10月24日――緋勇家。
如月骨董品店と並んで、いや、それ以上に魔人達の溜まり場になっている緋勇家。その道場に、今日も魔人達が集まっていた。正確には旧校舎帰り――今日は大宇宙組、鳳銘組、それに劉を初めて連れて行ったのだ。そして、龍麻の復帰第一日目でもあった。
「「「はぅ……」」」
道場の一角に、大宇宙組が突っ伏していた。満身創痍という表現がぴったりくる。
今回は深い階層へは潜っていない。が、彼らにはまだまだきついようだ。能力的には問題ないはずなのだが、どうしても無駄な動きが目立つのである。
「ほら、そんな所で寝転がってないで、いつものメニューをこなすっ」
ぱんぱん、と手を叩き、我らが指揮官、緋勇龍麻はそんな彼らに容赦なく言い放つ。
「ち、ちょっと待ってくれよ、師匠……」
よろよろと紅井が身を起こした。その表情は疲労が色濃く、すぐに動くのは困難に見える。
「あれだけの戦闘の後なのよ……少しは休ませて……」
「あぁ……頼むからもう少し……」
続いて本郷、黒崎もそのままの状態で異議を唱えた。
「あれだけの戦闘、って……たかだか十階潜っただけじゃないか。《陰氣》の影響から身を護りつつ、魔物と命懸けで戦う――初めてだからきついのかも知れないけど、この調子じゃ実戦ははるか遠くだよ」
前髪を掻き上げて、龍麻は道場の別の一角へと視線を向ける。
「踏み込みが甘いぞ」
「は、はいっ!」
京一と霧島が、そこで剣を交えていた。使っているのは訓練用の木製武器ではなく、現在彼らが戦闘で使用しているクトネシリカとカラドボルグ。《氣》による攻撃こそ繰り出してはいないが、武器はしっかりと《氣》を纏っていた。
成り行きとはいえ、霧島は帯脇の件で実戦を経験している。それに火怒呂の時もだ。飲み込みが早いのか、それとも素質なのか、霧島はいっぱしの戦力になりつつあった。
「さ、続き続き。時間は有効に使おうね。それとも、僕と模擬戦する?」
龍麻は意地悪い笑みを三人に向けた。
今、彼らに教えているのは《力》の活用の仕方だけだ。《力》を使って身体能力を上げること。まずこれができないと、常人より運動能力の高いだけの人と変わらない。それでは旧校舎の魔物相手、ひいては魔人達とは戦えない。技や攻撃は二の次である。
以前一度だけ、飽きが来たのかだだをこねた事があり、右手と左腕が完治してない状態ではあったが龍麻が彼らの相手をした事があった。結果は言うまでもなく、だ。
その時の事を思い出したのか、大宇宙組は跳び起きて自然体で目を閉じる。少しすると、彼らの身体から蒼い光が滲み始めた。
「ん、その調子でいこう」
紅井達にそれだけ言って、龍麻は別の方向に視線を向ける。その先にいたのは、舞園さやかだった。道場の床にぺたんと座り、壁に背を預けてぼーっとしている。紅井達ほどではないが、その顔には疲労の色が見てとれた。
以前約束した通り、旧校舎で彼女の《力》を試したのだ。歌に乗せて《力》を行使する――単に声でもいいのだろうが、歌手という職業柄、その方が集中できるようではあった。治癒のみならず、様々な効果を発揮した彼女の《力》も、今回の件で十分な戦力として期待できるのが確認されたわけだ。
「舞園さん」
近寄って龍麻は声を掛ける。どこか焦点の合ってないその目は、龍麻の姿を捉えていないようだ。
「舞園さん。大丈夫?」
二度目の呼びかけに、ようやく舞園は気付いたようだった。慌てて姿勢を正し、こちらを見上げる。
「あ、すみません。ちょっと考え事を……」
「別にいいけど。やっぱり、無理しすぎたんじゃないかなって、少し心配でね」
意識して《力》を使う事自体、今回が初めてだったのだ。しかも、色々と試しながら。使い慣れない《力》を使った事で、消耗が激しいのも当然であるが
「いえ、そっちの方は大したことないんですけど……」
「あぁ、さっきのあれね」
理由は別の所にあった。言い淀む舞園に、彼女が何を言いたいのかが分かる。
ここへ来る途中――正確には旧校舎を脱出し、真神を出ようとしたところで、新聞部長に捕まってしまったのである。取材をさせてくれとは言われていたが、別に約束した覚えはない。それでも、舞園さやかを目の前にして黙っているほど、遠野杏子は甘くなかった。結局押し切られる形で舞園は彼女のインタビューを受けたわけだ。つまり、取材疲れである。そのテの事には慣れているはずだが、その舞園をここまで疲れさせるとは、アン子恐るべしであった。
