「破っ!」
 劉の剄が、前方にいた憑き物つきを吹き飛ばす。ただそれは、京一達に使った活剄ではなく、発剄だった。しかも、手加減しているようには見えない。
「ちょっ、劉っ!……雄矢、指揮は任せるっ!」
「ああっ! あいつを頼むっ!」
 憑き物つきの相手を醍醐達に任せ、龍麻は劉へと駆け寄る。
「劉! 冷静になるんだ!」
 以前もこんなことがあったような気がすると考えながら、龍麻は劉の首根っこを掴んで引き戻した。
「何するんやっ!? 今は戦闘中やろっ!?」
「相手が一般人だって事を、分かってるのっ!? 僕達と違って、劉にはあいつらを傷つけずに倒すことができるだろう!? なんで、わざわざ相手を傷つけるような真似をするっ!?」
「そないなこと言うてる場合とちゃうやろっ!」
 近付いてくる憑き物つきに、再度発剄を放とうとする劉。その前に、龍麻はそいつを蹴り飛ばす。派手に転がっていくが、ただの蹴りだ。ダメージにはなっていないだろう。
「そちらの事情を無理に聞くつもりはない! でもね、怒りに我を忘れて戦う今の君と、本能の赴くままに襲ってくる憑き物つきと、どこが違う!? どういう人間が霊に憑かれやすいか、知らない君じゃないだろう!?」
 感情を高ぶらせると、霊の進入を容易くする――いくら劉でも、憑かれてからでは遅いのだ。
「僕達は憑依師を倒しに来たんだ。憑き物に憑かれた人達を傷つけに来たわけじゃないんだよ」
「……すまん。ちょっと訳ありでな。頭に血が上ってもうたわ……」
「言ったよ、事情を聞くつもりはないって。今は、やるべき事がある。劉には期待してるんだから」
 軽く肩を叩いて微笑むと、龍麻はそのまま憑き物つきの群れへと飛び込んでいく。
(なんや……敵わんなぁ……)
 頭をがしがし掻きながら、劉は龍麻の背を見る。
(緋勇龍麻……。あの方の息子か……)
「こら、劉っ! なにぼーっとしてんだよっ!? さっさと手伝えっ!」
「お、おう! 任しとき!」
 京一の檄にぱん、と頬を叩いて気合いを入れ、劉は《氣》を練った。
「活剄――っ!」
 剄を受けて憑き物つきが倒れる。
 京一達も、憑き物つきの相手は慣れたと見え、初戦より早いペースで次々と倒していく。戦況は、こちらへ有利に見えた。
 だが――
「ひーちゃんっ!」
 後方からの小蒔の声に、龍麻は振り向き、その視線を追う。
「……まずいな」
 龍麻の目に映ったのは、さっきまでは公園にいなかった一般人だった。しかも、憑かれている。公園の外にいた通行人が、霊を憑けられて投入されたのだろう。
「ひゃーははははは! ここをどこだと思っているんだ? 霊も! 人も! この街、この場所には溢れてるんだぜっ!」
 憑き物つきの向こう側で、火怒呂が勝ち誇る。
「くっ……まずいぜ醍醐! どうする!?」
「このままじゃ、押し切られますよ!」
 焦りを見せる京一と霧島に、醍醐はまた一人絞め落としてから、現状の分析を始めた。
(このままでは消耗戦だ。向こうの戦力はほぼ無限……こっちは直接戦闘に加われるのは男達五人だけか)
 考えている間にも、憑き物つきは一人、また一人と公園に進入してくる。
(せめてもの救いは、街の全部の人々が憑かれるわけではないということだが……数の不利はどうしようもない。火怒呂を倒せばそれで終わるだろうが、一般人を盾にされている以上、強行突破というわけにもいかん……せめて、火怒呂が霊を憑けるのを阻止できれば……もしくは、公園を封鎖できれば……)
 そこまで考えて、醍醐は顔を上げ、後ろを向いた。
「美里! 結界とやらで、街の人々を閉め出す事はできるか!?」
「え……? ……無理だわ! 公園全体を覆うほどの結界なんて、私にはまだ張れない! できたとしても、時間や道具の準備がいるの!」
「く……っ手の打ちようがないか……!」
「いや、できる!」
 そう叫んだのは、二人の会話を聞いていた龍麻。
「葵さん、六道迷符は使える!?」
 六道迷符――龍麻には馴染みとなった、人を遠ざける効力を持つ術の一つだ。
「え、ええ……教えてもらってるけど……」
「それじゃあ、階段を上がってそこに! これで、サンシャイン側からの進入は阻止できる!」
 東池袋中央公園の入り口は見る限り道路側とビル側の二つ。周囲はフェンスと壁、木に囲まれている。ならば、そこを封鎖してしまえば憑き物つき達は入ってはこられない。霊体を防ぐものではないが、取り憑いた時点で霊は人間の感覚器を利用する。ならば効果はあるはずだ。
「京一、美里の護衛を頼む! 霧島と劉は、公園内の憑き物つきを掃討! 桜井は龍麻の援護だ! 道路側の入り口を牽制してくれ!」
