羽場頼三郎 活動日誌 2011年7月

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7月26日〔火〕 市政報告会

午後7時から、福浜公民館で市政報告会。市民ネットの、高橋雄大、森山幸治、鬼木のぞみ議員の参加で、市政各般の報告をする。私は代表質問を中心に、定数問題や辞職勧告決議になぜ反対したかなどを報告する。定数を減らせと言う声はまったく無かった。連合町内会や連合婦人会、商工会議所が市民の声を代表しているというのには疑問があるといったら、そのとおりという方がほとんどだった。


7月25日〔月〕 民主党政令市議会議員

朝の西口おはよう730をすませて、新幹線で京都へ。民主党所属の政令市議会議員の集まりがある。私は幹事なのでほかの方より先に幹事会がある。総会のあと講演会があり、前原誠司前外務大臣の国際関係についての話があり、さらに京都市長の門川大作さんの話を聞いた。市長の話は実に興味深く、ごみを半減する取り組みなど聞かせていただいた。


7月24日〔日〕 北川正恭講演会

10時から新見市で、北川正恭講演会。元三重県知事でマニフェスト提唱者として有名な北川氏の話はさすがに面白くためになった。講演後、控室で早稲田の後輩として自己紹介をして挨拶をした。石垣市長、羽場純三議長、妹尾松山大教授を交えて少し話をした。もっと話をしたかったが、飛行機の時間が有り、残念だった。その後、矢神の実家に立ち寄り、岡山に。


7月22日〔金〕 26日は議会報告会

19日に予定していた「市民のための市政報告会」は、台風のため26日に延期になりました。会場の福浜公民館が台風により臨時休館したためです。

1週間遅れになりますが、26日火曜日、午後7時から、同じ福浜公民館で行います。市民ネットのメンバーも来てくれることになっています。どうか、皆様お出かけください。


7月20日〔水〕 災害対策・危機管理等調査特別委員会

午後には、災害対策・危機管理等調査特別委員会が開かれた。どのようなテーマを具体的に調査するかということが主に議論された。放射能による食肉汚染の問題も危機管理に関連して取り上げるべきという意見も出た。視察についても、単なる視察ではなく、たとえば被災地の支援活動となるような行動はできないかなど、前向きな議論が続いた。


7月19日〔火〕 おはよう730

今日は朝きっちり7時30分に駅前に。担当事務局から「台風だけど、どうします」「他の弁士は休むと言ってきていますが」「風で垂れ幕は出せないと思いますが」などとメールが入ってきたが、とにかく実行すると伝える。雨風が激しくなれば中止すれば良い、と思って始めたが、風も雨もほとんどなく、通常通りの730になった。私がただ一人の弁士だったので、たっぷりと「脱原発」「暴力団事務所規制」「ふれあい収集」「ソーラー発電」について語り、議会改革についても考え方を述べた。すなわち、議会改革を定数・報酬削減に矮小化することは愚かであり、現に「要望書」を出している人々はまず委員会を傍聴するなど、議会の実態を知ってから発言をすべきだと指摘した。実質審議の場である委員会をどう活性化するか、というのがむしろ議会改革の中身になるべきだ。


7月17日〔日〕 ボウリング大会

夕方5時から近所の方とボウリング大会。いつものことだが、ボールを扱うのが苦手で、今回もブービーメーカー。2ゲームをして170だから無理も無い。ガーターを5回ぐらい。ストライクを1回、スペアを3回だが、スペアーの後に力んでいつも失敗してしまう。体力と気力を鍛えないといけないと、改めて思う。


7月12日〔火〕 市民の勇気号

私の愛車と言うべきか、長年使ってきた宣伝カーがついに廃車になる。日産製のキャラバンだが、初年度登録が昭和59年だから、30年近く使われたことになる。モーニングリポートに使ったことが良かったのではと思う。定期的に動かしてきたので、エンジンはまったく悪いところなし。パワステではないので、ハンドルは重く、しだいに私以外には誰も乗らなくなった。

最初はある団体の広報車だったが、10年経ったところで当時の社民連に譲られ全国キャラバンに使った後、当時まだ市議になったばかりの私が確か20万円で引き取ったもの。車検がある年にはどうするか悩んだが、ボロ車こそ羽場頼三郎にふさわしいと言われた言葉が頭を離れず、前回まで受け続けた。選挙にも使ったが、今回から選挙区制がとられたこともあり、道の狭いところを隅々まで走らせる必要から出番が無かった。かつてちくば市の市長選挙に友人が立候補した際に貸し出し、その看板が「市民の勇気」となって帰ってきたことから、以後「市民の勇気」号と名づけて愛用してきた。

