「や、休みの学校って、すっごくシーンとしてるよね。アン子……恐くないのかな?」
「えぇ……夜一人っきりだなんて、私だったらとても無理だわ……」
 真神学園の正門前。門扉の開かれたその前に立ち、小蒔と葵はそんな感想を漏らした。人気のない学校というのは、それだけ静かで、寂しい場所だ。外からでもそれが感じられる以上、中に入ればその感覚は一層増すことだろう。
「どーせアン子のことだから、ま、周りなんて気にもしてないよっ。でも、今日は首に縄つけてでも表に引っ張り出さなきゃねっ!」
 何故か大袈裟に身振りまで加えて、小蒔は続ける。無理に元気よく振る舞っているというか、場の空気を変えようとしているというか、そんな感じだ。
 何故彼女がそんなことをするのかと言うと――その理由は彼女達の後方数メートル先にあった。
 肩を落とし、俯いたまま何やらブツブツと呟いている、黒いロングコート姿の少年一人。緋勇龍麻である。
「ね、ねぇ、ひーちゃん……いい加減、機嫌直してよぉ」
 芙蓉の『御主人様発言』の後、問い詰められ、それの説明にかなりの時間(途中で色々と茶々が入った)と労力を必要とした龍麻。何とか誤解を解いたと思ったら、今度は別方向からの攻撃――もとい、口撃で散々からかわれた結果、拗ねてしまったのである。
「ああ、そうで……とも……あんな先祖の……引いてるんだ……どうせ僕もそんな人間ですよ……」
 ちらりと小蒔を見て、なおも呟く龍麻。小蒔の頬を、大粒の汗が伝った。
「あ、葵ぃ〜」
「大丈夫よ。別に怒ってるとかいうわけじゃないから。ただ、色々とショックだったみたいね」
 すがる小蒔にそう答える葵。しかし小蒔はそれで安心できなかったようだ。
「だって、ずっとこのままだよ!? 絶対怒ってる! きっと、今日の戦いが終わったら、みんなはごちそう振る舞われてる中で、ボクだけねこまんまとか出されるんだ〜!」
「小蒔……それなら一人じゃないわ。きっとメフィストも同じメニューよ」
 なだめるように葵は言うが、その台詞はフォローになっていなかった。
「そんなことないよ! 前回だってメフィストお刺身食べてたもん!」
 目尻に涙をためて、小蒔は叫ぶ。やれやれと葵は息を吐くと、なおも沈んでいる龍麻に声をかけた。
「龍麻くん。そろそろ許してあげたら? それに正月早々龍麻くんがそんなじゃ、アン子ちゃんや京一くん達に――何があったのか探られるわよ?」
 ぴたり、と龍麻は止まった。これ以上の追求は回避したいのだろう。一度大きくため息をつくと、龍麻はようやく顔を上げた。
「はぁ……もう何も考えないようにしよう……」
 浮かない顔ではあったが、とりあえずは元に戻る龍麻。
「で、小蒔さん」
「はっ、はいっ!」
 小蒔は畏まって姿勢を正した。顔色が悪く見えるのは気のせいではないだろう。龍麻の一言、一挙動に、過敏な反応を示している。
「一応、それなりに長い付き合いなんだから、もう少し信じてほしかったんだよね……最初からからかってたなら話は別だけど……妙な勘違いしてたでしょ? まあ、今回はもういいけど、今後こんなことあったら」
「あ、あったら……?」
「……まあ、いいや。その時はその時で」
 先を促す小蒔を無視して、龍麻は話を切り上げた。気になる部分を全く言わないあたり、彼も仕返しをしたい気分なのだろうか。
 もう一度、龍麻は大きく溜息をつく。
「さて、それじゃ行こうか」
 そして、校門を通り抜けようとしたところで
「おっはよー、龍麻!」
 意外な声が、飛び込んできた。見ると、制服姿の女子高生が一人こちらへと駆けてくる。
「愛と正義の使者、コスモピーンク……じゃ、なくてぇ、今は、本郷桃香なのよっ」
 正月早々ハイテンションである。まあ、大宇宙組はいつもハイテンションだが、ともかく練馬が本拠地の本郷が、ここにいる。
「なんだか、すごい所で会うね。真神に用でもあった?」
「別に用はないけど、何となく。龍麻に会えそうな気もしたし。っと、それはともかく。今日の新春ヒーローショー、必ず観に来てくれるわよねっ!?」
 ショーというのはコスモレンジャーのヒーローショーのことだ。花園神社で秋にもやっていた。今回は新春公演といったところか。そう考えると、本郷は花園へ行く途中で真神に立ち寄ったのだろう。
