羽場頼三郎 活動日誌 2006年3月

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3月31日() 辞令交付 新代表

議会事務局の皆さんに辞令交付。新しい人、帰ってきた人それぞれに議会と市民のために頑張って仕事をして欲しい。

やっと前原氏が辞めたので、新代表に期待を掛けたい。


3月30日() 福浜小前 送る会

いつもの場所で、朝立ち。木曜日の男といわれるよう、引き続き頑張りたい。建部、瀬戸との合併協議の中身について報告した。

退職される皆さんのための「送る会」が開かれ、議会を代表して挨拶をした。私と同じ世代の人が退職をされる時期になってきた。

有名人の誕生日

私の誕生日は、2月26日だが、同じ日に生まれた有名人を検索してみた。かなりたくさんだが、私が知っている人に限らせていただいた。

1967年三浦知良(サッカー)、1956年桑田佳祐(歌手)、1948年門田博光(野球)、1942年山下洋輔(音楽家)、1935年李恢成(作家)、1929年五社英雄(映画監督)、1920年川内康範(作家)、1911年岡本太郎(芸術家)、1873年河東碧梧桐(短歌)、1873年与謝野鉄幹(短歌)、1802年ヴィクトル・ユーゴー(作家)


3月29日() モーニングリポート シーガルズ

朝の街頭演説を、浦安で行った。空港線の改良区の前のところで、初めてやってみた。悪くは無い。

シーガルズの方が市長と議長に表敬訪問に来られた。想像以上に、かわいらしいお嬢さん方で、応援しなくてはならない気になった。頑張れ、シーガルズ。

シーガルズの皆さんと記念撮影

3月28日() 法定合併協議会

瀬戸町、建部町との第4回合併協が岡山ふれあいセンターで開かれた。特例区が最大の焦点。御津の例をあげ、兼任規定をどうするか、迫った。事務局は法律どおりの規定にすることを明言し、ここでの疑念を払拭した。議員の定数問題は次回に。


3月27日() 人事異動 古屋哲

市役所は、人事異動の話でもちきり。企画局長の退職 (総務省への復帰)がこの合併を控えたときだけに、「なぜだ」の声になった。

新見市の喫茶「あるれ」といえば、地元ではおなじみ。その店主「古屋哲」は有名人だ。その古屋君が29日のテレビせとうち「水曜ミステリー」に出演するとのこと。新見の演劇サークルでの活動もさることながら、かつて劇団「民芸」に所属していたのだから、演技力には折り紙つき。実は、わが母校の金光学園でも「文芸部」の1年後輩で、当時から光っていた。わが文芸部は、文学部と演芸部が合同して出来ていた。昔を懐かしみながら、29日午後9時からの水曜ミステリー9「鉄道警察官・清村公三郎2 瀬戸内海を渡る殺意」を見させていただこう。


3月26日() 2区大会

民主党岡山の2区大会に1区代表の代理として参加。挨拶は求められず、議事に入る前に退場。来賓は、江田五月、岡山地協、玉野地協、草苅隆幸、羽場だった。


3月25日() 1区幹事会

民主党岡山1区の幹事会。代表一井淳治、幹事長姫井由美子の新体制になって、初めての幹事会だ。県や市の動きについて話をしたのち、来年の地方選挙の動きなどについて意見交換した。


3月24日() 黒岩さん

黒岩秩子さん

元参議院議員の黒岩秩子(ちづこ)さんが岡山にお見えになり、我が家にも立ち寄られた。息子さんが黒岩宇洋(たかひろ)参議院議員。7人子供がおられるそうで、その長男さんだ。双子の弟さん、私の孫の直正と同じ。「越後の暴れん坊」というキャッチフレーズが面白い。我が家の三男、長女も連れて4人で番町文庫にお好み焼きを食べに行った。黒岩さんの名前をご存知の方がおられて、話が大いに盛り上がった。


3月23日() 坪田文学賞

岡山の生んだ作家、坪田譲治にちなんで市が文学賞を始めて21回目にあたる今年は、伊藤たかみさんが受賞された。この文学賞は、大人も子供も共に楽しめる作品が選ばれる。伊藤さんは35歳、早稲田の政経出身。作品は「ぎぶそん」(ポプラ社)、バンドを作っている中学生が主人公で、実に面白い作品だ。伊藤さんと少しだけ話をしたが、後輩ということもあるが親近感を持った。楽しい会だった。顔を出していた政治家は、村田、逢沢、萩原、柚木。江田さんも来られた。

