活動日誌 2003年9月

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9月30日(火) 合併協議会

玉野市で合併協議会があった。意見と称して、長々と話が続き、遅くなった。小委員会も開かれたが、ルールも知らない人ばかりで、これで審議が出来るのだろうかと心配になった。


9月29日(月) 市民リポート 3区の中村徹夫

今月の市民リポートは「小規模工事特集」の感がする。1面から3面まで、その関係なので、食傷気味と言われるかもしれない。しかし、今回の議会はこれを徹底的にやるべき機会だった。

その3面でも紹介したように、1区の菅源太郎、2区の津村啓介、4区の柚木道義、5区のはたともこは、総会の決定を受けて羽ばたく会推薦に。3区の中村徹夫さんは、総会の後に立候補が決まったので、個人的に応援する事とした。


9月28日(日) 4区柚木道義

4区の柚木道義君は、親友の息子。31歳で、我が長男と同級生だが、実にしっかりしている。彼が衆議院議員をめざすのは、世の中を変えたい一心。弱い人が大切にされる、公平な社会を実現したい。その思いだ。

今日は新事務所の、スタートの日。若い人が目立っていたのが印象的。おそらく、あの橋龍を相手に善戦以上をするのではないか。期待したい。


9月27日(土) 3区事務所開き はたともこ決起集会

3区の中村てつおさんの事務所開きに菅源太郎と参加した。源太郎の話はメリハリが聞いているので、安心して聞いておられる。

はたさんの決起集会が総社であった。はたさんにもしっかり頑張ってもらいたいと思い、弟の変わりのつもりで出席した。はたともこの話は抜群だった。まったく、これでは私が最初演説の仕方を教えたとは言えなくなってしまった。私の方が教わりたいくらいだ。これなら、国政に押し出しても恥ずかしくない。素晴らしい人材に育ったという気がする。

今日のゲストの河村たかし氏の話は、目茶苦茶面白いものだった。これは、誰かに聞かせたいと思った。公務員、特に議員は聞かなくては。河村直系の市議会議員が民主党の会派を除名されたそうだが、こんなことを平気で言う河村氏は確かに人気もあるだろうけど、一匹狼と言われても当然だろう。私と同年の生まれだというから、何かの因縁を感じる。


9月26日(金) お葬式 天下り タンゴ

午前と午後にお葬式が2件。近所でお世話になっている方の母上と安井議員のやはり母上。88と84とお聞きしたが、いずれも親を亡くすというのは辛いと思う。以前に100近い方をなくされた方が「母を亡くすのは、何歳でも辛い」といわれた言葉が、まだ耳に残っている。

天下りの団体が不当に高く工事を取っている、という訴えがあった。確かにこのようなことが許されていては、税金がいくらあっても足りない。官僚と業者の癒着は本気で壊さないと、少々のことでは壊れないだろう。政権が変るぐらいの衝撃が必要だ。

明日のタンゴの会の前夜祭。田原議員が司会をして、本場のタンゴを目の当たりにした。さすが、さすが。アルゼンチンの元大使にお会いしたら、学園の同級生の斎藤泰雄君をよく知っているとのことだった。外務省どうしだから無理も無いか。


9月25日(木) 本会議最終日 新民主党

朝の福浜小前の演説を終えて、急いで市議会へ。議運の打ち合わせが9時から、議運が9時20分から、本会議のベルが10時からというあわただしい日程だった。

請願・陳情で例の「道路特定財源堅持」という意見書案が賛成多数で通過。これには、もともとこの言葉を抜いた修正案があり、これをそのまま共産党が提案した形となった。私と田原君、横田さんはそれに賛成。しかし、多数にはならなかった。

新・民主党に対する期待が寄せられている。当然だろう。今のままで良いと思っている人は少ないはずだ。今を変えない小泉さんにすら、「変えてくれるのではないか」という期待が消えていない。目の前で政権交代がおきてみないと、現実味が感じられないひとが多いのだろう。私はその中でどのような位置を占めるべきか、考えてみることもおもしろい。


9月24日(水) 陳情・請願

予想通り、「防衛庁を防衛省に格上げせよ」という請願と「イラクに自衛隊を派遣する法案に反対」という2件は継続審査となった。総務委員会を傍聴していたが、あくまでこれを何とかしたいという会派の委員が抵抗していたが、「委員長に取り扱いを一任するということを決めたはずなのに、それに文句を言うことにはなっとらん」というベテラン議員の一喝で決着。

