翌日。3−C教室――放課後。
「ちょっと――!」
 授業終了のチャイムが鳴るや否や、新聞部長が教室に飛び込んできた。
「龍麻君も、アンタ達も……昨日、舞園さやかと歩いてたって本当なのっ!?」
 教室中の視線がアン子から龍麻達に集中する。教室は静まり返り、事の真相を聞き逃すまいと皆が耳を傾けている。
「いつにも増して、お早い登場だね、アン子」
 感心半分、呆れ半分といった感じの小蒔。
「ちっ、もうちょっと黙っておこうと思ったのによぉ」
 と、勿体ぶる京一。一応、先のアン子の質問に肯定を返すと
「何ですってぇ〜っ!? そんな美味しいネタを、あたしに隠しておくなんて、なんて酷い人達なのぉ〜!?」
 クラスにざわめきが広がり、アン子が大袈裟に嘆いた。
「わかった、わかったから……少し落ち着け、遠野。龍麻が、びっくりしているだろう?」
 いつもの事、と割り切っているのか、やや苦笑しつつ醍醐が龍麻に視線を向ける。当の龍麻は読みかけの本をそのままに、目を瞬かせていた。
「分かってるわよっ、でもっ、でもっ――とにかく、血が騒ぐのよーっ! 早くネタをちょうだい――っ!」
「何かの禁断症状みてぇだな」
「う〜ん、恐るベシ」
 長年の付き合いからか、京一と小蒔はこの状況のアン子を楽しむ余裕があるようだ。
「最近、平和な日が続いているから、アン子ちゃんも欲求不満なのね」
 と葵が笑うと、そうなのよ〜とアン子の態度が急変した。
「鬼道衆の件も、キレイさっぱり片付いちゃったし、早く新たな脅威が現れないかしら〜。うんと凶悪で、う〜んと強烈なヤツ! 龍麻君だって、腕が鳴るわよねっ?」
 同意を求められる龍麻だが、苦笑するしかない。
 新たな脅威とやらはすでに始まっているし、それが広がって欲しいとも思わない。それによって被害を受けるのは、何も知らない一般人なのだ。強い者と戦いたいという武道家としての気質は龍麻にもあるが、それはあくまでも手合わせの類に限られる。
「あらら。どうしたのよ、龍麻君。まさか、事件のない平和な世の中が一番、なんて言うんじゃないでしょうねっ!?」
「それが一番だと思うし、一般的な考えだと……」
「そんなの、あたしに死ねって言ってるようなもんよっ! 何もないのなら、あたしが起こすわよ〜っ」
 龍麻の言葉にも聞く耳を持たず、アン子は一人で盛り上がっている。
「まったく、むちゃくちゃ言いやがって。それに、そんな厄介なもんが出てきたとして、誰がそいつを相手にすると思ってんだ、お前はっ!?」
「もちろん、アンタ達。そして、それを記事にするのは、あたし。見てご覧なさいっ。この立派な需要と供給の図をっ!」
 京一の言もさらりと受け流し、アン子のテンションは上がっていく。
(需要と供給、って……事件絡みの記事なんて一度も出してないじゃないか……あるのは、事件に関するネタを求める遠野さんの欲求だけで……)
 口で言っても無駄なので、龍麻は心の中でそう突っ込んでおいた。
「ああもうっ、この際、ミサちゃんに頼んで邪悪な化け物でも呼んでもらおうかしら……」
「ああ、それはもう無理。一学期にそれやったから、僕が禁止令出してるし」
「えーっ!? そんなの酷いわよっ!」
「まったく……仕様のない奴だな。遠野、そんなに暇なら、一つ頼みたい事があるんだが」
 醍醐が餌を放り投げた。
「文京、中野あたりで最近何か妙なことがなかったか、少し調べてみてくれないか?」
 元々、これはアン子に頼もうと思っていた事だ。昨日の出来事、妙に自信のありそうな帯脇の態度、そして龍麻が感じた違和感等々……少しでも手掛かりが欲しかった。
「文京、中野……ふんふん。豊島区を挟んだ、その辺りね。ふっふっふっ。これこれ、この感じよっ。いいわ〜っ事件の匂いがする……任せておいてよっ! 来週には調査結果を報告するわ」