坪田譲治文学賞受賞 記念祝賀会で柚木道義議員と 伊藤たかみさんと

3月22日() モーニングリポート 間違いファックス

2号線バイパスでモーニングリポート。朝の空気を吸って仕事を始める。明日明後日は東京出張でお休みせざるを得ない。

私が発信したものが「間違いファックス」だったらしく、えらい怒られる。うちのファックスが間違っていたのは申し訳ないが、なんか、電話だととげとげしいものになっていやなものだ。その対応で1時間以上取られた。


3月21日() 五月会だより

五月会だよりの校正を手伝った。見出しの付け方や、全体のバランスなどまだ課題は残るが、若い人のセンスを極力生かしたいと思う。


3月20日() 本会議最終日

泣くも笑うも今日が千秋楽、いや違った最終日。2月定例市議会にかかった議案の決着がつけられる。今回は予算をはじめ、いくつかの議案に反対した。予算は不可分なので、一部でも認められなければ全部反対するしかない。これは、訳が分からず賛成するよりずっと良いことだ。それが分からない人がたまにいる。特に議員にいたりする。はなはだしいのは、当局に嫌われるのが嫌だから、少々気に入らなくても賛成するのだ、と堂々と言われる。うっかりしていると、こちらの方が悪いような錯覚に陥ってしまう。駄目なものは駄目といわないと議会の意味がない。議員の存在意義がない。そういえば、烏城コートを廃止することは耐えられない、として条例案と予算に反対した議員がおられた。それはそれで立派なものだ。

無所属市民の会として、一致して反対したのは、(1)実質的にエックス社にドームの管理を指定する件、(2)法では「罰則を規定できる」となっているにもかかわらず、あえて条例で罰則を規定する条例、(3)一般会計の体裁を整えるためとしか思えない介護保険特別会計、と予算案の合計4つだ。さらに、国民保護法関連の条例2件は、私、横田、田原、下市が反対した。


 

3月19日() 五月会だより 津山市長選

江田事務所で五月会だよりの編集会議。忙しい日程の合間をかいくぐって江田さんも同席。本人が書いた文章でも、遠慮なく注文をつけるのが編集方針で、今日も忌憚のない意見が出た。でも、いつも江田さんの文章には分かりやすさと正確さが同居している。脱帽。

開票結果 (投票率57.74%)
当 23,816
14,731
8,665
2,428
 桑山 博之 65
 中尾 嘉伸 71
 木下 健二 61
 杉山 義和 72

津山市の市長に桑山氏が当選した。予想どおりの結果。リコールされた中尾前市長が当選することはないだろうと見ていた。多額の負債を抱えたアルネをどうするのか、その整理の仕方は岡山にとっても参考になる。注目をしたい。


3月18日() 友あり遠方より来る

四国にいる幼なじみが、顔を見せてくれた。いくつになっても、変わらん。


3月17日() 総務委員会

午後11時に総務委員会が終わった。終了を確認して、家に帰ったので食事が遅くなった。決算委員会で指摘された「御津の入札」「特例区長と支所長の兼任」などについて、総務委員長の議長申し入れがあり、当局に解決を迫った。事務の改善と制度改革が行われることになる。


3月16日() 中学校卒業式 建設委員会3日目

福浜中学校で第59回目の卒業式。名まえを呼ばれた生徒が「有難うございました!」などといって大声を出していたが、大目に見て良いのではないか。人生の節目を彼等なりに意義を見つけたいのだろう。堅苦しい式に対するささやかな抵抗と見た。それ以外には文句の付けようが無い良い式だった。

建設委員会が午後から開かれ、今日に残された「アスポ」についての採決が行われた。ギリギリまで妥協の道を探ったが、当局にその気が無く、反対せざるを得なくなった。指定管理者を公園協会にするのまでは良いのだが、同時にエックス社に管理をさせることに納得がいかない。そうしなければ、8億近い金を償還しなければ無くなるという当局の思い込みに近い結論が何故出てくるのか、ついにその説明は聞かれなかった。もちろん、資料も出てこなかった。この議案に反対した以上、予算にも反対せざるを得ない。予算は、加藤(政隆会)、高月(公明)、三宅員義(新風)、松島(新風)が賛成。羽場、竹永(共産)、太田武正(無所属)が反対した。


3月15日() ホワイトデー 幼稚園 建設委員会二日目

先ほど帰宅。24時半まで委員会が続いた。

昨日がホワイトデーであることを、すっかり失念。義理でももらったチョコの返礼をしなくてはと、昨夜買い求めたお菓子を女性に届けた。意外なくらい喜んでくれた。

福浜幼稚園の卒業証書授与式。卒園式で良いと思うのだが、この名称を使っている。72人が卒園。おめでとう。昨年はゼロだったが、今年は3人の女の子の名まえに「子」が付いていた。それにしても少ない。

