「が……はっ……」
「お、おい……緋勇……!」
 よろよろと身を起こそうとする龍麻に、レッドが駆け寄る。彼自身は龍麻に庇われたおかげで、大したダメージは受けていなかった。
「ククク……その腕じゃ、鳳凰とやらは撃てねぇだろう?」
 どこか勝ち誇ったような九角の声。龍麻を叩く好機と見たのか、京一達を無視してこちらに近付いてくる。
「お前の相手は俺達――!」
「てめぇらは後回しだっ!」
 振り向きざま鬼鳴念を放つ九角。背後から襲いかかる京一と醍醐だったが、《陰氣》の衝撃波を受けて弾き飛ばされた。矢を射ようとした小蒔も、防御に徹するしかなく、攻撃の機会を失う。
「けっ、他愛もねぇ……」
 京一達には目もくれず、九角は再び龍麻の方に向き直る。その前に立ちはだかる者がいた。
 五色の聖天使達を従え、右手を掲げる一人の少女――葵。かつて等々力で同じようなことがあったが、あの時と違うのは、葵の瞳に宿る強い意志の光。
「てめぇ……!?」
「――ジハードっ!」
 ドゴオォォォッ! 
「うぎゃあぁぁぁっ!?」
 一斉に放たれた五つの光条が九角を呑み込む。戦闘開始から初めて、九角が悲鳴を上げた。ようやく有効なダメージを与えたのだ。
「あ……あれ、美里の《力》かよ……?」
「葵……いつのまにあんな……?」
「す、すごい《力》だな……」
 葵に攻撃の手段があるなどとは考えたこともない三人の動きが止まった。
「みんな、足止めをお願いっ!」
 それだけ言って、葵は龍麻に駆け寄る。この戦闘での主力が負傷した以上、早々に戦線に復帰してもらわなくてはならない。葵の言葉で我に返り、京一達は攻撃を再開する。
「龍麻くん、大丈夫!?」
「はは……ちょっとまずいかも……」
 上体は起こしたものの、立ち上がることのできない龍麻が、左腕を見せた。
 オリハルコン製の手甲はひしゃげ、腕が本来あり得ない向きに曲がっている。腕から出血しているところをみると、骨が皮膚を破っているのだろう。龍麻の全力の防御とオリハルコンの硬度も、九角の拳を防ぎきることはできなかったのだ。
「……左の肋骨も何本か、腕と一緒にやられてる……まともに食らってたら、死んでたね……」
「じっとしてて。今、治癒を――」
「いや……そんな暇はないよ……」
 龍麻は戦場に目を向ける。京一達の奮戦で、何とか九角をその場に押し止めてはいるが、このままでは何も変わらない。
(ジハードは有効だけど、彼女に近接戦闘をさせるわけにはいかない……雄矢達の攻撃も大したダメージになってないし、僕の技も同様だ。どうする……? どうしたら……)
 手はある。現状を打開しようと思ったら、それしかないだろう。しかし――
(いや、迷う暇なんてない……このままじゃ負ける。僕は、僕にできることをする……それだけだ)
「紅井、君は下がって。龍山先生、彼らをお願いします」
 無事な右手で側にいたレッドを龍山の方へ押しやり、龍麻は立ち上がる。
「葵、これ、預かってて」
 龍麻が首から提げていた物を、制服の下から引きずり出し、葵に渡した。光沢のある、石器のような形をした黒い石。
「これは……?」
「僕はこれから討って出る。援護はよろしく」
 質問には答えずに龍麻は一歩踏み出す。
「まだ無理よ。今の龍麻じゃ参戦しても――」
「いや……『今の僕』なら、やれる」
 引き止めようとする葵にそう言って、龍麻は《氣》を解放した。
 身体中に力が漲る。身体能力が飛躍的に上昇していくのが分かった。膨大な蒼い陽の《氣》が龍麻を取り巻く。
(どっちにしろ、全力を出したらそう長くは保たない。僕が壊れるのが先か、九角を滅ぼすのが先か……頼むから、最後まで保ってくれよ……)
「龍麻……!」
