『必要とする者・必要とされる物3』 



「でっ、何の用なんだ?」
 上半身裸のズボン姿で浴室から戻れば、ソファーで雑誌を読んでいた筈の卑弥呼がフローリングの床に倒れ込んでいた。
「おい、卑弥呼っ!」
 驚いて駆けつければ、異様な気配が警戒心の危険を知らせた。
「…蛮…吸っちゃだめ…」
 特殊な呼吸法をマスターしている卑弥呼を封じるほどの部屋中に漂う甘い香り。
 卑弥呼が使う毒香水系とは違う香りに気づいた時には、感覚が麻痺して身体から力が抜け落ちる。
「…ぎ…銀次…」
 もう一人の存在に目を向ければ、銀次は何事もないかのように眠り続けていた。
「目を覚ませ、銀次!!」
 危険を知らせる為の大声を出しても、自分が嗅がせた催眠香で銀次はピクリとも反応を示さなかった。
「!?」
 ふいに、玄関先から第三者の気配を感じた。
「くっ…夏彦レベルの殺気じゃねぇか」
 背筋が凍りそうな気配に、蛮は卑弥呼を抱き寄せる。
「…蛮…解毒香を…」
「いくらお前の解毒香の効能が広くても、この香りに効くとは限らないだろ。かといって、火炎香や蛇咬じゃ部屋がぶっ壊れるかもしれねぇし…なっ?」
 打つ手なしの状況に迷っていれば、自分たちが見えない壁に閉じこめられた事に気付く。
「いったい何なのよ」
 目に見えているのに触る事の出来ない空間。
 触ろうとすれば、水面に触れた時のような波紋が起きて、揺らぎ消え再び現れる。
「…くそっ!」
 本来の空間から僅かにズレた空間に閉じ込められた蛮は、怒りに任せた感情で蛇咬を叩き込む。
 分厚い壁をも砕く蛇咬を持ってしても、歪んだ空間を破壊する事は叶わなかった。
「例え、アスクレピオスの力を持ってしても、同等の力によって想像された空間は破壊する事は不可能だ」
 空間のズレを通って現れた不法侵入者……中世ヨーロッパを連想させる衣装を身に纏った大柄の男。
「てめぇ、何者だ……なっ…」
 警戒心で睨み上げた瞬間、背筋が凍り付く気配に襲われた。
 自分の瞳と同じ色の瞳に蛮は……

『我が血を引く者で邪眼の力を受け継いだのは、お前一人だ。しかし、魔女狩りから逃れた僅かな同胞の中に、お前が持つ力と異なる邪眼を持つ者もいる。邪眼は持つ者の血筋にも影響されるが、持つ者の経験にも左右される。欲望と殺意に満ちた邪眼とは眼を合わせてはならぬ。己の邪眼で夢を見せる前に、自分が相手の邪眼の餌食になってしまうからな』

 過去に一度だけ聞いた邪眼に纏わる血筋の事を思い出し、卑弥呼の視界を遮る様に手を伸ばし叫んだ。
「奴の眼を見るな卑弥呼!」
 しかし、卑弥呼の瞳はしっかり、目の前の人物を捉えていた。
「卑弥呼?」
 不安で覗き込めば、立つ事もままならない筈の卑弥呼に、蛮は予想外の力で弾き飛ばされ 受け身も取れずに見えない壁に叩き付けられた。
「ぐっ…」
 衝撃の強さに身体が悲鳴を上げ、鈍い音が部屋に響く。
 脳震盪を起こし掛けた意識で卑弥呼を見上げれば、焦点の合っていない瞳とぶつかる。
「くそっ…今ので肋骨…数本が逝かれやがった…」
 脇腹に走る痛みに蹲っている訳にもいかず、床に転がった卑弥呼の毒香水を手に取ると、迷わず数回吸い込んだ。
「おめぇもプロなら、操られてんじゃねぇ。卑弥呼!」
 尋常でない速さで繰り出される卑弥呼の攻撃を紙一重で避け、すれ違いの際、首筋に手刀を叩き込む。
 一撃で卑弥呼の意識を奪う。
「…人様の家で…暴れやがって、この代償は…しっかり払って貰う…ぜ」
 傷付き麻痺した身体に鞭を打ち込む事に等しくとも動く事が出来なければ、この状態を回避する事も叶わない。
 動きを取り戻す為に吸い込んだ加速香の速さで、一撃必殺の蛇咬を相手の喉元に叩き込む。
「ウィッチクイーンの血を引く者にしては、物事を見極める力が少々不足気味だな」
 相手の首をへし折る勢いで繰り出した蛇咬は、相手にぶつかる前に威力が消滅した。
「なっ…卑弥呼…何しやが…る」
 確実に意識を失っていた筈の卑弥呼の腕に背後から喉元を取られ、鼻先に毒香水を感じた。
 毒香水…催眠香の香りに気付いた時には既に遅く、蛮の意識は暗い闇の中へと落ちて行く。
 力を失った蛮の身体が崩れ落ち、卑弥呼も糸を失ったマリオネットの様に崩れ落ちた。

2へ戻る  4へ進む




小説部屋