羽場頼三郎 活動日誌 2006年12月 |
12月30日(土) 弓道部
元参議院議員の大森礼子さんの経歴を見せていただいていたら、朝日高校の時に青森で行われたインターハイに出場とある。我が家の節子さんも同じ大会に出たそうだ。それを機会に、周りで弓道をやった人を探すと結構いるようだ。まず、私の祖父鶴三、弟の娘千鶴、妹のダンナ袴田康道クンなどだ。ごく親しい友人やその娘などを含めると十指に余る。わが娘の桃子もいた。
12月29日(金) 法律 民主党CM
酒酔い運転の罰則強化が現実化しそうだが、懸念している点がある。それは、法律を厳しくすればすべて解決するというような錯覚に陥ることだ。交通ルールを守ることの教育に力を入れることを何倍もしないとこの問題は解決しない。少なくとも義務教育の間に交通教育をやらなければ効果は上がらない。
なお、シートベルトの不着用についても適用範囲を広げるなどのことを同時にやろうとしているが、ナンセンスだ。自分の身体を守ることを義務付けるのは、法の守備範囲を超えている。法律万能主義の表れだし、少なくとも市民の法意識の向上に繋がるとは思えない。
民主党のコマーシャルを先程見たが、今ひとつの気がした。3人で嵐の海を乗り切ろうというのだが、強烈なパンチにかける気がする。折角、岡山でも姫井さん、高竹さんといい候補が決まったのだから、追い風となるものが欲しい。
12月28日(木) 風邪
今年の風邪はかなりきつい。今日まで体調不良で書き込みが出来なかった。この間に姫井由美子さんの参議院選出馬が決まった。相手にとって不足なし。片山に対抗して、目一杯頑張ろう。
12月23日(土) 同級生
中学校の同級生が集まって、来年夏の同窓会の相談をした。我らの哲西中学校は、約160人ぐらい卒業生がいたはず。50人ぐらいは集まりたいね、と話をする。気の置けない友人と話をすることほどリラックスすることは無い。60歳の還暦には哲西町でおおいにやろう。
12月22日(金) 新聞記事 本会議最終 警察葬
朝刊を見ていたら、トルクメニスタンの独裁者、ニヤゾフ大統領が死亡したという記事に出会った。北朝鮮に似た特異な独裁体制の国だそうだが、その写真の説明に「齋藤泰雄大使と会談する」とある。齋藤君は高校の同級生だ。アメリカに留学して1年遅れて同じクラスになったので年は1年上だが。学年では一人だけ東大に進み、外務省に入っていてベルギーの大使館に席を置いていたり、国会でも事務方を努めたりしていたが、いつかは途上国への援助について岡山で講演したこともあって、そのときに会ったぐらいだ。久しぶりに名前を聞いた。活躍しているらしい。
本会議の最終日。異例の休憩があり、人事案件が取り下げになった。人権擁護委員の推薦の件だが、一部からクレームがついてしまい、書類の不備とも重なり、次回に繰り延べされた。その影響で終了が午後1時を過ぎてしまい次の予定に間に合わなくなるのでは、と心配した。
2時から六番川水の公園で、先月殉職された吉田宗平警部補の警察葬があり、出席した。29歳でなくなられた白バイ警官に、多くの方が弔辞やお別れの言葉を述べられた。同期の方の弔辞が、特に胸に響いた。警察庁長官代理、知事、県会議長、市長に続いて、議会を代表して感謝状を贈呈した。
12月21日(木) 愛車 代表者会議
今日もモーニングリポートは車検に入っている車をとりに行けなかったので、お休み。燃料漏れが見つかったりして、作業が遅れたこともあるそうで、朝寒いのでサボったわけではありません。愛車はなんと言っても昭和59年から動いているので、多少の疲れは出ます。
代表者会議では、「政務調査費に領収書添付を義務づける条例」を制定すべきでは、という無所属市民の会と共産党の提案にもとづいて議論がなされ、かなり前向きな方向で次回の協議に持ち越された。