 叫んだ瞬間――地を蹴る音と共に龍麻の姿は葵の視界から消えた。



 数時間前――生物室。
「これ、何です?」
 黒い石のついた首飾りをしげしげと眺めながら、龍麻はそれを手渡した犬神に問う。
 ただの石でないことは分かる。《力》らしきものを感じるからだ。
「身につけてみろ」
 問いには答えず、煙草をくわえて犬神は促す。言われるままに、龍麻はそれを首に掛けた。
「掛けましたけど」
 犬神は龍麻の手を取ると、首飾りの石の先端に当てて素早く横に引いた。少し遅れて、龍麻の手に赤いものが滲み出てくる。
「……いきなり何をするんです?」
「石にお前の血をつけろ」
「はぁ……」
 何が何やら分からないが、意味のある行動なのだろう。指示に従い、石で血を拭う。
「で、次は何ですか?」
「《氣》を放ってみるといい。それで、何がしたかったのか分かる」
「……ここでですか? 京一達にばれますよ」
「心配するな。結界は準備してある」
 ふう、と煙を吐き出す犬神。
「知りませんよ?」
 肩をすくめ、龍麻は《氣》を放った。自分では制御しきれない程の《氣》が――
「あれ?」
 放たれることはなかった。全力を出したつもりでも《氣》の方は安定している。京都の時のような過剰放出はない。
「どうなってるんです?」
「さっきの石だ。元々は強力な魔を封じる時に使う石なんだが、こういう使い方もできる。装備者の肉体に負荷を掛けない程度に、お前の《氣》を抑えるわけだ」
「……僕は化け物ですか……?」
「普通の人間から見たら、十分に人外だな」
 苦笑する龍麻に、人外の生物教師は口の端を吊り上げる。
「それを着けている限り、お前が自らの《力》によって身体を壊すことはない。だが、一定以上の《力》を出すこともできなくなる。あくまで、装備者の保護優先だからな」
「自分に無理なく振るえる《力》は今まで通り使えるってことですか。でも、こんなものどうしたんです?」
 京都で《氣》を使ったのは確かだが、その場に犬神はいなかった。感じたのかも知れないが、それで今の龍麻が《氣》を制御できないことに、気付くとは思えない。
「古い友人に頼まれた。それと伝言だ。『約定は果たした』とな」
 となると、龍麻に思い当たるのは一人しかいない。京都で遭遇した人外――
「……あの鴉天狗ですか? 約定って何です? それに、どうして僕のことを知ってるんですか?」
「お前の先祖が何を言い交わしたのか、あいつとどういう繋がりがあったのか、俺に分かるわけがないだろう? 何があったにせよ、向こうはただ約束を守っただけだ。ありがたくもらっておけ」
「そりゃ、助かりますけどね……」
 気になることはあるが、答えは出そうにない。石を服の下に隠すと、礼を言って龍麻は生物室を後にした。



「京一、避けろっ!」
 背後で膨れ上がった《氣》を感じ取り、醍醐は京一に警告を発した。先程までとは桁違いの龍麻の《氣》。京都の時の比ではない。
(龍麻のやつ、大丈夫なのか!?)
「お、おい醍醐! 何なんだよ、このひーちゃんの《氣》はよっ!?」
「いいから避けろっ! 巻き添えを――!」
 醍醐と京一の間を影が駆け抜ける。気付いた時には、影――龍麻の跳び蹴りが九角の喉に突き刺さっていた。
「ぐお……っ!?」
「おおぉぉぉぉっ!」
 止まることなく連撃を浴びせる龍麻。九角の動きは、その巨体に見合わぬ素速いものだったが、今の龍麻の速さには全く追いついていない。
「てめぇ……単純な力だけで、俺に手傷を負わせるつもりかよっ!? なめるなっ!」
「なら――受けろっ!」
 《氣》を乗せない攻撃ではダメージを与えられない。九角の身体を踏み台にして龍麻は大きく跳んだ。掲げる右手に炎《氣》が宿り
「巫炎っ!」
 ゴウッ! ! 
