活動日誌 2003年8月

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8月31日(日) ソーラー発電 虹と緑

ソーラー発電の装置をもらい受けた。後は、パネルをつけるだけ。しかし、そのパネルが問題だ。こちらは只ではないから。もう少し後にならないとパネルの設置は無理かもしれない。しかし、ソーラー発電が出来る準備があるということは心楽しい。

虹と緑の皆さんとお話しする機会があった。知らない方のために、少し解説すると、多様性と環境保全を色になぞらえて付けた名前で、まだできたばかり。しかし、その本をたどれば、革新議員連盟だったり、環境議員連盟だったり、ローパスだったりの大雑把にいえば市民派の自治体議員の集まりと言える。私の友人がかなり入っているので、親しみがあるグループだ。私とは政策的なものはほとんど変わらない、敢えて違いをあげれば、政党との距離についての認識だろうか。会って話をすればするほど、啓発され勉強になることが多い。ちなみに、私はそこが発行している雑誌「虹と緑」の購読会員だ。


8月30日(土)  義母

節子さんの母上、つまり私にとっての義母は大分県東国東郡武蔵町にすんでいる。大正元年の生まれで90才を越えている。しかし、元気だ。昨日は久しぶりに顔をあわせ、夜には一緒にカラオケを楽しんだ。「さざんかの宿」で閉めたが、歌を歌うのは体にいいはず、もっと楽しんでもらいたい。


8月28日(木) 福浜小学校前

今日は木曜日なので、福浜小学校前で街頭演説。問題となっている小規模工事、し尿処理事業の代替業務、合併論議、議会改革調査特別委員会の様子など、市が抱えている問題を総ざらえで報告した。

中央集権か地方自治か、という点で次の選挙を考えてもらいたいと結んだ。


8月27日(水) 磯田道史

磯田道史さんを御存じだろうか。「武家の家計簿」という本がペストセラーになっている学者だ。岡山出身で、まだ若い。ご両親にはお世話になっているが、今日の夜、彼の子供の頃からの話をじっくり聞いた。自分の世界を持ち、興味あることはとことん研究するという姿勢は昔からのものらしい。学校の側の古墳に興味を引かれ、席を立ってしまったことがたびたびあったそうだ。この方の講演は実におもしろい。講演録を読んだだけで、そう思った。


8月26日(火) 合併協議会 はばたく会総会

灘崎町で合併の協議会。小委員会を設置することと、それを同時に行うことなど決めた。方式についての議論と政令篠議論は一緒になる方針。

はばたく会の総会が行われ、予算決算が承認された。会長に姫井成、副会長に小笠原照也さんが決まり、新体制となった。


8月25日(月) 住基ネット

昨日に引き続いて、今日も午後5時から駅前で反・住基ネットの街頭演説。昨日は朝日新聞に我が愛車が登場していた。「市民の勇気号」だ。その時には、米子の中川市議、国立の重松市議、大阪の尾辻府議、小平の橋本市議、香川の渡辺県議、茨木市の桂市議など、顔ぶれが豊かだったが、今日は、赤岩、横田、野田、羽場といったところで、崎本さんもいないい常連以下だった。しかし、この運動はあきらめずに廃止に追い込むまで続けることが必要と思っている。


金光学園2

河田先輩は一つ上。菅伸子さんは3つ上で私のいとこと同級生。柚木君とは文芸部で一緒だった。その息子の道義君は生徒会長だったそうだ。私と柚木君は一緒に会長選挙に出たことがある。その時には、私が副会長に当選した。得票の多い順に会長、副会長、副会長になった。私は確か2位だったと記憶している。3位に入ったのが、現・笠岡市議会議員の樋之津倫子さんだ。この人は当時から弁か立った。私は相変わらず口下手だ。これは本当の話。私に会った人は一様に言われる。もっと雄弁家かと思ったと。


8月24日(日) 金光学園

今回の選挙には、金光に関係する人が多い。1区菅源太郎の母親が学園生。その伯父は金光学園の校医。4区の候補者柚木道義は卒業生。その父親も私の同級生で学園生。5区のはたさんは金光町民。

金光町は浅口郡で合併するのか、倉敷と一緒になるのか。今は分からない。


応援する私も   河田英正

ついでに応援している私も金光学園同窓生です。源太郎さんのお母さんが朝遅れそうになって急いで登校しているさらにその後ろを走って登校していました。もちろんお母さんの方が先輩です。別にそのことに意味があるわけではないですが。


8月21日(木) 菅源太郎励ます会

昨日、菅源太郎を励ます会が、東京で開かれた。予定の100人を越えて、200人に近い人が集まっていた。

菅原やすのり、貴島正道さんなど、懐かしい人にも会えて、楽しい時間を過ごした。


8月20日(水) 原発について

小規模原発というものが、きわめて安全かどうかの判定はできないが、だとしても自然エネルギー推進を進める気持ちに変わりが無い。なぜなら、原発の燃料であるウランも石油と同じ有限な資源であり、その採掘から利用に至る過程で大きなエネルギー消費を伴うからである。それ以上に問題なのは、現在の原発と比較すれば、安全かもしれないが、核の危険性という意味では大差ないと思われるからである。

