某日某所。
外から差し込む光もほとんどない、道場。そこに、人目を忍ぶように集まっている者達がいた。
「三人とも――揃ったようだな」
背広姿の男が、集まった者達を見やる。光の加減でその表情を窺う事はできない。声から判断する限り、中年、という表現が合うだろう。
「今回はお前達三人で仕事にあたってもらう。これが次の標的だ」
男の投げた写真が畳の上を滑り、三人の前で止まる。
五枚の写真には、それぞれ一人ずつ男女が写っていた。制服と校章から、同じ学校の者であることが分かる。
「うへへへへっ。次の獲物でごわすか」
楽しそうにその写真に視線を落としたのは、剃髪の大男だった。体格に制服が合っていない。胸元は厚い筋肉がのぞいているが、その腹ははちきれんばかりに膨らんでいる。
「この制服、新宿、真神か……」
その隣にいたオールバックの長髪をした男子生徒が写真を見て鼻を鳴らす。その傍らには一振りの刀があった。
「標的が……高校生……」
その二人とは少し離れて座っていた細身の男子生徒が、写真を見て眉をひそめる。
「それで……任務の内容は?」
しかしそれも一瞬で、少年は目の前に座っている男に問う。
「脅す程度に、チョイと、いたぶるくれえでいいのかい? それとも、一生、病院生活か?」
「いや――依頼されている内容は……」
長髪の生徒の物騒な問いかけに、男は首を振り
「――抹殺だ。我らが名に懸けて、必ず息の根を止めろ」
間をおいて、内容を告げた。
「グヘッ……グヘヘヘッ! 楽しくなりそうでごわす」
「ククッ……そいつは、おもしれぇ。久々に血が見れるな……それに、うち、二人は女だぜ」
大男と長髪の男が下卑た笑みを浮かべ、写真のうちの二つに目をやる。一人は黒い長髪の女生徒、もう一人は茶髪のショートカットの女生徒。
「殺す前に、愉しませてもらうとするか」
「こ、こんなに楽しい仕事は、久しぶりでごわす。グヘッ、グヘヘヘヘヘッ!」
そんな二人に、もう一人の細身の生徒は醒めた目を向けていた。いや、軽蔑の眼差しだ。
「下衆が……」
その口から侮蔑の言葉が漏れる。
「なんだぁ? なんか文句があんのかぁ?」
長髪の生徒が、刀を手に取り、鯉口を切る。放たれる殺気は並のものではなかったが、細身の生徒は気圧されることなく
「別に」
とだけ答え、再び写真の一枚に目を向けた。そして、男に問う。
「それより――これは……この仕事を引き受けたのは、館長の御意向ですか? 副館長殿?」
副館長と呼ばれた男はすぐには答えず、細身の少年に顔を向ける。
「貴様等は余計な事を考えずに、ただ、与えられた任務を速やかに遂行すればよい。それから――私の言葉は全て、館長の御言葉と思え」
有無を言わさぬ口調。
「御意――」
肯定も否定もせぬ副館長の言葉に疑問を感じつつも、表面上は恭順の意を示し、細身の生徒は再度写真に目を向けた。
長めの黒髪に温和な表情をした、美貌の男子生徒。自分の知った顔。自分とは少なからぬ縁を持つ少年。
その写真の生徒の名を、緋勇龍麻といった。
11月4日。3−C教室。
授業終了のチャイムが鳴る。これで今日の授業は全て終了した。後は家に帰るのみだ。この時期になると部活に精を出す者はいない。受験だ、就職活動だと、やることは色々あるのだ。
「龍麻――」
いつの間にやら教室から姿を消していた葵が戻ってきた。
「どこへ行ってたの?」
「ちょっと、生徒会の用事で体育倉庫へ。風があんまり冷たいから、びっくりしたわ。もう……すっかり冬なのね……」
「そうだね。受験までの時間もあと少ししかないし。でも、まだ生徒会の方へ顔を出してるんだね」
会長の座を退いたというのに、未だに葵は生徒会の活動に手を貸している。受験勉強もあるだろうに、大したものだと龍麻は思う。