「うーん……行ければいいんだけどね。どうなるかは未定」
「えーっ!? 新年第一弾なのよ!? せっかく今回は生まれ変わったコスモレンジャーをお披露目しようと思ったのに!」
 言葉を濁す龍麻に、心底残念そうな本郷。しかし気になることを本郷は言った。「生まれ変わった」というやつだ。何やら新趣向があるらしい。
「気にならないと言えば嘘だけど……それより本郷さん、ショーの後はどういう予定になってる?」
「え? 一応、ショーの打ち上げと新年会をすることになってるけど?」
「そう……まあ、参加するのはいいけど、必ずコスモの三人はまとまって行動すること。そして、連絡があればすぐに参戦できるようにしておくこと。紅井と黒崎にも伝えといて」
 参戦、という言葉を聞いて、本郷は一瞬目を見開いた。しかしそれも一瞬。真剣な表情で姿勢を正すと、龍麻に敬礼をする。
「先の言葉、必ず伝えておきますっ! それじゃ、後ほどまたっ! 二人もまたねっ」
 葵と小蒔にも軽く挨拶をして、本郷はその場から駆け出した。どういう脚力なのか、すさまじい速度で走り抜け、あっという間に見えなくなってしまう。《力》で身体機能の強化をすれば今の芸当は可能だが、無意識にそれをやってしまっているであろうあたり、何やら気合いが入っている。
「本郷サン、どしたの……?」
「さっき龍麻くんが言ったことが嬉しかったのね」
 首を傾げる小蒔とは対照的に、葵は納得顔で本郷の消えた方を見ている。
「戦闘に参加させる、ってことは、戦力として認める、ってことだもの。今まで旧校舎で修行しかしてなかった本郷さん達には大変なことなんじゃないかしら」
「あ、そっか。そういう約束だったもんね」
 コスモの三人は、最初から《力》があることは分かっていたが、龍麻達が経験してきたような戦闘に耐えうるものではなかった。それ故に、仲間に加わってから一度も事件に同行したことはなく、ただひたすら訓練だけに励んできた。戦力になるまでは、実戦に出さない。そういう条件で彼らは仲間に加わったのだ。
 今回、龍麻は彼らの参戦を認めた。それは今まで以上に、大宇宙組を仲間として見るということになる。本郷はそれが嬉しかったのだろう。
「でも龍麻くん。本郷さん達、大丈夫かしら?」
 葵が不安げに訊ねる。
「実戦に耐えうる、だからこそ龍麻くんも許したんでしょうけど――」
「言いたいことは分かるよ。でも、時間がない」
 振り向いて、龍麻は校舎へ向かって歩きながら言った。
「今のコスモは貴重な戦力だ。最終決戦に兵を遊ばせるような余裕は僕らにはないし、それを補うだけの能力があるわけでもないからね。できることならもうワンクッション置きたかったんだけど……そう都合よく、彼らに自信をつけさせるような事件が起きるわけないし」
 一旦立ち止まり、龍麻は空を仰ぐ。いつの間にか空は曇り、陽の光を遮っていた。寒空と呼ぶに相応しい、黒い空。それは龍麻の言葉を言葉以上に重く感じさせる。
「だから、コスモには悪いけど、最初からハードな決戦に挑んでもらう」
 そして再び歩き出す。ぽつぽつと、冷たいものが落ちてきたのは、その数瞬後だった。


 校舎内は静まり返っていた。学校が休みである以上、そこに人の気配はなく、物音すら生じる事はない。普段の人がいる状況しか知らない者にとっては、この静寂は不安を誘うものであろう。
「さすがに静かね……」
「やっぱり不気味〜。アン子のヤツ、よく一人で平気だなぁ……」
 三階の廊下を歩きながら、女性陣はそんな言葉を漏らした。龍麻にしてみれば何度か経験があるので、そういった感覚はない。それに龍麻には、人の気配は感じずとも「それ以外の気配」は感じ取ることができていた。例えば、某部室の異質な空気であるとか。
(まあ、害はないからいいけど)
 色々な意味で若干の不安はあるが、人気がないというだけで不安になることはない。校舎内に何人いるのかは分からないが、少なくともこの場には龍麻達三人がいる。それだけでも感覚はだいぶ違うのである。
 が
『一人じゃないよぉ〜』
「ひゃっ――!」
 突然、声が湧いて出たりすれば話は別である。小蒔は驚いて身を竦ませ、葵は驚きこそしなかったが声の主を求めて首を動かす。龍麻も葵に倣うが、その姿を見つけることはできなかった。