 報道を志す者の性か、急に元気を取り戻すアン子。すでにやる気は十分のようだ
「ところで――ハイッ!」
「えっ……? アン子ちゃん、その手は……?」
 手を差し出すアン子に、眉をひそめる葵。
「だから、事件の調査料――」
「お前は〜っ! せっかく、ヒマつぶしのネタを提供してやったんだっ! それで満足しろっ!」
 しれっと言うアン子に、京一がキれた。
「何よ、怒鳴ることないでしょっ。分かったわよっ。その代わり、これが終わったら、絶対に、舞園さやかを紹介してよねっ!」
「いや、それは彼女の意志によるけど……」
「それじゃ、あたしの調査の結果を楽しみに待ってなさいっ。じゃあね〜っ!」
 返事を待たずに、アン子は来た時と同じ勢いで教室を飛び出して行った。
「あいつ……踊りながら出て行ったな」
「うん……よっぽどヒマだったんだね」
 どこか呆けたような口調の京一と小蒔。
「でも、やっぱりアン子はああして事件を追っかけてる時が、一番アン子らしいやっ。ひーちゃんだって、そう思わない?」
「らしいと言えばらしいけどね。もう少し落ち着いてもいいと思うけど……」
「そうだけどさ。やっぱり人間、好きなことをしてる時が、一番ステキだよねっ」
 小蒔は楽しそうだった。確かに身の回りの人間の元気がいいのは良い事だが。
「まぁなんにせよ、遠野がやる気になってくれてよかった。帯脇のことも……何か分かるといいがな。なぁ、龍麻」
「奴の周囲で起こった事件に、《力》の痕跡があればすぐにでも動けるんだけど……今回はよく分からないから」
「霊の気配がどうの、ってヤツ? それって、帯脇の意志じゃない可能性もある、ってコトでしょ?」
「憑かれてて、それの意志が強ければ、だけど……現時点では何とも。憑かれた人間を相手にした事ないからね」
 霊単体ならどうとでもなるが、今回ばかりは情報が少ない。何かしら手掛かりがあればいいのだが。
「さやかチャンと霧島クンのこと、気になるもんね。早く何か分かればいいけど」
「あぁ。まっ、そいつは、アン子の情報収集に期待しようぜ。こればっかりは、あいつに任せておくしかねぇしな。っと。ところで、ひーちゃん。今朝から気になってたんだが、その包み、何だ?」
 京一が、龍麻の席に立て掛けてある長い包みに目をやる。
「あぁ。昨日、翡翠の所で手に入れてきた。京一から霧島に渡してやって」
 口紐を解き袋から取り出されたそれは木でできた剣だった。
「木剣、か。それにもう一方は――」
「刃を潰した西洋剣。これから必要になるかも知れないし」
「でもよ、こんなもん霧島アイツに要るか?」
「霧島は西洋剣術――つまりフェンシングをやってるんでしょ? あれ、突きが主体ってイメージがあるから、誰かに襲われた時にそれを使うわけにもいかないじゃないか」
「それでこの剣、か。まぁ、稽古つけてくれって言ってたしな。そんじゃ、預かっとくわ」
 木剣を袋に片付け、京一はそれを担ぎ上げた。



 真神学園――校門前。
「それにしても――昨日、ラーメン屋のオヤジも、ちゃっかりサインもらってたな」
 昨日の出来事を思い出したのか、京一がそんな事を言った。
「おやじさんもファンだったみたいだしね。いつもより威勢が良かったし」
「うふふ。そうだったわね。今頃、お店に飾ってるんじゃないかしら?」
 その光景を想像したのか、龍麻と葵が笑う。
「舞園さやかが来た店! なんて、有名になっちゃったりして。あっ、でもそうしたら、ボク達も気軽に行けなくなっちゃうね」
「あぁ。さやかちゃんを連れては、な」
「大丈夫じゃない? 有名人が来た店、なんて言っても大抵一度きりだし。常連、ってわけじゃないんだからそれ目当てに群がる人もいないと思うけど」
 小蒔と京一の心配を払拭するように言う龍麻。常連になったら、その時はその時だ。