「うふふ、大したことじゃないわ。それより龍麻。よかったら、みんなで一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
葵の提案に、龍麻は顔を綻ばせた。
「このところいつもみんなで一緒だから、何だかその方が落ち着くようになっちゃったわね」
「ほんとだよっ」
小蒔がやって来て、うんうんと頷く。
「まったく、不毛なくらい友情厚いよねぇ、ボク達って」
「もう、何言ってるの、小蒔。みんなで一緒に帰るの、私、結構楽しみなのよ」
「ふーん、みんなでぇ? 特定の誰かと、じゃないのぉ?」
意味ありげな笑みを浮かべ、葵を見る。顔色を変えて葵が何か言おうとするが
「えへへ、分かってるって。ボクも今日一日頑張って勉強したからねっ。放課後くらい、気の置けない仲間とのんびり一緒に帰りたいよっ」
反論させずに小蒔は笑った。
「ラーメンでも食って……だろ?」
そこへ京一がやって来て、やや呆れを含んだ声でからかう。
「まったく、小蒔落とすにゃ努力はいらねぇ。ラーメン一杯ありゃあいい……か?」
「失礼だなっ! 一杯くらいじゃ、手も握らせないねっ」
「はははっ、そいつは手厳しいな」
京一を睨む小蒔だったが、最後の一人が笑いながらやって来た。その声に小蒔の表情が微妙に変化するのを、龍麻は捉えていた。
「あっ、醍醐クン……」
「まぁ、桜井もそこまで食い物にはつられんか」
「そうだよっ。大体京一は人のコト、バカにしてるねっ」
どこか慌てたような、照れたような感じで、小蒔は京一にびしっと指を突き付ける。
「いくら何でも、そこまで安くないですよーっだ」
「はははっ、ほんの冗談だって。それより、最近めっきり冷えてきたコトだし、ラーメンってのも悪くはねぇな……」
「今更言うなよ」
おどけてみせる京一に、醍醐のツッコミ。
「どうせ俺達は、間食といえば一年中、ラーメンだからな」
「うふふ。確かにそれもそうね。それじゃあ、これからみんなで――」
葵がそう言いかけた時だった。
「ホントにアンタ達って、悠長なんだから……」
「あれ、遠野さん」
いつの間にやら新聞部長殿が教室に入ってきていた。
「そんなんじゃ、この激動の時代は生き抜けないわよっ」
「おっ、久々に、音もなく現れたねっ」
「まったく、忍者だってもう少し分かりやすく登場するぜ」
感心したような、呆れたような口調の二人に、アン子の顔が引きつる。
「アンタ達がいつも、話に夢中で気がつかないだけでしょっ!」
「まぁ、そんな説もあるけど……ところで、今日は何があったの?」
アン子がここへ来る時は、何かしら事件がある時がほとんどだ。ヒステリックに叫ぶのをなだめて龍麻が訊ねると、アン子は笑みを深くする。
「ふふっ、そんなの決まってるじゃない。面白いネタを手に入れたから商売しに来たのよっ。さっ、次の三つのコースから選んでちょうだいっ。百円、千円、五千円! さぁ、どれっ!?」
「……随分と、値段に差がない? そこまで内容に差があるわけ?」
「まぁね。さぁ、どうする?」
「うーん……それじゃあ――」
間を取って千円、と龍麻が言おうとするが
「おい、ひーちゃん。金なんて払うコトないぜ。こいつは俺達のお陰で、たんまり儲けたはずだからな」
京一が制し、ニヤリと笑ってアン子を見る。アン子の頬を汗が伝っていった。
「何それ? どういうこと、アン子!」
「うっ……余計な事を……」
詰め寄る小蒔に、アン子は渋い顔だ。してやったりと京一は笑みを崩さない。
「忘れたとは言わせねぇぜ? この前の新聞……すげぇ売れ行きだったらしいなぁ」
