活動日誌 2001年

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3月30日(金) 花粉症騒動 ユキオさんへ 日本人ツルネン・マルテイ

本当に今年の花粉症はひどくて、植林政策の間違いを訴えたい気持ちがよくわかります。くしゃみが出だしたら理屈じゃないですから。え〜とかまわなければ、実名でのど飴を紹介してもいいのでは。個人名でないのでプライパシーの問題も起きないでしょうから。機会があれば、買ってみます。

掲示板についてのご意見ありがとうございました。そうした「まともな」反応があることで、背中がぞくぞくするくらいうれしい気持ちで一杯です。一人でも多くの皆さんの書き込みを歓迎します。

「日本人ツルネン・マルテイ」という本があります。もちろん他でもない、ツルネン氏が置いて言ってくれた本ですが、読み終えました。想像どおりの本で、期待を裏切りませんでした。これを読むと、ツルネンを国会に送りたいという気になります。中で、ツルネンさんがご自分のことを書いておられますが、奥さんの幸子さんが大分の人とは知りませんでした。お会いした時にもっと個人的なこともお話すれば良かったのですが、私の家内の節子も大分県人です。幸子さんは確か別府で、私の家内は国東半島ですが。

さて、私は今落語に凝っています。もちろん、話す方ではなくて、もっぱら聞く方ですが。亡くなった枝雀が好きで、テープとCDをよく聞いています。落語の情報がございましたら、お知らせ下さい。


3月29日(木) 監査委員会議 リポートの編集

どうにか監査委員の仕事もあと少し。でも次から次へと問題は出てきます。私の意見も時には採用されて、4人の合意になります。

リポートを年度内に発行します。いそがしいけれど。


3月24日(土) 地震に驚く

また地震。震度が4とか。岡山は地震がないという自信が崩れました。家内を岡山に連れてくる時に「岡山は東京と違って地震がないから、安心しなさい」といったのに。

今日は地球の裏からメールが届きました。南アメリカのチリのサンチァゴからです。友人が1カ月の予定で訪問中です。土産話が楽しみです。


3月23日(金) 監査委員会議

一昨日からひどい花粉症が出て、体力を消耗してしまいました。昨夜はキーボードにむかう元気もなく、早めに寝てしまいました。おかげで一日のプランク。

今日も無理をして会議には出たのですが、午前中はほとんど死んでいました。定期監査、住民監査請求などの審議をして、3時過ぎに終わりました。

帰りに、奥田の叔父の所に寄って「黄色の水仙」をもらってきました。叔父も寝たきりになっているようです。私の顔は分かったみたいですが。


3月21日(水) 議会の最終日 平田国広さんの個展

今日は議会の最終日。俗に言う「立ったり、座ったり」の日です。つまり、各議案に対して賛成か反対かの判断が迫られます。特筆すべきことを二つ。一つは私の事ではないのですが、総務委員会の委員長報告が詳しくてしかも当局に対してきびしいものばかりが並べられていたこと。委員長は「保守の、しかも市長与党であり、議長会派」の亀井章氏だったことです。その中身については新しいリポートに取り上げるつもりです。

そして、もう一つは私が予算については退席してしまったことです。今回の予算には「岡南環境センター」の継続の費用が盛り込まれており、賛成できないものでした。予算は一部が気に入らなくても全体に影響するので少々のことなら、今後の執行を注視するということもあるのですが、これはそうは行きません。かといって、会派で活動しているのですから、一人反対の態度を取るのは常識はずれです。会派拘束がないという所もあるようですが、極力会派の意向とあわせるというのが「幹事長」の役目でもあります。従って、今回は退席することで「反対」の意志を現しました。予算に賛成していて、当局に「方向転換を迫る」のはどうかと思うからです。この問題はごみ議員の面目をかけても追及をゆるめないつもりです。

表町のギャラリーで開かれていた「平田国広」展に言ってきました。さわやかな良い絵があったのですが、貧乏議員には手が届きません。娘さんの作った陶器(ビアカップ 1,200円)を買ってきました。ビールを飲むのが楽しみです。