「芸能人ってのも、ちょっとかわいそうだよな……」
「うむ。私的な時間プライベートがないって言うしな。気を遣わずに、また遊びに来てくれればいいんだが」
「だよなぁ。なぁ、ひーちゃん、今回さやかちゃんの携帯の番号とか聞いてないのかよ?」
 突然そんな事を京一が訊いてくる。残念でした、と龍麻は肩をすくめて見せた。
「仲間に加える、ってわけじゃないから訊いてないよ。大体、訊いてたらどうするつもりだったわけ? 他の女の子にちょっかいかけてていいのかな?」
「う゛っ……」
 ニヤリと笑う龍麻に、京一が顔を引きつらせる。そんな二人を見て首を傾げる葵達三人。
「ねぇ、ひーちゃん。一体何の話なの?」
「ん? ああ、実は京一の――」
「バカッ! 余計なコト言うんじゃねぇっ!」
 龍麻が口を開き、京一が慌てたその時
「ひーちゃん! 待って〜っ!」
「あれ?高見沢サンだ」
 どこか間延びした声と、それに気付いた小蒔の声。見ると高見沢がこちらに駆けてくるところだった。
「よかった、間に合ったのね〜っ! みんなもう、帰っちゃったかと思った〜っ」
「もしかして、病院からここまで走ってきたの?」
「そんなに急いで……一体どうしたの、高見沢さん?」
 携帯を使って連絡すればいいだろうにとは口に出さず、女性陣二人が訊ねる。
「あっ、そうだった〜っ! たっ……大変なの〜っ!」
「どうした?何があったんだっ!?」
「とにかく、大変なの〜っ! みんなもボーッとしてる場合じゃないのよ〜っ! とにかくもう、大変で大変で大変大変大変大変大変……」
 醍醐も訊ねるが高見沢の言葉は要領を得ない。そんなところで京一が話の腰を折った。
「……ヘンタイ?」
「違う〜っ! もうっ、ちゃんと聞いてるの? ひーちゃんっ!」
「聞いてるよ。だから、いつ、どこで何があったのか、はっきりと説明してくれないかな……大変だけじゃ何が何だか分からないよ」
 腰に手を当て、何故か龍麻に怒る高見沢。龍麻は溜息一つ。高見沢が慌てている所を見ると、桜ヶ丘関連なのは間違いないのだが。仲間の誰かが怪我でもしたのだろうか。
「うん……あのね、霧島くんって……みんなの知り合いでしょ〜?」
 しかし高見沢の口から出たのは予想もしていなかった名前だった。
「えっ? 霧島くん……?」
「霧島が……どうかしたのかっ!?」
 珍しく顔色を変えて、京一が詰め寄る。それに怯んだのか、それとも霧島の事を思い出したからなのかは分からないが、高見沢は目尻に涙を浮かべる。
「さっき病院に運び込まれてきたのよ〜っ!」
「何だってっ!?」
「霧島クンが、桜ヶ丘にっ!?」
「そうなのよ〜。何かに襲われたみたいで、とにかく、ヒドイ怪我なの〜っ!」
 襲われた――その一言で龍麻達には何が起こったのかの見当がついた。帯脇という名が自然と浮かび上がってくる。
「それで、霧島くんの容態はどうなの?」
「それが、集中治療室に入ったままで、意識もないの……ただ、うわごとで、さやかって人と、京一くんの名を呼んでたから、院長先生が呼んでこいって。万が一の事も、あるかも知れないからって……」
 訊ねる葵に、高見沢は泣きじゃくるばかり。とりあえず、状況は分かった。ならばここでじっとしている場合ではない。
「京一、桜ヶ丘に行こう。霧島は院長先生がいるから大丈夫だとは思うけど、気になる事もある」
「あぁ……」
 そう答えた京一の声は、怒りに満ちていた。



 桜ヶ丘中央病院――ロビー
「院長先生〜っ! みんなを連れてきました〜っ!」
 飛び込むように病院に入った龍麻達だったが、ロビーは閑散としたものだった。人の気配は全くない。
「あれっ? 院長センセーは?」
「くそっ、どこだよっ! 霧島は……霧島は、無事なんだろうなっ!?」
(何だ、この気配は?)
