羽場頼三郎 活動日誌 2005年8月 |
8月31日(水) 中川橋歩道橋 国体壮行会
百間川の中川橋に歩道橋がついた。神事の後、竣工記念式典。私が議会代表で来賓の挨拶。
午後は60回国体の夏季大会出場選手壮行会。ここでも議会代表で挨拶。苦手な時間が続いて、どっと疲れた。
8月30日(火) 5区出陣式
5区の出陣式に県連を代表して挨拶。候補者の顔つきが良かった。市民を無視した小泉を許すな、と檄を飛ばした。
8月28日(日) 船穂 市長候補
倉敷市船穂で市議の増員選挙が始まった。定数1で立候補は4人,うち民主党は1人。出陣式に5区での選挙を控えている花咲ひろき氏が激励に。自民の乱立になった5区は船穂と同じ構造。お互いの健闘を誓い合った。
岡山市長候補にチボリ社長の高谷氏の名前が挙がった。市政に経営感覚を、という主張らしい。
8月27日(土) 市民リポート175号
市民リポート175号がやっと出来ました。まもなくお手元に届くと思います。
8月26日(金) リットシティビル
駅西口に再開発の第2工区ビル、通称リットシティビルが完成し、明日グランドオープンをむかえるので、今日前夜祭があった。今日から市長職務代理となった菱川助役が市を代表して挨拶。私も、乾杯の音頭をとった。懐かしい人にもお会いした。
8月25日(木) 市長候補 政令指定都市
市長候補の名前が挙がってきている。とんでもない人まで。市民のための市長を作るという基本を忘れないで選びたい。
政令指定都市推進協議会の設立総会に副議長として出席。祝いの挨拶を述べたが、事務局が用意していた「国際福祉都市実現のため」などとは言う気になれず、「市民生活を守るための政令市でなければ」と言っておいた。
8月24日(水) 臨時議会
臨時議会において、賛成多数で萩原氏の市長辞任が認められた。最初に田原議員が立ち、かなり詳細な反対討論を行った。論旨明快、迫力満点。これでは同調せざるを得ない。反対の意思表明は、共産党の5人と横田、下市、私の9人だと思う。いや、田原本人を入れて9人。52分の9は決して軽くない。
8月23日(火) 中原茂夫
倉敷の市議選が埋没しないように、中原茂夫氏を激励。28日の事務所開き兼出陣式の段取りを相談。
8月22日(月) 議運
議運で24日の臨時議会の内容と運営を決める。市長の辞任に反対討論が二名。共産党と田原議員。
8月21日(日) お見送り 柚木道義 花咲宏基
朝早く、コスタリカのパチェコ大統領を岡山駅でお見送り。知り合いになった多くの友人達を見送る。またコスタリカに行きたくなった。
いったん、家に帰ってそのまま友人の車に同乗して倉敷に。柚木道義の事務所開きに参加。かなりの人が集まっていた。後で聞くと、公称800人、実数は600ぐらいか。柚木君の意気込みが伝わる感じだ。おそらく、対立候補はものすごい数を動員するだろうが、どれだけこのような熱気があるだろうか。ゲストは円より子さん。他にも、倉敷の市議が5人。県議が3人。船穂の中原茂夫さんも。
午後2時から、5区の花咲ひろきの総決起集会。行きたかったが、近所の方に選挙準備で集まっていただいたので、そうも行かず。このときの花咲の演説はすばらしかった、との報告があった。彼も、村田、加藤を相手に回して善戦、いやそれ以上の戦いが期待できる。柚木、花咲いずれも頑張れ。
8月20日(土) コスタリカ
今日はコスタリカデー。コスタリカのパチェコ大統領を迎えての一日だった。まずは駅にお迎えに行き、ママカリフォーラムで、サンホセ・スクエアの命名式に参加。次の昼食会では私が乾杯の音頭を取った。アイプラザではジュニアオーケストラの視察に同行、明日の公演に向けてかなり仕上がっていた。また1000年前のものといわれる、博物館のオカリナが演奏された。音は今のものと変わらない感じだった。