「この前……? あぁ、そういえば彼女の――舞園さやかの特集をやったんだったな」
一瞬首を傾げるが、醍醐も思い出したようだった。
池袋の件が終わって、舞園の戦力確認のために旧校舎へ潜った事があった。その帰りにアン子に捕まり、突撃インタビューを受けたのだ。
「確か、増刷に継ぐ増刷で、他の学校からも、問い合わせがあったって……」
「へぇ〜……それで一体、どのくらい稼いだのかな〜?」
葵の言葉と小蒔の追求に、アン子は敗北を認めた。
「わ……分かったわよっ! 今日の所は、無料奉仕
「へへっ、そうこなくっちゃな」
上機嫌な京一とは対照的に、龍麻の顔は蒼ざめていた。理由は簡単。「まぁ、文化祭の写真もあるからいいか」というアン子の呟きが聞こえたからだ。何の写真なのか――今更確認するまでもない……。
「で? 一体、何があったんだよ?」
「昨日の夜ね、墨田区の住宅街で発砲事件があったのよ。暴力団同士の抗争だって警察は言ってるんだけど、運悪く、流れ弾に当たって死んじゃった人がいるのよね」
今まで通り、特に感情を動かす事もなく、淡々と事実だけを述べるアン子。話の内容に、龍麻達が渋面を作っていく。
「なんだよっ、全然、おもしろい話じゃないじゃないかっ!」
金を払ってまで聞くような内容ではない。不機嫌さを隠そうともしない小蒔を、アン子はまぁまぁ、と手で制した。
「話は最後まで聞きなさいって。その、死んだ人っていうのがね、前の建設大臣なのよっ」
「で、その元建設大臣が死んだのが、特ダネなのか? 一般人じゃないってだけで、よくある話じゃねぇか。なぁ、ひーちゃん?」
「そうかな……?」
つまらなそうに京一が同意を求めてくるが、龍麻は首を捻った。
事件自体は朝のニュースでやっていたので龍麻も知っている。だが、よくあることで片付くようにも思えない節があった。
「そんな顔したって、事実は事実だぜ? それに、日本はまだ、マシな方だろうな」
「うん。それは言えるかもね」
などと京一と小蒔は大した関心を寄せようとはしない。何を何と比較したのかは大体見当が付く。外国ならば、発砲事件など日常茶飯事、と言いたいのだろう。
「けど、流れ弾なんて不運としか言いようがないよ」
「ふふん、お馬鹿ねぇ。あたしの話はここからなのよっ」
やや同情しているようにも聞こえる小蒔の声に、アン子はニヤリと笑う。こういう反応をされるとこちらも気になる。先を促すように視線を向ける龍麻達に満足したのか、アン子は続ける。
「それがね、偶然じゃないかも知れないのよ。建設大臣には、現役時代から汚職の疑惑が持ち上がってたわ。あちこちの建設会社から、多額の賄賂を受け取ってたって。粛正か、はたまた口封じかは今の所謎だけど、でもこの事件は、流れ弾に見せかけて、実は初めから大臣を狙った……一種の暗殺――それもその手段から察するに、かなり大がかりな組織の犯行ね」
大胆、というか突拍子もないアン子の推理に、龍麻達は言葉が出ない。特に龍麻は、暗殺という単語を聞いて、ある人達の事を思い出す。
「それって……この日本に、暗殺の組織があるってコト!? それじゃまるで、TVか漫画だよ。なんか、アン子らしくないなぁ」
少しの間を置いて、ようやく小蒔が発言する。タチの悪い冗談だとでも受け取ったのか、苦笑いを浮かべる小蒔に、アン子は何言ってんのと顔を近づけた。
「暗殺のない時代なんて、人類の歴史上、存在しないのよ。古代の中国もそう。ローマ帝国にも、大昔の日本にも、いつの世にも、権力の隣には暗殺者が潜んでる。故に――この贈賄と暴力が横行する世紀末の東京に、謎の暗殺集団が存在するとしても、それほど不思議じゃあない。龍麻君、どう? あたしの推理は……?」