 いつもの病院とはどこかがおかしい。違和感のようなものが漂っている。
「おっかしいな〜。何だか、ヘンなカンジがする〜」
「えぇ……」
 高見沢と葵が、異常を感じ取り、周囲に視線を巡らせた。
「ひーちゃん、分かる〜?」
「うん。でも、何て言っていいのか……説明するのが難しいな」
 《陰氣》や悪意が混じり合ったような――旧校舎などの空気にも似ているが、微妙に違う。
「霊体の気配に似てるけど……」
「それでか……こうも寒いのは……」
 醍醐の額には汗がびっしりと浮かんでいた。身体の方がしっかりとこの事態に反応している。その様子に、京一と小蒔もやや落ち着きを取り戻して、様子を窺う。
「いいコの気配じゃないよ〜。人とも違う感じ〜」
「何か……来るわ……」
 葵がロビーの奥――診察室へと続く廊下に視線を向けた時だった。
「お前達――!? 早く、逃げるんだよっ!」
 ドアの開く音と共に、岩山の怒声が病院に響き渡った。
「来る……っ!」
 こちらに向かって急速に近づいてくる気配。
「龍麻――っ!」
 葵の悲鳴にも似た声に、しかし龍麻は動かなかった。この気配の主を見極めてやろうとその場に留まる。
《ウウウ……ウオオォォ……》
 頭に直接声が響き、それを認識した直後、それは姿を見せた。
 大蛇――実体ではない、思念の塊のようなものが、大蛇の形を成してこちらへ向かって来る。
「くっ……!」
「ひーちゃん!」
 迎え撃とうとした龍麻だったが、それより早く、大蛇は龍麻の身体に飛び込んでいた。
《我の邪魔を……我の邪魔をする者はあぁぁ……》
 先程の声が、より大きく、強く聞こえる。
(身体が重い……気分が悪い……これが憑かれた、って状態か……)
 自分の身体に起きた異常を確認する。憑依されたせいか、大蛇の思念――感情が直に伝わり、怒り、怨みの念が自分の中に渦巻いていた。
(……これじゃ、《陰氣》に囚われた時と大差ないな……このままじゃまずい……)
 どうにかしてこいつを追い出そう、そう考えた時だった。
《――!》
 大蛇の動揺が伝わってきた。
《ウ……ツ……ワ……? 何だ……この《氣》はァァァ!》
(《器》? 何だ?)
 《器》とは一体何の事だろうか? それにどうやら大蛇は、自分の《氣》に畏怖を抱いているようだった。それも、自分に分からない「何か」に。
(いや……違う。この感覚は、以前どこかで――)
 自らの内から湧き上がってくる《力》。分からない……いや、違う。これを自分は知っている。
(そうだ。等々力で……九角と戦った時に感じた《氣》――!)
《ひぎゃあああああああぁぁっ!》
 次の瞬間、膨れ上がった《氣》が解放された。同時に断末魔の悲鳴を上げ、大蛇が《氣》に呑まれて消滅する。
「ひ、ひーちゃん……それ……」
 かつて等々力で見せた、九角を消し去った《力》。龍麻の纏った金色の《氣》に、戸惑いを隠せない京一達。やがてその《氣》も消え失せて、龍麻はその場に膝を着いた。
「龍麻! 大丈夫っ!?」
「うん……大丈夫だよ、葵さん」
 さん、を強調して、龍麻は駆け寄ってきた葵に応える。この場でそれに気を遣う余裕がある辺り、それ程大したことはないようだ。
「お前達――どうやら、全員無事のようだな」
 どすどすと足音を響かせて、岩山がロビーに出てきた。どうやら、先の大蛇と一悶着あったと見え、顔色は悪い。
「あはっ、院長先生〜っ!」
「先生、一体、今のは何だったんですか?」
 葵の質問に、岩山は飛びついてきた高見沢をひっぺがして
「どうやらあの霧島という少年に取り憑いていた思念のようだ」
「そうだ、霧島は……あいつは無事なんだろうなっ!?」
「京一、誰に向かってモノを言っておる」
 霧島の名を聞き、焦りを隠そうともしない京一に岩山はニヤリと笑った。普段ならそれで退いてしまうのだが、今回ばかりは次の言葉を聞く必要がないほど安心できた。
「このわしが、あんな可愛い少年を死なせるわけがないだろう? 何とか一命は取り留めた。後は意識が戻るのを待つだけだ」
「さすが院長先生〜っ!」
 岩山を讃える高見沢の声に、龍麻達は一斉に息を吐いた。霧島が無事、その事実が緊張の糸を切ったのだ。
「よかったぁ〜」
 小蒔がその場にへたり込む。醍醐と京一も、ほっとした表情でソファに腰掛けた。
「えぇ……本当によかったわね、龍麻くん」
「ん? ああ、そうだね……」
(あの《氣》は一体……?)
