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自己紹介 |
ハンドルネーム:YBK
岡山県岡山市在住
東京オリンピックと同い年(十分オッサンです)
つくりたい機体は山のように有る。そんな機体は実機も開発に難儀したものがおおく、RC化しても同じように難儀することが多いが、その開発過程が案外、楽しかったりと思っている。
好きなことば:フライアブル。
空ものカムバック組、入門したのは昔だが自作機が飛ばせるようになったのはつい最近
初期の目標:零戦32型をRC化して飛ばすこと。>これは実現しました。(格納庫参照)
フライアブルなスケール機の原点(フリーフライト機)
○京商フライター:、P51Dムスタング(ラバーパワーで、主尾翼はスチレン、胴体はバキュームフォームの最中形状)
スケール感もあり、それなりに飛んだがスチレン主翼が弱かった。(今だったらRC化は簡単だと思う)
○京商バルサモデル、零戦32型(原キットは米スターリング社製)、塗装なし紙張りの白い零戦はラバーパワーで離陸飛行可能だった。子供心にこの機体がRC化できたらと思った
(実際COX02ガスパワーとシングルエスケープメントでRC化出来るキットであった。欧米のエキスパートな人は1960年代に小型RCしていたんだと思う)それでもバルサ骨組みの紙張りでは短命だった。(当時のトレンド、接着材はセメダインC、紙張りはフエキのり)
○マブチ空中モータA-1の思い出
A-1モータそのものは一度もまともに飛ばせず壊してしまったが、そのモータを手本に130モータの巻線を太く変更して、A-1付属の100mAニッカドを使い、後にも先にも一度だけ、自作の機体で(FFのライトプレーンの主尾翼だけバルサ化した機体)直線距離にして150m以上飛んだことがあった。私の電動プレーンの原点である。
その後フジ099でUコンの世界へ、平行してFFピーナッツスケールや1/10RCエンジンカーなどにも熱中した。
そして、COXブラックウィドウ049と(現OK模型)パイロットベビーで空物RC入門するも10秒と空に浮かせていられない状態だった
その後、飛ばし方を覚えたのはムサシノ製スカイエコーと言うグライダーであったが、大学進学などと同時に興味はバイクなどに移りその後長いブランクとなった。
20年程前に空物カムバックしそうになる。
地元ラジコン屋で偶然、京商バルサモデル零戦32型の復刻版キット?(バルサディスプレーモデル)を入手。同じころ地元プラモ屋でギローズ1/16ユンカース スツーカのキットを入手、電動RC化を試みるも当時の機材では超エキスパートの分野であり零戦32型をタミヤプラズマダッシュ+ギヤダウン化するも手投げ>放物線を描いて落下して終わり。
当時ギローズスツーカも組み立て初めていたが零戦32型の失敗をうけ箪笥の上で長い眠りにつくのであった。(近年、零戦32型もスツーカもレストア&電動RC化しリベンジした。)
本格カムバックのきっかけ、
息子が祖父に買ってもらったTAIYO零戦21型のトイラジコンが息子が飛ばしても、私が飛ばしてもまともに飛ばせず、インターネットで情報を検索しているうちにカルチャーショックとディープな世界にはまってしまった。
結局そのTAIYO零戦21型は50XCダイレクト2chフルプロポーショナル化されたのは言うまでもない。
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