『うふふふ〜。明けましておめでと〜。着物かぁ〜、キレイだね〜』
 再び聞こえる声。今度はやや羨ましそうな声だった。先程と同じく声のみで姿は見えない。
「で、どうしたのミサちゃん? 声だけってことは、取り込み中?」
 正体は分かっているので、龍麻は天井に向かってそう問いかけた。
『少しね〜。一応、予定の数は揃えたんだけど〜、多いに越した事はないから〜、増産中〜』
「そっか。助かるよ」
『あ〜それと〜、ひーちゃん達を待ってたのよ〜。ちょっと前に話したと思うけど〜、凶星の正確な位置が分かったの〜』
 龍麻は葵達に視線を移した。そこには同じくこちらを見つめる二人の顔がある。先程までの雰囲気はなく、真剣な面持ちで軽く頷いてみせる二人。龍麻も頷くことでそれに応えると、何も言わずに天井へと顔を向けた。
『よ〜く訊いててね〜。明日――1999年1月2日、この日の零時をもって魔星蚩尤旗は黄龍の穴の鬼門に入る〜。陰が陽を凌駕し、聖なる方陣が最もその力を弱める時〜、この時こそが時代が変わる時〜』
 裏密の言葉を龍麻は数度反芻した。つまり、明日の午前零時に龍脈の《力》が放出される、という意味だろう。
「龍鳴の塔は、起動してから一昼夜で地上に出てくるっていうけど、丸一日かかるかどうかは分からないな……ミサちゃん、その辺分かる?」
『正確な時間は分からないけど〜、塔自体はもう少し早い時刻に〜姿を現すと思うわ〜。龍脈の《力》を吸い上げる呪術機構だもの〜。地上に出現してから〜、いくつかの工程は踏むはずよ〜』
 塔が出現した後で、その塔を破壊できるなら、柳生の野望を阻むこともできるのではないかと龍麻は考えていた。ただ、その場所が分からないので意味がない。出現と同時に移動するにしても、時間差を考えるとあまりよい策でもなかった。こうなった以上、やはり寛永寺に出向いて柳生を直接叩くべきなのだろう。
『うふふふ〜。でも、この年――1999年は大昔から〜、大いなる災厄の降りかかる年として警告されてきたわ〜。ひーちゃんなら分かるよね〜?』
「1999年7の月――恐怖の大王、天より降臨し、アンゴルモアの王、復活しせり。その後、大地は、軍神の法則にて巡る――だっけ?」
 うろ覚えであったが、いつか読んだ一文を口にする。その真偽について最近話題にあがることも多くなっている、大予言などと称されているものだ。いかにも不安をかき立てる、それでいて曖昧な文句である。
『そう〜。けど、ひーちゃんならそれを覆すことができるのかも〜。うふふふふ〜、ますます楽しみね〜』
 より一層の不気味な声で笑う裏密。ご丁寧にその声は次第に遠くなっていく。用は済んだので、作業に戻ったのだろう。
「――行っちゃったよ。もう、不安を煽るようなことばっかり言うんだからっ!」
 小蒔が頬をふくらませ、愚痴った。葵もどこか困ったような顔である。気持ちは分からなくもない。
「まあ、何が起こるか分からないってのは事実だからね。それより、行こう」
 龍脈の開放がどんな影響を及ぼすのかは分からないのだ。塔の起動だけで地震が起こったことを考えると、大規模な地震くらいは起きるかも知れない。それだけでも大惨事といえる。
 だが、それを考えても仕方ない。龍麻達にできることは、限られているのだから。


「さて、どうしようか?」
 新聞部の部室に入って、龍麻はそう問いかけた。
 大量の写真が乱雑に散らばっている作業用の大机。そこに龍麻達が迎えに来たアン子の姿があった。ただ、当のアン子はというと、机に突っ伏して眠っているのだった。この時間にこの状態ということは、恐らく徹夜明けで力尽きたというところだろうか。
「う……う……さい……うるさい……もう、ほっといて、分かってるから……やってるから……やってますってぇ……今日中に、あと……ページあげますから……」
 くぐもった声が聞こえた。もちろんアン子のものである。
「うふふ……夢の中でも編集作業してるみたいね」
「アルバムの編集、って感じじゃないけどね。どんな夢を見てるんだろ」
 アン子の寝言を聞いて笑みをこぼす葵。龍麻もそんな感想を口にした。
 疲れているようなので休ませてやりたいのはやまやまだが、ここへは目的があって来ているのだ。このままというわけにはいかない。
「コラッ! 起きろアン子! ア・ン・子! ヨダレが垂れてるぞっ!」