不意に話を振られて、龍麻は戸惑う。歴史云々はともかく、回答次第でアン子が何やらやらかしそうな気がしてならない。下手な事を言ってこの件に深入りさせるのも考えものだ。
「うーん……僕には何とも……」
と答えるのが龍麻には精一杯だった。案の定、アン子の表情は曇る。
「何よ、はっきりしないわねぇ」
「でもさぁ、アン子。昔はどうだか知らないけど、人殺しは……犯罪だよ?」
「そう、犯罪は悪い事。幼稚園児でも知ってることね。でも……」
口を挟む小蒔に、アン子はそう言って意味ありげな視線を龍麻に向ける。その意図が読め、龍麻は軽く息をつくと、それを継いだ。
「暗殺イコール悪じゃない、そう言いたいんでしょ、遠野さんは?」
「……どゆこと?」
「例えば、幕末に組織された新撰組。反幕勢力、尊皇派の立場から見れば、暗殺集団ってことになるけど、幕府側から見れば、世を乱す不穏分子を狩る組織だからね」
意味が分からず首を傾げる小蒔に、龍麻は例を挙げて説明する。
「そういうこと。正義、大儀の名の下の暗殺は、はたして悪と言えるのかしら?」
「なるほどねぇ……けどまぁ、所詮、俺達一介の高校生にゃあ、関係のねぇ話だな」
納得はしたようだが、相変わらず京一は無関心のようだ。へっ、と肩をすくめるが
「アンタねぇ……人の話は、最後まで聞けって言うのよぉ〜っ!」
その途端、アン子に首を絞められた。
「なんだ、その話にはまだ続きがあるのか?」
「ふ〜ん……醍醐君もあたしに絞められたいワケ?」
蒼い顔をした京一を放り出し、今度は醍醐にその手を向けるアン子。結構、とばかりに手を振る醍醐だが、いくらアン子でも醍醐を絞めるのは無理だろう。
「まったく……人の話の腰をいちいち折らないで欲しいわねっ。あたしが何で、わざわざこんな話をアンタ達にしにきたか――」
「金儲けのためだろ?」
「アンタは黙ってなさいっての!」
アン子の一喝。首を押さえながら、へいへい、と京一は引き下がる。
「アン子ちゃん、もしかして……その暗殺事件は《力》の事と何か関係があるんじゃ……?」
そう言ったのは葵だ。アン子が自分達に持ち込む話はその手の事ばかり――少し考えてみれば、その結論に行き着くのは容易い。
アン子はその問いに眼鏡をキラリと光らせる。
「さっすが美里ちゃんねぇ〜。ズバリ、その通りよっ! この事件は、発砲事件として報道されてるわ。でも――あたしが、知り合いの鑑識の人からこっそり入手した情報によると、現場に残された血痕からは、どう見ても銃傷とは思えない」
捜査に関わる人間がその過程で得た情報を外部に漏らすのは、服務規程違反では? と思った龍麻だったが、下手な事を言って京一の二の舞はゴメンなので、とりあえず黙っておく。
「例えて言うなら――鋭利な刃物でバッサリ――しかも、現場に残されていた衣服の切れ端を調べてみたら、これがどうも、学生服なんじゃないかって話なの」
「まさか、高校生が暗殺を……?」
難しい顔をして醍醐は視線をどこかへと彷徨わせている。もっとも龍麻はそれどころではなかった。
(なんか……まずい話になってきたな……)
この件が何者の仕業なのか――話を聞いておおよその見当が付いた。とは言え、確信には至らない。現場に残っていたという学生服らしき衣類の切れ端……あの組織の人々がそんなミスをするとは思えなかった。それ程、龍麻が一度だけ見た彼らの「仕事」――莎草の件の後始末は徹底していたからだ。
「さぁ……まだ、そこまでは、ね。アンタ達みたいに《力》を持ってる人って可能性もあるけど。ただ、その衣服の件に関しては一切、公表されてないわ。もしかしたら、警察の上の方はその暗殺組織と繋がってるかもね。それに、気になる事件を浚ってみると、どうも、殺されてるのは、社会的な大物……そして、権力、財力、知名度を笠に、裏であくどい事をしてる奴ばっかりなのよっ」