夜は歓迎晩餐会。隣にコスタリカの外務大臣夫人が座られたので、少しお話をする。といっても、プアな英語なので、ほとんど通訳付き。夫人は英語は堪能。それもそのはず、母親が英国人で、結婚後アメリカで勉強して資格を取り、英語の教師をされていたそうだ。外務大臣は国会議員を2期務め、議長もされていたとのこと。コスタリカでは2期連続で議員や大統領は出来ないので、相当実力がないと国政に携わることができない。大統領も、自分がなぜ医者なのに政治家になったかという話の中で、テレビ出演により、広範な知名度があったことを話されていた。また、詩人でもあるそうで、政治家であっても芸術の素養は必要であることを、アイプラザでは話された。一国の大統領に身近に接して、感銘を受けることが多い一日だった。
8月19日(金) 自殺行為 姫井由美子
2区の熊代が,衆院選を断念して岡山市長選に出ることを表明した。とんでもない。自分の都合で鞍替えをする市長と全く同じか、さらにそれ以下だ。市民のための市長とは、およそほど遠い。こんな人を市長に岡山市民が選ぶなら、自殺行為に等しい。何としても、まともな人を市長候補にしなくては。
姫井由美子さんのサマーパーティ。各界各層の方が来られていて、面白かった。
8月18日(木) 市議研修会 刺客
県下の市議会議員の研修会が開かれた。講師は明治大学の牛山さん。地方自治と議会について、参考になる話が聞けた。終わってから、少し雑談をした。
小泉の刺客について。本人は刺客と言った事は無いというが、当たり前だ。自分が泥棒です、とか、殺し屋ですと言うはずが無い。そんな言い逃れは通用しない。そういえば、市長を刺客に立てられた熊代が立候補断念、市長選に出るといった情報が飛んでいる。市長の椅子は私物ではない.党の都合や個人の都合でやったり取ったりするものではない。市民にとって何が良いかを最優先で考えなくては。
8月17日(水) 菅源太郎 議運 中原茂夫
菅源太郎の建部事務所開き。前回の事務所のそばにプレハブを建ててスタート。菅伸子さんも参加。武蔵野の市長が自民党から出る話などをする。
午後に開かれた議運では、9月議会の日程変更が決まる。国体に加え、総選挙のために変えざるを得なかった。24日の臨時議会も決まり、ここで反対討論を出来るかどうかが問題となったが、原則的に考えれば出来ない話ではない。
夜は船穂の中原選対。民主公認が決まって、体制を整えているが、まだまだだ。てこいれも不十分。応援の方法を考えている。
8月16日(火) 代表者会議 建設委員会 武蔵野市長
昼前に代表者会議が開かれ、市長の辞任に伴う諸問題が協議された。22日に議運が開かれ、24日に臨時議会、25日に辞任という運びになる。9月議会の日程は17日の議運で決まる。この場で、周辺各町に出した文書が話題となる。政令市・合併推進についての岡山市の意思を明確にしたものというが、市長交代の時期に不適切。院政でも敷くつもりだろうか。不快感を示す議員がかなりいた。
午後には建設委員会。再開発の補助金削減に対する岡山市の救済策が示された。固定資産税の特例を含むユニークな案だ。全国にも例が無いそうだ。また、小規模工事に端を発した過大発注の最終報告書が示された。職員の個人責任を問うことの是非については慎重に、職員体制の刷新をどうするのか、不良業者の排除はなどを質問し、意見を述べた。その中で明らかになったのは、この件について、辞任の前に決済すると市長が言っていることが明らかになり、不審を呼んだ。新市長に判断を委ねるのが筋ではないか。改革の方向をあわせて示す必要があるからだ。