3月20日(火) 哲西に帰ってきました

父と母を送るために哲西に帰ってきました。180号線を通ったのですが、行きと帰りに総社市の事故現場の前を通りました。崩落の起きた採石場ですが、川の対岸に生々しい地肌を見せています。山の形が変わってしまっているようです。大きな岩がゴロゴロしている様は地球の怒りを感じます。事故に会われた方のご冥福を祈ります。


3月19日(月) 監査委員会議 クラブ会合

確かに今年の花粉症はひどい。例年なら、治まっていたのに目も鼻もひどい状態。特に目は、開けるのもつらい。キーボードに向かうのがやっとだ。最近、記事が短いのはそのせいと思ってください。

午前中は、監査委員会議。住民監査請求についての審査。2件。

クラブ会合で、岡南環境センターはどうしても認められないと宣言した。最終日の態度をどうするか、腹を決めなくてはなるまい。


3月18日(日) ツルネン・マルテイ氏 地元の後援会総会

朝からツルネン氏と行動をともにする。倉敷駅南口、天満屋、岡山駅前などで街頭演説。イーオンの生ごみ処理はたいしたものだ。お昼の「弁当を食べる会」は、総勢18人。ツルネン氏の一行は、ツルネン、幸子、真島、浜、大川さん。面白い会だったと複数から聞いてホッ とした。

はばにし会の総会。気の置けない会で、その後の二次会にも参加。来賓に草苅氏。


3月17日(土) ツルネン・マルティさんが来岡

午前中に二件の市民相談。

お昼に大元の石田みえ事務所周りの街頭宣伝。一井、草苅、羽場で。

夕方からツルネンさんを迎える。待ち合わせ場所に向かう途中で、なんと燃料エンコ。節子さんに燃料を持ってきてもらったところに、ツルネンさん一行が到着。今度は、ツルネンさんの車のバッテリーが上がった状態で、音無しで羽場事務所まで。

それから、私の宣伝カーに乗り込んだ。私の車から音を出しながら二台で市内を回り、岡山駅前にはどうにか予定通りに6時に到着。ツルネンさんは「日本の皆さんにお世話になった恩返し、つるの恩返し」など、しゃれもまじえながら地球環境のことや政治改革のことなど訴えていた。全国を4月の30日までかけてまわる予定とのこと。明日は倉敷から岡山に戻り、5時には島根に向かうとのこと。


3月15日(木) 経済委員会

モーニングリポートは福浜小学校前。木曜日にここに立つようになって11年ぐらいか。知り合いに会うことも多い。今日も市場帰りの八百屋さん(江田五月さんの同級生)にお会いした。

午前中に行われた福浜幼稚園の卒園式に、来賓として出席した。公明党の松岡さん、苦水さんもお隣に座っておられた。かわいい子供たちを見ているだけでも、楽しい気分で園を後にした。

経済委員会が昨日に続いて開かれ、新年度の予算について審議が行われた。農業集落排水事業と中央卸売市場の予算が主な議題。特に市場については、来年から地方公営企業法を全面適用することの積極的な理由が示されないことに対する批判があいかわらず出てきた。

この委員会で某保守系議員の話を聞いていると、議会とか民主主義とかとをあまりに理解していないと感じて、ものを言うのも億劫になってしまった。議論によって自分も他人も意見が変わりうることが前提となって議会というものがある。初めに結論ありきで、問答無用では会議ではない。数が多ければ、それで終わりなのではなくて、議論を尽くした上で、全体の意見がどうしてもまとまらなければ、多数決で物事を決めるという、私たちの常識が通じなければ、何を言っても無駄だと思ってしまう。あきらめからは何も生まれないのだけれど。


3月14日(水) モーニングリポート 経済委員会 田中君のこと

朝8時から、マルナカの斜め前で街頭演説。いつもの場所とは違い、奥に広がりがないので話しにくい。場所の工夫が必要。でも空港線のどこかでやりたいので、場所が限られるのは確か。難しい選択が迫られる。

今日は経済委員会。12年度の補正予算はあまり問題がなかったのだが、岡山の祭の予算を見ていて、報奨費のところでふと「消防団への謝礼」が目についた。確か、消防団は祭の警備に出た時でも費用弁償、つまり日当を出すように、この議会で条例の改正案が出ていたはず。簡単に言えば日当の二重取りになる可能性がある。