風力にしてもソーラーにしても、その開発には多大の資本が必要だし、それが国民に充分なエネルギーを供給するまでは不便を強いる結果になるかもしれないが、あえて推進することが、国民にとって必要なものという意味で、ご趣旨と同じと思うが。


羽場頼三郎 様へ   1  (掲示板への投稿)
2003年8月19日(火)

私は原子力発電所の増設に賛成しているものです。
ただ、昨今言われている。構造が単純で極めて安全な小規模原子力発電を。です。

米国は化石燃料を支配するためアフガニスタンとイラクで大きな戦争を行いましたが、これは中東に新たなテロの火種をばら撒くだけだったと思います。
私は、テロによって石油のパイプラインが攻撃され、日本がエネルギー危機にさらされるリスクは米国によって高まったと感じております。

にもかかわらず、ポピュリズムな政治家は自然エネルギーの活用などと仰る。
石油が日本に来なくなれば、7%程度の新エネルギーが倍の14%に増えてもどうにならないでしょうに・・・・。

本当の政治家は有権者の耳に心地よく響かない政策であっても、それが日本の将来、ひいては日本国民の未来のためになるのなら、敢然と主張できる政治家だと思いますよ。

原子力発電は票にならないだろうけどね?


8月19日(火) 包括外部監査 ミニ集会

包括外部監査が指摘している、し尿処理の代替業務の問題点について委員会で議論した。当局の言い方も奥歯にものが挟まっている感じだ。まだ゛本質的な議論になっていない。

源太郎のミニ集会が続いている。本人の話をぜひ聞いてもらいたい。明日は東京で「源太郎を励ます会」。私も上京の予定。

夜、懐かしい友人から電話。弟の話や岡山での様子などを報告していて、受話器をなかなか置けなかった。


8月18日(月) 駅前 菅源太郎 議員研修会

駅前での演説は、東口高島屋前。アメリカ・カナダの大停電について話をした。この大停電を経験して、政治はどう判断するか。もっと発電所(原子力を含めて)を増設すべきだと思うか、もしくは自然エネルギーを利用して過大な設備投資を控えるか。こうした、別の道を考えることが出来るかどうかが、政治家に求められる。安易に発電所増設の道を選ぶことは、結果として国民に負担と危険を招くことを国民に納得させることが出来る政治家が本物だと思う。

上島さんに指摘されるように、失敗はつきもの。しかし、それを生かすかどうかで政治家は、いや人間は決まるといって良い。きびしい試練の連続が政治家の運命だ。

議員研修会で野村稔さんの話を聞いた。面白い点もあったが、反論をしてみたい部分もかなりあった。特に、市民全体のための政治と、金のかからない選挙については、ひとこともうしあげたい。アメリカとは安保条約があるから無条件にイラク戦争に賛成しなければならない、との論理には賛成しかねる。


8月17日(日) 同世代

今日の特筆すべき出来事は、菅源太郎の同世代の人との集まりがあったことだろう。意外と同世代の人とのコミニュケーションが難しいことを知らされたしだい。

源太郎はその壁をぶち破る必要がある。来月リターンマッチだ。


8月16日(土) 菅源太郎ポスター

やっとポスターがはれだした。街角に、何枚かの菅源太郎の笑顔のポスターが出回りだしたのを見掛けられた方もおられるはず。感想を聞かせてもらいたい。


8月15日(金) お叱り 初盆

昨日の木曜日に、いつもの福浜小学校に立たなかったではないか、とお叱りを受けた。弟の初盆で哲西町に帰っていたことを説明したのだが、お怒りは納まらないようだった。冷たい雨の中、一時間も立って待っていたそうだ。申し訳ない。

岡山市内の初盆を迎えたお宅にお伺いしたが、家族が居なくなることの寂しさをお互いに実感した一日だった。


8月14日(木) 初盆 4区 菅源太郎

弟の初盆を迎え、哲西町に帰った。いろんな方がお参りに来て下さり、懐かしい話もさせていただいた。

夜には岡山で4区の相談。森本てつま選対準備委員長を中心に、今後の対策を練った。

菅源太郎の応援に、何人もの地方議員が来て下さることになりそう。楽しみだ。


8月12日(火曜) 五月会だより ばく

午前中は五月会だよりの編集会議。久しぶりに井上編集長と会う。私は、また原稿を引き受けてしまい、ほとほと人の良さに自分で呆れてしまう。

夜は居酒屋「ばく」で若い人と懇談。つい飲み続けて、11時を越す。明日は早いのに。


8月11日(月) 議会運営委員会 菅源太郎の応援

駅前での演説は、一井淳治、津村啓介、菅源太郎と私。官僚支配から市民の政治、中央集権から地方分権を訴えた。

議運が開かれて、議会だよりに発言者を載せるかどうかの検討をした。積極的な反対論はなく、前向きな方向に議論は進みそう。名前が乗るなら、質問者が増えて困りはしないか、という議論も会ったようだ。今回も同じような話が出たが、質問者が増えるのは結構ではないか、議会の活性化につながる。という意見を言っておいた。