 龍麻の意図を酌み、醍醐も残りの仲間へと指示を出す。
「小蒔さん、相手は獣の霊だ。動物が苦手とするもの……分かるよね?」
「うん! ボクの得意技だもんっ!」
 手持ちぶさただった小蒔は矢を番え、公園入口に狙いを定めた。
「それは……火だよっ! いっけーっ、火龍っ!」
 小蒔の技が炸裂し、公園入口に炎が広がる。それを見て怯む憑き物つき達。
「葵さん、これを使って!」
 龍麻は腰の後ろから引き抜いた物を葵の足下へと投擲した。龍麻が最近手に入れた苦無だ。
「ペンや筆なんて持ってないだろうから、それで直接壁を削って描いてやればいい! 頼むよ!」
「ええ、分かったわ!」
「よっしゃ、行くぜ美里! 露払いは任せろっ!」
 降りてきた憑き物つきを薙ぎ倒していく京一。苦無を手に、それに続く葵。
「さすがだな、龍麻……」
「雄矢が結界なんて言い出さなかったら、思い付かなかったよ。それに、出そうと思っていた残りの指示は雄矢が出したんだよ? 仲間の配置、バランスをよく考えてる。僕と同じ考えだったもの。さすがだね」
 咄嗟の機転に感心する醍醐の胸をとんと叩いて、龍麻は別の苦無を取り出す。
「それじゃあ、あともう一息。援護よろしく!」
「あぁ! 道は俺が開いてやる!」
 龍麻の前に立ち、醍醐は目の前にいる憑き物つき達を蹴散らしていく。完全に戦闘不能にする必要はまだない。とりあえずは敵の数をこれ以上増えないようにするのが先決だ。
「行けっ、龍麻!」
 醍醐の攻撃でできた隙間を抜けて龍麻が走る。それに気付いて何人かが向かってくるが、小蒔の放った炎の龍が間で弾け、憑き物つき達の動きを止めた。
「おおぉぉぉっ!」
 苦無を口にくわえ、龍麻は《氣》を練り上げた。炎に変換された《氣》が、さながら壁のように入り口を塞ぐ。その隙に苦無を手に取り、入り口の壁に六道迷符の印を刻み付けた。
「さて、どうなるか……」
 緊張した面持ちで、龍麻は炎の壁が消えた向こうに注目する。霊に憑かれた人々は、こちらへ向かっていたようだが、目標を見失ったのか周囲をキョロキョロと見ている。公園内に入ってくる様子はない。
「――成功っ! 後は、公園内の連中だけだっ!」
「よっしゃ、一気にいくでっ!」
「はいっ、劉さんっ!」
 勢いに乗った劉と霧島が、残敵の掃討を始める。
「さて、後はお前だけだ、憑依師!」
 残りは醍醐達に任せ、龍麻は火怒呂へ向かって走る。
「くっ……! お前には狸だっ!」
 杖を振りかざし、火怒呂が叫んだ。《力》と共に、狸の霊がこちらへ向かって突き進んでくる。
「無駄だっ!」
 意に介さず、龍麻はそのまま火怒呂へと突っ込んでいく。狸の霊が龍麻の身体に潜り込み――
『ぎゃあぁぁっ!?』
 悲鳴を上げて消滅した。一瞬だけ、龍麻の身体を金色の光が包む。
「な……何だとっ!?」
「大蛇のような化物すら受け付けないこの身体に、それより格下の動物霊程度が憑けるわけないだろうっ!」
「て、てめぇ一体……!?」
 後ずさりながらも再度杖を振り上げる火怒呂。その杖を、後方から飛来した光条が打ち砕いた。小蒔の援護だ。
「これで、終わりだっ! 円空破っ!」
 掲げた右手に生じた《氣》の塊を、火怒呂の腹に叩き込む。直撃を受けて火怒呂は宙を舞い、噴水の壁に叩き付けられた。
「俺の国……俺の王国ぅぅぅ……グフゥッ……」
 何かを掴むように手を伸ばし、その言葉を最後に火怒呂が倒れる。
「これで、終わり――!?」
 背を向けて立ち去ろうとした龍麻の背後で、奇妙な気配が膨れ上がる。慌てて振り向いた龍麻の目に映ったのは、火怒呂の身体から、そして倒れた人々、いまだ動き回っていた憑き物つき達から飛び出していく動物霊達だった。



 サンシャイン通り。
「これで、ようやくカタがついたな」
「あぁ。まったくろくでもねぇ事件だったぜ」
 疲れた声でそう言って、醍醐と京一が伸びをする。
 とりあえず、火怒呂は倒した。《力》も失ってしまったようなので、もう二度とこのような事件も起きないだろう。
「でも、あの人が倒れた後、あの人の背後や、人々の中から、解放されて飛び去る動物達が見えたわ……」
「あれ? 葵さんにも見えたんだ」
「えぇ、あの時だけだったけれど。本当はみんな……ただ、寂しかっただけなのかも知れない……」
「寂しいから集まり、寄り添っていた霊、か……」
 立ち止まって龍麻と葵は公園の方を見る。もちろん、今は何も見えない。あの地に染みついていた怨念も、どうやら先の戦闘の終結と同時にほとんど消えてしまったようだ。今は何も感じられない。