武蔵野市の土屋市長が菅直人の対抗馬として出るらしい。以前から国政を目指していた土屋氏なので驚くには当たらないが、地方を切り捨てる小泉政権を支えるために出馬するとは。以前からの知り合いであり、その市政には少なからず関心を持っていたものとしては残念。ここも市民派の市長を立てて欲しいものだ。
8月15日(月) 市長から議会に 靖国問題
午後、市長から議会に「辞任について」申し入れがあり、議長と副議長がそれを受けた。それによると、17日に「辞任願い」が議長宛に出され、5日後に選管に報告、24日に臨時議会で承認となる。計算によると、10月9日が投票日になる公算が大きい。市長選挙に向けての動きが始まっている。市長派からは、O議員、K議員、K局長の名前が上がっているようだ。萩原氏の影響の強い人の名前しか聞こえてこないということは、市長が後継者選びに熱心ということだろうか。もしそうなら、どうかと思う。
テレビ番組で、靖国問題を取り上げていた。聞いていて、議論がかみ合っていないと思った。A級戦犯が祭られていることが問題と思うのに、賛成派は「戦争の被害者が祀られているのをお参りしてどこが悪い」と繰り返している。以前、保守を自認される元議員が、この問題の根本はA級戦犯だと発言して同席したものの共感を得たことを思い出した。かつての革新議員から強い握手を求められていた光景が眼に浮かぶ。なお、桜井よしこも揚げ足取りの名人とお見受けした。
8月14日(日) 菅源太郎事務所開き
猛暑の中、菅源太郎の事務所開きが行われた。室内でしたのだが、エアコンなどとても効かない人の数、100人ぐらいか、で熱気のこもった会だった。後援会長は河田英正(元岡山県弁護士会長、衆議院議員候補)、選対本部長は江田五月、ゲストは菅伸子。私は「選挙はがき」などのお願い役を務めた。議席獲得に向けて頑張ろうの声が、こだました。
8月13日(土) 光復節 ふるさとまつり
市民会館での民団主催の光復節に来賓参加。韓国の神戸領事、逢沢、片山、熊代、津村、萩原、立岡瀬戸内市長、西岡備前市長に続いて挨拶。議会が主導で、地方参政権、年金の谷間、採用試験の国籍条項撤廃などを取り組んできたことを話して短く終わる。
船穂の中原選対にてこ入れに行き、金光の同級生に会い、幼馴染の医学部教授の初盆に。思い出が次々によみがえる。
なださきふるさとまつりに来賓参加、熊代夫人、萩原市長に続いて挨拶。ここでも短く挨拶を終えた。花火がなかなか良かった。市長が、正式に出馬表明をしたそうだ。選挙が過熱しそうだが、民主党が埋没しないようにとの声をあちこちからかけられる。本当にそうだ。
8月12日(金) 岡山市長選 倉敷市議選
市長選は日程がまだ決まらない。辞表の提出時期にもよるが、10月になるのではという観測がしきり。法律の定めからすると、10月2日、9日あたりとみられる。いずれにしても、この際、市民のための市長を出さねばならない。しかし、人選は簡単ではない。自薦他薦を問いません。どうか名乗りを上げてください。
倉敷では合併に伴う「増員選挙」があります。船穂では中原茂夫が公認で、真備では木谷氏が推薦で立候補の予定です。中原さんは23年生まれで57歳。私と同じ団塊の世代。九州大学を出て現在、町議2期。町長選挙も経験(善戦したが落選)して、これまで真面目に政治に取り組んでこられた。オムニバスという議会報告も続けて出してこられた。定数1の難しい選挙ですが、是非頑張ってもらいたいものです。
8月11日(木) 市民のための市長を ウェルカムパーティ