午後からの建設委員会では、アスポにドームの管理運営を丸投げする案件が問題となり、今日中に決着が付かなかった。私の要求した資料も提出されないまま審議がストップ。市が提案理由としている4項目はことごとく破綻しているにもかかわらず、当局はそれを認めようとしない。


3月14日() 建設委員会

朝から建設委員会。まず、今年度最後の補正予算の審議を行った。特に大きな問題はなかったが、比較的丁寧に審議して今日が終わった。明日は、午前中に市立幼稚園の卒業式があり、午後から来年度の予算審議に入る。一部の委員に対して根回しをしているらしいが、私のところには別に来る様子も無い。市政の間違った方向を正すことにそれほど抵抗があるのだろうか。明日は慎重審議が望まれる。


3月13日() 田原質問 五月会だより

個人質問の最後に、田原議員が登壇。アスポについて用意周到な質問を展開したが、予想に違わず当局は逃げの答弁に終始。明日の建設委員会でも同じことになるか、こちら議会の姿勢に掛かっている。無理に無理を重ねているこのアスポ問題にいつ誰が決着を付けるか。市長の判断が待たれる。

夜には江田事務所で五月会だよりの編集会議。若手の意見が少し出てくるようになった。早めに切り上げて帰宅。


3月12日() レポート 平松先生

レポートがそろそろ皆様の手に入りだしたはず。自分のところのマンガに 「出す出すと言って出さない」と描かれるようでは。次号は議会の報告を載せるので早めに出したい。

夕刻、平松掟弁護士のご母堂の訃報が入る。明日のご葬儀には、本会議中なので出られない。せめて通夜だけでもと思い、会場に行かせていただいた。それにしても、不幸な知らせがあいつぐ。


3月11日() レポート発送 原田家ご葬儀

遅れているレポートの発送に追われている。ご近所の方に手伝っていただき、今日と明日でめどを付ける予定。

「たまごの原田」で有名な原田さんのご尊父のお葬式に参列。駅西口のこの式場は初めてだった。駐車場が無くて少し戸惑った。


3月10日() 個人質問4日目

近藤昭議員の質問

個人質問も4日目。議長が所用で不在となり、午後には議長席に。田尻議員の質問の際に傍聴席に車椅子の方が見えられる。席まで車椅子が入れないことが問題となっているので、議長席からも気になる。事務局のかなりの人数で持ち上げたらしい。なにか改善策はないか。

西口のエレベータ設置について、問題となる。共産党の代表質問でも取り上げられたが、予算が足りないので、予定していたものを取りやめるという当局の方針に批判が集中。都市整備局と市長の答弁にも微妙な差があるので、今後さらに問題となるのではないか。


3月9日() 個人質問3日目 行革

今日も議長席に着いた。何回やっても緊張する。質問に対する答弁になっているか、誰が答弁するのか、時間はどうかなどチェックしながら聞いているので、終わるとホッとする。

市長は行政改革をしきりに言うが、アスポを整理できないでそれができるのか、はなはだ疑問だ。アスポを整理できない理由を4つ挙げている。プロポーザルではじめたこと。議会が認めた。協定があること。国の補助があること。これらが説得力を持つと考えているのだろうか。最初の意気込みのいかにトーンダウンしたことか。


 

3月8日() 森本徹磨氏の葬儀 大往生

本会議の昼休憩に車を飛ばして、森本徹磨氏のご葬儀に出る。千人近い人が参列。あの豪快で話すと楽しい徹磨氏にもう会えないと思うとさびしい。

夜になり、また訃報が入る。羽場事務所の初代事務局長の齋藤隆志さんの祖母であり母(養母)に当たる「ミサヨ」さんが102歳で大往生されたとのこと。元気な方だった。随分お世話にもなった。ご冥福を祈りたい。ご葬儀は東山の法要庵で10日の正午から行われる。


3月7日() 個人質問初日 森本徹磨氏通夜

朝から7人が登壇。一日、議長席に座るが特に波乱はなし。それぞれの個性が出ていて、面白かったろうと思う。聞いている分には。私は、間違えないようにと気を遣ったため、少し疲れた。4時半に終わる。

午後7時から、藤田の自宅で森本徹磨氏の通夜。多くの人とお会いした。組合、政治関係者がかなり来られていた。穏やかな眠り顔だった。


3月6日() 代表質問3日目

今日は代表質問の3日目。わが無所属市民の会の下市このみ議員の登壇。午後までかかる。後は難波議員による政隆会の代表質問。再質問は企画だけ。4時半には今日の日程が終了。自宅に戻り、レポートを印刷する。明日か明後日には郵送が出来る。次を早くして、正常に戻さないと。


