「さて、と……」
龍麻はそのまま無造作に不良達へと近付いていく。不良達は龍麻の怪我を見て、余裕の表情だ。
「緋勇さんっ!?」
「大丈夫よ、さやかちゃん。龍麻くんなら」
無謀にしか見えない龍麻の行動に驚く舞園だが、葵と小蒔は平然としている。
「だって……緋勇さんは怪我をして……」
「心配はいらないって。怪我してたって、あんなヤツら、ひーちゃんの敵じゃないよ。ほら」
などと話している間に、龍麻は最寄りの不良を肘打ち一発で黙らせていた。余裕の表情が驚愕に歪み、木刀や鉄パイプ、思い思いの武器を持った残りの不良達が一斉に龍麻に襲いかかるが、龍麻は簡単にそれをあしらっている。一人は顎を突き上げられ、一人はその勢いを利用されてカウンター気味に膝蹴りを受け、一人は額に触れられた途端、乾いた音がしたかと思うとその場に崩れ落ちていた。
「ね?」
小蒔や葵には見慣れた光景だが、舞園は初めてだ。龍麻の強さに唖然としている。
(怪我をしていてもこんなに……じゃあ、無傷の蓬莱寺さん達は?)
背後から続けて聞こえる悲鳴に、舞園は振り向く。
「てやあっ!」
「おりゃあっ!」
京一達も大暴れの最中だった。数の不利など問題にせず、立ちはだかる不良達を次々と打ち倒していく。京一に至っては、袋から武器を出すことなく戦っている。
先の龍麻といい、今の京一と醍醐といい、格が違う。目の前で繰り広げられる戦闘に、舞園はまるでドラマや映画のワンシーンを見ているような感覚に陥っていた。
「てめーら……調子に乗るんじゃねぇっ!」
取り巻きが全員叩き伏せられるのに、時間は掛からなかった。勝ち目なしと見て逃亡する者も出る始末だ。自棄気味に帯脇が京一達に向かってくる。その身にはうっすらと紅い《氣》を纏っていた。
「霧島みてぇに、てめーも――!」
「てめーも……何だってぇっ!?」
京一の方からも動き、一気に間合いを詰める。飛び込んできた京一に慌てる帯脇。
《力》を振るおうとするが、その余裕は既になく――京一の拳が帯脇の顔面に叩き込まれた。
「ちっ、口ほどにもねぇ」
殴った手をぶらぶらさせて、京一が吐き捨てる。帯脇は意識はあるようだが無様にコンクリの床に転がっていた。
「所詮、ただのチンピラだ」
つまらなそうに醍醐は周囲を見回す。あれだけいた不良達の姿は、すでにこの場にはない。気絶していた者達も、律儀に運び出されていた。ある意味、義理堅い連中だったようだ。
「霧島が受けた傷はこんなもんじゃねぇが――てめぇをどうこうして、霧島の怪我が治るわけでもねぇしな。さっさと失せなっ……二度と、俺達の前に現れるんじゃねぇ――」
そう言い、背を向ける京一だったが――
「ケケケッ……俺様に情けをかけようってのか……」
ゆらり、と帯脇が立ち上がった。
「揃いも揃ってめでてぇ奴らだぜ……」
「てめぇ……まだやる気かよ?」
「ケケケッ……さやかぁ」
身構える京一を無視して、帯脇は舞園に一歩踏み出す。
「お前は俺様のモンだって、何度言やぁ、分かんだよぉ。霧島みてぇな腰抜けに何ができるってんだ。俺様が、お前を護ってやるよ。俺様の《力》は、こんなもんじゃねぇんだぜぇ」
「京一、雄矢! 離れてっ!」
龍麻が叫ぶが、その前に何かを感じたのだろう。二人はその場を跳び退いていた。
「なっ、何これ――っ!?」
「何だ、この《氣》はっ!?」
小蒔と醍醐が戸惑いの声を上げる。先程までは微々たるものだった帯脇の《氣》が、膨れ上がっていくのだ。
「ヒャーハハハハッ!」
「体が熱い……」
「く――っ!」
帯脇の哄笑。更に大きくなる《陰氣》に、葵と龍麻の表情が歪む。
「葵っ! ひーちゃん!」
「二人とも……どうしたんですかっ!?」
龍麻も葵も、《氣》や負の感情の影響を受けやすい人間だ。小蒔はともかく、二人の体質を知らない舞園は、龍麻達が苦しむ理由が分からない。
「蛇が視える……大きな蛇が……」
帯脇の背後に何かが視える。それは葵の言う通り、蛇の姿をした霊体だった。桜ヶ丘で龍麻達が視た思念体に、そっくりだ。
「クククッ……我こそは――我こそは偉大なる山神――我が名は――ヤマタノオロチ」
帯脇の口から漏れる声。だがその声は帯脇のものではない。
(あの霊体の声か……ということは、あれが八俣大蛇……? 八ツ首じゃないけど)