 その時、小蒔が机を揺さぶるという強硬手段に出た。少し乱暴な気もするが効果はてきめんで、アン子が跳ね起きる。
「はっ――! あ、あたし――!? あれ……? 龍麻君がいる……?」
「おはよう、遠野さん。もうお昼だよ」
 未だ寝ぼけ顔のアン子に、龍麻は苦笑しながら声をかける。
「うふふ、おはよう、アン子ちゃん」
「ほらぁ、もうお正月だよ。初詣の約束、忘れたのっ!?」
 続いて葵が挨拶し、小蒔が目的を口にした。まぶたを重そうに持ち上げ、新聞部長はブツブツ言いながら周りを見回す。しばらくすると、ようやく目の焦点が合ってきた。
「そっか、そうだったわね、初詣……ふあぁ〜……Happy New Year」
 一度大きくあくびをし、お決まりの挨拶をするとアン子は身体を伸ばす。それで眠気は飛んだようだが、今度は目を見開いた。何とも忙しいことである。
「あっ! もしかしてあたし、新年早々、龍麻君に寝顔見られちゃったの? あたしとしたことが、みっともないところ見せちゃって……」
「ホントだよっ。ボクは一瞬、死んでんのかと思ったよ」
 腰に手をあて、そんなことを言う小蒔。あまりの言いようにアン子の顔が若干歪んだ。
「なんですって〜っ!? まったく。でも……龍麻君は、あたしの可愛い寝顔が見られて、新年早々、得したわよねぇ?」
「さあ?」
 気を取り直すようにアン子は龍麻に話を振る。しかし龍麻は素っ気なく、肩をすくめる。アン子の額に、青筋が浮かんだ。
「何よ、その反応は……まったく、失礼な人たちねっ!」
「だって、見てないから。得とか損とか以前の問題なんだけど。でも、せっかく迎えに来たのにそんな態度とられると、わざわざ持ってきた差し入れの行き先が変わるかも――」
 手にした包みをちらつかせ、龍麻はそれを小蒔に渡すような仕草をする。そこで小蒔は目を輝かせ、アン子は顔を引きつらせた。彼女も龍麻の料理を食べたことがある一人なのだ。
「あーうそうそ! わざわざ迎えに来てくれて助かるわ〜」
 アン子の顔は引きつったままだったが、それでもそんなことを言う――棒読みだが。しかしアン子が必死になるのも無理はない。どうやらろくなものを食べていないようだ。床に散らばっているパンやおにぎりのゴミがそれを物語っていた。
 苦笑しながらも龍麻は包みを差し出す。それを両手で恭しく受け取り
「ははっ、有り難く頂戴します〜」
「寝てたなら、食事もまだなんじゃない? 神社行く前に、食べとく?」
「うーん。どうせ京一達と合流するんでしょ? ゆっくり味わって食べたいから後にするわ」
 そう言ってアン子は包みを机に置く。
「ねっ、それより、進行状況はどうなのさ?」
 少々残念そうにしていた小蒔が、問うた。もうすぐ終わりそう、と部長は答える。
「今が追い込み、詰めの時期よぉ〜。大事な卒業アルバムだもの、妥協は許されないしねっ。とは言え、ダウンなんてしたらそれこそ間に合わなくなるし。息抜きも必要よね。それ故の初詣よ、っと、そうだわ」
 アン子は思い出したように言った。
「そういえば今日はマリア先生が来てるわよ」
 今はもう冬休み。しかも元旦の昼だ。普通なら教師がいる状態ではない。はっきり言えば、それは誰にとっても意外だったろう。
「ふ〜ん。まぁ、三年生の担任だし、何かと仕事が溜まってるのかもね」
「だったら、新年のご挨拶をしに行きましょうか。初詣にお誘いするのも悪くはないわよね」
 小蒔は軽く言い、葵は真面目な提案をする。
 反対する者などいるはずもなく、龍麻達は担任を誘うべく、恐らくいるであろう職員室へと向かうのだった。



 14時00分。新宿区――花園神社。
 そこも人の海だった。老若男女が様々な姿で行き来している。駅前の人だかりより華やかな格好の者が多いのは、やはり初詣という目的があって出てきているからだろうか。
 合流予定だった京一達は入り口の前ですぐに見つけることができた。
 顔を合わせ、お約束の挨拶を交わす。
「それより……着物かぁ。やっぱ、そうこなくっちゃなっ」
 女性陣二人の姿を見て、それでこそ、とばかりに京一は頷いている。
「あぁ、二人とも、よく似合ってるな。桜井も今日はさすがに、食い気、とは言えんだろう?」
「その通りっ。こんなんじゃ、何にも入りそうにないよ」
