活動日誌 2001年

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4月30日(月) 備中神楽

明日から、議員の任期の後半が始まります。数えてみれば、10年選手になるわけです。それにしては何ができたのか。自問しては反省をしている今日一日でした。

楽しみにしていた備中神楽を、家内と息子とで見に行きました。二人は3丁目劇場は初めてだそうです。建物も椅子もちゃちな感じと言っていました。私も、そうなんだとうなずいておきました。しかし、神楽は面白かった。家内に言わせるとこれまで見たものとはかなり違うそうです。九州の神楽は見たことがないので、私に比較はできません。息子は、全くの初めてで、興味が無くなって途中で帰るといいだすかなと思ったのですが、そうでもなかったようです。こんな芸能は残してもらいたいものです。「備中神楽保存振興会」の会員になっています。


4月29日(日) 難病連の大会 小泉内閣は「反自民の自民党内閣」

難病連の大会が、桑野のふれあいセンターでありました。出席議員のかおぶれは、次のとおり。まず公明党、則武、田尻、高月、山田。共産党は、田畑、崎本、竹永。生き生きネットからは、横田、下市。市民クラブからは、私、羽場より三郎。全員がひとことづつスピーチ。さながら、立ち会い演説会だった。

内閣をどのように呼ぶか、マスコミでも色々出ているようですが、私は「反自民の自民党内閣」と名付けてみました。自民党の悪いところを、徹底的に批判した小泉氏が、自民党そのものの橋本氏に勝ったのですから、国民が喝采を送るのも当然です。

ただ、そこには大変な矛盾があることも確かです。相棒というべき田中眞紀子外相は、言うまでもなく田中角栄氏の娘。田中氏こそ、数は力なり、力は金なりという自民党を作った人といってもいいでしょう。橋本氏はまさにその田中派で育った人です。

また小泉氏は、前森首相の森派を率いていた人で、この前の加藤氏の決起ではそれをつぶした人ですから、この人の反自民的言動には、手放しで賛同できかねます。

それにしても、支持率が8割を越えていることをどう考えればいいのか。私は、矛盾が表面に現れるまでの、一時的な現象だとは思いますが、怖い気がします。ヒトラー的な要素も感じられるからです。ここで、じっくり腰を落ち着けて、自分の周りを固めて、ひと戦争に備えるべきだと思っています。


4月28日(土) 岡山駅西口のフォーラムシティ 2区の再建大会 1区の選対

今日は忙しい一日でした。早朝は家庭の用事で5時起き。

9時には市民相談。10時には駅西口のフォーラムシティビルのオープニング。経済委員としての最後の仕事かな、と思いつつ出席。

2時からは2区の再建大会。中桐さんの出馬断念以来、やっと愁眉が開いた感じ。田淵雅子さんの初演説には期待が持てた。29歳。産婦人科医。清新で意欲的。これで2区に新しい時代が来ることと思う。次はなんとしても1区だ。

石田選対を開いた。私が一応事務局長ということになった。次は本格的選対づくり、ということになった。ご協力を皆さんにお願いしたいと思います。どうか,よろしく。

夜はその件である方と打ち合わせに。


4月27日(金) はがきにどっきり

私のリポートには、市政についてのご意見をうかがうはがきがついています。そのついでといっては何ですが、リポートについてのアンケートもついています。ごらんになった方はご存じとは思いますが、
□講読して毎月読んでみたい 
□興味があるので今後も送ってほしい 
□もう届けてもらう必要はない 
というアンサーが準備されています。講読に○なりチエックが入っていれば「にっこり」なんですが、もういらないに印があれば、「がっくり」です。

実は今月のアンケートに、私が尊敬しているFさんからのはがきにその印がついているので、「どっきり」しました。Fさんは、他党ではありますが先輩議員として尊敬している方で、私のことを理解してくださっていると思っていたので、市民リポートを送らせてもらっていました。それが要らないとなると、残念だなあ、と思ったのですが、次の瞬間、ええっと声が出ました。□にはその他 と言うのあるのですが、そこに「HPを見ていますので」とあるではありませんか。大変失礼でしたが、Fさんは議員の停年でやめられたので、まさかインターネットを駆使していらっしゃるとは思いませんでした。

でも、よく考えると、議員のころからすべてに前向きで,新しいものにもすぐ挑戦する姿勢はたいしたものでした。ですから、インターネットぐらいはお手の物のはずです。そのことにきずいて、嬉しくなりました。やはり尊敬に値する人だと思って、その日は一日気分が良かったので、つい書き込みをしてしまいました。