12月20日(水) 建設委員会二日目 姫井由美子
昨日に引き続き、下水道関係の審査を行う。難しい問題も無く午前中で終る。
夜は姫井由美子県政報告会。県政報告会というより、参院選に向けて流れを作る会のようだった。まだ清水だが、いずれ大河になればいい。
12月19日(火) 建設委員会 姫井由美子
朝から建設委員会。合併関連の議案が多く出る。瀬戸町と建部町が岡山市になる日があと一月に迫った。
大福に計画されている「大型遊戯施設反対」の陳情が出ていたので、この審査に注目が集まった。地元の2町内会より、「同意の撤回」が出ていたので、積極的同意という開発条例の条件を完全に満たさなくなった。これを受けて、適切な時期に適切な判断をする、と当局が言明した。この問題の早期決着が望まれる。
民主党の小沢代表が岡山に来て、姫井由美子さんに参議院選出馬の要請を行った。小沢さんは本気らしい。姫井さんは、支持者と相談して近く結論を出すそうだ。自民党は片山虎之助なので、相手にとって不足は無い。どこからでも票を取って、この勝負に勝たねばなるまい。
12月18日(月) 個人質問最終日
朝の駅前演説には、行ったものの終っていた。場所を間違えたため、間に合わなかった。
本会議があり、個人質問の最後を升永、竹永、佐々木の3人で終えた。明日は各委員会が開かれる。私は建設委員会。例の大福の大型施設について、市の誤りを正さねば。
12月17日(日) もう一人の美濃部
今朝の新聞には、天皇機関説を当時の文部省が徹底弾圧をしたことが報じられている。天皇機関説といえば、美濃部達吉氏だ。その息子が美濃部亮吉氏というわけで、ちょっとした因縁を感じた。
12月16日(土) 古今亭志ん生と美濃部都知事
今は石原だが、私の学生時代は美濃部亮吉氏が都知事をつとめていた。その美濃部氏が100歳になった方を訪れてお祝いを渡したときのことだ。その100歳のお婆ちゃんが、美濃部知事さんが来てくれたよと家族が教えると、「あれあれ、あのどうしようもない美濃部さんが立派になられて」と言ったので、大慌てになって、「お婆ちゃんもボケてしまったので」といって取り繕った。という話を読んだことがある。そのときに、すぐぴんと来たのは、同じ美濃部でも大酒飲みで有名だった古今亭志ん生と間違ったのだろう、と思った。師匠は本名を美濃部孝蔵というからだ。落語好きなら分かっただろうが。おそらく、そのお婆ちゃんの近くに住んでいたことがあるのではないか。古今亭志ん生は改名を繰り返したことと、転居が多かったことで有名だからだ。そのほとんどは借金取りから逃げるためだったそうだが。しかし、その古今亭志ん生もとっくに無く、長男の金原亭馬生も次男の古今亭志ん朝も古今亭志ん生を襲名することもなく鬼籍に入った。学生時代はいよいよ遠くなった。きょう、早稲田の会の忘年会があった。
12月15日(金) 本会議
午前中は、予定通り議長席に。公明党の田尻、則武、本郷と順調に進んだ。12時が来てほっとして降りる。
個人質問の今日のトリは、無所属市民の会の下市このみ議員。ところが、ちょっと気になることがあった。下市議員の質問に市長が答弁に立たなかった。ちょうどその質問の中に、市長の退職金をどうするか、というものと、中国へのお土産に市長が経営していた会社から買ったことを取り上げたところがあった。こういう時に答弁しないと、どんな理由があるにせよ答弁を避けた、と誤解される。耳の痛いことをいわれたので避けたと言われるか、気に入らないと答弁もしないと思われるかのどちらかだ。市民のための市政を標榜する市長なのだから、誤解を産むようなことはしないほうが良いのに、と思った次第。
12月14日(木) 本会議 教育基本法
きょうは木曜日だが、愛車「市民の勇気号」が車検のため、モーニングレポートはお休み。決してサボったわけではありません。
