渋谷区――某所。
「クックックッ……見るがいい……ついに裁きの刻が来たんだ」
 一人の男がビルの上から街を見下ろし、呟いた。黒い長髪、黒のコート。漆黒を身に纏うも、その格好とは対照的な蒼白い顔をした、少年とも言える若い男。
「これで、分かる……僕たち――人間の犯した罪の重さが」
 その声には嘲りが含まれていた。彼の視線の先には、地震によって混乱が見え始めた地上がある。驚き、慌て、恐れを抱いているであろう人々に向けていた冷たい目を上げ、遠方を見やる少年。
「見せてもらうよ、緋勇くん。君たちが信じるこの東京まちがどうなるのかを――」
 再度呟いた言葉は、強いビル風に吹き散らされた。



 墨田区――某所。
 読んでいた本から、少年は顔を上げた。日の下に出ていないのではと思わせる程に白い肌をした、どう控えめに見てもひ弱そうな、しかし目には確かな意志を宿した少年。
 席を立つと、少年は窓際へと近寄ってカーテンを開けた。先程から繰り返し起こる弱い揺れが、窓ガラスをカタカタと鳴らす。
「もうすぐ、戦いが始まる。つらく、苦しい戦いが……」
 外の闇を見つめながら、独り言ちる。
「緋勇くん……君は、勝つ事ができるのかい? 自分の心に負けずに――」
 胸元で拳を握り、何かに祈るように少年は目を閉じた。



 新宿区中央公園。
「おっとっと……ひっく。ちっ、おちおち酒も飲めやしねぇ。危うくこぼれるところだったわ」
 派手な格好をした老人は、そう愚痴りながら手にした猪口をあおった。
 ふう、と息を吐くともう一方の手にあった徳利を傾け、猪口を満たす。そしてそれを口に運びかけて、手を止めた。
「……柳生よ……人が、龍脈の力を得ようなどとはおこがましいとは思わねぇか」
 呟き、老人は視線を彷徨わせる。その先に何があるわけでもないが、そこに誰かがいるかのように、言葉を続ける。
「大地の力は、人の手に入らぬからこそ価値がある。おめぇが、今まで求めてきたものの答えを、しかと見届けるがいい。長き刻の中を生きてきたおめぇが正しいのかを……な」
 皮肉げに口端を歪め、老人はゆっくりと酒を含んだ。



 桜ヶ丘中央病院ロビー。
 一人の女性がそこにはいた。女性と呼ぶには抵抗がある体格をした女医だ。
 時折、看護婦達が慌ただしく傍を駆けていく。夜であり、地震が起きている今の状況は患者達を不安にさせる。そのケアのために走り回っているのだ。
「この震動は……それに、この《氣》の乱れ……あの時と同じだね」
 ロビーから外を見やりながら、女医は顔を歪めた。何か嫌なことでも思い出したのだろう。声は暗く、重い。
「緋勇――死ぬんじゃないよ」
 その体格に見合う、大きく重たい溜息をつくと、女医は踵を返して看護婦達への指示を再開した。



 龍山邸。
 竹林に囲まれた庵の扉が、音を立てて開く。中から姿を見せたのは、白く長い顎髭をした老人だった。
「いよいよ、始まりおったか。柳生め……」
 空に懸かる月を見上げると、老人は厳しい表情で首を動かした。その先には誰もいない。何もない。ただ、見えずともその先に何があるのかは分かっているようであった。
「弦麻よ……あの若者達の行く手を照らしてやってくれ……お主の子供が、闇に迷わぬように――この東京の全てが、あの若者達の肩にかかっておるのじゃ」
 再度月を見上げると、老人は祈りの言葉を漏らした。



 都内――山手線内。
 地震によって緊急停止した電車内。不測の事態に狼狽える乗客達。揺れの大きさも頻度もかなりのもので、彼らの中の何人かの脳裏には関東大震災の再来という言葉でも浮かんだことだろう。
「しっかし……これからどうしたもんかな」
 そんな中で、慌てた様子はないが困ったような口調で、一人が呟いた。
 黒い長髪を後ろで束ねた女性。黒のシャツに黒革のパンツ。その上から着た小豆色のロングコートは袖が肘辺りまでめくってあり、肘から先は包帯かサラシのようなものが巻かれている。肩には小さなリュックを背負っていた。
