10月23日。HR。
「今日は、文化祭でのイベント等について色々と意見を纏めていこうと思います」
教壇に立ったクラス委員長の葵が司会となり、告げた。
11月に入ると文化祭がある。各部活、所によっては各クラスによって様々な催し物が出るのは、どこの学校でも同じだ。クラスの出し物はすでに決まっており、色々と準備が進んでいる。
「なんだよ、ミスコンでもするのか?」
とは京一の言。その途端、クラスの男子どもがおおっ、と沸き立った。
3−Cの女子は、他に比べてレベルが高い部類に入る。かなりの高順位を期待できるのだ。
だが――
「え、っと……コンテストには違いないのだけど……」
と、葵は言葉を濁した。そして
「ミス、じゃなくて、ミスターなの」
ぴきぃぃぃぃん……
クラスの空気が凍り付く。さらに
「しかも、女装コンテスト」
次の一言で何かが砕け散ったような音が聞こえた気がした。クラス全員が、目を点にしている。特に京一以下、一部の男子の落胆ぶりはと言うと、見ていて哀れになるほどだった。
「なんだよそりゃあっ!?」
「何でも、普通じゃ面白くないだろう、ということになって。それに、ミスコンだと企画段階で反対になるのは目に見えてるし。その点、男子のコンテストならイベントとしては申し分ないし」
血の涙を流しかねない京一に、言いにくそうに葵が答える。うんうん、などと頷いているのは女子連中だ。
「ちぇっ……まぁ、仕方ねーか。でも、女装の似合うヤツなんてなぁ……」
京一がある一点に目を向けた。それに倣って、他の者達もそちらを見る。その視線の先にいたのは一人の生徒。言うまでもなく――
「ぜっっっったいに! 嫌だあぁぁぁっ!」
龍麻であった。周囲の視線に耐えきれず、机をバンと叩き、椅子を蹴って立ち上がる。その形相に、クラスの殆どの者が怯んだ。マリアですら、龍麻の剣幕に圧されている。
(まぁ……龍麻ならそう言うだろうな……)
(見てみたい気はするケド……ひーちゃん、嫌がるだろうなぁ)
(なんせ、トラウマだしなぁ……)
龍麻が過去に義姉二人の人形と化し、女装させられたことがあるのを知るのは、京一達四人と如月だけだ。アレを知られた時の龍麻のショックと言ったら……思い出しただけでも気の毒になる。
しかし救いの神は、その仲間の中にいた。
「あの……この企画は、自薦他薦はなしなの」
葵である。
「企画段階で、どういうわけか3−Cが圧倒的に有利になるから、公平にくじ引きで決めるべきだって」
「それって、ボク達がひーちゃんを推すって分かってたってコトかなぁ?」
「だろうな」
納得顔の小蒔と醍醐を、龍麻が睨みつける。慌てて顔を逸らす二人であった。
「まぁ、そういうことなら仕方ねぇさ。で、どうやって決めるんだ?」
「この箱の中に入っているくじを引いてもらうわ。順番は……どうしようかしら?」
教卓に箱を置いて、クラスを見回す葵。一瞬、龍麻で視線を止めてから
「最初は龍――緋勇くんに引いてもらっていいかしら?」
と、皆に訊ねる。個人的な感情もあるが、もしも龍麻に決まったら、仕組まれたものだ、と勘ぐる者が出るかも知れないのが理由でもある。
結局のところ、そういう考えに至るという時点で、葵もまた、龍麻に白羽の矢が立つことを予想していたのだろう。
葵の提案に異議を唱える者はいなかった。何故か、残念そうな顔をする女生徒が何人かいたが。
「さぁ、緋勇くん、どうぞ」
葵が差し出す箱に、龍麻は手を入れる。
(まぁ、引く確率は一番低いんだ。緊張したって始まらないよね)
と気楽に龍麻は手を引き出した。その手に握られた紙切れの色は、赤。
「そういえば、当たりって何色?」
「……赤なのよ、龍麻くん……」
あんまりと言えばあんまりな結末に、葵が頭を垂れ、教室内にどよめきが起こった。何人かの女子が黄色い悲鳴を上げる。
当事者の龍麻は完全に石化していた。
「おいおい、いくら何でもできすぎじゃねぇか?」
さすがに気の毒に思ったのか、京一が進み出て箱からくじを引いた。色は白。続けて引くが同じく白。更にもう一枚――以下略。
結局、白以外のくじが引かれることはなかった。全部が赤、というベタな仕掛けではなかったようだ。
「……運が悪かったな、ひーちゃん」
ぽん、と龍麻の肩に手を置き、疲れたように京一が呟く。それに応える気力は、龍麻には残っていなかった。
「んで。結局ひーちゃんに決まったのは仕方ないとして……どうするんだ?」
「向こう側」の世界に逝っている龍麻はとりあえず放置されていた。
「女装っていっても、どんな格好させるんだよ? やっぱ着物か?」
テーマを思い出し、京一が問う。
今回の文化祭には「時代劇」というテーマがあった。簡単に言うと、生徒達が時代劇の住人に扮するという――仮装のようなものだ。もちろん、全員がそうするのは困難なので、各クラス数名が必須、残りは自由という事になっていた。
