<2002/8/16>

「私とブラジルの出会い 3/4」  (2002.8.15 Sumiko)

グレイシー柔術の歴史を少々。
20世紀初頭に前田光世という日本人が、ブラジルはアマゾン下流のベレンという町で、カルロス・グレイシーという人に柔道を教えたのがきっかけです。カルロスの子孫が現在のグレイシー柔術をより強い格闘技に作り上げ、世界へ広めていったのですね。長男にカルロスJr.という人がおり、サンパウロやリオなどブラジルでグレイシー柔術を広めていきました。カーウソン・グレイシーというコーチが有能で、門下生としてはアントニオ・ホドリコ・ノゲイラ(Pride17大会でヘビー級チャンピオンとなる。双子の兄ですが、実に素朴でいい人らしい)やマリオ・スペイヒー、イズマイウなどのスター選手がいますが、彼らは「ブラジリアン・トップチーム」という集団を構成しています。(そうそう、この間行ったうどん屋さんで、新聞の一面下段にこのブラジリアン・トップチームの写真集の広告が出ていたので驚きました。買う人いるんかいな?とも思いましたが、恥ずかし屋さんで朴訥な彼らのこと。日本人のようにタレントになったり国会議員になったりもしないので、こういう写真集がそこそこ売れて、本人や業界の認知度が上がるといいなと思いました。)

さて、カルロスJr.にはエリオ・グレイシーという弟がいました。エリオは、力道山とも試合をしたことのある木村政彦と戦ったり、日本とも縁深い人。エリオにはホリオンという長男がいましたが、アクション俳優みたいな仕事でアメリカに移住していました。ホリオンは仕事をこなしているうち、いろんな人脈ができ、グレイシー道場を作っちゃったんですね。で、お父さんのエリオは、自身の格闘家生命を賭けて息子ホリオンのいるアメリカへ渡っていったのですが、エリオこそが私を驚かせたホイス・グレイシーのお父さんです。兄のカルロスJr.も後進の育成に長けていますが、エリオはエリオでスター選手を輩出させました。ホイスの兄ヒクソン・グレイシーなど超有名です。

忘れもしません、97年10月。「プロレスこそ最強の格闘技」を謳った高田延彦がPride1という大会で、ヒクソンにチャレンジした、格闘技ファン待望の東京ドーム。プロレスファンの夢を乗せた高田を見たい夫と、93年のホイスを見て以来グレイシーファンになってしまった私は、珍しく揃って見に行きましたねえ。いやあ、興奮しました。結果は・・・ほとんど秒殺でヒクソンの圧勝。高田は4年後Pride4でヒクソンに再挑戦しましたが、少し粘ったものの、やはり敗退に終わりました。グレイシー柔術にプロレスは勝てない・・・そんな沈鬱な雰囲気が漂っていた2000年5月、Pride Grand prixという大きな大会で、夢破れた高田に、91年のUインター旗揚げの頃からずっとついてきた道場門下生、あのVSヒクソンに惨敗した高田をあの日セコンドとして見ていた桜庭和志というプロレス選手が、あの、私を魅了したホイスに挑戦することになったのです。



   
Copyright 2002 Clube da bossa All Rights Reserved.