「なんだか、すごい人でしたね」
「まぁ、取材にかける情熱はプロ並み……いや、それ以上だから。舞園さんも災難だったね」
苦笑する龍麻。彼自身、アン子の取材攻勢に辟易したことがあった。ある意味他人事でないので、彼女の気持ちはいくらか理解できる。
「あの……一つ訊いていいですか?」
「ん?」
「龍麻さんは、どうして私を『舞園さん』って呼ぶんです?」
唐突な問いに、龍麻は座っている少女をじっと見つめる。
「何か、おかしいかな……?」
そして、自信なさげに訊き返した。すると舞園の方が困惑した表情を浮かべる。
「別におかしいというわけじゃないんですけど……なんて言うか、聞き慣れないものですから。年上の人に苗字をさん付けで呼ばれることなんて、学校以外ではないですし」
ファンを含めて、大抵の者がさやかちゃんと呼ぶ中で、龍麻の呼び方は違和感があるようだった。
基本的に、龍麻は女性を呼ぶ時は苗字に「さん」を付けて呼ぶ。本郷、アン子、天野は今でもそうだ。葵と小蒔、織部姉妹は名に「さん」を付けている――葵に関しては例外もあるが。藤咲と高見沢は本人の希望もあって名を呼び捨て、裏密は要望通りミサちゃんと呼んでいる。マリィは呼び捨てだ。
「そういうことなら、今度からさやかって――」
「んだとぉっ!?」
どうやらこちらの会話は耳に入っていたらしい。龍麻の言葉に過剰に反応したのは京一だった。手合わせ中だった霧島の剣を造作もなく叩き落としてから、詰め寄ってくる。
「ひーちゃんてめぇ! さやかちゃんを呼び捨てにしようたぁ、いい度胸じゃねぇかっ!」
「……あのねぇ、毎回毎回、何をそうムキになるかな?」
呆れた顔で、龍麻は京一を見る。京一の反応の理由が、いまだに理解できていない。
「さん付けで呼ばれるのが抵抗あるって言ったから、呼び捨てにしただけだよ? 亜里沙や舞子の時と何ら変わらないのに」
「そういう問題じゃなくてだな! 俺が言いてぇのは――!」
「それより京一」
「んだよっ!?」
「背中、がら空き」
べし
言うと同時に、京一の頭に平べったい物体が触れた。それが剣の腹であることに気付く。もちろんそれをしたのは――
「やったっ! 京一先輩から一本とったっ!」
霧島であった。
「京一先輩、約束通り、技を教えてくださいね」
「ま、待てっ! 後ろからってのは卑怯……」
「いつ、どこでもいいから、俺から一本とってみろって言ったじゃないですか」
口をとがらせる霧島。京一の方も、自分が言ったことに間違いはないのでそれ以上言葉が出ない。
「ま……呼び捨てにすると、嫌な奴を思い出すかも知れないから、普通にさやかちゃんって呼ぼうか」
龍麻は肩をすくめて、騒ぐ師弟に視線を向けた。
「いやいや。賑やかなトコやなぁ」
同じく、壁に寄り掛かっていた劉が、面白そうに京一達を見ている。こちらは疲労の色はなく、平然としていた。
「いっつも、こんな感じなんか?」
「大体、こんなものだよ。うちにはムードメーカーが多いから」
「しかも全員が《力》持ちやもんなぁ。組織や特定の一族、ってわけでもあらへんのに、これだけの《力》持ちが集まるのは珍しいで。その上、腕の立つ連中が多そうやし。でもそん中でも、アニキは群を抜いとる」
今日の旧校舎――とある階での出来事を、劉は思い出す。回復具合の確認ということで、龍麻が一人だけで戦った時のことを。
「一体、何を食うたらあんだけ強うなれるんや?」
「別に何も。一日三食、人間の食べ物しか食べてないよ」
冗談めいた口調の劉に、龍麻は何の捻りもない回答を返す。すると
「あかん! あかんがな、アニキ!」
突然、劉が大声を上げた。
「え?」
「そこで普通に返されたら、ツッコめんやないか!」
「……いや、別にボケ役になったつもりはないんだけど」
どうやら先のはボケる場面だったらしい。アランの如きオーバーリアクションで嘆く劉に圧されて、龍麻は力無く笑うことしかできなかった。アランと会わせたら、間違いなくお笑いコンビになるに違いない、などと考えながら。
「まぁ、食べ物云々はともかく、どんなことだって日々の積み重ねだよ」
いつも通り腰に提げているポーチから、龍麻は手裏剣を取り出す。そしてそのまま壁に掛けてある的へ投擲――そのほとんどは、意図した箇所へと突き立った。
「素手でも充分戦えるところへ、武器も使うんやもんなぁ」
「人間相手に使う機会は多分ないと思うけどね」