「この調子じゃ、復旧するまでに時間が掛かりそうだぜ?」
「そうね……どうしようかしら」
 隣の女性に顔を向けると、そちらも困ったように、眉間に皺を寄せる。
 こちらも黒髪だが、セミロング。赤のセーターに濃紺のロングスカート。羽織っているのは黒いトンビだが、前を合わせていない上にケープ部分が妙に長く、マントのようにも見える。手には布を巻いた背丈以上の長物を持っていた。先端部分はやや膨らんでいる。
 小さな揺れがほとんど絶えることなく続き、時折大きな揺れが起こる。たとえ走り出したところで、大きな揺れが起こればその度に停車するだろう。この状態では、列車はただの箱と変わらない。
「ここから何駅あるのかしら?」
「さあ。でも、線路沿いに進めば、目的地には着くよな」
「そうね……仕方ないわ、途中下車しましょう」
 セミロングの女性は、あっさりとそう言い、ドアに手を掛けると
「よい――しょ、っと」
 さして力を込めたようには見えなかったが、緊急時用のレバーすら使わず、ドアをこじ開けてしまった。
「さ、行きましょ」
「おう」
 二人の女性は電車から線路へと降り、そのまま本来電車が進むべきだった方角へと走っていく。それも、かなりの速さで。
 目の前で起こったにもかかわらず、その場にいた乗客達は、先の出来事を認識するまでにかなりの時間を必要とした。



 上野。
 駅を見下ろす高台にある西郷隆盛の像。その脇、上野公園へと続く階段の下に人だかりがあった。別段、ここに人がいるのは珍しいことではないが、その周囲以外には人の姿はない。どういうわけか、車や人々が行き交う喧噪は微塵もなく、ネオンや看板が発する光すらなかった。ただ、街灯と信号機の明かりだけが闇の中に浮かんでいる。
 そんな中で、もし他に通行人がいたら、その一団を見て怪訝な表情を浮かべたことだろう。いや、ひょっとしたら警察に通報したかも知れない。それだけ、異様だったのだ。
 それらの不審者達は、それぞれ数名の集団を形成していた。
 袱紗に似た棒状の袋を持っている、赤みがかった髪の少年は、歴史ドラマの足軽が着るような鎧を身につけ、腰には刀と脇差しを差していた。隣にいる巨漢は学生服姿。ただ、その足には豪華な意匠を凝らした白い足甲を履いている。その側にいる短髪の少女は既に弦を張っている弓を持ち、矢筒を背負っていた。
 そこから少し離れた所に、暴走族の特攻服にも似た、どこか衣装のようにも見える服を着た、槍を手にした逆立つ金髪の少年。向かいに同じく金髪の、革ジャンを着た外人の少年がいるが、その腰には西部劇のガンマンが吊すようなホルスターがあり、二丁の銃を提げていた。その傍らには、やはり金髪の、赤いジャンバーと、紺のジーンズを着た少女。腰のあたりに提げた鳥の姿を模した赤い鈴が、少女が動くたびに涼やかな音を立てる。
 身体のラインがはっきりと分かる黒のレザースーツを着た少女は、腰に鞭をぶら下げており、ナース姿の少女、そして制服姿の少女と話をしていた。
 巫女の姿をした少女が二人。一人は薙刀を持って力たすき、もう一人は弓を携え胸当てをしている。そこから少し離れた所では、黒いフード付きのマントを纏った少女が何やら本を読んでいた。その傍には付き従うように四つのフード姿があり、大きな木製の箱を囲んでいる。
 空手着を着た男は腕を組んでじっと目を閉じ、その側で私服姿の三人の男女が落ちつきなく体を動かしている。
 白を基調とした、平安時代の貴族のような姿をした長髪の少年は、傍らに着物姿の美女を従えている。それと向き合うように、白い学生服を着た、一見するとカタギに見えない男が立っていた。
 それぞれ小さな群れに分かれているが、そこにいる者達の目的は、たった一つ。

 その小さなグループの一つ、金髪ばかりが集まった所にいた雨紋は会話を止め、駅の方を振り返る。聞こえたのだ。本来、この時間でも周囲に満ちているはずの、自動車の音を。
「……来たな」