 炎の帯――否、炎の壁が出現し、九角を包み込んだ。肉の焼ける嫌な匂いが竹林に満ちる。
「まだだっ! 円空破っ!」
「がはっ……!」
 炎の消えぬ内に懐へ入り、至近距離からの《氣》の一撃。九角の巨体が浮き上がり、地に沈む。
「京一、醍醐! 畳み込んでっ!」
「「お、おうっ!」」
 一連の出来事に目を疑う京一達だったが、龍麻の声にようやく活動を再開した。
「奥義、円空旋――っ!」
「円空破っ!」
 二人の技が炸裂し、無防備になっている九角にダメージを与える。
「醍醐、ひーちゃんに何があったんだよ? いくら何でも異常だぜ」
「等々力の一戦から、また《力》が強くなったんだ。制御ができないというおまけ付きでな」
「制御不能って……あんなにとばして大丈夫なのかよ?」
「長くは保たんだろうな。だから、俺達ものんびりしている暇はないぞっ!」
 九角は既に起き上がっている。京一と醍醐は再び斬り込んでいった。
「てめぇら……調子にのるんじゃねぇっ!」
 鬼鳴念を放ち、あるいはその剛腕を振るい、九角も反撃を開始する。こうなると京一達は九角に近付くのも難しくなる。鬼鳴念が来れば防御にまわるしかないし、拳の一撃だって、一発でも食らえば最後だ。
「小蒔っ! 援護はどうしたんだよっ!?」
「やってるよっ! でも、ひーちゃんの動きが速すぎて、下手に射ることができないんだ! 京一だって、後ろから射られたくないだろっ!?」
 前に出られない苛立ちから、後方の小蒔に当たる京一。攻撃に移れないもどかしさからか、小蒔も怒鳴り返した。
 龍麻の戦闘力が突出してるだけに、京一達はそれと連携が取れないのである。
「これから九角の動きを止めるっ! 小蒔さんは攻撃の用意っ! 京一と雄矢は配置についてっ!」
 指示を出し、横手から龍麻は九角に突貫した。
「砕け散れぇっ!」
「はあぁぁぁっ!」
 振り下ろされた拳が地面に突き刺さる。紙一重のところで龍麻は直撃を避けた。掠めた拳が龍麻の胸元を裂く。
「雪蓮掌っ!」
 伸びきった九角の腕、その肘に冷《氣》を纏った掌打を叩き込む。瞬時にして九角の左腕が凍り付いた。そのまま龍麻は跳躍し――
「ぐわあぁぁぁぁっ!?」
 《氣》を込めた手刀が九角の左目を抉る。
(浅かったか……っ! でも、これで攻撃力は間違いなく落ちるっ!)