午後2時過ぎに、市長の衆議院選挙出馬の情報が流れた。その後も、それを裏付ける情報が相次ぎ、私もマスコミからコメントを求められることとなった。「やはり、かという思い。その行政手腕には一定の評価をしてきたが、市民のことを最優先に考える姿勢に欠けるのでは、と懸念していたので、ここで市民のための市長を選びなおすしかない」といったことを述べたつもり。幅広い市民の結集で市長選挙をやるべきだ。まずは候補者を探すところからはじめねば。しかし、70万市民を代表し、6千人職員を動かす人はそう簡単にはみつからない。何より「市民のため」をかかげる人が、絶対条件だ。その意味でも「萩原後継」ではダメ。市民からも、いい市長候補を立ててくれという電話が相次ぐ。さらに、同時に行われる市議補欠選挙にもいい人を立てたい。
夕方、中学生によるサマーキャンプのウェルカムパーティに来賓参加した。韓国、台湾、ブルネイなどの子供が集い、岡山でキャンプを行う。楽しい、エネルギーあふれる会だった。未来に希望が持てる。
8月10日(水) 選対 ペンドルトン
近所の方と選挙についてご相談。これも大げさに言えば、「選対」ということになるのだろうか。菅源太郎君を応援することでは意見が一致した。
ペンドルトンでの交歓風景 ペンドルトンに着いたが、まわりには畑ばかりで、その中に立つホテル&カジノに入った。土地を取り上げられた原住民は、その運営で収入を得ているとの事だ。
一息入れて歓迎夕食会。族長、議長、市長、私が前のテーブルに座り、コの字型に訪問団と代表の方とが向かい合わせに。そこで、岡山市と部族の友好についての同意書をかわした。食事の後、フォークダンスをして就寝。カジノに立ち寄る勇気無し。
8月9日(火) 選挙準備
あわただしく選挙の準備が始まった。人の確保が第一。しかし、都合よくは人が集まるわけが無い。色いろと手を尽くしては見るが、簡単にはうまくいかない。
8月8日(月) 参議院採決 関西
参議院で郵政法案が否決された。予想外の大差で、賛成108対反対125。しかし小泉総理はあっさり衆議院の解散を決めた。これは予想どおりで、小泉ならこんなことは平気でやる。おそらく15日には、靖国神社に参拝するのだろう。自己満足はしても、国民を満足させられない総理大臣として、歴史に名を残すのではないか。来月の11日が投票日。日本が新しくなる日にしたい。
関西高校が延長10回6-5で勝った。岡山勢には珍しいパターンだ。議会には早速、カンパ袋が配られた。
8月7日(日) 九条の会 高井崇志 シアトルからペンドルトン
公民館で、地域の九条の会の立ち上げの相談。政党とは一線を画した動きになると確認された。「岡南九条の会」として三人の代表世話人を置いてスタートさせることとなる。
津島西坂で民主党岡山県参議院選挙区第2総支部(通称高井支部)の設立大会。ゲストは菅直人。早めに帰られるので、見送りがてら弁理士としての個人的な話をする。大会の方は大変な盛り上がりだった。郵政国会が、参議院で反対多数で否決されることにより解散の可能性が大いにあり、衆議院の総決起大会の様相を呈していた。高井崇志の健闘が大いに期待される。
シアトルからバスで、コロンビア渓谷を東に。お昼に名所となっているナントカ滝で食事と休憩。絹がけの滝に似ているが、高さも水量もはるかに規模がでかい。シアトルから付いていただいた通訳の谷田部さんは、経歴といい人間性といい、面白い人だった。実家は館林で、元レスリングの選手。奥さんはこちらの人で、留学を契機にアメリカ暮らしになり、仕事の経験もつんでおられる。歴史にも詳しく、話を聞いていて飽きなかった。アメリカ大陸原住民(ネィティブアメリカン)が2500人、住んでいるペンドルトンに到着。
8月6日(土) 地域交流懇談会 歓迎レセプション
新竹市長を囲んで 桃太郎まつり実行委員会の主催で行われた地域交流懇談会に参加。左に中山建部町長、岡崎商工会議所会頭、右に須賀岡山放送社長、森安早島町助役などがおられるテーブルについた。会場におられた風早先生にご挨拶した。先生は矢神小学校で教えられていて、覚えておられた。教職を引かれた後、山手村長をされていて、44年ぶりにお会いした。