「ヤマタノ……オロチ?」
すっかり変わってしまった帯脇の様子に、震える声で呟く舞園。それが聞こえたのか、帯脇がそちらを見た。
「おお、そこにおったか、クシナダ……我が巫女よ」
「クシナダ……? ……巫女?」
「お前は我より派生した、我が《力》の珠玉……嘗てスサノオによって奪われし、我が《力》の源――もう二度と、お前を手放しはせぬ」
近付いてくる帯脇に気圧され、舞園は後ずさる。舞園には、帯脇の言う事が全く理解できなかっただろう。
「帯脇さん……何を……言っているの?」
「我が名は――オロチ」
醍醐と京一が舞園を護るように立ちはだかる。京一は刀――童子切安綱を抜き放った。
「やはり、こいつはっ――!」
「ついに、本性現しやがったなっ!」
大蛇の霊体が、帯脇の身体に潜り込む。膨れた《陰氣》が収束し、帯脇の肉体は変質していき、おぞましい大蛇へとその姿を変えた。普通の蛇とは違い、鱗に覆われた腕を持っている。
「クシナダぁ! 今、そなたの元へ――っ!」
「待てっ!」
身構え、舞園へと向かおうとした帯脇――オロチを止めたのは、一人の声だった。
「さやかちゃんには……指一本、触れさせはしないっ!」
そこにいたのは桜ヶ丘で治療を続けているはずの霧島だった。その後ろには高見沢もいる。
「霧島くんっ!」
「ごめん……遅くなって」
駆け寄る舞園に霧島が微笑む。ただ、その顔色はお世辞にもいいとは言えない。本来ならこの場へ来る事など不可能な傷だったのだ。こうして立って、会話をしている事自体が驚愕の一言に尽きるのだが。
「舞子……どうして霧島を?」
「だってぇ。どうしても行くんだ、って聞かないから〜。一人にするわけにはいかないから、院長先生には内緒で出てきたの〜」
今頃桜ヶ丘には鬼が降臨している事だろう。後の事を考えると――
「京一先輩、みなさん……さやかちゃんを護ってくれて、ありがとうございます」
「霧島くん、怪我は……」
「大丈夫。さやかちゃんの顔を見たら、痛みなんて、消えちゃったよ」
気丈に答える霧島だが、無理をしているように見えるのはどうしようもない。自分を気遣うその言葉に、自然と舞園の目から涙が零れ落ちた。
「霧島くん……ごめんなさいっ。私のために……」
「約束したろ? どんな時でも、君を護る――って」
肩を抱いてそう言うと、霧島はオロチに向き直る。
「貴様……貴様……またしても我から巫女を奪う気かぁっ!? スサノオよ――っ!」
オロチの《氣》が一段と増し、憎しみのこもった視線を霧島に向けた。
「スサノオ? 霧島が……?」
「須佐乃男命に櫛名田比売命に八俣大蛇か……できすぎてるね」
オロチにクシナダ、スサノオと次から次に出てくる名前に、醍醐が目を白黒させている。龍麻もあまりの展開に苦笑していた。
「さやかちゃんは……お前には渡さないっ! 僕の剣で――僕のこの《力》で、お前を斃すっ――!」
霧島が携えていたのは、京一が病院へ置いてきた剣だった。そして、その身を包むように、蒼い光が滲み出る。龍麻達には見慣れた陽の《氣》。《力》持つ者の証だ。
「大切な者を護るために生まれた《力》か。まったく、霧島らしいな」
大切なもの――舞園を護るために目醒めた《力》。醍醐の言う通り、いかにも霧島らしい。
「やれやれ、見せつけてくれるぜ……いけるか?」
「大丈夫です……やれますっ!」
問う京一に、緊張した面持ちで答える霧島。怪我の事もあるし、何より覚醒したばかりなのにいきなり《力》を使った戦いだ。不安になるのも無理はない。だが、迷いは一切見られなかった。その様子に京一が満足げに笑みを浮かべる。
「よっしゃあっ! 行くぜ、諸羽っ!」
「……っ! はいっ、京一先輩っ――!」
霧島を初めて下の名で呼び、京一が走る。驚いたようだったが、後に続く霧島。
現代の東京に、神話の場面が再現されようとしていた。
「桜井、美里、高見沢は援護を頼む! 龍麻は大人しくしていろ、俺達で何とかするっ!」
そう指示を出し、醍醐も戦線へと参加していく。
「なるほど、やっぱり雄矢が指揮官やってたんだ」
「うん。しっかり指揮やってるよ。ひーちゃんみたいに。さて、ボクも頑張らないとね」
矢を番えずに、小蒔は弓を引き絞る。一瞬の後、そこに青白く輝く矢が出現していた。《氣》によって形成された矢だ。