「京一、雄矢っ!」
「おうっ、行くぞっ!」
「よっしゃっ!」
 九角を取り囲んだ三人が《氣》を解放する。最近では使う機会がめっきり減っていた、龍麻達の方陣技。
「「「唸れ! 王冠の――!」」」
 まさにサハスラーラが放たれようとしたその時だった。
「なっ、何だとぉっ……!?」
 三人の《氣》の方陣に乱れが生じた。九角に向けられるはずの《氣》が、京一に集中したのだ。
「ぐっ、があぁぁぁぁっ!」
「まずい……!」
 悲鳴を上げる京一に、龍麻は自分の《氣》を干渉させる。三人を結んでいた《氣》の流れを無理矢理断ち切り、方陣技を強制的に解除する。
「雄矢、京一を頼む! 葵さん、京一の手当をっ!」
 一人九角へと向かう龍麻。醍醐は京一に肩を貸し、後方へ退いた。
「ね、ねぇ……今の、どうなってるの?」
「……ひーちゃんと醍醐の《氣》を、俺が受けきれなかったんだよ……」
 何が起こったのか分からない、といった顔の小蒔に、京一は刀を放り出し、そう答えた。
 方陣技は、複数の者の《氣》を干渉、増幅して放つ技だ。サハスラーラの場合は、龍麻、京一、醍醐の三者の《氣》を、それぞれの体内で増幅し、次の者へと流す。それがある程度まで高まった時点で解放するのだが――
「醍醐と……特にひーちゃんの《氣》がでかすぎるんだ。増幅した《氣》を、俺が処理しきれなかった。手加減ができればともかく、今のひーちゃんにはそれはできねぇし、何よりそんな方陣技が九角に効くとも思えねぇ……こりゃ、方陣技は使えねぇな」
「で、でも……それだったら、ボクと葵で――」
「駄目……多分、同じ事になるわ」
 京一の治療をしながら、葵が首を振る。
「私も菩薩眼が覚醒してから《力》が異常に大きくなった。全力で行こうと思ったら、小蒔も京一くんみたいに……。それに、方陣技は確かに強力だけど、元々広範囲の敵を攻撃するものの方が多いし。京一くん達のサハスラーラ、私と小蒔の楼桜友花方陣も、対個人には向かないわ」
「まったく……方陣技を食らう敵の気持ちってのがよく分かったぜ。こんなの食らったら、並のヤツは一撃だ……ひーちゃんが干渉してくれなかったら、どうなってたか……」
 再び安綱を手に取り、京一が立ち上がる。
「さて、と。もう一頑張りするか」
「そうだな……龍麻もそろそろやばい……」
「小蒔、お前はいつでも攻撃できるようにしとけよ。現時点で、一番消耗が少ないのはお前だ。ひーちゃんが……いや、俺達が必ずきっかけを作るから、その時はキツイの一発お見舞いしてやれ」
 小蒔が攻撃に参加できていないのを、龍麻も気付いているはずだ。だからこそ、先程の方陣技で動きを止めて、小蒔に攻撃させるつもりだったのだろう。
「う、うん……任せてっ!」
「よし、行くぜ、醍醐!」
「おうっ!」
 葵の援護を受け、京一と醍醐は再び前線へと戻っていった。

「ククク……いい加減、くたばったらどうだ……?」
「生憎と……諦めが悪くてね……」
 あれだけの猛攻を受けながら、九角の方は未だに健在だった。片目を失い、左腕も凍り付いたままで使えないが、動きそのものに衰えは見えない。
 一方の龍麻はかなり消耗していた。左腕は使えず、身体への負荷も大きい。身体のあちこちが悲鳴を上げているのが現状だ。
「そろそろ……終わらせようか……」
「てめぇの死でな……」
 自分が今の戦闘力を維持できるのもあと僅かだ。それまでに決着をつけなければならない。龍麻の言葉に、九角が応える。
「てめぇを殺せば、後はどうとでもなる……あの時と同じだ……」
「そう……お前を斃せば全て終わる……あの時と同じだね……ただ、あの時と違うのは――」
 龍麻が真正面から九角に向かう。攻撃の要になるであろう右手に《氣》は込められていない。が、龍麻の後ろにいた者は気付いただろう。龍麻の手に握られている物に。
「これで終わりだ、緋勇っ!」
「あの時と違うのは、一対一じゃないことだっ!」
 カッ! 