3月5日() 叔父の葬儀 森本県議の訃報

私の母の姉のつれあい、義理の叔父可児広十が亡くなり、津山でお葬式があった。享年96歳。20代の若いときから小学校の校長を務めるなど、教育に前半生を捧げ、特に台湾で軍事一辺倒でない子供の立場でに立った教育を実践したそうだ。その後、病院の事務長を引き受け、スモンにかかった叔母の看病もよくした。叔母は既に亡くなっており、晩年は兵庫県の山崎で過ごした。親戚代表の挨拶に、古武士のような人という表現があったが、ぴったり。背筋をピンとのばした風貌が脳裏に浮かぶ。ご冥福を祈りたい。

先ほど、森本県議の訃報が入ってきた。民主党県連を引っ張ってきた人だ。最近重篤が伝えられてきたところで心配してきたが、残念の一語に尽きる。

故森本徹磨氏の葬儀 

通夜 3月7日(火) 19時から 自宅
葬儀 3月8日(水) 12時から13時30分 市内福富中1-1-7 法要庵岡山中央会館
喪主 森本亮一(故人の長男)


3月4日() 個人質問の予定2

二日目。3月8日(水) 
(1)横田悦子(無所属市民の会)、(2)藤井義人(公明党)、(3)松田安義(公明党)、(4)成本俊一(新風会)、(5)田畑賢司(共産党)、(6)磯野昌郎(公明党)、(7)太田正孝(新風会)。

三日目。3月9日(木)
(1)松島重綱(新風会)、(2)藤原頼武(新風会)、(3)山田勇(公明党)、(4)小林寿雄(ゆうあいクラブ)、(5)藤沢和弥(共産党)、則武宣弘(公明党)、(7)本郷由子(公明党)。

四日目。3月10日(金) 
三木亮治(新風会)、(2)吉本喜一(新風会)、(3)太田武正(無所属)、(4)近藤昭(無所属市民の会)、(5)田尻祐二(公明党)、(6)小川信幸(政隆会)。

五日目。3月13日(月) 
(1)楠木忠司(ゆうあいクラブ)、(2)高月由起枝(公明党)、(3)和氣健(新風会)、(4)浦上雅彦(政隆会)、(5)稲葉泰子(共産党)、(6)田原清正(無所属市民の会)。


3月3日() 市長の失言

市長がかなり慣れて来たと思ったら、失言。共産党の竹永光恵さんの代表質問への答弁に「答弁する時間がもったいない」という趣旨の言葉を使ってしまった。質問時間には制限があるが答弁にはそれがない。議会全体を無視することにもなるので、放置できず、休憩を取って答弁を調整したため、終わりが6時を回った。ゆうあいの升永市郎さんが二番手だったが、時間一杯で実質的に再質問はなし。

個人質問の日程が決まった。33人。
3月7日(火)、(1)三宅員義(新風会)、(2)三宅英夫(政隆会)、(3)田中慎弥(ゆうあい)、(4)崎本敏子(共産党)、(5)加藤公彦(政隆会)、(6)若井達子(新風会)、(7)田口裕士(政隆会)。


3月2日() 代表質問

今日から代表質問が始まる。トップは公明党の酒見議員。幅広く質問をして、市政の問題点を取り上げた。次は新風会の柴田議員で、同じく質問を広く行った。市長が今回はかなり長めの答弁をしていたので、前回の批判を意識しているようだった。しかし、職員採用の3年凍結については、何の説得力もなかった。暴走を止めるブレーキがないのか、壊れているのか。

障害者団体の方から要請

昨日、障害者の団体の方が来られ、医療費補助の制度改悪をしないでもらいたいとの陳情を出された件で説明を聞いた。その趣旨にはまったく同調できる。国や県が方向を間違っているときには、市が弱い人のとりでにならなくては。


3月1日() 議運 御津の怪2

議運で、明日の開会に日程を追加をして、議席の変更をする。太田武正議員の会派離脱によるもの。

御津の「怪」については、今リポートに書いているところ。問題の文書については、昨日の活動日誌に掲載した。



平成18年2月定例市議会の会期日程(予定)
2月23日(木) 本会議(第1日)議案−提案説明
3月2日(木) 本会議(第2日)代表質問  (公明党、新風会)
3日(金)   〃  (第3日)   〃      (共産党、ゆうあい)
6日(月)   〃  (第4日)   〃      (無所属市民、政隆会)
7日(火)   〃  (第5日)個人質問
8日(水)   〃  (第6日)  〃
9日(木)   〃  (第7日)  〃
10日(金)   〃  (第8日)  〃
13日(月)   〃  (第9日)   〃   、委員会付託
14日(火) 常任委員会
15日(水) 常任委員会
16日(木) 常任委員会予備日
20日(月) 本会議(第10日)

羽場頼三郎 活動日誌 2006年3月

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