 この周辺は、現在交通量がゼロである。それは特殊な要因があるからだが、それをものともせずに通ることができる者は限られる。しかも、聞こえてくるのは雨紋が知っているバイクのエンジン音だった。それも当然である。つい先日まで乗っていたのだから。
 導かれる結論はただ一つ。
 闇の中、光点が目に入った。それは音と共に近付いてくる。光の向こうに映るシルエットは、やはり自分のよく知る物であり、よく知る者だった。
「ごめん、遅れた」
 危なげなくブレーキをかけて停車したバイクに跨っていたのは、間違いなく緋勇龍麻だった。

「葵、着いたよ」
 未だに背中にしがみついている同乗者に、龍麻は声をかけた。聞こえているのかいないのか、自分の身体に巻き付いた腕と、肩に触れている頭が離れる様子はない。それはそれで龍麻にとっても得した気分には違いなかったが、いつまでもこのままでいると、からかいの種になる。
「亜里沙や小蒔さんに冷やかされたくなかったら、降りようね」
 それでようやく、葵は離れた。のろのろとバイクを降り、のろのろとヘルメットを脱ぐ。その下にあったのは、若干蒼ざめた顔。
「もしかして酔った?」
「い、いいえ……ただ、少し恐かったから……ジェットコースターよりスリルがあったわ……」
 非難めいた視線を向けてくる葵に、龍麻は苦笑するしかない。実際、恐かったのは自分も同じなのだから。
「よっ、龍麻サン。地震の中を単車で、しかもタンデムで来るなンて、勇気があるねぇ」
「うん、自分でも驚いてる」
 バイクというものは、これで結構気を遣う乗り物だ。ちょっとした風で車体は揺れるし、ほんの僅かな段差のせいで転倒することもある。一人で乗っていてもそうなのだから、これがタンデムとなると運転も大変なのである。ましてや今は夜で、しかも地震の真っ直中なのだ。同じバイク乗りの雨紋には、龍麻の苦労が分かったらしい。
「やっぱりアレかい? 美里サンがしがみつくように乱暴な運転をしたとか」
 が、状況が状況である。そちらには触れず、金髪のバンドマンは冗談の方を選択したようだ。
「そうそう。おかげでたっぷりと楽しめた――って、何でやねん」
 にやけている雨紋の肩を龍麻は手の甲側で叩く。
「そんな余裕はないよ。乗り方は最初にきちんと指導したんだけど、あれだけ揺れちゃ、恐くなるのも無理ないよ。こっちだって気が抜けないし。まあ、それはともかく、みんなは?」
「とりあえず、全員集合してるぜ。霧島達が準備中で、後は号令を待つばかりだ」
「分かった。それじゃ、僕達も準備しよう」
 バイクのキーを抜くと、龍麻は葵を伴って如月達のいる場所へ向かった。こちらに気付いた仲間達は、軽く手を挙げたり挨拶したりして、そのまま後ろへ続く。自分が到着したことで、周囲の空気が変わっていくのが分かった。龍麻には馴染みのある空気――例えて言うなら旧校舎で妖魔と刃を交える前の雰囲気。戦闘に臨む直前の空気だ。
「ようやくお出ましか、龍麻」
 道路脇に停車していた一台の大型トレーラーの助手席側窓から、見知った顔が出てくる。仲間の一人、壬生だ。今回の決戦に必要な物資を運んでもらったのである――免許がどうとかいう話は、この際無視だ。
「ちょっと野暮用でね。そっちは準備済んだ?」
「ああ。他の連中の準備ももうじき終わる。君も早く済ませるといい」
「そうする。翡翠――!」
 姿の見えない仲間に声をかける。ややして、漆黒に白が混じった忍装束に身を包んだ如月が、荷台側から荷物を持ってやって来た。
「どんな具合?」
「こちらの仕込みは問題ない。ただ、僕は君の義姉が分からなくなったよ」
 荷物をこちらに放り投げる如月。ずしりと確かな手応えと共にそれを受け取ると、如月は肩をすくめた。
「是非、どうやってそれを作ったのか訊きたいものだね」
「蔵にあったのを引きずり出して、仕込んだだけだって言ってたけど。まさか一から作れる訳ないって」
 裂傷が目立つ革ジャンを脱ぎ捨て、下に着ていたシャツも脱ぎ、上半身裸になると、龍麻は荷物の風呂敷をほどいた。