 葵に生返事をして、龍麻は何げに自分の手に視線を落とす。等々力の時とは違い、今度ははっきりと意識できた自分の《氣》が一体何であるのか、さっぱりなのだ。
(《陰氣》じゃない。陽の《氣》とも違う……どちらでもない……いや、どちらでもあるのか……)
「龍麻……くん?」
「あ、ごめん。何でもないんだ……早く元気な霧島の笑顔が見られたらいいね」
「そう案ずる事はない。少年の心身を侵していた悪しき思念は取り払った。今は清廉な《氣》を満たした結界内で眠っておる。まぁ、二、三日で意識が戻ればもう心配はいらんだろう」
「あの人が、重体の彼をココへ運び込んできた時には〜、どうなることかと思って、ヒヤッとしちゃったけどね〜」
「あの人……?」
「霧島をここへ運んだのは、一体、どんな奴ですか?」
 そう言って笑う高見沢に、葵と醍醐が訊ねる。答えたのは岩山だった。
「うむ。おかしな奴だったが、ひひ、なかなか、わし好みの好青年だったぞ」
「いえ……そういうことじゃなくて、何か、身体的な特徴はないんですか?」
 お約束とも言える言葉に、脱力しつつも再び訊ねる醍醐。
「え〜っとねぇ、学生服で〜、髪はあんまり長くなくて〜、袋に入れた刀みたいのを持ってたの〜」
 高見沢の説明に、自然と皆の視線が一名に注がれる。本人も自覚があるらしく、かくんと首を下げていた。
「それじゃ、俺じゃねぇか……」
「あっ、そっか〜。誰かに似てると思ったら、京一くんに雰囲気が似てたのね〜」
「うむ。そう言われればそうかもしれん。名も名乗らずに、さっさと行っちまったが、妙な関西弁を話す青年だった。どうも……日本人ではないようだったな」
「その人、この病院のコト知ってたのかなぁ」
「その可能性は高いと思うよ」
 小蒔の疑問ももっともである。霧島がどこで怪我をしたのかは分からないが、桜ヶ丘に運んだという事実が、それを証明していた。何も知らない者が重傷の霧島を見つけたのであれば、救急車でも呼ぶはずだ。間違っても「表向きは産婦人科」である桜ヶ丘に運ぼうなどとは思わない。
「かもな。けど、そいつのおかげで霧島は助かったんだ。捜して……礼を言わなきゃな……いや、その前にやることがあるか」
 刀の入った袋を手に、京一が立ち上がった。
「あの帯脇ってふざけたヤローだけは絶対に許さねえっ! 俺がこの手で、きっちりカタをつけてやるぜっ!」
「お前達、少年を襲った奴のことを知ってるのかい?」
 怒りも露わに京一が叫ぶ。その様子に岩山が眉をひそめた。
「はい、恐らくですが間違いはないと思います」
「ふむ……ならば少し、わしの話を聞け。その帯脇という男、少々、気にかかるんでな――」
 頷く醍醐に、岩山はそう言って奥へと歩いて行った。


「では、話を始める前に一つ確認するが、お前達、八俣大蛇伝説を知っておるか?」
 診察室に場所を移し、岩山はそう話を切り出した。
「須佐乃男命が、八俣大蛇を斃したっていう伝説のことですよね」
「うむ。では、わしの結論を言うとしよう。まず少年の傷だが――あれは尋常ではない。身体の至る所に、深く大きな裂傷があるが、どうも、大型の獣のものと思われる牙の跡が残っておる。さらに、少年の体内からは奇妙な毒素が検出されたのだ。何ら医学的根拠を残さずに、心身を蝕んでいく、呪詛とも呼べる、恐ろしい怨念の毒がな」
「獣の牙と毒――それに、さっきのあの蛇の思念体……」
「それって、もしかして帯脇が――ヤマタノオロチ……ってコト?」
 岩山の言葉に醍醐が考え込み、結論を出した小蒔が問う。
「それはわしにも分からぬ。何らかの方法で、大蛇の《力》を会得したのか、あるいは、大蛇そのものなのか――」