「いっくぞーっ!」
オロチの《氣》に呼ばれたのか、周囲に漂い始めた無数の鬼火に向かって矢が放たれ、何体かを瞬時に射抜く。その一矢に留まらず、次々と《氣》の矢を放つ小蒔。鬼火は急激にその数を減らしていった。
「かなり、連射がきくようになったんだね」
「うん。ただ、現時点では十矢くらいが限度かな。だから、あんまり無理はできないんだけどね」
今度は普通の矢を番えての攻撃に切り替える。
「あれから、少しは強くなったでしょ? でも、それはボクだけじゃないよ。みんな頑張ってるもん」
呑気に会話しながらの戦闘。本来ならあり得ない状況ではあるが、支援組の護衛が必要ない事が挙げられる。こうしている間にも鬼火はこちらへ向かってくるのだが、その全ては葵が張った結界に阻まれていた。その代わりに高見沢が前衛組の支援をしている。
足手纏いになりたくない。龍麻の負担を少しでも減らしたい。背中を追うのではなく、肩を並べていたい。様々な想いをもって、京一達は修練を重ねていた。
元々、龍麻の性格が自分に関して平気で無茶をするものでなければ、ここまで皆が必死になる事はなかったのだろう。仲間が傷つくのを恐れるのは何も龍麻だけではないのだ。ただ、龍麻にはそれによって生じる弊害があり、本人以下それを知っている仲間達全員がその危険性を認識していた。
おまけに今の龍麻は自らの《力》を完全に制御できず、怪我までしている有様。彼が安心して自分の事に専念できるように、というのも京一達にやる気を出させている理由の一つ。
(なんか……迷惑かけっぱなしだな……みんなが戦ってるのに、見ているだけ……やっぱり辛いよ、それは……)
オロチと対峙している京一達に意識を向け、そんな事を龍麻は考える。
「でりゃあぁっ!」
何度目かの斬撃が、オロチの身体を捉える。確実にダメージになっているはずだが、オロチの動きは衰えない。
「ちっ、固いヤローだぜっ!」
「あぁ……しかもこの《氣》だ。さすがは伝説の怪物といったところか……霧島、大丈夫か?」
「はっ……はい……まだ、保ちますっ!」
この中で一番消耗の激しい霧島だが、何とか戦い抜いていた。
「たぁぁぁぁっ!」
霧島が跳んだ。掲げた剣をそのままオロチの頭上に振り下ろす。
「く……っ!」
そのまますぐに間合いを取るべく跳び退く。一瞬遅れて、自分がいた場所に尻尾が叩き付けられていた。先の斬撃はダメージになっていない。
「京一先輩……僕じゃ、あいつに傷を負わせるのは無理です! この剣じゃ……!」
龍麻が用意した剣は、刃引きをしてあり、刃がない。普通に使っていては物を斬ることなどできない剣だった。
京一は霧島の言葉に呆けたような顔をし
「バカ! そのままの剣で殴ってどうするよ!?」
「そのまま、って……他にどうしろって言うんです!?」
「あーつまりだな……えぇい、面倒なっ! 見てろっ!」
言うが早いか斬り込んでいく。
「ぜあぁっ!」
オロチの攻撃をかいくぐり、安綱を一閃――軌跡の延長が斬り裂かれ、血が舞った。京一も一旦下がろうとするが、そこにオロチの追撃が来る。
「おおっ! 円空破っ!」
それを醍醐が迎え撃ち、その隙に京一は霧島の元へと戻った。
「ほらよ。俺の刀、今、どんな状態だ?俺は今、この刀のどこでヤツを斬った?」
手にした童子切安綱を目の前に差し出す京一。先程オロチを斬ったままの状態である。その問いに、霧島は安綱をまじまじと見る。その視線が動き
「え……っ!?」
ある事実に気付き、目を見開いた。京一が持っている刀は、向きが逆になっていた。つまり、先の斬撃は刃ではなく峰の方で行った事になる。
「俺らみたいな武器を使う《力》持ちの場合、武器に《氣》を纏わせる。別に刃で斬ってるんじゃねぇんだ。《力》で斬ってるんだよ。武器なんて媒介に過ぎねぇんだ。いきなりやれ、って言っても難しいかも知れねぇけどな。まぁ、身体に流れる《氣》を、武器に流すようなイメージをしてみな。少しは違うだろうぜ」
そして再び京一は戦列に戻った。
(《力》を……流し込む……)
覚醒したとは言え、今の霧島にはその《力》を活用する事は難しい。身体能力がやや上がり、《氣》の膜が身を護っているだけだ。《力》を攻撃に転用する――それが必要となっている。
(僕に……できるのか? いや、やらなきゃ!)