 中にあったのは一着の道着のようなものだった。色は黒で袖はない。背中には太極図に絡みつく金色の龍が刺繍されている。重みを確かめるように手を動かすと、僅かにじゃらっという金属が擦れ合うような音がする。義姉の香澄が作ったこの道着には、どういうわけだか鎖帷子が仕込まれていた。それに如月が護符を仕込むなどの手を加えてある。かつて九角との戦いにおいて龍麻を致命傷から救った物の再現――あの頃の物よりも強度は格段に上だ。それでも柳生の剣をどこまで防げるのかは分からないが、無いよりは絶対にいい。
 道着を着ると、オリハルコン製の苦無《四神》を納めたホルスターと、ポーチを通した帯を、腰に巻き付ける。ポーチにはマリアと犬神からもらった物をしまっておいた。
 身支度を確認して、龍麻は階段を数段上がると、振り返った。仲間達がこちらを見上げている。
「何だか、仮装パーティーでもするのかって感じだね」
 そんなことを口にしてしまう。皆から苦笑が漏れた。しかし決戦に臨む以上、装備の充実は絶対必要である。どうせ人目はないのだ。格好を気にすることもない。これが普段の事件との違いだ。
 そうしている内に、準備の途中だったメンバーも顔を出した。
 霧島は金属製の胸甲と、左腕には盾を。舞園は私服であったがその上から着物のような物を纏って、首からは勾玉の首飾りを提げている。劉は黄色い道士服と剣。壬生は黒革製のツナギのような戦闘服だ。葵は見た目変わりないが、首から古代の鏡のようなものを提げている。
「さて、揃ったね……って」
 ふと龍麻は違和感に気付いた。何かがおかしい。その正体を確かめようと視線を動かして
「……どうしたわけ、その格好?」
 と、大宇宙おおぞらの三人に問うた。自然、他の仲間達の目もそちらへ集中する。
 彼らは私服だった。いつもの格好ではない。紅井は紅井であり、コスモレッドではなかった。他の者も同様だ。
「え、っと。本郷さんにはすぐに参戦できるように、って伝えたはずだけど……」
「ああ、聞いたよ。でも、問題ないさ」
 髪をかき上げる黒崎。
「そうとも。俺っちたちは、生まれ変わったんだ」
 腕を組み、うんうんと頷く紅井。
「ええ。真のヒーローへとね」
 こちらも、笑みをたたえる本郷。
 何を言っているのか。どうしてコスモの格好をしていないのか。理解できない。ただ、仲間達の中で様子がおかしい者がいた。一人は如月。彼らの異常を気にすることなく見ている。一人は裏密。何かを知っているようで、いつもの不気味な笑顔。そしてマリィ。何故かその瞳を輝かせていた――期待、だろうか?
「まぁ、見てなって」
 言いつつ、紅井は皆から少し離れた。黒崎と本郷もそれに続く。三人がこちらを向き、腕を顔の前辺りまで持ち上げた。
 そこで、気付く。彼らの腕には見慣れない物があった。腕時計、ではない。どちらかというと、特撮のヒーロー達が着けているような、いわゆる変身に必要なアイテムっぽい。まあ、彼ららしいと言えばらしいのだが、それを見るのは初めてだった。
 ただ、何となく想像がついてしまった。彼ら三人の特性。無反応の如月。不気味な裏密。そこにマリィが加われば――
「「「変身っ!」」」
 掛け声と共に『それ』は起こった。
 三人の身体が光に包まれる。彼らの姿は光の塊になり、そのシルエットが若干変わった。そして、光が消えたそこにいたのは、紛れもなく、彼らを彼らたらしめる姿。
「この世に悪がある限り!」
 バットを背にした赤スーツ。
「正義の祈りが我を呼ぶ!」
 サッカーボールを手にした黒スーツ。
「三つの心、正義のために!」
 新体操のリボンを手にした桃スーツ。
「「「大宇宙戦隊、コスモレンジャー!」」」
 最後にはポーズを決め、そろって叫ぶ。これで、背後に爆発が起こればまさしく、といった感じだが、それはなかった。
 仲間達の目は点になっている。まさかこの場で、本当に変身してしまうとは思えるはずがない。ただ、アランと劉はマリィと一緒に拍手などしていたが。