 龍麻と葵は、犬神に聞いた話を思い出していた。八ツ首の大蛇が見える――裏密はそう言ったそうだ。《力》だけか、存在そのものなのかは判断がつかないが、八俣大蛇が今回の件に関わっているのだけは確かなようだ。
「……大蛇退治、か……十握剣とつかのつるぎでも欲しいところだけどよ、相手が大蛇であれ何であれ、帯脇はぶちのめす!」
「うむ……む――?」
「お前――!」
 岩山が眉をひそめ、気配を感じて振り向いた京一が目を見開いた。
「霧島くん!」
 そこには、未だ集中治療室で眠っているはずの霧島が立っていたのだ。
「行かなくちゃ……」
「お前……そんな体で何言ってんだっ!」
 壁にもたれ掛かり、歩くのがやっとの霧島に、京一が駆け寄る。
「いかん。毒素が抜け切らぬうちに結界を出ては……」
「僕は……学校へ行かなくちゃ……さやかちゃんが……」
 岩山も立ち上がり、症状を見ながら言うが、霧島の次の言葉で龍麻達は顔色を変えた。
「何……だって!? おい、霧島! さやかちゃんがどうしたんだっ!?」
「帯脇が……さやかちゃんを……京一先輩……緋勇さん……さやかちゃんを、助けて……」
 体勢を崩し、霧島は京一にその身を預ける。
「必ず護るって約束したのに……僕に力があれば……《力》が……」
「霧島! おい、霧島っ!――クソッ!」
 それを最後に意識が落ちた。京一が呼びかけるが返事はない。
「いかんな……無理に動いたせいで、症状が急激に悪化しておる。高見沢、集中治療室の準備を済ませてこい!」
「は〜いっ!」
 岩山の指示で、高見沢が慌ただしく動き始めた。
「お前達は、そのさやかとかいう娘のもとへ行け。どうも、嫌な予感がするんでな」
「でも、霧島くんは……治療の手伝いだったら私も――」
「なに、少年のことならばこのわしに任せておけ。むざむざ、死なせたりなどするものか。それに、そっちから治癒役がいなくなっては何かと不都合があろう」
 協力を申し出る葵に、岩山は首を横に振る。敵は大蛇、そう簡単に片が付くとも思えない。不測の事態に備えて回復役の葵は必須だ。
「せんせ……そいつのこと、よろしく頼むぜ。俺の大事な……一番弟子だからよ」
「分かっておるよ、京一」
「よし、俺達は鳳銘高校へ向かうぞ!」
 醍醐に頷き、龍麻達は診察室を出る。
「霧島……負けるんじゃねぇぞ」
 集中治療室へと運ばれていく霧島を見ながら、京一は呟き、霧島に渡すはずだった剣を残して龍麻達の後を追った。



 文京区――鳳銘高校。
「ここが二人の通う鳳銘高校か……」
 校門の前で校舎を見ながら醍醐が呟くが、その声はどこか固い。
「静かだね。誰もいないみたい……」
 校舎も、学校の敷地内も、静寂に包まれている。この時間なら、部活動をしている生徒が残っていてもよさそうなものだが、その様子すらないのだ。
「ホントにさやかチャン……ここにいるのかなぁ?」
 と小蒔が疑問に思うのも無理はない。
「分からない……でも――何だか、嫌な気配がするわ。強い憎しみの気……」
「《陰氣》がかなり広がってる。それに……」
 葵に同意し、龍麻は醍醐の方をちらりと見る。視えずとも感じているのか、その顔色は悪くなっていく。
(一体どういうことだ? こんなにたくさんの……しかも動物霊ばかり)
 浮遊している無数の霊に、龍麻は顔をしかめた。これだけでも、この学校に異変が起こっているのが確信できる。
「中へ入ってみようぜ」
 止まっていても始まらない。京一の提案で、校舎内へと足を踏み入れる龍麻達。しかし廊下も無人。外と同じく「人」の気配はなかった。
「静かだな……本当に、ここに帯脇がいるのか?」
 醍醐がそう言うのは不安を紛らわせるためだろう。人はいないが、相変わらず霊は漂っている。