続けて苦無を引き抜こうとしたところで、龍麻は人の気配に気付いた。自分のよく知る《氣》の持ち主――
「龍麻くん、頼まれていた物、買ってきたわ」
声を掛けるよりも早く、気配の主、葵が手にした買い物袋を掲げて見せる。
「あぁ、ありがとう。ごめんね、買い物なんて頼んじゃって」
「いいのよ。霧島くん達を案内するのに、家主が抜けるわけにはいかないもの」
旧校舎から出た後、家へ案内しようとしたところで、夕食の買い出しを忘れていたのを思い出したのである。それならば、ということで、葵がその役を買って出てくれたのだ。
手を合わせて謝る龍麻に、葵は気にしないで、と笑う。
「さて、それじゃ、もう一働きしますか……葵さん、手伝ってくれる?」
「ええ」
買い物袋を受け取り、龍麻はそのまま台所へと向かい、葵はその後に続いた。
家主がいることで台所が活気づく。仲間達に振る舞う夕食を作るために、家主とその手伝いは材料と格闘していた。
手を動かしながら、葵は龍麻に視線を向ける。今までに何度も目にしている、龍麻が料理をする光景。普段ならその手際の良さに感心するところだが、今の葵はまったく別のことを考えていた。
それは、最近の龍麻について。
つい先日、対九角戦の怪我が完治した。それは喜ばしいことだ。これから起こるであろう事件にも十分に対応できるようになる。しかし最近の龍麻は様子がおかしい。
九角戦で照明代わりに手裏剣を使った時。無手の技で戦う龍麻が武器を携帯していたことを知ったあの時から、葵は違和感を感じていた。池袋の件でも武器――苦無を持っていた。今日の旧校舎では、一階層だけ龍麻が一人で戦ったが、僅かな時間で魔物を殲滅した――それも武器、今までに見たことのない技を行使して。
「ねぇ、龍麻」
「ん?」
「最近、無理してない?」
「いや、別に。どうして?」
その問いに、淀みなく龍麻は答える。
「僕は僕、いつも通りだと思うけど……葵にはそう見えた?」
「ええ。ゆっくりと静養していたのかと思っていたけど、そうでもないみたいだから」
やや棘を含んだ声。見た目に変化はないが、野菜を切るリズミカルな音が一瞬乱れたのを葵は聞き逃さなかった。
「手裏剣を戦闘に使う龍麻なんて、初めて見たわ」
「つ、使う機会がなかったからね……使えたら便利かなと思って、怪我する前から翡翠に用立ててもらってたんだけど……」
「そう。池袋で持ってたあの武器も?」
「いや……あれは、オリハルコンの手甲が壊れたから、その再利用を……」
「じゃあ、今日の旧校舎で見せた技は? あんな技、使えていたかしら?」
「……」
調理の手が段々とのろくなっていく。つー、と汗が頬を伝っていった。その様子に、葵は溜息をつく。
「あれだけ大人しくしていて、って言ったのに、色々とやっていたのね」
「いや、その……あれは……」
「聞く耳持ちません」
こちらを向いて慌てる龍麻から、葵はぷいっと顔を逸らした。
「べ、別に無茶をしてたわけじゃないよ。ただ無理のない範囲で、できることをやっておこうと思って……投擲武器は片手でも扱えるし……わ、技だって、勉強していたのを今日試してみただけで……」
「その割には、危なげなく使いこなしていたわね」
あたふたと手を動かしながら龍麻が言い訳するが、葵の反応は冷たい。そちらを見ることなく自分の前にある野菜の皮を剥く。
「……ごめん……」
数秒の沈黙の後、頭を垂れて龍麻は謝罪の言葉を吐き出した。武器のことはともかく、技の方は弁解の余地はない。右手の怪我が残っていた頃から型は繰り返していたし、それが治ってからは、自宅の道場で修練を重ねていたのだ。約束を破ったことには変わりない。
ゆっくりと頭を上げ、上目遣いに様子を窺う。その時には葵はこちらを見ていた。その顔に浮かぶのは苦笑。
「龍麻が色々と考えた上で行動しているのは分かるわ。これからのために、やらなくてはいけないことがあるのも分かる。でも、今の龍麻はどこか焦ってるように見えるの」
「別にそんなことは……」
「ないと言い切れる?」
何やら言いかけた龍麻の言葉を自分の言葉で遮る。
「今日の旧校舎での戦いを見て、私、龍麻が怖いと思った。強くなっていたことが、じゃない。ただひたすらに力のみを――敵を斃すためだけの強さを求めている、そう思えたから」
葵の指摘に、龍麻は観念したように溜息をついた。
「普段通りのつもりだったんだけどね」
「隠し通すつもりだったのなら、今日、披露するべきじゃなかったわね。復帰直後にあんな動きを見せたんじゃ、霧島くん達はともかく、私や京一くんの目は誤魔化せないわ」