「で……これはどういうわけ?」
 場を動かすべく、龍麻は訊ねる。
「見てのとおりだぜ。いやぁ、正直大助かりなんだ。なにせ、今まで通りだと着替えるのに時間がかかったしな」
「あぁ。それに、見廻り時はいいとして、目立つんだ。やっぱりヒーローは、ここぞという時にこそ変身するものだろ」
「そこで、裏密さんが協力してくれたのよ。装備品を封じておくアイテムがあるって事で、それを改良したの」
 熱く語るコスモの三人。やはり出所は裏密だった。後はそれを衣装担当の本郷が彼ら好みにカスタマイズしたのだろう。核となる部分さえしっかりしていれば、外側はどうでもいいようだ。
「ミサちゃん。そのアイテムって、まだあるの?」
「あるわよ〜。ひーちゃんが考えてることは解るわ〜」
 訊ねると、裏密はニヤリと笑う。
 京一は刀を袱紗に入れて持ち歩いているが、雨紋の槍や小蒔の弓などは、結構かさばる物である。それにいざ警察に職質などされた日には、弓はともかく刃のついた武器は言い訳ができない。それがどうにかできるなら、銃刀法違反組は大手を振って武器を(密かに)携帯できるのである。
「まあ、それはこの後の話だけど……ところで翡翠はどんな協力をしたわけ?」
 最後の一人、事情を知っていたであろう如月に訊ねる龍麻。
「いや、実は倉の整理をしていた時に、ある物が見つかってね。木の箱があって、その中には一冊の書物と、緑色の忍装束が入っていたんだ」
 何故かそれを聞いた瞬間、嫌な予感がしたが、気のせいだと思うことにして話を聞く。
「で、書物の方なんだが、それによるとその忍装束は、要所のつぼを刺激して身体を活性化させることができる造りで、それに加えて特殊な波動を出して潜在能力を引き出す効果があるというマスクもついていた。それによって身体能力を引き上げるそうだ。ちょうどそれを調べていた時に彼らが店にやって来てね。彼らのスーツに転用できそうだという話になり、製作に協力したわけだ」
 《力》なしである程度の能力強化が望めるのならば、コスモは龍麻が認識している以上に強くなっていることになる。しかもそれは、彼らの趣味にぴったりのシロモノである。精神的な面でも彼らにゆとりと自信を与えたのではないだろうか。
「まあ、生まれ変わった俺っちたちのことは心配しなくていいぜ、司令!」
「初の実戦、ようやく出番が来たんだ。張り切っていきたいところだが」
「以前より強化ができてるのは確かだけど、実際、これで旧校舎には潜ってないから、今まで通り、様子を見ながらやっていくわ」
 しかもそれで突っ走るようなこともなさそうである。慎重な三人がある意味頼もしく思える。彼らを心配する必要はなさそうだ。
「ん。よし、それじゃあ始めようか」
 一度頷いて、龍麻は改めて皆を見た。ある者は不敵な面構え、ある者は緊張した面持ち。微妙な差はあれど、全員が龍麻の次の言葉を待っている。
「事態はあまりいいとは言えない。すでに《龍命の塔》は起動し、龍脈から吸い上げられた《力》はいつ寛永寺にいる《器》に注がれるのか分からない状況。普通ならここで諦めが入るのかも知れないけど……あいにくと僕らは普通じゃない」
 肩をすくめながら言うと、仲間の何人かが吹き出すのが聞こえた。
「今までだって、散々危険な目には遭ってきた。今回だって、まだ最悪じゃない。可能性がある限り、僕達は諦めることはない。最後の最後まで足掻く」
 たいして喋ってるわけでもないのに口の中が乾く。唾を飲み込み、続ける。
「決して楽に勝てる相手じゃない。でも、みんな思い浮かべて欲しい。自分が戦う理由を。そして護りたいものを。苦しい時、つらい時、それはきっと、みんなの力になってくれると思うから」
 一度言葉を切って、仲間を見やった。目を閉じている者、傍にいる者と視線を交わす者、そして、決意に満ちた目をこちらへと向けてくる者と様々だ。
 それを確認し、龍麻はもう一度頷いて見せた。
