活動日誌 2003年6月 |
6月30日(月) 駅西口で演説 本会議 日韓議連
駅西口で「おはよう730」。菅源太郎の初街頭。声、内容ともに合格点。やはり、これまで市民運動や政治活動をしてきた成果だろう。でも、それだけで通るほど選挙は甘くない。
本会議では個人質問が続く。松島議員の初質問で、新人議員の10人の質問が終わった。個性がそれぞれに出た新人の質問だったが、わが市民ネットの新人の質問が特に良かったというのは、身びいきだろうか。
本会議が終わった後、日韓議連の総会があり、監査に就任した。、民団の前・新団長も出席され、ご挨拶があった。新風会の若井議員からの発言があり、女性議員の幹事登用をすることになった。ご自身を含めて、3〜4人の女性幹事が選ばれるのではないか。
6月29日(日) 戦没者追悼式 垣下議長
6月29日は岡山大空襲の日であり、毎年この日を平和の日と決めて、慰霊祭を催している。昨年は出席出来なかったので、ことしこそは出ようと思っていた。市議も大半が出席。来賓の話しもそれなりに良かった。
午後からは、市議会議長になった垣下氏の祝賀会。私は市民ネットを代表した出席。祝辞は陳べなかったが、来賓として紹介された。昨日の新聞では、議会が休憩が多いという批判が出ていたが、質問と答弁に食い違いがある時には、きちんと調整をすべき。その意味では議会を活性化するものとして、歓迎をしている。そのために議会が延びるのは、やむを得ない、と思っている。
6月28日(土) 藤丸くん 2区大会 グリーン早稲田
川崎の藤丸くんが訪ねてきてくれた。食品のカタログ販売の仕事をしているので、その仕事をかねて私を元気づけに来てくれた。横山くんとも一緒になり、話をした。ともに小、中学時代の友人だ。
津村啓介を立てて総選挙を戦う、2区の大会が開かれた。1区の菅源太郎、4区の柚木道義、5区のはた・ともこそれぞれに刺激をうけあって、前進してもらいたい。この日ははたさんは欠席だったが、3人の話はさすがといわせる内容で、若いが優秀という印象を参加者は持たれたことだろう。
早稲田の集まりに出た。少し遅れて行ったので詳しくは分からないが、倉敷市長選の古市健三の推薦をすることが決まったらしい。このような会が「推薦」を決めるというのも、どうかと思う人もいたらしいが、早稲田らしくおおらかで良いという人も居たようだ。何人かの友人、先輩、後輩と飲んで、校歌を唄って、お開きとなった。
6月27日(金) 菅源太郎 個人質問
菅源太郎さんの出馬会見が行われた。事務所のことや、人の手配などやらなければならないことが有り過ぎてオーバーヒート気味。13日の臨時大会を成功させなくては。
議会の方は個人質問がつづいています。トップは小林寿雄さん。市民ネットの新人トリオの最後を飾る堂々の質問だった。最後の有井さんの質問の時に、またもや休憩。下水道局の答弁の中で、2月議会に「維持費が1,000万円」と間違っていたことが判明。その訂正をしないままで、ここまできていたことが明らかになり、この処理と責任について議会運営委員会が開かれました。言われなければ、訂正もしないままで終わった可能性もあり、当局の姿勢は問題。結局「維持費は36万円」と発言し、責任は市長が善処することで決着しました。
6月26日(木) 羽場、田中、升永が質問
新人の小川さんに続いて、二番めに登壇。水洗便所普及費特別会計の矛盾について質す。当局もそれを全面的に認めて、近く廃止するのではと思われた。住基ネットについてはあまりかみ合わず、これは予想通り。病院事業については、管理者の成功報酬のことばかりが問題とされているので、存廃も含めた議論をすべきと持論を陳べた。緑の保全については、建設委員会での指摘にもかかわらず百年の泰山木が伐採されてしまったので、市の職員の意識改革が必要と感じて取り上げた。これは当局も認めた。合併については、うまく行かない時の「分離」のあり方についても考えを巡らせておくべきという持論を陳べておいた。
同じ市民ネットの田中、升永のフレッシュを質問には正直脱帽した。自分が新人の時にこれほどの質問ができたろうか。いずれも再々質問まで行い、勉強の後がうかがえた。
6月25日(水) 共産党 個人質問 民主党
朝、哲西町から帰って本会議に。午前中の共産党代表質問で、田畑さんが、「代表して質問しているのに無視をされた」「産廃の処理について、単価が変更しているにもかかわらず、半年も放置していた例がある」と語気を荒らげた。一時休憩して続行。
その後は、個人質問。大田武、藤原頼と若井の新風会トリオ。特に新人二人は、相当肩に力が入っていたようだ。若井はこれまでと特に変わらず。ベテランになってきたのか。