こんな企画が通ったのも、劇団をやっているOBが、大量の着物や小道具を真神に寄贈したからだという。
その問いに、葵は首を振った。
「コンテストに関しては、特に制限はなしになっているわ」
「やっぱりインパクトが欲しいよな。ウェディングドレスとかどうだ?」
「いやいや、緋勇くんならチャイナドレスとかイケるかも!」
「いっそのことメイド服着せるのはどう?」
「おおっ! それ面白そうっ!」
好き勝手に騒ぎ始めるクラスメイト達。言いたい放題とはこういうのを指すのだろう。ナースがいいだの真神の女子の制服を着せようだの、とんでもない盛り上がりを見せている。
そんな中――
「ちょっと待ったっ!」
一人の女子が立ち上がった。
「どんな格好させても問題ないと思うんだけど、せっかくだからさ、テーマの時代劇っていうのを使ってみない?」
「でもそれだと、着物くらいしか思い付かないけど。ちょっと弱くない?」
「そうね。派手に見せようと思ったら、お姫様くらいじゃない?」
他の女子達は、いまいちな反応を見せる。しかし
「フフフフ。だーいじょうぶよ。素材の魅力を十二分に引き出してみせるわっ! ここは演劇部部長の私に任せなさいっ!」
ドン、と胸を叩く演劇部部長の女子。
「それに、不評だったら別のにしてもいいし。まずは試させてよ。じゃ、そーゆーことで」
パチンと指を鳴らすと、側にいた他の女子が二人立ち上がった。そして龍麻の両腕を取って立ち上がらせる。どうやら演劇部員らしい。
「……あ、あれ……?」
ここでようやく気が付く龍麻。
「あの……この手は一体……?」
「うふふふ〜。緋勇君は何も心配しなくていいのよ。大丈夫、悪いようにはしないから。――連行!」
大丈夫という言葉からは程遠い笑みを浮かべ、命令を出す。
「ちょっ、ちょっと――!?」
相手が女子では無理な抵抗もできず、龍麻はそのまま連れ去られてしまった。
しばらくして
「おい……いいのか……?」
誰かが誰にともなく問う。答えることのできる者はいない。
「……なぁ、蓬莱寺。お前、親友だろ? いいのかよ?」
「あ? あぁ、そうだな……」
同じく呆けていた京一だったが、クラスメイトの声に我に返る。
「醍醐、とりあえず、様子見てこようぜ」
「あぁ、そうだな……」
同じく呆けていた醍醐を「こちら側」に引き戻す。
二人は龍麻達を追った。
演劇部部室。
「どうやら、ここみたいだな……」
「……そう、みてぇだな……」
部室の前で二人は足を止めた。踏み込もうにも、部屋には鍵が掛かっていて入ることができない。それでもここにいると分かるのは、中から漏れてくる声のおかげだ。
ただ――
「さー。さっさと服を脱いで!」
「え? いや、あの……」
「いいから!……いや、いいわ無理矢理脱がすから」
「ち、ちょっ……! ボ、ボタンが千切れ――!」
「ええい、それくらい後で縫ってあげるわ! やっておしまいっ!」
「「おーっ!」」
「わーっ!」
とまぁ、こんな声が聞こえてきたわけだが。
「「……不憫な……」」
と、同時に漏らす京一と醍醐。相手が女子では叩きのめして逃げることもできまい。過去の悪夢の再現は避けられそうにないようだ。
「ねぇ、胸どうするー?」
「そうね、せっかくだから強調しましょうか。不自然にならない程度に詰めて」
「うん。さー、緋勇君、ブラ着けようね〜♪」
「いっ……嫌だーっ!」
「足は?」
「もちろん剃る! って……必要ないみたいだけど……ま、いいわ。一応お願い」
「お、お願いだからやめてよっ!」
「ほら、暴れたら怪我するわよ!」
「じゃ、私は腰の方を、と……」
「ぐっ……ぐえぇ……そんなに絞めな……」
楽しそうな女子の声と、それとは対照的に不幸のどん底にいるような龍麻の声。
やがて龍麻の声は聞こえなくなった。その代わりに女子達のテンションは上がっていたが。
そして五分後――
「あら、蓬莱寺君に醍醐君」
部室のドアが開き、三人の女子と、布を被った龍麻が出てきた。どんな格好をさせられているのかは現時点では分からない。
「……おい、ひーちゃん。大丈夫か……?」
「……」
返事はない……。
「お前ら……ひーちゃんに何したんだ……?」
「別に? 着替えさせて、簡単な化粧を施しただけよ。まぁ、本番じゃないから、あちこち手は抜いたけど」
(あれだけやって、まだ手抜きだと……?)
中から聞こえてきた言葉を思い出し、胸中で呟く醍醐だったが、直接突っ込む気力は起こらない。
「さー、お披露目といきましょうか」
とっても嬉しそうに、演劇部の面々は龍麻を連れて行く。
京一と醍醐は顔を見合わせ、はぁ、と大仰にも見える溜息をついた。
数分後、3−C教室から、男子の絶叫と、何かに自信を失った女子の落胆の声が聞こえてきたという。
他の生徒がその原因を知るのは、文化祭当日の事であった。