「へぇ〜……それじゃまるで、時代劇に出てくる正義の味方みたいだねっ。仕事人とか」
「でも――やっぱりそれは、間違ってると思うわ」
小蒔はやはり実感が湧かないのか、お気楽なことを言っているが、葵は暗い表情を作る。
「どんなに悪い人にも、生きる権利はあるんだもの。死よりも……生きて罪を償うべきだと思うの」
葵らしい考え、と言えばいいのだろうか。だがそもそも償いというものは、何をどこまでやれば償いとなり得るのか? 人によってはその基準も考えも全然違う。それこそ死を望む声もあるだろう。
生きて罪を償う、というのは、どうしても理想論として片付けられてしまうことが多い。
龍麻達四人には、葵の言葉に賛同する意見も否定する意見も出せなかった。勿論、葵だって口にはしたが、実践が非常に困難だということは分かっているだろう。
「ま、いいわ。あたし、そんな答えのでない議論をしてる暇はないし」
「なんだ、何か用事でもあるのか?」
場の空気が一層重くなる前に、アン子はそう言って話題を変えた。醍醐の問いに不敵に笑ってみせる。
「もっちろん――調査よっ!」
「げげっ、ま、まさか……」
「その暗殺集団を取材しようって言うんじゃないだろうね!?」
「やめろ遠野! いくら何でも、危険すぎるぞっ!」
あまりにも無謀なアン子の計画。それを聞いて慌てる京一達。しかしアン子は意に介さない。
「あ〜ら平気よぉ。あたしの読み通りなら、彼らは社会悪に対抗する、善の組織だもの。秘密さえ厳守すれば、快く応じてくれるはずよっ」
「でも、アン子ちゃん……」
「大丈夫だって! ほら、これあげるから、大人しく情報を待ってなさいな」
取り出した真神新聞を、口止め料だとばかりに龍麻に手渡す。内容は舞園さやかへのインタビュー関連。先程話題になった、校外にも売れたというアレだ。
「まぁ、そういうことだから――」
「遠野さん」
黙っていた龍麻が口を開く。その声はとても静かで、表情は厳しい。龍麻がこういう態度に出る時は何かしらある時だ。
「悪いことは言わない。その取材、やめた方が……いや、絶対にやめるんだ」
「もう……龍麻君までそんな心配することないって。さっきの話、聞いてたでしょ? 彼らは――」
「遠野さんが、彼らの何を知ってるというの? 彼らはそこまで甘くない」
やや圧され気味のアン子に龍麻は容赦ない。
「秘密厳守だなんて曖昧な約束で彼らが出てくるはずがない。何故その組織が表立って騒がれないのか……それは、徹底した秘密主義に守られているからだよ。だからこそ警察も動けない。証拠がないから。組織の情報を、少したりとも漏らさないから」
「だ、だからこそ秘密に……」
「人間の忍耐力なんてたかが知れてる。口では何と言っても、程度の差はあれ大抵は折れる」
目を細めてアン子を見る。アン子はその目を何度か目にしたことがあった。龍麻が怒っている時、あるいは警告を発する時のもの。
「耐拷問の訓練を受けてるわけじゃないんだ。遠野さんがそれに耐えられるはずがないし、薬物を使われたら一発だ。それに……こう言われても黙っていられる? 『話さなければ、目の前で知人を殺す』とか」
随分と物騒な例を出すものだと京一達は冷や汗をかいている。
「もう一度言うけど、あの人達……彼らはそこまで甘くない。不安要素は確実に排除するよ。遠野さんだって、いつ殺されるかと常に怯える生活を送りたいわけじゃないでしょ?」
鞄を持って、龍麻はここまでとばかりに席を立った。
「一応忠告……いや、警告はしたよ。さ、みんな帰ろうか」