ところが、夜になって入った情報によると、毎年問題とされる「道路特定財源堅持をもとめる意見書」が、また出されるとのこと。これは、意外。特定財源確保の文言は削除されることになっていたと思っていたのに。これでは賛成出来ない。また、ひと波乱あるかもしれない。


9月23日(火) 代表者会議が延期

昨日の総務委員会で、陳情・請願2件の扱いが決着がつかず、24日の審議に伸ばされたため、予定していた代表者会議の開催が延期された。

問題の陳情・請願は「イラクへの自衛隊派遣に反対する」「防衛庁を防衛省に格上げすることを求める」というもの。私がどちらに賛成でどちらに反対か、もうお分かりと思うが、継続審査になる可能性もある。


9月22日(月) 菅源太郎のホームミーティング

今日は市内の南部で菅源太郎のホームミーティング。保守的な土地柄にも関わらず、20人近くの人が集まり、熱心に菅源太郎の話を聞いてくれた。

その後の質疑応答と雑談が弾んだ。国政にとどまらず、県政、市政にまで話が飛んで、今の政治に飽き足りない人がいかに多いか実感をさせられた。自民党の政治を変えたいと思う人は相当いるが、それの受け皿がないことが日本の政治のこれまでの不幸な点だ。

岡山で、菅源太郎はその不幸を解消する原動力になるはずだ。


9月21日(日) 宮台真司

27日の菅カフェに宮台真司を呼ぶ。若手の社会学者として注目されている人。同時に山口二郎北海道大学教授も。

この企画は加藤義直君のものだが、今から問い合わせがあるなど、盛り上がりが期待される。


9月20日(土) 秋元(菅カフェ第3弾)

岐阜の秋元祥治君という24歳の青年の話を聞いた。街おこしG-netという、団体を作って活躍している人物で、初めてお目にかかったが、そのパワーには圧倒された。ぜひ岡山にもう一度呼んで多くの人に話を聞かせたいと思った。これは単なるイベント屋ではない。本物を持っている人物と見た。


9月19日(金) 30号線 環消水

朝は30号線で街頭演説。菅源太郎と一緒。垂れ幕が無かった(実は車を変更したので載っていなかった)のは残念。早めに切り上げて、次の日程に。

環消水の委員会は特に変わったことはなし。PFIで東部クリーンセンターの余熱利用施設を契約することと、加茂川町、賀陽町との消防の委託契約が締結されることを承認するかどうかといった件がかけられた。私は、いずれも賛成。全会一致だった。


9月18日(木) 本会議 決算 請願・陳情

質問戦の最終日。吉本、高月、田中、和気、山田の5人で終わり。

決算委員の選任があり、特別会計の決算委員になった。まだ予習をしていないので、何とも言えない。でも,手抜きといわれないようにしっかり審査したい。

請願・陳情で、「防衛庁を防衛省に」というのが出てきている。軍事体制の強化につながり兼ねない陳情には、基本的に賛成しかねる。野中氏の意見と同一になった。大政翼賛会になってはいけない。


9月17日(水) 本会議

今日は、田尻、安井、亀井、竹永、本郷と個人質問が続いた。小規模工事を取り上げる議員が続く。私を入れて8人がこの問題に触れる。はっきりと税金の無駄遣いが明らかになったのに、その請求が出来る5年ではなくて3年だけで調査を打ち切ると言うのは、納得が行かない。これをなんとかさせたいものだ。


9月16日(火) 駅前 本会議

駅前で街頭演説。一井淳治、草苅隆幸、姫井由美子、津村啓介、菅源太郎と話が続いた。

本会議の続き。崎本敏子稲葉泰子、市民ネットの下市香乃美と女性が3人続いて登壇。すでに、女性だからという珍しさはなくなっている。


9月15日(月) 街頭演説

午後から江田五月と菅源太郎が、そろっての街頭演説。藤田から妹尾地区にまわった。反応はまずまず。


9月14日(日) 津村啓介事務所開き

10時から、旧森本事務所で津村君の事務所開き。強い太陽の真下で行われ、もう少しで倒れる人が出るのではないかと心配した。とにかく、暑かった。参加者はわが1区の事務所開きよりもかなり多い感じだった。3区の中村さんの挨拶が印象的だった。

ツルネンさんに久しぶりにお会いした。元気でおられるようす。秘書の真嶋さんにもお会い出来てうれしかった。


9月13日(土) 森元美代治 ツルネン・マルテイ

ハンセン病回復者の森元さんが岡山に来られた。菅源太郎の応援に来て下さり、お話を聞く機会を得た。病気にかかったことを、むしろ肯定的にとらえようという言葉の重さを感じた。内と外との闘いを続ける森元さんには敬服。もっと話をお聞きしたかった。