夏祭りに参加して、駅前にとんぼ返り。富川市、新竹市の訪問団をお迎えした。歓談の中で、話しかけようと思って顔を見ても、韓国語でいいのか、中国語にすべきなのか解らない状態だった。台湾の人かと思えば、日本人だったり、岡山の人と思えば富川の人だったり。右に座っておられた新竹の方とは英語で(もちろん私はブロークン)話をした。3国、3市の国際交流は楽しい雰囲気で本当に良かった。
8月5日(金) 広島に 倉敷増員選挙 ロスからシアトル
午前中、広島に。新幹線で、公明党の景山県議に出会う。相変わらず精力的な人だ。私と同じ歳とは思えない。市議時代からの付き合いで、気がよく合う。
倉敷市では、合併に伴う「増員選挙」が行われる。友人の中原町議が出る予定。その準備の相談を受ける。これまでの選挙とは形も方法も変えて臨まないといけないことをアドバイス。金光の後輩の小野町議も出る。
ロスからシアトルまでは飛行機で2時間半。窓際だったので地上を見ることが出来た。緑がところどころに広がるが、土の色が多いのが印象的。円く緑が見えるのは、以前聞いていたスプリンクラーによる潅水の所為だろう。地下水を使うと、長い間では塩分が出てきて砂漠化の原因になると聞いた。今はどうなんだろう。
シアトルからバスで、曹源寺の別院に。途中、フェリーで。曹源寺の別院といってもお寺になっているわけではないが、修行の地という趣き。そこで運営されている「ホスピス」にもお伺いした。シアトルに戻り、マリナーズの試合を見に行った。これはオプション。イチローがきれいな三塁打を打ったが、試合は逆転負け。球場のビールとホットドッグで夜の食事。
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8月4日(木) デジカメ 報告2
写真を整理しようと思って、気が付いたのが、その記憶装置の存在。「メモリーがない」途中で交換したのだが、それが見当たらない。小さいので、無くした可能性が大きい。クリーニングに出した背広のポケットかと思ったが、お店のほうからは、「そんなものはありません」の返事。打つ手なし。
ロスの空港に着いたが、テロ対策で、やたら警備が厳しい。入国審査で、かなり長く待たされた。指紋と顔写真を取られるのは、気分が良くない。これはトランジットでも同じ。空港のそばのホテルに荷物を降ろし、食事をすまして数人と近所を探索した。500メートルぐらい先の別のホテルまでコーヒーを飲みに行っただけだが。信号がやたら早く変わるので、足の悪い人に配慮されていない、と思った。
8月3日(水) 再送 アメリカ報告
メールが消えたことによる「再送」依頼に、現在のところ9人が応えてくださっています。今後もよろしくお願いします。
アメリカ報告ですが、写真の整理とともに少しずつしていきます。第一日目の韓国富川市ですが、表敬訪問をした後、富川市長、議長とともに昼食会に臨みました。その後、バスで仁川空港に。まず、ロスまでの約12時間の飛行です。エコノミー症候群に掛からないように、たびたび席を立って歩いたので、睡眠時間は5時間ぐらいか。
8月3日(水) メールが消えました 再送ください
昨日の文字どおり、早く寝ればよかったのですが、コンピユータが立ち上がっているので、過去の受信を見ようとしたのが大失敗。迷惑メールを削除しながら見ているときに、すべて削除をしてしまい、25日から8月2日までの受信の記録が全て失われました。もしこの間に私に連絡を下さった方は、どうか再送ください。どなたからメールが着たかもわかりません。急ぎの用事が無ければいいのですが。
8月2日(火) 帰国
夜8時、岡山空港に着く。疲れたので、早く寝る。
活動日誌 2005年8月 |