4月26日(木) 最後の監査委員会議

任期が来月の17日か、18日に切れるので、今日が最後の監査委員の会議となった。監査のホームページの試作品を見ることができたのと、定期監査に関連して市長に意見を提出することが決定したことが印象的な出来事だった。

私の故郷の哲西では、これから筍の季節だ。孟宗竹の筍だが、私はこれが大好きだ。弟に頼んで宅急便で送ってもらうことにする。今度の連休には筍堀りに出かけたいと思っている。

明日は経済委員会やらクラブ会合やらで、市役所にまた出かけることになる。


4月25日(水)

今日、以前からの支持者で、江田さんとも幼なじみというMさんから電話がありました。

「民主党に言っといてくれ。『自民党を批判する』というのは駄目だ。『民主党なら、日本をこうする』というヴイジョンをもっと明確にすること。これしかないよ。風は今自民党に吹いていることを忘れんように。」


4月23日(月) 総裁選、お見舞い、議長選

小泉さんが自民党の旗手ならば、民主党はそれに優る人材がいることを証明すれば良い。自民党の本質が変わらなければ、最大のお灸がすえられることだろう。

しかし、それを他人事にしないことが必要。いかに国民、市民の立場に立って政治ができるかが、民主党にも問われていることを自覚するべきだ。

ある方のお見舞い。先日のバスの事故で、4針も縫うようなケガ。お気の毒に。

来月の臨時議会に予定されている議長選挙は難しくなりそう。岡山市議会は、与党系(保守系)から議長、非保守から副議長という議会人事を行ってきたが、県議会に見習って保守が独占すべきだという意見があるという。それが議会にとってひいては、市民にとって民主的で良いことになるかどうか。非民主的で有名な県議会を見習う、という発想はどうもいただけない。ただ、保守の人でも良識ある人は「そんな馬鹿なことはできんよ」と言われる。

さて、どうなるか。


4月22日(日) 自民党の総裁選挙

自民党の新しい総裁は,小泉純一郎氏となるだろう。地方の予備選挙の結果はあまりにも明白だ。私はこれを歓迎すべきだと思う。参議院選挙で野党、特に民主党にとっては、厳しい戦いになろうともだ。

私は、政権交代が起きる政治状況が望ましいと思っている。それは、二大政党に限らないが(各政党の合従連衡があってもよいので)、対立する勢力はライバルとして競い合う必要があると思っている。それは前向きの争いでなくてはならない。どちらがより国民のためになるかを競うべきであって、相手の失点や失敗につけこむ争いは、結果として政治の後退につながるからである。

その意味で、改革派を名乗る小泉氏と、もっと良い国を提案する民主党なり、野党との対決が無い限り、本当の政治改革は進まない。

参議院選挙に本腰を入れるときだ。


4月17日(火) あまりにも無知で無恥

自民党がマスコミ監視委員会のようなものを作ったという報道があった。「表現の自由や報道の自由を侵すものではないが、間違ったマスコミ報道や行き過ぎのものには告発も辞さない」そうである。

これほどものを知らない、人を馬鹿にした、無責任な発想がよくできるものだ。権力の座にあるものは、マスコミに批判報道をされて当然である。それにもし不快感を持つとしても、権力の座にある義務として甘んじて受けなければならない。この初歩の初歩が分からなければ、権力を持つ資格がない。無知である。

権力があれば、何でもできるという発想が人を馬鹿にしている。批判を批判することも禁じられているわけではないが、それを仰々しく委員会を作ること自体が、自分達が国民やマスコミを馬鹿にしていることになる。

権力は常にその暴走の危険があるので、抑制に抑制を重ねなければならない。その上に立って、権力の行使が正当付けられるのである。ただちに暴走に走りかねない委員会を作ること自体が、国民に対する責任を果たしていないことになる。無責任の極みと言える。

以上のことが自民党の内部からも反省されないようでは、「無恥の党」という評価を与えなければならない。国民の支持が離れるのも無理がない。

 無恥の代表である森総理がやめるらしいが、無恥の体質が直らなければ、次になんの期待も持てない。


4月14日(土) 岡山市綱引き連盟設立総会 他

午後7時から、東山公民館で岡山市綱引き連盟の設立総会がありました。来賓として゛岡崎県議と県の連盟の会長代理と私が参加しました。これまで無かったのが少し意外でしたが、今後は増えていくことでしょう。綱引きはけっこうおもしろいと思うのですが。

市議会で、則武伸一郎さんが所属の「新風会」を出られたそうです。なにがあったのか、来月の議長選挙に絡むのか、絡まないのか。よく分かりません。

議員の特権意識をなくす提案ですが、傾聴に値する意見です。以前から感じていましたので、私なりの考え方もいずれ提案してみたいと思っています。


4月13日(金) 幼い命と地球市民

2月26日は私の誕生日。でも、今年のその日に幼い命が亡くなりました。千葉県袖ヶ浦市の山本翔くん(3歳)が、義理とはいえ曾祖父、祖父、祖母、母にいじめの末、殺されてしまいました。痛ましい事件です。

