新宿区――新宿通り。
いつ来ても変わらない人の波。しかし、街そのものはその装いが変わり始めている。
「こうして歩くと……季節が移り変わるのを実感するわね。すれ違う人も、街路樹も、ショーウィンドウも……みんな、秋の色になり始めている……龍麻と初めて会ったのは……まだ桜の蕾がほころび始めた頃だったわね」
「もう、半年になるんだよね」
気がつけば半年――早いものだ。転校してきてからの事を思い出してみる。
初日に質問攻め。佐久間にケンカを売られ、今では親友と呼べる四人に出会った。
旧校舎で皆が覚醒し、その後多くの事件に遭遇し、多くの仲間と出会い……永久に別れた者もいる。
が、大きな闘いは終わり、今はようやく平穏の時を迎えている。
(今は、か……)
「ねえ、龍麻。その……」
「ん?」
暗い考えになりそうになったところで葵が訊ねてくる。
「その……前の学校に、好きな人って……いたの?」
「いるよ」
過去形ではなく、現在形で躊躇いもなく答える龍麻。ぴた、と葵の動きが止まるが
「焚実にさとみ」
「あ……そ、そう……」
続く龍麻の言葉で活動を再開した。そう、龍麻は友人を挙げたのだ。葵の質問の意図とは別の答えである。ほっと胸を撫で下ろす葵。
「でも、どうして急に?」
鋭いくせに、ごく一部の事柄にあっては鈍いこと極まりない我らが指揮官殿は、そんな事を訊いてくる。
「あ、あの……変なことを訊いてごめんね。私はただ……私の知らない龍麻のこと、もっと知りたくて……」
その言葉に慌てて言い繕おうとする葵だったが
「なんだ、お前ら。道の真ん中でラブシーンか?」
「そう思うのなら邪魔しないものだよ」
いきなりそんな事を言ってくる者達がいた。
「兵庫に……翡翠。君達までそんな事言うわけ?」
「なんだ、俺達まで、ってのは? 他の連中にもからかわれたのか?」
空手着姿の紫暮と、制服を着た如月が、二人に近付いてくる。
「いやぁ、宴会の時以来か」
「確かに、こんな所で会うなんて偶然だね」
今日はとことん仲間と遭遇する日のようだ。
「如月くんに紫暮さん……二人揃って……どこかへ行く途中なの?」
「ああ、これから骨董品の買い付けに行くんだ。さっき、目黒の方の買い付け先に寄った時に、紫暮さんとばったり会ってね」
葵の問いにそう答えて、如月は隣の紫暮を見る。しかし紫暮、偶然如月に出会った割には道着姿なのだが、部活の途中だったのだろうか? せめて、制服に着替えるくらいのことはすればいいのだが。
「なに、俺も新宿に用があったからな。そのついでに、如月の荷物持ち、というわけだ。で、どうだ、龍麻。元気にしてるか?」
「おかげさまで。久し振りにのんびりしてるよ。ただ、ちょっと退屈気味ではあるけど」
「ははは、そうか。まあ、お前さえよければ、うちの道場に師範として顔を出してくれても構わんぞ」
「そうだね。たまには手合わせ願おうかな」
武道家二人の会話に、如月が苦笑している。
「紫暮さんらしいというか、なんというか……だがまあ、いろんな事も片付いて、お互いに、ようやく普通の生活に戻れたようだね」
普通の生活――龍麻達が望んだもの。確かに鬼道衆との闘いも終わり、平和が訪れた。だが、最近龍麻の中で不安が大きくなってきている。本当に終わったのか、と。根拠はないが、何かが引っ掛かるのだ。
それ故に、口では普通の生活に戻れたなどと言っている如月とも連絡を密にしていたりする。この件については誰も知らない。