民主党の党員・サポーターの募集の一次締め切り。1区に、とにかく集中したい。これまでの方も継続して下さる方が多い。やはり、1区に菅さんが立つことが大きい。これから徐々にか一気にか、岡山の有権者のふところに飛び込むことになる。まずは、岡山での足場を固めることになる。
6月22日(日) 県連幹事会 初七日
午前中は哲西町。次々と弔問の方がお見えになる。前田町議は弟の親しい友人のお兄さんで、これまでも親しくさせていただいていた方。加藤さんは、大野辺焼きの故加藤二郎さんの夫人だが、弟の高校の同級生でもある。二郎さんのお兄さんは私の同級生で、若くして亡くなられた。思い出話をする。午後の列車で岡山へ。
民主党の県連幹事会。1区の大会報告をし、7月13日に臨時大会を開くことなどが了承された。衆議院選挙に向けて態勢の建て直しが急務。
途中で幹事会を抜けて、哲西町にもどる。頼通の初七日の法要。近所の方や親戚など。本当におもいやりのあるいい男だったと、遺影を前にして話が尽きなかった。
6月21日(土) 亡くなった弟のこと
私の弟、羽場頼通(はば・よりみち)が17日に死亡し、19日に葬儀・告別式を行いました。52歳でした。
昭和25年12月1日の生まれで、産婆さんに取り上げられたその家で、暮らし続けてほぼ半世紀。人生50年とは言うものの、早すぎる死です。原因は肺肉腫という難しい病気で、約2年足らずの闘病生活の後、ひとりであの世に行ってしまいました。兄弟の中では、私と違い人柄も良く、多くの人に「みっちゃん」と親しまれ、友人がとても多い告別式でした。その友人代表や江田五月さん、はた・ともこさんの心のこもった弔辞に送られて旅立てたのはせめてものなぐさめでした。後には、つれあいと21と19の子供が残りました。
本人は、世のためになりたいという気持ちから、消防団やPTAなど地域の役や学校の世話もしていましたが、いずれ議会にも出たかったようです。ただ、私が先に出てしまったために、機会を逃してしまったのではないかと悔やまれます。その弟が家を守っていてくれたからこそ、私も自分が思う道を進んできたという気がします。まだ、落ち着きませんが、弟のやり残したことも背負って、これからの人生を歩みたいと思っています。
また、多くの方にご会葬頂きながら失礼があったと思います。どうかご容赦くださいますように。
6月15日(日) 1区 えだまめ
1区の大会が開かれた。一ヶ月後までには、1区の候補者を決めることにした。
「えだまめ」はなぜそうなったかではなくて、それがどんなもの(趣旨)かが大切。何か面白そうで、若い人が集まるきっかけになればいい。その意味では、いい会になった。次は、もっとおもしろくしたい。私はあくまで、バックアップのつもり。
6月14日(土) 雨 えだまめ
梅雨らしい毎日が続いています。昨日はその雨に濡れた歩道で足を滑らしてしまい、はでにひっくり返ってしまいました。足の脛をやられて、さんざんです。こんなことでけがをするなんて、年をとった証拠といわれそうで、家内には秘密にしています。
「えだまめ」というと、なんのことか分かりませんが、早く言えば、江田さんの話を「つまみ」にして、若人が盛り上がる会、とでも言えば良いのでしょうか。明日はその第一回で、東京から「菅源太郎」さんが来てくれて、NPOの話をしてくれます。次は神戸市議の「井坂信彦」さんを呼ぼうとか話が進んでいます。御存じかもしれませんが、菅源太郎さんは、若者の政治参加を進めるためには「選挙年齢の引き下げが必要」と運動をしています。井坂さんは、25歳で神戸市議になり、今回二回目の選挙をトップで当選。「議員のたまご」という面白い運動を立ち上げている人です。こんな若い人がどんどん出て来ないと、世の中おもしろくありません。
6月13日(金) リポート 総務委員会
リポートが遅れていて、各方面に迷惑を掛けています。大慌てで、製作に入っていますので、来週早々にはできると思います。
総務委員会が長引いているようだが、例の合併の任意協議会規約が問題となっているのだろうか。変更がきかないそうで、丸飲みをしろということだ。これだと、議会が納得するかどうか。充分に練ることがなぜできなかったのか。拙速はよくないと思うが。
6月12日(木) 代表者会議 環境・消防・水道
昨日の夕刻に連絡のあった代表者会議に出席。合併に関する任意協議会の規約案が示された。
10時からは環境・消防・水道委員会。6月議会に掛けられる議案の説明や報告事項など。事前審査にならないように配慮しながら、不明な点を質問。外部監査の指摘も報告されたが、同時に業界の反論も出されて、良く分からない点が多い。