この件は、当局に間違いのない対応を委員長が指摘することにした。横の連絡が採れていないことがはっきりした。私自身の考え方は、費用弁償よりも、主催者が支払う謝礼の方が、そのボランティア精神からしても正しいと思う。このことを強調しておいた。

控室に戻って、めったに見ないサンケイ新聞を見ていたら岐阜の市議会議員が「市長は猿以下」という発言をして7時間も議会が止まった、という記事が目についた。そういえばここの議会には田中君がいるなあと思って、記事を見直したらその発言者がなんと「田中成佳」とある。本人だった。家に帰って電話をし、久しぶりに話をした。近くメールをくれるそうだ。楽しみにしている。


3月13日(火) 一般質問最終日に延長議会 韓国語の勉強

今朝のモーニングリポートは岡南環境センターの前。当然話題は「岡南環境センターの継続使用問題」。

質問戦の最終日だが、つまらない質問が多くて、本当に眠たかった。しかし、その眠りを覚ましたのは5時を過ぎてから。今回も、先の臨時議会同様に大型の補正予算を当局が出したから。1月臨時が10億円だったが、今回は97億で、ざっと10倍。こんな政策的予算を審議ヌキで認めるわけには行かない。

ところが、それを知らなかった私は質問をできなかった。昼の休憩時間に議運の報告を聞かなかったためだ。幸いなことに、亀井、崎本、横田の三人が質問をしてくれて、だいたい聞きたいことを聞いてくれた。しかし、最後の横田さんの質問に「しつもんになっとらん。やめろ」みたいな野次が飛んだ。だれがそんな詰まらん事を言うのかと議場を見回したが分からずじまい。あとから聞くとT議員らしい。議会の品性と常識を疑われかねない。議員が他の議員の発言を封じるような言動は厳に慎むべきだと思う。

夜になって議会が終わってから、番町文庫で「韓国語」の勉強。韓国民謡を習う。


3月12日(月) 議会は一般質問が続く 市民リポートの配布

7時半から岡山駅西口で街頭演説。終わると同時に家に帰って、自転車で議会に。今日は署名議員なので、遅刻しないようにと議会事務局から電話が入る。ご存じでない方のために解説すると、議会では会議録を作りますが、それに議長が指名する二名の議員が「確かに議会が開かれ、それは○○の内容でした。」ということを確認するために『署名』をします。署名する以上、議場にいることが絶対に必要ですから、たとえ居眠りをしていても、座っていなくては行けません。ですから、勝手にトイレに立つわけにも参りません。遅刻、早引けもちろんいけません。それに指名されることはあらかじめ分かっていますから、事務局が心配しているのです。

市民リポートができました。これを郵送と手配りをする作業が待っています。ご近所に配ってくださる方に感謝しつつ、配布しています。だいたい、お一人30部お願いをしています。もし,お手伝いいただける方がいらっしゃれば、メールでもお電話でも下さい。お持ちします。市内の方にですが。


3月11日(日) 民団・アジア国際センターの落成式&パーティ

民団が、その本部会館とアジア国際センターを新築したので、今日はそのお祝い。

金ジョンピル氏が来賓で見えられ、スピーチをされた。昨年に岡山へ来られた際にも聞いたが、一流の政治家の話は違うと思った。感動を与える話というのは滅多に聞けないが、氏の言葉をかみしめるように語る、話ぶりといい、国を越えた視点といい、人間の大きさがストレートに感じられた。それと較べて森総理の恥ずかしいこと、政治家にもはっきり三流と分かる人がいるが、どうもそれらしい。


3月10日(土) 民主党1区の街頭宣伝 県連の幹事会

お昼に、大元に陣をしいた石田みえさんを、せいぜいアピールをしようと、土曜の昼街宣をすることになり、今日が第一日め。予想以上に通行車両からの応援が多い。もっと外に出なくてはと思う。参加者は、草苅、姫井県議にスタッフが4人。