「霧島、どうやったら《力》が使えるのかなんて難しく考えるな!」
何とかしようと焦る霧島に、前の方から、醍醐の声が飛んでくる。
「自分の《力》を何のために、何をするために使うのか! それを考えるだけでいい!」
「何のために……」
自分は何のためにここへ来た? この《力》はどうして目醒めた? 自分は今、何をしたい?
「護りたいと思った……さやかちゃんを護る……そのための《力》……そのために剣を振るう……そのために……オロチを斃す――っ!」
剣を携え霧島が走る。うっすらとではあるが、その剣には蒼の光が宿っていた。
「やれやれ……全く体育会系の発想だよな」
「考えるより動いた方が早いからな。俺もそうだった。それにあいつの場合は《力》が覚醒した理由が分かりやすい。ああ言った方がよかろう? 理屈なんて後回しだ」
「違いねぇ!」
他愛ない会話を交わし、オロチにそれぞれ一撃入れてから、二人は左右に跳んだ。目の前の目標を失い、オロチの動きが一瞬止まる。その間隙をついて霧島が斬り込む。
「唸れ、剣よっ!」
《氣》を纏った剣が、オロチの長い胴を薙ぐ。浅くはあったが、その一撃はオロチの鱗を割り、皮膚を裂いていた。
「おのれスサノオーっ!」
逆上したオロチが霧島を目標に定め、襲いかかった。迫る尾に対応しきれず、一撃を受けた霧島は龍麻達の方へと弾き飛ばされてくる。
「霧島くんっ!」
「だ、大丈夫……! まだ、やれる……」
駆け寄ろうとする舞園を制し、剣で体を支え、立ち上がる霧島。だが、口で言うほど軽いダメージでないのは、誰の目にも明らかだった。
(やっぱり、僕も出よう。直接攻撃には参加できそうにないけど、囮になるくらいなら今の僕にもできる)
そう考え、踏み出そうとした龍麻の肩を掴む者がいた。
「葵さん?」
「気持ちは分かるけど、駄目」
彼女にしては強い口調に、龍麻はそれ以上前に出られない。
「今、龍麻くんが参戦したら、私達はずっとあなたを頼ってしまう。龍麻くんなしじゃ戦えなくなってしまう。これは私達に課せられた壁なの。今まで龍麻くんに護られてばかりだった私達が、ここまでやれるっていうことを証明するための戦いでもあるのよ」
「でも……」
「心配しなくても大丈夫だよ、ひーちゃん。そのためにボク達だって頑張ってきたんだから。ひーちゃんのため、ううん、何より自分達のために。だから見てて。ボク達は負けないっ!」
「桜井! 援護を頼むっ!」
どん、と小蒔が胸を叩く。そこへ醍醐からの支援要請が来た。
「葵、よろしくっ!」
弓を引き絞る小蒔に応え、葵が《力》を解放した。すでに鬼火の掃討は終わっている。結界を張り続ける必要はない。
「四つの顔持つ蛇の輝ける輪よ私達に守護を!」
「九龍烈火――っ!」
葵の《力》が小蒔に宿る。続いて放たれた《氣》の矢が、九匹の火龍と化してオロチに襲いかかった。
「これで終わりにしてやらぁっ! 剣聖・陽炎細雪っ!」
「猛虎連爪ーっ!」
「ギシャアァァッ!?」
続けて京一と醍醐の攻撃が叩き込まれる。大技の連続に、さすがのオロチも動きが鈍った。
「今だ、諸羽っ! きっちりカタをつけてやれっ! こいつは、お前の敵だっ!」
道を開けて京一が叫ぶ。霧島は剣を構え、すっと目を閉じた。全力を出そうというのか、彼の身体から放たれる《氣》が大きくなっていく。
「あれ……歌?」
その時、不思議そうに小蒔が声を上げた。確かに歌のようなものが聞こえる。いつから歌っていたのか、それは舞園の口から漏れる歌だった。
「でも、これって何の歌〜? さやかちゃんの歌じゃないよね〜」
