<2003/1/19>


「クラブボッサ合宿・イン・岡山いこいの村」 (3/4)   Sumiko. 記


 〜8月25日、26日に開かれたクラブボッサ合宿in岡山いこいの村〜
 〜埋もれていた、Sumikoさんの秘蔵レポートです。〜


・シンさんが帰って以降

部屋に入れなかった事件

 午前3時を回りました。いよいよ若干一名を除いてはオネム状態。私も「まだソロコンサート続くんかなぁ・・・」と半分泣きながら半分眠りながら、それでもこうなりゃ終いまで、とやけくそに覚悟を決めて「聴き惚れて」いました。と、突然フェリーペさんは充実感に満ち溢れた様子で「さ、寝よう」と笑顔で立ち去ってしまいました。あの時ほど呆気にとられた聴衆の間抜けな顔といったらなかったですねえ。

 部屋は、フェリーペさんと嶋岡さん、macさんと鶴島さん、そして私一人(いやっほぅ!)の3組に部屋割りされていました。S氏はお歳でもあり(うそうそ。(^^;)平生よりHPの管理人を務められ、また岡山ジャズフェスやこの度の合宿など、ビッグイベントの企画などでとってもご多忙の日々を送られていたこともあり)、早々にお休みになっていました。泊まり組も3時半が過ぎてやっと?(とうに!)眠くなり、ほいでは寝ましょうということになってそれぞれの部屋へ。しかし、ひょいと開けてそれぞれ消えていくところが、私の部屋の鍵は、開け方が難しくてなかなか扉が開かない。「お休みなさい」といったものの、その後およそスマートにいかないんです。Open the door.にならず、開いていたのは口だけ。「おや」「あれ?」とかぶつぶつ言いながらごそごそこじ開けようとしている画は、まるで泥棒ビギナーみたいな感じだったかも。(今でこそ面白がれますが、すっごく真剣でしたねえ。なんてったって一刻も早く寝たいですから。)macさん達のお部屋も苦労されてやっと開いたようですが、私もなんとかフェリーペさんに開けていただきました。考えてみれば、これが、部屋に入れなかった事件の序章でしたねえ。その後の不運(部屋に入れなかった事件本題)の前兆でした。

 靴を脱いで部屋を見渡すと既にきれいなお布団が敷かれています。「上げ膳据え膳。10畳に一人。なんて広々ゆったりとしていて贅沢なことでしょう」なぁんて、思いきりウハウハでした。と、廊下でとんとんどこかのドアを叩く音が。開けてみるとさっき別れた数人が「部屋に入れない!」と騒いでいます。フェリーペさんは、人の部屋のドアを開けてくれたのはいいけれど、肝心の自分の部屋を開ける鍵がないのです。ドアがオートロックになっており、キーを持ったまま寝てしまった嶋岡さんが開けてくれない限り入れないというのです。しかし嶋岡さんはそんなことなどつゆ知らず、白河夜船の真っ只中。「嶋岡さぁ〜ん」と情けない顔でフェリーペさんがドア越しに助けを求めても、一向に反応なし。でもって、出てきていたmacさん達も部屋に入れなくなっちゃったというのです。私も、「あらあら、大変ですね。」と言いながらも所詮は他人事。まあ大人だし何とかするだろう、と半分放ってあくびをしながら自分の部屋に戻ろうとしたところ、フェリーペさんが「そっちも入れないんじゃない?」

 ぎょえぇ〜っ、ワ、ワタシんところのドアもしっかり閉まっちゃっているじゃないですかあぁ!騒動を見にぽんと飛び出したので、鍵など持って出ているわけありません。加えて、我が身を振り返ると、裸足のままじゃぁあーりませんか。大の大人が複数名、心細そうに廊下でウロウロ・・・ほんと、情けなかったですねぇ。このまま朝まで入れないのぉ?(涙。)

 私はよく見ると、まだ部屋に入りたてで新鮮な格好だったので(?)、ポーチを肩にかけていました。とにかく嶋岡さんを携帯電話で起こそうということになり、私のバッグから携帯を取り出して・・・。しかし、景観がいいのがあだになり、高台のホテルでは電波も圏外。「うっそぉ。」でも、アンテナをいろいろな角度にして何とか圏内になる瞬間があったので、そこを見逃さずにさっと電話。でも、嶋岡さんたら、かなりお疲れのご様子、ノンレム睡眠の真っ最中らしく、電話に出る気配は全くなし。と、鶴島さんが気を利かせて、少し前に二部屋の合鍵をもらいに行ってくれていたのでした。「実は私も入れなくなっちゃって・・・」と伝えたところ、笑いながら快く、も一つ合鍵をもらいに行ってくださいました。(ありがとうございます。その節はお世話になりました。)いやはや、こんなことがあって、眠りに就いたのはほとんど4時近かったのでした。トホホ。(でも、ああいうハプニングは・・・きっとありなんでしょうねえ。)





   
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