本会議も4日目。個人質問が続く。わが会派からは近藤昭議員が立つ。近藤議員に対する市長の答弁で、「安倍総理は良く知っているが、右翼ではない。近藤議員の偏見だ」というものがあったが、いただけない。人の意見を偏見と決め付けることも「偏見」だと思うが。もっとも、私も安倍は右翼的で好きになれないが。これは、私の感想、意見だ。
全体にあっさりの方が多く、5人だったにもかかわらず3時前には終了。きょうも議長席だった。明日も午前中は議長席に座る予定だ。
教育基本法が安倍の「重要法案」だそうで、明日は参議院で可決に持ち込むらしい。そんな大切な法案だったら、十分審議し、国民の合意を取った上で、与野党が一致して賛成するようにすべきだろう。拙速、強引な法案成立劇を見ていて子供達がどう思うか。力さえあればいい、数さえ多ければいい、そんな感覚で健全に育つとは思えない。その方がよっぽど問題だ。
12月13日(水) 個人質問 木村洋子 ウィニー
個人質問の3日目。議席から、じっくり聞かせてもらう。共産党の田畑議員のところで、答弁調整が必要となり昼の休憩が1時間ばかり伸びた。公務員の政治活動に関しての疑義を質したのだが、当局側の準備不足ということで一応おさまった。明日はふたたび議長席に座る予定。
社民連で同じ時期に当選した目黒区の木村洋子議員(プロレスラーの木村健吾氏夫人)が先月30日、副議長に就任した。また、副議長の輪が広がった。武蔵野市の深沢、京都の鈴木、池田の松本、高槻の岡本、倉敷の原田、新見の土屋、真庭の金谷の各氏。
ウィニーの開発者が有罪という報道を見て、頭にきた。この裁判官は法律を知らないらしい。幇助罪はこのようなときに適用されるものではない。犯罪を助けるという概念が広がってしまい、罪刑法定主義にも反する。また、こんなことで道具の開発者を処罰していては、技術の進歩は無い。控訴は当然だ。
12月12日(火) 議長席
この議会では初めて議長席に座った。少し緊張して、昨夜は眠れなかった。寝不足で、目がはれぼったかったが、皆にわかってしまっただろうか。こんな疲れることを、皆さんよくやられる。議事進行がよく行って当たり前。少しの不手際も許されない。よほど神経が太く、かつ繊細でないと出来ない。4時過ぎに終った。
12月11日(月) 欠席 一井暁子
リポートの仕上げをしていて、駅前の演説には欠席した。肝心のリポートは明日にはできあがる。発送はそれからなので、皆様のところにはまた月の半ばを過ぎてしまう。申し訳なし。
県議選の2区に一井暁子さんを出すことになった。7人区に一人なので落とせない。一井元参議員の娘で、現在は津村の秘書だ。才気煥発という言葉は彼女のためにあるような人。県議会の沈滞した空気を入れ替えてほしい。後は参議員候補だ。
12月10日(日) 障害者福祉大会 あんなにいるとは
市民文化ホールで第26回障害者福祉大会がおこなわれた。議会の代表で祝辞。障害者自立法とは名ばかりの法律で生活ができなくなった方には、岡山市は独自の支援策を取ったことを取り上げ、当事者の声が議会や行政を動かした例がある。と少し市のよい方向の話をした。あまり政府の批判をしてはいけないという意識が働いて、分りづらい話になったかもしれない。
表彰者の中でポスターの優秀賞に福島杏奈、藤元杏奈、岩藤杏奈と続いたので耳を疑った。偶然にしても良く同じ名前が。
12月9日(土) 仲良し祭
昭和町の仲よし作業所で、恒例の「仲よし祭」があった。バザーや即売、食べ物やも出ていて、小雨ではあったがにぎやかで良かった。山金のラーメンと蒸し牡蠣を食べ、コーヒーと甘酒を飲んで会場を後にした。バザーで買った九谷の花瓶を抱えて。
12月8日(金) 個人質問の予定
11日 三木亮治 三宅英夫 楠木忠司 崎本敏子 則武伸一郎 若井達子