そして一声掛けると教室を出て行ってしまう。戸惑いつつも葵達はその後を追い、一人残ったアン子は仕方ないかとばかりに苦笑して3−Cを後にするのだった。
真神学園――正門。
「なんか、久々にひーちゃんのああいう態度見たような気がするな」
「そう? ……そうかもね」
追いついた京一が先のことを話題に挙げる。普段は温厚な龍麻が、日頃からは想像もできないくらい冷静、冷酷になるのは、相手を、あるいは周りの者を思う気持ちの裏返しだと言うことを、京一達はよく分かっていた。
「まぁ、何度も痛い目に遭ってるし、それにアイツ、運もいいからな。踏み止まれるんじゃねぇか?」
「だったらいいんだけどね」
「しかし龍麻。お前、さっき暗殺組織のことを『あの人達』と言っていたが、もしかして――」
「雄矢? 知らなくてもいいこと、知ったから不幸になることって、結構この世の中には溢れてるものだよ?」
知っているのか、と醍醐が続ける前に龍麻はそう返す。知っているのを認めたようなものだが、醍醐は空笑いをしてそれ以上は何も言わなかった。
その組織が存在していようといまいと、現状では龍麻達には関係ないのだから。
「それにしても――お腹が減った……」
腹に手をやって小蒔がそう漏らす。耳を澄ませていれば、音でも聞こえていただろうか?
「もう、小蒔ったら。さっきからラーメンの事ばかり考えていたんでしょう?」
笑う葵に、小蒔はその通り、とはっきり言いきった。それを見て呆れる京一。
「ったく、本当にお前は色気より食い気だな。十七にもなって、恥ずかしくねぇのかよ?」
「色気……ねぇ」
珍しく真剣に小蒔は考え込む。何か思うところでもあるのだろうか。
「それってやっぱり、あったほうがいいの?」
龍麻と醍醐を見てそう訊いてくる。何故か京一は無視だ――何を言うか分かっているからだろう。二人は顔を見合わせた。
「ほしいの、色気?」
「うーん……よく分からない。第一、すぐにどうなるものでもないし」
確かに今日、明日で手に入るものではない。裏密辺りに頼れば何とかなりそうだが無謀極まりない。いや、彼女でも無理なような気がする。どうにかなるのなら、彼女があのままのはずは――失言だろうか?
「別に、どっちでもいいんじゃないかな? あってもなくても。今の小蒔さんが全てなんだから」
「あぁ。やっぱり桜井はそのままが一番いいと思うぞ」
龍麻と醍醐、真面目組二人はそう答えた。分かってねぇなぁとばかりに京一は肩をすくめたが、小蒔のストレートに撃沈されてしまう。
「えへへっ、そうだよね。ありがと、醍醐クン、ひーちゃん。ま、それは置いといてさっそくラーメン屋へ……」
照れ笑いを浮かべながら、そう言った時だった。小蒔の顔が、ある方を向いたまま止まる。何事かと皆もそちらを見ると、こちらへ来る女生徒の姿があった。
「なんだ、藤咲じゃねぇか。この時間にここ、ってことは、少なくとも最後までは授業受けてねぇな」
「あっ――京一! 龍麻も――!」
向こうも気付いたのか駆け寄ってくる。よほど急いでいたのか、陸上部であるはずの彼女にしてはかなり息を切らせている。
「よかった……もしかして、もう帰っちゃった後じゃないかって……あたし……」
「藤咲さん……? 大丈夫? 目が真っ赤だわ」
まるで泣き腫らしたかのような顔。それにいつもと違って随分弱々しい印象を受ける。藤咲の様子を見て訊ねる葵。皆は藤咲の言葉を待つが、その口が動く様子はない。いや、何かを言おうとしてはいるのだが、言葉にならないのか。
「どうした? 黙ってるなんて、お前らしくねぇぞ? 俺達を頼ってここまで来たんだろ? 話してみろよ」
「エルが――あたしのエルが、いなくなっちゃったんだよ……」