「あっ――! 向こうに誰かいるみたいだよ。声、かけてみよっか」
 小蒔の声にそちらを見ると、確かに人がいるようだ。ようやく見つけた人間だが
「でも、私達、無断で入ってきてるのだし……」
「あぁ。つまらねぇコトに関わっているヒマはねぇぜ。こうしてる間にも、さやかちゃんに危機が迫ってるかもしれねぇんだ」
 葵と京一は乗り気でないようだ。
「それもそうだけど……ねぇ……どうするひーちゃん?」
「やめておこう。情報は欲しいけど、今の僕達は舞園さんを捜すのが第一、帯脇を倒すのが第二だ。あれが帯脇の仲間とも限らないし、余計な騒ぎを起こすのは得策じゃない。とりあえず、上階に行ってみよう。屋上にでも行ってみれば、学校全体の様子も分かるかも知れないし」
 近くの階段を指して、龍麻はそのまま歩き始める。そして階段を登りかけたところで、不意に立ち止まった。
「どうした、龍麻?」
「いや……誰かが階段を降りてくる」
 耳を澄ますと、先程まで静かだった校内に足音が響いていた。それも、こちらへ近づいてくる。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「ひーちゃん、それシャレにならねぇって……」
 身構える龍麻の言を聞き咎める京一。だが、出てきたのは鬼でも蛇でも帯脇の一味でもなかった。
「きゃっ!」
 勢いよく駆け降りてきて、龍麻にぶつかったのは、舞園だったのだ。
「あっ――緋勇さん……皆さん……」
 何故ここにいるのか、といった表情の舞園に、こちらから安堵の息が漏れた。
「さやかちゃん!」
「よかった……無事だったんだねっ!」
「皆さん……来て……くれたんですね……私……私……もうダメだって……」
 向こうも知った顔に会えたことで安心したのか、堰を切ったように涙を流す。そんな彼女の頭を、龍麻は優しく抱いてやった。後ろで京一が何やら叫ぶが、この際無視だ。
「よく今まで頑張ったね。でも、僕達が来たからもう大丈夫だよ……大丈夫……」
「緋勇さん、ありがとう……まさか、あなたが来てくれるなんて思ってもみなかったから……」
 普通なら来れるはずもない。事情を知っている霧島が偶然にも桜ヶ丘に収容されたことで事態を知ることができたのだ。
(霧島のことは、まだ言わない方がいいな……先生に任せてるから大丈夫だろうけど、ショックが大きいかも知れないし)
「……さて、もう落ち着いたかな?」
 背後からの突き刺さるような嫉妬めいた視線を気にしたわけではないが、もう大丈夫だろうと判断して龍麻は身体を離した。
「さやかちゃん、ケガはない?」
「はい。あの、皆さん……本当にありがとうございます」
 龍麻の隣にいた葵が労るように声をかける。舞園は頷いて礼を言うが、すぐに緊張した面持ちになる。
「あっ――それよりも、早くここを離れないと……」
「ケケケッ、かくれんぼの次は鬼ごっこかぁ?」
「ヒャヒャヒャッ、帯脇サンが屋上でお待ちかねだぜぇ」
 上階から、からかうような声が聞こえてきたのはその時だった。
「あいつら――!」
「待て、桜井。妙だな……これだけの騒ぎを、誰も聞き付けて来ないとは、どういうことだ?」
 すぐにでも階段を駆け上がって行きそうな小蒔を醍醐が制し、疑問を口にする。
「ここへ来てから妙な気配がするし……誰にも会わない。いくら何でも……これも帯脇の仕業なのか?」
「分かりません……でも、何だか、みんな様子がおかしいんです。先生も、警備員さんも、まるで――何かに取り憑かれているみたいな……」
(文字通り、憑かれてるんだろうな……これだけの霊を集めた原因が何かは分からないけど……それとも霊を集め、人に憑かせる《力》を帯脇が持っているのか……?)