12日 横田悦子 小川信幸 田中慎弥 太田武正 浦上雅彦 松岡茂
13日 和気健 田畑賢司 太田正孝 磯野昌郎 田口裕士 山田勇
14日 三宅員義 近藤昭 成本俊一 稲葉泰子 高月由起枝
15日 田尻祐二 則武宣弘 本郷由子 安井聡 下市香乃美
18日 升永市郎 竹永光恵 佐々木清巳
12月7日(木) モーニングリポート 田原質問
朝は定例の福浜小学校前でのモーニングリポート。交差点の方では、県議選に挑戦する大西平一君が朝立ちをしていた。早稲田の後輩で、父上は金光学園の先輩だ。新聞によると足守の杉本氏も出馬表明をしたらしい。県会の1区は大激戦になる模様だ。
代表質問の3日目。無所属市民の会から田原君が質問に立った。再質問に対して、休憩が1時間かかった。当局の答弁が出来ない所為もあったが、事前の説明があまりにも不十分だったので、予想された事態だった。色々あったが、助役が陳謝をしたことで矛を収めた。その際、議員が資料要求をしたことに対して、「公開条例にもとづいて請求をしてもらいたい」という言い訳は認められない事を確認した。当然のことだ。
12月6日(水) 代表質問 長野士郎
本会議は代表質問が始まる。新風会、共産党と対照的な質問だった。松島議員と藤沢議員。
前知事の長野士郎が死んだ。新聞によれば、いいことしか書いていないが、これほど晩節を汚した知事も珍しいだろう。独善と強権と弱腰の三拍子そろった人だった。チボリ公園を強引に作り、吉備高原を都市化しようとした。自分の趣味か夢を県民の税金で実現した。お陰で岡山県は大赤字となった。苫田ダムを強引に作り、行政圧迫という悪例を残した。右翼に弱く、教員組合に貸す予定の会場の使用許可を取り消し、以後右翼が跋扈する岡山になった。さらに、岡山市への不当な負担金を押し付け、補助金を不当にカットした。不名誉県民の制度があれば、第一号になっていたかもしれない。人は棺桶に入って正当な評価が下されるという。確かに評価すべき面があった人だろうが、マイナス面もわすれてはならない。ご冥福を祈る。
12月5日(火) 町内会長表彰式
長く町内会長をつとめた方に、市が表彰状、感謝状を贈る制度があり、今日はその表彰式があった。福富西の前会長である槙野真澄さんが5年以上会長をつとめたということでこられていた。終わったあと、副議長室で少し話をして帰られたが、話はもっぱら町内のことばかりで、流石によくご近所に通じておられた。
12月4日(月) クラブ会合
朝の駅前演説を休んだ。少々寝過ごしたので。このところ休みがとれないので、寝不足気味だ。
クラブ会合で代表質問の原稿を刷り合わせ。私の原稿は大胆に切り込まれて、ほとんど原型をとどめず。個人質問と違い、時間の制限や全員の同意が必要なためやむをえない。情報の公開が大きな焦点になりそうだ。
12月3日(日) 防衛庁
防衛庁を防衛省にしようという話があるらしい。あるらしいではなくて、なることは確実だそうだ。私は反対だ。そんなことをしても何のメリットもない。ないどころか、諸外国に「日本は危険な国」というメセージを送るようなものだ。軍事力を強化するのではないかという懸念を持つのは、私だけではないはず。防衛庁の体質改善も進まないのに。シビリアンコントロールの内容が変質し、その確実性が失われているのに。国会は何をしているのか、と言いたい。
12月2日(土) 連合婦人会
岡山市連合婦人会の設立60年の記念大会に来賓で招かれた。市長、知事、県議会議長、国会議員と並んで祝辞を述べた。
12月1日(金) 代表質問の準備
この議会で、田原君が代表質問をする。ある程度は各自が分担して質問内容を詰める。私も一部は書いてみたが、採用されるかどうか。普通なら、はずされたところは個人質問に回すのだけど。副議長は質問を控える慣例があるので残念だ。
羽場頼三郎 活動日誌 2006年12月 |