「龍麻……この間渡したもの、不具合はないか?」
「うん。だいぶ上達したよ」
「また、面白い物があったら仕入れておく。たまには店に顔を出してくれよ」
「分かった。ありがとう」
「まあ、そんなにサービスはできないけど、来てくれるなら嬉しいよ。さて、そろそろ行かないと、お客さんが待っているからね」
時計に目をやり、如月。紫暮が頷き
「ああ、そろそろ行くか。それじゃあ、またな」
龍麻達はそれぞれの方向へ歩き出す。
「……まあ、うまくやっているようだな」
「どうした、如月?」
龍麻達の方を振り返って独り言ちる如月に、紫暮が訊き返す。
「いや。商品を提供した者としては、その後の経過が気になるということだよ」
龍麻が葵の誕生日にプレゼントを贈った事を知っているのは、そうさせるべく画策した者達と如月くらいのものだ。もちろん紫暮が知っているはずはない。
「よくわからんが……あの二人のことか?」
「まあ、そうだが。こればかりは本人同士の問題だ。僕達が必要以上に介入することも――」
不意に如月が口を止める。そこに、ある人物達を認めたからだ。紫暮もそれに気付き、また「彼ら」が何をしているのかにも察しがつく。
「「やれやれ……」」
二人は同時に溜息をつくと、用事を済ませるべくその場を離れた。
「よお、龍麻くんに美里さんじゃねぇかっ」
「お二人とも、先日はどうも」
紫暮達と別れて数分、今度は織部姉妹と遭遇した。あと一人でコンプリート、などと龍麻はよく分からないことを考える。
「雪乃さん、雛乃さん……」
「こんにちわ、美里様。龍麻さんも……お元気でしたか? お身体の方も……」
葵と挨拶を交わして、雛乃はそう龍麻に訊ねる。彼女は最終決戦時の龍麻の《力》について知っている。その影響が出てはいないかとの問いであるのだが、龍麻の方は大丈夫だよといつものように答えた。
「そうですか。それを聞いて、わたくしも安心いたしましたわ」
「あの、もしかして、今日はお二人でお買い物か何かかしら?」
織部姉妹も地元は荒川だ。こちらに出てくるのは旧校舎潜りの時くらいである。葵の問いに、答えたのは雪乃だった。
「ああ、そうなんだ。来週から修学旅行でよ、今日はこいつの買い物に付き合わされてんのさ」
「姉様ったら、そんな言い方しなくても……旅行の前ですもの。普通は買い物くらいしますわ」
面倒くさそうな雪乃に、雛乃がむくれるが、姉の方はまだ言い足りないようだ。
「そうは言っても、お前の買い物は長いんだよ。なあ、龍麻くん。女の買い物に付き合うのは辛いだろ?」
「……どこへ何を買いに行くのかにもよるけど」
同意を求める雪乃に、龍麻は曖昧に答えた。
「下着売り場にさえ連れて行かれなければ、全然問題ないかな……」
「なんだそりゃ?」
ふっ、と遠い目をする龍麻。過去に何かあったらしい。
「何だかよく分からないけど、男も大変だな」
とりあえず納得することにしたらしい雪乃。葵はその時の「相手」と状況でも思い浮かべたのだろう、笑いを堪えていた。
「でも、ゆきみヶ原も修学旅行なのね。実は私達も、来週からなのよ」
「まあ、どこへ行かれるのですか?」
「京都に奈良……お決まりのコースなの」
「ゆきみヶ原はどこへ行くの?」
「へへっ、うちは私立だからな。沖縄だぜっ。真神は都立だから仕方ねぇよな」