菅源太郎の応援を全国の仲間によびかけたい。新しい、若い力を一緒に育てようではないか。


8月10日(日) こんな議員はいらない2

こんな議員はいらない、の続き。

これを見ていると、反省しきりだ。でも、誰もが陥りかねない議員像だ。落とし穴に落ちないように気をつけたいものだ。


8月9日(土) 盆踊り

今日は盆踊りの当たり日。顔を出した町内だけで、福富西、福富中、福富東、福吉町、新福、築港ひかり町。これ以外にもたくさん行われていて、恒例の挨拶回りも過密スケジュール。菅源太郎も誘われるまま踊りの輪の中に入っていた。私は歌以上に苦手なのが、この踊りだ。ターミネーターが白鳥の湖を踊っているつもりで、泥鰌すくいになっているようだと言われる。もっぱら見学に回った。


8月8日(金) 台風10号

台風が上陸した。四国の高知県室戸市だが、岡山市は意外と風も雨も少ない。県内では被害が出ていたようだが。時折雨が激しかったり、風が音を立ててはいるけれど、申し訳程度。だから、岡山市は災害のない街と言われる。政治には暴風を期待したい。


8月7日(木) こんな議員いらない

元の八尾市助役で自治体学会の代表委員をつとめる森田桂司さんから、その著書が届いた。「地域に源流を求めて」という教育情報社から出ている本だ。そこにかなり厳しいことが書いてある。こんな議員はいらない、と題して列挙してあるものを紹介する。

 いい反省材料を提供してくれている。


8月6日(水) 菅直人 菅源太郎

菅直人代表が岡山駅前で演説。政権交代に向けて、現実味を感じさせる内容の話だった。中央集権から地方分権に。官僚支配から市民自治に。社民連時代と変わらない主張だが、こうして聞くといつ総理になっても良い雰囲気を感じた。

菅源太郎は墓参りの後,ミニ集会に。小型宣伝カーも準備出来た。市内各地で政権交代を訴えている。


8月5日(火) 記者懇

夕方には、各マスコミの方と,俗にいう「記者懇」に参加した。各記者の方と遠慮のない意見交換をして、ひとときを過ごした。


8月4日(月) 駅前  会議

駅前で演説。最近の事ではないが、ビラを受け取らない人が余りに多い。渡している人をまるで人ではないかのように冷たく見る人や、まったく無視する人が多い。政治離れ、無関心層といった言葉が頭をよぎる。

夕方から会議が二件。終わったら11時。これでは体に良いわけがない。


8月3日(日) 政治は変えられる

菅事務所に看板を取り付けた。政治は変えられる。赤い看板はおそらく目立つと自信があります。大雲寺交差点を西へ30メートル、左側。これは岡山を知っている方への情報。


8月2日(土) リポート配達 環消水 日韓交流

リポートがなかなか配れない。8月号はお休みなので、ゆっくりできるとはいうものの、早めに配らないと情報が伝わらない。

昨日、環消水の委員会が開かれた。岡山市では、環境・消防・水道の常任委員会が置かれているので、略称で「環消水」と呼んでいる。

そこでは、包括外部監査の結果について議論が行われた。当局はこの結果を不満としているらしいが、俗に言う「代替業務」の改善は必要だと思う。分かりにくい経過なので、それをまず明らかにした上で、指摘の是非を問うべきと思う。しかし、内部の監査ではここまでのメスが入れられたかといえば、はなはだ疑問。委員会での審査とは別に専門委員会を設置するということなので、その中身について議論した。審査をきちんと出来るのか、という批判もあった。しかし、メンバーを見ると教育委員として見識を見せた弁護士さんなどもおられるので、いいかげんなことにはなるまい。

オカニチがこの包括外部監査と環消水の委員会をとりあげて、記事にしていた。良く読むと問題点が浮き彫りになってくる。

7時から、市議会主催で日韓交流のパーティ。富川市から訪問団が来られたので、その歓迎会。子供たちも数多く参加していて、熱気のある会だった。


8月1日(金) 30号線 お中元

朝の街頭演説は、いつもの30号線で。近くに大型が車を止めて休んでいたので、比較的おとなしい演説をした。これでは、苦情も出ないだろう。もっとも、ここでの街頭演説で苦情はほとんどない。

私は、企業からのお中元は受け取らない。今から12年前に、知らないところから届いたお中元を送り返して以来、めったにお中元が来たことは無い。しかし、なんとその12年前のところからまた届いたので、今度は直接お持ちして引き取ってもらった。失礼を充分にお詫びして。


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