 醍醐がそう言うと、小蒔はやや不満げに帯を叩いて見せた。
「まあ、今日くらい我慢するんだな。せっかくの着物だろ? お前、アン子を見てみろ」
 意味ありげに、京一は視線を動かす。その先にはアン子の姿。言うまでもなく、制服姿だ。
「うるさいわね。あんた達に言われる筋合いはないわっ」
 口をとがらせ、反論するアン子。しかしこの場で制服を着ているのは、アン子を除けば醍醐だけである。醍醐はいつも通りと言えばそれまでだが。
「はははっ、まぁそう怒るな、遠野。その制服は、遠野が一生懸命頑張っている証拠だろう?」
 醍醐は気にした様子もなく、笑った。それに毒気を抜かれたように、アン子は顔を赤らめるとそっぽを向く。
「ま、まぁ、そう言ってもらえると嬉しいけど……ホント、そろそろ追い込みだからね……けど、さすがに今日は、初詣が終わったら家に帰るわ」
 ふあぁぁ、とひと欠伸。やはり無理があったと見える。
「それがいいわよ、アン子ちゃん。今日は……家にいた方がいいわ」
 気遣うように葵は言った。ただこの場合は、身体を気遣うという意味もあるが、それ以上に今晩起こるであろう事態を危惧してのものだろう。
「あぁ。美里の言う通りだな。さっ、そんなことよりさっさとお参りしちまおうぜ」
 同意して、京一が促す。龍麻達は神社の敷地へと足を向けた。

「あっ、京一先輩!」
 鳥居をくぐろうとしたところで声が聞こえた。見ると
「あれ? 諸羽じゃねぇか」
「うん……あっ、さやかチャンもいる! 二人とも花園神社に初詣に来てたんだっ」
 霧島諸羽と舞園さやかがこちらへとやって来る。彼らもわざわざ新宿まで足を運んだようだ。
「みなさん、おはようございますっ……じゃなくて、今日は明けましておめでとうございます、ですよね」
 いつもの癖か、おはようと言った舞園は、苦笑しながら言い直す。
「うふふ、おめでとう、さやかちゃん、霧島くん」
「はいっ、おめでとうございますっ」
 続いて霧島も挨拶すると、龍麻の方を向いて頭を下げた。
「去年は色々とお世話になりました。今年も色々と、御指南の程、よろしくお願いしますっ!」
「うん。お互い、今年も頑張っていこう」
「はいっ! 僕も、龍麻先輩や京一先輩や、醍醐さんや……皆さんのように強くなれるようにこれからも頑張りますっ! 何かあったら、いつでも僕を呼んでくださいっ!」
 いつも通りの明るさと素直さ。覇気が溢れている。この辺はずっと変わらないでいて欲しいものだと龍麻は思う。今のところ、悪影響を受けている様子はないが、師匠が師匠だ。
「ふふっ、噂通り、元気な少年ねっ。ところで、二人はこれからどっか行くの?」
 神社の奥からやって来たということは、参拝自体は済んだのだろう。アン子が問うと、今日は事務所の新年会なのだと舞園は頷いた。そして、先の霧島と同じく、龍麻の方を向く。
「あ……龍麻さん。去年は色々とお世話になりましたっ。あまり一人で無理をなさらないように、気をつけてくださいね」
「うん。こちらこそ、色々とお世話になったね」
 桜ヶ丘で、舞園には随分と世話になった。彼女だけではないが、治癒組のお陰で今自分はこうしていられる。はっきり言えば、お世話をしたよりもお世話になった方が大きいと龍麻は考えていた。
「ところで、その新年会はいつまで? その後の予定は入ってるのかな?」
「え、っと……新年会自体は夕方くらいまでです。その後の予定は今のところ入ってません。三が日はまるまる休みになってます」
 マネージャーよろしく、霧島が答えた。そう、と軽く頷いて、龍麻は霧島と舞園を交互に見た。
「新年会後は、二人一緒に待機しておいて。いつでも合流できるように。詳細は後で連絡するから」
「「……はいっ」」
 顔を見合わせると、二人は同時に、力強く首肯した。こちらの意図は伝わったようだが、若干緊張しているようにも見える。無理もない。霧島は今まで何度か実戦を経験しているが、決戦は未経験。舞園に至っては今回が初出陣。プレッシャーも並大抵ではないはずである。
「なーに今から固くなってんだよ。別に独りで戦えって言ってんじゃねぇぞ」
 京一が、弟子の背中を叩く。
「考えたり悩んだりってのは、ひーちゃんの仕事だからな。小難しいことは全部ひーちゃんに任せて、俺らは指示に従って全力を尽くせばいいんだよ」