どこか勝ち誇ったような感じの雪乃だが、あら、と雛乃が異を唱える。
「わたくしは京都の方が羨ましいですわ。趣があって、落ち着いた素敵な場所ですもの」
「ええ、そうね」
「今から楽しみだよね、寺社仏閣巡り」
「……雛はともかく、美里さんに龍麻くんまで……年寄り臭いぞ」
京都派三人の言葉に、雪乃は呆れたような視線を向けるのだった。
新宿区――中央公園。
「なんだか……今日はいろんな人に会ったわね」
「そうだね。結局、仲間で会ってないのは雷人だけだし」
気の早い木々が葉を散らし始めた公園内を歩く二人。一応、ラーメン屋へ向かうつもりでここまで来たのだが、歩く速度はいつもより遅い。いや、ここまで来てから、自然にペースが落ちたと言うべきだろうか。
「よくもまあ、これだけの人数が新宿に集まったものだよね」
「そうね。そのおかげで言い出し辛くなっちゃったけど、本当は今日、龍麻に聞いて欲しいことがあったの」
「聞いて欲しいこと?」
「ええ。よかったら……ここでもう少し話さない?」
若干緊張を帯びた声。しかし暗いものではない。もちろん龍麻がそれを断るはずはなかった。
「いいよ。それじゃ、そこにでも座ろうか」
手近にあったベンチを指し、席を軽く払ってから座るように促す。
「で、話っていうのは?」
「私ね、今朝家を出る時に、もしも……もしも学校へ着くまでに龍麻に会えたら、言おうって決めていたの」
「学校へ着くまでに? そう言えば今日は途中で会ったっけ。でも、言うって何を?」
「……私の気持ち……」
少し間を置き、葵の口から漏れた一言。それを聞いた瞬間、龍麻は硬直した。何とか目だけを動かして葵の方を見る。俯いているため表情までは読めないが、耳まで真っ赤になっているのは分かった。
(……な、何だか以前にも似たようなことがあったような……)
そう、あれは確か目赤不動へ宝珠を封印に行った帰りだった。葵を送っていく途中で彼女が言いかけた言葉――
鼓動が早くなるのを感じながら、龍麻は次の言葉を待つ。九角と一騎打ちをした時とはまた別の緊張感。はっきり言って、ここまでのプレッシャーに襲われたことはない。自分の顔など見えはしないが、恐らく葵と同じくらい赤くなっているのだろう。顔どころか、身体全体が熱い。
「龍麻……私――」
更に少し間を置いて、ようやく発せられた葵の言葉。しかしそれが最後まで紡がれることはなかった。
「へへっ、兄ちゃんよぉ、随分とイイ女連れてんなぁ」
突然の声にそちらを見ると、いかにもな不良達が側に集まって来ていた。
(……参ったな、こんな連中が近付いてきたのも分からなかったなんて)
どれだけ自分が平静でなかったかが分かる。葵を見ると、何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。
葵にしてみれば、ようやく言葉という形にして、自分の気持ちを伝えようとしたところを邪魔されたのだ。だが、それを残念がる一方で、今の関係がそのまま続くことに安堵している自分がいる。口にしてしまえば絶対に通じるのだが、相手の気持ちに未だに気付いていないのだ。
それはともかく。
「ここらは、オレたちの庭
「さしあたっては、そっちの女と……あとは、てめえの有り金全部で、かんべんしてやらあ」
完全にこちらを見下している不良連中を見て溜息をつき、龍麻はベンチから立ち上がる。その手を葵が掴んだ。
「龍麻……無茶しないで……」
