ラーメン屋、王華。
「へい、お待ちっ!」
いつもより五割り増しで威勢のいいおやじの声が、店内に響く。いつもの常連客、その彼らに付いて来た芸能人の来店に、かなり舞い上がっているようだ。
「わあっ、来た来たっ。う〜ん、おいしそう……いっただっきまーすっ」
「うふふ。どう、さやかちゃん。ここのラーメンは?」
出てきたラーメンを頬張る小蒔を見て笑う葵が、同じくラーメンを口に運ぶ舞園に訊ねる。
「はいっ。とってもおいしいです。こんな美味しいラーメン、きっと、初めて……やっぱりご飯は、大勢で食べる方が、おいしいいですよねっ」
上機嫌な歌姫の言葉に、店のおやじの顔も緩みっぱなしだった。一方――
「さ、さやかちゃんが……本物の舞園さやかが――ラーメン、食ってる……」
「は……?」
馬鹿なことを口にしたのは京一だった。醍醐が箸を止め、そちらを見る。
「お前……何を言ってるんだ?」
「バカッ! あったりまえだろっ! この世に、食べない人間なんて、存在しないんだぞっ!」
「いや、だって、お前、さやかちゃんが……」
呆れる醍醐に、それを通り越して怒りを露わにする小蒔。それでも京一には、今のこの光景が現実離れしているように見えるらしい。
「そんなに……意外ですか? それとも、私、どこかおかしいでしょうか……」
「ああ、京一の戯言は無視していいよ。勝手に舞い上がってるだけだから」
箸を置き、深刻な顔をする舞園に、龍麻は重たいギプスの一撃で京一の頭を突き、黙らせる。
「舞園さんは高校一年生の、普通の女の子なんだから。そうでしょ?」
「そうだよっ。京一はくだらないコトばっかり言うんだから」
「は、はい……ありがとうございます」
龍麻と、それに続く小蒔の言葉に、舞園は安心したような表情になり、再び箸を取る。
「そうは言ってもよぉ……超アイドル、舞園さやかがラーメン――しかも、塩ラーメン食ってんだぜっ! 普通、感動するだろ?」
「あのね……」
まだ箸が使えないため、一人だけラーメンではなくチャーハンを食べていた龍麻は、レンゲを置いて京一に冷たく言い放った。
「つまり京一は、舞園さんを人間として見てない、と」
「ど、どうしてそうなるんだよっ!?」
「京一は、舞園さやかをアイドルという視点でしか見てないんでしょ? 言い方が悪いけど『商品』としての彼女しか認められないわけだ。食べて笑って……何ら僕達と変わりないのに、ラーメン食べてるくらいでそんなに大騒ぎして……」
「う……」
「そりゃあ、アイドルとしての顔も大切なんだろうけど、その前に、彼女は僕達と同じ高校生だよ? 仕事や、ファンのために自分を犠牲にして、四六時中アイドルでいる必要なんて無い。こうやって、みんなと食事する彼女がいたって、いいじゃないか。普通の女の子なんだから。ねぇ?」
言い終えて、龍麻は舞園に肩をすくめて見せる。こう言えるのは、龍麻の性格的なものもそうだが、舞園を知らなかったことも要因だろうか。
「……」
「舞園さん?」
不思議そうな顔をこちらに向ける舞園に、龍麻は首を傾げた。
「僕、何か変なこと言ったかな?」
「え……? あ、その、違うんです……ただ、そういう風に言ってくれる人って……ほとんどいませんから……」
一瞬だけ視線を動かし、舞園は照れたように俯いてしまう。その反応を見て京一は面白くなさそうに口を曲げた。
「ちぇっ、さやかちゃんの前だからってよ……」
「あのねぇ、京一じゃあるまいし、ひーちゃんに下心なんてあるわけないだろっ! まったく、相変わらずバカ丸出しなんだから、京一は。さやかチャンの目の前だってのに」
「ははは。まぁ所詮、京一はそういう奴――ん……?」
言いかけて、醍醐は霧島の前に置かれたラーメンが、一向に減っていないのに気付く。そういえば、店に入ってからも彼は大人しいままだ。
「どうした、霧島。食が進んでないようだが」
「本当……どこか、具合でも悪いの、霧島くん?」
醍醐の言葉に葵も心配げに訊ねるが
