけられた。おそらく全会派から。それだけの内容だったとは思うが、通らねば意味がない。マスコミも議員の定数や報酬の方ばかり報道していたが、議会としては当局提案に真正面から異議を唱え、対案を出したことの意義は大きい。これこそが議会の活性化の表れだと、他が言わないので、自分で言っている。


9月15日〔木〕 条例提案

昨日少し書いたが、市税条例の改正案に対抗する条例を出すことにした。市民ネットと共産党に熊代議員も加わっての5人が提案者になることが決まった。当局が提案する条例の全部ではなく、一部について反対するため、過料を新しくする部分と3万円を10万円にする部分のみ削除するため、条例作りの作業は事務局の手を煩わせた。明日の議運に提出する準備を終えて次の日程に。


9月14日〔水〕 過料 メモリーパーク

今日の総務委員会で市税条例の改正が賛成多数で認められた。私は反対。なぜなら、その中身の一部に「過料の新設とかさ上げ」が規定されているから。市税の申告をしなかった人に過料を取ることを決めるものだが、これは必要が無い規定だ。なぜなら、これまではただの一度も課せられたことは無く、市民を過料で持って脅すと言うたちの悪い条例だ。これに対して、別条例を提案していこうと考えている。

メモリーパークも市民文教委員会で賛成多数となった。この予算も認めるわけにはいかない。柚木氏から同意見の書き込みがあったが、心強い。


9月13日〔火〕 質疑

定数問題に決着をつけるため、4会派を代表して46人を提案。本来、52維持を主張してきた私が皮肉なことに提案者に。そして議案に対する質疑の答弁役にもなった。共産党の河田さんと無所属の熊代さんの質問に答える。長い議員生活で初めて答弁席に立った。質疑をしたことはあったが。特に波乱もなく質疑が終わり、議運に送られた。


9月11日〔日〕 早稲田新総長鎌田薫

稲門会の岡山県支部の総会があり、早稲田大学第16代総長とお会いした。実に40年ぶりだ。というのも、法学部学生大会(第1回)の共同議長を勤めたことがあるからだ。当時、鎌田薫氏は法学部の4年、私は3年ではなかったかと思うが、かなり緊張した雰囲気の中で行われた学生大会であった。以前から会いたいものだと思っていたので、ことのほか嬉しい。実はもう一人議長がいたのだが、名前が思い出せない。鎌田氏はその後大学院に進み、民法の教授になっていることは知っていたが、昨年早稲田学報に新総長として写真が載っていたときには、あっといったものだ。硬い握手をして分かれたが、今後の活躍を祈りたい。


9月10日〔土〕 高井崇志

高井崇志と語る会が岡南公民館で開かれ、木口県議と一緒に参加。少し時間が与えられ、市政報告をする。議会の中身をいかに伝えるか、これが出来なければ定数の削減も求められて当然。しかし、それが議会改革の中身ではないことや、議会の動きを報告し、市営墓地の話をした。理解が得られたと思う。市営墓地(メモリーパーク)が必要と言う人はいなかった。


9月9日〔金〕 議運 メモリーパーク

議運で、代表質問があるときの個人質問の時間短縮が決まった。これは、発言権の制限だとして反対したが、賛成多数で決まった。とりあえず様子を見るとのことだから、不都合があれば、元に戻すことはしなければならない。審議時間が長いことは議会として文句を言われるものではない。他が短すぎるのではないか。少なくとも、定数の減る時期には必ず戻す必要がある。

メモリーパーク(市営墓地)については、まだ反対の声が少ない。このままでは一部の人の思い通りになってしまう。


9月8日〔木〕 メモリーパークには賛成できない

メモリーパーク とは何のことか、早く言えば市営墓地のこと。これを急いでつくる必要があるのか、と質問した。灘崎町のど真ん中、水田を6ヘクタール潰して墓地にする。とんでもない。青々として穂が首を出している現地を見てそう思った。田んぼを潰したら、永久に田んぼには戻らない。こんな案を考えた人の気が知れない。市がするのなら反対をするしかない。市民文教委員会にかかるようだが、その審議を注目したい。私の意見に賛成の方は、どうかここに書き込みを。


9月6日〔火〕 個人質問始まる

いよいよ個人質問が始まる。田中慎弥議員の林原跡地についての質問に市長が丁寧に答えていたのが印象的。さて明日は午後3時か4時頃から私の質問がある。最後になったが中身はどうなるか。


9月5日〔月〕 質問通告

質問通告により、普通は原稿取りに各担当が来るのだが、水道局と環境局の二つだけ。遅れてはいけないので、事務局に渡しておいて灘崎へ。他でもないメモリーパークの現地に。青々とした稲が実りかけている。ここを潰して市営墓地にするなど許されない。その他、暴力団事務所の距離規制、水道局の人員削減は本当にやるべきなのか、市民ゴルフ場は潰すな、ソーラーに取り組むなら計画的に。これらの私の質問は、7日の4時ごろになる予定。


9月3日〔土〕 避難勧告

ただ今25時45分。やっと家に帰ってきたところ。台風12号が岡山を直撃した。午後2時には、我が家の前の道が水深20センチの池になっていた。5時半には南区全体に避難勧告が出され、対応に追われた。まず、近所の皆さんに宣伝カーでお知らせ。町内では深いところで30センチを超す冠水道路があり、道と水路の区別がつかないところも多く、かなり危険な状態に。水洗トイレが使えなくなり、しばらく不便に。これこそ文字通り。避難場所となった学校を回り、様子を聞いた。ある学校では300人いるのに食料が無く、本部に連絡が着かない状況にあり、車で本部(市役所)に行った。地元の福浜小をはじめ、8校の状況を把握しに行って、先ほど帰った。話を聞いて強く感じたのは、「情報不足」ということだ。気になる川の水位など情報が伝わっていない。物資が無いとの情報も本部に伝わっていない。これでは困る。そもそも避難場所に物資がまったく置いていないのは、それ自体が問題だ。個人質問のテーマに間に合わなかったが、議会で取り上げることにしたい。


9月2日〔金〕 個人質問のテーマ

9月議会が始まったが、今回は代表質問は無し。個人質問のテーマは、6月議会で詰め切れなかったことを中心に、包括外部監査の問題点を追及したい。加えて、市民ゴルフ場の存続、メモリーパークも取り上げる予定。順番は7日の最後になる。4時ごろか。乞うご期待。


9月1日〔木〕 モーニングリポート 本会議

朝一番で、福浜小前のモーニングリポート。主に今日から始まる本会議について、どのようなテーマで臨むか、を語る。代表質問で突っ込みきれなかった点を中心に。

本会議では、定数を9人も減らすという政隆会案を否決。数を減らせば議会改革という昨日のような見当違いの案には乗れない。そういえば、昨日の議運で「団体の声ではなく市民の声を」と言ったことに、「羽場さんの最後っ屁」と言った人がいたが、私は当たり前のことを言っただけ。議会のことを知らずに批判する人がいることを勿論念頭に置いていたが。


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