2時からは幹事会。参議院選挙が中心的話題。


3月8日(木) 個人質問が続く

朝8時。モーニングリポートは、いつもの福浜小学校の前。昨日の報告をする。

昨日から父が来ていたが、午前中に帰る。突然のことで何かと思った。法事の案内の追伸を出しに来たらしい。とにかく、思いついたら我慢ができないらしい。歩くのがほとんどできないぐらいなのに、岡山まで出てきた。母も、弟もさじを投げている。心配だが、ついて歩くというわけにもいかない。

今日の個人質問で岡山21クラブの太田君が、監査について質問。代表監査が答弁をするが、「答弁が長すぎる」と議席から野次。監査委員が4人で昨日から検討を重ねた答弁なので、「監査の報告書を読めば分かります」といえば早いかもしれないが、それでは失礼と思って作ったんですよ、と説明をしておいた。分かったような感じだったので、しつこく言わずそれまで。

亀井さんは相変わらず、かなりはげしい突っ込みをする。そのへんが、いいところ。与党だからといって遠慮しないのは、議員としての自覚があるからだろう。

最後6人めはわが会派の近藤 昭氏。歴史的認識の中で226事件を取り上げたのだが、その際に「2月26日は羽場君の誕生日ではなく、事件が起きた日」とやったものだから、議場がどっと沸いた。憎めないキャラクターなので、議会では人気がある。少し見習いたいものと思った。

帰る前にオカニチの記者が来ていたので、少し雑談。オカニチの記者か、営業部長になりたいという話をした。その紙面ももっと市内のことに重点を入れるなり、読者の声を入れるなりして、積極経営をするべきだとか、つい日頃思っていることを言ってしまった。昔、新聞をつくりたいという夢があったので、こういう話には大いに力がはいる。


3月7日(水) 本会議で個人質問

朝8時、モーニングリポート。いつものマルナカの前が店の改装に伴って車が置きにくくなったので、すぐそばの山上印刷の前でさせてもらう。近所から苦情が出なければ、次からここでやるつもり。

午前10時から本会議。共産党の代表質問に続いて、午後から個人質問。一番手は私。ごみの焼却をする前にやるべとことがあるはずだという組み立てで、岡南環境センターの継続使用について、反対論を展開した。詳細は「市民リポート」で。

女性消防士が採用されなくなったということで、その理由を問いただした。試験の結果だということなので、試験をオープンにしないと疑惑が生じるという再質問をしたところ、次の試験から結果を本人に通知するという答弁。しかも、それをすべての採用試験でやるということなので、ちょっと驚いた。それなら、これ以上言うことなし。経過を見守ることとした。

政務調査費については、ちょっと中途半端なことになって失敗。前半が主眼だったので、やむを得ないといえば少し言い逃れ気味か。全体として70点ぐらいの自己採点だが、傍聴の方はもっと厳しいかもしれない。


3月6日(火) 本会議の代表質問

今日も代表質問が続きます。政和会の宮川日吉、6番目として民主党の田原清正君が市民クラブの代表質問。情報関連の質問を特集するという、自らの分野設定でした。

明日は午後から私の個人質問があります。どうか、傍聴に来てください。

3月5日(月) 久和さんの弔辞

久和さんの弔辞をTBSの下村健一君が読んだそうだ。彼も一緒に菅さんの選挙の応援をした仲間だった。若い同志を失うのは辛い。冥福を祈るしかない。


3月5日(月) 内閣不信任案には、拍子抜けです。

出すならもっと早く、様子を見るならもっと先に。なんだか、タイミングが悪い感じですが、でも、国民の意志と国会の意志とが違う事を確認したぐらいの意味はあったと思います。


3月5日(月) 730 山陽町と赤坂町の選挙結果 本会議

お早う730(駅前の街頭演説は高島屋前。8時15分についてしまい、最後だけ参加。石田みえ、草苅県議。

山陽町では、気になっていた人は全員当選。樅野さん、井上さん、佐藤さん。赤坂町の原田そよさんも6位(12人中)で当選。樅野さんは「樅の木」、原田さんは「そよ風」とそれぞれ活動報告を出しています。そういう人が落ちるようでは、町民の良識が疑われます。