「あっ、いえ……その……何でもないんですっ。それより、ここのラーメン。ホントにおいしいですねっ」
慌ててラーメンを頬張り始める霧島。確かにここのラーメンはうまいが、そのラーメンもやや伸びてしまっているので、言葉に説得力はない。霧島の様子に、首を傾げる葵達。
そんな彼を見て、舞園が笑っていた。
「まいどーっ! また来てくださいよっ!」
おやじの声に送られ、龍麻達は店を出た。
「ふぅ〜満足満足っ。っと――どうかしたの、霧島クン? ボーッ、としちゃってさ」
腹をぽんぽん、と叩く小蒔だったが、やはり霧島の様子がおかしいのに気付き、訊ねる。
「どうもさっきから、様子がおかしいけど。何か、気になることでもあるの?」
「いえ、その……僕は……」
続く龍麻の問いにも答えようとはせず、霧島は言葉を濁すが、その霧島の異常の正体を察していたのは舞園だった。
「ふふっ。霧島くんったら、さっきからずっと蓬莱寺さんに見惚れてたでしょう?」
「さ、さ、さ、さやかちゃんっ!?」
笑いながらの舞園の言葉に、これでもかというくらい霧島が狼狽える。一方、龍麻達は珍獣を見るような目を霧島に向けていた。
「ち、違うんですっ!」
何を勘違いしたのか、今度は真っ赤になって霧島は言い繕う。
「僕はただ、その……格好いいなぁと思って……」
今度こそ、龍麻達の目が点になった。当事者である京一も含めて。
「霧島……かっこいいって、京一が……?」
いち早く立ち直った龍麻が、何とか言葉をしぼり出す。
顔はまあいい方だし、真神でも下級生の女子達には人気がある。それはそれでいいのだが、まさか、そんな事を言う男がいるなどとは夢にも思わなかった。
(ひょっとして、そっちの趣味……? 初めて見たなぁ、そういう人……)
立ち直りはしたものの、やはりどこかで混乱しているらしく、とぼけた事を考える龍麻であった。
それはともかく――
「そうですっ! さっき助けてくれた時だって、すごく堂々としてて……」
「いや、それは単に、自信過剰なだけで……」
「それに、名前を名乗っただけで、みんな逃げるように去っていって」
「でも、それは単に、悪名が高いだけで……」
「それに、その袋の中身、木刀
「それは……間違いではないけど……」
目を輝かせる霧島の言葉を、醍醐、小蒔、葵は誰一人として止める事ができない。京一はというと、口をぽかんと開けて、その場に棒立ちになっている。
「僕は西洋剣術を学んでいるんですけど、蓬莱寺さんのような人に、稽古をつけてもらえたらなぁって。僕、蓬莱寺さんを尊敬します!」
「「「「そっ……尊敬っ!?」」」」
霧島のとどめの一言に、京一以外の四人が大声を上げていた。何しろ、龍麻達は「いつもの」京一を知っているのだ。とても、先の言葉と結びつくようには見えない。
「そんな言葉……言われたことある、京一?」
顔を引きつらせながら京一の脇を肘で突く小蒔。反応はなかった。
「霧島。考え直すなら今だぞ。お前の人生が懸かっているからな」
真面目そのものといった顔で霧島を諭そうとする醍醐。そんな二人の、いや、龍麻達の反応に、霧島は疑問を持ったようだった。
「どうしてですか? 緋勇さん……蓬莱寺さんを尊敬しちゃいけないなんてこと、ありませんよね?」
唐突に問われ、龍麻はどう答えたものかと考える。
「そりゃ……まあ、剣に関してはね。ただ……そのまま全部っていうのは、はっきり言って人生捨てたのと同じ――」
「そうですよねっ! いいですよね! 僕も蓬莱寺さんのように、強くなりたいんですっ!」
声量が落ちていく言葉の後半は、霧島の耳に届く事はなかった。こうなっては誰にも止められそうにない。
「蓬莱寺さんっ! 僕、本当にあなたのこと尊敬してます!」
「えっ!? あっ、あぁ、そう……」
まっすぐな霧島に、京一はたじろくばかりでまともな受け答えができていなかった。ここまで戸惑うばかりの京一も珍しい。
「だから、あの……その……あのですね――京一先輩――って呼んでもいいですかっ!?」