 突然の閃光が九角の視界を奪った。間合いに入る寸前、龍麻が今まで忍ばせていた天津神之玉を発動させたのだ。本来、光の属性のダメージを与える道具だが、龍麻はこれを目潰しに使ったのである。
「京一、雄矢っ! 今っ!」
「「おおっ!」」
 振り向くことなく、背後から来る二つの気配に呼びかける。龍麻の両脇をすり抜けて、二人が跳んだ。
「おおぉぉっ! 虎爪――っ!」
「行くぜっ! 陽炎細雪ぃっ!」
 あらん限りの《氣》を凝縮した蒼い光の爪が九角の右膝を貫き、冷《氣》の刃が、未だ凍ったままの九角の左腕に食い込み、その左腕を粉々に打ち砕く。
「があぁぁぁぁぁっ!?」
 片腕を失いバランスを崩し、更に膝を破壊されてその巨躯を支えきれず、九角の身体が崩れた。
「ま、まだだあぁぁっ!」
 ゴスッ! 
「がはっ……!」
 無理な体勢から繰り出された拳が、醍醐を捉える。十分に力が乗っていない一撃だったが、それでも軽々と醍醐を吹き飛ばす。
「こっちはまだ、済んじゃいねぇぜっ!」
 童子切安綱に再度《氣》を込め、渾身の突きを繰り出す京一。刃は深々と九角の胸に突き刺さった。
「これで――!」
「かゆいわあぁぁっ!」
 至近距離からの鬼鳴念。醍醐よりも軽い京一の身体はあっけなく宙を舞う。
「どうした、これで終わりかあっ!」
「まだよっ!」
 その声は九角の背後から来た。いつの間にやら、葵が後方に回っていたのだ。ジハードを撃つのかと身構える龍麻だったが、その予想は外れた。
「龍麻っ! 私の力、あなたに預けますっ!」
 そう、今の龍麻達に使える方陣技はもう一つあったのだ。先程のサハスラーラでの失敗を思い出し、一瞬だけ躊躇う龍麻。
(いや……今の葵の《氣》なら、いけるかっ!?)
 葵の放つ《氣》もかなり大きなものだ。今の龍麻とも釣り合いが取れそうだった。意を決し、龍麻も《氣》を解放した。互いの《氣》が混じり合い、増幅され――
「「破邪顕正っ! 黄龍菩薩陣っ!」」
「ぎゃあぁぁぁぁぁっ!」
 巨大な光の柱が九角を呑み込んだ。黄龍菩薩陣は見事に発動したのだ。だが、さすがに消耗が激しかったのか、葵はその場に膝を着く。
「ぐ、おぉぉ……」
「これで――終わりだっ!」
 左胸に刺さった安綱を抜き捨てる九角に、龍麻が突っ込んでいく。九角の視力はまだ回復しきっていない。近付くのは容易かった。
「はあぁぁぁぁっ!」
 《氣》を込めた龍麻の手刀が、京一のつけた傷から九角の身体に潜り込む。肉を抉る音、その下の肋骨を砕く音、そして指の骨が折れる音――不快な音がその場にいた者達の耳を打つ。
「ちょろちょろと……動き回ってたが……これなら、もう逃げられねぇなぁ、緋勇……」
 みしり、と骨が軋む音。腕を引き抜こうとした龍麻だったが、九角の筋肉に締め付けられて身動きが取れなくなった。視界が回復していなくても、龍麻のいる場所は分かる。勝利を確信し、九角は拳を振り上げる。
「とどめだ……っ!」
「小蒔さんっ!」
 しかし龍麻は動じることなく後方に待機していた仲間の名を呼んだ。
(きたっ……!)
 弓を引き絞り、自分の《力》をイメージする。本物の矢はなく、既に《氣》の矢が形成され、番えられていた。
(これが、今のボクに使える最強の技! この一矢に全てをっ!)