今では懐かしい想い出になるが、因縁の知事選で「反長野」の運動にこれを使い、当時は看板を「しっぺがえしなんか怖くない」と張り紙をして全県下を走り回った。このときに知り合った多くの友人が私の財産になっている。また、そのときに別の「反長野」候補をかついだ人々もいて、しばらく反発をしていたものの今では深い友情で結ばれている友人になっている人がいるのも不思議な縁だ。私の政治活動を長年ともにしてきた愛車が手元を離れるのは実に寂しいが、これも時の流れと言うものだろう。最後に雄姿を撮影して、愛車と別れた。


7月6日〔水〕 最終日

いつものことだが、議会最終日には予定外の時間になることがある。今回がまさにそう。一部の会派の引き伸ばしによって終わったのが7時少し前。定数問題と辞職勧告決議を強引に出してきた。前者は議運で継続審査、後者は可決されてしまった。反対討論に立って、冷静な判断を求めたのだが。いずれ反省するのではないか、わたしのように。

辞職勧告決議に対する反対討論

太田武正議員の辞職勧告決議案に反対する。

太田武正議員が公職選挙法違反で逮捕され、検察に起訴されたことは議会と市民にとって遺憾なことであることはそのとおりである。しかしそれと議会が決議することは別のことであり、賛同できない。なぜなら、この議決は効力を伴わないものである。つまり、議決をしても議席を失わせるわけではないし、本人が無視すれば議決自体が中に浮いたことになる。実効性がない議決をすることは、議会の権威が傷つくことになる。現に、わが議会ではかつて昭和57年10月臨時議会、平成4年3月の定例議会において「議員の辞職勧告決議」をしたことがあり、いずれも当該議員は辞職をしていない。私はその平成4年の議決には議員に当選したばかりであり、議会が議員の不祥事に対して態度を明らかにすべきだと単純に考えて賛成した。しかし、その議決が生かされなかったことで、本当にこれで良いのかという深い反省をした。同時に、名指しで議決をされた議員に対して、安易に賛成したことをわびたい気持が生じたことも事実である。

議決をすることは議会の意思を明らかにすることであり、それ自体に重い責任が伴うものであることと、形式的な議決が議会の自浄作用にはなんの役にも立たないことを実感させられた。

さらに、「裁判によって判決が確定をするまでは無罪が推定される」というのは、人権を守る趣旨で確立された世界共通のルールである。太田武正議員はまだ裁判を受けるどころか、起訴後も拘留されており、我々にはその釈明を聞く機会すら与えられていない。この状況で市議会が有罪判決を下すに等しい決議を出すことは適当でない。

「辞職勧告」という重い判断と、議会の権能を合わせて考え、かつ市民の人権を積極的に守らなければならない議員という立場を自覚するなら、今回の決議案に賛成することは私の良心が許さない。従って、この「辞職勧告決議」には反対をする。同僚議員の皆さんの賛同を心からお待ちする。

羽場頼三郎


7月4日〔月〕 西口 クラブ会合

今朝の民主党おはよう730は、岡山駅西口。参議院議員の姫井さんと二人で交互にマイクを持つ。再生可能エネルギー(自然エネルギー)をなんとしても拡大推進して、危険な原発に代えたい。米を商品取引の対象にしない。国民生活センターをつぶさない、と言った姫井さんの主張には、まったく賛同する。私は、代表質問の中身を紹介した。ソーラー発電、ふれあい収集、暴力団規制など。

議会内で市民ネットのクラブ会合。辞職勧告決議や定数条例への対応を議論。活発な議論はわが会派の得意とするところ。市政報告会を福浜で行うことで、各議員の賛同をいただく。場所と時間は確定してから公表する。


7月3日〔日〕 ほつま同窓会近畿支部

ほつま同窓会とは、金光学園の同窓会のこと。漢字だと「秀真」と書く。高校時代の友達と会いたいと思って大阪はユニバーサルシテイまで行ってきた。懐かしい人にお会いし、バザーでお椀となべを買って帰った(のだが、こんなものは我が家にいくつもあると言われて、少しがっくり)。しかし、会えない友達の近況を聞くなど、情報交換もして夕方新幹線に乗った。


7月2日〔土〕 祝賀会

ロイヤルホテルで、韓国の産業褒章を受けた方の祝賀会に参加。在日の方なのだが、日本で初めてらしい。県議、市議、備前市長や商工会議所など政財界の方も多数参加されていた。


7月1日〔金〕 総務委員会

10時から総務委員会。特にこれといった難しい問題はなし。しかし、情報関連の用語は、まったくのチンプンカンプン。フェースなんとかだとか、ツイッターがどうとか。ユビキタなんとかなど分からない言葉が氾濫していて、どうにもならない。こんなことなら総務委員会などに来なければ良かった。


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