高見沢が言う通り、それは舞園の歌ではない。今度出る新曲とやらでもないだろう。歌詞自体は聞き取れないが、祝詞のような、呪文のような不思議な響きがある。
身体からは《氣》が放たれ、何かがその身に降りたかのように舞園は歌を紡ぎ続ける。旋律に乗って《氣》は大きくなり、霧島の身体を包み始めた。二人の《氣》が混じり合い、霧島の《氣》そのものが一気に膨張する。
「これは……まさか、方陣技!?」
今まで龍麻達が使ってきた方陣技とは発動が異なる。だが、複数名の《氣》を利用するという意味では紛れもなく方陣技だった。
「うおおおぉぉぉっ!」
霧島が吼えた。蒼い《氣》の塊が、オロチめがけて突き進む。相当な《氣》を乗せた剣が、オロチの身体に潜り込み、血飛沫を生じさせた。その一撃で終わることなく、霧島は続けて斬撃を叩き込んでいく。《力》も何もない普通の剣は、途中で刀身が折れていたが、《氣》によって形成された刃が容赦なくオロチの身体を刻んでいった。
「こ、こりゃぁすげぇな……」
目で追うのがやっとの連続斬撃に、京一の口から乾いた声がこぼれた。怪我人の動きではない。増幅した《氣》によって、爆発的に向上した身体能力を用いた連続攻撃――舞園の歌に合わせて次々に斬りつけるその様は、荒々しくもあり、また優雅でもある。まるで舞を見ているようだ。
「これで終わりだっ! 霊歌・剣乃舞――っ!」
大剣並に大きくなった《氣》の刃を、渾身の力を込めて振り下ろす。オロチの身体を深々と斬り裂き、《氣》の刃は大きく弾け、オロチの《陰氣》を吹き飛ばしたのだった。
「この我が……人間如きに……これは、我の求むる体
オロチの身体が崩壊していく。その様は、変生した鬼が消滅していくのにも似ていたが、ある点において違いがあった。
「ううっ……ク……クソッ!」
オロチの身体は消え、その場には帯脇本人が残っていたのだ。変生とは違うからなのか、オロチとの結び付きが弱かったのか――理由までは分からない。
「大蛇と融合した俺様は、不死身じゃなかったのかっ!? あのホラ吹きめっ! 恨んでやる……恨んでやるぞ、あの野郎!」
「あの野郎……? 一体、何を言ってるんだ?」
その場に膝を着いて怨嗟の言葉を吐き出す帯脇に、醍醐が眉根を寄せる。
「さやか……さ……や……か……」
帯脇は立ち上がると、舞園に近付こうとする。周囲にいる者達は視界に入っていないように、ただ舞園を見て歩を進める。
「さやかちゃん、下がって!」
その前に、折れた剣を持った霧島が立ちはだかった。折れた剣など役には立たないが、媒介としては問題ない。今の霧島なら任意に《力》を扱えるだろう。
帯脇もそれを察したのか、憎々しげな目を霧島に向けるがそれ以上は動こうとしない。
「テメェら……あんまりいい気になんなよっ。獣になりたがってるのは――俺様だけじゃねぇ……」
言い捨てて、帯脇は踵を返して走り出した。その先にあるのは、フェンス。
「まさか……飛び降りる気じゃ……!」
「ククク……ケケケッ、忘れるなよ。全ては――これからさぁ」
小蒔の予想通り、帯脇はフェンスをよじ登る。そして一度こちらを向いてそう言うと、その身を躍らせたのだった。
「結局、奴が落ちた跡はなかったな」
屋上から引き上げ、龍麻達は帯脇が落ちたであろう場所を調べたが、その場には死体も血溜まりもなかった。つまり、帯脇は生きて逃げ延びたという事だ。
「うん……一体、どこに行ったんだろう。何だか、謎だけが残っちゃったね。獣になりたいのは自分だけじゃない……って、どういう意味なんだろう……」
「さぁな。それより、さやかちゃんが無事でよかったぜ」
首を傾げる小蒔に、今は考えても仕方ないとばかりに京一は肩をすくめ、舞園を見た。
