ちらりと見てそのまま過ぎ去る人々の繰り返しに、緒方はこの場をあきらめた。絵を並べて数時間たったが、買う人は現れず、彼は売
る場所を変えることにした。
天気の良い縁日の中、絵と道具をさげ歩いた。しばらくすると人だかりが見え、よく通る大声が聞こえてきた。彼はふとそのひとだかり
の後方について様子を垣間見た。
「さ〜さ、お立ち会い、我が手にある太刀はかの降魔(ごうま)戦争にて、魔物どもをバッタバッタと切り倒していった、霊験あらたかな
太刀である。名づけてガマの太刀。この切れ味をお見せしよう」
ハチマキ、ハカマのいでたちの男は、懐から出した紙をこれ見よがしに切っていった。ガマの油と緒方は合点した。
「しかし、この太刀もこの油にかかれば、ナマクラ同然」
男は壇においていた小さなつぼから、油らしき液体を腕にふりかけ、その部分に太刀の刃を押し当てた。傷一つついていない。
「このように、この油は・・・」
見事な演出と思いながら、緒方は人だかりから離れ、歩き始めた。
・・・夕方近く長屋に帰ってきた。家の戸口の前まで着いた時、
「緒方さん、ちょうどいいところだった。あまり売れなかったんだろう」
横から長屋の千さんが、見透かされたように言ってきた。
緒方はやや驚きながら、
「ええ、恥ずかしながら、思うほどは・・・」
「いや〜、運がよっかったね。降魔(ごうま)戦争の折につぶれた知り合いの店が、このほど再建する運びになって、広告用の看板の
絵を頼もうと来たんだよ」
「いつもありがとうございます。何も恩返しできずにいて面目ないかぎりで。どうぞ中に入ってお茶でも」
「いや、もう行かねぇと。詳しいことは後で」
千さんはすぐに長屋の道を早歩きで行ってしまった。
長屋の人がたまに仕事を紹介してくれることがあり、彼としてはありがたいことだった。そしてやや良くなった面持ちで家に入り、商売
道具を片付け始めた。
しばらくして、ふと描きためた絵の一枚をとった。昔描いた欧州のとある町並み風景で、彼は遠くを眺めるように見ながら、「降魔(こう
ま)戦争か」とつぶやいた。
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