明日の14日は、ツルネン・マルテイさんが岡山に来られる。お話は午後3時から4時。こちらにもお出掛け下されば幸い。


9月12日(金) 二日目の本会議 新聞記事

横田さんに始まり、田原君で終わる市民ネットの議員が三人も質問する一日でした。中間に小林君が市街地の活性化について質問しました。

田原君の質問の途中に、病院事業管理者から不穏当発言が飛び出して、一時議会が止まる騒ぎとなりました。管理者の本会議欠席が多いという指摘に対して、「辞職せよというなら、今でもやめる。それで病院がどうなっても、田原議員の責任だ」といったような感じの発言だったと記憶しています。発言の取り消しなどについて市長が確認をするということで、とりあえず議会は再開しましたが、後味の悪い思いがしました。

山陽新聞に、昨日の質問が載りました。今回は二ヵ所に。一つは、いつもの議会の記事で「予算を補正してでも安全柵を設置する」というものです。もう一つは、「小規模工事の架空工事によって発生した損害については賠償責任を問う」というものです。


9月11日(木) 質問しました

北京さんのご報告通り、個人質問の二番手に登壇しました。

・ 小規模工事では、5年間の調査をするという言質が取れませんでした。
・ 水路の安全柵については、予算を付けることを明言させました。
・ ムクドリ対策は不発です。
・ 制服の廃止は、あまりこれまでと変りません。
・ 住民投票も、こちらの提案に乗りませんでした。


傍聴しました!   北京秀天

生まれて初めて市議会を傍聴しました。小規模工事問題に義憤を感じているからです。私たちが払った税金が盗まれたようなものだからです。傍聴席は10人ほどで、欠席議員、居眠りしている議員など予想通りとはいえ、全体としては活発だと思いました。羽場さんの質問態度は、さすが4期目と思わせる堂々としたものでした。これからも市政の監視に、私達市民の代表として、鋭い目、鋭い質問を期待しています。


9月10日(水) 個人質問前夜 ツルネンマルテイ

明日の質問に向けて、原稿の整理。傍聴者は少ないだろうなあ。

ツルネン・マルテイさんが14日に来て下さる。2区の事務所開きと1区での講演のためだ。ありがたい。ひさしぶりにお会いするが、おそらく想像以上の政治家になられていると思う。熱意が違うもの。


9月9日(火) 個人質問

個人質問を用意した。項目は次の通り。
1 小規模工事の改善について
2 鳥害対策について
3 住民投票の実施について
4 制服の廃止について
5 用排水路の安全性確保について


9月8日(月) 開会

今日から9月議会が開会。市長の所信表明があったが、特に感銘するところはなかった。個人質問は11日の二番め。10時30分頃だろう。傍聴者がいれば嬉しいなあ。


9月7日(日) 事務所開き

ついに当日を迎えた。暑い陽射しの中、事務所に入りきれない人も出る盛況で、150人を越える人が集まった。マスコミの取材に対して、参加者をその人数通り応えたら、「(こういう時は)実際の数でなくても良いのに」みたいなことを言われた。余り水増しするようなことは言いたくなかったのが、正直なところ。

カレーが300円という交流会も、その後の鈴木かんさんの話も良かった。雰囲気がいいのが一番。印象に残る一日だった。


9月6日(土) 事務所開き前夜 深沢議員

明日が菅源太郎事務所開き。本格的な活動を開始する決意を披露する。ゲストには、鈴木寛参議院議員。14日にはツルネンマルテイ参議院議員も来て下さるが、続々応援が到着する。

武蔵野市の深沢達也議員も今日の午後到着。すぐそのまま街頭演説に。さすがに慣れたもの。また、私とは息もぴったり。なにせ、東京の菅事務所できたえた二人だ。明日の事務所開きに参加して下さる。


9月5日(金曜日) 予算の勉強会 オカニチ

午後から予算の勉強会。今回の9月議会にかけられる、38億円あまりの予算の詳細について勉強した。あまり、政策的なものはなく、国や県の予算確定によるものが多い。そのあと、昨年度の決算についてもレクチュアを受けた。市民ネットの決算委員についても相談をした。

オカニチが議会改革の特別委員会のことを記事にしている。ほぼ正確に、議会改革に取り組む委員の姿勢が浮き彫りにされている。関心のある方のために、一度記事を引用してみたい。