「皆さん……本当にありがとうございました」
「気にしなくていいよ。僕達は、僕達が正しいと思ったことをやったんだから」
「緋勇さん……緋勇さんや皆さんが来てくれた時……私、本当に嬉しかったです。何もかも……皆さんのおかげですっ」
深々と頭を下げて礼を言う舞園に、龍麻はぱたぱたと手を振る。こう何度も礼を言われては、照れくさいものがあるのだ。約一名、その笑顔にやられて、だらけている者もいるが。
「まぁ、礼なんていいから」
「そうそう。自分の《力》に自信持って、これからも頑張って、さやかちゃんを待ってるみんなのために、歌い続けてよねっ」
龍麻に続き、小蒔がそう言って、ニッと笑った。すると舞園は、一瞬躊躇ったようだったが表情を真剣なものにして、言った。
「私……これからも、皆さんのお役に立ちたいです。私の《力》を当たり前のように受け入れてくれたのは、他でもない、皆さんですもの……」
「って、舞園さん、それは……」
舞園の言わんとすることは分かる。分かるが、とんでもないことだった。
「僕達の仲間になるっていうことは、今日みたいな危険な目に、自ら飛び込むってことだよ? それに、芸能活動を続けていくのに支障が出るかも知れないし」
正直、はいそうですかと受け入れるわけにはいかない。コスモの時と違って《力》を認識しているし、霧島と見せた方陣技といい、戦力の増加には繋がる。繋がるが――
「駄目ですか……?」
「う……っ」
上目遣いにそう言われては、龍麻もそれ以上何も言えなかった。何より
「もちろん大歓迎だぜ、さやかちゃん!」
などと京一が先に動いてしまっては、今更断るのも骨が折れる……。
「分かった。でも、無理はしないように。あくまで、そっちの稼業優先でね。こっちはそれなりに人がいるから」
「はいっ! 私の《力》が必要な時は、いつでも呼んでくださいね」
「よかったね、さやかちゃん」
「うんっ!」
二人して喜ぶ舞園と霧島を見て、この二人はワンセットで考えるべきだな、などと思う龍麻だった。
「ひーちゃん、女の子には弱いね」
「……そう思うなら、止めてくれればいいのに」
ぽん、と肩を叩いてくる小蒔に、ぼそりと漏らす。
「うふふ。でも、霧島くんもさやかちゃんも、普段は一緒なんだから、離れ離れにするよりはいいと思うわ」
「まぁ、彼女の事は霧島がいるから大丈夫だろう。そう心配する事もあるまい」
「……それはそうなんだけどさ」
どうやら、龍麻の意見は少数派という事で抹殺されそうだ。やれやれ、と諦めて、龍麻は溜息をつく。
「それじゃあ、みんなそろそろ帰りましょう」
葵がそう言い、皆が頷いた時だった。
「あ、あれ……?」
「おい、諸羽!」
突然霧島の身体が傾く。そのまま倒れそうになるのを、側にいた京一が抱きとめた。
「霧島くん! 大丈夫……!?」
「うん……なんかホッとしたら、体の力が……それに、何だか体中が痛い……」
力無く舞園に答える霧島。
「出血してるな……傷が開いたんじゃないのか? それに、もともと動けるような体じゃなかったはずだぞ。高見沢」
「は〜い。……大きい傷が幾つか開いてるね〜。後は〜」
「い……っ!痛たたた……!」
高見沢が身体のあちこちをぺたぺたと触るたびに、霧島が悲鳴を上げる。
「やっぱり〜。昔のひーちゃんと同じようになってる〜」
「あの……どういうことなんですか?」
どうにも身内ネタが多い。納得する周囲とは別に、舞園は戸惑うばかりだ。
「えっとね〜。急に《力》を使ったり〜、過剰に身体能力を上げたりすると〜、身体に負担が掛かるの〜。全身筋肉痛で済めばいいけど〜、ひーちゃんの時なんて骨や筋肉が崩壊しかけ――むぐ」