「はっ……? えぇと……そりゃあ、まぁ……これといって、ダメな理由もねぇが……」
「じゃあ、いいんですね!?」
「えっ……? あ、あぁ……」
「――やったぁ! ありがとうございます、蓬莱寺さ――あっ、京一先輩っ! あっ、僕のことは諸羽って呼んでもらって構いませんから」
上機嫌な霧島とは対照的に、京一の方は呆けたような表情のまま。そんな京一を見て、ついに小蒔が吹き出した。
「ぷ――っくくく……京一ってば、おっかし――っ! すっかり霧島クンに圧倒されてんだもん! あははははっ!」
「うっ、うるせぇっ!」
ムキになる京一をよそに、小蒔は笑い続けている。
「よかったね、霧島くん!」
「うんっ!」
舞園の方は、連れの霧島が嬉しそうにしているのを見て、笑っていた。
「まぁ、さやかちゃんが喜んでくれてるから、よしとすっか……それより――」
照れ臭さを吹っ切るようにそう言って、京一が表情を真剣なものに変える。その雰囲気に、小蒔が笑うのを止めた。
「えぇっと……霧島」
「……はい」
名前でなく、名字の方で呼ぶ。やや残念そうに、霧島が答える。
「中野の帯脇ってのは、お前らの知り合いか?」
「――!」
「それは……」
帯脇という名が出たその途端、先程まで笑っていた舞園の顔が一気に翳った。霧島も言い淀み、曇った顔を舞園に向ける。説明していいものかどうか、伺いを立てているようにも見え――事実そうだったのだろう、舞園が頷き、口を開いた。
「……あの人の狙いは、私なんです。皆さん、さっきは、本当にごめんなさい。私のせいで、皆さんに迷惑をかけてしまって……」
「別に気にすることはないよ」
俯く舞園の肩にぽん、と手を置いて龍麻。
「舞園さんが僕達を巻き込んだんじゃない。僕達が、そう望んで介入したんだから。だから、気にする必要もないし、そんな顔することもないよ」
「よかった……」
龍麻の言葉に、舞園は安堵の表情を浮かべた。
「もしかしたらもう、嫌われてしまったかと思った……」
「なっ、何言ってんだよ、さやかちゃん! 困ってる女性を放っとくヤツなんて男じゃないぜ。なぁ、小蒔?」
「なんで、ボクに振るかな……」
京一と小蒔のやりとりで、完全に場の空気が変わる。場を和ませるつもりがあったかどうかはともかく、こういう時にこの二人がいるといないとでは大違いだ。
「どうやら、何か事情がありそうだな。よかったら、話してはくれないか?」
帯脇とやらの名前で舞園達の態度が急変したことが気になったのか、醍醐がそう持ち掛ける。
「そうだよっ、ボク達が力になるよっ」
確認するように小蒔が皆を見た。無論、ここで首を横に振る者などいない。
「皆さん……ありがとうございます」
「さやかちゃん……」
霧島が舞園の肩に手を置く。彼の表情は舞園を案じているようで、舞園も、霧島の意図を読んだのか、お願い、とだけ言葉を発する。霧島は頷くと
「それじゃあ、僕が代わりに話します。帯脇……帯脇斬己は、中野界隈では有名な不良で、さやかちゃんの熱狂的なファンなんです。その上、さやかちゃんを自分のモノにしようと、執拗に付け狙ってくるんです」
「それってもしかしてストーカーってヤツ!?」
「ちっ、どうしようもねぇ変態ヤローだな」
小蒔が驚き、京一が悪態を吐いた。
「それで、今日のような事がよくあるというわけか」
「はい……」
「その他にも学校や仕事場で待ち伏せされたりして……私、何度も断ったんですけど、全然分かってくれないんです」
渋い顔をする醍醐に、霧島が項垂れ、舞園が言葉を継いだ。
ストーカーと呼ばれる輩が増えているというのは耳にする。犯罪まがいの事を平気でやる連中なのだから、警察にでも通報すればよさそうなものだが、残念ながら、現時点ではこれを法で取り締まる事はできないのが現状だ。
「それで、霧島がボディガードか。一人じゃ大変だろう」
「はい。でも……僕もさやかちゃんの歌が大好きですからっ。さやかちゃんを護るためなら、僕は何だってできますっ」