「じゃあ、これからのことを説明するよ。これから寛永寺に向かうわけだけど、もちろん向こうも手勢を出してくると思う。それと接触した時点でこちらは二手に分かれる」
「何でだ? 全員で攻め込めばいいじゃねぇか」
 雨紋が首を傾げた。他の仲間達も数名が、怪訝な表情を浮かべる。これから決戦だというのに、わざわざ部隊を分ける必要はない。雨紋の言ったとおり、全員で戦えばいい、そう考えているのだろう。
「残念ながらそれは無理。何故なら、柳生の戦力が不明だから」
 相手の数、強さが分かっていて、しかも柳生が同じ戦場にいるというならそれでもいい。だが、柳生は寛永寺に辿り着くまでに必ず仕掛けてくる。ならば、それにいつまでも関わっているわけにはいかないのだ。
「どこで打ち止めになるか分からない敵をいつまでも相手にしている暇はない。この戦は、柳生に龍脈の《力》を取られた時点で僕らの敗北だ。だから、僕達がすべきことは、第一に《器》を止めること。その次が、柳生を斃すこと」
「だな。柳生の目的が龍脈を制することである以上、《器》さえ仕留めちまえば、柳生の野望は一時的とは言え断たれる。逃がしたくはねぇが、状況をこれ以上悪化させないためにも、優先すべきは《器》だろ」
 龍麻の言葉を継ぐように、京一が言った。なるほど、とある者は納得し、ある者は京一の発言に驚きを隠せないようだ。意外といえば意外な言葉だったので、無理もない。
「まあ、そういうわけだから。それに、寛永寺自体、そんなに広くはないんだ。等々力に比べれば広いんだけど、それでも仲間全員が思いきり戦えるだけの広さはない。柳生の兵隊もいるだろうし、すし詰め状態にでもなったら、柳生の方が有利になるしね」
 いざとなれば、味方もろとも攻撃するくらいはするだろう。それに、支援系の仲間は鬼剄の一つでも食らったらお陀仏だ。嫌な言い方だが気を回す対象は少ない方がいい。
「接触したら、寛永寺へ向かう本隊と、そこまでの道を開きかつ追撃の兵隊を繋ぎ止める別隊に分かれる。本隊のメンバーは、まず、回復・補給担当の葵さん。前衛担当は京一、雄矢、翡翠。後衛担当は小蒔さん、アラン、マリィ」
 分かるものには分かる。最古参の真神組と四神の組み合わせだ。考えた末に、龍麻はこのメンバーを選んだ。回復役は必須であり、仲間の中でそれができ、なおかつ補給役ができるのは葵しかいない。前衛にしても柳生の剣を相手にするなら剣士がいた方がいいし、遠距離支援ができる者も必要だろう。四神を全員加えたのにも考えがあってのこと。
 いずれにせよ、仲間内でも上位の実力者達である。選ばれなくて残念そうな者もいるが、異を唱える者はいなかった。
「別隊の方は前衛組の指揮を紅葉に、後衛組の指揮を晴明に任せる。総指揮は晴明だからよろしく」
 こちらも反対する者はいない。残った前衛組の中で広い視点を持つ者は壬生だけであるし、術者の指揮など御門以外にはできないだろう。特に、敵を引きつけるための戦いである以上、指揮はどうしても守勢になる。そういう戦いに慣れている御門が最適なのだ。それに、無駄に終わったとは言え、桜ヶ丘で采配を振るった身だ。新参ではあるが今では仲間達も彼を信頼している。
「ですが、龍麻さん」
 その御門が、問いを投げた。
「我々が敵を引きつけるのはいいとして、あなたが言ったとおり、敵の戦力は未知数です。その全てをこちらで引きつけることができるとは思えません。下手をすれば、寛永寺まで辿り着くことすらできないかも知れませんが?」
「ああ、それは大丈夫。柳生は僕が出向くことに関しては絶対に阻止しないから」
 龍麻は言い切った。ただし、説明もしなかった。御門はしばらくこちらを見ていたが、息をつくと扇子をぱちりと鳴らす。
「まあ、あなたがそう言うのならそうなのでしょう。分かりました。これ以上は何も言いませんので、あなたはこちらのことは欠片も気にすることなく寛永寺に向かってください」
「そうさせてもらうよ。柳生さえ斃せれば、向こうの兵隊もどうにかできると思うし」