本会議で、公明党、清風会の代表質問が続きました。公明党は本郷さん、清風会は鷹取さんで、どちらも再質問はなし。おかげで、4時には終了。私の個人質問は、7日の午後一番になる予定。個人質問のトップと言う事だ。今回は27人質問に立つらしい。「(1)岡南環境センターの継続使用 (2)女性消防士の採用について (3)政務調査費について」の3本の予定。私の場合は再質問も再々質問もあり。原稿は珍しく夕方までにはできる。担当者の「質問取り」はホッとしていました。


3月4日(日) 山陽町の選挙結果出る

夜に入って、山陽町の選挙結果が分かりました。樅野志郎さんは650票以上をとって9位で当選。井上さんは12位の模様。赤坂町の結果は、現在のところまだ入ってきていません。


3月3日(土) 南方小学校とのお別れ 木原光知子 廃棄物学会 民主党1区

朝9時から、南方小学校。「南方小学校78年の思い出をおさめる会」が10時30分から行われました。同級生が集まって、来賓の受け付けと接待を担当しました。会が始まってからは来賓席に座り、二役をこなしました。卒業こそしていないものの、幼いころを過ごした学校が無くなるのはさびしいものです。

6年の2学期に転校したので、卒業アルバムにはしっかり写っています。そのアルバムを見ながら、これは誰だ、いや誰それだという話をしていると時を忘れます。

隣の組だった木原光知子がゲストとして講演。最後に彼女の提案で校歌を合唱した時には、声がつまってしまいそうでした。

午後1時30分から、岡山大学で廃棄物学会中国四国地区連絡会の研究会。会長の田中 勝教授は、金光学園の新聞部の先輩。国立公衆衛生院から岡山に移られた事もあって、こちらでの学会の活動が盛んになりそう。

3時過ぎからは、津島苑で民主党1区の幹事会。参議院選挙に向けた体制づくりと街頭宣伝などについて話し合う。

そのあと、ここで廃棄物学会の懇親会が開かれたので、そのまま出席。豊島の石井県議と一緒になる。

懇親会を途中で抜けて、天瀬の「エピキューリアン」で、南方の同級生と飲み会。木原もいっしょで、盛り上がった。話を少ししたが、身体にすごく気を使っているという感じだ。身体が資本というのは変わらないけれど、彼女の場合は特にそうかもしれない。7月にシンフォニーホールで、またシャンソンを歌うそうだ。その時の再会を約して別れ、友人二人とスナックへ。ついに1時まで飲んでしまった。


3月1日(木) 山陽町の選挙 久和ひとみさんの訃報

モーニングリポートは木曜日の定位置、福浜小学校の前。ここで朝の街頭演説を始めてから、12年近くなる。選挙に出るなら、朝の街頭演説は欠かせない。でも、選挙に出るから始めるというのもいただけない。選挙に通ったから止めるというのもいただけない。そんな気持ちで、スタートしたのだが。

午後から山陽町で樅野さんの応援。一人しか落ちないという事だが、そういう選挙こそ心配だ。本荘・中原両氏とご一緒。まだ、選挙の落ち着き先は見えない。井上候補の事務所も立ち寄る。お二人の健闘を祈る。

家に帰って、家人から聞かされた久和ひとみさんの訃報には驚いた。そういえば、最近テレビで見ていないなと思ったのが、一昨日のことだった。

芦屋市の市長が話題になり、日本の中に女性の市長がいなかった時に、「久和ひとみ」なら女性市長の第1号になれるのでは、という話が出た。今から20年近く前、むろんキャスターなどなっていない時の事だ。

当時、早稲田の学生だった久和ちゃんが、菅直人の選挙にボランテイアで応援に入っていた時の事だから、昭和の55年か遅くとも56年のころの事だ。そのころから、多くの人から活躍を期待されていた。菅グループとして戦った田中恵子の小金井市の市議選や、深沢達也の都議選での、久和ちゃんがマイクを持ったりしていた活躍が目に浮かぶ。応援演説やウグイスなど、選挙の表方も事務方もどちらもできるスーパーレディというのが、彼女に対する評価だった。

筑紫哲也さんとの縁などでマスコミの社会に進出して、テレビでお目にかかるだけになってしまったが、常に溌剌とした言動に拍手を送っていたのに。実に、残念。

私と一回り違う40歳、あまりに早すぎる。冥福を祈る。


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