 な? と同意を求めてくる剣士が一人。言いたいことがないわけではないが、まあ、この場はそういうことにしておく。
「じゃ、とりあえずはそっちの新年会を楽しんでこい。で、今日の決戦が終わったら、俺らの新年会だ。ひーちゃんの料理はうまいからな。それだけで励みになるぞ」
「そうそうっ。宴会の時のひーちゃんの料理はいつにも増してすごいんだからっ」
 京一と小蒔の言葉で、二人の緊張が緩んだ。楽しみにしています、と笑い、二人は神社を後にする。
「宴会を楽しいものにするためにも、気合い入れなきゃな」
 と、それを見送りながら呟く京一。もちろんその想いはこの場にいる者に共通したものだ。それにしても、世界の命運をかけた戦いと言っても過言ではないのに、それに臨むにあたって拠り所にするのが自分の料理というのはちと安くはないだろうか。そんなことを思ってしまう龍麻。まあ、それでも
「そこまで期待されると、応えないわけにはいかないね」
 ここで言葉を濁す龍麻ではなかった。柳生戦の後もある意味戦いになりそうではあるが、全てが終わったら腕によりをかけようと心に誓う。
「おう、楽しみにしてるぜ。と、それより、向こう見ろよ。なんか、人集りができてるぜ」
 嬉しそうに笑うと、京一は神社の境内の一角を指した。参拝客、とはどこか雰囲気が違う。お参りに来たにしては、少々騒がしい。
「あぁ、あれならヒーローショーだよっ。うちの弟達も行くって言ってたからさ」
 と、小蒔が言った。この神社で大宇宙組がショーをやるというのは既に聞いていたので納得する。それにしても結構な人手である。元々、練馬を活動拠点にしている彼らにここまで人気があるのは驚くばかりだ。
「なんだ、コスモレンジャーは随分と人気があるんだな。これなら、ヒーローショーでも食っていけるんじゃないか?」
 醍醐が人集りを見ながら感心して言った。確かに人気が今以上に出て、知名度が上がればそれも夢ではないだろう。ひょっとしたら、何かの拍子に番組化することだってあり得る――彼らにその気があれば、だが。
「あははっ、それは言えるかもなっ」
 と、そこに聞こえる笑い声。
「へへ……よぉっ! ちゃんと行くって言っただろ?」
「皆様……明けましておめでとうございます」
 そこにいたのは織部の双子巫女だった。桜ヶ丘で言ったとおり、花園まで出向いたようだ。こちらに来たということは、織部神社の方は一段落ついたのだろう。
「おっ、雛乃ちゃんも着物かよっ! 似合ってるぜ」
「うんっ、すごく似合ってるよ! やっぱ、雛乃は日本美人だもんねえ〜っ」
「そんな……美里様と小蒔様こそ、とてもお似合いですわ。せっかくの機会ですものね。やっぱり姉様もお召しになればよかったのに……」
 京一と小蒔が褒める。雛乃は恥ずかしそうに頬を染めると、隣にいる姉に目をやった。
 雛乃は桃色の着物を着ているが、雪乃の方は通常の私服だ。口調からすると、ここに来る前に何度か勧めたようである。が、本人にはその気はないらしかった。
「なぁに言ってんだっ、このオレが着物なんて似合うわけねぇだろっ。なぁ、龍麻くん?」
 などと同意を求めてくる雪乃。髪の色は少々気になるが、別に似合わないということはないだろう。着物、というには語弊があるが、それに類する物を着ていたことがあるのだから。
「そうかな? 雪乃さんも似合うと思うよ。この間の祭りの――」
「あーっ! それはナシだっ! 忘れろっ!」
 秋祭りの時のことを思い出し、それを指摘しようとした龍麻だったが、雪乃は慌てた様子で大声を出し、それを遮る。龍麻が口を閉じると、安心したのか溜息をついた。
「いいんだよ、オレはこのままで。着物なんて着てたら、いざって時に暴れらんないからなっ」
 もっともらしい理由をつける雪乃。どうにも彼女は男勝りな性格を気にしているのか、女性らしい格好を好まないようである。恐らく趣味などもそうなのだろう。身近に似たような性格ではあるがしっかり女の子をしてる人物がいる龍麻には、それは何というか不思議だった。
「さぁて、それじゃあそろそろ行くか、雛。病院のじいちゃんも、お前の着物姿を楽しみにしてるぜ」
「はい、姉様。それでは皆様、失礼いたします」