今度は京一が優しく問う。ようやく藤咲は何があったのかを口にした。
エル――藤咲の飼い犬であるボクサー犬の名前である。自殺した彼女の弟の、担任から贈られたという犬で、藤咲は大層可愛がっていた。そして、京一達にとっては、墨田の事件の時に、夢の世界から帰還する道を開くきっかけとなってくれた命の恩犬でもある。
「でもいなくなった、って……普段はきちんと繋いであったんじゃ? それに、あの子は賢いし、亜里沙に懐いてるから、黙って出て行くとは思えないんだけど」
「それが……妙なんだよ。今朝――いつも通りにエルに餌をあげようと思って小屋に行ってみたら――辺り一面に血の痕が……」
龍麻の指摘に、更に衝撃的な事実が告げられる。血痕、ということは少なくとも勝手に逃げたという類の話ではないようだ。
「で、まだ見つかってないんだね?」
「うん……一日中、捜し回ったんだけど見つからなくて、もう、どうしていいのか分かんなくなって……気が付いたら……ここに来てた。あたしにとって、エルは家族同然なんだよっ! ずっと……弟みたいに可愛がって――」
「分かってるよ。だから――真神
俯く藤咲の肩を、京一は励ますようにぽんぽん、と叩いた。
「心配すんな。俺達の答えは一つだぜ」
「うんっ! みんなで一緒にエルを捜そっ!」
「私も手伝うわ、藤咲さん。だから、元気を出して……」
「捜し物をする時は、人手が多いに越したことはない。俺も参加させてもらうぞ」
「他に手の空いてる仲間達にも声を掛けてみよう。大丈夫、絶対見つかるよ」
真神組に異論のある者などあろうはずがない。藤咲は仲間で、その彼女が困っているのだ。それを助けない者など皆無だ。
「みんな……迷惑かけて、ごめん……」
「ったく。急にしおらしくなりやがって。いつもみたいに憎まれ口叩いてる方がよっぽどお前らしいぜ」
「な、なにさっ? あたしだって素直になることくらいあるんだよっ!?」
京一の軽口に反応し、ようやくいつもの藤咲が戻ってくる。大したものだと感心する龍麻の視線に気付かぬまま、京一と藤咲はしばらくじゃれ合っていた。
墨田区――白髭公園。
藤咲の案内で龍麻達はここまでやって来た。既に日は落ちかけていてかなり薄暗い。
彼女の話によると、この公園は夢絡みの事件以来、ずっとエルの散歩コースになっているらしい。
「それならとりあえず、ここを中心に捜してみるか」
自然にいなくなったのだとしても、何者かに連れ去られたにしても、慣れ親しんでいる土地に戻ってくる可能性は高いと思われる。醍醐の提案に皆は頷く。
そこでふと思い出したように、小蒔が訊ねる。
「ところで藤咲サン。エルは一体、いつ頃いなくなったの?」
「昨日、寝る前に小屋を覗いた時は、まだいたんだ。だから多分、夜中か朝方……」
「そして、小屋の周りには血痕か。やはり、誰かに無理矢理連れて行かれたのかもしれんな」
「その可能性の方が高いね。でないと血痕の説明がつかないし」
「そんな……どうしてエルがっ!? 誰が攫ったっていうのよっ!?」
状況から判断した意見を述べる醍醐と龍麻。それを聞いて藤咲が声を荒らげるが
「まさか――!? 昨日の事件に巻き込まれたんじゃ……」
「昨日の事件……? あぁ、あの前の大臣が撃たれたってヤツか。そういや墨田区の事件だって話だったが、お前ん家のすぐ近くだったんだな」
「うん……そんなに遠くじゃないよ。でも、もしそうだとしたら何でエルが……」
放課後に聞いた話と、意外な所で繋がった。もっとも、本当に繋がりがあるのかどうかは判断材料が少ない為に断定できない。あくまで可能性の問題だ。
「それを考えた所で始まらねぇよ。とにかく、捜してみようぜ」
「うん……エル……きっと無事だよね?」