この場合の無茶、というのはやりすぎないように、という意味なのだが、不良達にそれが分かるはずもない。見た目だけなら、龍麻が武術をやるなど想像もできないだろう。
「……まあ、病院の世話にはならないで済む程度に手加減するよ」
龍麻の方も、葵の告白を中断されて少しは機嫌が悪い。その一方で、先に言われなくて良かったのかも、などと考えていたりするのだが。
「さて、と。それじゃあ、野盗退治といきますか……」
生身の人間相手に《氣》を使うつもりは毛頭ない。どうせ相手はたかが不良だ。いくら数がいると言っても、敵ではない。先制に手近の不良を仕留めようとしたその時――
「おいおい、醍醐。ちょいと留守にしてたうちに、この辺もガラが悪くなったもんだなぁ」
「ふっ……全くだな。こいつは一つ、大掃除といこうか」
「えへへっ、そうだねっ」
真神で別れてきたはずの京一、醍醐、小蒔が現れた。
「HAHAHA!」
「それじゃ、あたしも参加させてもらおうかしら」
それだけではない。アランに藤咲。それに織部姉妹まで。
「一体、どうして……」
葵が驚くのも無理はない。そして、それ以上に龍麻はショックを受けていた。京一達がいるということは、学校から自分達を尾行していたということだ。それもその数を増やしながら。それに全く気付かなかった。京一や醍醐なら気配を消すくらいはするだろう。だがそのテの事が苦手な女性陣にすら気付かなかったとは。余程浮かれていた、ということだろうか。
「おい、ひーちゃん。行くぜ……って……」
「京一と小蒔さんが首謀者だろうから、あとでお仕置き。雄矢も巻き込まれたのは災難だったけど、できることなら止めて欲しかったな。同罪」
龍麻を促す京一だったが、その視線に動きを止める。更に続くお仕置きの一言に、京一達の顔に縦線が入った。
「それにしても亜里沙とアランはともかく……まさか織部姉妹まで……」
冷や汗を浮かべながらあさっての方を向いている藤咲とアランを一瞥した後、意外な人物達に目を向ける龍麻。雪乃は引きつった笑みを、雛乃は申し訳なさそうに俯いている。
「……わりぃ。けど、悪気があったわけじゃねぇんだぜ。ただ、その……」
「ただ……何かな? 蓬莱寺君?」
(うわ、マジで怒ってる……)
龍麻の冷たい声と視線に、京一は龍麻の怒りの度合いを知った。確かにやりすぎたかも知れない。だが、これでも龍麻達のことを心配していたのだ。割合的には好奇心や野次馬根性の方がはるかに大きかったとしても。
「て、てめぇら……!」
「うるさい」
無視されて苛ついたらしい不良Aが龍麻の肩に手を掛ける。その瞬間、裏拳を顔面に叩き込む龍麻。その一撃で不良Aはその場に沈む。
「た、龍麻……くん……?」
「……葵さん、ちょっと待っててね」
問答無用の龍麻に恐る恐る声をかける葵。龍麻は戦闘態勢を取った不良達の方へと無造作に近付いていく。
結局、京一達は、加勢する機会を失った。龍麻が一人で不良共を駆逐したのだ。
そして全員が龍麻と葵に、ラーメンではなく「食事」を奢ることを約束させられたのだった。
9月28日。東京駅――新幹線ホーム。
「おっはよー、ひーちゃん!」
「ああ、おはよう小蒔さん」
ホームに上がったところで元気いっぱいに小蒔が声をかけてくる。
「いい天気になって、ホントよかった……う〜ん、絶好の修学旅行日和だねっ!」