 皆に向かって雛乃は頭を下げる。そして、ゆっくりと龍麻を見た。
「龍麻さん……いよいよ……今夜なのですね。わたくし共にできることがあれば、遠慮なく言ってくださいませ」
「うん。とりあえず、連絡が取れるようにだけはしておいて。声がかかったら、すぐに行動できるように」
「えぇ、お任せください。わたくし共とて、何かの役には立てると思いますわ。それでは皆様、失礼いたします」
「じゃ、またなっ」
 織部姉妹も花園神社を去る。残ったのは、真神の生徒である龍麻達だけだ。
「さっ、僕達もそろそろ奥へ行こうか」
 龍麻は神社の敷地内へと足を踏み出した。

「こうして歩いていると、みんなで来た秋祭を思い出すな」
「えぇ、そうね……なんだかもう、すごく昔のことみたい……」
 醍醐と葵が、懐かしげな目で周りを見ている。実際には三ヶ月近く経っているのだが、その間に様々な出来事があった。過ぎた時間を錯覚させるほどの多くの出来事が。
「そうねぇ……写真の整理したり、アルバムの編集したりしてると、本当にもう、卒業なんだなぁって実感するわ」
 写真という形で時間の経過を見ているせいか、より強くそれを感じているのだろう。アン子も感慨深げに呟く。だが次の瞬間には表情をコロッと変えて、意地悪げな視線を京一に向けた。
「あ、京一。あんたはもう一年あるか」
「あるわけねぇだろっ!」
 即座に反応する真神の剣士。それに疑わしげな目を向けるアン子。だが正直なところ、冬には補習もなかったし、出席日数自体も問題はないので、卒業が危ういということはないはずである。
「三学期に問題起こさなきゃ無事に卒業できるわいっ! それに俺はもう、卒業後のこともちゃんと決めてあるんだよっ!」
 と、京一は言い切った。
「えっ、ウソっ!?」
「何よ、教えなさいよっ!」
 小蒔が驚愕の声を上げ、アン子は事実を追求する。前半はともかく、後半の言葉。これに驚いたのはその場にいた全員だ。京一の進路の話など、聞いたことがない。はっきり言えば進学はあり得ない。勉強などしていないし、成績も悪い。が、就職というのも何か違う。就職活動をやっていた様子もなかった。
 龍麻としても京一の進路は気になったが、彼の方は答える気はないようだった。ぺろりと舌を出し、言う。
「イヤだね。特にアン子――お前には絶対に教えねぇ」
 こうなると始まるのは口論である。京一とアン子はこちらそっちのけで吼え始めた。それを葵がなだめようとするが、効果はない。
 次第に周囲の注目を集めつつある。恥ずかしいことこの上ない。いっそのこと無視して先に進んでしまおうかと薄情なことを考えた時だった。
「葵オネエチャン! 龍麻オニイチャン!」
「おや、マリィ」
 赤い振袖姿の金髪の少女が、こちらへとやって来るのが見えた。慣れない格好のせいか、やや足元がおぼつかない。
「ほう、マリィも着物か。ははは、どうだ? きつくて疲れるんじゃないか?」
 騒ぎを無視して、醍醐はそう声をかける。
「ウン……チョット。デモ、マリィもオネエチャンと一緒がよかったんだモン」
 葵の方を見てから、マリィは袖を持ち上げ、その場でくるりと一回転した。
「ネッ、ドウ、龍麻オニイチャン? マリィ……カワイイ?」
 金髪に着物というミスマッチであろう姿は、何故か違和感がなく、その仕草と相まって可憐と言ってもいい。文句なしに似合っていた。
「うん。とっても可愛いよマリィ」
「エヘッ。オニイチャンにそう言ってもらうのが、マリィ、イチバン嬉しいっ!」
 龍麻が答えると、マリィの顔がぱっと輝いた。本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。過去の呪縛から解放された今のマリィは、もう普通の女の子と変わらない。これも岩山と高見沢の治療とカウンセリング、そして美里一家のお陰だろう。この笑顔がいつまでもあって欲しい、そんなことを龍麻は祈る。
「ところでマリィは、お参りを済ませた?」
「ウン。だからこれからヒーローショーを見に行くの! オニイチャン達はこれからお参り?」
「うん、そうだよ。マリィはどんなお願いをしたのかな?」
「えっとね、たくさんお願いごとしたよ。何をお願いしたのかは、秘密」