「舞子……不安を煽ってどうするの?」
みるみる蒼ざめていく舞園を見ながら、龍麻は高見沢の口を塞いでたしなめる。
「大丈夫だよ。《力》に目醒めたばかりで無茶したから、身体がついて行かなかっただけ。最後の方陣技が、ちょっときつかったみたいだね。まぁ、あれがあったからこそオロチを斃せたんだけど」
「この程度でへばってなんかいられねぇよな。……自分で立てるか?」
「は、はい……すいません、京一先輩。僕、カッコ悪いですよね?」
京一の肩を借りて立ち上がり、霧島が苦笑する。そんな彼の額を、小突く京一。
「何言ってんだ、バカ。今日、一番カッコよかったのは、誰が見てもお前だぜ」
「そうそう。さやかチャンを助けに来た時なんて、サイコーだったよ!」
京一に続いてはやし立てる小蒔に、鳳銘組の顔が赤くなっていく。
「まっ、次は譲らねぇけどな。マジで、カッコよかったぜ、諸羽」
「京一先輩……」
「さぁて、帰るか。って言っても――」
そこで京一は意地悪く笑って霧島を見た。どうやら他人事だとこれほど楽しい事もないようだ。
「行き先は、桜ヶ丘だけどな」
「えぇっ!? 僕、また、あそこに戻るんですかぁ!?」
霧島の顔に、無数の縦線が入る。やはり、あの院長は苦手なのだろう。
「気持ちは分かるが、あそこでないとお前の怪我は治らないからな。早く戻らないと、院長先生に可愛がられるぞ」
「それは、どっちにしろ、逃れられないと思うけど……」
「舞子も、霧島を連れ出したから同罪だね。きっとお仕置きだよ」
「えぇ〜!? そんなぁ……」
醍醐も小蒔もその場面を想像したのか、笑いを堪え切れていない。龍麻の容赦ない一言に、高見沢もしおれていく。
「さぁ、そろそろ行こうよっ」
小蒔を先頭に、龍麻達は歩き出す。
「諸羽――もっと強くなれよ。さやかちゃんを護れるのは、お前だけだからな」
「は、はいっ、京一先輩! 僕――頑張ります!」
前方でそんなやり取りをする師弟を見ながら、龍麻は葵に訊ねた。
「葵さん。僕の腕、あとどのくらいで治りそう?」
「右手は、もう二、三日もすれば大丈夫だと思うけど、左腕はもう少し――って、龍麻くん。何を考えているの?」
「そうだぞ、龍麻。お前は無理をせずに、治療に専念しろ」
葵と醍醐が顔をしかめるが、龍麻は首を横に振った。
「もちろん、治療が最優先だよ。でも、時間は有効に使わなきゃ。今回の件で、みんなに関しては何も言う事はない。雄矢が指揮を執ってくれれば、僕も安心できる。戦力も上がってきてるし、いいことばかりだよ」
「だったら、どうしてだ?」
龍麻に誉められた事は素直に嬉しい醍醐だが、腑に落ちない。だったら、何も慌てる事はないはずだ。
「今回の件で、帯脇の背後に誰かがいるのがはっきりした。そいつについて手を打たなきゃならないし。何より……僕は自分の《力》が分からない」
オロチに憑かれた際に生じた金色の《氣》。オロチが残した《器》という言葉。自分の《力》が何であるのか、龍麻はそれを知りたかった。
「そのためには、自分の《力》を早く制御できるようにならないと駄目だ。仲間達の事は雄矢に任せて、僕は僕にできる事をする――いや、やらなきゃいけない。みんなのため……何より、自分自身のために。その分、雄矢にまた負担をかけるけど、しばらく頼むよ」
「分かった。仲間達の事は、俺に任せておけ。責任重大だが、何とかやってみせる」
頷く醍醐に、龍麻は立ち止まって鳳銘高校の校舎を見上げた。
全てはこれから――
帯脇の残した言葉が、風に乗って聞こえたような気がした。
歌姫とその騎士を仲間に加え、龍麻達の闘いは続く。