仲間(家族)の結束を守るために、異質なものを排除しようという行動が悲劇を生んだものです。これは、人間社会が動物社会と変わらない残虐さを持っていることを示しています。歴史的・世界的にも、ドイツのユダヤ人虐殺やイスラエルのアラブ抹殺、最近のユーゴでの「民族浄化」などです。民族や宗教を看板にしているだけで本質は同じです。

国会では、永住外国人に参政権を認めるかどうかで議論がなされています。「国家に忠誠を誓わないものに、大切な権利を与えるべきではない」「日本が外国に乗っ取られてしまう」といって、反対論も根強いようです。

「帰化」すればいいじゃないか、という主張がよく聞かれますが、これは帰化手続きの困難さと苦痛を理解されていない方に多いのではないかと思われます。民主党の一部の議員の中にも無理解な人がいる様です。

お隣りに始まるご近所とのつきあいが大切ですが、その中で誰かを排除するようなことで地域が住みやすくなるはずがありません。お互い認め合う気持ちがなくて楽しい空気は生まれません。憲法の精神は、人が人であることを基本として権利を認める(与えるものではない)のですから、政治に参加する権利も当然とするべきです。これからの人間社会が良くなるためにも、「異種を排除する」ことを克服すべきだと思っています。

弱い立場の人を守るのが、「政治」という理想をあくまでも追い求めていきたいと思います。ご理解とご支援をお願いします。


4月10日(火) 教科書問題で提案

駐日韓国大使が一時帰国しました。「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が検定に合格したことを不満とする意思の表明だと思われます。私はこの問題では、大胆な提案をしたいと思ってます。

教科書はこれから日本を背負って立つ子供を育てるのは間違いないのですが、同時に世界の中の子供を育てることにもつながります。その子供は日本だけで生活するとは限りません。国境は間違いなく低くなっています。21世紀は国境のない時代になるでしょうし、そうしなければ人類は生き残れないでしょう。その時代を迎えようという時に、国が,日本が,日本民族がと声高に主張するのは長い目で見れば決していいこととは思われません。日本だけで通用する教科書ではなくて、世界で通用する教科書でないといけません。

そこで、日本も教科書検定の際に思いきって外国の意見を取り入れることを提案します。日本の歴史的認識と世界との認識を違ったものにしないために、外国の意見も入れるのです。日本の教科書検定に参加したい国には積極的に参加してもらい、万一、同一見解に到らなくとも少なくとも並列でその見解も乗せることを約束します。

ただし、ここが大切なのですが、その前提としてその国の教科書の検定、選定にも日本から参加をさせてもらいます。だって、外国の教科書には日本ののことを間違って書いているところが多い事をよく聞きます。それではいけません。お互いの教科書が間違ったままで、お互いを非難していては不毛の論争です。韓国にしても、中国にしてもその他の国にしても、自分の国の主張が他国の教科書に載るのですから不満はないと思います。そのかわり、日本も言いたいことは言わせてもらう。そしてそれこそが、地球市民を育てることにつながります。

どうでしょうか。

私は相互主義による、この問題の早期決着を提案します。


4月8日(日) 自民党の総裁選び

森総理の退陣は当然としても、そのあとのごたごたはないだろうと思っていました。いくら自民党でも,国民の目の前で派閥抗争をやるようなことは恥ずかしくて出来ないだろうと思っていたからです。自民党の政治家の中にも、日本のことや国民のことを考えて政治を志したものがいるはずだと思わないと情けなさ過ぎるではないですか。

でも、派閥力学でものごとは進んでいるようです。最有力候補が橋本龍太郎氏だそうですから、そこには自民党の「国民の期待に応えたい」という姿勢はかけらもないような気がします。橋本龍太郎氏は岡山の出身であり、私との縁も無いわけではないので(私の祖父鶴三が橋本氏の父親龍吾氏の後援者だった)、悪くいう気はありませんが、それにしても情けないという気がしてなりません。おそらく、自民党には人材と言われる人がいないのでしょうか。自民党にも、それ以外の党にもいないとしたら政治の世界は暗闇です。われわれが期待を「少しでも」持てるような人材で、総裁選びをしてもらいたいものです。

同じようなことは市議会でも言えます。
ちょうど選挙は2年後ですが、次の市議選では市民の期待に応えられるような新人が出てきてもらいたいものです


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