羽場頼三郎 活動日誌 2011年1月

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1月15日〔土〕 江田五月法務大臣 民団新年会

朝10時から柳川で岩本典子さんの事務所開きに、民主党県連を代表して参加。岩本さんは驚くほど演説が良くなった。

江田五月が法務大臣になった。菅直人内閣で最大限の支援をすることになるだろう。これまでも「菅直人を支える」と言い続けた江田五月だから、菅直人からの要請に応えるのは当然だ。言うまでも無く、裁判官の経験ある江田五月は法務大臣としては適任すぎて、面白みは無い。しかし、そんなことを言っている場合ではない。国民のための政治を託されている民主党政権は最高の布陣で内閣を組むべきだ。その意味では与謝野馨氏の入閣も同じだ。年齢のことを批判する人もいるようだが、江田五月や与謝野のような見識ある政治家でなければ、このような難局には立ち向かえないと思う。また、三権の長を経験した人が閣僚になるなんて、という批判もあるようだが、議長・副議長になれば政治家として一丁あがり、とはこれまでの常識。むしろ政治家である以上、国を動かす仕事には何より情熱を燃やすべきだ。役職は単なる名誉とは違う。市議会も同じだろう。副議長経験者だからと言われて、議会での活動が少しでも消極的になってはならないと改めて感じた。その意味ではいい刺激になった。私は江田五月の法律家としての知識と見識に敬服していることは言うまでも無いが、政治家としての生き方にも学ぶべきものが大いにあると思っている。

民団の新年会に参加。友人知人が多く出席していて、親交を深めた。江田五月法務大臣も出席。新年の挨拶の中で、日韓シャトル会談のことにも触れたが、実現すれば嬉しい。

午後には民主党の新年パーティーがあり、これにも参加。4月の市議選の候補者として紹介される。

夜は公民館で、市政の報告。保育園と幼稚園、産廃の処分場などについて話をさせていただく。


1月6日〔木〕 風邪正月 初モーニングリポート

2日の午後に新見市哲西町へ。母に正月の挨拶にと思ったが、次男一家が来ていて、騒がしいひと時となった。4歳の双子の男の子と女の子に間もなく2歳になる男の子の3人が、それこそ力一杯暴れまわるので爺さんとしては孫のパワーにおされっぱなっし。参った。

そのあと、久しぶりに母と弟と一杯やったのだがその後が悪かった。夜中に気持ちが悪くなり、おかしいなと思ったときにはすでに遅し。熱が38度を超したので、これは風邪だと自己診断を下した。翌日から布団にもぐりこみ粥のみで過ごして、やっと4日の午後には熱が下がった。翌5日の昼前に哲西を出て、休み休みして岡山に着いたら夕方。恒例の初せりにも出られず、とんだ風邪正月になった。

今日6日は木曜日。初街頭演説。モーニングリポートをスタートさせた.風邪は抜けたが、寒い風は体に少しこたえた。


1月1日〔土〕 元旦 大渋滞

新年明けましておめでとうございます
今年は決選の年。心して新しい年を迎えました。

例年なら、お屠蘇を頂くのが我が家においての慣わしですが、今年は夕方まで酒を口にしませんでした。昨日からの鳥取県での積雪による大渋滞で、長男がそれに巻き込まれ一時音信不通だったからです。途中までメールが届いていたのですが、夜11時過ぎから届かなくなり、今日の昼まで様子が分からず、心配でした。どうにか脱出したようですが、それから配達の仕事で安来市方面に行き、帰りはまた通行不能になっていて、今日中には帰れないようです。丸二日も家を空けたので、家内も長男の嫁さんも心配で眠れなかったようです。


羽場頼三郎 活動日誌 2011年1月

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