<2002/8/16>

「私とブラジルの出会い 4/4」  (2002.8.15 Sumiko)

試合が始まって両者とも引かないどころかすごい技の掛け合い。お互いものすごく体が柔らかく、前屈で床に手がつかない私には信じられないような、しなやかな技の連続。格闘技など分からない人が見ても、思わず息を呑んで見とれるような芸術的な試合だったと思います。彼らの場合、互いにグレイシー界、プロレス界を背負っており(文字通りプライドを賭けての出場)、手を抜くなんてこと一切なし。試合は1時間半にも及びましたが、内容が内容だけにboringだとか飽きるなんてことありません。途中桜場がお得意のお笑い芸など見せもしましたが、大いに真剣勝負。終始緊張していて会場も大盛り上がり、歴史的な大試合となりました。終盤は、ホイスの腕がもう折れそうなくらい(ほんとに!)桜庭によって曲げられています。でも、ホイスは全くギブアップする気配はありません。

白髪のお父さんのエリオ・グレイシーが画面に映し出されたのですが、わなわな震えているというか血の気を失っていて、ほとんど失神しそうな表情をしています。いつも自信たっぷりの彼があんな不安気な表情を見せ、妙な驚きと一抹の哀れさを感じましたねえ。ああ、あんなに強いホイスの腕がほんとに折れそうです。でも、お父さんとは逆に、ホイスは表情一つ変えません。93年、ホイスが語った「僕はグレイシーのためなら死ねる。」・・・この言葉が思い出され、私は泣きそうになりました。うう・・・。でももう、これ以上試合を続けるのは無理でしょう、誰か止めて!と心の中で叫んだ瞬間、グレイシー側から降参を表すタオルが長兄のホリオン・グレイシーからリングに投げられました。UFCで弟ホイスが優勝するのを誇らしげに見ていた、あのお兄さん。あの時の、全てをグレイシー柔術に賭けている一族皆の敗北感、悔しさといったら我々の想像をはるかに超えたものがあったでしょう。(しかし試合後、一族は一言たりとも負けを認めていないっていうんですから、大した意地っぱりですねえ。さすが、っていうか子供みたい?(^^;))

最近ふと思ったんですけれど、ギタリストとしてのフェリーペ氏に、グレイシー格闘家と重なるものを感じますねえ。チボリ公演でのアルゼンティナ、カルロスとの共演しかり、岡山ジャズフェスでのジャズメンとの共演しかり。ウクレレに打楽器。実にグレイシー格闘家の鍛錬の仕方と共通するものがあるんです。

エリオお父さんがグレイシー柔術を「ジ・アート・オブ・セルフディフェンス」「我々は自分達の流派がベストであると自慢するために闘っているのではない。我々が求めているのは、格闘のエッセンス(本質)」と以前述べたことがありますが、ジュージュツはただの護身術ではない、芸術まで高められた術だというんです。そしてそれは、普段の稽古の中で、いかなる格闘者とも闘える訓練を意識しながら技を磨いていくことで会得していくんですね。他流試合というのは、そのものが目的ではなく、自分達の足りない部分を補うために必要。他流試合は、パンチもあればキックもあるバーリトゥード(何でもあり)なので、グレイシーの技も一つ一つが正確でなければいけません。また、技が単調でもいけませんよね。肝心なのは、グレイシーは基本が護身術なので、自分は傷つかないのが大前提。(実は相手も傷つけない。これがいいんだなあ。)とっても高度な技を追及し、自身の中でアンサンブルの妙を作り上げることこそが、「ジ・アート」なんじゃないでしょうか。私はですねえ、フェリーペさんの近年のコンサート活動ぶりを知るにつけ、そして1曲の中でギターや打楽器を実に無駄なく、流れるように持ち替えてはメリハリのある演奏をしている様子を見るにつけ、思うわけです。

フェリーペ氏こそはギター界のグレイシー格闘家だ!!
(いやぁー、この一言がいたかったりして?長々と失礼しました。(^^;))




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