「当たり前だ。エルが、お前を置いてどこかに行くわけねぇだろ? お前が信じなくてどうするよ?」
未だに弱気が抜けない藤咲の頭を、小突く京一。その行為に一瞬むっとする彼女だったが
「そうだよね。あたしが、しっかりしなくちゃね。……あっ、そうだ!」
と、いつもの表情を取り戻した。そして何かを思い出したのか、大きな声を出す。
「あたし、一旦家に戻って、救急箱、持ってくるよ。エルは怪我をしてる。見つけたらすぐに手当てしてやらなきゃ」
「それじゃあ、ボク達は先に手分けして捜し始めてるよ。それでいいよね?」
「そうだね。よし、二十時にもう一度、この場所に集まろう」
小蒔の提案に頷いて、龍麻は自分の腕時計に視線を落とし、告げる。そして顔を上げると京一に目で合図した。京一以外はそれに気付かなかったようだ。
ほんの一瞬だけ照れ臭そうな顔をして、彼は藤咲に声を掛けた。
「エルが攫われたかもしれねぇってのが気になるし、いくら地元でも、お前一人じゃ心配だ。俺もついて行ってやるよ」
「きょ……京一!?」
小蒔は京一のセリフに目を見開き、醍醐と葵も何が起こったのか呆然としている。当事者の藤咲は京一をじっと見ていたが、表情を綻ばせて
「じゃ、行こうか」
と答えた。この反応に、これまた面白いくらい反応する小蒔達三人。
「まっ、そういうわけだ。ひーちゃん、わりぃが先に行っててくれ。それと……気をつけてな」
「昨日あんな事件があったばかりだしね。用心はするよ」
「あぁ。この間の件といい、最近は、どこで何が起こるか全然分からねぇからな。俺も、一応気をつけるさ」
「お、お前が俺達を気遣うなんて珍しいな、京一……何か気になることでもあるのか?」
ようやく立ち直ったのか、京一の態度に醍醐が怪訝な表情を作った。いや、と京一は首を傾げつつ頬を掻く。
「そんなんじゃねぇんだけどよ。まぁ、何となく……だな。今の世の中が物騒なのは事実だしよ。さて、それじゃ、そろそろ行こうぜ、藤咲」
「うん……そうだね」
それじゃあまた後で、そう言い残して二人はそのまま歩いて行ってしまった。
「ひゃぁ〜ホントに二人で行っちゃったよ。京一、一体どういう風の吹き回しだろ?」
目の前の出来事がまだ信じられないのか、小蒔は去っていく二人の背中をじっと見ている。
「本当に、藤咲さんが心配だったんじゃないかしら。だって、いつも強気な藤咲さんが、私達にあんなに弱いところを見せるなんて……」
「そっか……でも、下心もありそうな気がする……」
「まぁ、弱いところを見せたのは京一がいたからだろうし、京一も下心なんて無いよ。純粋に、亜里沙が心配だったんでしょ」
ただ一人、状況に何の影響も受けていない龍麻はそう評する。
「龍麻。どうしてそう言い切れるんだ?」
「恋人同士って、そういうものでしょ?」
「こっ――!」
「「恋人っ!?」」
龍麻の爆弾発言で、更に三人が誘爆した。驚くのも無理はないだろう。そんな素振りは今まで全く見せなかったのだから。しかも京一と藤咲の組み合わせだ。
「あ、そうか。みんなは知らなかったんだ。えと……今のは聞かなかったことにしてね。一応、口止めされてるし」
「い、い、い、いつからっ!?」
「夏頃から、だったと思うよ。それより、僕達もそろそろ行動に移ろうよ。雄矢、どう動く?」
なおも信じられないのか小蒔が追求してくるが、龍麻はそれを軽くかわして醍醐に訊ねる。
「そうだな。夜道は何かと危険だし、男女二人の組で二手に分かれるのがベストだろうな。龍麻、お前は美里と公園の中を捜してみてくれ。俺と桜井は、公園を抜けて向こうの通りの方へ行ってみる」
「分かった。それじゃあまた後で。葵さん、行こう」
エルを捜すべく、四人は行動を開始した。