 エヘヘと笑いながら、マリィははぐらかす。そして、ヒーローショーが始まるから、と去っていく。よほど楽しみなのだろう。着物だというのに駆け足だ。京一と小蒔が注意するが、それも耳に入らないのか、そのまま人混みに消えてしまった。
「さて、それじゃあそろそろ俺達も参拝に行くか」
 と醍醐が境内の奥へと歩を進める。参拝のためにここへ来たのだからそれは当然なのだが
「あっ……ダメだよ!」
 と、小蒔が待ったをかけた。事情を知らない京一と醍醐は眉をひそめる。
「あん? 何だよ、急に……」
「実はさっき学校でマリアセンセーに会って、センセーが来るまで待ってるって約束したんだ」
「マリア先生が? そうか、元旦から仕事とは先生も大変だな」
 むぅ、と唸る醍醐。正月初日から仕事、など普通では考えられないことだ。運動系の部活動ならば初練習という可能性もあるが、マリアは運動部の顧問ではない。
(でも、先生が学校にいたのは、仕事のためじゃないんだろうな)
 マリアが来るのを待ちながら、一人龍麻は職員室でのやり取りを思い返した。



「マリア先生、いらっしゃいますか?」
 声をかけながら葵が開けたドア。その向こうにあったのは、薄暗い――否、暗い職員室だった。全てのカーテンは閉められ、電気も一部を除いて点いていない。おまけに外の天気のせいで日の光もない。ただ一カ所、カーテンが僅かに開いたところから外の光が入っている。
 そこに、マリアは立っていた。
「うわっ、暗い……」
「カーテン開けますねっ」
 部屋を見た小蒔はそう漏らし、アン子は手近のカーテンを開け始める。
「あ……ごめんなさいね。ちょっと……考え事をしてたものだから」
 謝りつつ、マリアはこちらを向いた。その顔が精彩を欠いているように見えるのは、職員室の薄暗さのせいだろうか。
「そうよねぇ、某木刀馬鹿みたいな卒業危うい問題児がいると、先生だって、悩みの一つや二つ、あるものねえ」
 とおどけながらアン子は言った。そんなことはないわよ、とマリアは笑う。
「それよりみんな、明けましておめでとう。二人とも、着物がとっても似合っているわ」
 葵と小蒔を見て褒めるマリア。二人は照れ臭そうな笑みでそれに応える。
「遠野サン、あまり無理しちゃ駄目よ」
 次にアン子へと注意する。アン子がマリアの所在を知っていたのだから、当然マリアもアン子の行動は知っていたのだろう。姿勢を正し、新聞部長は頭を下げた。
 そして、マリアは龍麻を見た。
「龍麻クン……カゼなんてひいてないかしら?」
「ええ。いたって健康ですよ」
「そう……よかったわ。今が一番大事な時期だもの。体には……気をつけてね」
 気遣いは素直に嬉しかった。ただ、やはり今のマリアには違和感がある。何というか、迷いのようなものが感じられるのである。それに加え、先の言葉にも何というか違う意味あいが含まれているように思えたのだ。
 そう思ってしまったが故に、すぐに返事ができなかった。機会を逸してしまったと言うべきか。気まずい沈黙が生まれる。
 それを打ち破ったのは小蒔だった。
「センセー……ねっ、ボク達これから花園神社に初詣に行くんだけど、センセーも一緒に行こうよっ!」
「そうですよ、先生。その……気分転換くらいにはなると思うし……」
 続けてアン子も、何かを感じ取っていたのか言い加える。
「初詣……そうね……一年の初めだものね。神様に……お願いすることもたくさんあるわね。でも少しだけ、しなければならないことが残っているから、それが済み次第、ワタシも神社へ行くわ」
 マリアは少し考えてから、そう答えた。安堵にも似た空気が、小蒔とアン子から発せられる。龍麻としても、先の状況をどうしようもなかっただけに、二人の行動はありがたかった。
「それじゃあ、私たち、先に行ってますね。先生がいらっしゃるまで、参拝せずに待ってますから」
「ありがとう、美里サン。それじゃあ、みんな。また後でね」
 葵の言葉に頷いて、マリアは自分の机へと戻っていく。葵達は連れだって職員室の入り口へと向かう。
 それに続こうとして、龍麻は気付かれないようにマリアの様子を窺う。席へと向かうマリアの表情は分からない。ただ、向かう先の机には、仕事をしていた痕跡は一切無かった。



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