「ついさっき、目と鼻の先であんなことがあったってのに、この街を歩く人は、誰一人気付かないんだよね」
 複雑な表情で、小蒔はすれ違う人々を見やった。街を行き交う人々の表情は様々だが、それはいつもと変わらない光景だ。今回の件が終わったことで、発狂事件も起こらない。やがて、そんな事件があったことすら、人々の記憶から消え失せてしまうだろう。
「そうやな……ここは、わいが生まれ育った村なんかより、ずっとおっきくて、便利で、キレイで人もぎょうさんおって……せやけど、なんや足らんもんがあるような気ぃするんや。なんや、無性に寂しい気分になったりせぇへんか?」
「そうだね。人がいっぱいいて、物がたくさんあって……それでも、理由は分からないけど時々寂しくなることがあるよ」
 何かが足りない。そう思う事がある。物質的な豊かさだけが目立ち、精神的なものが稀薄に感じられるからかも知れない。
 そう言って寂しげな表情になる龍麻を見て、劉はその細い目をますます細めて笑う。
「緋勇……お前、ほんまにええやっちゃな。お前なら……きっと大丈夫や」
「大丈夫、って……何が?」
 その問いには答えず、劉は大きく伸びをして言った。
「さってと、一件落着したことやし……なんや、腹が減ってもうたなぁ」
「あっ、ボクもボクもっ! もう、さっきから、お腹が鳴りっぱなしっ!」
 その一言に、小蒔が飛び跳ねる。先程までのしんみりとした空気は一瞬にして吹き飛んだ。
「おっ、なんや小蒔はんとは気が合うなぁ。それやったら、これからみんなでラーメンでも食いに行こか? わい、池袋やったら、ええとこ知ってんねん!」
「結局こうなるんだな。まぁ、たまには違う所で食うのも悪くないがな」
 いつものことだ、と醍醐も笑い
「僕も賛成ですっ! やっぱりラーメンは、大勢で食べるのが最高ですよねっ!」
 霧島も嬉しそうに賛成する。今更、ここで反対意見を出す者などいるはずもない。事件解決後の外食=ラーメンという図式は、覆りようもないのだ。
「うふふ。それもそうね。それじゃあ、劉くんに案内してもらおうかしら」
「その前に、劉。訊きたいことがあんだけどよ」
 葵が言ったところで、京一が劉に問いかける。
「お前さっき、妙なコト言ってたよな?」
「そういえば……火怒呂ってヤツに会った時――劉クン、なんかすごくコワイ顔してたよね」
「あぁ? わいの顔が怖いやてっ!?」
 小蒔も一緒になって尋ねるが、劉は振り向くと
「ううっ、小蒔はん、そらヒドイわぁ〜。わいかて、好きでこないな細目に生まれてきたわけやないで? この傷かて、なんも好きこのんでつけてるわけやあらへんのにぃ〜。こんなお茶目なわいを、怖いやなんてぇ〜っ」
 袖で目を拭いながら大袈裟に嘆いた。それが芝居であることが、龍麻には「感じられた」が、他の者はそうもいかない。特に小蒔は、自分の発言が劉を傷つけたのだと思っておろおろしている。
「あっ、あの……ゴメン、ボク……そんなつもりじゃ……」
「ちゅうわけで、まっ、気のせいやで気のせいっ。ほな、行こ行こっ! 早うせんと、店閉まってまうでーっ!」
 謝る小蒔に劉は顔を上げ、ぺろっと舌を出した。そしてスキップしながら去っていく。それを見てぽかんとしている京一達。龍麻と葵は、笑いを堪えていた。
「……う、ウソ泣きしたなーっ!」
「この――待ちやがれ、劉っ!」
「ちょっ……京一先輩っ!?」
 ふくれた小蒔と京一が劉を追いかけ、霧島は慌てて京一の後を追う。一方、そのノリから一歩離れた場所にいた龍麻達。
「あいつ……何か知っているな。一体、何者なんだ……?」
 刀術、剄の実力もさることながら、火怒呂と対峙した時の態度。どう考えても訳ありなのは間違いない。
「現時点では何とも。でも、今は何も詮索はしないでおこうよ」
「えぇ……今はもう、私達の仲間だもの。いつかきっと……話してくれるわ……」
「あぁ、そうだな……っと、俺達もそろそろ行こう。置いて行かれるぞ」
 醍醐が劉達を追おうとしたその時、龍麻が立ち止まった。
「ん……どうした、龍麻?」
「いや……何か、気配というか、視線みたいなものを感じたんだけど……」
 振り向いて龍麻は人混みに視線を巡らせる。だが、その主らしき者を確認するには至らない。
(何だろう? 嫌な感じがしたんだけど……)
 首を傾げながらも、龍麻は再び歩き出した。



 池袋における猟奇事件はこうして終了した。
 今回の首謀者、火怒呂が、東池袋中央公園で惨殺死体となって発見されたことを、龍麻達は翌日知ることになる。



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