腕組みなどして唸る醍醐だったが、霧島ははっきりと言い切った。その目に迷いなど微塵もない。
「さすがは、俺の一番弟子」
「こらっ! 都合のいい時だけ、弟子にするんじゃないのっ!」
調子のいい京一に、二度目の小蒔の蹴りが飛ぶ。
「まあ、僕達にはボディガードの手伝いはできないけど、その気持ちを忘れずに、しっかり舞園さんを護ってあげるんだよ」
「けど、ひーちゃんよ」
先のおどけた態度とはうって変わって、真剣な面持ちで顎に手をやる京一。
「その帯脇ってヤツ――おかしな《力》を持ったヤローじゃなきゃいいけどな」
「あぁ。可能性は否定しきれないな」
醍醐も同じことを考えていたのか、難しい顔になる。
会ったことがないので何とも言えないが、その帯脇とやらがもしも《力》を持つ人間であるのなら、話は変わってくる。そのテの人間が《力》を持っていた場合、悪用するのは目に見えているし、そうなったら舞園はおろか、ボディガードの霧島にも危険が及ぶからだ。その辺りの事が分かれば、こちらも動く理由ができるのだが――
「おかしな……《力》……!?」
突然、霧島が驚いたような声を上げた。
「それって、もしかして――さやかちゃんの歌声が持っているような《力》のことですかっ!?」
その問いに、龍麻達は顔を見合わせ
「……ってことは、気付いてたんだ」
舞園に視線を向ける。
「それって、ひょっとして、今年の四月に入ってから?」
「あ、はい。今年の春――高校に進学して、本格的に芸能活動を始めてからです。頂いたファンレターや、スタッフの方々から、私の歌を聴いて病気が治ったとか、勇気が湧いてきたとか……それを聞いて、初めて気付いたんです。自分の歌には、不思議な《力》があるって……」
やはり、時期的には葵達とほぼ同じのようだ。龍脈の《力》はこんな所にも顕れていたらしい。
勝手に納得している龍麻達に、舞園は不安げな目を向けてくる。
「こんな《力》を持ってるなんて、私、変でしょうか?」
「全然。とてもすばらしい《力》じゃないか。大勢の人を幸せにできる《力》なんだから。自信を持っていい、僕達が保証するから」
大抵の人間なら気味悪がったりするだろうが、龍麻達とて同じ《力》を持つ身だ。その程度で人を見る目が変わったりはしない。
そんな悪く考える事はないよ、と微笑む龍麻に、舞園は満面の笑みを浮かべ
「よかった……そんな風に言ってもらえるなんて、私、嬉しいです。この《力》が少しでも人の役に立てるように、私、頑張ります! でも……」
今度は不思議そうに訊ねてくる。
「どうして皆さんは、そんなに平然としているんですか? 私、もっと驚かれるか、敬遠されると思ってました」
「まぁなぁ――俺達の周りには、妙な《力》を持ったヤツらがゴロゴロいるしな」
京一は、まるで世間話でもするかのような口調で、あっさりと言い
「キミもあんまり、人のコト言えないよね」
「なに、醍醐や美里にゃ負けるぜ。極めつけはひーちゃんだけどな」
小蒔のツッコミも受け流して、続けて龍麻達を見て笑う。三人は揃って苦笑していた。
だが、それでは済まないのは霧島と舞園だった。
「それ……どういうことなんですか? まさか、皆さんにもさやかちゃんのような《力》が?」
「えぇ……今年になってから、私達やさやかちゃんのように、自分の内の不思議な《力》に目醒めた人がたくさんいるの」
「俺達と接触して、敵対する者もいれば、仲間になる者もいる。この《力》が何のためにあるかはまだわからんが、少なくとも、俺達は今まで――俺達の大切なものを護るために闘ってきた」
葵と醍醐の話を聞いて、二人は目を丸くしている。《力》を持っている者がこうもたくさんいると、舞園も自分が特殊だという気持ちすら吹き飛んでしまっただろう。
霧島は霧島で、何やら複雑な表情を浮かべているが――
「まぁ、その帯脇ってヤローが何モンなのか、俺達の方でも調べてみるが、二人も十分に気をつけろよ」
「はい……それじゃあ、霧島くん……」
