羽場頼三郎 活動日誌 2007年12月

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12月25) 山本たかしさんを悼む

山本たかしさんが亡くなった。いつかはこの日が来るだろうとは覚悟していた。江田五月の議長就任の折に、国会内でお会いして当選のお祝いを申し上げ、握手をしたのが最後だった。そのときも呼吸器を鼻につけているのが痛々しかった。私と同じ昭和24年生まれ、同い年の人が亡くなるのはつらい。壁にかけていた山本たかしのパンフをはずし、寺田あきお、清水しゅうじの横に並べた。


12月23) 薬害肝炎訴訟

私の書き込みの直後に、福田総理が「方針変換」を表明したらしい。国民の批判はやはり応えるらしいが、それにしてもそれまでの町村の言葉は冷たいものだったことは忘れずにおこう。


12月22) 肝炎訴訟

日刊毒舌ニュウスというメルマガを見ているのですが、先日のコメントにはうなずきました。肝炎訴訟の国の態度を批判しているのですが、「自民党もアホや。折角の人気上昇のチャンスをつぶしてしもうて」といった趣旨でした。政治的には無関心層の家内も「軍事や銀行救済には税金をつぎこむくせに、国民を救うことに金をケチるなんて。しかも、自分の方が(国が)悪いのに」ときびしいことを言っています。これでは、内閣支持率が下がるのも無理ないか。


12月21) 推進決議

今日は11月定例市議会の最終日。市長の所信表明を受けて、政令市を求める意見書を採択した。いわゆる「推進決議」だ。最後まで、全会一致になるように呼びかけたが、徒労に帰した。その大きな原因は、他でもない。市長だ。本会議で、長井議員(市民ネット)の、「3年間職員採用凍結をやめたら」という質問に対する答弁で、無用に自己の考え方に固執し、「次元が違う」とまで言って、一顧だにしなかった。これに、反発、失望した会派の賛成を得られなかったからだ。政令市になるには、全会一致であることが望ましいのは間違いない。その大きな目的よりも、自己の「思いつき」政策にこだわったという感想をかなりの議員が持ったことも確かだ。市長は簡単に「政令市になる、なる。」というが、前途多難と思われる。


12月20) モーニングリポート

モーニングリポートをいつもの福浜小学校前で。議会の報告で、政令市、区割り、シルバー問題など。


12月19) 代表者会議 シルバー

昼、代表者会議が開かれ、市長への提案が確認された。政令市に向けての区割りの手直しを求めたものだ。旭川から東の地域を分割し、全体として4区とするものだ。これには、基本的に賛成できる。住民の声を反映したものであると同時に、これまで市民ネットが主張してきた6区割りの考え方が一部であれ取り入れられたものだからだ。しかし、政令市は区割りだけで決まるものではない。行政がまず示さなければならないのは (1)区役所の位置と設置時期を明確にすること。(2)人員配置、財政などの見通しを明確にすること。(3)支所の適正配置をすること。この3点については当然のことだ。これをいい加減に扱うようでは賛同し難いことになる。

シルバー問題は一つの山を越した。監査委員の意見が出たことで、予算凍結の解除は事実上不可能になった。監査委員は4人のうち2人が議会から出ていて、その出身会派が意見を無視するとは思えないし、議会としてもそれを尊重するのが普通だ。議会の中に解除に前向きな空気は皆無に近い。当局の新しい提案が待たれる。


12月18) 総務委員会

先ほど帰宅。総務委員会が午前3時近くまであった。区割り審議のため。本当に疲れた。


12月17) 個人質問 総務委員会

今帰ったところだが、24時過ぎだ。総務委員会が長引いた。私に言わせれば、政令市をめざすと言うのは口ばかりではないか。本気なら、それなりの準備が必要だろうし、見通しぐらいはあってもいい。暫定期間も具体的に示さず、議会の了解を得ようという姿勢は理解できない。文字通り対案を出せと言うのも乱暴すぎる。議会への責任転嫁としか言いようがない。議会の示唆によって別の案を出す、と言うのなら分るが。


12月16) 江田五月祝賀会

江田五月参議院議長就任祝賀会が開かれ、県内の要人が一同に会した。かつて選挙で争った石井県知事、逢沢衆議院議員から祝辞をいただくなど、これまでは考えられなかった会になった。これでひとまず五月会の仕事に一区切りができた。後は、民主党の仕事が待っている。


12月15) 高井崇志決起集会

高井崇志君の1区総支部代表就任を決め、同時に出馬宣言をする決起集会が開かれた。小さい会場だったが、ほぼ満員。駐車場が無くて帰った人も何人かいたようだ。申し訳ないことをした。岡田副代表を岡山に迎え、会も盛り上がった。来賓として、江田五月参院議長、津村県連代表、姫井参議院議員、二宮連合会長、元干尾事務局長、小林市議(岡山)、笹田市議(倉敷)もお見えになった。


12月13) 朝立ち 市長答弁

福浜小学校前で朝立ち。今年で18年毎週木曜日、ここだけでも900回近くになる。

市長は今日も独りよがりの答弁。自分が偉くて、市民、職員、議員は愚かだと思っているようにとられますよ、と言ってあげたいが、おそらくそれも耳には届くまい。


12月13) 記事の予測

昨日、個人質問の3日目。10時から登壇した。テーマは欲張って10項目。そのうちどれが翌日の「記事」になるか、推測するが当たった例がない。これは山陽新聞が質問の要旨を載せるにあたり、各自のテーマを全て載せることは物理的に困難なので、議員あたり一件のみ載せているものだ。これは力を入れてした質問と思ってもはずれ。ついでに言っておこう、というものが記事になったりする。今回は開発条例の改正が取り上げられた。当局が見直しを明言したからか。


12月11) 田原質問

田原君の質問が最後。しかし、答弁は逃げのものばかりで、途中長い休憩があったにもかかわらず、質問にはほとんど答えられず。明らかな答弁漏れがあったにもかかわらず、質問が打ち切られた。議運での協議が必要だ。それにしても、7300万円の不明金には呆れる。これが明らかにされないのに市が1億の公金を貸し付けることを認めるわけにはいかない。予算凍結を解除したら市民を裏切ることになる。


12月6) 市長答弁

どうも、市長は持ち上げられるとうれしいらしい。ゆうあいクラブの田中議員の代表質問には、A4裏表分の長い答弁だった。前の市長、幹部職員、一般職員、議員をなでぎりして、自分の正当性を強調した。アスポと市民病院を並べて言うなど、勇み足もあったが。

なお、わが市民ネットの代表質問に対しては、1分足らずの、そっけない答弁だった。しかし、井本議員の質問は人柄が良く現れているいい質問だった。


12月5) 代表質問始まる

各派の代表質問が始まった。最初は公明党の高月由起枝議員。市政の各論点について質問された。その後、政隆会の鷹取議員。再質問なし。

明日は午後から、わが市民ネットの井本さんが初めての代表質問に臨む。


12月2) 岡山県連常任幹事会

選対設置に3区問題など、来るべき総選挙に向けた議論をした。明日の新聞には何らかの記事が出るだろう。高井崇志の選対の相談に乗る。


羽場頼三郎 活動日誌 2007年12月

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