「九龍烈火――っ!」
 放たれた光の矢。その先端に炎が宿り、次の瞬間弾ける。九つに弾けた炎はそれぞれが龍の顎と化し、九角に襲いかかった。本来は九匹の火龍が広範囲の敵を焼き払う技だ。だが、その拡散する威力を一点に集中したこと、そして今まで溜まっていた鬱憤を全て吐き出すかの如く、後のことなど考えず全力で放ったのが功を奏したのだろう。龍麻を打ち砕かんと振り下ろされようとした九角の右腕は、今までの頑強さが嘘のように九匹の火龍に食いちぎられ、あっけなく燃え尽きてしまった。と同時に、小蒔の方も弓を取り落とし、へたり込んでしまう。立っているだけの力すら使い果たしたようだった。
「これでお前に打つ手はなしだ、九づ――!」
 龍麻の言葉は途中で途切れた。
 片足は動かず、両腕を失い、後は斃されるのを待つばかり。その場にいた誰もがそう思っただろう。九角の間近にいる龍麻でさえ、九角にこれ以上のことはできないと思っていた。それ故に反応が遅れた。
 腕でもなく、足でもなく。ましてや《氣》による攻撃でもなく。九角の頭が振り下ろされていた。ただの頭突きである。頭突きといっても馬鹿にできない威力を持っていた。龍麻の額が破れ、血霧が舞う。幸運だったのは角がなかったことだろう。左右に一本ずつ生えている角が額にあったとしたら、今頃龍麻の頭は串刺しである。
「ま、まだ……動けるんだ……」
 飛びそうになる意識を何とか引き戻し、龍麻は九角を見据える。その目に絶望の色はない。このような状態になってもなお、戦う意志を捨ててはいなかった。
「言ったはずだぜ、緋勇。あの時と同じだと……。てめぇを殺せば俺の勝ちだ……お仲間達には、もう力なんぞ残ってねえだろう?」
「そういうお前だって、頭突きと噛み付きくらいしかできないだろう……? でも、こっちにはまだ手はあるんだ……」
「けっ……左腕は使い物にならねぇ。消耗も激しい。身動きも取れねぇ。一体、何ができるって言――!?」
「僕を殴り飛ばした後で……言ったよね? その腕じゃ鳳凰は撃てないだろうって……」
 龍麻の《氣》が高まっていく。これだけの力がどこに残っていたのかという程の《氣》が。
「鳳凰は巫炎のように炎《氣》を拡散させずに、霊獣の形に凝縮して放つ技……別に、両腕が必要なわけじゃないんだ。ただ、あれだけの出力の《氣》を、片腕に集中させると負担が大きいから、それをしなかっただけでね……」
 九角は何も応えない。それどころではなかったのだ。
(胸が熱い……緋勇の手が高熱を……いや、こりゃあ炎《氣》か……っ!?)
 龍麻達の周辺にも変化が現れていた。足下の落ち葉が自然発火し、次々と消えていく。やがて無数の火種が連なり、炎の壁となって龍麻達を取り囲んだ。
「じゃあ、自分の身体に掛かる負担を、一切考慮に入れなかったとしたら、どうなると思う……?」
「て……てめ……え……!」
 九角の中に初めて、ある感情が生じた。今まで感じたことのない、そして無縁であると思われていたもの――恐怖。我が身を顧みない龍麻の行動、そして、強固な意志が宿ったその眼光に、鬼と化した九角が気圧されていた。
「これで、本当に最後だっ! 秘拳――!」
 炎の壁が一定の方向に流れ始める。炎《氣》が渦巻き、巨大な竜巻となって龍麻と九角の姿を覆い隠した。《力》の余波が大気を揺るがし、竹林が台風の直中のように騒ぎ立てる。
「鳳凰――っ!!」
 全ての炎が一点に集束し、一瞬の後、轟音と共に炎が拡がる。巨大な火柱が上がり、その中から神々しい炎を纏った霊獣が天高く舞い上がっていった。

 炎の嵐が過ぎ去り、静寂が戻ってくる。あれ程濃かった《陰氣》もすでにない。先程の戦闘が嘘のようだが、その痕跡は確かに残っていた。