京一に頭を下げて、舞園は霧島に声をかける。考え事でもしていたのか、一瞬戸惑ったようだったが、すぐに自分の腕時計を見て苦笑した。
「そうだね。そろそろ帰らないと、マネージャーさん、心配するね。内緒で出てきちゃったから……きっと今頃カンカンだよ」
「何だよ、そのマネージャー、そんなにうるさいのか?」
「いえ……でも、私もよくは知らないんですが、最近、帯脇さんのこと以外でも何かあったらしくて……心配してくれるのは嬉しいんですが……」
訊ねる京一に、こちらも苦笑いで答える舞園。
「まぁ、いくらアイドルっていっても、まだ女子高生なんだから。遊びたい時だってあるよね。たまには息抜きしないと、ストレス溜まるし」
「ひーちゃんの言う通りだぜ。だから、そうだな……新宿
「はいっ! 皆さん……本当にありがとうございますっ」
霧島は素直に喜んでいる。舞園も一瞬表情を明るくしたが、やや躊躇いがちに
「でも……いいんですか? 皆さんも、色々と忙しいんじゃ……」
と、訊いてくる。龍麻は笑って、こう答えた。
「いいんだよ、遠慮なんてしなくても。忙しいって言っても舞園さん程じゃないし。いつでも遊びにおいで」
新宿駅前。
霧島と舞園を送って龍麻達は駅前まで出てきた。
「しっかし、相変わらず新宿も人の多い街だよな」
「少しは慣れたけど……あんまり好きじゃないかな」
人混みでごった返している道を歩きながら、京一がぼやく。龍麻もそれに頷く。
「けど、ボクは、賑やかで好きだなっ」
小蒔は人混みが好きらしい。賑やかなのは確かだが、限度があるというものだ。それとも、長年こちらに住んでいる小蒔には、この程度の人混み、何ともないのだろうか。
「そうかぁ? 歩くのに、うぜぇよ」
「ハハッ。京一先輩らしいですね!」
更に漏らす京一に霧島は笑い、龍麻の方を見た。
「緋勇さんは、御自分の街……好きですか?」
「こちらに越してきて、一年も経ってないけど……そうだね、好きだよ。みんなもいるし」
龍麻にとっての自分の街というのは、長年住んでいた岡山の方、というイメージがあった。だが、思い出の密度ははるかにこちらの方が大きい。今となってはそれなりに愛着もある。何より、葵達、仲間のいる街だ。
「そうですよねっ。僕も自分の街が好きです。何もない所だけど、大切な人はいっぱいいる……僕も自分の力で自分の街を――自分の大切なものを護れるように、強くなりたいんです。だから、僕にも皆さんみたいな《力》があったらなぁって……そう……思うんです」
そう言う霧島の表情を見て、龍麻は先程の霧島を思い出した。自分達に《力》があると教えた時のあの表情――《力》に対する羨望のようなもの。
その気持ちは分かる。龍麻だって《力》を求めた事があるからだ。だが《力》は万能じゃない。やれることなんて、たかが知れている。《力》のお陰で助かった事もあったが、役に立たなかった事だってある。
「《力》があるかどうかなんて、大した問題じゃないよ」
気付いた時には、龍麻はそう言っていた。
「真の力とは心の強さから生まれるもの――僕の師匠の受け売りだけどね。そういう意味では、霧島は強いよ。大切なものを護りたい、そのために強くなりたいっていう今の気持ちを忘れないこと。それが、霧島の《力》だよ」
「あ、その……緋勇さん、ありがとうございますっ!」
霧島はぽかん、と龍麻の顔を見ていたが、我に返ると勢いよく頭を下げる。その反応に、逆にたじろく龍麻。
「素直だねぇ、霧島クンは。どこかの誰かにも見習わせたいね」
言いつつ小蒔は京一を見る。
「何言ってる。俺は素直なヤツだと思うけどな」
「それは、自分の欲求にだろっ!?」
本日三度目の小蒔の蹴り。さすがに今回は京一もそれを避けた。そんな様子を見て舞園が笑う。
「ふふっ。皆さんといると、嫌なことは全部忘れてしまいそう。私は好きです、新宿
顔を上げ、周囲を見回す。
「だって、こうして人混みに紛れてしまえば、誰も私に気付かない。たくさんの人の中で、私もただの一人の人間になれるんです。何一つ、特別な所なんてない、ただの私に――戻れる気がするんです……」