「とりあえず、修学旅行の間は雨の心配をせずに済みそうだよ」
「やっぱ、修学旅行はこうじゃなくっちゃね!」
「で、二次試験はどうだった?」
と、龍麻は問う。警察官の二次試験が先週あったはずなのだ。真神組の中で一番早く就職活動を始めている小蒔である。
「うーんどうかな? でも、やれるだけやったし。とりあえずは、これからの修学旅行を楽しまなくちゃ」
手応えはあったのだろう、小蒔が明るく笑う。そこへ葵がやって来た。
「うふふ、小蒔ったら、嬉しそうね」
「えへへ……だって、楽しみでしょうがないんだもんっ」
「本当に小蒔らしいわ。おはよう、龍麻くん」
「おはよう、葵さん」
「あの、これ」
挨拶の後で、葵が紙包みを差し出した。龍麻に近付き、彼にしか聞こえないくらいの声で
「ちょっと早起きして作ってきたの……よかったら、後で食べて」
「うん、ありがとう」
「今日の天気予報では、京都の方も晴れだって言ってたから、今日の班行動も支障なく動けそうよ。これからの三泊四日……よろしくね、龍麻」
「こちらこそ」
「なーにしてるのっ?」
そこへ小蒔が乱入し、龍麻が受け取った紙包みを見て、ニヤリと笑った。
「ねぇ、葵。それ何かな〜?」
「え? あ、これは……」
「僕がこの間貸した歴史の本。小蒔さんも読む?」
葵が慌てる前に龍麻がそう言うと、なーんだと小蒔はつまらなそうに言う。
「勉強なんて勘弁してよ。でもさ、いくら京都だからって、お寺巡りばっかりじゃ、やっぱりちょっと、気が滅入るかも……」
龍麻のように変わった趣味でもあれば別であろうが、高校生にとって寺巡りというのは退屈なものかも知れない。小蒔の意見ももっともである。
「どうだ龍麻。体調は万全か?」
そこへ背後からの声。醍醐がやって来る。
「もちろん。こんな時に身体を崩してなんていられないよ」
「そうか、お前もよっぽど楽しみなんだな。今からそんなに入れ込んでいると、京都に着く前に疲れてしまうぞ」
そう言って笑い、醍醐は思い出したように周囲を見回した。
「ところで、そろそろ列車に乗る時間じゃないのか?」
「え、ええ……そうなんだけど……」
「いくら待っても来ないヤツが、若干一名、いるんだよね〜っ」
葵と小蒔の言葉に、やっぱりなと溜息をつく醍醐。言うまでもなく京一がいないのだ。
「みんな、おはよーっ! ……アレ? うるさい奴の姿が見えないようだけど……?」
そこへアン子がやって来る。が、人数に気付くと不思議そうに周囲を見回し始めた。どうやら、龍麻達の側にいないのではなく、ホームそのものに姿を見せていないようだ。
「まったく、こんな時までしょうのないヤツ!」
と小蒔が呆れたところで罪はあるまい。いつもの京一を知っているだけに、その場にいた残りの四人も溜息をつく。
「みなさん、そろそろ列車に乗りますから、整列してください」
と、担任のマリアの声が聞こえたのはその時だった。周りにいた生徒達が動き始める。
「ヤッバ〜。このままじゃ、あいつ、置いてけぼりよ」
「ちなみに、旅行に行けないとどうなるの?」
頭を抱えるアン子に小蒔がもっともな疑問を投げかける。そこへ不意に別の声がかかった。
「うふふふふ〜。も〜ちろん、その間〜、学校で自習よ〜」
「わっ、ミサちゃん……」
いつもの如く不意に現れる裏密。さすがに小蒔も驚いたようだ。
ただ、今回は普通に歩いて来た。醍醐の顔がやはり蒼くなるが、先週何をされたのだろうか?