怪我する前の龍麻を知らない者達から見れば驚くだけで済んだのだろうが、そうでない者達の目から見ると、今日の龍麻は不自然この上なかった。不在だった醍醐と小蒔も、もしその場にいれば同じ感想を持ったことだろう。
「……何があったの? 私でよければ、話してくれる?」
「何があった、ってわけじゃないよ。ただ……」
真剣な眼差しを向けてくる葵。すぐには答えず、龍麻は中断していた調理を再開する。少しの間をおいて、龍麻の口から漏れた言葉は、以前誰かに言ったのと同じものだった。
「「「ごちそうさまでした」」」
鳳銘組の二人と劉が、箸を置いて丁寧に手を合わせる。
「ホント、おいしかったです! 龍麻先輩!」
「これだけ上手だったら、お店も出せるんじゃないですか?」
「そうやなぁ。この味であの金額なら、毎日でもええわ」
そして、次々と賞賛の声が出た。本当なら、ここでコスモの連中の声も加わるのだろうが、彼らは何度かここで食事をしたこともあるし、今日は今日で、パトロールがあると言って食事前に撤収していた。
「気に入ってくれたのなら嬉しいよ。またいつでもどうぞ」
「でも、意外でした。龍麻先輩が料理もできるなんて」
「まぁ、男でここまでやれる人はそういないだろうとは自分でも思うけどね」
尊敬の眼差しとでもいうものを向けてくる霧島。照れくさそうに笑いながら、龍麻は劉の方を見る。
「劉なんかはどう? 料理とかやれそうな気がするんだけど」
「わいか? へへっ、よう訊いてくれたなアニキ。これでも多少自信はあるで? もしよかったら、今度作ったろか? 本場仕込みの――たこ焼きを!」
自信たっぷりな劉の言葉に、京一以下数名がこけた。
「あ、あのなぁ……普通、中華じゃねぇのかよ、中国人留学生?」
「まぁ、たこ焼きは冗談やけど。中華言うても幅広いからなぁ。家庭料理くらいなら何とかなるけどな。でもアニキ、なんでそんなに料理得意なんや? 将来、料理人にでもなるんか?」
「ん? いや、僕の場合は仕込まれたっていうのが正しいのかな。働かざる者食うべからず、って小さい頃から義姉二人にね。まぁ、今となっては作るのも好きだけど」
懐かしそうに龍麻が言うと、劉はうんうんと納得顔で頷く。
「やっぱ人間、姉には勝てんわなぁ……よう分かるでアニキ……」
その目は虚空を見つめている。どうやら劉も、姉絡みで昔何かあったらしい。あえて追求するつもりはないが。
「お、そういや、ひーちゃん。香澄さん達は、今度来るのかよ?」
姉という言葉で思い出したのか、京一が訊いてきた。
「今度って、いつのこと?」
「んなの決まってんじゃねぇか。三日だよ」
意地悪い笑みを浮かべ、京一は龍麻を見る。自然、龍麻の顔が引きつった。
「? 京一先輩、三日って、来月のですか? 何があるんです?」
「あぁ、諸羽達は知らなかったな。真神の文化祭が、来月の三日なんだ」
笑みを崩さぬまま、京一は説明する。そして
「遊びに来るか? 面白いモンが見れるぜ?」
当然の如くそう言った。これに血相を変えたのは、先の説明にあった「面白いモン」であろう龍麻である。
「きょ、京一! 諸羽だってさやかちゃんだって劉だって、都合というものが――」
「「いいんですかっ!?」」
「お、そらええわ。他校の文化祭なんて、見たことなかったしなぁ」
が、無情にも返ってきたのは嬉しそうな三人の声。がっくりと龍麻は肩を落とす。
「あぁ、構わねぇぜ。他の仲間にも招集かけるつもりだしな。いやー、今から楽しみだぜ」
「き、京一いっ!」
「うわっ! や、やめろ、ひーちゃんっ!」
取っ組み合いを始める龍麻と京一。一連の会話で一体何があったのか分からないまま首を傾げる鳳銘組。同じく意味は分からないまま、龍麻達を煽る劉。
そんな中、人数分の茶を淹れながら、葵は龍麻達を見る。
(大丈夫、よね……)
台所での会話を思い出し、そんなことを考える。無論、龍麻のことだ。
今の状況を見る限り、龍麻に変わったところはない。大騒ぎはしているが、思い詰めたり難しい顔をしていたりするよりはずっといい。
とは言え、このままにしておくわけにもいかないので、とりあえずは騒ぎを収めることにする。
「もう、二人とも。後輩達の前で、いつまで騒いでるつもり?」
苦笑しつつ、葵は互いの頬を引っ張っている龍麻達に声を投げた。
自分の心配が杞憂に終わるように、そう思いながら――