 向こうに柳生以外の人間がいるとも考えにくい。いたとしても、奴に心酔している者や忠誠を誓うような者はいないだろう。敵の兵隊が人間であれそれ以外のモノであれ、頭を叩けば終わりだ。
「さて、と。それじゃこちらの兵隊の準備を頼むよ」
 こちらの準備もあと少し。敵の数に対抗するべく、こちらも数を出すだけだ。
 御門がまず頷いて、仲間達から外れる。両手を袖の下に入れ、何やら取り出した。人の形をした紙の束。式神の依代になる呪符だ。
 それを御門は放り投げた。紙吹雪のように宙を舞う人形ひとかた。そのただ中で、御門は呪を紡ぐ。呟くような声量で良くは聞こえないが、式神召喚の呪には違いない。
 符が、蒼く輝いた。一つ一つの人形が、次第に大きくなっていく。薄っぺらだったそれらは質感を増しながら、動きを不規則なものから変化させる。光は次々と、整列するように並び、消えた時には確かな存在としてそこに在った。
 一言で表すならば、古風。京一が着ているものよりも時代をさかのぼった鎧を身に着け、手には弓、腰には刀、背には矢筒。頭は兜ではなく、冠。ただ、その顔は無貌。のっぺりとした、何の凹凸もない面のような顔がそこにはある。
「人型の方が便利がいいかと思いましてね。まあ、これなら鬼たちにも十分対抗できるでしょう。さて、それでは次ですが」
「うふふ〜、それじゃあ、あたしの番ね〜」
 いつもの如く扇子で口元を隠しながら説明すると、御門は目だけを裏密に向ける。ニヤリと笑い、裏密が進み出た。ローブの下から袋を取り出すと、その中にあった物を掴み取り、地面にばら撒いていく。それは牙。奇妙な刻印を施された何かの牙だ。
「軍神の従者、泉を守護せし黒き毒竜〜、神秘の宿りしその牙よ〜。知恵と戦いの女神に導かれ、生まれ出でし『蒔かれし者』スパルトイよ〜。ここに在りしは仮初めの〜、真にあらざる種なれど〜、我が《力》と呪刻によって〜、その雄々しき姿を現したまえ〜」
 牙が、紅く輝いた。一つ一つの牙が、次第に大きくなっていく。それは途中で元の形を無視し、質量すら無視して膨れ上がった。そして、先の御門の符と同じく人の形を成す。ただ、決定的に違う点がある。御門の式神は、顔がないことを除けば人間と大差なかったが、裏密のそれは、決して人間とは呼べない。手に剣を持っているのはいい。西洋鎧を着ているのもいい。盾を持っているのも構わない。ただ――鎧の下は骨だった。裏密が喚び出したのは、武装した骸骨兵士だったのだ。
 ほとんどの仲間が硬直してしまっている中、龍麻はゆっくりと息を吐いた。何を出すのか知っていたとはいえ、これだけの数が揃うと圧倒される。
「これが本物ならよかったんだけどね〜。残念ながら、旧校舎の紛い物の竜じゃ〜、これが精一杯だわ〜。それでも並の鬼なら十分相手にできるはずよ〜。予備の牙も準備してあるから〜、数が減ったらいくらかは補充がきくわ〜」
 やや不満げに、しかし誇らしげに、裏密は言った。
「さて、と。この兵力をどう配置するかだけど」
「ふむ。裏密さんの兵の方が、命令の融通は利きそうですね。となると、前衛は私の式神を出すとしましょうか」
「そうだね。ミサちゃんのもう一つの役割のこともあるし、その辺は晴明に任せるよ」
「ええ。まあ、矢がある内は裏密さんの兵に壁を担ってもらいましょう」
 異形の兵を見ながら、龍麻は御門と話を詰める。仲間達はようやく再起動を果たしたのか、ざわめき始めた。
「う、裏密……一つ聞きたいんだが」
 そんな中、京一が恐る恐るといった風で声を上げた。
「まさか、そこの箱に入ってんのは、みんなさっきの牙のような物なのか?」
 京一の視線の先には、裏密が用意していた木箱がある。箱の中身が全部牙だとして、それが全て兵士と化したならば、完全に闇の軍団のできあがりである。この場で体裁を気にする余裕はないのだが、やはり抵抗はあるのだろう。
 しかし裏密は首を横に振るとニヤリと笑った。硬直する京一以下数名。
「こっちは別物よ〜。そうね〜、今度はこっちのお披露目をしようかしら〜」
 とても嬉しそうに言うと、裏密は箱に呼びかけた。