「それって……本当なの?」
「うふふふ〜、本当よ〜。でも〜、誰もいない教室で〜、一人だけで補習っていうのも〜、うふふ〜……悪くはないかも〜」
不安げに訊ねる葵に、いつもの笑みを浮かべながら裏密は答えた。
「……一人だけ、って……教師陣も大半は修学旅行同伴なんだから、真面目に補習なんて受けるはずないんじゃないかな?」
「あら〜、ひーちゃん。あたし〜の契約者
「まさか、また何か召喚したんじゃないだろうね?」
いつぞやの事件を思い出し、龍麻が問い詰める。
「大丈夫〜。あれからは〜、何も喚び出してないわ〜」
多分大丈夫、だろう。多分……。口ではああ言ったが、さすがに他の生徒達に危害を加えるようなモノを野放しにはしないはずだ。
「ねっ、龍麻君。ここは友達代表として、一緒に残ってあげるってのはどうかしら?」
「……遠野さん、やっぱり僕を怨んでる?」
あんまりな提案に、龍麻は恨めしそうな目をアン子に向ける。と同時に、葵達の視線まで集中した。
龍麻にしてみれば、いくら親友のためとはいえ、修学旅行を断念するのは辛いことであるし、葵達にしてみれば、今まで自分達の中心であった龍麻がいなくなることなど考えもしなかったし、また容認できることでもなかった。
「や、やだあ、冗談よっ、ジョ・ウ・ダ・ンッ!」
「ホントに……?」
「ホントよ、ホントッ! お詫びにこれあげるから……機嫌直してちょうだい、ねっ!」
言うなりアン子がたい焼きを取り出し、龍麻の口に突っ込んだ。食べ物が口に入った以上、話すことはできない。まあいいか、と龍麻は口の中の甘みを楽しむことにする。手を使わずに食べているので行儀は悪い。
「それにしても……本当に来ないわね……」
ホームへの入口、階段の方を見ながら葵が呟く。出発までもう時間がない。そこへマリアがやって来た。
「アラ、みんな、こんな所でなにをしてるの? 他の子たちは、もう列車に乗ったわよ。遠野サン、裏密サン。担任の犬神先生が捜してたわよ」
「いっけないっ! 早く行かなくちゃ! 行こ、ミサちゃん!」
「そうね〜」
慌ててアン子が荷物を持って、自分達の車両へと向かう。裏密もそれに続くが
「あれ? ミサちゃん、荷物は?」
「もちろんあるわよ〜。ここに〜」
手ぶらだったのに気付いた小蒔が訊ねる。裏密はそう言って何もない空間を指した。それから龍麻の方を見て問う。
「ひーちゃんは〜、まだ手で持つの〜?」
「荷物を収納できる程には歪められないんだよ。まだまだ未熟でね。それとも才能ないのかな」
龍麻は葵達と同じく、旅行用のバッグを提げていた。別にそれ自体はおかしなことではない。裏密が特殊なだけである。
「大丈夫〜。ひーちゃんなら〜、いい魔術士になれるわ〜。あたし〜が保証するわよ〜」
不気味な笑い声を残しつつ、裏密は去って行く。
「龍麻、一体何の話だ?」
「某猫型ロボットのポケットは偉大だな、ってこと」
怪訝な表情の醍醐にそう答え、龍麻はホームを見回した。京一の姿は、まだない。
「さて、残るは彼一人だけ、ね……」
「もう列車が出ちゃうよぉ〜。やっぱりここは置いて行くしか――」
マリアが溜息をつき、小蒔が諦め気味にそう呟いた時だった。
「お〜い、待ってくれぇ〜っ! 俺を置いて行くな〜っ!」
京一の声がホームに響いた。と同時に出発を告げるベルも鳴り始める。
「大変! 列車が出てしまうわ! とにかく、みんなは早く乗ってちょうだい!」
龍麻達を促し、マリアが列車に乗る。龍麻達も続いて乗り込んだ。入口から見ていると、階段からホームに京一が出てきた。龍麻達を見つけたのか、こちらへ走ってくる京一。
「くそっ、待ってくれ――っ!」
「さやうならー。たっさでなー」
そんな京一に手を振る龍麻。ご丁寧にハンカチまで持っている。
「って、ひーちゃん。なに某アンドロイドみたいなコト言ってんのさ」