 焼け焦げた地面。余波でへし折れ、燻っている竹。今なお高い周囲の気温。空を遮っていた竹林も一部が燃え尽き、その隙間から満月が、舞台を照らす照明のように地上へ光を注ぐ。その光の下に二つの人影があった。
 一つは緋勇龍麻。そしてもう一つは、両腕もなく、右膝を砕かれ、片目を失っているが人の姿をした九角天道。龍麻の手刀で左胸を貫かれたまま、九角は空を見上げる。
「月――綺麗な、満月じゃねぇか……だが、もう……よく、見えやしねぇ……」
「九角さん――!」
「ま、待て美里!」
 どう見ても瀕死の重傷。醍醐の制止を振り切り、葵が九角に駆け寄ろうとするが
「「来るなっ!」」
 九角の、そして龍麻の雷鳴の如き一喝が、葵をその場に繋ぎ止める。
「無駄な事をするもんじゃねぇよ……なぁ、緋勇?」
「ああ、全く……」
 変生した者が人間に戻ることはまずないのだ。確かに人の姿をしているし、血も流している。龍麻の手には九角の体温も感じられる。だが、今の九角は《陰氣》の塊が人の形を成しているだけに過ぎないのである。心臓を貫かれてなお、言葉を発することができる人間など、いるものではない。
「最後の最後で、嫌な過去を思い出させるね……」
「いい加減、克服しやがれ……」
 苦々しい顔をする龍麻に、九角は口の端を吊り上げ笑う。
「これで、終わりか……」
「ああ。これで終わった。お前を縛るものは、もう何もない」
「どんなに華やかな祭も、いつかは終わる――人の命も、それと同じだ。それよりも――」
 九角は京一達の方へと顔を向けた。
「いいか、てめぇら。忘れるんじゃねぇぜ。なぜ、俺がこうして、再び《力》を得ることができたのかを――」
「《力》を……?」
「どういうことだ?」
 醍醐が眉をひそめ、京一が訊き返す。
「てめぇらは、知ってるはずだ。陽と陰の間に巣くう、底無き欲望の渦を――そして、思い出せ――前世むかし現世いまも、陽と陰は、同じ場所から生まれたということを――真の恐怖は、これから始まる……」
「真の恐怖……? 九角、お前何を知って――」
「この先もう、おめぇらに安息の時はねぇ。まぁ、せいぜい――てめぇらの言う大切なもんとやらを、護ってみせるがいい……」
 龍麻の問いには答えず、九角は自分の身体を見下ろす。
「どうやら俺も、ここまでのようだな……」
 言い終わるとほぼ同時に、九角に変化が現れた。何かが侵食するように、ゆっくりと身体が崩れ始めたのだ。
「俺は、遠い昔に何か――大事なもんを置き忘れてきちまったのか……」
「それに気付いていながら、そのまま進んだお前が悪いんだよ」
「違ぇねぇ……」
 九角は苦笑し、葵に目を向ける。周囲の景色すら霞んでいるというのに、その悲しげな顔が九角にははっきりと見えた。
「なぁ、緋勇――」
「何?」
「あの女を、護ってやれ。あいつを護れるのは、てめぇしかいねぇんだからな」
「言われなくても、護ってみせるよ。だから、安心して逝くといい」
 崩壊のスピードが速まっている。身体の維持にも限界が来たのだろう。もう長くは保つまい。
「あぁ。俺は一足先に逝かせてもらう。黄泉路の果てで、気長に待ってるぜ――。すぐに追い掛けてきたら承知しねぇからな――あばよ――」
 その言葉を最後に、九角の身体は消滅した。誰も何も言わず、ただ九角のいた場所を見つめている。
「あいつ、まさか始めから――このことを俺達に伝えるために――?」
「そんな……だって、アイツは悪いヤツだったじゃないかっ! アイツのせいで、たくさんの人が犠牲になって……それなのに何で――!」
