ヴィスコンティの回想

 ヴィスコンティの別荘の応接間にて、森はインタビューを続けてい
。ヴィスイコンティは葉巻を指にはさみながら、イタリア語を流暢に話す
東洋の客人に対して丁寧に応えていた。話題が織姫のことへと移った。

――そうそう、オリヒメ・ソレッタについてお尋ねしますが、当時の彼
   の印象はいかがだったでしょうか?

 「そうですね、彼女の演技は機知に富み情熱的で、観衆をとても
了しました。あの頃のイタリアの若手女優の中で最も注目されてまし
。特に印象深かったのは、ミラノでのドゥーゼ追悼公演です」

――ドゥーゼというとイタリアの誇る世界的女優でしたね。

 「そうです。彼女は1920年代になってから舞台に復帰したのです
、1924年に巡業先のアメリカで死去してしまいます。遺体が戻り、
儀が終わった後、しばらくしてミラノでの追悼公演が行われました。
  彼女が出演した作品がいくつか上演され、オリヒメはダヌンツィオの
『死都』を演じました。これはミラノで彼女が上演した最後の作品でもあ
ります。この中でオリヒメは盲目の女性のアンヌ役でした。すばらしいこ
とに、彼女はその役でドゥーゼ自体を演じていたのです。まるで彼
の全盛期を写したような見事な演技と評されました」

――翌年オリヒメは日本で巡業し、ここでも大変好評を得たようです。
   私がオリヒメという名前を初めて聞いたとき、織姫星のことを思
   出しました。実際日本では織姫と漢字を使って表しています。
   名かとも思いましたが、よく調べてますと彼女は日本人男性と
   間にできた子で、名前も日本語を使っていたのです。そのこと
   ご存知でしたか?

 「いえ、実のところずっと後になって知ることになりました。最初彼
の名前を聞いた時、全くなじみのないものでしたので怪訝に感じました
。ソレッタ家は『赤い貴族』と呼ばれ、イタリアの名門貴族でしたが、
門の名前としては奇異な印象を受けました。家族や友人にたずねても
、その名前の所以については満足のいく話はなかったですね。ず
ぶんと時がたち、あることがきっかけでそれが日本語で、彼女が日
人との間にできた子であることを知ったのです」

 その後も森の取材は続いた。

       セガ公式サイト「サクラ大戦 BBS」
織姫とドゥーゼ ヴィスコンティの回想から 2005/02/06より


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