「いや、こういう機会じゃないと言えないし」
必死の形相で駆けてくる京一とは対照的に、先程まで心配していた割にはのんびりしている龍麻達だった。
「ふーっ。それにしても、本当にギリギリセーフだったぜ」
席に着いた京一が、やれやれ、と大きく息を吐く。何とか無事に合流する事ができた京一に、呆れた視線を送る四人。
「よく言うよ。あんなに迷惑かけといてっ! なんでこんな日くらい、早く来れないかなぁ」
「ふふっ、いいわよもう。間に合ったんだもの」
説教に入りかけた小蒔を葵がなだめる。
「でも、京一も馬鹿だよね」
「あん? なんだよ、ひーちゃん。いきなり」
「だってさ、わざわざ僕達の所まで来なくても、すぐ側の車両に乗れば良かったのに。それならあそこまで慌てる必要なかったじゃないか。どうせ、中を通ればこの車両まで来れるんだから」
龍麻の指摘に葵達が顔を見合わせる。
「確かに……そうね」
「別に車両を隔離してるワケじゃないもんねぇ」
「無駄な事に体力を使ったな、京一」
「ご苦労様」
口々に言う四人に京一は顔を引きつらせ……反論できずに顔を背けるのだった。
京都。
「それではここからは、班別の自由行動とします。各自が責任を持って行動して下さい」
「具体的には、他人に迷惑を掛けない、事故を起こさない、みっともない真似をしない――以上だ」
集合場所に整列した生徒達を前に、お約束の注意をするマリアと犬神。
「それでは、各班とも夕食の時間までには、宿に到着するように。では――解散」
マリアの言葉を最後に生徒達が動き出す。教師陣はこれから主要な名所へ出向いて生徒達の監督だろう。
各班が固まって移動する中、龍麻達も一カ所に集まって今後を相談する。
「それで、まずはどこへ行くんだ?」
醍醐が、今回の自由行動の計画を立てた葵に訊ねる。観光名所は数あれど、その全てを回るわけにはいかない。第一、団体行動で巡る場所だってある。
「宿へ着く前に、鹿苑寺か仁和寺のどちらかへ寄るのがコースなの。鹿苑寺は、あの金閣があるお寺だし、仁和寺には、有名な五重塔があるのよ」
予定を書き込んであるメモ帳を開きながら葵。
「龍麻くんは、どっちがいいかしら……?」
「うーん。金閣は小学生の頃に観た覚えがあるけど、仁和寺はまだだな」
「あら、龍麻くんも仁和寺がいいの?」
「ふーん。ひーちゃんて意外とシブいのが好みなんだ。まあ、確かに金閣寺ってちょっと派手すぎだもんね」
俺は別にどっちでも構わねぇよ、と京一が気のない返事をする。
「どうせ、どっちもただの寺に変わりはねぇからな」
「やれやれ。お前にかかったら、趣も何もあったもんじゃないな」
醍醐の言葉に、京一を除く皆が笑った。
「じゃあ、仁和寺の方にするか。美里、案内は頼むぞ」
「ええ。そろそろ――」
「――あっ、緋勇くん」
出発しようとした矢先、女生徒の一人が龍麻に声をかけてくる。
「ミサちゃんが、向こうで緋勇くんの事、探してたわよ。それじゃねっ」
用件だけ伝え、去って行く女生徒。
「龍麻くん……行った方がいいんじゃない?」
何か大切な用事かも、との葵に、龍麻は頷く。
「……そうだね。悪いけど先に行ってて。すぐに追いつくから」
「追いつくって……大丈夫?」
「道は覚えてるから、問題ないよ」
「ったく、物好きだな、ひーちゃんは。裏密の用事なんて、ろくでもねぇことに決まってるぜ」
と悪態を吐くのは京一だ。いい加減、慣れても良さそうなものだが。そんなことを言うものじゃないよ、と言って、龍麻は裏密のいるであろう方へ向かった。
用事を済ませた龍麻と合流し、一行は仁和寺へとやって来た。
「あっ――見て見てっ! 五重塔だよ! 大きいなぁ……」
高くそびえる五重塔を見て、小蒔がはしゃぎ始める。
「ところで、仁和寺はどんな寺なんだ?」
と、夏に増上寺について質問してきた時と同じように、醍醐が質問する。