「帯脇に直接聞いた方が早そうだね、雄矢」
「そうだな。この事件……裏に何かあるかもしれん。よしっ、行くぞ!」
 事の真相を確かめるべく、また、元凶を叩くべく、龍麻達は屋上へと向かった。


 鳳銘高校――屋上。
「帯脇――! 出て来やがれ、このくそったれっ!」
 叫びつつ京一が先頭で屋上へと踏み込む。そこには帯脇と、その取り巻きの不良が十数人たむろしていた。
「さやかチャンは、お前には渡さないからなっ!」
「オイオイ、てめーら、なぁに勝ち誇ってんだよ。ケケッ、ホント野暮なヤツらだなぁ。俺様とさやかは、これからお楽しみなんだからよぉ」
 小蒔の啖呵にも、帯脇は怯む様子はない。新宿で会った時と同じく、自らの優位を疑わない態度。取り巻きの数も関係しているのだろう。
「帯脇、貴様――! これ以上、勝手な真似はさせんぞっ!」
「ケケケッ、なぁんだ。予定が狂っちまったなぁ。こんなことなら、お前らもやっちゃえばよかったぜぇ」
 続く醍醐の怒声にも全く反応を示さず、帯脇はニタリといやらしい笑みを浮かべ
「さやかのコトを馴れ馴れしく口にする他の奴らや――霧島っちゃんみてぇによっ」
 霧島、の部分を強調し、ケケケと笑う。
「霧島……くん? 霧島くんに何をしたのっ!?」
 霧島が重体で集中治療室、ということは教えていない。舞園の顔色がみるみる蒼くなっていった。その様子に、帯脇の笑みが深くなる。
「何だよ、さやか。そんな顔すんなよぉ。俺様はただ、俺とお前の仲を邪魔する虫けらを、叩き潰しただけだぜ? ケケケッ」
「そんな……そんなのウソ!」
 なおも続く不快な笑い声を、舞園のよく通る声が遮った。
「だって……霧島くんは、私のことを護ってくれるって言ったもの!」
 拳を握りしめ、やや俯きながら、自分に言い聞かせるように続ける。
「辛い時も……悲しい時も……いつも側にいてくれるって、約束したもの……霧島くんは約束を破ったりしないわ。だから私……霧島くんを信じる……」
 顔を上げ、きっ、と鋭い視線を帯脇に向ける。その時には不安や恐れは払拭されていた。
「私は、霧島くんを信じるわっ!」
 霧島を信じて疑わない舞園のその態度に帯脇の表情が歪む。
「さやかぁ……おめぇ、まだ分かんねぇのかよぉ。ケケケ、どうせ霧島のヤツは今頃はもう――」
「へっ、ふざけたコト言ってんじゃねぇよ」
 帯脇の言葉に割り込み、京一が鼻を鳴らした。
「どうして俺達が、ここに来れたと思ってんだ?」
「あぁん?」
「霧島が無事だからこそ、事情を知った僕達がここにいる。そんな事にも気付かないなんてね」
「あいつには今、新宿一……いや、世界一の名医がついてんだぜ。くたばるわけねぇだろうが」
 龍麻と京一の物言いに、帯脇は僅かながらに動揺を見せる。霧島が無事であるわけがない、と考えていたということは、やはり直接手を下したのは本人なのだろう。だからこそ、霧島が無事である事に動揺するのだ。
「さぁて、帯脇よぉ……俺のカワイイ弟分を可愛がってくれた礼は、きっちりしねぇとなぁ……なぁ、帯脇――!」
 袋を突き付け、裂帛の気合いを放つ京一。動揺していたところに、まともに京一の怒気を受け、顔を引きつらせる帯脇だったが、すぐに余裕を取り戻した。
「ケッ、まぁいいや。とりあえず、てめぇらは消えろ。俺様とさやかの邪魔をする奴は、全員死ねやっ!」
 ぞろぞろと、控えていた不良達が動き始める。数はそれなりだが、怯む者など龍麻達の中には一人もいない。
「へっ、上等だぜ。さやかちゃんは危ねぇから、下がっててくれ」
「龍麻、あいつらは俺達で片付ける。もしも漏れたら、適当にあしらってくれ」
 舞園を後ろに下げ、前に出る男二人に龍麻は肩をすくめた。
「怪我人をあんまり酷使しないで欲しいなぁ」
「ふん、あの程度、怪我していた所で問題あるまい」
「そりゃあ、相手は人間だからね。まぁ、こっちの方は任せてくれていいよ」
「後は頼むぜ、ひーちゃん。醍醐、いくぜっ!」
「おうっ!」
 二人が前方に飛び出していく。龍麻は背後にいる不良達に目を向けた。



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