「出ておいで〜」
 刹那、木箱は砕けた。がちゃりと金属特有の音を響かせて、箱の中から大きな影が出現する。コスモの変身、御門の式神、裏密の骸骨兵と驚きの連続だったが、ここでもやはり、仲間達は驚駭に支配された。
 現れたのは、身長が二メートルを超える黒の西洋鎧だった。明らかに人間サイズではなく、人が着て動けるような重量でもない。ただそれはしっかりと大地に両足をつき、立っていた。各所にスパイクが突き出ていて、接触するだけで相手を傷つけることができるようになっている。右手には巨大な戦斧を持ち、左腕にはスパイクとブレードがついたラージシールド。兜の奥には見慣れた紅い光が浮かんでいる。
「な、なななななんだこりゃあっ!?」
 京一の叫びは、皆の心を代弁したものだったろう。式神にしろ骸骨兵にしろ『普通』ではないが、今度のは極めつけだ。その型破りな姿に気圧されたのもあるであろうが何よりも。
「裏密様、これはどういうことです?」
 雛乃が、目の前の鎧を明らかに警戒しながら問うた。
「何故、この鎧から龍麻さんの《氣》が発せられているのですか?」
「それも、ここまで激しい《陰氣》を、だ」
 紫暮も厳しい顔で、異形を睨む。それに気付いた者も同様だ。
 龍麻の《陰氣》というのは、仲間達にとっては忌むべきものである。正確には、そのようなものを発するに至った龍麻が脅威であり、また本人を危険に陥らせるから、だが。そんなものを発するこれを容認できないのだろう。
 裏密は涼しい顔で、鎧の胴に手をやり、言った。
「この場にいる人は〜、一人を除いてこれを知ってるはずよ〜。つい先日、桜ヶ丘でみんな〜が感じたものだもの〜」
 あの時、裏密は病院内の《陰氣》を浄化する役目を担った。ところが《陰氣》を魔具に吸収したまではよかったのだが、問題はそれの後始末。壊すと《陰氣》を開放することになるから論外。かと言っておいそれと捨てるわけにもいかない。どうしたものかと考えた挙げ句、落ち着いたのが戦力として再利用しようという案だったのだ。
「これはね〜、あの時のひーちゃんが発した《陰氣》を《力》の源にして動いてるの〜。本当なら〜、素材も十分に吟味して〜、長い時間をかけて完璧な物にしたかったんだけど〜、時間がないから〜このレベルに落ち着いたんだけどね〜」
 魔繰鎧リビング・メイルじゃなくて魔道機像ゴーレムを造りたかったわ〜、とやや残念そうな魔女。とは言いつつ、この戦いで無事にこれが生き残れば、解体して造り直すらしい。
「まあ、強度も申し分ないし。竜牙兵よりも強いから、十分戦力になるよ。さて、それじゃ小蒔さんと雛乃さんは前に」
 龍麻は弓兵を呼んだ。顔を見合わせながらも進み出る小蒔と雛乃。その二人に、傍にやって来た如月がある物を渡した。それを見て二人は再度顔を見合わせ、こちらを見る。龍麻は何も言わずに右手を掲げ、人差し指を階段の奥へ向けた。如月が二人に渡した物。それは古の戦場において、戦の始まりを告げる音を奏でた矢――鏑矢であった。
 小蒔と雛乃は力強く頷くと、愛用の弓を構え、鏑矢を番えた。階段の先、人の気配のない上野公園へ向けて弦を引き絞り、放つ。甲高い音が夜気を切り裂いた。夜の喧噪が消えてしまったこの地では、それはよりはっきりと、遠くへと届く。ひょっとしたら寛永寺まで届いているかも知れない。
「なあ、ひーちゃんよ。わざわざ今から行くぞって教えてやる必要があったのか?」
「深い意味はないけどね。ただ、今まで散々後手に回ってたんだ。今回はこちらから行くから、首を洗って待ってろって意味を込めて」
 京一にそう答えて、龍麻は皆に背を向ける。目の前には階段。ここを上り、公園を抜けた先に、本当の敵はいる。
 ゆっくりと息を吸う。胸一杯に溜め込み、言葉と共に一気に吐き出す。
「出陣!」
 龍麻の命に従い、魔人達は進軍を開始した。



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