6月10日(火) 杉原さんとお別れ
元難病連の会長の杉原仁さんのお葬式が東岡山であった。ベーチェット病にかかり、その友の会をつくり、さらに他の難病の方々と難病連を作って、活躍をされた。難病で困っている方にとってたのもしい存在だった。同時に、私たちの活動にも理解を示され、集会にもよく参加して下さった。あのほがらかな声と、優しい笑顔に接することができないと思うと、残念でさみしい。
6月9日(月) 駅前 代表者会議
駅前で演説。今日は江田五月さんは韓国大統領を国会にお迎えするため上京。留守を、津村啓介、田原清正、羽場頼三郎とでカバーする。
代表者会議がお昼の12時30分から。例の三位一体の件で、国に意見書を出すということがほぼ決まる。地方に税財源を持って来ないで、先送りにすることは許されることではない。むしろ財源移譲を先行するべきと思う。国の地方を大切にしないやり方に文句を言うのは当たり前だ。
6月8日(日) 球技大会 三位一体
福浜学区の球技大会が福浜小学校で開かれた。草苅、姫井、松岡、田中各議員が出席。子供たちの体操が気になる。手をだらんとする、足を曲げない。およそ体操らしくない。それも、先頭に立っている子供だから、キャプテンのはず。いつからこんな体操まがいの事にしかならなくなったのだろう。先生にお聞きしても良く分からなかった。
中央政府が三位一体の改革とか言う。でも、財源の委譲は先送りだそうだ。地方を馬鹿にしているとしかいいようがない。そもそも合併が、地方の事情ではなくて、中央の都合で進められ、飴とムチとで進められるようなものなど、本来民主主義とは言えないものである。これに踊らされないようにすべきで、岡山市もじっくり腰を落ち着けて行くべきだろう。
6月7日(土) 富川市名誉市民 はばたく会総会の中止
萩原市長と民団の金前団長が富川(プチョン)市の名誉市民の栄誉に輝いた。そのお祝いの会があり、参加した。市議会からは、宮川、田尻、三木、和気、若井、升永、田中、小林、浦上各氏が来られていた。
個人的な事情で今日のはばたく会の総会は中止となりました。皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
6月5日(木) 福浜小 菅源太郎
木曜日はいつもの福浜小学校前で、モーニングリポート。昨日の都市計画審議会の報告やら、6月議会に向けての動きやらをお話しする。
選挙権を18歳、16歳に引き下げるべきだと主張して行動するRights(ライツ) の菅源太郎さんが15日の午後に講演をして下さることが決定した。西口の国際交流センターで、午後4時30分から6時30分まで。若い人で準備会を立ち上げて、おもしろい集会にしようと意気込んでいる。若い世代で活躍している人を次々に呼びたいと、次の話まで出ている。こんな前向きな話こそ、お手伝いをしたい。
6月4日(水) 都市計画審議会
今日の午後2時から、市役所3階の第三会議室で「都市計画審議会」が開かれます。駅の西口通路と広場がかかるはずです。この審議会はこれまで非公開で行ってきましたが、粘り強く公開を求めたことによって、今回から傍聴ができる様になりました。ぜひ多くの市民の方々の傍聴をお願いします。
予定通り、2時から都市計画審議会は始まりました。当日の傍聴希望者は4人、市民が2名、議員が2名。岡山駅西口の東西自由通路と西口広場の都市計画決定についてが議題でした。自由通路の方は10メートル幅の空間利用という点で初めてのものです。
西口広場の方も鉄道敷地に食い込んで広場を作る計画なので、使い勝手や今後の交通状況などについて質問が出ていました。
通路は道路とどう違うのか、などとかなり発言者が多い審議会で、これまでとは違う雰囲気でした。
6月1日(日) 水防訓練 党大会
朝早く、溝掃除。
8時から桑野で、水防訓練。県の防災担当にお会いしたら、なんと南方の同級生の中野君だった。以前知事の秘書課長をしていた時に会って以来だったので、立ち話をしてしまった。
県連の党大会。来賓として岡山市長がお見えになった。政党が地方についての政策を持っていない、という言い方をされたが、これには異論がある人も多いだろう。たとえば、道州制や300自治体論などを唱えているところがある。私は必ずしもそれに与しないが。民主党も自由に使える補助金の提案をしているところだ。また、税金の配分を3割自治体にならないように、逆転をすべきだと主張している。ここらあたりは、地方自治体からの発信が必要という意味で、同じかもしれない。
活動日誌 2003年6月 |