「芸能人というのも、結構大変なものなんだな」
と醍醐が漏らした感想は、龍麻達全員に共通するものだった。
どこへ行っても自分を知る者ばかり――それでは一個人として気の休まることなどないのではないだろうか。そういう仕事だと言ってしまえばそれまでなのだが。
「でも、さやかチャンはカワイイから逆にナンパがうるさいんじゃない? この辺には、京一並みにタチの悪いヤツが多いからさっ」
「小蒔……どうしてお前はそう、一言多いんだよっ! ったく、さやかちゃんが俺のこと誤解したらどうすんだっ!」
小蒔の物言いに京一が腕など組んでふてくされる。
「いいように誤解してる人もいるけどね。京一、そのイメージを崩さないように、頑張るんだよ」
「そうそう。誤解してんのは、さやかちゃんじゃなくて、霧島クンの方だよねっ!」
そういって笑う龍麻に、小蒔も同調して笑い、霧島を見る。当の霧島は、未だに何を言っているのか分かっていないようだった。まぁ、知らない方が幸せなのかも知れない。
「さて、と。そろそろ駅だな。それじゃあ二人とも、気をつけて帰れよ」
「はい、ありがとうございま――!」
駅の入り口を見て言う醍醐に、霧島がそう言いかけ――立ち止まった。
「何だ? どうした、霧島?」
醍醐の問いには答えず、霧島は正面を見据えている。その顔に浮かぶのは緊張と不快感。その様子に龍麻達も視線の先を追う。そこにいたのは
「よぉ、霧島っちゃん!」
緑色に染めた髪をモヒカンにした、目つきの悪い男だった。その後ろに、数名の不良。先程遭遇した奴も混じっている。
「こんなトコで会うとは、奇遇だなぁ」
「奇遇……だと? 大方、またさやかちゃんの後を尾けてたんだろう、帯脇っ!」
舞園を庇うように、霧島は正面に出て、男に鋭い視線を向けた。
(ここで会ったのは偶然だと思うけどね。捜してはいたんだろうけど)
霧島達と出会ってからここに至るまで、龍麻は誰の気配も感じなかった。相手が気配を消すのに長けた者ならともかく、いくら本調子でないとは言え素人の尾行に気付かないほど龍麻は、そして京一達は鈍くない。
「なんだ、霧島。このバカみてぇな頭した奴が、帯脇か?」
「霧島っちゃん、事情も知らねぇ他人を巻き込んじゃあ、いけねぇなぁ」
挑発とも取れる京一の言葉に、モヒカン――帯脇はそちらをちらりと見たが、それを無視して霧島に話しかける。一方霧島の方も帯脇に応えようとはしなかった。何を言っても無駄だと、分かっているのだろう。
「おっ、さやかじゃねーか。相変わらず可愛いな。ケケケッ」
霧島などどうでもいいのか、ニタリと笑って帯脇が舞園に近づく。それを霧島が更に前に出て阻んだ。
「さやかちゃんに触るなっ!」
「ケッケッケッ。すっかりナイト気取りだなぁ? あんま、俺の女にベタベタ触んじゃねぇよぉ」
「さやかちゃんは……誰のものでもないっ!」
舞園は霧島の背後に隠れるようにしている。優位を信じて疑わない、余裕の態度の帯脇に霧島が一喝するが、効果はない。
「ケッケッケッ。ガキが、粋がってんじゃねーよっ!」
「ちっ、黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって……」
事態が動きそうにないと見たのか、京一が割って入った。
「そういうてめぇも、あんまり粋がらねぇ方がいいぜ。ここでこの二人に手ぇ出したら、てめぇは五体満足で新宿
「そうだぞっ、ボク達が相手になるからねっ」
京一に続き、小蒔が前に出る。帯脇はそんな二人を見て鼻を鳴らし、残りを一瞥した。
「てめぇらが、真神かよ? 知ってるぜぇ、バカな蓬莱寺に、巨漢の醍醐。男女の桜井に、生徒会長の美里。ケケッ、結構いい女だなぁ。そっちは誰だぁ? 俺様のデータにゃねぇぜぇ?」
龍麻に視線を向けたところで、ほんの僅かに帯脇の表情が動く。とは言え、興味があるという風でもない。大方、どこの雑魚だ程度の認識しかしていないのだろう。ただでさえ、今は怪我人なのだ。