「仁和寺はね、仁和4年――888年に天皇家によって造られたんだけど、後の応仁の乱などの戦で、当時の建物の多くを失ったの。いまあるのはほとんどが、後の世に徳川家によって再興されたものよ」
「増上寺も徳川に縁のある寺だったな、確か」
覚えていたのか、葵の説明に醍醐が呟く。
「修学旅行が数日後だったら、霊宝館も公開されてるんだけどね」
「霊宝館って?」
「国宝・重文級の文化財を多数所蔵してるんだ。光孝天皇――仁和寺の発願をした天皇と同じ頭身の阿弥陀三尊像なんかもあったはずだよ。4月始めと10月の始めの各五十日間だけだけ公開されてるんだ」
「へぇ……詳しいんだね、ひーちゃん」
感心する小蒔に、趣味だからねぇ、と答える龍麻。
「まあ、見所は満載だよ。仁和寺自体、世界文化遺産に登録されてるし、建物も多くが国宝や重文に指定されてるから」
「その他にも、ここには御室
葵の言葉に、龍麻は中央公園で見た桜を思い出す。京一も同じだったのか
「まっ、俺に言わせりゃ、桜は中央公園のが一番だけどなっ」
と言った。確かにあの時の桜は綺麗だったな、と醍醐も頷いている。そこへ――
「そういうのを井の中の蛙、とも言うが……まあ、自分の故郷に誇れるものがあるというのは良い事だな」
生物教師の犬神が、いつの間にやら側に来ていた。
「先生は見回りですか?」
「ああ。これからまだ、竜安寺と鹿苑寺――金閣寺をまわる」
醍醐に答え、犬神は京一に視線を移した。
「お前らもくだらん騒動
「なんだよ、くだらねぇ騒ぎってのはよ」
複数形で言ってはいるが、この場合は京一に釘を刺しているようにしか見えない。案の定京一が苦虫を噛み潰したような顔になる。
「心配しなくても大丈夫だよ、センセー。もう事件は、全部終わったんだし……」
「桜井――!」
口を滑らせた小蒔に、醍醐の叱責が飛んだ。一連の事件のことをそう易々と他人に教えるわけにはいかないのだ。慌てて口元を押さえる小蒔だが、もう遅い。
その様子を見て、犬神はフッと笑い、龍麻に視線を移した。
「全部終わった……か。どうだ緋勇。お前もそう思うか?」
試すようなその言葉に、龍麻は何も答えない。
全てが終わった――言うのは簡単だ。だが、腑に落ちない点はある。だからこそ、自分はまだ警戒を解いていないし、東京を護るという使命を持つ如月には協力してもらっている。いずれ何かが起こるかも知れない。だが、せめてその時までは皆には日常に戻っていてもらいたい。それが龍麻の気持ちだった。
葵達の視線を感じつつ、龍麻は唇だけ動かした。「皆のいる前ではそんな事を聞かないで下さい」と。それを読み取って、犬神が口の端を吊り上げる。
「慎重だな……いい心掛けだ」
葵達には龍麻が黙っているだけにしか見えなかったが、犬神はそう言った。
「まあ、いい……お前らも、修学旅行中くらい、大人しくしていろよ」
今度は全員を見回してそう釘を刺し、犬神は去って行く。次の場所に向かうのだろう。
「犬神先生……どうしてあんな事を……」
「うむ……やはり先生は、何か知ってるんだろうか……」
葵と醍醐が難しい顔になる。特に葵は、旧校舎の地下で龍麻と一戦交えている犬神を目撃している。彼が普通の教師と違うということだけは知っているのだ。その犬神が口にした意味ありげな台詞。気にするなという方が無理である。
「龍麻、お前は何か知っているのか? 何やら考えているみたいだったが」
「ん? いや、どうしてあんな事言うのかなって考えてたんだけど、何だか勝手に納得しちゃったね、先生」
醍醐の質問をはぐらかす龍麻。
「ま、あのヤローの言う事をいちいち気にしてたらキリがないぜ。そんなことより、向こうでお参りでもしようぜっ」
「気にはなるけど、せっかくの旅行だもん。さっきのは忘れて、行こっ、みんな」
京一と小蒔の意見に、それもそうだ、と龍麻達は従うのだった。