 刀で身体を支える京一に、小蒔が反論する。今までに多くの事件を起こし、多くの人の命を奪った。その九角が、これから起こるであろう「何か」への警告を残して逝ってしまったのだ。そのギャップについていけないのだ。
「あの人だけが悪いわけじゃないわ……何か……抗いがたい大きな力に、あの人は飲み込まれてしまっただけ……」
 自分の身体を抱えるようにして、俯いたまま震える声を発する葵。その身体からは蒼い光が放たれていた。温かい光――それは手の施しようもなく消滅してしまった九角へ手向けられたものなのだろうか。
「もしも――もしも、刻が違えば――私達は、もっと違う出会い方ができたはず。あの人も……人としての安息を求めることができたはず……こんなかたちで命を落とすことなど、なかったはずなのに……」
「……嬢ちゃんよ。あやつはここへ、死に場所を求めて来たのじゃよ」
 龍山が、葵に優しく声をかける。
「鬼と成り果てた身に、わずかに残った人の心で――最後にもう一度、ぬしらと戦うのが、奴の望みだったのじゃろう。その戦いの果てに散ったのならば、奴も本望じゃろうて……」
「けど、あいつの得た《力》ってのは、一体何だったんだ……?」
 九角は一度変生している。そして、等々力で龍麻によって斃されている。その九角が何故、今になって甦ったのか。京一だけではなく、鬼道衆との戦いに身を置いた者達はそれが気になっていた。
「誰かが、復活させたんだ……」
 こちらを向くことなく龍麻が漏らした一言に、皆の視線が集中する。
「強い怨念を持って死んだ者を、鬼として甦らせる。等々力で、見ているはずだよ」
「……鬼道五人衆か。龍麻。ということは――」
 自分達が斃し、五色の摩尼に封じた鬼達。九角は外法を使い、怨念を鬼へと変えた。もし九角が同じようにして甦ったのならば、誰かが外法を使ったことになる。
「まだ、何も終わっちゃいねぇってことかよ。いや、これからが本当の闘いなのかもな」
「先生……先生はご存じなんですか? 一体、これから何が起ころうとしているのか……」
 京一に頷くと、醍醐は師に訊ねる。しばしの沈黙の後、ようやく龍山は口を開いた。
「今のわしに言えるのは一つだけじゃ。刻が――迫っておる。この東京に眠る大いなる《力》が解き放たれる刻が。そして――それを手に入れる為だけに存在しているものの影が、この東京を被い尽くす刻が――」
 口ぶりからすると、龍山は何かを知っている。それも、今回の件に関する核心を。だが、それを口に出さないところをみると、今の龍麻達には不要な情報なのだろうか。
(今知っても、どうなるものでもないってことか……)
 以前ここを訪れた時、龍山は「今度来た時に話しておきたい事がある」と龍麻に言った。ひょっとしたら、今回の件とも関係があるのではないか、龍麻はそんな事を考える。
 そこへ、風が竹林を吹き抜ける。身を切るような冷たい風が。今は余計なことを考えるなと言っているかのようだ。
「さて……今日のところは――」
 もう帰ろう。皆の方を向き、龍麻はそう言おうとした。だがそこから先は口に出ることはなかった。
(……とりあえず、戦闘中は保ったか……)
 声が出ない。身体が重い。手足を動かそうとするがそれも叶わず、ただ痛覚だけは嫌というくらい認識できる。
 視界が揺らぐ。どうやら立っているのも限界のようだった。
「「龍麻っ!?」」
「「ひーちゃんっ!?」」
「「「緋勇(くん)っ!?」」」
 こちらの異常に気付き、仲間達が悲鳴を上げ、駆け寄ってくるのが見える。
(あ……また葵を泣かせちゃったな……)
 泣き顔の葵の姿を最後に、龍麻の意識は途絶えた。



お品書きへ戻る  次(閑話:死闘終わって)へ  TOP(黄龍戦記)へ