「緋勇龍麻」
「緋勇龍麻〜? ケケケッ、お前も俺様の抹殺リストに載せてやらぁ」
一応名を名乗る龍麻。帯脇が何やら馬鹿げたことを言っているが、それ自体は聞き流し、龍麻はじっと帯脇を視ていた。
(何だ、この感じは……? 人外、じゃない。でも、人間とも違う。いや、人間に何か別のモノが混じったような……)
帯脇の外見は人間そのものだ。だが、感じられる《氣》は普通ではなかった。彼自身はやや陰に傾いているようだが、それとは別に禍々しい「何か」を感じる。
(強いて言えば、霊みたいな感じだけど……それにしては《陰氣》が強い。悪霊とか、そう言った類のモノかな。霊はともかく、憑かれた人間は視たことないから、何とも言えないか……《力》を持っているのかどうかも、現時点じゃ分からないし)
「おい、ひーちゃん!」
突然の京一の声。気が付くと、その場に帯脇達の姿はない。
「あ、あれ……? 帯脇は?」
「あれ、じゃねぇよ。とっくに行っちまったぜ」
ややわざとらしく溜息をついて、京一が肩をすくめた。その様子に、葵達からも苦笑が漏れる。何とも格好悪い龍麻である。
「あの。それじゃあ、僕達はそろそろ行きます」
「あぁ、気をつけろよ」
醍醐はそう言うが、恐らく今日の所はこれ以上何もあるまい。
「あの……本当にまた、遊びに来ても構いませんか?」
帯脇の件もあり、迷惑がかかるとでも思ったのだろう。ラーメン屋の前と同じように、躊躇いがちに訊いてくる舞園。ただ、先と違うのはその目が龍麻に向いていることくらいだ。
「もちろん。さっきも言ったでしょ? 遠慮なんてせずに、舞園さんさえよければ、いつでも遊びにおいで」
「はいっ、ありがとうございますっ」
優しく微笑む龍麻に、舞園は心底嬉しそうに頭を下げた。
「それじゃあ、私達はこれで……」
「あぁ。またな、さやかちゃん。霧島、何かあったら、遠慮しないで俺達を頼ってこいよ」
「はいっ、京一先輩! それじゃ、失礼しますっ!」
「今日は、本当にありがとうございました。さようなら、皆さん」
「あ、霧島」
立ち去ろうとした二人――正確には霧島を、龍麻が呼び止める。
「帯脇には気をつけて……あいつは危険だ」
「? はい……」
龍麻が何を言いたかったのかは理解していないだろうが、それでも霧島は頷いて見せた。
二人は龍麻達の側を離れ、やがて人混みに紛れて見えなくなる。
さて、帰ろうかと言いかけた龍麻だったが
「ひ〜ちゃ〜ん……」
京一が、ずずっと正面に移動してきた。
「さやかちゃんのコト、知らねぇって言ってた割には、随分と仲良さげだったじゃねぇか」
「そ、そう……?」
「さては、ひーちゃん。さやかちゃんに気があるとか言うんじゃねーだろーなっ!?」
「えっ!? そうなのっ!?」
京一に続き、小蒔までもが加わってくる。何故かすごい剣幕で。
「いや、それはない」
今にも掴みかかってきそうな二人だったが、あっさりと否定する龍麻。
「別に特別に何かしたわけじゃないけど」
「でもよ……」
「京一、いい加減にせんか。別に珍しいことでもなかろう」
そう言って割り込んできたのは醍醐だった。
「俺はよく見るぞ。龍麻のああいう態度というか、光景は」
「はぁ!? それって、ひーちゃんがしょっちゅう女の子に声かけてるって意味か!?」
「馬鹿者……マリィと一緒にいる時だ」
「うふふ。そうね」
醍醐が呆れ、葵が笑う。
「年下相手だとそういう傾向があるわね。下級生や後輩に接する態度……もっと言えば妹のようなものかしら。マリィなんかはその典型ね」
天下のアイドルを捕まえて妹というのも何だが……
「だから、京一が考えているような馬鹿げたことはない、そういうことだ」
「でもよー、マリィはまだガキだろ?」
「見た目はともかく、マリィは実年齢は十五だよ。つまり高校一年生。舞園さんと同じ。ほら、つまらない事言ってないで、帰るよ」
未だにブツブツ言っている京一にそう言って、龍麻は歩き出した。