9月4日(木) 木曜日は 環消水 源太郎事務所

木曜日は福浜小学校前。最近の委員会の動きを報告した。議会に対して間違った見方をしている議員がいることは残念、という報告も加えた。

環消水が午後までかかった。小規模工事についての報告も受けたが、建設委員会でのものと異なり、深刻なものはないようだ。

事務所を模様替え。1階に菅カフェを置くことにした。


9月3日(水) 議運 菅源太郎

議運が開かれ、この議会の運営についていくつか協議した。決算の委員数の割り振りをして、会派で委員を決める。市民ネットは、一般会計3人、特別会系2人、企業会計2人だ。今年はどうするか、ちょっと悩むところだ。本来なら一般に行きたいが、時間の関係もあるし、と考える。どうなるか明後日の話し合い次第だ。

議会便りに発言議員の名前を掲載する件が検討されたが、政隆会のみが反対した。本会議の質問についての考え方が違うようだ。

菅源太郎のホームミーテイング。農家の方々からかなり厳しい注文もいただいた。「自民党には完全に失望しているんだ」との言葉も。「だからといって民主党に全面的に期待している訳ではない」と続くので、我々もそれなりの決意を披露した。


9月2日(火) バイパス 議会改革 柚木道義

朝は2号線のバイパスで街頭演説。いずれここらあたりは立体交差の必要がある。

菅伸子さんを囲んで議会改革の特別委員会だが、委員会での傍聴者に対しての資料提供に消極的な委員が多い。どうしたことか。このままでは、あっさり葬り去られてしまうだろう。委員会前日までの資料配布も同じことになりかねない。これでは、なんのための委員会設置か分からない。日頃、議会改革に熱心に取り組んでいるはずの議員の奮起を望む。

夜は、倉敷で4区の柚木道義君主催の「菅伸子と語る会」。大いに盛り上がった。


9月1日(月) 金光学園 ソーラー発電

午後7時から、金光学園の有志の会。同窓の心安さから、かなり盛り上がった。菅源太郎も出席して、夢を大いに語った。政治についての意見は分かるが、選挙は甘くないよという忠告もいただいた。河田さんは今日からカナダに視察に出かけられたので、奥様の直子さんが「代理出席」。

鹿児島の小川さん、お元気ですか。久しぶりに書き込んでいただき、有難うございました。私もソーラー発電1号機は旧宅に設置しているのですが、効率が極端に悪く、あまり人には自慢出来ません。一応、3キロの発電能力はあるのですが。

今回頂いたものは、パネル部分があれば、今の家に置きたいと思っています。たとえ1キロでもいいのですが。どこかに安いパネルはありませんか。


太陽光発電わくわくハウス  小川美沙子

羽場議員!ご無沙汰しています。お元気そうでなによりです。私はちょっと窮地!
ソーラー発電の装置を貰ったなんてラッキーですね♪私も十年以上前ですが、パネルを二枚だけは自分で買い、後は電灯もバッテリーもバスが廃棄したものを頂き照明を賄っていたことがあります。

その後、七年程前にやっとパネルが60枚になり嬉しくて『太陽光発電わくわくハウス』とでっかい看板をたて、太陽光発電の売電&買電などシステム図の看板までたてました。近いうちに風車も建てたいと思っています。

羽場議員も一日も早く、発電に向けてご準備下さーい。太陽の光に感謝する日々が始まり、不思議なくらいに、心が豊かになります♪自然の恵は偉大ですね♪


8月31日(日) ソーラー発電 虹と緑

ソーラー発電の装置をもらい受けた。後は、パネルをつけるだけ。しかし、そのパネルが問題だ。こちらは只ではないから。もう少し後にならないとパネルの設置は無理かもしれない。しかし、ソーラー発電が出来る準備があるということは心楽しい。

虹と緑の皆さんとお話しする機会があった。知らない方のために、少し解説すると、多様性と環境保全を色になぞらえて付けた名前で、まだできたばかり。しかし、その本をたどれば、革新議員連盟だったり、環境議員連盟だったり、ローパスだったりの大雑把にいえば市民派の自治体議員の集まりと言える。私の友人がかなり入っているので、親しみがあるグループだ。私とは政策的なものはほとんど変わらない、敢えて違いをあげれば、政党との距離についての認識だろうか。会って話をすればするほど、啓発され勉強になることが多い。ちなみに、私はそこが発行している雑誌「虹と緑」の購読会員だ。


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